「何があっても裏切りませんよ」
と、僕は言った。
「徹底的に、何だって演じます。誰にどう思われてもいい、好意を持たれても否定されても、そんなことにはもうおかまいなしといきましょう。すべてのフォーカスは、あなたです、あなたのために働きます。僕は僕の僕らしい部分を、ノックダウンしましょう、ビジネスのために」
ストローで、残ったジュースを吸い尽くした。音をたてて。
「あなたを信じます。あなただけを。これは僕の選択です。僕の利益のための、僕の利己的な行動です」
空は、太陽が目を刺す。
「さぁ、電話でもかけましょうか。What should I say ?」
2012年1月6日金曜日
1/06
階段を降り、守衛の前を抜け、裏口のドアからビルを出る。
タクシーを拾い20分ほどで物件に着くと、担当者が待っていた。
タクシーを降りて彼は「どうも」と軽く挨拶をし、事務所で報告書といくつかの資料を求めた。
「今月は急な配置換えとかがあったんです」
書類に目を通す彼の横で、担当者は立ったまま言った。
「新しい人がまだ慣れてなくて」
「そういうところはちゃんと評価に反映されています」
「あぁ、はい、そうですか」
担当者は彼の返事に何か驚いてすぐに言葉を返した。
「では、これをいただいていってもいいですか?それとも別にコピーを?」
「いえ、どうぞ、それを提出します。はい」
地下鉄に乗りながら彼は、さっきの不慣れな担当者を思った。彼の会社の内部評価システムは社内の人間の中でもその詳細を知るものが少なかった。それについて何かを詮索することなどまったく無駄であったし、そういう種類の努力はむしろ減点評価につながった。評価は、なるようにしかならなかった。誰かの評価によって、評価された担当者が何かの罰を受けることなどめったになかった。会社は業務一般のすべてが「なるようになっていれば」それでいいとしていた。会社はそこ働く全員にそれ以上の正義や使命感などを求めてはいなかった。「彼ら」は与えられた業務をその裁量の中でこなしていればよかったし、彼ら自身も会社が管理している業務の一部だった。物件の管理もその評価も、業務の中で上下するただの数字だった。数字はその閾値の中で上下していれば問題はなかったし、そうやってマネジメントされていた。彼は自分の業務をそう理解していた。
地下鉄を出て、次の物件に行く前に彼は昼食をとることにした。大通りと交差する細い道を適当に入り、通りに面した食堂を選んだ。
ブータンノワールとじゃがいものパンに赤ワインを頼んだ。
皮が妙にくたびれたブータンノワールは、作られたばかりというような生々しさを残しており、彼の口の中で、ヌチャヌチャと踊った。その手をじゃがいもパンがとり、ブータンノワールとじゃがいもパンは抱き合うようにして喉を通り、胃に落ちる。赤ワインがその痕を洗った。
勘定を済ませて外に出る。青白い空はまだ朝と同じ色をしていた。2012年1月1日日曜日
2011年12月27日火曜日
12/27
「何かが違っているとして、それがそうであるかもわからないし、たとえどうであっても、だからといってそれは何かの理由にさえならない。つまりただボクだけにとっての問題にしかならないってことだ」
イーアン・トットは洗面台で顔を洗い、2週間ほど前に酔っ払って派手に転んでつけた顔の傷にクリームを塗り、その手で髪を撫でつけた。手を拭きながら彼は鏡の顔を見て、右左に顔を向ける。細かい傷はもう消えているようだ。
背中のドアを開けてすぐの台所で蛇口をひねり、もう一度電気ケトルで湯を沸かした。クローゼットを開けシャツに袖を通しネクタイを締める。ズボンをはいてジャケットを羽織る。スピーカーから何か音楽をかけて、今日はモーツァルトだ、そこまですると湯が沸き、大きめのタンブラーに開け、スコッチを落とした。部屋を出るまでのあと7分ほどをこのまま過ごす。それは感傷などとはまた違う、平穏のためのまじないのようなものだった。その平穏すら何のためにあるのかもわからない、ましてそのまじないが平穏とやらに通じてるのかもわからず、平穏とはいったいなんのことかも定かではないが、それはまさに「平穏のためになされるまじない」だった。それはそれ以降の時間のための彼なりの言い訳であり、保険であった。
彼は用心深くタンブラーの側面を指で包み、暖をとり、目を少し細くした。少しずつ飲み物から体へと熱を移していく。そうしてすべて飲み切って、コートを羽織り、マフラーを巻き、鞄を持つと、彼は固い靴をはいて部屋を出た。
どこからか寿司飯の臭いがした。蒸気は形をもって彼の前を漂う。彼は少し眩しいというように目を細くした。
「おはようございます、有栖川さん」
「おはようございます」
彼は子供に、向かいの部屋から出てきた子供に挨拶をすると子供が乗るエレベータを見送り、階段のドアを開けて下に降りた。
2011年12月23日金曜日
12/22
目が覚めて彼がまずしたことは、スクランブルエッグを作ることだった。フライパンを火にかけ熱し、白い煙が出たころにサラダオイルを引き、また鍋が温まったところで、卵を割り入れる、2つ。割り入れる?彼は自分のしたことに驚いた。割り入れるだって?目の前では白身にうっすら火が入り、しっかりと完成へ進んでいるフライドエッグがある。彼は自分の失敗(ということでもないのだ。彼は日常的にスクランブルエッグを食べることを日課にしているわけではないのだから)を見過ごし、フライパンに水を少し入れ、蓋を閉めた。
電気ケトルのスイッチを押し、紅茶のバッグを取り出してタンブラーにかける。彼は机に座り、ノートブックでニュースを見た。「京都市の職員、不正な給与で」という記事の全文をクリックして、彼はタンブラーに口をつけた。そしてすぐそれを戻した。
彼は自分の強迫神経症的な一部の性格について少し考えた。確かに彼は、家のドアの鍵やガスコンロの火、白熱球のスイッチということに、部屋を出た直後どうしても考えてしまうということがある。その延長で、これについても、偶然の朝に起こったもしかすると何でもない珍事とも呼べないいくつかの出来事についてその連続の偶然について、自分は考え込んでしまうべきなのか。そう考えることははたして健康なのだろうか、いま自分は健康なことをすべきなのだろうか、不健康の効用というのはないのだろうか、何を選べばいいのか、ということについて、彼は考えながら、電気ケトルのスイッチが上がった音を聞いて、机を離れ、ケトルを取り、タンブラーに湯を注いだ。
「イーアン・トット、イーアン・トット、早く紅茶を飲もう」
彼は自分の名前を繰り返す、それは何かの癖なのだが、彼はティーバッグから漏れ出る色素の渦を眺めながら、今の自分の時間について、さてどうするかと考えた。
電気ケトルのスイッチを押し、紅茶のバッグを取り出してタンブラーにかける。彼は机に座り、ノートブックでニュースを見た。「京都市の職員、不正な給与で」という記事の全文をクリックして、彼はタンブラーに口をつけた。そしてすぐそれを戻した。
