2009年6月29日月曜日

ワタシ語り.3




丹波ワイン 丹波鳥野居 ピノ・ノワール 2006


ワタシの生まれ育った京都の北部、丹波地方にあるワイナリー。

このワイナリーの生産する庶民的なライン「フルーティ」は、中学生くらいのときからお世話になっている。

そのときの印象は、ごくごく平均的で個性のないワイン、どんな料理にも合うだろうおいしいテーブルワイン(ヴァン・ド・ターブルにしてはちょっと値が張るが)、といった印象だった。

そのときよりはもう少しワインについての知識と経験も増えているはずだろうから、丹波ワインの実力、和食に合うワインを目指すその理念というものを改めて味わおうと、今日は一日中財布と相談し続けて、最後に、バイト終わりに自転車を走らせて、閉店間際の酒屋に滑り込むことに成功した。

少しむしむしする京都の夏、気分はこのワイナリーのシャルドネを飲もうかと思っていたけれど、店頭には甲州種のものしか置いてなかった。
シュール・リーで作られているところがかなり興味深く、汗をかいたあとに飲むとさぞかし爽快で軽快な酸味を味わえるだろうなと想像しながらも、まだ甲州に手を出すことは時期尚早と、断念。
財布には一段厳しいが、かねてから注目していた、ピノ・ノワールを買うことに。

深夜1時、抜栓。

まず驚くのは、その外観、2006年のヴィンテージにしてはあまりに枯れたオレンジ色、すっかり色褪せてしまったサーモンルージュの色調である。
ワタシの狭いピノ経験では、初めてのことだ。

香りもはっきりと立ち現れず、ピノ種の華やかさやフルーティさよりも、樽熟成の香り、タバコや湿った樹皮、雨が上がった後の林の匂い(これは京都御所をイメージするとよくわかる)、スーボワは言い過ぎかもしれないが、それらの燻したような香りのニュアンスが強い。
紅茶葉の甘みも感じられる。
スモーキーでドライな印象。

口に含むと、なるほど、まるで日本酒のような辛口さ、切れ味だ。
ピノ・ノワールにしては果皮の渋みが印象的で、ただそのえぐみはなく、舌の奥にほろ苦さを残して喉を通っていく。
喉越しはとても滑らかだ。

ぶどうの果実自体のほのかな甘みや樽の香り、先述のタンニンに由来する繊細な渋みや苦みを、アルコールが包んでいるように感じるが、アルコール度数自体は11.8%とむしろ低い部類である。

おそらくこの日本酒のような辛口のドライさは、酸味と渋みのバランスちょうどよく、それを樽香がまろやかにしているために、日本酒のような味わいだとこちらに感じさせるためだろう。


たしかにこれは、和食にあうだろう。マグロの赤身〜中トロなどの刺身にも合いそうだ。

京都丹波のどのような気候が、そしてどのような製造の特徴がこのピノ・ノワールを作ったのかがただただ気になるが、京都でこれほどおもしろい試みが続けられていることが何より楽しく、うれしい。

機会を見つけて、ワイナリーの見学にでもいこうかしら、と考えている。    

2009年6月27日土曜日

対象の深度。

ボクにとって、あらゆる物体や対象は、イメージでしかない。


僕にとって、すべてのイメージの存在価値は、そのフェティズムでしかない。


欲望を喚起させるイメージとしての物体や空間。


多くの人々は、この空間の中で遊戯する。


フェティッシュなイメージにどこまでも純粋で従順なモノ。


それが崇高で肉欲的で、ボクがもっとも愛するモノ。


ストーリーのフェティズムは、その上の世界であり、その上の世界はまた、恐怖的にセクシュアルであり、甘美であり、素晴らしい。    

2009年6月25日木曜日

ワタシ語り.2



ロバート・モンダヴィ プライベートセレクション ピノ・ノワール


このラインのシャルドネを以前飲んだことがある。
そのときの感動は、ワタシのワインへの興味を飛躍的に向上させたが、このピノは、その感動ほどの印象をワタシに与えなかった。


紫がかった明るいルージュ、清澄度が高く色が澄んでおり、ラルム(グラスの側面から落ちる涙の跡のような)も残らない。
単一品種だからか、ディスクにグラデーションはない。
カリフォルニアでピノを育てたということは、ある程度冷涼な気候なのだろうけれど、それがどういう影響を与えているのかはいっそうの検討が必要。

