2010年3月31日水曜日

3/31

気持ちが、ぽかんと沈む。

こんなときに、他人はいらない。

永遠の時間が、

直立不動のこの状態のまま、

すぎて欲しい。

すぎればと願う。


酒の精神。

それは、しらふの精神。    

factotum - leave for

蝶になり、夢になり、世界を放蕩した後で、ダニエル君は改札を抜け、警報響き渡る巨大な現代建築の駅、乗り込んだ電車から、揺れる車窓の不明瞭な光の向こうに、誰も訪れたことのない田園風景を眺める。

終末への旅路。

そんなまたしても過剰なセンチメンタリズムに浮かぶ苦笑と恥を必死に堪えながら、彼は窓外のただ流れていくだけの彼のセンチメンタリズムに、何の感慨もないはずの哀愁、まったく彼の彼自身のための愛おしさに捧げられた哀愁とたっぷりの憂鬱を映す。

完璧に虚飾のない、自己愛の披瀝、その承認。

努力しても努力してもすぐに外に流れてしまう自己愛の理由を、ダニエル君は今日にあって初めて自分の掌に留め閉じ込めた。

「誰のものでもない、誰のせいでもない、ボクのナルシシズムはボクだけのもの。誰のためでもないし、誰かのためでなくてもいい。これだけは守り通す価値のあるもの。侵されない聖域。無敵の抵抗。」

ある一定のリズムで、時折、硬質な車両の、大蛇の胴のような痙攣を感じる。

自分の横隔膜が、それにつられて上下する。

ダニエル君はあまりの気持ちの悪さに、車中のトイレに入り、嘔吐した。

吐き出された吐瀉物と、嘔吐のためにきつく締め上げられた首、目の充血と涙に、彼はまた自己愛の快感を世界に描くが、洗面台の鏡に映る鬱血した自分の顔を見て、それが自分とは関係のない予定外にもたらされた世界の振動に由来していることを少し真面目に考えた。

電車の清潔な蛇腹の中で、その鼓動と一体になった彼の不健康は、彼が電車のスピード、都市と都市とをその間のあらゆる土地を無視しながら切り裂いて進むその進行、客観的には猛然とした車両の疾走と反対に在る穏やかな体内の平和、そういった想像を彼自身の中に取り込んだ瞬間に始まった。

電車を観測するその視点は、線路脇に鳴く泥だらけの赤目のカエルであり、相対論の宇宙である。

ロンドンで子供を虐待するベビーシッターの存在、隣人をスーツケースや川底に次々と沈めるアメリカの猟奇殺人犯を伝えるニュースに震えるように、彼は世界を引き受ける。

引き受けられた電車の、ダニエル君への愛撫が、今目の前に流れていった嘔吐を引き起こした。

そんなあまりに酷い彼の空想こそ、彼の行く先、到着駅の明快な答えであるかのように。    

2010年3月30日火曜日

factotum - standard deviation

4月と3月の祝祭、喧噪、にぎやかなパレード、浮かれる人々の熱気と消費欲。エネルギーと物質が、あらゆる価値が目まぐるしく交換される日常の祭典の中に、一人の獣がいる。
黒い影を地に落としながらその悪魔は、羞恥と自虐に酔い、そのための酒にまた酔い、人身の間に紛れている。何の暴力を披露するのでもなく、夢想するその惚けた視線に自分を引きずりながら、自己充足的な狂気、自分への問いかけと自分への応答、社会、テクノロジー、愛についての教理門答の循環があるばかり。獣の闇は、世間のどこにもなく、ただ彼の世界の中にある。その存在自体がそのレーゾン・デートルであるようなサディズム、彼の彼に対する彼のための虐待は、悪魔に誠実な羞恥と陶酔の涙を浮かべる。

