2011年3月30日水曜日

3/30

彼は、渡り鳥に想い耽る。
日常生活において、渡り鳥というのはまず存在しない、少なくとも彼の日常にワタリドリは現れない。
彼の空想のワタリドリは影のような黒いシルエットで、夕焼けや朝まだきの空、雲の上の月明かりの闇を飛ぶ、優雅な隊列だった。ワタリドリは世界を巡り、地上に降りると思い出したように光を浴びて、白い姿に変わり、水に足をつけ、緑を食み、種を摘み、種を蒔き、また空に向かって飛び立ち、影となり世界を巡る。彼らは死ぬこともなく、個体が入れ替わりながらも全体としてはいつも均質に存在しているようだ、だから彼らには永続する世界の流れを感じる。
彼の空想するワタリドリは、理想的な姿で世界に存在していた、彼の世界に。

彼は空を見上げる、赤や茶色や灰色の建物の間に線を引く空の隙間に目をやる。
まれに影が横切る。何かの影、それらはどこまでも自由で創造力に溢れており、彼らの優雅な努力はそういった美しい世界の秩序に向けて集中されているように見える。
影たちはその存在の理由を与えられている。
だから影は自由なのだと、彼はテーブルに置かれた目の前のロックグラスを見て思う。    

2011年3月19日土曜日

3/19

彼はそのまま眠らずに、テーブルに置かれたタバコの、シールをめくり、一本取り出す、中指で先を軽くたたく。近視のぼやけた目で模様の有無もわからないまましばらく天井をぼんやり眺め、葉が詰まったであろう、気がする、タバコに、火をつける、添えられたマッチをこすり、寝ながら。

起き上がりコーヒーに口をつけ、また彼は受付の前を通り、今度はありがとうと言って、細い階段を下り、昼時の街に出る。どこに行くわけでもなく、朝よりは柔らかくなった日差しを背中に、黒いジャケットが暖まる、暑くなる前にどうしようかと考える、彼は友達に会いに行く。

彼は大学の建物が好きだ、それはどういった大学でもよかった。そこには意図的に演出された自由な空気、過剰に用意された見晴らしのよさ、吹き抜け、といった開放的な雰囲気があった、どんなところであっても。そして、まるでそれが絶対に必要だとでもいうように、そういった清々しさの逆の位相として、狭く暗く窮屈な部屋も存在する。彼は大学の建物が好きだ、建物というもの以外の一切とは無関係に。

「君はそうやって"渡る"のが好きなのか」
友達はデスクトップの作業を続けながら、彼に言った。
「いつ君は君の時間を生きている?」
「僕はいつも話しながら考え、考えながら聞き、聞きながら話して考えてる。だからこうしているのが一番生産的なつもりなんだよ、精神衛生的にもいい、と思ってるんだけどね、どうかな、先生」
「俺はそういったことについて何の専門性も持ち合わせていない、よく知ってると思うが。ただ君の道化っぷりには感動する、本当に酒と金を抜きにすれば、君ほど周りに微笑みを振りまく人間もいない」
「人間失格以前だけれど、ね」
「女を泣かせるほどの甲斐性はないんだろ」
「そんなに剛毅な人間じゃないよ、泣くのは勝手だけど」
「まぁそれだけ口が回るならいい、その調子で騒いでくれ。ここ以外で」
「みんな僕を追い出すんだ」
「でもみんな受け入れてるさ、つまり君は全員を相手に一気に暴れた方がいいんだよ、それをみんな楽しみにしてる」
「それができないんだ」
「俺は君に何か書けだなんていってるわけじゃない、パーティーでもなんでも、得意だろう」
「大嫌いだよ。大嫌いだから、叫いて暴れるんじゃないか」
「ご高説は堪能したよ、僕は授業がある、どうする」
「聴講するよ」
友達は研究室を出ていく。
彼はまた別の島を思い浮かべる。思い浮かぶまで。    