抜栓して嗅いだコルクの香りは、イチゴのジャムのよう。
ワイン自体の香りも、ほのかにイチゴやカシスのニュアンス。あまり香りは強くない。
少し燻した香りがする、樽の影響か。それほどヴァニラの香りというわけでもない。

口に含むとまず、そのヴォリューム感に打たれる。
さきのイチゴやベリーの香りが高い度数のアルコールの熱で口全体に広がり、さきではあまり感じられなかったベリーの甘さや、バラ、ヴァニラの香りも出てくる。
ピノ・ノワールらしい、繊細で滑らか、華やかな甘さとごくごく軽い酸味とタンニン。
後味はそれほど残らないが、それもエレガントで、安っぽくはない。
アルコール度の高さからか、喉から香りがすっとひいていく。


実に華やかでおいしいワイン。

言葉を重ねれば重ねるほど、その素晴らしさを認識させられる。

ただ、あまりに美味しいだけであり、ひねくれたクセがない。

概してアメリカのワインはそうなのかもしれず、またモンダヴィの哲学によるものかもしれないが、ただ、シャルドネの感動は、おそらくその醸造、フレンチ・オークとタンク、そしてマロラクティック発酵を組み合わせたその醸造が生み出した味わいの重層的な豊かさにあったのだろう、それをこのピノに求めると、いささか物足りないと感じてしまうのだ。

テロワールの趣味。

もちろんワタシの勉強不足がそれを感じさせないだけかもしれないが、ほとんどがそれ単一で作られ、栽培条件を厳しく選ぶ、そんなピノ・ノワール種を飲む楽しみの一つには、テロワールや醸造の趣向を感じ取ることにあるのかもしれない。


p.s.「天使と悪魔」を見た。歴史に熱情を感じ、またそのドラマに酔えるひとは、おもしろい。ワタシは、おもしろかった。名作や傑作、というラインナップに置かれるかはわからないが、あと少し講釈が多く、論理のほとんどが天才的なセンスだけれど、映画としての撮り方がよかったのかもしれない。原作を読んでないから何ともいえないが、前作よりも映画としては優秀だった気がする。「ワルキューレ」のような叙述。流行なのかしら。    

2009年6月19日金曜日

ワタシ語り.1

哲学的な味わいを持つワインほど、次の日に楽しみがある。

ワインの醸造についてあらゆるワインに哲学があることは、疑う余地もないが、

味わいの哲学とは違う、哲学的味わいというのは、いかにこちらに哲学的推敲をさせるかという、味わいの潜在世界の広さである。

美味いワインはもちろん美味いが、不味いワインはもしかすると美味しい。

それを常に意識しながら、私はワインに向き合いたい。


もちろん、すべてに対して、そういう尊大な謙虚を持ちたいと思うのであるが。    

2009年6月17日水曜日

factotum ~ 雨に、口角泡を飛ばせば。

雨が降ったあとのような、ひんやりとした夜の空気が涼しい。

I'm singin' in the rain. Just singin' in the rain.

口ずさみながら、ボクは、足で誰かのお腹を蹴るマネをする。

"A Clockwork Orange"

何もない夜空と、自分の生活に、
外国の映画と音楽を重ねて、

ボクは強引に色彩を塗った。


荒々しくペンキをかけられて汚された鮮やかなスカイブルーとオレンジの夜のはじまりは、ボクをどこに連れていってくれるのか。

ボクの義務は果たしたよ。

ボクは今日の始まりを、夜の最初を定義したよ。

あとは夜、そう君の仕事、君の支配する領分だ。

だからボクらは明るい光に集まる蛾のように、夜よ、きみの不思議に吸い寄せられるのだよ。

その明るさの由来が危険な炎だとして、ボクらは自らを炎の中に焼いてしまうのかもしれないが、

夜よ、ボクは君に委ねてしまうよ。

絵の具のチューブを地面にたたきつけて、それを思い切り足で踏んだり蹴っ飛ばしたりして、ボクは投げやりにボクの体を運ぶ先を決めてしまうことぐらいしか出来ないのだから。