自己憐憫とナルシシズムの国の王子。それがこの半獣、ダニエル君の正体だ。

人間と人間の間を縫うように駆け抜け、ぶつかりながら、体の疲労よりももっぱら自意識の過剰から来る切迫感にぜいぜい息を揚げて、ダニエル君はアーケードとアーケードを結ぶ細い路地の細いビルの三階、狭く急な階段を駆け上がり、ガラスのきれいなドアを押して、外光を遮断して薄暗い、オレンジ色の間接照明にところどころガレ風のランプを飾っている店内を、奥にくぐもる人影をちらほらと見遣り、手前カウンター中頃の椅子をひいて、若いマスターにアイリッシュコーヒーを頼む。
「アイリッシュコーヒー」
ダニエル君は、昨日読んだノベルが忘れられない。一季節過ぎるまではクリーニングしない雨風と太陽に擦られたブレザーと白いシャツの間、胸の暗い内ポケットに手を入れて、シガリロを取り出し、火を着ける。ゆっくり、吹かす。
「あんな童貞小説。ふざけるな。頽廃、ブルジョア、美男美女?、なに、余裕というところが大前提のつまらないドラマトゥルギー?嘘をつけよ。通り一遍等の描写と少し不思議(SF)なインテリ男女の乳臭い児戯。その配置が、出版だって?会社か。ならドラッカーでも読めばいい、というところまでもいかないんだろ、えぇ?くだらない戯れ言を何ページもやるくらいなら一発、やれよ。許せない、許せない」
それは彼のつまらないフラストレーション、何を為すのでもなくただ感想ばかりでウェブの海を汚している、ネットの海に惰眠を貪る廃退者、敗退することも勝利することもない自分可愛さと自分の許せない憎さからの発露であり、そんな鬱憤の発生の原因も事実も彼にはよくわかっている。だからこそ彼の党是は、表現という行為に、その行為自体に価値を与えているし、純粋なカロリーの消費でも、その事実の存在自体に敬意を払っている。
「それにしても、だ」
「お待たせしました。どうぞ」
「ごめんなさい。これと、ストレートでジョニーウォーカーを。赤で」
しかし、これも、スノビズムなのだろうか。今ここにある状況は間違いのない事実だけれども(少なくとも自分では証明できる。しかしそれでしかないし、それ以上でもそれ以外でもない!)、この自分の現実もまたあの文章の、通り一遍等の通俗文語の羅列、何のリアリティもない、少なくともある人間にはそう感じられる状況設定と同じように他人に存在するのだろうか。文学世界の状況をひとまず純粋に受け入れない、そんな読み手の方が穿っているのだろうか。自分の認める現実感しか認めない偏狭さこそが、他人に笑われているのだろうか。全員が全員、真剣に世界と意味を提示しているのか。審判し、批評する、それは思い上がりか?しかしではいつ、彼は彼を提出できるのか。脱構築することこそが正義と認めるならば(それが不正義なら、では彼は彼となるのか。彼の名札は生まれたときから変わらないのか!)、表現するとは諦めることでしかないのではないか。そうか、それが市場原理に原罪として呪われている現在の人間なのか。そうか、嫌でも他人の認証を獲たいと願うくせに、趣味の自由と高尚さを歌う旧来的な偽道徳の狭間で、ボクたちはブログとSNS、掲示板に、目を充血させているのだ。
「先生、理屈ご立派、しかし表現を諦めることもせず、かといって趣味を、わがままな生き方を諦めることもしない、そんな作家先生に、あなた、居場所と対価があると、そんな甘いこと、まさかお考えですか。いや、実にあっぱれ見事、ご立派ですよ!」
彼らは偉い。商品を生み出すこと、それこそが正義。交換こそが、生きる権利。無産こそが、不正。誠実さなど、ただの言い訳。人間と人間の間は、そうなっているのだ。そんな当然の手引きも知らない理解できない人非人に、人の間で息づく権利など、ない。

世界のある一座標、地表から浮かぶコンクリートとガラスの造形美、暗い人工照明に定義された箱型の空間の中で、煙とアルコールを纏う彼の思考もまた、論理と夢想の靄に消えていく。まだ熱いコーヒーにぬるいスコッチを生のままぶち込んで、上気する甘ったるいヨード香を思い切り吸い込んだダニエル君の胃が、まさに嗜好品の熱で満たされれる。
「パンチ!」
思考も嗜好も志向を失い、四方八方に爆発した。彼がさっきまで真剣に抵抗し拒否し続けたようなそんな戯れ言で、ダニエル君は今までの10分をすべて茶化して、冗談にした。
えぐく、暗い、冗談。    

2010年3月29日月曜日

factotum - beast

鈍く眼を開けて、くしゃくしゃに着たままの姿のシャツのはだけたボタンをそのままに、眠るように重く立ち上がり、体全体を不安定にグラグラとそのバランスを揺らしながら、固まったままの片腕を、肘から手首、そこから五つに開かれる指先の間隔を、力いを込めて緊張させ、優雅に開閉ししなやかに舞わせ、そのエネルギーを確認して、部屋の隅に酒宴の波に打ち上げられたように打ち捨てられた投げ捨てられた紺のブレザーを掬い上げ、袖を通し、酒のイメージに濡れたままの格好で、びしょびしょで、玄関に突進し、体全体をぶつけるように彼はドアを開けた。
そのままドアの外、白い石膏の壁に突き当たり、しばらく壁に全身を這わせたあとで、息を吸い、吐き、呼吸して、一気に体を反転させ、ダニエル君はポケットにあるだろう鍵をつかみ、自室を閉める。