2011年3月18日金曜日

3/18-2

「諦めやすいところから始めた小説なわけですね」
対話の相手はそう言った。
「はい、そうです」
「なるほど、でもこれは本当に小説なのですか。つまり、これは小説の形で書かれるべきものであったのでしょうか」
「それは、わかりません。ただ、ぼくには、こうするしかなかったし、これ以外のことは僕の手に余ることだったのです」
「僕の手に余る」
彼(対話の相手)はカレの言葉の最後の部分を繰り返した。ボクノテニアマル。
「この文章の中であなたは、僕について言及しているという人たちがいますが、実際にそういう声があることでこのような場が設けられたわけですが、それは本当のことなのですか」
「はい、それは実際のことだと受け取られて仕方ないと考えています、現にだからこそ僕は今あなたとこうして話すことになっているのですから」
「そう、私はあなたの話の中に登場させられてしまっている、これは私にはどうしようもないことです、私にはそのことについて、それを受理する権利も拒否する自由も最初から与えられていません。剥奪以前に、権利と自由を与えられるべき主体もない、実体的な存在すら許されていないのですから」
「でも、あなたはここに存在しています。これはある意図をもって書かれているのであり、それは何かの染みとなって存在し、その染みは何かの模様として理解される、もしくは何も認められない、どちらにしても何ものかとして見られるのです」
「それはいいでしょう、それはそういうことだとして話を続けましょう。そしてここであなたは僕に何を話させ、あなたは僕を相手に何をしたいのですか?」
「まず、こうしてあなたにばかり質問をさせて、僕が答える、という形式になっていることを謝りたいと思います。これは本質的なことではありません、僕の能力が、あなたとのもっと有機的な交わりを達成させるには十分ではない、そのために起こっていることです」
「かまいません、僕はすべてを諦めてしまってますし、受け入れているつもりです」
「ありがとうございます。まず最初に、ここに出てくるあなたは、決してあなたじゃないといけなかったわけではありません、これは最初の前提ですが、そこにおいてはそうなのです。まず、僕には相手が必要だった。それはひとつの装置であり、僕はその装置によって、この中の言葉たちの想像力を飛躍させる必要がありました。言葉たちが死ぬ前に、彼らに新しい空気を送り込む必要があったのです。だから僕は誰かと話さなければならなかった、僕として。そして次に、ここであなたでなくてはいけなかったわけですが、あなたの瑞々しい文章、今の僕たちを絡め取り、また自由にし、同時に束縛している、そのようなあなたの言葉と対峙したかったのです。それは何か大義のようなものかもしれません、僕が勝手に感じている。これも僕にとっては、言葉たちのためです。あなたの世界と枠組みにぶつかることで、ぼくは目から星が出るようなことはないか期待しているのです。僕の体がばらばらになってしまっても、何かワープできる世界が現れないものかと。まったく違う次元というのが、別の世界に存在しないのかということを。」
「そんなに素直に語って大丈夫なのですか。あなたが今語ったことは、僕の世界に対してというよりも前に、あなた自身を殺す行為のように見えます。何事もある程度取り繕わなければ、それはただの塵になってしまう。少しの風の前に消えてしまう、弱いものになってしまう。その怖さはないのですか」
「そんなふうにあなたに言わせてしまっていることが申し訳なくなります。そうです、これではまた何かしらけてしまう。だからまた何か考えます。そのときはまた協力してください、ぼくの身勝手のすべてに」

そうして対話は終えられた。言葉がまたもう一度死にかけたから。    

3/18

ファッションでわざわざこんなポーズをとっているわけではなかった。
ファッションならいつか終わりもくる、流行もピークとジ・エンドがある、それなら話はとても楽で、こうして彼が思い悩むなんていうことはそもそもない。時の流れに身を任せて、時の過ぎゆくままに、人と人の間をすり抜けて、一言二言の挨拶をしながら、笑っていれば、何も考えなくても、生きていける。それができないというところに彼の本質があって、それが本当の悩みであり、だからこそ彼はまた生かされている、意味を見いだされてるという今の現状がある。

