2010年3月30日火曜日

factotum - standard deviation

4月と3月の祝祭、喧噪、にぎやかなパレード、浮かれる人々の熱気と消費欲。エネルギーと物質が、あらゆる価値が目まぐるしく交換される日常の祭典の中に、一人の獣がいる。
黒い影を地に落としながらその悪魔は、羞恥と自虐に酔い、そのための酒にまた酔い、人身の間に紛れている。何の暴力を披露するのでもなく、夢想するその惚けた視線に自分を引きずりながら、自己充足的な狂気、自分への問いかけと自分への応答、社会、テクノロジー、愛についての教理門答の循環があるばかり。獣の闇は、世間のどこにもなく、ただ彼の世界の中にある。その存在自体がそのレーゾン・デートルであるようなサディズム、彼の彼に対する彼のための虐待は、悪魔に誠実な羞恥と陶酔の涙を浮かべる。

自己憐憫とナルシシズムの国の王子。それがこの半獣、ダニエル君の正体だ。

人間と人間の間を縫うように駆け抜け、ぶつかりながら、体の疲労よりももっぱら自意識の過剰から来る切迫感にぜいぜい息を揚げて、ダニエル君はアーケードとアーケードを結ぶ細い路地の細いビルの三階、狭く急な階段を駆け上がり、ガラスのきれいなドアを押して、外光を遮断して薄暗い、オレンジ色の間接照明にところどころガレ風のランプを飾っている店内を、奥にくぐもる人影をちらほらと見遣り、手前カウンター中頃の椅子をひいて、若いマスターにアイリッシュコーヒーを頼む。
「アイリッシュコーヒー」
ダニエル君は、昨日読んだノベルが忘れられない。一季節過ぎるまではクリーニングしない雨風と太陽に擦られたブレザーと白いシャツの間、胸の暗い内ポケットに手を入れて、シガリロを取り出し、火を着ける。ゆっくり、吹かす。
「あんな童貞小説。ふざけるな。頽廃、ブルジョア、美男美女?、なに、余裕というところが大前提のつまらないドラマトゥルギー?嘘をつけよ。通り一遍等の描写と少し不思議(SF)なインテリ男女の乳臭い児戯。その配置が、出版だって?会社か。ならドラッカーでも読めばいい、というところまでもいかないんだろ、えぇ?くだらない戯れ言を何ページもやるくらいなら一発、やれよ。許せない、許せない」
それは彼のつまらないフラストレーション、何を為すのでもなくただ感想ばかりでウェブの海を汚している、ネットの海に惰眠を貪る廃退者、敗退することも勝利することもない自分可愛さと自分の許せない憎さからの発露であり、そんな鬱憤の発生の原因も事実も彼にはよくわかっている。だからこそ彼の党是は、表現という行為に、その行為自体に価値を与えているし、純粋なカロリーの消費でも、その事実の存在自体に敬意を払っている。
「それにしても、だ」
「お待たせしました。どうぞ」
「ごめんなさい。これと、ストレートでジョニーウォーカーを。赤で」
しかし、これも、スノビズムなのだろうか。今ここにある状況は間違いのない事実だけれども(少なくとも自分では証明できる。しかしそれでしかないし、それ以上でもそれ以外でもない!)、この自分の現実もまたあの文章の、通り一遍等の通俗文語の羅列、何のリアリティもない、少なくともある人間にはそう感じられる状況設定と同じように他人に存在するのだろうか。文学世界の状況をひとまず純粋に受け入れない、そんな読み手の方が穿っているのだろうか。自分の認める現実感しか認めない偏狭さこそが、他人に笑われているのだろうか。全員が全員、真剣に世界と意味を提示しているのか。審判し、批評する、それは思い上がりか?しかしではいつ、彼は彼を提出できるのか。脱構築することこそが正義と認めるならば(それが不正義なら、では彼は彼となるのか。彼の名札は生まれたときから変わらないのか!)、表現するとは諦めることでしかないのではないか。そうか、それが市場原理に原罪として呪われている現在の人間なのか。そうか、嫌でも他人の認証を獲たいと願うくせに、趣味の自由と高尚さを歌う旧来的な偽道徳の狭間で、ボクたちはブログとSNS、掲示板に、目を充血させているのだ。
「先生、理屈ご立派、しかし表現を諦めることもせず、かといって趣味を、わがままな生き方を諦めることもしない、そんな作家先生に、あなた、居場所と対価があると、そんな甘いこと、まさかお考えですか。いや、実にあっぱれ見事、ご立派ですよ!」
彼らは偉い。商品を生み出すこと、それこそが正義。交換こそが、生きる権利。無産こそが、不正。誠実さなど、ただの言い訳。人間と人間の間は、そうなっているのだ。そんな当然の手引きも知らない理解できない人非人に、人の間で息づく権利など、ない。

世界のある一座標、地表から浮かぶコンクリートとガラスの造形美、暗い人工照明に定義された箱型の空間の中で、煙とアルコールを纏う彼の思考もまた、論理と夢想の靄に消えていく。まだ熱いコーヒーにぬるいスコッチを生のままぶち込んで、上気する甘ったるいヨード香を思い切り吸い込んだダニエル君の胃が、まさに嗜好品の熱で満たされれる。
「パンチ!」
思考も嗜好も志向を失い、四方八方に爆発した。彼がさっきまで真剣に抵抗し拒否し続けたようなそんな戯れ言で、ダニエル君は今までの10分をすべて茶化して、冗談にした。
えぐく、暗い、冗談。    

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