2007年7月27日金曜日

牛乳焼酎

化粧水にもなるらしく。

おいしいです。

ありがとうございます。

ーーー

それとは全く別の話。

なんか、「いい」と思ってた人が、

その人の日記、(そんなもんがその人の100%ではないんですが)

を見て、

あぁあ

と思わせられる。

残念だね。

悲しくなっちゃう。

まぁ、ね。大川君さ。

あの人は、ないよね。

誰か、言ってあげるべきだよね。

まぁ、そうやって生きていくんだろうね。

僕も、こんなこと書かなきゃいいのに。

でも、あんまりにも、悲しいんだもの。

いつも、見る度に。    

2007年7月26日木曜日

感性に属する知性について。

非論理的(かもしれない)ことを言う。

僕は、この世界に、ある種の感性に属する知性があると、ただ直感する。

(一人称が変わるのは、毎度のことだ。許してほしい)

私のなかの論理的、そして抽象的な思考の内省において、どうやらそれはあるだろうと、考えずにはいられないのだ。

感性に属する知性、という呼称をあまりに酷いかもしれない。

その呼称はまったく完璧とは言えないだろう。

僕は、知的なもの、その事象の背後に「知的な働き」が見えるものが、好きだ。

AがBを生み、そのBと別の命題Cとの関連において、Dが生まれる。

それは必ずしも論理的であるということと同一ではないが、

私はそういった「具体的思考による意味付け」を、何より好み、私の趣味趣向が、馬鹿げたほど「散らばる」のは、一つにはこの性向によるものだろうと思う。

だから私は、「純粋なヴィジュアル」によって、心から感動することがない。

いや、それも正確ではないな。感動はするんだ。

何だろうな。結局、一番好きなもの、ではない、ということだ。

そうそう。

「一番好きな○○は?」と聞かれたときに、僕は、どうも、そういうものを取り上げないということだ。

感性的な知性っていうのは、そういう「純粋なヴィジュアル」「純粋形式の芸術」においての思考のことです。

最高の音楽家は、知的ですが、その知性は法学者のそれとは異なります。

それは「プリミティブな感情」とは違います。

そう、思考形態が違うのです。

どちらも論理的です。

どちらも科学的。

ただ、思考の形態が形式が、違うのです。

何とも上手く言えません。

ただ言いたかったのは、

僕が、そういう世界の思考方法を持たず、

それが悲しくもあるのですが、逆に反対の世界において、

しっかりやっていこうというオプティミズムを感じた。

それだけでした。

でも、こういう考え方は好きじゃないんです。

全ての思考は、ある一つの出発から始まると、漠然と信じているんです。

そうでないと、交流の難しさが表れるでしょう?

でも、どうやらある「みたいに」、感じる。

これが成長ですか?

「決めていかなければ」、人は生きていけませんか?

生きづらいのかなぁ。

まぁ、わかりませんが。

あ、全然暗い気持ちにはなってません。

ただ、今まで否定してきたものが、漠然とした実感によって内側から破られる時の、

あの何とも言えない、納得のいかない感じと、それを認めたい、みとめなくちゃいけない気持ち、

そして不思議な快感を、

少し感じているだけです。

結局、みんながみんなオペラを聞くわけではないし、理解できるわけでもない。

性向と、論理的知性は、どのように絡んでいるんでしょうね。

「わかるけれど、嫌い」

結局、これが最後の解答なんでしょうか。

でも、

「わかんないけど、好き」

の世界が、あるんだと思うんですよ。

頭が悪いとか、そういう次元じゃなくて。

あぁ、もう、このお話、止めます。

未熟でした。

議論はしません。

ちゃお    

「 i Phone 衝撃のビジネスモデル」

この種の新書にはよくあることだが、この本もご多分にもれず、かなり「夢」を語る。

将来的にはこうなるだろう、とか、かなり想像的な創造に彩られてはいるが、ある程度こういったものに慣れている人間にとっては「ふ〜ん」と言うくらいの夢が描かれている。

ただ、その夢は、著者自身の冷静な反論も交えていて、そうそう笑い飛ばすことはできないし、現実性も持っている。

現代ネットワーク社会のキーワードたち、たとえば「Web 2.0」や「ロングテール」といったものを理解したい、という初学者にも有用な本であるし、僕みたいなそれほど専門的な知識は持ち合わせていないが「ウェブっていうのはさ〜」みたいなことを言いたがる人間にも、

今の「現状」の把握(さきのWeb 2.0もそうだが、マイクロソフトや携帯電話といった複合的な、ビジネスと仮想世界両方を巻き込んだ「ネットワーク社会」の把握)と、その現状と問題に基づく「近い未来」(それがここでは「 i Phone」に収斂されているのだが)の理解という点で、かなりおもしろい本だといえるだろう。

種々のテクノロジーが今現在の社会でどのように機能しているか、そして現在の社会はそれらの技術要素によってどのように構築され成り立っているかという問題を、とても概観しやすいものである。

ただ、「気づかせて」はくれるが、そこにはあまり新奇性に富んだ話はないので、webやそこに端を発するネットワーク社会につい徹底的に理解し尽くしている人間にとっては、とても退屈な論展開であるだろう。「まぁ、そうだわね」ってな具合に。

本書では、確かに少し「論の飛躍」が見られる箇所もある。筆者は努めて冷静になろうとはしているが。

それでもこの「 i Phone 衝撃のビジネスモデル」は、現在のネットワーク社会におけるビジネス的な観点ーー課金やID、収益モデルーーと、Webという思想の進む道ーー「セマンティックな検索」やネットワークの「在り方」ーーの両方を含んで、そしてその歴史の流れをも巻き込んで一つの社会を図示しようとしているとても「気づきとしての、発見」に満ちた本であった。

まぁ、SFCにおいては「ネットワーク文化」を履修しようとしている人にはいいかもしれない(笑)

別にこんなレビュー、する気はありませんでしたが、

「読んでみてもいいんじゃないかな?」っていうのを、一応言ってみようかなと思ったので、

稚拙な紹介文ですが、適当に掲載しておきます。

何にせよ、欲しいね。 " i Phone "    