「書けない作家の誕生の話をしよう」
彼は誰かに何かを聞かれたときに、何度かそう答えている。

書けない作家は、ある日突然として生まれた。
書けない作家は、それまでいくつもの物語を語ろうとし、いくつもの紙にいくつもの文字を書き記して、そうして出来上がるはずのいくつもの小説を、あるときは友達に、あるときは恋人に、聞かせ、そのたびに「へぇ」とか「そうなんだ」とかいう返事を受け取って、また自分の机に向かってきた。
しかし作家の書くものはどれもぜんぶ途中でその筆が止まってしまい、物語は最後に向けて進むにつれていつのまにか消尽してしまった。コットンに染みた液体で唇や目蓋の化粧を落としていくように、どんどんその濃度が奪い取られ、最後には、最初から何もなかったかのようにすべてが消尽されつくしてしまう。
作家はその度に泣き、悩み、悲しみの国に帰りたいと叫ぶ、なぜならそこには「はじめから悲しみがないからだ!」と叫き、彼はしかし悲しみの国への戻り道を忘れてしまっているため、そしてやはりそこには帰りたくないと思っているためか、ズボンをはき、上着にタバコを押し込んで、昼と夜がある世界、悲しみも喜びも忘れた世界に飛び込んでいく。切り立った崖の先から、空一色の空に向かって、そのまま海の波の間に落ちていくように。
だからやはり書けない作家はある日突然生まれた、というわけではなかった。
彼はいくつかの涙の国を渡り、冷たい風に逆らい、たどりついた新しい国で、恋をし、冒険に出かけ、深く悩み考え、言葉を語り、途中で何も言えなくなり、下を向いて首を振り、自分を責め、ときには誰かの頬を叩き、自分の足を殴り、天を仰ぎ、太陽の眩しさに迷い、国を去り、また新しい土地に向けて歩を進めてきたのだった。そしてその旅はまだ続くのだろう。

「書かないことは、決して書くこととは違う。そう、君はそれを当然だと思うだろう?確かにその通りだ、書かないことは、書くことじゃない。でもね、結局どっちだって同じだという瞬間がある、ぼくはその瞬間を頂点にして、振り子のように揺れているんだ。書いても書かなくても、こうして僕が君に話すときに話す内容は、あまり変わらないだろう、わかるかい、僕はとても諦めやすい、諦めやす過ぎるんだ。誰かが疲れやすいのと同じようにね」
「そう、もうひとつ付け足しておきたいな。誰かが、自分があまりに疲れやすいことから何かを話すことが出来たように、僕も自分がとても諦めやすいことから何かのお話が出来ないかと思っている。それが今の僕です、ありがとう」    

2011年3月16日水曜日

écrivain qui ne peut pas écrire.

暗闇の中を必死で駆けている。あと少しで手の届きそうなイメージ、触れたと思えた瞬間に指の間をすり抜けていく影、それをつかみたくて、どこまでも続くだろう暗闇と同化した影の裾を、必死で走り、追いかけては手を伸ばし、つかもうとして、また手を落とし、スピードの中で、両足がバランスを失い、上半身が前へ投げ出され、ひっくり返り、背中から地面に倒れるまで、彼は影を追いかける。それは崇高なメッセージなのか、それとも純粋な美しさの結晶なのか、つまらない愛なのか、場末の暴力なのか、それらに見いだせる一編の詩、イメージのコラージュ、なのか、彼はまだ、その影をつかめないでいる。

飲み過ぎたウイスキーのせいで、額が汗ばんでいる。このまま昼前までは騒ぎ続けるだろうクラブを抜け出て、入り口すぐの壁に体をぶつけて、彼は地上への狭い階段をふらふらと上がる。朝が早いといってもその青白い景色、光は、目を射す。彼はジャケットの胸ポケットからサングラスを取り出し、かけて、タバコに火をつけ、この狭い路地から大通りに出る。