無軌道な若者、デカダンス

そんな借り物の衣装しか、ボクは用意できないでいる。

借りて来た衣装、ぶかぶかでぴちぴちのちぐはぐなファッションで、ボクは夜に出かける。

最後は全部脱げてしまって、きっと裸のボクがいて、そうして朝の明るさに失明寸前の気絶を受けても、

夜よ、

ボクは、依るべき居場所が見えないでいるのだよ。


夜よ、夜という君のその存在だけが、ボクのドラマであるのだ。

ドラマの描けないつまらない人間には、君の存在が、あまりに救いなのだ。


夜よ、君のドラマの中でボクを殺してくれないか。

そして、ボクにドラマを書かせてはくれないか。

ボクがドラマを書くことを、君のドラマの中で、その風景を用意してくれないか。


救済のドラマ、ボクの「人間失格」を、ボクは他人に用意されたいのだ。


夜よ。    

2009年6月14日日曜日

factotum.44

1000円を

払って飲めば

十分に

よえばよいよい

こよいのよひは



約束と、違う

さあ、知らん

それはわたしの

約束とちがう



やれ打つな

私が手を擦る

額をつける

あって悲しき

ボクらの命よ    

2009年6月13日土曜日

factotum.43

恋があり、友がある。

たとえボクの世界に、ボク一人の孤独があっても、

恋はあり、友はある。

その事実が、何より、つらい。

つらく、涙が出てしまう。

その涙に、ボクは生きている。

ボクが生きるのは、ボクと、ボクの涙、その向こう、そのためである。

ボクは、ない、のだ。

「ボク」という"me"は、「メルシー」のそれである。

そう、どれでもない。

ただ、

ボクは、物体だ。

物体は、物体の価値がある。

物体の価値。

その高さが、ボクという人間の、生きる涙の糧である。


涙は、愛しい。

愛しさの悲劇。    

2009年6月12日金曜日

factotum.42




昨日と今日の二日間は、ボクは自分の中に閉じこもった。

明日も閉じこもる。

閉じこもらなくては、いけない。

外に出ることは、ボクにはあまりに簡単なのだ。

外に出て、我を忘れることほど、ボクを甘やかすことは他にない。

甘えて、甘えに嫌悪して、その嫌悪から逃げるために酒を飲む。

甘えと、逃避の酒。

この二つからボクは、ボクを守ってやらなくてはいけない。

ボクは、飲まずに塞ぎ込み、飲むにも健康なドリンクを飲まなければいけない。


甘えこそがボクの生きる道だが、そのためにも今は甘えてはいけない。

ボクは、未来永劫、甘えるのだから。

無駄遣いは出来ない。    

2009年6月10日水曜日

Lost. 四の五の言っても始まらぬ。

いえ、違うのです。実は、こうなのです。ボクは矛盾した気持ちを抱えているのです。だから、と、四の五の言い訳をして、言い訳のために生きていたって、始まらない。

そういったつまらない、本当につまらない雑文、エクスキューズを書いているくらいなら、とっととちゃんとした文章というものを書けばよろしい。批判には、それから応えよ。

誰に何を言われようと、ボクはこの文体を、今日は貫く、貫いてみせる。どちらも苦しい地獄であれば、インタレスティングな地獄をずぶずぶと歩いてみせましょう。足が焼け、皮膚が溶け、体がずる向けになろうとも、ボクには地獄を歩くしかないのです。

ピノ・ノワールを主体としたワインだけを、酒として飲む、と決めていたわけですが、とんでもない、今のボクは立派なアルコール中毒です。

人と飲まなければ、やっていけない、ボクは消失してしまう。素面のままでは、ボクは永遠に眠れません。素面のままでは、やることがないのです。高尚な軽口、それがボクの唯一の武器です。口から生まれ、口で死んでいく、つまらない男には、つまらない責任しか残されていないのです。

軽口に飽きられて、死ぬ男の末路は如何や?