グレングールドの荘重なリズム、ダニエル君は絶対的で超越的な観念を設定することを常に好まなかったし、その意味で神という概念を何かしらの感想や説明に用いることはしなかったが、ゴルドベルグ変奏曲の旋律の余白と交叉の中には、彼のような不信心をもってしても何か遠くの、その手を伸ばしても触れられない光が、無条件の陶酔の輝きが見える、そんな錯覚が訪れるのだった。
自分の眼前に広がり移動して行く景色に、虚ろな眼を投げかけたまま、彼の耳鼻と、その両手両指先の旋回は、音楽を奏でながら宙をぶらぶらと舞う。
彼の音楽的な指の間を、あらゆるモノが擦り抜けていく、流れていく。
自転車や車、町家作りからモダニズムまでの建築物、原色を纏って騒ぐ子供たち。自分の周りをそれらあらゆるモノたちが回転しながら通り過ぎていく中で、ダニエル君は自分自身の存在の滑稽さに、少し自嘲をはさみながらも微笑むしかなかった。
彼は、自分のする動作によって、彼自身のその物質として確かな存在の質量すらも、ふわふわと空気の中に漂わせていくのだった。それは彼の演出だろうか、フィクション、それともただの偶然。それを彼が知る方法はそれまでも、そしてこれからも永遠に存在しない。
自嘲と冷静、忘却と夢想、そんなイメージで脳を満たしていたダニエル君は途端に、拳をきつく握りしめ、彼の体すぐ横の電信柱の胴、黄と黒の縞、街路樹の幹、店舗のショーウインドウめがけて、彼がそれまでに使った思考のエネルギーのすべてを爆発させて、それら一切の安定した存在を破壊したくなる熱気に体が震える。ある肉体を引裂き、それを頭から食うような仕草をしてそれら屍を道路の端に投げ捨て、そうやって街を進む。人間には本能として理由もなく、ある思考と全く正反対のベクトルに向かう思考や衝動が出現するものなのだ、と叫びたくなる。邪悪の王のように、世界を蹂躙する。馬鹿馬鹿しい全能感。内省的な冷たさを、胃壁をそのまま裏返しにして吐瀉するように、獣の獰猛に変換させる。
そんなイメージを弄びながら、ダニエル君は、平和な街のカフェやレストランのメニューたちに目を留め、一瞥しては次に、一瞥しては移っていった。
大通りには、太陽が高い空から、青い空を切り拓いて、世界の全部を白く露出させている。すべての存在はその白さが飛んで、まったく影のない姿で、世界に開放されている。
急に痛感する敗北感が彼の視界を壊した。絶対的な太陽の前に、彼はイメージの国の王、自己中心的な楽園の神としての地位を失脚させられた。飛び込んでくる世界の美しさと、壊された彼のの世界への憧憬が、彼の自尊心やアイデンティティを切り裂く。血まみれに破れた自分の体に、ダニエル君は射精するほどのこの上ない快感を感じている。
「まぶしいほどのすがすがしさ。すっと吹き抜ける風は精霊の絹のようだ。あぁ。つまらない。つまらないよ。」
涙に目を赤くして、彼はまた自分の楽園、天地創造にとりかかった。
すべての街路から溢れ出してくる異常なスピードに、ダニエル君は包まれる。車や二輪車が極彩色の光線のように疾走し、人間は流れるように踊りながら彼の立つ街のメインストリートを過ぎてゆく。ダニエル君はその中心で目を閉じながら、生まれでてくる状況を受け入れる。彼は今、夢の中にいる。彼は今、この状況を夢として採用し、認めた。

「夢の世界だ」

日常の慣習的な風景に、異質な要素が一つでも加わりさえすれば、それを夢と認めるには十分だ。彩度、速度、律動。要素の単純な操作、その操作を感じる想像力。人間が夢を見る、夢に向かうことなど簡単なのだとダニエル君は考える。彼の太陽は、目の前の景色に極端な彩度を与え、歩行者に木々に建築に彼らに自由なリズムを与えた。世界は鮮やかに輝き、踊っている。彼はそこから一気に世界を拡大させ、彼自身の主体性もその世界と同化させた。彼は夢になり、蝶になり、大気に飛び、夢から覚めて、夢を生きた。    

2010年3月27日土曜日

a shelf of deposit.

この平板で色鮮やかな世界

人間生活の無数の豊かさは、まさにそれが想像不可能であるほどに無限のバリエーションに広がる

それぞれの生活、特定のシーン

その温度、湿度、手触り、質感 空気

寝そべればひっそりとその肌、まなざし、心を満たす

あなたの部屋のテクスチャー

あなたの現実の肌触り

それがいちばんの資産なのです

ボクがあなたに何かを伝えるとき

その言語はあなたの中にある

あなたの手触り あなたの午前3時 あなたのグラス

あなたの夜が ボクの描いた夜であり

ボクの夜のなかに あなたとワタシの夜がある


「繊細で最小の文体」


夢の私有の否定

イメージの抽象さ その偉大なリアリティ

からみあうその言葉の手触りの中に

何か一瞬のきらめきを見ることを

敬意は信頼の中に

美しさは

ボクの手とあなたの泉の中に

夢で会いましょう    

叶えられた祈り。

人間と人間の間を縫うように駆け抜け、ぶつかりながら、息を揚げて、ダニエル君は細いビルの三階、ガラスのドアを押して、カウンターに座り、アイリッシュコーヒーを頼む。

「アイリッシュコーヒー」

ダニエル君は、昨日読んだ小説が忘れられない。

ブレザーとシャツの間、胸の暗い内ポケットに手を入れて、シガリロを取り出し、火を着ける。ゆっくり、吹かす。

「あんな童貞小説。ふざけるなよ。頽廃、ブルジョア、美男美女?、なに、余裕というところが大前提のつまらないドラマトゥルギー?嘘つけよ、くだらない戯れ言を何ページもやるくらいなら一言、一発やれよ。許せない、許せない」

それは彼のつまらないフラストレーションであり、その原因も事実も彼にはよくわかっている。だから彼は表現という行為に、その行為自体に価値を与えているし、カロリーの消費について敬意を払っている。