たどり着いたビルの、また狭い階段を上がり、二階、ガラスの重たいドアを体当たりして押し、中に入る、受付の前を左へ、受付の声は無視して、誰もいないときには開け放してある応接室に、ソファ、体を放り投げて、天井を見、サングラスをテーブルに投げ、手の甲を顔にのせる。
「会社は48時間あいてますけどね、大先生、そんな酒の臭いばかり持ってこられても困るのよ、わかっててやってるんだろうけど」
「ボクが酒以外の何かを持ってきたことなんてあるんだろうか」
「そうですね、いつか、そうね、何でもいいから何か、原稿みたいなものでも持ってきてくれません?」
「ボクは書かないんじゃない、書けないんだ、何も、一切、書けない作家なんだよ、ご承知の通り」
「いつか飽きられる」
「書かないんじゃない、書けないんだ。ボクは十分誠実にやっているさ、その限り、酒ぐらい飲めるよ」
「世の中いろんな人がいるし、妙な名前の職業もたくさんある、あなた一人ぐらいの席はあると思うわ、それでも、本当に、何か読ませてくれないかしら、頭の中の何か少しでも文字に起こすだけでいいんだけれど」
「小説を書いてこそだ、そうじゃなければ、作家に発言権など生まれないよ」
「あなたが作家さんだとすればね、まぁいいです、今日はアポイントメントも何もないから、何かが起きてこの部屋が必要になるまでは、そうしててください。必要になったら窓から突き落として出て行ってもらいますから」
「めふすぃーボクぅ」


「ねぇ」

去りかけた彼女の背中に声をかける、彼女は振り向き「はい?」

「コーヒー、それとタバコ、ピースを」

「あきれた」    

2011年3月15日火曜日

3/15

丘の上に金色の陽が射し、少し乾いた緑の木々やなだらかなアーチを描く空、伸びた雲、空気が、輝く。

日差しは暖かく、それでも透明な冷気の中を、ボクは丘の上に向かって歩いた。

彼女は白いワンピースの上から丈の短いローブをかぶり、赤いフードの隙間から栗色の髪を出している。

彼女は耕地に向かって、種を蒔く。
腕にかけた籠に手をいれて、空に向かって種を散らす。

その蒔き方は如何にも絵に描いたような、架空のものだったけれど、その種はきっと芽を吹くだろう。
陽光に照らされた彼女の笑顔は、その未来を何よりも期待させるものだった。

ボクは毛羽だったマフラーをずらし、顔を空気の中に出す。

「精がでますね」

彼女はすっと、振り返り、こちらに応えた。

「そうなんです。きっと、彼らはよく育ちます。だって、こんなに美しい景色の中なんですから」

彼女はそして、また、続ける。

それは永遠とも思える時間、動かない、永久のヴィジョンだった。
「」    

2011年3月14日月曜日

3/14 épisode supplémentaire.

彼女はぞっとした。

今日のその災害、危機で、またすべてが隠されてしまうことに。
この事件に立ち会う全員が、人類愛やヒューマニティといった文学の世界に入り込んでしまう。
物質的な構造は何も変わらないのに!

「この国はきっと愛の中で死んでいくのよ。でも死にかけたらまた、息を吹き返すの、せっかく溺れかけたのに、また海面に顔を出すように。本当に、救われない場所だわ」    

2011年3月12日土曜日

mémoire "3/11"

大きなことが一気におこり、多くのことが一度におこった。

何かがどうであるとか、何かがどうなるということを軽々に言うのは、今は難しい。
そういった言葉の氾濫で、目の前の本当に必要なことを取り逃がしてしまうかもしれないから。

ただ、これが、今までのボクたち、そしてこれからのボクたちにとって、どういうものであるのかを考える、そしてやがてどういうものであったのかを考えるときが来る、そのときのために、今のこの現在を見なければならない。そして、思わなければならない。