そうでした、軽口を言い通す地獄を選んだのでした。


「私は、淋しさなんて感じない。私は弱くないもの。」

そうあなたは言いました。いや、本当は、

「私、今、まともなの。だから淋しさなんて感じないの。女だから、かしらね」

と言いました。

淋しさは男の低俗でしょうか、それとも男女共通の心の強弱でしょうか。

それを全面的に受け入れましょう、降伏してみましょう、ボクは、今、男であり、そして人間としてあまりに、弱い。

しかし、それがいけないことだとは、ボクにはどうしても思われないのです。人間のステキさ、それだけが唯一の真理です。

あなたは、今、本当につまらない。チェ、と、口を鳴らしてしまいます。

ボクがいくらつまらなかろうが、あなたはステキでなければいけなかった。

ボクの思うステキなあなた、それが世界で一番ステキなあなただと、ボクは全世界に向かって、説明できます。

ボクは、負けない。

始めから世間に負けているのですから、もう負けようもないのです。負けない戦いの全精力をかけるのならば、ボクはこの闘争に、この軽口の全てをかけます。

軽口家の革命。

それ以上の戦いも真実も、ボクにはなかったのです。

ボクが、こうやって文学をやりはじめたそのときから、ボクの戦いはあなたと、あなたを取り巻く全てのものとの戦いでした。

ボクはそれら一切のものに勝つために、それ以外の全てに負けることを決めたのです。

勝つ地獄のために、負ける地獄を選んだのです。

地獄を歩くボクのゴールを、ボクは決して諦めません。

地獄の悪魔、それが今のボクなのです。



今のボクには、失う己がないのです。

あらゆる愛が恋であるならば、ボクのあらゆる恋の対象であったあの人を失って、ボクは何も持たない、ボク自身すらもない、空っぽの物体なのです。

夜の街をふらふらと浮遊するただの物体、ただの物体には何の実体もあるはずがない。

物体は自然の重力に流されるのです。

自然。ボクの自然は酒なのです。

酒のみがボクの恋の希望を、その希望が生まれる可能性の夢を見せてくれます。

失った恋を、酒だけが懐かしく想わせてくれ、新たな恋の希望を感じさせてくれるのです。

ボクは、淋しいのです。

淋しくて、たまらないのです。

ボクの手が震えているのは、酒のせいではありません。それは、涙なのです。

深夜3時の寂寞に、恐れ、震えて、涙が止まらない。

これが恐くて、ボクは酒を飲むのです。

深夜3時を、振り向きもせず、逃げ切りたいのです。

これをあなたは弱いと言う。

しかしです、みんな弱いはずなのです。

ただみんなは、格好をつけられるだけなのです。

ボクは、格好がつけられない。

ボクは、負ける地獄を選んだのですから。

地獄世界の食料は、酒しかないと昔から決まっているそうなのです。

ボクは、食べるものがなくて、仕方なく酒を飲むのです。



図書館で借りた本の返却期限が一日過ぎてしまいました。

こんな些細な事実に、ボクは打ちのめされるのです。

梅雨の始めの雨の日に。    

2009年6月7日日曜日

死にイタル病。

近頃は、知らない人とお酒を飲むことが多い。



そんなことばかりだから、ほら見なさい、こけてばかりいる。

全く、愚かものめ。

過剰な自意識は、愛と不幸しか生まない。

だから、ダザイを読むのは嫌なんだ。

権威によりかかって、自分を正当化してしまうから。


ギャラリーへ。    

2009年6月5日金曜日

デジャ・ヴュの欺瞞。

雨が、しとしと降ったり、止んだり。

曇り空の明るさは、街を、優しく柔らかくけだるく涼しげに見せる。

雨だから、歩いて外に出た。

音楽を聞きながら、外を歩く。

空中を漂う湿度にやられて、汗がじっとりと額を濡らし、第一ボタンまで閉めたシャツが体にしっとりと付き始める。

ここでシャツのボタンを外すのは、何か釈然としない気がしたから、ジャケットの前を開けた。

少し風が通るが、それでも不快な汗は消えてはくれない。


紅茶をいれるための茶こしを探すが、適当なものは見つからない。

漏斗も何かと便利なので探すけれど、これは全く見当たらない。

家のゴミ箱にちょうどいいバスケットが見つかった。

ドラッグストアで、ゴミ袋と芳香剤を買う。


少し雨が強く降って、少し止んだ。

雨に変わった湿度は、涼しい風に流されて、ボクの体もひやりと乾いている。


涼しい街の大通りで、流れる音楽は軽快だ。

音楽は、風景にそのイメージをべた塗りする。

音楽と風景の華麗なマリアージュは、なかなか望めるものじゃない。

音楽があると、街はすごく優しい。

世界が簡単に理解されるように、感じる。

イメージの喚起が、容易になる。

自分勝手な世界は、何てキレイな世界なんだ!!