「それにしても、だ」

「どうぞ」

「ごめんなさい。これと、ストレートでジョニーウォーカーを。赤で」

これも、スノッブなのだろうか。これは間違いない事実だけれども、この自分の現実もまたあの何のリアリティもない、少なくともある人間にはそう感じられる状況設定と同じように他人に存在するのだろうか。
搾取される労働者かブルジョア、そんなこの国に存在しない極端な状況が文学の範疇なのだろうか。
バーボンとワインを愛するパートタイムジョバーは存在してはいけないのか。
デイトレーティングの非人間性に悩む人間の苦悩を、誰も認めてはあげないのか。
そんな価値観のヒエラルキーが、まだ人間の社会にはあるのか。

世界のある一座標、地表から浮かぶコンクリートとガラスの空き箱の中で、煙とアルコールを纏う彼の思いもまた、論理と夢想の靄に消えていく。
コーヒーにスコッチをぶち込んで、上気する甘ったるいヨード香を思い切り吸い込んだダニエル君の胃が、まさに嗜好品の熱で満たされれる。

「パンチ!」

思考も嗜好も志向を失い、四方八方に爆発した。

そんな彼が拒否したような戯れ言で、ダニエル君は今までの10分をすべて茶化して、冗談にした。

暗い冗談。    

2010年3月25日木曜日

弾丸のように、サモトラケのニケよりも。

4月と3月の祝祭、喧噪、にぎやかなパレード、浮かれる人々の熱気と消費欲。

エネルギーと物質が、あらゆる価値が目まぐるしく交換される日常の祭典の中に、

一人の獣がいる。

黒い影を地に落としながらその悪魔は、羞恥と自虐に酔い、そのための酒にまた酔い、人身の間に紛れている。

何の暴力を披露するのでもなく、夢想するその惚けた視線に自分を引きずりながら、自己充足的な狂気、自分への問いかけと自分への応答、社会、テクノロジー、愛についての教理門答の循環があるばかり。

獣の闇は、世間のどこにもなく、ただ彼の世界の中にある。

その存在自体がそのレーゾン・デートルであるようなサディズム、彼の彼に対する彼のための虐待は、悪魔に誠実な羞恥と陶酔の涙を浮かべる。

自己憐憫とナルシシズムの国の王子。

それがこの半獣、ダニエル君の正体だ。    

2010年3月18日木曜日

factotum - o.p2

突然、すべての街路から溢れ出してくる異常なスピードに、ダニエル君は包まれる。

車や二輪車が極彩色の光線のように疾走し、人間は流れるように踊りながら彼の立つ街のメインストリートを過ぎてゆく。

ダニエル君はその中心でただただその状況を受け入れている。

「夢だね」

彼は今、夢の中にいる。
彼は今、この状況を夢として採用し、認めている。

「夢の世界だ」

日常の慣習的な風景に、異質な要素が一つでも加わりさえすれば、それを夢と認めるには十分だ。

彩度、速度、律動。

要素の単純な操作、その操作を感じる想像力。

人間が夢を見る、夢に向かうことなど簡単なのだとダニエル君は考える。

彼は目の前の景色に極端な彩度を与え、歩行者に木々に建築に彼らに自由なリズムを与えた。

世界は鮮やかに輝き、踊っている。

彼は夢になり、蝶になり、夢から覚めて、夢を生きた。    

2010年3月17日水曜日

B.

静かに伸び縮みするそのねばっこい赤い紐が、ボクとBをつないでいる。

ボクはあまりにBが嫌いだ。

あの小さな凶器、音速で振動する大きな羽音、長い足、黒と黄の息づかい、目、触角。

そしてその針。毒牙。

正面から来るときは、Bはいつだってボクの顔めがけてやってくる。

後ろを舞うときは、いつもボクのクビもと鎖骨その付け根に、着地しようとする。

ボクはいつも思う。

Bはボクを刺すに違いない。

着地の瞬間、Bの最後尾にのびるB自身の鋭敏な痛みが、ボクの首を貫くだろう。

ボクはいつだってBが恐い。

いつもそこにいるBが恐い。

Bの羽音を、ボクはいつだって聞いてしまう。

大きくだったり、かすかにだったり。

Bはいつも、ボクの耳に触れる。


でもボクはBに刺されたことはない。

Bはどこにいるのか。

いや、確かにいる。

ボクは見ている。

Bが見える。

Bはいる。

聞こえる。

ただBは刺さない。

ボクはBの着地を感じる。

ボクの体にBはその足をつける。

最後の距離、Bの殺意、Bの危険、Bのボクの生死。

Bのそれを、ボクは一度も経験しない。

Bの針の向こうには、何があるのだろうか。

Bの犯行は、それ以上のドラマを生むのだろうか。

ボクはBが何より恐い。

Bへの恐怖が、ただただボクにBを存在させる。

意識の中にどこまでもBの存在を植えつける。


ボクははじめてここで、その赤い紐。

紐を滴り伝う赤い紅い色の雫を見る。

ボクは、家中のハサミを窓から放り捨てた。    

2010年3月15日月曜日

factotum - o.p1

眼を開けて、着たままのシャツのはだけたボタンをそのままに、立ち上がり、体全体を不安定にそのバランスを揺らしながら、片腕を、肘から手首、そこから五つに開かれる指先の間隔を、緊張させて、優雅に、そしてそのエネルギーを確認して、部屋の隅に投げ捨てられた紺のブレザーをゆっくりと拾い、体をぶつけるようにして、彼は玄関のドアを開けた。