世界の全員の前で<見られた>この出来事を、その全景を。    

2011年3月11日金曜日

3/11

彼女がどうやって生きていたかということを説明するのは、それほど難しいことではない。彼女はいつも「病い」に全身を蝕まれていた。彼女はそのために死ぬだろう。それは名前のない病、彼女が空想しそのために死のうと決めた装置だった。それによって彼女は生きることを可能にしたのだった。
彼女は自分が死ぬことを、それは何の結果も残さないということを考えていたのかもしれない。
ボクは大学の入学者のパーティーで彼女を知った。ボクは、何度も言うようだが彼女の声にそのすべてを見て、とらわれてしまったのだった。彼女の声は語っていた、いや何も語らなかった、彼女の会話は「えぇ」「ありがとう」「同じ地元です」というだけのものだった。彼女の姿を見る前に、ボクは彼女に話しかけた。「あの」「えぇ」「飲み物、どうですか」「ありがとう、でも、あります」「そうですね」「ありがとう」「えぇ」「あの」「はい」「学部は」「○○です」「あなたは」「××」「でも同じキャンパス」「えぇ」「ここはお酒が飲めないみたい」「えぇ」「よければ外に出ませんか」「えぇ」「どこか」
ボクと彼女は建物を出て、少し歩いて、どこかのカフェに入った。ソファの席も空いていたけれど、彼女は店員にタバコの吸えるところを聞いて、ボクたちは隅のほうの小さなテーブルに座った。
彼女はハートランドを選んだので、ボクはグラスを二つ頼んだ。
「タバコは吸うの」「いや」「吸わない」「もらってもいいかな」「どうぞ」
ボクは彼女のピースにマッチで火をつけて、ゆっくり煙を吸って、壁にふっと吐いた。
「何で○○にしたの」
「それ以外になかったんだ、きみは」
「何も考えられなかったのよ、何もね」    

2011年3月10日木曜日

3/10

彼女の隣でボクは毎日、その言葉を書き留めていた。彼女の手振り、何を飲み何を食べ、誰と会い何を話し、ボクに何を言い、寝て、起きて、また生きる彼女を、ボクは黒いモレスキンに記し続けた。
毎夜ボクが手帳を横にラップトップに向かっていると、彼女は、そう本当に毎夜ボクに聞く、同じことを。「一度書いたものを、また書き直して、何の意味があるの」ボクはいつも同じように、ときには少し変えて、答える「同じものはふたつとしてない、ボクは昼間に毎日を書き、夜にそのすべてを新しく書いているんだ。夜、ボクの頭の中で映し出されるもの、それが書かれるということ、それがボクにとってのキミの真実なんだよ」
そうすると彼女は笑って、ベッドの上で背中を向ける。ボクはいつも同じ調子、同じタイミングで「おやすみ」と言い、彼女は、そして眠る。

「すべての問題、問題のすべては、老人たちが席をどかないことにある。彼らが席を譲らないこと、譲る気のないこと、それが現在の私たちの壁になっているのよ。私たちが常に低い温度の生に止め置かれて、身動きも出来ず、生きていこうとする前に殺されてしまうのは、彼らが彼らの生活、彼らの暖炉のことしか考えないから。彼らは全員の資源をまず取り上げて、そのあまりを私たちに与える。これが、今月分のこづかいだ、と言わないばかりにね。私たちは生かされているのよ、優しい老人たちに。彼らは死なないといけない。私たちはそこからやっと生きていけるの、責任をもってね」
彼女はネットワークというものの性質、紐帯ということの本質を理解しているように思う、もしくはその感性を持っている。彼女はいつも二人か三人の人間に何かを語り、決して大勢の前で話すということをしない。ひとつひとつの意見や問題を丁寧に解いて、相手と自分を共有させていく。そうして彼女は彼ら彼女らの象徴となっていく。

「英雄のいらない世界。何を語るかよりも、如何に語るかが大事な世界。その世界を壊してしまいたいの。私はもう一度、社会が科学と神話の間にあった時代を蘇らせたいのよ。風刺に悪魔を登場させるの、その必要があるのね」

「男根に消費されてもいいの。だって結局、女が何かしてあげないと、たたないんでしょ、男って人たちはさ」    

2011年3月8日火曜日

胎動-Femme Fatale.