彼は自分の強迫神経症的な一部の性格について少し考えた。確かに彼は、家のドアの鍵やガスコンロの火、白熱球のスイッチということに、部屋を出た直後どうしても考えてしまうということがある。その延長で、これについても、偶然の朝に起こったもしかすると何でもない珍事とも呼べないいくつかの出来事についてその連続の偶然について、自分は考え込んでしまうべきなのか。そう考えることははたして健康なのだろうか、いま自分は健康なことをすべきなのだろうか、不健康の効用というのはないのだろうか、何を選べばいいのか、ということについて、彼は考えながら、電気ケトルのスイッチが上がった音を聞いて、机を離れ、ケトルを取り、タンブラーに湯を注いだ。
「イーアン・トット、イーアン・トット、早く紅茶を飲もう」
彼は自分の名前を繰り返す、それは何かの癖なのだが、彼はティーバッグから漏れ出る色素の渦を眺めながら、今の自分の時間について、さてどうするかと考えた。
2011年12月17日土曜日
12/17
ギュスタブ・アモンドは、つまらない夢を見ていた。そこではいつもの職場の風景が、その中の何か一部がまったく別のものに置き換えられていた、という具合に。空間に奇妙な瑕疵を感じる、とでも言えばいいのか。彼は原因のわからない突然捕らわれた違和感に、ただ目の前のコンピュータに集中することで対抗していた。デスクトップの画面には将来に対してはっきり言えばあまり将来性を持たないだろう企画書や提案書のファイルが並べられており、彼はその作成を真剣に、その企画の有効性の枠内での整合性や無矛盾性、文字の配置、デザインについて真剣に取り組み、自分が今ここで何をしているのか、何をしたいと思っているのか、今目の前で綴られていくこの言葉たちは誰に対してどんな価値を持つのか、今自分が捕らわれている不思議な感覚の正体は何なのか、この空間を徐々に浸食しつつある奇妙な瑕疵は、、ということについて忘れようとしていた。しかし、最初からある種の不毛さを孕み約束されていたその努力も無駄だった。彼はついに自分について諦め、その違和感から逃れるために、トイレに立った。部屋を出て、役員室が並ぶエリアを抜け、他の多くの人間が作業を進めるオープンエリアを通り過ぎ、オフィスから出て、靴を履き替え、トイレに入ると、個室の鍵をかけ、そのまま便座に座った。この場所にまで及んでいるのかはわからなかったが、とにかく彼は行動したのだ、目の前とは違う世界の可能性に投棄して。しかし彼の頭はもう溶け始めるところだった。彼は自分の思考がもはや自分の思考の支配から抜け出し、彼の顔を歪め始めたことに気づいて、おいおい泣いた。声には出さず、必死で顔を押さえ、口をふさぎ、目に指を押し込んで、自分の中から溢れてくるその自分以外の何かを、彼の身体がぶくぶくに膨らんで、ぴっちりとはち切れそうになるまで堪える覚悟で。個室の壁はもう彼の身体、脳に圧迫されてギシギシと音を立て始めている。もう少しで何かがこの空間全体を侵してしまう。もう彼にはほとんど意識はなかった。口はもう口の形を見せてはいなかったし、その目は血を失い、白濁を通り越して、空虚な穴になっていた。
「イーアン・トット!!」
目が覚めて彼がまずしたことは、スクランブルエッグを作ることだった。
「イーアン・トット!!」
目が覚めて彼がまずしたことは、スクランブルエッグを作ることだった。
2011年11月8日火曜日
passed away, but it comes. forget about it.
こうしてると思い出す
何もなかった部屋を。
煉瓦と板とスチール、iBook、ベッド。
安い酒と汚い身体だけがあった部屋。
何も変わらない同じ。
ただ今の僕はとてもクリアで、落ち着いて、自分を見ている。
泣いてもいないし、そう長く震えることもない。
諦めと決意は、とても壊れやすくて繊細だ。
大事なのは、そう、状況を無暗に葬らないこと。
一瞬の快感の永遠的な思い出も、
永遠に訪れる一瞬の悔恨も、
全部はべったりと手のひらに残っている。
忘れられない、自分の、「自分たち」
forget about it.
何もなかった部屋を。
煉瓦と板とスチール、iBook、ベッド。
安い酒と汚い身体だけがあった部屋。
何も変わらない同じ。
ただ今の僕はとてもクリアで、落ち着いて、自分を見ている。
泣いてもいないし、そう長く震えることもない。
諦めと決意は、とても壊れやすくて繊細だ。
大事なのは、そう、状況を無暗に葬らないこと。
一瞬の快感の永遠的な思い出も、
永遠に訪れる一瞬の悔恨も、
全部はべったりと手のひらに残っている。
忘れられない、自分の、「自分たち」
forget about it.
2011年11月2日水曜日
No one know new one.
ある程度の規模でまとまった量を書かないと、ある程度まとまった量の文章を書けなくなる。
書けなくなるというのは、集中力もなくなるし、文章の技術としても衰えるということだ。
つまり意欲も能力も失うということ。
(この段階で、自分の叙述の方法がずいぶん短文的になったことを認めている)
「まとまった文章」を書かなければと思った理由は、2つある。
ひとつは、仕事でスライドばかり作っているが、それを適切にまとめて表現するのが、「面倒だ」と思っててしまっていること。
もうひとつは自分が何かについて考察するときのフレームワークみたいなものを、ここらへんで整えてあげないといけないということだ。
直感がすべてであると思う。そして、その直感のセンスは、理屈によって裏付けられるべきものだ。
だからボクはそれを整えなくてはいけない。
「~であるべきだ」という言葉の強さを、もっともっと高めるために。
それが面倒の克服と、克服のための鍛錬、そして結果の「強さ」を得るための、いま最も必要なpracticeなのだろう。
書けなくなるというのは、集中力もなくなるし、文章の技術としても衰えるということだ。
つまり意欲も能力も失うということ。
(この段階で、自分の叙述の方法がずいぶん短文的になったことを認めている)
「まとまった文章」を書かなければと思った理由は、2つある。
ひとつは、仕事でスライドばかり作っているが、それを適切にまとめて表現するのが、「面倒だ」と思っててしまっていること。
もうひとつは自分が何かについて考察するときのフレームワークみたいなものを、ここらへんで整えてあげないといけないということだ。
直感がすべてであると思う。そして、その直感のセンスは、理屈によって裏付けられるべきものだ。
だからボクはそれを整えなくてはいけない。
「~であるべきだ」という言葉の強さを、もっともっと高めるために。
それが面倒の克服と、克服のための鍛錬、そして結果の「強さ」を得るための、いま最も必要なpracticeなのだろう。
ラベル:
my theory.
