「ゆるみ」と「張り」という言葉について考える。
「癒し」と「ストレス」、とかいうのとは違う。断じて。
日常生活、自分のライフスタイルを、「ゆるみ」と「張り」の概念で考えてみる。
この二つは、はたして反立するテーゼなんだろうか?
今日は、朝からこのことを考えていて、
今、すこし、帰結を見た。
思うに、「ゆるみ」とは、自分の開放などではなく、「自分の確認」なのだ。
そして思うに、「張り」とは、鬱屈とした外傷などではなく、ゆるやかな負担と、それにともなう「自己の忘却」なのだ。
と、定義してみた。
これは辞書的には検討ハズレだけれど、自分の中だけの話として。
上の定義は全然上手くなくて、10%くらいのものなんだけれど、
一つ、このお話で言いたいのは、
「自分の演出したもの」が、「ゆるみ」なんだ。
と、思ったということだ。
自分が演出できていないものが、「張り」なんだ。
だから、それはどっちがいいとか悪いとかではなく、
どちらをいいと思うか悪いと思うかは、その時々で違うんだ。ということだ。
うん、そういうことだ。
最初の定義なんて、いらなかったね。
クオリアなんて言葉も、
こういうところを含んでるんだろうな。
ヒトって、難しいね。
2 件のコメント:
ここにきて RSS 登録をした〈嵐〉こと sgss です。
(妙な呼称を使いよって)
「張られた」でないところがずるいな。
対立語をこしらえると別概念が伴うのは日本語の妙。
認識の同一性が無いあたり、それこそクオリア?
今日、おじゃまします。
あら〜家にいなくてごめんね。
今週はサークルと課題に追われてますのよ〜。
ごめんね、何かコメントするにも曖昧なblogで。
またちゃんと書きますので、がっつりコメント下さい☆
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