そのままドアの外の白い石膏の壁に突き当たり、その壁に全身を這わせたあとで、体を反転させ、ダニエル君はポケットにあるだろう鍵をつかみ、自室を閉める。

グレングールドの荘重なリズム、ダニエル君は絶対的で超越的な観念を設定することを常に好まなかったし、その意味で神という概念を何かしらの感想や説明に用いることはしなかったが、ゴルドベルグ変奏曲の旋律の余白と交叉中には、彼のような不信心をもってしても何か遠くの、その手を伸ばしても触れられない光が、無条件の陶酔の輝きが見える、そんな錯覚が訪れるのだった。

自分の眼前に広がり移動して行く景色に、虚ろな眼を投げかけたまま、彼の耳鼻と、その両手両指先の旋回は、音楽を奏でながら宙をぶらぶらと舞う。

自転車や車、町家作りからモダニズムまでの建築物、原色を纏って騒ぐ子供たち。自分の周りをそれらあらゆるモノたちが回転しながら通り過ぎていく中で、ダニエル君は自分自身の存在の滑稽さに、少し自嘲をはさみながらも微笑むしかなかった。

彼は、自分のする動作によって、彼自身のその物質として確かな存在の質量すらも、ふわふわと空気の中に漂わせていくのだった。それは彼の演出だろうか、フィクション、それともただの偶然。それを彼が知る方法はそれまでも、そしてこれからも永遠にない。

途端にダニエル君は、拳をきつく握りしめ、すぐ横の電信柱の胴、街路樹の幹、店舗のショーウインドウめがけて、その勢いを爆発させるように、それら一切の安定した存在を破壊したくなる熱気に体が燃える。
肉体を引裂、それを食うような仕草をしてそれらを道の端に投げ捨て、そうやって街を進む。
そんなイメージを弄びながら、目に留まるカフェやレストランのメニューたちを一瞥しては次に移していくのだ。

大通りには、太陽が高い空から、青い空を切り拓いて、それら全部を白く露出させている。

すべての存在はその白さが飛んで、まったく影のない姿で、世界に開放されている。

「まぶしいほどのすがすがしさ。

すっと吹き抜ける風は布のようだ。

あぁ。

つまらない。

つまらないよ。」    

2010年3月12日金曜日

書き手、であることについて。

世界的に、文字を書くということが復権している。

その最たるはmailであり、もう少しはblogである。

さて、そのような現代的意義はどうでもいいが、今回問題に取り上げたいのは、書き手が何かしらの真意を提出するとき、そして同時に不可避である彼彼女の環境、その二者の取り扱いである。

ある哲学者に言わせれば、人はそれに先立つ世界に生まれ出る、世界の内の存在である。

世界に対して動き、世界から動かされる。

彼女の世界は、彼女のものではなく、それ以上に、現にある。

彼女は錯覚する。

これが世界だし、私だ、と。

彼女は、ファナティックなある瞬間において、世界を切り取り、世界を彼女のものにした。

しかし、世界は、まったく違う諸相を彼女に見せている。

彼女の誤謬は、その客観的批判性の無さだ。

つまり、熱狂的、である。

彼女は、目をつむりながら、何かを見ている。

何か?

それは自分の心。自分の願望。

私が私について考えた時間、自分が自分の人生を生きてきた時間と同じ時間を、すべての存在、机、人間のすべてが生きている。

その脅威に改めて驚こう。

存在に敬意を払うなら、言葉はすぐに難しくなる。

脳死するのは、簡単だ。

現代哲学のすべてにさよならを言って、

勝手にベル・エポックに帰ればいい。

つまらない言葉。

それは、美的に、罪だ!    

2010年3月10日水曜日

2010.-live

すべての体系、すべての階級、すべての理性の枠組みは壊された。

それは一方では私たちによって、そして私たちによる政府によって。

すべての自由は自由として認められ、すべての市民は彼らの自由にのみ自分を捧げることができた。

すべてが認められ、すべてが許された。

そうして大多数の市民は、弱い存在に塗り替えられたのである。

大多数の幸福な弱者、満悦な少数の強者。

2010年、社会はこのように理想的な社会を築き上げたのだ。

歴史上初めて、楽園における青春の地獄が、始まった。    

2010年3月9日火曜日

2010.

「現代は、孤独の時代であります。

我々は戦後の飢餓から懸命に働き努力し、我が国の成長と繁栄に猛然と邁進してきました。そうしてこの国は繁栄の栄華を極め、その栄光の時代が今も今日の国家の基盤となっております。

しかしその時代は過ぎ去りました。物質的な栄華に支えられた社会は、その豊かさによる紐帯をなくし、全能であった資本主義は、その限界を、つい先日の世界恐慌を最後に、その臨界点に達してしまったのです。

もう一度言いましょう、現代は、孤独なのです。我々は全てをなくしてしまったのです。

我々はもう一度、我々のために、かつての繁栄を取り戻さなくてはなりません。

そのためには何が必要か。

それは我々の精神、精神による国家の再生です。

物質だけを追い求め、そうしてそれが幸福だった時代は、幻想として消え去りました。
我々は今、もう一度我々の精神によって、人間が人間を思いやる、人間性、ヒューマニズムによって、我々の社会を再生させなければなりません。
人間の、人間による、人間の友愛のための政治。この精神による共同体の建設こそが、我が国の新しい未来への第一歩なのです。

我々は、国民の<いのち>を守りたい!
働く国民の<いのち>を、高齢者の<いのち>を、子供たちの<いのち>、全国民の明るい未来を守りたいのです!