2011年9月5日月曜日
眠れぬ夜は、ボクのせい。
惰眠の原因は、根本的にいろいろある。
それは体力の欠如と、その原因と結果としての飲酒、そして敵前からの逃避、怠惰、言いわけ、飲酒、低下、と。
つまり惰眠は、それ自体が悪であって、必要悪などというものはこの世には存在しないのだから、惰眠は悪だということ。
そして、そこには、そもそも惰眠を貪るような人間には、そう、いつもあの言葉が潜んでいるという事実がある。
悪の華。
この花の前に散っていったものがどれだけ多いことか。
その屍の上に私は今日も立とうとし、そしていつか葬られるのである。
否定は否定のためなりしや、いかんや。
それは体力の欠如と、その原因と結果としての飲酒、そして敵前からの逃避、怠惰、言いわけ、飲酒、低下、と。
つまり惰眠は、それ自体が悪であって、必要悪などというものはこの世には存在しないのだから、惰眠は悪だということ。
そして、そこには、そもそも惰眠を貪るような人間には、そう、いつもあの言葉が潜んでいるという事実がある。
悪の華。
この花の前に散っていったものがどれだけ多いことか。
その屍の上に私は今日も立とうとし、そしていつか葬られるのである。
否定は否定のためなりしや、いかんや。
ラベル:
esthetica.,
poetry.,
お酒
2011年8月23日火曜日
2011年7月30日土曜日
2011年6月10日金曜日
6/10
若者にはもう暴力しかない
暴力で、
好き勝手やってきて、そして好き勝手やっている老人たちを殺そう。
そういった革命を今唱えても夢想的で小説的だが、
いや、絶対、そうなる。
なる!
暴力で、
好き勝手やってきて、そして好き勝手やっている老人たちを殺そう。
そういった革命を今唱えても夢想的で小説的だが、
いや、絶対、そうなる。
なる!
ラベル:
alternative.
2011年5月12日木曜日
2011年4月22日金曜日
4/22
撮りためた数葉の写真を、ボクは眺める。
ボクは、眺める。
意識的な反復の言葉、その繰り返し、強調。
いくつかの彼女の、つかの間の笑顔。
ボクは、彼女の笑顔だけを写真に撮り続けていた。
彼女の笑顔は笑顔の上にはなく、その物語にあった。
彼女の笑顔がどこにあるのか、それを決めるのは彼女であり、ボクだった、あるいは別の風景によるものだった。
彼女の笑顔は何のために、あるのか。
彼女の”笑顔”とは何のためにあり、どうしてそれは”笑顔”なのか。
笑顔とは、何に対して向けられて、またどういう機能を果たすのだろうか。
果たす?
持つ、動く、作用する、働く、効く、香る、揺らめく、涙する、眠る、眠らせる。
香気、その軽々しさ。
ボクの軽薄さが、彼女を喜ばせる。
ぶらぶらぶら
ボクは、眺める。
意識的な反復の言葉、その繰り返し、強調。
いくつかの彼女の、つかの間の笑顔。
ボクは、彼女の笑顔だけを写真に撮り続けていた。
彼女の笑顔は笑顔の上にはなく、その物語にあった。
彼女の笑顔がどこにあるのか、それを決めるのは彼女であり、ボクだった、あるいは別の風景によるものだった。
彼女の笑顔は何のために、あるのか。
彼女の”笑顔”とは何のためにあり、どうしてそれは”笑顔”なのか。
笑顔とは、何に対して向けられて、またどういう機能を果たすのだろうか。
果たす?
持つ、動く、作用する、働く、効く、香る、揺らめく、涙する、眠る、眠らせる。
香気、その軽々しさ。
ボクの軽薄さが、彼女を喜ばせる。
ぶらぶらぶら
2011年4月6日水曜日
4/6
道を歩く。
道の向こうから、黄色い犬が歩いてくる。
彼は犬に向かって、犬は彼に向かって、平行線の上を進むように、近づいていく、距離が縮まる。
犬は彼の少し手前で止まり、自分の横を流れていく彼に顔を向ける、犬の顔だけが彼を見ている。
その瞬間だった。
彼の視界は真っ暗に遮られ、暗闇の奥からは生温かい臭気のこもった空気が流れてくる。
犬は彼の頭を飲み込んでしまった。
彼はあごの下にぬるっとしたぶよぶよの唾液を感じ、頭蓋の後ろに牙の軽い圧力と刺激を感じる。
彼はそのまま歩き続ける、そこにある「ある程度の」疑問は保留したまま。
犬によって彼は別の世界に移動させられた。
犬の中は、彼が酒を飲む場所と並行して存在した世界であり、それは同じ場所で別の位相をもって進行していた時間だった。彼はひとつの時間から別の時間へと同じ世界内で移動した。
彼の体、胸や腕や脚はさっきまでの時間の中で通常の視線に晒されているだろう。
そして彼の視界や認識はまだ暗闇の中で、犬の温度の中で動いている。
首にかけられた分断は、だんだんと微妙な心地よさを帯びてくる。
並行して存在する(だろう)分裂じた時間たちを同時に生きること。
彼はいつもそんな夢ばかりを見ている。
彼の犬はそのためにいま逆立ちをして彼の頭に取りついている。
彼によって。
道の向こうから、黄色い犬が歩いてくる。
彼は犬に向かって、犬は彼に向かって、平行線の上を進むように、近づいていく、距離が縮まる。
犬は彼の少し手前で止まり、自分の横を流れていく彼に顔を向ける、犬の顔だけが彼を見ている。
その瞬間だった。
彼の視界は真っ暗に遮られ、暗闇の奥からは生温かい臭気のこもった空気が流れてくる。
犬は彼の頭を飲み込んでしまった。
彼はあごの下にぬるっとしたぶよぶよの唾液を感じ、頭蓋の後ろに牙の軽い圧力と刺激を感じる。
彼はそのまま歩き続ける、そこにある「ある程度の」疑問は保留したまま。
犬によって彼は別の世界に移動させられた。
犬の中は、彼が酒を飲む場所と並行して存在した世界であり、それは同じ場所で別の位相をもって進行していた時間だった。彼はひとつの時間から別の時間へと同じ世界内で移動した。
彼の体、胸や腕や脚はさっきまでの時間の中で通常の視線に晒されているだろう。
そして彼の視界や認識はまだ暗闇の中で、犬の温度の中で動いている。
首にかけられた分断は、だんだんと微妙な心地よさを帯びてくる。
並行して存在する(だろう)分裂じた時間たちを同時に生きること。
彼はいつもそんな夢ばかりを見ている。
彼の犬はそのためにいま逆立ちをして彼の頭に取りついている。
彼によって。
2011年3月30日水曜日
3/30
彼は、渡り鳥に想い耽る。
日常生活において、渡り鳥というのはまず存在しない、少なくとも彼の日常にワタリドリは現れない。
彼の空想のワタリドリは影のような黒いシルエットで、夕焼けや朝まだきの空、雲の上の月明かりの闇を飛ぶ、優雅な隊列だった。ワタリドリは世界を巡り、地上に降りると思い出したように光を浴びて、白い姿に変わり、水に足をつけ、緑を食み、種を摘み、種を蒔き、また空に向かって飛び立ち、影となり世界を巡る。彼らは死ぬこともなく、個体が入れ替わりながらも全体としてはいつも均質に存在しているようだ、だから彼らには永続する世界の流れを感じる。