2007年7月24日火曜日

利点は反転、弱点であり。

フロイトは、自身の思考の、

抽象的な思弁の傾向の著しさを認識していたので、

もっと具体性のある科学的主題に没頭することの必要性を感じていたそうです。

バランスをとるために。

だから彼は、数ある医学校の中でも、実践と経験を好むウィーンの医学校にいったのです。

だからというわけではないですし、

まさかフロイトと自分をだぶらせるわけではないですが、

私は本当に、物事を「仔細に扱う」というのが苦手なのです。

数ある事象、要素が目の前に並べられていて、

それら一つ一つの連関、関係のネットワークを丁寧に扱い、その繊細で強靭な「つながり」をしめした上での、主張ということが、

本当に不得意なのですね。

たくさんの要素を、まとまりとしてとらえ、

「ふーん。ふ〜ん。 おっ 」

として、自説と自分の主張を作り上げてしまうのです。

そこにはもちろん各要素のつながりと、論理性は存在しているのですけど、

それを事細かに、ましてや「コード」「前提理解」から、0から説明しようというのは、

本当に苦手なのです。

長年レトリックと論理として、自分のそういう弱点を「強み」にしてきた報いですね。

論理的には話せても、その対話の中で解きほぐせても、論理を作り出せても、

レポート書けないんですよ。

とくに、自分の扱っている内容に、何の前提知識も持たない人相手に書くとなると。

そのくせ、説明の力を信じてますし、細心の注意と努力を注ごうとしますから、

ホント、長くなり、重複し、美しくない。

それでも書いているうちに、コードが積み重なって来て、

じょじょにですが、よくなるのですが。

ようは、一つ一つの要素を、綺麗に美しく並べ、

どの食材がどの食材とハーモニーを奏でているのか、

このスパイスは、どの味を引き出しているのかということを、

もう少し説明したいのです。

「おいしいから、いいでしょ」

では、せっかくのおいしさも半減し、

何より発展可能性がないでしょう?

そのためのスキルを身につけたいし、

身につけることが、課題ですね。


あぁ、でも、

「対話」というのが、

伝えるうえでは何より大事ですね。

さっきのtossy(もうわかりますよね?)とのトークで、

よくわかりました。


対話、 か。    

2007年7月23日月曜日

50%の、二つの関係。

「あいつとは、水と油なんだ!お互い反対のポジションなのよ!ワッハッハ」

水と油は、並列では、対等ではございません。

私は反目する概念を持ち出すことで、

「あなた」と「あなた」に立ち向かって来たのでした。

そこにアイデンティティ−を、安い領分を求めたのでした。

あなたは、極端に油を摂取しませんよね?(笑)

全く、水というのは、大事なものです。これがなくてはだめなのですから、油と対等なわけはないでしょう?

でも、知っての通り、私は水をよく飲みます。

家の冷蔵庫には、常にワインボトルに水をいれて、冷やしてあります。

たくさん飲むのです。

私はあの油ですから、全く不快極まりない。

それでも油と水の割合は、ステキなケミカルを生むんですよ。

どうか、私と混じり合わないまでも、出会うくらいはしてください。

アイスクリームという素晴らしいプレシャスが、

条件次第ではうまれるかもしれないのですから。

この「あなた」を読み解けるのは、数人でしょうね。

難しいんですよ。ひとつじゃないから。別々のメッセージだから。    

50% no「駆け込み訴え」

「提督ピラト!どうかあの人を捕まえて下さい!全く縄にしばられればいいんだ。
いえ、わかっております、あなた様の苦悩は。遠藤という男がもうしておりましたから。でもね、もう黙ってちゃぁいけないところまで、あいつめの狂気は来ているんですよ。全く、私がどれほどあの人に対して敬意を払っていたか、あの人はちっともわかっていない。ヨハネに何ができますか?パウロなどただあの人のお尻にくっつき回っている雑魚じゃあありませんか。それなのにあの人は、知っていますか!?あの人はさきの夕食で、本当に今さっきの晩餐です、私に向かって何と言ったか!?
お前を許そう
そう言ったのですよ!私はまったく、涙が流れました。あぁこんなにも貴い人がいるだなんて。あぁなんて、やっぱりついていこう、この人は素晴らしきあの世界の人、(私はあの人が言うような天上の世界など、これっぽちも信じていません。あの人は夢を与えるひとだ。その可哀想なまでの悲惨さは、私のような人間には深い慈愛を起こさせるのです)。と、同時にあの人の傲慢さに気づいたのです。これほどまでに使えて来たのに!誰が、このなけなしの中から必死でパンを調達したのですか!?
金銭などということに執着するのはやめなさい
では、あなたが今生きているのはなぜなのか!その上あの人ときたら、あんな婢に、なんと惚れてしまったのですよ!あぁ、もうこの人は終わりだ、狂いもここまで来た。最後に残っていた領分も、下賎な世界に落としてしまった。
私は、もう絶望してしまいました。えぇえぇ、彼が私を裏切りものというのなら、どうぞ裏切ってあげましょう!そういうわけでここに来たのです。
いや、もう悩んではいけませんよ!あの人は独善的すぎるんだ。自分が神の子などと本気で考えているんですからね。自分が王だと本当に思っている。バザールを見ましたか?祭壇を愚かにも馬鹿げたことに、やたらめったに打ち据えたのですよ!ははは!もう自分のセーブが聞かなくなっているんだ。
お金が不健全であるなら、何が美徳なのでしょうか?この世界をここまで広げ、ローマとギリシャを、エジプト、ペルシャをつなげた直接のブツは何だったのでしょうか?お金じゃないですか!直接的な、相手に投げつけられようと、痛くてもかまわないその輝きではあにのですか!?その光は、あまねく世界を照らした結果が、人類のつながりを生んだのではないですか?それをあの人は、不健全で不健康だと言うんだ!じゃあ、それを認めてあげましょう。しかし私は、商人だ。そこから引くわけにはいかないのですよ!
あぁあ提督ピラト!もう見限ってしまいなさい。失礼しました、見限ってしまいましょう!もう無理なのです、あの方はもう私たちの言うことに、耳だけ傾けて、結局自分が全てなんだから。
ねぇもう見限っておしまいなさい!だから私は、ここでこうして、あの方を「売って」いるのです!
さぁさぁ万人の前での十字架を、私は望んでいるんだ!
だって、私は商人だもの。その銀貨のためなら何だってしましょう。
あれだけ愛したのに!
そうだあの人が不健全と言った金銭に、あの人は売られるんだ!
さぁ、お互い泣くのはやめましょう。もう振り返らないんです!いいですか。たとえあの人が私たちの前からいなくなっても、姿を消してもあの人は亡霊のように私たちをくるしめるほどに、残るのですから!
私はユダ!イスカリオテのユダでございます!」