経済は、経済のためにあるのではありません。経済の真意とは、経世済民の字義の如く、人民の救済のためにあります。
人民のための経済、未来の経済はこの言葉を標榜し発展していきます。
少数の支配者たちによる少数のための、財界主導による強者の市場経済を廃止し、国民、消費者、それら大多数の弱い国民のための共同体を整備しなければなりません。
政府は、国民の豊かさや、安心安全、雇用、年金、社会保障を整備し、個人の家計を直接応援することによって、物心両面から国民の生活を保障する社会への転換を成さなければならないのです。

人間同士の友愛の精神、社会全体での支えあいによる共同体という思想こそ、我が国の伝統であります。
いつ、いかなるときも、人間を孤立させてはなりません!
教育も社会の安全も、それは社会全体の責任によるものであり、文化、スポーツ、ボランティアによって、それら共同体の絆は強固なものになっていくのです。

人間の究極の幸せとは、愛されることであり、必要とされることであり、褒められることです。
人間は他人のために存在する。それは共感という絆で結ばれた無数の見知らぬ人たちのために。
我々国民は、友愛の精神のもとに、共同体の幸福を実現しなければなりません!

政府は我が国の友愛社会への転換に向けての改革を断行します。
政府と与党の密接な連携と役割分担のもと、国会議員の職能を強化し、国民一人一人を直接支援し保護するための行政組織を設備します。組織から組織へのネットワークを強固なものにし、誰一人としてその保障の手から漏れ出ることがないような社会を建設するのです。

我々は今、岐路に立っています!
従来の発想のまま成熟から衰退への路を辿るのか、それとも、新たな志と構想力をもって、成熟の先の新たなる飛躍と充実の路を見いだしていくのか、今、その選択の岐路に立っているのです!
私は、我が国が正しい路を歩んでいけるよう、自らが先頭に立ち、国民の暮らしを守るための新たな政策を推し進めてまいります。私は、国民の積極的な政治や行政への参加を得て、国民とともに、本当の意味で歴史を変え、我が国を飛躍へと導くために、全力を尽くしてまいります。
我々の党は、この国の未来の繁栄のために、友愛の国家、友愛に満ちた国家、強健な共同体、理想の社会を建設します。

この2010年を、我が国の再出発の年にしようではありませんか!!」    

2010年3月8日月曜日

factotum ~ so far.-p.2

踊る彼女のイメージを見ている。

ファインダーの中の<みほちゃん>にダニエル君は声をかけた。

<みほちゃん>はその声に合わせて木々の中に隠れ、街を歩き、砂丘を滑り、コーヒーを飲んだ。

ダニエル君の覗く一切はファインダーの先のレンズの向こうの世界、彼によって構築され彩度を高められ輪郭化された美意識の世界だった。その中にまさに<みほちゃん>が存在していた。彼の思考がそのまま彼の体外に現出され、そして彼の脳に送り返されるのだった。

彼はまず<みほちゃん>を見ることによって、みほちゃんを知ったのである。

______

「そこに乖離があったんだよ」

「どういうこと?」

「つまり君と話すとき、君とのコミュニケーションにおいて僕は、もちろん今ではそれも幾分収まっただろうけど、僕と君との初期の出会いにおいて僕は、君に僕の理想の女性の振る舞いを投影したんだ。現実の人間としての君の人格というのはもちろん存在していたし、その人格も僕はしっかりと見つめていたけれども、同時に君を見る僕の目には君が僕の抽象的な女性像の構造物として映っていた。だから君の行動は無条件に僕の好みとして僕に映り、また君は僕の好みの振る舞いをするものだとも無意識に感じていた。君の振る舞いは僕のイメージの投影であり、君の振る舞いこそが僕のイメージを書き換えて塗り替え、僕の目、僕の視界、僕の世界を作っていったんだった。」

「それが仮に乖離だったとして、ならその乖離にはどんな問題があったの?」

「僕には彼女しかいなかった。彼女が僕を、僕の<彼女>を作ったんだから。でも彼女はそこにいなかった。彼女は僕の<彼女>ではなかったんだから。熱っぽい狂気かもしれないけれど、僕の目は明るい世界を見ながらにして盲目になったんだ、今の僕はそう思うよ。」

「今は違う?」

「現実に行動する君の見る時間の方が長くなったからね。といってもこうしてwebの向こうで交わす言葉でしか彼女を知らないんだけれど。ピグマリオンコンプレックスとかそういうのではないと思うけれど、そういう苛立ちからはもう解放されたのかもしれない」