彼の空想するワタリドリは、理想的な姿で世界に存在していた、彼の世界に。
彼は空を見上げる、赤や茶色や灰色の建物の間に線を引く空の隙間に目をやる。
まれに影が横切る。何かの影、それらはどこまでも自由で創造力に溢れており、彼らの優雅な努力はそういった美しい世界の秩序に向けて集中されているように見える。
影たちはその存在の理由を与えられている。
だから影は自由なのだと、彼はテーブルに置かれた目の前のロックグラスを見て思う。
日常生活において、渡り鳥というのはまず存在しない、少なくとも彼の日常にワタリドリは現れない。
彼の空想のワタリドリは影のような黒いシルエットで、夕焼けや朝まだきの空、雲の上の月明かりの闇を飛ぶ、優雅な隊列だった。ワタリドリは世界を巡り、地上に降りると思い出したように光を浴びて、白い姿に変わり、水に足をつけ、緑を食み、種を摘み、種を蒔き、また空に向かって飛び立ち、影となり世界を巡る。彼らは死ぬこともなく、個体が入れ替わりながらも全体としてはいつも均質に存在しているようだ、だから彼らには永続する世界の流れを感じる。
彼の空想するワタリドリは、理想的な姿で世界に存在していた、彼の世界に。
彼は空を見上げる、赤や茶色や灰色の建物の間に線を引く空の隙間に目をやる。
まれに影が横切る。何かの影、それらはどこまでも自由で創造力に溢れており、彼らの優雅な努力はそういった美しい世界の秩序に向けて集中されているように見える。
影たちはその存在の理由を与えられている。
だから影は自由なのだと、彼はテーブルに置かれた目の前のロックグラスを見て思う。
2011年3月19日土曜日
3/19
彼はそのまま眠らずに、テーブルに置かれたタバコの、シールをめくり、一本取り出す、中指で先を軽くたたく。近視のぼやけた目で模様の有無もわからないまましばらく天井をぼんやり眺め、葉が詰まったであろう、気がする、タバコに、火をつける、添えられたマッチをこすり、寝ながら。
起き上がりコーヒーに口をつけ、また彼は受付の前を通り、今度はありがとうと言って、細い階段を下り、昼時の街に出る。どこに行くわけでもなく、朝よりは柔らかくなった日差しを背中に、黒いジャケットが暖まる、暑くなる前にどうしようかと考える、彼は友達に会いに行く。
彼は大学の建物が好きだ、それはどういった大学でもよかった。そこには意図的に演出された自由な空気、過剰に用意された見晴らしのよさ、吹き抜け、といった開放的な雰囲気があった、どんなところであっても。そして、まるでそれが絶対に必要だとでもいうように、そういった清々しさの逆の位相として、狭く暗く窮屈な部屋も存在する。彼は大学の建物が好きだ、建物というもの以外の一切とは無関係に。
「君はそうやって"渡る"のが好きなのか」
友達はデスクトップの作業を続けながら、彼に言った。
「いつ君は君の時間を生きている?」
「僕はいつも話しながら考え、考えながら聞き、聞きながら話して考えてる。だからこうしているのが一番生産的なつもりなんだよ、精神衛生的にもいい、と思ってるんだけどね、どうかな、先生」
「俺はそういったことについて何の専門性も持ち合わせていない、よく知ってると思うが。ただ君の道化っぷりには感動する、本当に酒と金を抜きにすれば、君ほど周りに微笑みを振りまく人間もいない」
「人間失格以前だけれど、ね」
「女を泣かせるほどの甲斐性はないんだろ」
「そんなに剛毅な人間じゃないよ、泣くのは勝手だけど」
「まぁそれだけ口が回るならいい、その調子で騒いでくれ。ここ以外で」
「みんな僕を追い出すんだ」
「でもみんな受け入れてるさ、つまり君は全員を相手に一気に暴れた方がいいんだよ、それをみんな楽しみにしてる」
「それができないんだ」
「俺は君に何か書けだなんていってるわけじゃない、パーティーでもなんでも、得意だろう」
「大嫌いだよ。大嫌いだから、叫いて暴れるんじゃないか」
「ご高説は堪能したよ、僕は授業がある、どうする」
「聴講するよ」
友達は研究室を出ていく。
彼はまた別の島を思い浮かべる。思い浮かぶまで。
起き上がりコーヒーに口をつけ、また彼は受付の前を通り、今度はありがとうと言って、細い階段を下り、昼時の街に出る。どこに行くわけでもなく、朝よりは柔らかくなった日差しを背中に、黒いジャケットが暖まる、暑くなる前にどうしようかと考える、彼は友達に会いに行く。
彼は大学の建物が好きだ、それはどういった大学でもよかった。そこには意図的に演出された自由な空気、過剰に用意された見晴らしのよさ、吹き抜け、といった開放的な雰囲気があった、どんなところであっても。そして、まるでそれが絶対に必要だとでもいうように、そういった清々しさの逆の位相として、狭く暗く窮屈な部屋も存在する。彼は大学の建物が好きだ、建物というもの以外の一切とは無関係に。
「君はそうやって"渡る"のが好きなのか」
友達はデスクトップの作業を続けながら、彼に言った。
「いつ君は君の時間を生きている?」
「僕はいつも話しながら考え、考えながら聞き、聞きながら話して考えてる。だからこうしているのが一番生産的なつもりなんだよ、精神衛生的にもいい、と思ってるんだけどね、どうかな、先生」
「俺はそういったことについて何の専門性も持ち合わせていない、よく知ってると思うが。ただ君の道化っぷりには感動する、本当に酒と金を抜きにすれば、君ほど周りに微笑みを振りまく人間もいない」
「人間失格以前だけれど、ね」
「女を泣かせるほどの甲斐性はないんだろ」
「そんなに剛毅な人間じゃないよ、泣くのは勝手だけど」
「まぁそれだけ口が回るならいい、その調子で騒いでくれ。ここ以外で」
「みんな僕を追い出すんだ」
「でもみんな受け入れてるさ、つまり君は全員を相手に一気に暴れた方がいいんだよ、それをみんな楽しみにしてる」
「それができないんだ」
「俺は君に何か書けだなんていってるわけじゃない、パーティーでもなんでも、得意だろう」
「大嫌いだよ。大嫌いだから、叫いて暴れるんじゃないか」
「ご高説は堪能したよ、僕は授業がある、どうする」
「聴講するよ」
友達は研究室を出ていく。
彼はまた別の島を思い浮かべる。思い浮かぶまで。
2011年3月18日金曜日
3/18-2
「諦めやすいところから始めた小説なわけですね」
対話の相手はそう言った。
「はい、そうです」
「なるほど、でもこれは本当に小説なのですか。つまり、これは小説の形で書かれるべきものであったのでしょうか」