ピラトは走った、あの人の恩赦にむかって。

ユダは首を吊った、あの人の永遠を願って。    

理論とフォーム。

僕は、わりにそういうところに興味があるのかもしれません。

昔から形而上学的なものを愛してきましたが、

同時に、

とっても俗っぽいものが好きなネオフィリアでもありました。

理屈だけでは賛成できず、

ヴィジュアルだけでは満足できない。

どちらも具有している、「知的な思索と仕掛け」が、

僕が魅了されるものなんでしょう。

それは、いくら難しいことを言ったって、
「おもしろいことが、大好き」という、ただそれだけなんですがね。

ーーー

北野武と松尾スズキの対談で、

北野「日本の映画は貧乏臭いのがたまんなく嫌だよね。助監督から苦労してさ〜」

というようなことを言ってました。

お時間あれば読んでみて下さい。

「なるほど、そうだ」と、

「そうだよね、なるほど」と思わせられました。

僕の線引きも、そこにあったのだな、と思いました。    

2007年7月22日日曜日

一連についての、反省。

僕が、あなた、と言うとき、

そこには、二つあります。

一つは、僕と一人の個人の間の二人称としての、あなた。

もう一方は、この画面の目の前にいる、あなた、あなた、あなた。
単数youと複数youが同じである感覚ですね。

そうやって僕は、しばしば癲癇患者のように引き起こしてしまう、妄言の様な得体の知れない自己開放を、対象の曖昧さの中に、そうした甘えの構造の中で、放り投げるのです。

僕の、「あなた」は実体を持ちません。

それも複数の意味での言葉ですが。

これは、自分としては、もちろんそのずるさはよく承知していましたし、稚拙ではありましたけれど、なかなかどうして自分としてはよく発明出来たレトリックであると、申し訳ないですが思っていました。

事実は、本当に、申し訳なかったのです。

僕が考えているよりも、「あなた」は優しかったのですね。

自分の偏狭さというのを、呪う程に再認識しました。
私は、もうコミュニケーションということを、あなたとの間において疲れてしまっています。
(「を」という助詞がおかしいことは、無視してください。気分は「に」よりも「を」なのです)。
僕とあなたにある溝は、僕には超えられない「そうです」。
(あくまで伝聞です。それほどまでの絶望は、愚かですがしていません)
だから僕は、もう直接「あなた」と語らうことなど、夢見てもいませんし、望みもしません。
そこでの自分の無力ーそれは非常に言語学的でもあり、非常にパーソナルでもありますーと、discomunicateの悲しみを知っていますから。
あなたの微笑が語る「何か」は、僕の卑屈な精神姿勢の前で被害妄想的に「恐怖」に置き換えられ、加速的に僕の脳を支配していきます。宇宙は超新星爆発を繰り返し、いたるところでブラックホールが誕生し、その内部から、全く違う時空間に転移することで、全くの空白になるのです。

からっぽのせかい。

おっと、いけない、いけない。またやってしまいました。
ここでのお話は、もはや僕が「あなた」と直接に語らうことは不可能だ、と認識していますよ、ということでした。

それでも、僕は、うれしくなってしまうのですよ。

あなたの優しさに。

あなたは、あの女性、Miss.Hollyを知っていたのですか?

フランス人だなんてくだらないことを言いました。悪ふざけです。彼らは"h"の発音が出来ませんからね。

テクストも、悪くないものですね。

表象の世界に、たったひとつの、ひとすじの虹が、ほんの少し見えました。

ごめんなさい、謝るつもりが、全く、上塗りでしかありませんね。

結局過ぎた年月たちは、

このような悲しいcomunicationと、ただただ傷つけるだけのサディズムと、その反対としてのマゾヒズム、

そういったものだけしか、もたらさなかったのでしょうか。    

2007年7月21日土曜日

わたし、ポリティクス。

不定期に訪れる、極度な自己内省と、自分による自分への希望と批評とヒロイニズムに彩られた、あなたにとって(この場合のあなたとは、こちらでは峻別できません)あまり読んで有益ということはないだろうと思われる、日記です。

Blogには書きたいことをかけばいいという主張は、私としては賛成なので、おおかたこの主張に準じて書いているわけですけれど、テレビにも、「深夜番組」という呼称による視聴者へのwarningがあることですから、文章の内容なるものは、あらかじめ宣言されていなければいけないでしょう。そのために書いています。

このBlogを書く初期衝動は、ここ最近の精神活動

ーレポートなどの時期でもありますから、それにともない読書も多くなっているのです。だから一日の大半は、読書かyou tubeとなります。もっとも私がyou tubeを見るのは、かなり「たまに」なことで、見るのはもっぱらラーメンスのコントばあかりです。なぜ他のは見ないのか。という理由はさしてありませんが、あまり雑多なものの中をクローリングするというのは、そんなに好きじゃないのでしょうね。性向的に。それでも、カオス的な現象は好きなのですから不思議です。ー

の蓄積によるその鬱々としたもの発奮もあるでしょうが、直接のきっかけは何のことはなく、少しBlogのアクセスが、ほんの少し落ちていたというだけのことです。何を書いても自由だ、などと宣言しておきながら、何とも卑小な精神です。

「何を書いても自由だ、読みたくなければ読まなければいい、でも読んでくれるなら、どうぞ長居していらして」というのに絡めてのお話をすると、僕は、けっこう誰とでも話ができます(まぁ自分と相手の知性の範囲がかろうじてでも共有される世界ーそれは話題ではなく、姿勢の問題ですーで、ですが)。お酒でも入っていようものなら、僕の生い立ちであろうが性生活の話であろうが、何でも簡単にぺらぺらと話します。それはきっと、僕が他人を信用しない人間だからではないでしょうか。僕はとても人間讃歌な人間ですし(全くレトリックが下手ですよね)、脳みそ論者ですから「脳みそをちゃんと使えば、オーバーヒートさせれば、努力による不可能なんて、世界のほんの少しの領域にしか存在しない」とも考えています。それは人間は本来的に自由なんですから、あなたは何ものにもなれる可能性に満ちているのですから。しかし、主体同士のコミュニケーションは、マルクスが「交通」とも言ったように、建設性とともに絶望と不可能性に満ちています。もちろん不可能を可能にする希望は捨てないのですが、主体が他の主体によって、意識的に完全にコントロールされるという現象は様々な理由から信じません。だから、基本的に、この「表象の戯れ」でしかない世界において、僕の意図をあなたがそのままに取り込み、僕と同じように「感じる」ことはほぼ無理だと考える僕には、「テクスト」と「読み」によって浮遊し続けるこの世界の中、他人を本来的に信用するなどは、僕には出来ない芸当です。
けれども、愛しているのです。全ての人を。だから僕は、自分の全存在をあなたの前にさらけ出します。そこであなたと交わるか否かを、極端な羞恥とそれを超えた僕のメタな価値観のもと、挑戦しているのです。自分に対して。
僕は、自分が傷つかないために、自分の中の二つの世界、「テクスト」ー「読み」世界観と、実存主義的希望論の折衷として、あなたの前で、べろべろに酔っぱらうのです。そんな僕の、精神分析的逃避をー人間の根本は、最初に憎悪、そして愛だそうですー許して下さい。許さなくてもいいです。