一度、家に帰り、買い物で出来た荷物をおろして、自転車に乗って、街に出た。

「失った夢だけが、美しく見えるのは、何故かしら?」

繰り返される問いかけに、その問いかけの美しさと感傷さに心浸りながら、自問自答を繰り返す。


「夢を美しいと想ったとき、もうその夢は失われているのか。」





Mlesna Teaの店舗前を通ったので、わからないままにふらふらと入る。





まずいアールグレイなんてない。

まずい紅茶があるだけだ。

今日の紅茶はうまかった。

アールグレイは、ボク好みだった。





4日塩漬けたもも肉で、ポト・フーをつくる。

鶏とキノコ。

あとは野菜を放りこんだ。

煮込みは、シンプルなほどおいしい。

ボクは、まだ未熟だ。    

6月5日の、6月4日の解答。

6月4日は、嘘の日だった。

6と4で、「う」と「そ」である。

6と4で、「うそ」と読む日だから、嘘の日なのだ。

たくさんのことには意味がある、という嘘をつく日。

そんな嘘の日の、嘘つきの一日。





朝の6時に寝て、起きるともう14時30だった。

ボーッとして過ごす。

プレゼントにもらったMlesnaの紅茶を、道具がないけれど、いろいろ代用していれる。

色と香りが移るだけ、それくらいでおいしい。

紅茶の奥深さが見えて、ボクは少し目眩がした。

世界は大き過ぎる、世の中は広過ぎる。

紅茶とパウンドケーキの向こうには、60億人の生活が浮かんでいる。

無限のパターン。

1/無限の、今、ここにある、ボク。

意味のない、意味なしを想う、想像。


今日はディナーが決まっている。

待ち合わせまでには、時間がある。

お腹が空いた。

屋台みたいなオープンカフェみたいな食堂があったから、それを前日に目をつけていたから、思い出して足を運ぶ。

お米が食べたかったから、小さなピラフを頼んで、ジンリッキーを飲む。





マンサニーリャとフィノ(サンデマン)を飲む。





食堂でシェリーを飲みながら、ロイド眼鏡の青年は、空想に耽りながら、文字を綴る。

完璧なイメージ。完璧に空にした、空っぽのイメージ。

だからこそ、完璧な写真。





思弁的な若者は、誰でも一度はデュシャンをやる。

思弁的でない若者も、誰でも一度はトイレをもってくる。

トイレは、ぼくらの日常の中で、一番非日常な可視化されないイメージだから。

トイレは誰のものでもない、トイレはみんなのもの。





仔羊のローストにブルーチーズの夢がかかっている。

ミルクだけで火を入れたポテトのグラタンの、しっとりとした甘みが印象的だ。

"Fontedicto 2001"

vin de pays(ヴァン・ド・ペイ AOCワインの下、テーブルワインの上)というと、知識のないボクはついつい安物かと考えてしまう。

極上の vin de pays というものがあるのだな、と、これを飲んで感激した。

このワインを言葉にするのが、今のボクには難しい。

樽の香りがしっかりとついているが清澄度が高く澄んでいて、粘度はそれなりに高いながらもディスクはそれほど厚くない。
タンニンがしっかり感じるのに、ざらざらとしたぶどう皮のえぐみはない。
どこかにも書いてあったが、大地のような安定感を感じさせる懐の深い味わいだ。
甘い香りと優しいスパイスさが、柔らかなタンニンときれいに調和している。

カベルネやメルローしか飲んだことのない人間に、グルナッシュを明確に表現することの辛さはあるが、

旨い、の一言ははっきり言える。

この店は(ボクが働いている店だが)、本当に気取らない旨さを出してくれる。

丁寧な仕事の積み重ねの上に、自然な食材の、テクニックとしてのフレンチの味が、作られている。

フォアグラのコンフィを兎で巻いたルーレを最後のお供にして、ワインが終わり、一日が終わった。


嘘から出た、真。

嘘の中の、真。

嘘は、真。

嘘も真も、ボクの誠実、歴史の事実。


http://gallery.me.com/mr.custard#100091&bgcolor=black&view=grid    

2009年6月4日木曜日

今日、一日。逆向き。

とりあえずの一日。解説は後日。





   

i Love Pa-ri-Pi-po-.