「それは、わかりません。ただ、ぼくには、こうするしかなかったし、これ以外のことは僕の手に余ることだったのです」
「僕の手に余る」
彼(対話の相手)はカレの言葉の最後の部分を繰り返した。ボクノテニアマル。
「この文章の中であなたは、僕について言及しているという人たちがいますが、実際にそういう声があることでこのような場が設けられたわけですが、それは本当のことなのですか」
「はい、それは実際のことだと受け取られて仕方ないと考えています、現にだからこそ僕は今あなたとこうして話すことになっているのですから」
「そう、私はあなたの話の中に登場させられてしまっている、これは私にはどうしようもないことです、私にはそのことについて、それを受理する権利も拒否する自由も最初から与えられていません。剥奪以前に、権利と自由を与えられるべき主体もない、実体的な存在すら許されていないのですから」
「でも、あなたはここに存在しています。これはある意図をもって書かれているのであり、それは何かの染みとなって存在し、その染みは何かの模様として理解される、もしくは何も認められない、どちらにしても何ものかとして見られるのです」
「それはいいでしょう、それはそういうことだとして話を続けましょう。そしてここであなたは僕に何を話させ、あなたは僕を相手に何をしたいのですか?」
「まず、こうしてあなたにばかり質問をさせて、僕が答える、という形式になっていることを謝りたいと思います。これは本質的なことではありません、僕の能力が、あなたとのもっと有機的な交わりを達成させるには十分ではない、そのために起こっていることです」
「かまいません、僕はすべてを諦めてしまってますし、受け入れているつもりです」
「ありがとうございます。まず最初に、ここに出てくるあなたは、決してあなたじゃないといけなかったわけではありません、これは最初の前提ですが、そこにおいてはそうなのです。まず、僕には相手が必要だった。それはひとつの装置であり、僕はその装置によって、この中の言葉たちの想像力を飛躍させる必要がありました。言葉たちが死ぬ前に、彼らに新しい空気を送り込む必要があったのです。だから僕は誰かと話さなければならなかった、僕として。そして次に、ここであなたでなくてはいけなかったわけですが、あなたの瑞々しい文章、今の僕たちを絡め取り、また自由にし、同時に束縛している、そのようなあなたの言葉と対峙したかったのです。それは何か大義のようなものかもしれません、僕が勝手に感じている。これも僕にとっては、言葉たちのためです。あなたの世界と枠組みにぶつかることで、ぼくは目から星が出るようなことはないか期待しているのです。僕の体がばらばらになってしまっても、何かワープできる世界が現れないものかと。まったく違う次元というのが、別の世界に存在しないのかということを。」
「そんなに素直に語って大丈夫なのですか。あなたが今語ったことは、僕の世界に対してというよりも前に、あなた自身を殺す行為のように見えます。何事もある程度取り繕わなければ、それはただの塵になってしまう。少しの風の前に消えてしまう、弱いものになってしまう。その怖さはないのですか」
「そんなふうにあなたに言わせてしまっていることが申し訳なくなります。そうです、これではまた何かしらけてしまう。だからまた何か考えます。そのときはまた協力してください、ぼくの身勝手のすべてに」
そうして対話は終えられた。言葉がまたもう一度死にかけたから。
対話の相手はそう言った。
「はい、そうです」
「なるほど、でもこれは本当に小説なのですか。つまり、これは小説の形で書かれるべきものであったのでしょうか」
「それは、わかりません。ただ、ぼくには、こうするしかなかったし、これ以外のことは僕の手に余ることだったのです」
「僕の手に余る」
彼(対話の相手)はカレの言葉の最後の部分を繰り返した。ボクノテニアマル。
「この文章の中であなたは、僕について言及しているという人たちがいますが、実際にそういう声があることでこのような場が設けられたわけですが、それは本当のことなのですか」
「はい、それは実際のことだと受け取られて仕方ないと考えています、現にだからこそ僕は今あなたとこうして話すことになっているのですから」
「そう、私はあなたの話の中に登場させられてしまっている、これは私にはどうしようもないことです、私にはそのことについて、それを受理する権利も拒否する自由も最初から与えられていません。剥奪以前に、権利と自由を与えられるべき主体もない、実体的な存在すら許されていないのですから」
「でも、あなたはここに存在しています。これはある意図をもって書かれているのであり、それは何かの染みとなって存在し、その染みは何かの模様として理解される、もしくは何も認められない、どちらにしても何ものかとして見られるのです」
「それはいいでしょう、それはそういうことだとして話を続けましょう。そしてここであなたは僕に何を話させ、あなたは僕を相手に何をしたいのですか?」
「まず、こうしてあなたにばかり質問をさせて、僕が答える、という形式になっていることを謝りたいと思います。これは本質的なことではありません、僕の能力が、あなたとのもっと有機的な交わりを達成させるには十分ではない、そのために起こっていることです」
「かまいません、僕はすべてを諦めてしまってますし、受け入れているつもりです」
「ありがとうございます。まず最初に、ここに出てくるあなたは、決してあなたじゃないといけなかったわけではありません、これは最初の前提ですが、そこにおいてはそうなのです。まず、僕には相手が必要だった。それはひとつの装置であり、僕はその装置によって、この中の言葉たちの想像力を飛躍させる必要がありました。言葉たちが死ぬ前に、彼らに新しい空気を送り込む必要があったのです。だから僕は誰かと話さなければならなかった、僕として。そして次に、ここであなたでなくてはいけなかったわけですが、あなたの瑞々しい文章、今の僕たちを絡め取り、また自由にし、同時に束縛している、そのようなあなたの言葉と対峙したかったのです。それは何か大義のようなものかもしれません、僕が勝手に感じている。これも僕にとっては、言葉たちのためです。あなたの世界と枠組みにぶつかることで、ぼくは目から星が出るようなことはないか期待しているのです。僕の体がばらばらになってしまっても、何かワープできる世界が現れないものかと。まったく違う次元というのが、別の世界に存在しないのかということを。」
「そんなに素直に語って大丈夫なのですか。あなたが今語ったことは、僕の世界に対してというよりも前に、あなた自身を殺す行為のように見えます。何事もある程度取り繕わなければ、それはただの塵になってしまう。少しの風の前に消えてしまう、弱いものになってしまう。その怖さはないのですか」