「私は、人形だったの?」

「違う、ただ君が僕の<女性>なんだ。これまでの僕の人生で君以上の<女性>がいなかった。それだけだよ」

「暫定首位でしょ」

「そう、暫定首位だ。だからあらゆる希望と絶望が、まだあるんだろうさ」

今のダニエル君にとってはほとんどの存在が、モノのように独立して彼の環境に存在している。
彼らとダニエル君の間に線はなく、あくまでも彼の周囲は彼との空間の配置、その距離の配置によって、その時々の諸相を描く。
そして彼にとって唯一、彼の中に存在する存在、彼の存在とともにその存在が現われる存在者は、常にメディアの向こうに存在していた。
そのことに彼は気づいたのだ。

「僕の中に存在しないものが、確かに存在して。僕の唯一の人間は、決してそこに存在しなかった」

矮小な感傷趣味と言える。しかしほとんどの他人の感慨など、いつでも他人にとってはちっぽけなセンチメンタリズムでしかなかった。
ダニエル君のその途中、その狂気、それが青春だった、感じるべきはその事実であり、そこからである。    

factotum ~ so far.-p.1

ダニエル君が一つのカメラを手にしたときに、彼はすべてを失ったように、少なくともボクにはそう思える。

ダニエル君は、少年と青年の狭間、まさに自己がどのようにしてなるかと悩み考えていくその合間に、一つの物語を考えていた。

彼はその物語に自分の表出を託し、それを自分のアイデンティティとして、自分自身の拠り所であると同時に他者へのプレゼンテーションの道具として生み出したいと、そう考えていた。
物語の創作は彼の閉塞感であったかもしれないし、ナルシシズムであったかもしれない。
しかしダニエル君自身の美意識の追求というのも、それがたとえ稚拙な集中力ゆえの不誠実に結果として終わったものでも、また本当に存在したものだった。
人間の決定的な動機などを求めることは不可能であり、ただ議論の壇上に上がる価値があるのは結果としての実体だけである。

ダニエル君は、一つの物語を、数葉の写真によって求めた。
数葉の写真の連続によって、被写体やその背景、そうした世界観の漠然とした提示が一つの物語としての効果を生み出すだろうと考えた。

数葉の写真、物語。彼の物語は物語というほどに語る主題を持つものではなかった。ただ女性が、女性の変化は美しいとそういう主張があるのみだった。女性の一喜一憂、その刹那的な瞬間の連続が、それでもその生起の熱量が、美しく、鑑賞される価値があるものとして感じる、ただそれほどの感想が、彼の物語の主題であった。現在の視点から見れば、それは少し大人ぶった夢想家の少年の学芸会であり、ほほえましい拍手に迎えられるもの以上ではなかったかもしれないが、当時の彼にはそれが全てであり、その表現ほどの偉大はなかったであろう。

ダニエル君は、彼の人生で初めて、抽象というものを、女性の抽象というものを考えたのだ。

そして彼の思考が解法に向かって開かれるのはそう長いことではなかった。
彼は瞬間的に、彼の同級生のイメージを、彼の映像の中に登場させていたのだ。

それが、<みほちゃん>だった。

ダニエル君はそれまで、ほとんどその<みほちゃん>を考えたことはなかった。
隣のクラスの生徒として、彼の友人の友人として、その存在についての伝聞として、存在していただけだった。
彼の生活のどの瞬間にも、彼女は存在しなかった。
ある日のある廊下で友人と話ている姿を、遅れて登校するその門前で彼女より少し年上であろう男の子と歩く姿を、そんな断片的でその顔も見えない姿を、彼は見たことがあった、それだけだった。

しかし、ダニエル君の抽象の女性は、彼女だったのである。理由は、ない。

ともかく彼は彼の友人を通じて、彼女に話す機会を得、彼の写真についての構想、つまり彼の被写体になってくれるように頼んだのだ。

みほちゃんは、彼のその活動に明確な展開を見たわけでもなかったし、その結果についての責任はそれよりも興味のあることではなかったけれど、単純な好奇心と、断わることの取り立てて無意味なことから、その依頼に頷いた。

そうしてダニエル君と、カメラ、<みほちゃん>の距離が決まったのである。    

2010年3月7日日曜日

存在の耐えられない不安。

こんなことを言うのも、それは君自身の物質的精神的な現状の窮状がそう言わせるのであって、ただの躁鬱のバイオリズムにしか過ぎない、生活の状態がずっと充実した爽快なものなら絶対にそんなことを考えないだろう、と言われるかもしれないが、この際、この言葉の主体というのは問題ではないだろう。ただこのような思考があり、精神の不安があり、情景がある。その現象の存在こそが問題なのだ。

日々の生活の中で、我々の視点というのは、ただ一人の個人を例にしてみても、様々に変化し移動している。
前夜に倒れ込んだソファで目覚めテレビに向けたぼやけた視界、人混みの中でふと顔を上げた空とビルの景色、酒に酔ってしたたかに体を地面に打ち付けたときのその視線の低さ。そのような視点の変化、通常世界からの瞬間的な逸脱の瞬間に、世界はその様相をがらりと変えて捉えられる。

「つまり、それらはなぜかくもそんな形で、そこにあるのか!」

目の前の一切のモノたちがそれぞれの過去を持ち時間を持ち質量を得て、エネルギーの大移動のいまださなかにそこに屹立し静止している。モノたちはこれからの無限の潜在的な熱量をその内に抱え込んでおり、移動、破壊、消滅、生成といったあらゆる動態に向けてしかしひっそりと闇に潜んでいるのだ。