「あぁ、そうなのね」

と一言、つぶやいてください。

少し、将来についてのぼんやりとした不安が、頭に想起しました。今は主にフロイトと彼の思想についてのー思想、なんて言葉を使うと、それこそフロイト自身に怒られそうですねーものをズダズダ読んでいます。一方では、マンガ表現学についてのテキストをぱらぱら。こういう風な乱読は非常に楽しく、自分が何ものであるかわからなくなっていくこの混乱はある種のサディスティックなマゾヒズムを引き起こしてくれるのですけれど、不安は不安ですから、現実のとっても世俗な関心ごととからめて今の自分に目をやると、本当に恥ずかしいくらい月並みなことを言うのですが、自分の将来についての、ヴィジョンの不確定におののいてしまうのです。

ねぇ、僕は、何だと思いますか?

あなたに僕は、どんな人間だと映っていますか?

僕は評価というものを気にします。
本当に恥ずかしいことを書きましょう。
僕は、昔から、評価されない、人物評というのを書かれない人間なのです。
それについて僕はどう思うかというと、「君が判断できる範囲をはるかに超えた知性なんだよ〜」とか、「わけのわからない、くだらないやつなのかな〜」とか、思うのです。あぁ、恥ずかしい。
僕は、自己内省でやってきました。もちろん周りにはたくさんの素晴らしい連中が(3体の人生サンプルが)いるんですが。
僕らの一つの有機体とも言えるような関係は、ご理解する人だけがご理解ください。
おそらく一部の人と、僕たちでしか不可能でしょうが。
それでも、そういうもののせいにして、自分の優柔不断さ、情熱のなさ、甘え癖、と様々なものの結果として僕は、「遊び人」となってしまいました。それも全く遊び方がヘタクソな。
私は、何かを作り出せばいいのか、マネージメントすればいいのか、口うるさくしてれば勝手に私は保持されるのか、それがわかりません。
あぁ恥ずかしことを言いました。
恥ずかしいと思うということは、あなたを意識してるのですから、まだ私は、先に偉そうに言ったくせには、周囲を気にして、愛しているのですかね。

なんてくだらないやつなんでしょう、とここで言うのは簡単です。自分をなじるのは、全く自分を守るためというのと、ナルシシズムでしかないのです。だから、ひ弱な僕の精神の、それでも恥じる最後のジハードとして、自分の侮蔑による恐怖の逃避ということだけは、ここではこらえて我慢します。

これは、とても政治的な文章だとも言えますし、私としてはそうでないとも言えます。

つまるところは、ただあなたに優しくされたい、愛されたいと、それだけなのかもしれません。

無意識のメタな「わたし」は、そうやって私を監視しているのですが、その「わたし」ももう崩壊しているようです。

自分の抑圧のプロミネンスを全く抑えることができず、かといって芸術に昇華させることもできずに、こうやって告解することで、どうやらそのメタ性を保っているようです。

この前、人と「日本人の男は〜」とか「SだのMだのうるさい〜」という話をしました。
その通りだと思います。思いますが、その中で自分が独善的にならないように努めなくてはならないな、と思いました。
意見を下す時は、自分のなかの本来的な性向と、事象の分析による一般化可能なことがらの抽出というのを分けなくてはいけません。
そういう態度が正しいのかは別として、外に開かれない議論というのは、ただの感想でしかなく、対話可能性がありませんから。

こんな文章を書いて、

いもせず、ありもしない「あなた」にすがることで、その甘えでもって生きている、超自我「わたし」の、くだらない政治駆け引きを、

読んでくれて、ありがとう。    

2007年7月20日金曜日

Media Skin.

ケータイ変わりました。

番号、アドレスなどはそのままですが、

僕は、一切のアドレスをなくしてしまったので、

僕と連絡を「とりそうな予感」がする方は、

メール、送って下さい。空でいいので。

失礼しました。    

2007年7月18日水曜日

エディプス・コンプレックス

僕はまだ、口唇期にとどまっているようです。

「乳離れが遅かった人間は、アルコールやタバコ、爪を噛むなどに〜」

ほっほっほ。    

と、いうことで。

ケータイ、落としました。

大学の、まぁ、多分あそこらへんなんですが。

明日中に、見つけるか、機種変更しますので。

今は、回線止めたので、つながりません。

よろしく、お願いします。


毎年、7月になると、ケータイが壊れるかなんかしますね。

まぁ、神様のご慈悲か、いたずらなんでしょう。


というわけで、よろしくお願いします。    

もしもし亀よ、亀さんズ。

ケータイって、

コミュニケーションである以上に、

もちろんコミュニケーションしてきたものだから、

いろんなコミュニケーションが残ってるんですよね。

昨今は、写真とか動画まであるんですから。

たとえば、それをなくすと、

何か、

ごっそり、

持っていかれた。

という感じになるんでしょうね。

もしも、ですよ。

そんな人間は、もう現代病で、ダメなのかなぁ?

僕は、そういうのもいいと思うんですよね。

ごっそり、持っていかれたなぁ、っていうの。

ネガなことかもしれないけど、明るい未来的ポジの可能性も、持ってるでしょう。

ま、なかなか過去を捨てられず、安易に執着するのが人間(失礼、僕)ですね。

まぁ、もしもの話なんですが。    

テヅカ イズ デッド ?

1万字ほどのレポートをですね、

手塚アトムと、浦沢PLUTOで書かないといけないんです。

それで、今回は、マンガ表現学には立ち入らないつもりなんですが、

それでも、まぁ読んでみようと思って、

前々から気にしてた本とかを、学校の図書館で見つけてみたりもしたので、

マンガ表現学てきなことを読んでいるわけなんです。

いやいや、おもしろい。

あんまり、何でもかんでもアカデミックな解剖をするのは嫌いなんです。

だって、ウサギはあの姿が愛おしいんでしょう?