「そんなふうにあなたに言わせてしまっていることが申し訳なくなります。そうです、これではまた何かしらけてしまう。だからまた何か考えます。そのときはまた協力してください、ぼくの身勝手のすべてに」
そうして対話は終えられた。言葉がまたもう一度死にかけたから。
3/18
ファッションでわざわざこんなポーズをとっているわけではなかった。
ファッションならいつか終わりもくる、流行もピークとジ・エンドがある、それなら話はとても楽で、こうして彼が思い悩むなんていうことはそもそもない。時の流れに身を任せて、時の過ぎゆくままに、人と人の間をすり抜けて、一言二言の挨拶をしながら、笑っていれば、何も考えなくても、生きていける。それができないというところに彼の本質があって、それが本当の悩みであり、だからこそ彼はまた生かされている、意味を見いだされてるという今の現状がある。
「書けない作家の誕生の話をしよう」
彼は誰かに何かを聞かれたときに、何度かそう答えている。
書けない作家は、ある日突然として生まれた。
書けない作家は、それまでいくつもの物語を語ろうとし、いくつもの紙にいくつもの文字を書き記して、そうして出来上がるはずのいくつもの小説を、あるときは友達に、あるときは恋人に、聞かせ、そのたびに「へぇ」とか「そうなんだ」とかいう返事を受け取って、また自分の机に向かってきた。
しかし作家の書くものはどれもぜんぶ途中でその筆が止まってしまい、物語は最後に向けて進むにつれていつのまにか消尽してしまった。コットンに染みた液体で唇や目蓋の化粧を落としていくように、どんどんその濃度が奪い取られ、最後には、最初から何もなかったかのようにすべてが消尽されつくしてしまう。
作家はその度に泣き、悩み、悲しみの国に帰りたいと叫ぶ、なぜならそこには「はじめから悲しみがないからだ!」と叫き、彼はしかし悲しみの国への戻り道を忘れてしまっているため、そしてやはりそこには帰りたくないと思っているためか、ズボンをはき、上着にタバコを押し込んで、昼と夜がある世界、悲しみも喜びも忘れた世界に飛び込んでいく。切り立った崖の先から、空一色の空に向かって、そのまま海の波の間に落ちていくように。
だからやはり書けない作家はある日突然生まれた、というわけではなかった。
彼はいくつかの涙の国を渡り、冷たい風に逆らい、たどりついた新しい国で、恋をし、冒険に出かけ、深く悩み考え、言葉を語り、途中で何も言えなくなり、下を向いて首を振り、自分を責め、ときには誰かの頬を叩き、自分の足を殴り、天を仰ぎ、太陽の眩しさに迷い、国を去り、また新しい土地に向けて歩を進めてきたのだった。そしてその旅はまだ続くのだろう。
「書かないことは、決して書くこととは違う。そう、君はそれを当然だと思うだろう?確かにその通りだ、書かないことは、書くことじゃない。でもね、結局どっちだって同じだという瞬間がある、ぼくはその瞬間を頂点にして、振り子のように揺れているんだ。書いても書かなくても、こうして僕が君に話すときに話す内容は、あまり変わらないだろう、わかるかい、僕はとても諦めやすい、諦めやす過ぎるんだ。誰かが疲れやすいのと同じようにね」
「そう、もうひとつ付け足しておきたいな。誰かが、自分があまりに疲れやすいことから何かを話すことが出来たように、僕も自分がとても諦めやすいことから何かのお話が出来ないかと思っている。それが今の僕です、ありがとう」
ファッションならいつか終わりもくる、流行もピークとジ・エンドがある、それなら話はとても楽で、こうして彼が思い悩むなんていうことはそもそもない。時の流れに身を任せて、時の過ぎゆくままに、人と人の間をすり抜けて、一言二言の挨拶をしながら、笑っていれば、何も考えなくても、生きていける。それができないというところに彼の本質があって、それが本当の悩みであり、だからこそ彼はまた生かされている、意味を見いだされてるという今の現状がある。
「書けない作家の誕生の話をしよう」
彼は誰かに何かを聞かれたときに、何度かそう答えている。
書けない作家は、ある日突然として生まれた。
書けない作家は、それまでいくつもの物語を語ろうとし、いくつもの紙にいくつもの文字を書き記して、そうして出来上がるはずのいくつもの小説を、あるときは友達に、あるときは恋人に、聞かせ、そのたびに「へぇ」とか「そうなんだ」とかいう返事を受け取って、また自分の机に向かってきた。
しかし作家の書くものはどれもぜんぶ途中でその筆が止まってしまい、物語は最後に向けて進むにつれていつのまにか消尽してしまった。コットンに染みた液体で唇や目蓋の化粧を落としていくように、どんどんその濃度が奪い取られ、最後には、最初から何もなかったかのようにすべてが消尽されつくしてしまう。
作家はその度に泣き、悩み、悲しみの国に帰りたいと叫ぶ、なぜならそこには「はじめから悲しみがないからだ!」と叫き、彼はしかし悲しみの国への戻り道を忘れてしまっているため、そしてやはりそこには帰りたくないと思っているためか、ズボンをはき、上着にタバコを押し込んで、昼と夜がある世界、悲しみも喜びも忘れた世界に飛び込んでいく。切り立った崖の先から、空一色の空に向かって、そのまま海の波の間に落ちていくように。
だからやはり書けない作家はある日突然生まれた、というわけではなかった。
彼はいくつかの涙の国を渡り、冷たい風に逆らい、たどりついた新しい国で、恋をし、冒険に出かけ、深く悩み考え、言葉を語り、途中で何も言えなくなり、下を向いて首を振り、自分を責め、ときには誰かの頬を叩き、自分の足を殴り、天を仰ぎ、太陽の眩しさに迷い、国を去り、また新しい土地に向けて歩を進めてきたのだった。そしてその旅はまだ続くのだろう。
「書かないことは、決して書くこととは違う。そう、君はそれを当然だと思うだろう?確かにその通りだ、書かないことは、書くことじゃない。でもね、結局どっちだって同じだという瞬間がある、ぼくはその瞬間を頂点にして、振り子のように揺れているんだ。書いても書かなくても、こうして僕が君に話すときに話す内容は、あまり変わらないだろう、わかるかい、僕はとても諦めやすい、諦めやす過ぎるんだ。誰かが疲れやすいのと同じようにね」
「そう、もうひとつ付け足しておきたいな。誰かが、自分があまりに疲れやすいことから何かを話すことが出来たように、僕も自分がとても諦めやすいことから何かのお話が出来ないかと思っている。それが今の僕です、ありがとう」
2011年3月16日水曜日
écrivain qui ne peut pas écrire.
