2008年8月30日土曜日

料理する。

たとえば、作ったものたち。








僕が作った料理たち。今までに。

料理を作るのは、楽しい。好きです。

人に食べてもらうのは、その喜びを倍加させ、

食べているその人とお酒を飲むのは、もはや無上のファンタジーであります。


だからといって、お仕事としての「食」は、無限の困難の道です。


楽しいことと好きなこと

それと義務とは、混ざらないのかしらん?


え〜それってつまんな〜い、つまんない疑問だわ。

はい不正解。


何でもいいのよ、雰囲気だわ、万事のことは。


はい、みなさん。あたくし暇なの。


お相手、よろしく。    

2008年8月27日水曜日

もしもきぶんでいきてみるならさ

僕のきのう一日を、「きぶん」で語ることはすごく簡単なことです。


友達の一人がNYに、あと二人がイタリアに明日明後日には発つからそれならばと、


青山で、NYグリルって感じのランチをして、イチジクと生ハムのサラダを食べて、


まだ時間があったから、別の店で、スプマンテとシャルドネを空けちゃって、


きぶんなんかとすごく無縁だけど、まぁきぶんよくバイトに出て、


何となく、夜。


まぁまぁ。


一つ確かなのは、こういう一日はすごくきぶんがいいということです。


そして僕はよくこういう生活、いえ、もっとスノッブな生活の理想を成り立たせるために、しかしその仕事さえも気持ちいい仕事をしたいと望んでいます。


でもー。


きぶんとそれを触発してくれるものが構成する「せかい」は、


僕は不安になってしまうんだなぁ、って思うのもいつもなのです。


だからその不安には、自分の裸で立ち向かおうと。


だから、「きぶんのせかい」を僕の全てにすることは避けようと。


そうするべきだなって、思うんですね。


○○したい的な欲望って、


やってみたら、けっこうからっぽな感じ、ってことよくありません?


幸福な愛って、「私」と「あなた」を決定的に差別化する中での完全な調和。


なのかもしれませんね。


きぶんも幸せなんだけどなぁ。


それで生きるのも悪くないんだけどなぁ。


優柔不断なのが、


僕にかけられた宿命的で決定的で絶対的な、すごくぐわーんとする呪いです。


んー、つまらん。


(わかる人はわかりますよね、ちょっと図書館で借りたんですよ。えぇ、おもしろかったです)    

2008年8月25日月曜日

guwaguwa.

僕の中ではかなりの大病でありました、このあいだの風邪。


あれから、お酒はたしかにたくさん飲むんですけど、酩酊することはやめていますし、大丈夫な感じです。


ただ、やっぱり飲み過ぎると、そういう癖みたいなものがむくむくと出てくるようです。


くだらないですね。つまんないです。


楽しくお酒を飲むこと、それを本気で考える最近です。


実現までは、何事も精進です。    

2008年8月11日月曜日

Dark Knight.

昔から僕は悪役が好きです。

(僕は〜語りが多いな)

今回のJokerは僕のヒーローになるでしょう。



ヒース・レジャーに心からの尊敬と感謝をして。    

メモ。

最近僕に会う人たちはみんな、

僕がアメリカ憲法とかそういう法律的なテーマについてうるさく話すのを、

とてもうるさく感じることが多いと思う。

ごめん。

悪気はないんだけど、っていうのが悪気だよね。



でも僕はやっぱり法律世界にはまだまだ門外漢なわけです。もちろん。

そういう素人を標榜するところは、卑怯だけれど、事実なんで、許してください。

形而上学的なことについては、それなりに詳しくなったけどね。



僕は、近代世界のあらゆることが、それはもちろん近代の法律もそうなんだけれど、

自由意志を持つ合理的な主体としての、人間。

っていうところから出発していると思うわけです。

法の正当性の一部はそういうところからも来ています。

だから子供や心神喪失者は、人間ではないし、法によって裁かれることはないのです。

(これって半分間違ってるよね。人間である以前に、一緒に生きてるんだから)



じゃあ、ロボットの法律って難しいと思いませんか?

人型汎用ロボットがはたして本当に普及するのかという問題はありますけど、

僕は絶対人型の「介護ロボット」は作られると思うのね。

そうするとやっぱり肉体作業の移転先としての人型汎用ロボットは作られると思うんです。

そして、ロボットと人間の間に様々なコミュニケーションの問題が出てくると思うんですよ。

法律っていうのは、自由なコミュニケーションの促進と規制に、その目的を持つんですから、

当然「ロボット法」って考えられるでしょう?



でも、ロボットは自由意志を持ちませんよね。多分。

だってプログラムなんだから。

だから問題1は、自由意志を持たない主体であるロボットは、どのような法の原則を出発として、我々の法世界との共存を図るのか?

そして問題2は、プログラムが発達、もしくは突然変異的進化を遂げて、ロボットが我々の自由意志と近いものを持ったとき、我々の大前提はどのように変わるのか?

ということになると思います。

今の法律のままでいけば、問題1はすべて製造物責任で済まされますよね。そんなバナナでしょ。



知的財産権や環境問題が、近代法の原則のかなりの部分を揺るがしています。

ロボットや宇宙のお話は、現代が生まれるいいissueかもしれません。



PLUTOなお話でした。    

2008年8月6日水曜日

新しい物語のために。

NHKが宮崎駿と押井守を特集した。

二人の作家のattitudeが、爽やかだった。



以前に「秒速5センチメートル」についてcommentしたように、

僕は、自意識なるものを扱う近代小説は、そろそろ終焉を迎えてよいと、思っている。
(秒速、の批判ではない。あれはメルクマールとしていいのだ)



「崖の上のポニョ」を作り出す宮崎駿を姿勢は、自分から離れた物語を作り出している。

ポニョはもちろん彼から生まれるが、彼が発見していくもので、イデア界の存在のようであり、完結しないままに未来を託されて、映画は終わる。

「オタク的日本のジャパニメーション」にさよならを告げて、
(もちろん私は大好き。)

アニメーション芸術の本潮流の現在進行形の偉業は、「崖の上のポニョ」かもしれない。

自己言及しない、外に開かれっぱなしの物語。



「横暴だよ」 そんな声が聞こえてくる

「確かに」  と応えよう


でも物事の本懐は、誠実であることだと思う僕は、

彼らに嘘が見られず、美しいものを作ったという事実をもって、

賞賛したい。



多くの女の子が「ポニョ、かわいすぎ」と言った。

僕は、爽快な納得と、あきらめ的な侮蔑を感じたけど、

いや、存外に、すごく正しい表現かもしれない。

少なくとも宮崎駿の試みは、それをもって成功だと言えるだろう。



最近、よく身体を崩す。

お酒の飲み過ぎかもしれない。


脳みそが集中することは、健康的だなと思う。

たとえそれで身体を崩しても。