どんな夜でも、それが夜の出来事というだけで、おもしろい。

夜は、おもしろい。

夜は、オモシロサが目を覚ます。

朝、空が薄いブルーに白け始めるとともオモシロサは眠りにつき、
昼、オモシロサはこれからの夜の夢を見て、
夜、オモシロサはむくっと体を起こし、ボクらの背中をノックする。

オモシロサは夜の街を練り歩き、ときには駆け抜けて、夜の街を囃し立てる。

ボクらは、オモシロサに支配されて、その日の昼間にオモシロサが見た夢の続きに舞い上がる。

夜、ボクらはオモシロサの熱病に浮かれ、街はギラギラきらめいて、夜の闇は赤く燃える。イエロー、オレンジ。


ピエロが王様の首をちょん切る時間。

それが、夜だ。




「グラン・マルキ レゼルヴ 2007 白」

メインはソーヴィニヨン・ブランらしいから、確かにそんな感じの味がする。

草っぽいフレッシュな香りと味、リンゴ酸がしっかりと出てくるが、レゼルヴだからもう少し熟成しているのかな、少し黄色みがかっていて粘性がある。ねっとりした爽やかな青さ、そんなところ。

でも、全体の印象としては、痩せてるなと思う。

バランスはいいけど、ボリュームがなく、余韻は残らない。

ボクはあまり鼻がいい方ではないけれど、なかなか香りは出てこないし、空気を含ませても、それほど中身を感じない。

同じワインの赤は、カベルネ・ソーヴィニヨンにメルロのブレンドなので、タンニンが強すぎず、ベリーの甘みやスパイスの風味が目立つ。アルコールのヴォリュームもあるし、空気をよく含ませると、気品はなくなるけれど、それぞれの味がよくわかる。

赤の方はなかなかおいしかっただけに、ちょっと期待はずれ。

この白は「よく冷やして」と書いてあるけれど、ぬるいくらいの方がよりねっとりとした感じを楽しめて美味しいかもしれない、個人的には。

ボクは、あんまり五感が優れてないから、そこを鍛えないとと思う。

慣れてないから、自分の言葉で話せていないのが、よくわかる。

借りてきた衣装を着て人前に立つのは、恥ずかしい。

知識よりも、五感のボキャブラリーを磨きたい。

楽しい夜のためにも、ね。    

2009年6月2日火曜日

factotum.について。

"factotum."と名付けられたいくつかの文章たちは、彼らの書き手に横暴にもそのタイトルを奪われその神聖さを剥奪された、無題と名付けられるはずだったところの文章が、これもまた私の身勝手な自尊心と羞恥心によってその名前を歪曲された、一群の詩です。

生む場所を失って、生まれる場所がなくなって。

"勝手に生きろ"と名付けられ彼ら詩たちは、自分がドキュメントなのかストーリーなのかもわからず、右も左もわからず、ただただこの表象の世界を、よちよちと歩き、どこかに流れつき、ある子は息絶え、ある子はもしかすれば自分自身を何かに産み落とすかもしれない、どこかに生み落ちて、また水の流れの循環の中に、生まれる前に還る、かもしれない。

私生児たち、それが彼らです。


では、彼らは不幸なのでしょうか?では、私は?

身勝手に次ぐわがまま、傲慢に更なる暴力を加え続けた私にこれ以上まだ都合のいい解釈の自由が与えられるならば、

彼らは、胸を張って生きればよいのです。

自分の出自や名前など、それがはたして何と関係をもつのでしょう。

君ですか?彼ら自身にですか?