このウラブレタ世界にも、政治の季節というものはやってくるらしい。
粗雑なタペストリー、瑕だらけのパッチワークのような文法は、システムのリセットという処置でしかもうその健康を回復できないところにあった。栄光の時代に蓄えた財産、それが尽きようとしているとき、幸福な泥濘がその温かさを失って冷たい汚泥に変わり始めるとき、最初に飢えて死にゆく者たちは、自分たちの支配者を引きずり降ろそうとしてうごめく。彼らのか細い手は何万もの束になり、青白い腕は集団的狂気の中で暴走し凶暴に振る舞う。
老人たちは彼らを抑圧するだろう。彼らはあらゆる権威と権力、それの根拠としての暴力のすべてを持っているのだから。しかし弱き者たちは、彼らが思うよりも、やはり体力を持っていた。若さという唯一の資本が、文明以前の純粋な力が、歴史を壊す、それは一定の周期で繰り返されてきた、それもまた歴史の過程の一つだ。
しかしそれはもう少し先の話だ、今はまだ、そう、政治の季節が始まろうとしている、その冬の話だ。

彼女は街を歩く。建物、ファッション、公共芸術、人間、目に入るものの美醜を確かめて、その色彩の多様性に満足する。なんて幸せな世界だ。いくつかの悲しみなんて、この豊かさの前には隠されている。あぁ温かい泥舟、私たちは寝たきりの生を充実させている。ロボトミーの幸福、すばらしい天国じゃない。
彼女はこの幸福を、暴力の源流にしたい。この幸せには未来がないこと、この幸せは実は老人たちによって搾取されてしまっていること、彼女たちは本来自分たちが得るべきものを得ていないということ、それを彼女は語ろうとしている。
牢獄に閉じ込められている幸福な囚人たちに、あの監視塔を破壊させること。それがなされなければならないという理想に彼女は身を投じようとしている。
なぜなら彼女には愛おしいものなどなにもないから、いや、その不在は自分自身の問題、つまり自分というものがあまりにただのフィギュアァ、形相としての存在だとしか思っていない、それゆえに彼女は、他のすべてを愛おしく思えた。世界はもっと美しくなっていいと思えた、当然の権利は当然となされるべきだと、そう思うのだった。

彼女は家へ帰る。寝ている男や女たちのすきまに体を埋めて、少し眠る。
地獄の季節の始まりを、その子宮に抱えて。    

2011年3月2日水曜日

"alt" 3/1

知らない間に、ここに来た。来ていた、と言いたい。そう、そんなふうに言いたい。
知らない場所、そんな言い方はきっと誠実じゃないかもしれないし、言いたくない、言いたくないけれど、私は知らない間にこういう知らない場所に来たんだと、思う、いや、思わない、ただ、今はそう言いたいというだけ。わかってる。

重い音の壁、分厚い真綿、誰も聞いていない音楽、大音量の音楽が全員の頭を支配している。なぜならそれは、みんな、支配されたいと願っているから、みんなここではプログラムされたいから、踊る人形、酒と男と女と夜。クラブを上手に楽しんだりできるほど、そんなに誰も野暮じゃない。仲間でだなんて狂ってる。匿名の中で狂うこと、それだけがこんなところの価値なのに。