細胞と筋肉の物体にしてしまったところで、可愛くないじゃないですか。(愛せるかもしれないけど)

まぁ、それでも学問は快楽的な部分も持ち合わせているわけで。

ふにゃふにゃ、やっていくんですが。


ん〜、これだけで終わってもねぇ。

あ、あと今日は、フロイトに関する本も読みましたよ。

やっぱりね、現代のパラダイムですからね、あの人は(あやつは)。

と思って、ぷらぷら読んだんです。


東京事変の新しい曲も聞きました。

「え〜今回は〜」って、よく思いません?好きな人の作品に限って。

でも、2回目聞くと、もう頭がチョンチョン揺れてますからね。不思議よね。

そういうのをアカデミックに・・っていう真面目さと根気はないのよね。

(まぁ、くだらないとも少しは思うんだけど。もういいよ、フィーリングで、っていうのもね、あるんですよ、やっぱり。)

だから、学者、研究者としては、終わっちゃってるんですよ、僕。


ぷらぷらいろんなところを渡り歩いて、適当に自分の武器を増やして、

ずらっとカード並べてさ、「さ、今日の晩ご飯は?どうする?」っていうことぐらいしか、出来ないもんなぁ。

まぁ、おもしろいとは思ってるんですがね。


って、結局また、くだらない自分分析じゃ〜ん。


自分のblogとか、見ちゃうときあるじゃないですか。

案外、おぼえているもんですね。

あ、これ2ヶ月も前?つい最近やと〜みたいな。

いいもんはいいし、ダメなのは、まぁ、ふ〜んだし。

いくら恥ずかしいものくだらないものでも、責任とりますがね。

ネットの海に浮かんでいる「僕」の保護者は、僕だけですから。

自由に呪われてるよ〜。    

見つめる、ことの悲しさと希望。

まなざし、というのは、注がれる、ものですね。

それは、あらゆるところで、あらゆるものに。


街の洋食屋さんとでもいうようなところのウィンドウで、

「あぁ、オムライス食べたいなぁ」

とか、

整理され、少し生活がにじみ出て来たくらいの部屋で一人、

「うん、やっぱり僕はこのコは嫌いで、あのコは好きだ」

とか。


それらの「まなざし」たちは、外に内におしなべて広く拡張し延長していく。

そこにあるのは、

愛と欲情の、ドロドロとしたソウカン関係。(どういう漢字変換をしてもいいですよ)



でも、僕は、それをとてもすがすがしいものと思うのですね。

「ん〜〜、っと!、ふぅ、、。。」

と、のびをしたくなるような。


僕(ら)は、現代っ子で、最後のモダンチャイルドですから。


心から本当に、この「豊かな社会」を生きていくには、

本能的に、過去の時代を引きずっちゃってるんだよね。

「貧しい社会」のほんの最後、シッポの先をね。ひっぱちゃってるの。


放せないのね。


僕(ら)は、生まれたときから現代っ子で、生まれる前からモダンチャイルドですから、

都会と、LOVEは大好きです。

悲しき熱帯、ですね。    

2007年7月17日火曜日

River's Edge.

大人ぶる僕は、ヒューマニズムな有機的相互補完を、愛の礎におく。

子供すぎる僕は、それでも果てない性への憧れを、初期衝動の放出のあとにくるその挫折と脱力と満足をあらかじめ理解しているにもかかわらず、あいもかわらず抱き続ける。

愚かすぎる、と僕は言う。

でも、悪いことじゃないわ、とあなたは言う、かもしれない。

僕は、波打ちぎわにたたずんで、

ぼんやり、する。

「自然なことよ。気持ち悪いけど」

不快な波と、乾いたあとの砂の心地よさの間、そしてその相転移の空間で。    

2007年7月15日日曜日

祇園祭。

「あぁ、そういえば祇園祭なんですねぇ」

「そうですよ」

「いやぁ、そうですよねぇ。最近、行きました?」

「いやいや、大学入ってからは」

「そうですよねぇ。ふ〜む」

「なに?そのラジオ口調?」

「あ、これラジオ口調なんですか?」

「うん」

「ふ〜む」

Podcasting出来ないのが、残念。

思い出なんて、別にないんやけどね。あのお祭りに。

ん〜、あるかなぁ。

な〜んか、

しょっぱい悲しみ、ってな調子のメモワールですね。    

偶発的発展と必然的進展。

茂木さんじゃぁないですが、

「へぇ、こんな言葉が飛び出すのね」

と、思ったので。書いておきます。

いや、とってもいい言葉です。

最近は、女性の言葉に学ぶことが多いですね。

いや、昔からずっとそうなんですけど。

あ、でも、ちょっと違うな。

女性に学ぶ、というより、

女性から学ぶ、のですよね。

教えられるわけではなく、

わりに、自己内省、自己反省から、学ぶのです。

それをmotivateするのが、女性なんです。

いや、これは最高にrespectしての言葉ですよ。


今、焼きおにぎりを、大きめで作りました。

お米を炊いてくれたのは、愛しのtossy。

僕が食べる、というだけのためにです。

僕は、にぎって、焼くだけ。

いやぁ、ありがたや。涙。


タイトルの言葉の切り口で、

ふっと、周りを見渡すと、おぉ、そうなんですよね。

いや、けっこう、ほんとに感慨にふける言葉ですよ。

うっとぉしいと思われても。

ミクロ、マクロの両方の眼差しが、とても愛のある感じで出てるというか。



何でもかんでも、小難しい言葉で言うのはよくないね。

そういうことも、あなたから学んだのでした。    

そうこうして、いま起きて。

体が動きません。

手首が曲がったままで、言うことを聞きません。

鶏胸肉もパスタも、もちろん食べる気もしません。

週末(終末)ですね。

こういうとき、僕が家で一人なら、それはもう、deathなのでしょうね。

幸い僕は、これまで、常に誰かとなりにいましたから。救われて来たのですが。

僕は、あなたに何をうったえかけようとしているのか。

なんにも、ないよ〜〜。

ふぅ。

こうして生まれて、生きて来て、

付き合ってくれて来たあなたがたに、感謝。

これが、天王人(+)としての解答です。    

逃れられない理想型。柿の種とニンニクのホイル焼き。女子高生。

えぇえぇ、この最近の、無理のある女性口調は、

あなたにとって、

「なんて、バカなのかしら」ってなもんですよね。

あなたにとったら僕なんて、えぇえぇ、くだらないんですよね。

あなたの周りにいる人間のなかで、おそらく最高にかしこい僕なんて、あなたにとったら何の価値もない、くだらない男なんでしょうね。そりゃあ、あなたの前では、僕はいいとこなんて見せられないから、ことごとくつまらない人間なんでしょうけど。