暗闇の中を必死で駆けている。あと少しで手の届きそうなイメージ、触れたと思えた瞬間に指の間をすり抜けていく影、それをつかみたくて、どこまでも続くだろう暗闇と同化した影の裾を、必死で走り、追いかけては手を伸ばし、つかもうとして、また手を落とし、スピードの中で、両足がバランスを失い、上半身が前へ投げ出され、ひっくり返り、背中から地面に倒れるまで、彼は影を追いかける。それは崇高なメッセージなのか、それとも純粋な美しさの結晶なのか、つまらない愛なのか、場末の暴力なのか、それらに見いだせる一編の詩、イメージのコラージュ、なのか、彼はまだ、その影をつかめないでいる。
飲み過ぎたウイスキーのせいで、額が汗ばんでいる。このまま昼前までは騒ぎ続けるだろうクラブを抜け出て、入り口すぐの壁に体をぶつけて、彼は地上への狭い階段をふらふらと上がる。朝が早いといってもその青白い景色、光は、目を射す。彼はジャケットの胸ポケットからサングラスを取り出し、かけて、タバコに火をつけ、この狭い路地から大通りに出る。
たどり着いたビルの、また狭い階段を上がり、二階、ガラスの重たいドアを体当たりして押し、中に入る、受付の前を左へ、受付の声は無視して、誰もいないときには開け放してある応接室に、ソファ、体を放り投げて、天井を見、サングラスをテーブルに投げ、手の甲を顔にのせる。
「会社は48時間あいてますけどね、大先生、そんな酒の臭いばかり持ってこられても困るのよ、わかっててやってるんだろうけど」
「ボクが酒以外の何かを持ってきたことなんてあるんだろうか」
「そうですね、いつか、そうね、何でもいいから何か、原稿みたいなものでも持ってきてくれません?」
「ボクは書かないんじゃない、書けないんだ、何も、一切、書けない作家なんだよ、ご承知の通り」
「いつか飽きられる」
「書かないんじゃない、書けないんだ。ボクは十分誠実にやっているさ、その限り、酒ぐらい飲めるよ」
「世の中いろんな人がいるし、妙な名前の職業もたくさんある、あなた一人ぐらいの席はあると思うわ、それでも、本当に、何か読ませてくれないかしら、頭の中の何か少しでも文字に起こすだけでいいんだけれど」
「小説を書いてこそだ、そうじゃなければ、作家に発言権など生まれないよ」
「あなたが作家さんだとすればね、まぁいいです、今日はアポイントメントも何もないから、何かが起きてこの部屋が必要になるまでは、そうしててください。必要になったら窓から突き落として出て行ってもらいますから」
「めふすぃーボクぅ」
「ねぇ」
去りかけた彼女の背中に声をかける、彼女は振り向き「はい?」
「コーヒー、それとタバコ、ピースを」
「あきれた」
飲み過ぎたウイスキーのせいで、額が汗ばんでいる。このまま昼前までは騒ぎ続けるだろうクラブを抜け出て、入り口すぐの壁に体をぶつけて、彼は地上への狭い階段をふらふらと上がる。朝が早いといってもその青白い景色、光は、目を射す。彼はジャケットの胸ポケットからサングラスを取り出し、かけて、タバコに火をつけ、この狭い路地から大通りに出る。
たどり着いたビルの、また狭い階段を上がり、二階、ガラスの重たいドアを体当たりして押し、中に入る、受付の前を左へ、受付の声は無視して、誰もいないときには開け放してある応接室に、ソファ、体を放り投げて、天井を見、サングラスをテーブルに投げ、手の甲を顔にのせる。
「会社は48時間あいてますけどね、大先生、そんな酒の臭いばかり持ってこられても困るのよ、わかっててやってるんだろうけど」
「ボクが酒以外の何かを持ってきたことなんてあるんだろうか」
「そうですね、いつか、そうね、何でもいいから何か、原稿みたいなものでも持ってきてくれません?」
「ボクは書かないんじゃない、書けないんだ、何も、一切、書けない作家なんだよ、ご承知の通り」
「いつか飽きられる」
「書かないんじゃない、書けないんだ。ボクは十分誠実にやっているさ、その限り、酒ぐらい飲めるよ」
「世の中いろんな人がいるし、妙な名前の職業もたくさんある、あなた一人ぐらいの席はあると思うわ、それでも、本当に、何か読ませてくれないかしら、頭の中の何か少しでも文字に起こすだけでいいんだけれど」
「小説を書いてこそだ、そうじゃなければ、作家に発言権など生まれないよ」
「あなたが作家さんだとすればね、まぁいいです、今日はアポイントメントも何もないから、何かが起きてこの部屋が必要になるまでは、そうしててください。必要になったら窓から突き落として出て行ってもらいますから」
「めふすぃーボクぅ」
「ねぇ」
去りかけた彼女の背中に声をかける、彼女は振り向き「はい?」
「コーヒー、それとタバコ、ピースを」
「あきれた」
2011年3月15日火曜日
3/15
丘の上に金色の陽が射し、少し乾いた緑の木々やなだらかなアーチを描く空、伸びた雲、空気が、輝く。
日差しは暖かく、それでも透明な冷気の中を、ボクは丘の上に向かって歩いた。
彼女は白いワンピースの上から丈の短いローブをかぶり、赤いフードの隙間から栗色の髪を出している。
彼女は耕地に向かって、種を蒔く。
腕にかけた籠に手をいれて、空に向かって種を散らす。
その蒔き方は如何にも絵に描いたような、架空のものだったけれど、その種はきっと芽を吹くだろう。
陽光に照らされた彼女の笑顔は、その未来を何よりも期待させるものだった。
ボクは毛羽だったマフラーをずらし、顔を空気の中に出す。
「精がでますね」
彼女はすっと、振り返り、こちらに応えた。
「そうなんです。きっと、彼らはよく育ちます。だって、こんなに美しい景色の中なんですから」
彼女はそして、また、続ける。
それは永遠とも思える時間、動かない、永久のヴィジョンだった。
「」
日差しは暖かく、それでも透明な冷気の中を、ボクは丘の上に向かって歩いた。
彼女は白いワンピースの上から丈の短いローブをかぶり、赤いフードの隙間から栗色の髪を出している。
彼女は耕地に向かって、種を蒔く。
腕にかけた籠に手をいれて、空に向かって種を散らす。
その蒔き方は如何にも絵に描いたような、架空のものだったけれど、その種はきっと芽を吹くだろう。
陽光に照らされた彼女の笑顔は、その未来を何よりも期待させるものだった。
ボクは毛羽だったマフラーをずらし、顔を空気の中に出す。
「精がでますね」
彼女はすっと、振り返り、こちらに応えた。
「そうなんです。きっと、彼らはよく育ちます。だって、こんなに美しい景色の中なんですから」
彼女はそして、また、続ける。
それは永遠とも思える時間、動かない、永久のヴィジョンだった。
「」
2011年3月14日月曜日
3/14 épisode supplémentaire.