彼女はここに来る前に飲んだワインでじゅうぶん酔っていた。仕事終わりで飲みにいく、ということの意味は十分果たしていた。それより後の時間というのは、結局、誰にとっても、いつも、余分でしかない。それは余分に作られた余分な時間で、意味のないことを意味もなく繰り返す時間だ。そう、余分に意味なんてない。だってはじめからそんなものは存在するはずもなかった、存在しないし、これからも存在しないものだ、意味のない、そう、意味がない、だからそこには本当に、意味なんてないのだ。彼女は余分に飲んだギムレットに任せて、勝手な一般論を説明する、自分に、そして世界に。

「外いく?」

決まり切ったつまらない展開に身を任せてしまうのは、なぜだろう。余分な酒も、余分なセックスも、そこにはないも同然なのに、つい飲んでしまう、寝てしまう、いや、寝ない、同じだ、何かに自分を埋め込んで、定型化して、明日はきっとよく眠れると想像する。そう、それだけ。明日が晴れて、いや、物憂げでも落ち着くような気持ちのいい曇り空が見たい、それが動機、今日、自分を放り投げるための、道ばたに自分を捨ててしまうための、明日を大事にするために、今日は自分を素敵に汚そう、そのほうがこのまま今日が終わるよりもずっと今日に色をつけられる。何でもいい、白紙じゃなければ。

友達の友達に抱かれながら思う。
横浜で育って、東京で結婚して、彼が実家の仕事に戻るのと同じにここに来た。
作り上げるものなんてなく、家庭と仕事、遊び場、用意されたものはとてもよくできていて、それにまだ、私はそれ以外の何かを見つけるためには、本当に来たばかりの、stranger。stranger in
帰りには約束通り友達の家によっていこう。今のことはきっと彼女を幻滅させるだろう。彼女は軽蔑さえしないだろうけれど、自分への敬意だとかそういうもののなさに落ち込むかもしれない。余分なこと、そんな話はできないだろうから。

今の今は誰のことも考えたくない。明日、ベランダから雲を見る。それが今の私のすべてだ。ラブホテルの天井、そんな私の今の。    

2011年3月1日火曜日

3/1

眼窩をマスカラでベッタリ濡らしながらBは、SとNは手首と脇腹をマッサージして、AはBにシャツを羽織らせて、4人は細く冷たい雨の中を歩く。

夜、木造から橙色の明かりを出す居酒屋、漂白された蛍光灯の風俗案内所、ネオンが猥雑にうるさく、若者たち、また猥雑に楽しくはしゃぐ彼らの道を一段下がって流れる小川の浅い水は黒と白の波紋で揺れ、柳も静かに揺れ、さわやかな凪が喧噪と共生しているその中を帰路に向かう、歩く。

Nは作家のインタビューを見ていた「あなたの作品を読んで他人も大いに楽しんでいます/ーあとで読みかえしてみて、自分でもそれほど退屈は感じませんね。いささか退屈なのは書くという行為そのもので、これは苦役です/小説家という仕事のどういうところがいちばんお気に召してますか?/ー構成、次は手入れ。でもその中間の、セメント流し作業は面白くありません。ものを組み立てる段は、いい。そのあとでそれを埋めねばなりません、そこのところですね苦しいのは。つづいて仕上げ、磨きが残されていますが、これは楽しいですね。」。

「N」と、B
「帰ってから、みんなで話すんだ。シャンパンを開けて、BSのニュースを見て、みんなで話すんだよ」N
S「B、今日はミュスカデを開ける、嫌いだなんて言うなよ」
「嫌い。でも、飲む、飲まなきゃいけないんでしょ」
「それが今日の日記だよ」
A「なら泡はロゼがいい。ニュージーランド」
N「3本目はウォッカ、狂ってていいさ」
S/N「完結されてる、それでいいんだよB、わかってただろ、他の誰も何にもいらないんだ。永遠に続く、その期待値がいいんだ。誰にも何にも邪魔なんてされない、させない。僕らもしない。僕ら、僕らは僕らだよ。」

「小説について意見を持っている作家たちについて貴方はどうお考えになります?/ーああ!そういえば、そういう人たちもおりますね。」