それでも、この数年間、僕の理想で居続けたあなた。

こんな賢いぼくを、あれだけ狂わしたあなた。

なんて、罪深いのでしょうか。(おぼえておいて下さい、人は、全くの無意識の他人に、勝手に憎悪されていながら生きているのですよ。)

そんな、告解を、誰が聞いてくれるのでしょうか。

カメレオンの僕は、何でもしましょう。そういう僕が、気に入らないのでしょうとも、えぇえ、そうでしょうとも。

本当に、おそらく、自信があります。

もうすこし、僕に自信をもたせてください。そうさせてもらえれば、絶対。

いや、以前の僕とはちがうはずだ。あなたを好きで好きで、ただそれだけしかなくて、何の武器も持たなかった僕とは、少なくともあの頃とは、ちがうはずです。

あのころより哲学も勉強したし、近代化も、機械翻訳も、社会システム理論も、ユビキタス社会にも、凉宮ハルヒにも、いろいろ勉強した僕です。

ただ、あなたの感性と強さに、インテリぶることで対抗しつづけた僕です。

お願いですから、邪見にしないで。

こういうところが、何より癪に触って嫌いなんでしょうけど、ごめんなさい。(こうやって、謝ることすらね。そして、こうやって弁解することすらね。)

いや、少し冷静になりました。

ただ、あなたを愛していると、そのことを書きたかったのです。

いや、本当に、わかっているのです。

僕なんて、あなたの世界にはいないなんてことは。

それでも、声を上げて叫ばなければ、

つらいじゃあないですか。

好きな人に、好きとも言えないで、

何が人間ですか!

今、外は、黄緑です。

台風だらけの毎日に、

いきなり葉っぱが反抗したそうです。

えぇえぇ、僕は「うまいこと」言えませんよ。

だからって、ダメなのかよ。

「また、酔ってる」

だからってさぁ。



僕は、ナシなんですか?    

2007年7月14日土曜日

And You don't stop.

「深津絵里は、きれいだけど、性を感じない〜」

と言い続けて来た僕ですが。

オッケーだよね。

いえい。

あと、最近は、読書熱がクーラーです。

まぁ、そんなときもあるさ。    

2007年7月13日金曜日

ちがう街、暮らす日々。

女:「あのさぁ、あの照明なんだけど。そう、去年の秋に買った。あれ、もらってもいい?」

こういうときは、ささっと二人の持ち物を整理するのが、その後を上手くやる秘訣です。

そうして、せっせと我が家に運んで来て、お部屋のお掃除もすまし、

(恋はたくさんのものを、「つもらせて」去っていきます)

よし、と「タマゴちゃん」(照明の名前)をポジショニングすれば、

あとは、スイッチを踏むだけです。

「あれ?」

つかない。

あらら、となって、少し気恥ずかしいが、さっき別れたあいつにかける。

男:「えぇ?昨日までは、ついてたよ?おかしいなぁ〜」

へそをまげてしまったのかしら?タマゴちゃん。

あいつと暮らしたあの部屋の、鏡の横のあの隅でなければ、おぬしは光ってくれませんか?

空気もモノも、ちがってしまったこの部屋は、年月にくすんだあなたには居心地が悪いですか?

そうすると、何だか、

雨の中えっほえっほと人目を無視してずんずん運んださっきの自分が、なんだか滑稽に悲しくなって、

「ばかみたいだわね〜」

となりました。

よし。

天井の、「赤いオリーブくん」から、

「ちょっと拝借!」


タマゴ、復活。


「そりゃあ、ちゃんとエサくらいやらんとねぇ」

同居人に、笑われて。

そうやって、お前はうちの住人になるんだね。

タマゴちゃんとオリーブくん。

この子たちに照らされて、

明日はどんな風が吹く?

さるまた失敬。    

something in the way. we know.

Two of us riding nowhere
Spending someone's
Hard earned pay
Two of us Sunday driving
Not arriving
On our way back home
We're on our way home
We're on our way home
We're going home

Two of us sending postcards
Writing letters
On my wall
You and me burning matches
Lifting latches
On our way back home
We're on our way home
We're on our way home
We're going home

You and I have memories
Longer than the road that stretches out ahead

Two of us wearing raincoats
Standing so low
In the sun
You and me chasing paper
Getting nowhere
On our way back home
We're on our way home
We're on our way home
We're going home

まぁ、一つの恋愛が終わった。

と、それだけなんですけれどね。

ちゃんと、良く、悪者になれました。

そうやって、大人になっていくんでしょうね。

僕らは。僕たちは。    

Respect-Network.

全ての「関係」は、respectだ。

僕はーあえて一人称を僕とする。これは学術的な論考を展開したいわけではなく、「僕」のとても内面的、直感的な話だからだー、それを人間的関係においても、それ以上に社会的関係においても、これまでの絶対性と、これからのさらなる絶対性を主張する。

あなたと僕は、つながらない。僕が、あなたを尊敬しないかぎり。

僕とあなたは、断ち切られた。僕は、もうあなたを尊敬してはないから。

尊敬っていう言葉とは違う。むしろ尊重だ。

僕は、あなたとつながりたい。あなたをrespectしているから。

演出家と役者の関係。それは「なれ合い」を認めない。

恋人と恋人の関係。それは「関係の曖昧な享受」を認めない。

主体と主体の関係は、厳密なリスペクト以外にありえない。

たとえありえたとしても、認めちゃダメだ。受け入れちゃダメだ。

リスペクトと信頼。

フッサールの友愛が世界に満ちればいいのに!!    