目の前の電信柱は無限の遠くにあるように、頬を刺すアスファルトは無限の延長に広がっておりその深度は遠く地球のマントルに繋がるかのようだ。

時間、この耐えられない不思議。

過去からの文脈、それがどうしても人間の希望には必要だ。

人間は未来に生きたことは決してなかった。
人間は過去に生きるのであり、すべてのまなざしは過去へ、そしてすべては過去へ蓄積されていくのである。
過去にしか確かなものはなく、未来とはつまりただの予測不可能な無限であって、すべては過去においてのみ意味をもつ。

その過去を信じられずに、果たしてどうやって生きていくのだろうか。

モノたちの宿命的な偶然、眼前に広がる可能無限の一形態の偶然性に圧迫されたとき、人間にはたして呼吸できる余地などがあるのだろうか。

「すべてはなんでもなかったのだ。すべてはなんでもよかった。たまたまにこうした、こういう場面があった、それだけか!そうなのか!では、ボクに何をしろというのだ。誰が何を望むのか!」

行く先もしれず、過去に対する定点も持たず、自分はある瞬間の座標の一時点でしかないと認識しても、3秒後にはその座標世界は白紙になるかもしれず、全存在の絶対的な無意味に思考が触れたとき、

私は、もう、消えてしまうのだ。

モノたちの熱量、そのオレンジ色の燐光の中に。

それが存在が融けていく、その救済的な最後なのである。    

2010年3月4日木曜日

とけていく。再録/for you

モノが融けていく。

モノとモノとの間の空間、今ここにあるモノたちの偶然的な宿命の間から、ひっそりと動かないその質量の潜在的な熱量が、ぼんやりと蜃気楼のように蒸気して、空間が融けていく。

モノたちのまなざし、現存在たちの不安の濃密な充満が、世界をオレンジ色に満たしていく。

――――

濃い茶色の木枠の窓に、板状の一枚一枚が平行に並べられた同じ色の木のブラインドがはめられて、その一枚一枚の隙間から薄くしかし眩しく入り込むオレンジ色の光が部屋全体を包むように空間に滲み、融けている。

椅子に座り、テーブルに両肘をついて、宙に浮かんだ手足の先をぶらぶら遊ばせる。
普段と変わらない、みほちゃんの作るお決まりの景色であり、世界だ。

「だめなの?」
そう言うと彼女は立ち上がり、ベッドのある部屋に戻った。

ついさっきベッドから起きたばかりの彼女は、寝てた姿そのままに彼女が言うところの「まんなかの部屋」に出てきたのであり、まんなかの部屋のちょうどまんなかに置かれたテーブルに自分を落ち着けたと思うとすぐに、それは彼女自身の内側に響いた声、彼女のというよりも彼女の想像する世界が彼女に向けて語る訴えかけに応じて、今のようにまたベッドのある部屋に戻ってしまったのだ。

寝室から戻ってきた彼女は、テーブルと平行に行儀よく並んでいた椅子を斜めに引き離して、お尻を置くとすぐに片膝を立てて自分の体に寄せた。

ペディキュアのベースコートを人差し指の爪から塗り始める。
塗る爪の順番はそのときどきにバラバラに、決まりなくランダムに、ゆっくりと丁寧に、冷めた気持ちで淡々と塗っていく。
みほちゃんはじっと、足の先に視線を固定し、沈黙している。

ゆっくりと下から上へ滑らかに動かされる筆と手先の他に、動くもの、今日のこの日に存在するものはなにもない。
ある一点を除いて、景色全体もまたひっそりとその沈黙を決めた。

みほちゃんは凝視を続けている。
彼女によって想像され、視線を通して、彼女の手首から指先、指先から筆先へと延長されるその動きの流れは、精確なリズムのイメージを繰り返している。繰り返されている。

黒い爪。

「こうやって自分を守るの。自分が一番自分にいじわるすることで、黒い爪のあたしを愛せるのは、あたしだけなの。それが大事なのよ」
みほちゃんは爪を塗りながらそう呟いた。そう呟いたように口元は動いた。

太陽はもうこの街から消えていて、光源を失った部屋の暖色は、すっかり夜のインディゴに塗り替えられていた。

明かりのないなかで、みほちゃんは変わらずに作業を続けている。
一つの動き以外、それまでと何も変わらずその世界はそのままひっそりとしていた。
彼女の目には、黒く塗られていくその爪しか映らない。
みほちゃんの想像は、その色を基調に染められていく。
彼女のペディキュアが塗られ続けなければ、その空間の何もかもが、テーブルも壁もティーポットティーカップの何もかもが、一つの点にすっと収縮してどこかに吸い込まれてしまいそうだった。
モノたちは、永遠に待ち構えている。
その不安をひっそりと感じながら、みほちゃんは冷めた視線で黒い爪の向こうを見ている。

夜に融けていくような夜。
彼女は何にも無関心であるかのように、融けていきそうな夜への畏怖と、それでもその夜は彼女のものだと何度も確認しながら、黒いペディキュアに自分を染めていた。