眼を開けて、着たままのシャツのはだけたボタンをそのままに、立ち上がり、体全体を不安定にそのバランスを揺らしながら、片腕を、肘から手首、そこから五つに開かれる指先の間隔を、緊張させて、優雅に、そしてそのエネルギーを確認して、部屋の隅に投げ捨てられた紺のブレザーをゆっくりと拾い、体をぶつけるようにして、彼は玄関のドアを開けた。
そのままドアの外の白い石膏の壁に突き当たり、その壁に全身を這わせたあとで、体を反転させ、ダニエル君はポケットにあるだろう鍵をつかみ、自室を閉める。
グレングールドの荘重なリズム、ダニエル君は絶対的で超越的な観念を設定することを常に好まなかったし、その意味で神という概念を何かしらの感想や説明に用いることはしなかったが、ゴルドベルグ変奏曲の旋律の余白と交叉中には、彼のような不信心をもってしても何か遠くの、その手を伸ばしても触れられない光が、無条件の陶酔の輝きが見える、そんな錯覚が訪れるのだった。
自分の眼前に広がり移動して行く景色に、虚ろな眼を投げかけたまま、彼の耳鼻と、その両手両指先の旋回は、音楽を奏でながら宙をぶらぶらと舞う。
自転車や車、町家作りからモダニズムまでの建築物、原色を纏って騒ぐ子供たち。自分の周りをそれらあらゆるモノたちが回転しながら通り過ぎていく中で、ダニエル君は自分自身の存在の滑稽さに、少し自嘲をはさみながらも微笑むしかなかった。
彼は、自分のする動作によって、彼自身のその物質として確かな存在の質量すらも、ふわふわと空気の中に漂わせていくのだった。それは彼の演出だろうか、フィクション、それともただの偶然。それを彼が知る方法はそれまでも、そしてこれからも永遠にない。
途端にダニエル君は、拳をきつく握りしめ、すぐ横の電信柱の胴、街路樹の幹、店舗のショーウインドウめがけて、その勢いを爆発させるように、それら一切の安定した存在を破壊したくなる熱気に体が燃える。
肉体を引裂、それを食うような仕草をしてそれらを道の端に投げ捨て、そうやって街を進む。
そんなイメージを弄びながら、目に留まるカフェやレストランのメニューたちを一瞥しては次に移していくのだ。
大通りには、太陽が高い空から、青い空を切り拓いて、それら全部を白く露出させている。
すべての存在はその白さが飛んで、まったく影のない姿で、世界に開放されている。
「まぶしいほどのすがすがしさ。
すっと吹き抜ける風は布のようだ。
あぁ。
つまらない。
つまらないよ。」
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