2007年7月12日木曜日

100才になった、竹中信幸。

「もう、疲れてしまいました。でも、まだ疲れていません。」

彼は、言う。

「こういう物言いが不思議でしょう?ブラフなんだと思うでしょう?でも、これは本心なんですよ。すくなくともあなたを「すりぬける」前の私、の中ではね。」

「今、思うことですか?とくにありませんね。あぁ生きたなぁというぐらいでしょうか(笑)それなりに美味しいものも食べたし、恋もした。世界一の金持ちにはなりませんでしたが、自分の満足はほとんど実現できました。だから、あまり、思うことはありません。」

「ただ、」

老人は、最後に、それまでの穏やかな相好を少し崩し、少し猟奇的な目をして、

「あの人の、あの瞬間が、私だけの手によって切り取られ、私によるものとして、私と彼女の間に浮かんでいる。そんなファンタスティックで幻想的で甘美的なメディウムを、今でも残せていると思うと、全てを燃やしたくなるような狂気が、こんな老いた体にも吹き荒れますよ」

そう言った。

あれから、今でも竹中信幸は、無邪気に嬉々として遊び回っているのを、夜にばったり見かけるが、

この人は、いつ死ぬんだろうか。

ある意味では、もう死んでいたのかもしれない。

幾度も幾度も。

そんな不死鳥のような生き方を、泥臭く重ねてきたのかもしれない。

だからあの皺には、喜び以上の葛藤が、はさまれてるのかもしれないな。

彼からもらったこの酒は、すこし苦い。    

2007年7月11日水曜日

って、言ったばかりで恐縮です。

何だか、体を動かしたくなって、

それも、ちょっといじめるくらいしたくなって、

ふっと思い立って、

走ってきました。

走ったなんて言っても、

日頃の夜遊びと、グータラ節に入り浸ってる、わたしですもの。

近所をふた周りほど「かけぬけたら」、お腹は一杯でございます。

帰宅して、ちょっとお買い物。

ビタミンC系の飲み物とサンドイッチを買いました。

それを焼酎でわれば、

立派なスポーツ飲料、ステキな運動後の飲み物ですね。

体を動かしたいのです。

愛しの脚本家さま、どうか女優にお仕事を。    

ちょっとしばらく、

ん〜、何日かくらいはblogは書かないかもしれません。

だから、ちょっとしたら訪ねてみて、

またちょっとしたら訪ねてみてください。

愛想つかさないでね!    

2007年7月9日月曜日

最近の僕は、偉そう。

最近の僕は、少し偉そうな感じになっちゃいます。

上からもの見た感じ、というかね。

でも、それは昔のそれとは違って、

狭い世界の中でふんぞり返ってるんじゃなくて、

でっかい海を渡っていってやろう、という意気込みが、

少し僕を攻撃的にさせるのです。

だから、atitudeとしては嫌いになりきれないんだけど、

周りの人には、ちょっと不愉快かもしれません。

気をつけるように、します。


いろんなことが、起こりそう。

でも、過度な期待は禁物です。

謙虚に、慎重に、丁寧に、着々と、

楽しくやっていかなければ、なりません。

実を結べばいいですね。


揉まれて、揉み返して、

握りつぶされ、それでも踏ん張って、

少しは前を向いて、今、ここにいます。

そんな、一週間でした。    

7.7.7

お芝居ですから。

推敲、なんて言葉はないですから。

言い訳はしないので、ございます。

そこは、女優の一分で、ございます。

そこは、体でお返しします。

次回もぜひともお越し下さい。

ーーー

僕もまだまだ、熱くなれるのです。

2年ぶり(戦日以来に)、

残留(学校に泊まる)しちゃった。

いやぁ、胸張れますよ。

ぶっちぎりで☆    

2007年7月6日金曜日

懐メロオリコン。

昨日は朝から、髪を切りにいきました。

軽くなりました。

そのあとは、ぷらぷら歩いていたんですけれど、

高校生のころを思い出す、あのバーガーを、読書とともに時間をかけて、いただきました。

もうお腹もいっぱい、十分だ、というところなのですけれど、

「そういえば」となって、

ひさしぶりに、これもまたあのころを思い出すように、タルトを買いに青山へ。

そこから渋谷まで、またぷらぷらと歩いて、電車にゆられ帰ってまいりました。

家について、深夜のお楽しみを冷蔵庫にあずけ、

「さて、お仕事お仕事」

と、バス停に向かいます。


「○○につきました〜。足下をお確かめになって〜」

運転手さんが、歌うように(ほんとに歌みたいに)アナウンスをなさっておられました。

年をとると、何でも自分の空気にしたがるみたいで、周りからは煙たがれるだけでございます。

そういう年寄りにはなりたくないなぁ、と思っていても、

ふとした瞬間、トイレの鏡にそやつはおるのです。

「ひえ、ひえ、ひえ」

私は少し身震いして、

「大丈夫だもん」

と、つよがって見せます。


帰りに、脚本家のO氏と一杯。

「また、そうやって〜。こっちは車なんだぜ〜」と、

女優ですから、わがまま言わせていただいて、

「でも、だめよ〜。この身一つでやるしかないんだからぁ」

「あたしなんて賢くないんだからさぁ、考えたってしかたないもの」

「気安く言うな〜。まったく〜」

いいお酒をいただきました。

しかも家まで送っていただいて。


家に電気が着いていない。

T女史はまた深夜のお買い物らしく。

帰ってくると、

私はにま〜とした顔で、

「バナナと〜。ずんだと〜。ペリカンマンゴ〜」

女二人で、深夜のスイーツ舌鼓。

あんなにはしゃいで甘いものをいただいたのも、それはそれは「ない経験」でございます。


ほんと、いい一日。    

2007年7月4日水曜日

ラストダンスをあなたに。

明日、髪を切りますのよ。

といっても、ドラスティックなことはしませんの。

多分、またボブにするだけ。

公演がありますからね。

女優はつらいわぁ。

ちゃんちゃん。

ーーー

誰かが、ゆるみ、だの、はり、だの言ってたけれど、

退屈なときって、ホント、そんなこと考えないわよね。

ホント、頭でっかちってやあね。

もっとシンプルになんで考えないのかしら。

楽しそうなことか、そうじゃないか、くらいがちょうどいいのよ。


でも、パーティーパーティーうるさい男も、いや。

もっと落ち着けないの?って思わない?

ばかみたいに、ほっつき歩いてさ。

こっちは疲れるだけ。

パーティーなんてのはね、本当に狂っちゃうくらいのときだけにとっとけばいいの。

安いのよね、enjoyって言葉が。

まぁ、楽しくしてるのは可愛いんだけどさ。

あぁあ、遊びにつれてってくれない?