およしなさい、くだらない、彼らの名前は"factotum"、始めから名前などない、ただの器なのですよ。

何でもない日常を描きたかった、それがお父さんの気持ちだったのです。

世界は多彩で鮮烈だが、世界はそれほどおかしくはない、ふつうの人々がそれぞれのふつうの日常を重ね合わせるなかで、重ね合った日常たちの間のその少しの差異や揺らぎが、少しだけ、ふつう世界の日常性を破る、しかしその破れの微々たるを見たまえ、ただの洒落た会話や一夜の汗、そんなものでしかない。それでもこの世界の日常は、すばらしい。

そんな気持ちを、私はあなたたちにこめたのです。

ええ、私のわがままです。

それをあなたたちに、言わなかったものねぇ。

君たちはずっと、自分自身を考える苦しみに苦しんだんだものね。

やっと、言えた。

それで、どうするのか。

"factotum"に、生きる意味はあるのか。


私も、あなたも、お母さんも、お嬢ちゃんも、紳士淑女、少年青年壮年老人、boys & girls、

勝手に生きろ。    

2009年6月1日月曜日

an extract from mixi.

大きな文字を、

ボクたちの小さくて可愛い唇から語るのは、もう止めよう。


ボクたちの世界はとても小さくて、この世界は目が眩むほどに多彩で、

つまらないこともおもしろいことも、そういうものをいろいろ受け止めることに、ボクらはへとへとになってしまうけれど、

誰かが作った文字を、自分勝手に読むのは、止めよう。

ボクたちは、新しい言葉を、それがたとえとても小さな文字だとしても、自分の言葉を大切にして、それをささやいて、そして全世界に向かって声を張りあげよう。


大きな文字で話すのは、もう止めよう。

瞬間に、世界は終わりを告げてしまうから。

全ての世界が。

100次元のすべてが。

そこには喜びも感傷も諦めも淋しさもなく。

孤独が、あるだけ。

くだらないタイトルが、残るだけ。



———新宿からの高速バスの中で。



ボクは、2時間前にボクが危なく乗り過ごしそうになったバスの中で、この数日の思い出を振り返りながらうつらうつらと眠りと窓の外、二つの景色をイったりキたりしていた。


少し空調が効きすぎている、足と唇が寒い。


次に目が覚めたときに、自分の息が白いことを確認した。

周りを見ると、乗客の多くが前屈みに、寒さを耐えていた。

「まさか、クーラーぐらいでね。確かに、わざわざ運転手のところまで行けないか」

すると二階席の最前列左C席の男性、ボクから見て二列先の左方に座っていたニット帽をかぶった男の人が立ち上がった。

最初見たときから、少し気味が悪かった人だ。

その男の人は立ち上がり、こっち、一階へと降りる階段に向かう方を振り返りながら、マスクを外し、マフラーを外していく。

「君、起きてるね。下に行って、空調を切ってもらおう」

「はい。(糸井重里だ)」

ボクは突然の有名人に驚きながら、糸井とともに運転手のところまでいき、事情を話した。

階段を上がり、自分の席に戻ったときには、乗客の全員が気の抜けたように楽にしていた。

ボクは自分の席、3列目Aに座ろうとした。

すると糸井は、ボクの席の真後ろに座り、声をかけてきた。

「君、——。○○、××」


空が明るくなって、いつしか陽気な明るい日差しが、バスの中を満たしていた。

ボクと糸井はそれからしばらく話しながら、休憩のために停車したインターでバスを降り、少し街を歩いた。

向こうから、二人の中年男性が肩を組んで、こちらに向かって歩いてくる。

「あ、さっき話していた人だね」

「ボク、夏目房之介さん、好きなんです」

そうしてボクたち4人は、お酒を飲みながら、ああでもないこうでもないと、ああでもこうでもない話をした。


目が覚めた。


深夜の暗いバスの中で、乗客たちは静かに寝息をたてている。

3列Aに体を埋めたままボクは、少し落ち着いて一呼吸し、ペットボトルの水を一口、口にふくんだ。

体を起こし最前列Cを覗くが、誰もいない。

その列のA、ボクの席の前の前の席にニット帽の男がいた。

最初にボクの列の向こう端の席に座っていて、これ以上誰も乗らないというアナウンスのあとに席を移ったあの気味の悪い男だ。

ボクは夢をみていたことにようやく気づいた。

もういちど、ペットボトルの水を飲む。少し多く飲む。

バスは高速道路を走る。

高速道路の外には、日本以外のどこかの国の田園風景みたいな田園と民家がゆっくりと流れていく。



「大きな文字と、ボクは戦ってやるさ。ボクの言葉が大きくなるまで」



ボクは、ケータイを少し眺めて、また寝た。

クーラーはもう、切れていた。