遊び心のある人、いないかしらね。

男って、ほんと。

ね。

ーーー

そんなこと言われてもね〜(笑)    

2007年7月3日火曜日

栗=マロン=まろん=「間」論

セリフとセリフ、

動きと動き、

セリフと動き、

演技と演技の、「間」について考える。


僕はよく、「間」が長い、と言われる。

それは褒め言葉のときもあるし、批評のときもある。

僕はそれをわざとやってるんじゃなくて、

間が長い演技をしよう、としてるわけではなくて、

「一つの演技が、次の演技を引き起こす」のを待ってるんだ。

相手の行動が、僕の次のセリフを引き起こすときの、自分の中での心的な過程を、そのときそのとき再現して、

「よし、ここで言える!」と思ったタイミングで、演技をする。


ここまでの文章を読んで、

「なんか、作ってる感じだなぁ。演技ってもっと自然なものなんじゃないの?」

って思う人もいるかもしれないけれど、

少なくとも今の僕は、

演技するときは、かなり客観的なもう一人の自分が、常に舞台全体を監視している。

なり切っている自分と、傍から見てる自分。

二人が一緒にいて、初めて「役者である僕」が舞台で動くんだ。


話がずれたけれど、

僕は、演技が演技を引き起こす適切な過程を踏んだ時間が、適切な「間」だと思う。

それより早いと、わざとらしいし、セリフのためのセリフになるし、

それより遅いと、たいくつで、間延びする舞台になる。

それはかなりの真剣勝負で、一瞬一瞬も見逃せないから、すごく疲れる。

これをさぼると、ダメなんだ。

これを一つの舞台でやりきれたら、最高なんだ。


だから、僕は、自分が完璧に適切なタイミングで、「間」を使えたなら、

見終わった人に、「間が長いよ〜」と言われても、胸を張れる。

ただ、

「飽きたよ〜」と言われたら、

お客さん商売ですから、頭を抱えるんだな〜。

だから、「よし、じゃあどうしようか」ということになって、

「間」の考え方、心的過程の再検討をして、

演劇人、役者としてのレベルがあがるんだ、と思う。

自分の「間」は変えずにね。


まぁ、舞台に立ってるときは、

ただただ、「暑い!」しかないんだけどね(笑)    

お米 - それは、ゆるやかな球体として

「ゆるみ」と「張り」という言葉について考える。


「癒し」と「ストレス」、とかいうのとは違う。断じて。


日常生活、自分のライフスタイルを、「ゆるみ」と「張り」の概念で考えてみる。


この二つは、はたして反立するテーゼなんだろうか?

今日は、朝からこのことを考えていて、

今、すこし、帰結を見た。


思うに、「ゆるみ」とは、自分の開放などではなく、「自分の確認」なのだ。

そして思うに、「張り」とは、鬱屈とした外傷などではなく、ゆるやかな負担と、それにともなう「自己の忘却」なのだ。

と、定義してみた。

これは辞書的には検討ハズレだけれど、自分の中だけの話として。

上の定義は全然上手くなくて、10%くらいのものなんだけれど、

一つ、このお話で言いたいのは、


「自分の演出したもの」が、「ゆるみ」なんだ。


と、思ったということだ。

自分が演出できていないものが、「張り」なんだ。

だから、それはどっちがいいとか悪いとかではなく、

どちらをいいと思うか悪いと思うかは、その時々で違うんだ。ということだ。

うん、そういうことだ。

最初の定義なんて、いらなかったね。

クオリアなんて言葉も、

こういうところを含んでるんだろうな。

ヒトって、難しいね。    

2007年7月2日月曜日

オトナ帝国の逆襲。

クレヨンしんちゃん、ですね。

この映画は大好きで幾度となく見てますが、

今日は授業のために見ました。自分なりの分析つきで。

でも、いいね、これは。見て下さい、みなさん。

ーーー

近代化っていう言葉がありますよね。

あんまり好きじゃなくてさぁ。だって定義が曖昧なんだもの。

中世、近代、現代とか時代区分していくと、そこにあるから、そういう用法では嫌いじゃないんだけれど、

近代っていう社会は〜、とか、モダンとは〜となると、

「だから、厳密に他の時代と区分してみろよ!」って思いましたね。

今でも、そうです。

でも、そうですが、ある程度納得するようにもなってきました。

それは社会学とか芸術哲学とか様々なことをひっくるめたうえで、それでも「ん〜」なんですが。

モダンっていうんじゃないんです。

近代は、自らを「モダンな時代だ」っていったんですよ。

僕らが、お洒落な意味でモダンっていうそのモダンとは違うのですね。

あの時代は「モダニズムの時代」なんです。あの時代だけが。

中世までがstaticな世界を基礎として、その安定と保持の中での調和と、神の愛、イデアへの解脱を目指したものだとしたら、

人文主義が花開いたルネサンス以降は、それとは違いますよね。

活動の総和のバランスが=調和、となるんですから。大逆転の思考法です。

もちろんどの時代にも変革とかはあるんですが、パラダイムが違うんですよ。近代って時代は。

世界の変容を受け入れているから、もうね。無敵のバカさですよ。

日本ならバブル崩壊まで近代なんでしょう。夢を見た時代ですしね。成長神話。

ーーーー

学問のバッサリ性ですが、

もちろんどの素材にも、全ての要素があると思うんですよ。

でも、それでも上記のような分類に僕は、意味がないとは、思わないなぁ。

その因子の回収を乗り越えるのが、発見だし、楽しいんだよね。

だって、いつの時代も、僕らは、おんなじ人間なんだもの!

(これも違うんですよね〜笑)

あ、でもギリシャは人文主義でもモダンじゃないよ。

これは僕理論だけれど、

彼らは「説明」を作ってないから。

神話は前提であってね、説明じゃなかったし、なにより「共通理解」「パラダイム」がないし、そうだった神話は、やっぱり違うしね。

ん〜説明べた。多分、誰かとしゃべって、ブラッシュアップできるんだろうな。

そんなことなら書いちゃいけませんよね〜笑。    

2007年7月1日日曜日

井の中の蛙 in myself.

自分の中だけで、蛙でした。

自分の演技をビデオで確認。

ひどくない部分もありますが、もっと高みを見たい。

自分に飽きました。

もっとNextに。

それってやっぱり大事なモチベーションです。

誰か、なじって!!(笑)

お友達を呼べるレベルの演劇に。(僕は自信をもって誰かを呼んだことがない)

がんばりますよ!

今日は、久々に「怒りました」。

抱え込まないことが大事ですね。

+、遅刻をするな+ちゃんとケジメをつけようね、

なんか、日本の大学生っぽいblogね(笑)

でも、僕、楽しいよ。この活動。