彼女はぞっとした。
今日のその災害、危機で、またすべてが隠されてしまうことに。
この事件に立ち会う全員が、人類愛やヒューマニティといった文学の世界に入り込んでしまう。
物質的な構造は何も変わらないのに!
「この国はきっと愛の中で死んでいくのよ。でも死にかけたらまた、息を吹き返すの、せっかく溺れかけたのに、また海面に顔を出すように。本当に、救われない場所だわ」
今日のその災害、危機で、またすべてが隠されてしまうことに。
この事件に立ち会う全員が、人類愛やヒューマニティといった文学の世界に入り込んでしまう。
物質的な構造は何も変わらないのに!
「この国はきっと愛の中で死んでいくのよ。でも死にかけたらまた、息を吹き返すの、せっかく溺れかけたのに、また海面に顔を出すように。本当に、救われない場所だわ」
2011年3月12日土曜日
mémoire "3/11"
大きなことが一気におこり、多くのことが一度におこった。
何かがどうであるとか、何かがどうなるということを軽々に言うのは、今は難しい。
そういった言葉の氾濫で、目の前の本当に必要なことを取り逃がしてしまうかもしれないから。
ただ、これが、今までのボクたち、そしてこれからのボクたちにとって、どういうものであるのかを考える、そしてやがてどういうものであったのかを考えるときが来る、そのときのために、今のこの現在を見なければならない。そして、思わなければならない。
世界の全員の前で<見られた>この出来事を、その全景を。
何かがどうであるとか、何かがどうなるということを軽々に言うのは、今は難しい。
そういった言葉の氾濫で、目の前の本当に必要なことを取り逃がしてしまうかもしれないから。
ただ、これが、今までのボクたち、そしてこれからのボクたちにとって、どういうものであるのかを考える、そしてやがてどういうものであったのかを考えるときが来る、そのときのために、今のこの現在を見なければならない。そして、思わなければならない。
世界の全員の前で<見られた>この出来事を、その全景を。
2011年3月11日金曜日
3/11
彼女がどうやって生きていたかということを説明するのは、それほど難しいことではない。彼女はいつも「病い」に全身を蝕まれていた。彼女はそのために死ぬだろう。それは名前のない病、彼女が空想しそのために死のうと決めた装置だった。それによって彼女は生きることを可能にしたのだった。
彼女は自分が死ぬことを、それは何の結果も残さないということを考えていたのかもしれない。
ボクは大学の入学者のパーティーで彼女を知った。ボクは、何度も言うようだが彼女の声にそのすべてを見て、とらわれてしまったのだった。彼女の声は語っていた、いや何も語らなかった、彼女の会話は「えぇ」「ありがとう」「同じ地元です」というだけのものだった。彼女の姿を見る前に、ボクは彼女に話しかけた。「あの」「えぇ」「飲み物、どうですか」「ありがとう、でも、あります」「そうですね」「ありがとう」「えぇ」「あの」「はい」「学部は」「○○です」「あなたは」「××」「でも同じキャンパス」「えぇ」「ここはお酒が飲めないみたい」「えぇ」「よければ外に出ませんか」「えぇ」「どこか」
ボクと彼女は建物を出て、少し歩いて、どこかのカフェに入った。ソファの席も空いていたけれど、彼女は店員にタバコの吸えるところを聞いて、ボクたちは隅のほうの小さなテーブルに座った。
彼女はハートランドを選んだので、ボクはグラスを二つ頼んだ。
「タバコは吸うの」「いや」「吸わない」「もらってもいいかな」「どうぞ」
ボクは彼女のピースにマッチで火をつけて、ゆっくり煙を吸って、壁にふっと吐いた。
「何で○○にしたの」
「それ以外になかったんだ、きみは」
「何も考えられなかったのよ、何もね」
彼女は自分が死ぬことを、それは何の結果も残さないということを考えていたのかもしれない。
ボクは大学の入学者のパーティーで彼女を知った。ボクは、何度も言うようだが彼女の声にそのすべてを見て、とらわれてしまったのだった。彼女の声は語っていた、いや何も語らなかった、彼女の会話は「えぇ」「ありがとう」「同じ地元です」というだけのものだった。彼女の姿を見る前に、ボクは彼女に話しかけた。「あの」「えぇ」「飲み物、どうですか」「ありがとう、でも、あります」「そうですね」「ありがとう」「えぇ」「あの」「はい」「学部は」「○○です」「あなたは」「××」「でも同じキャンパス」「えぇ」「ここはお酒が飲めないみたい」「えぇ」「よければ外に出ませんか」「えぇ」「どこか」
ボクと彼女は建物を出て、少し歩いて、どこかのカフェに入った。ソファの席も空いていたけれど、彼女は店員にタバコの吸えるところを聞いて、ボクたちは隅のほうの小さなテーブルに座った。
彼女はハートランドを選んだので、ボクはグラスを二つ頼んだ。
「タバコは吸うの」「いや」「吸わない」「もらってもいいかな」「どうぞ」
ボクは彼女のピースにマッチで火をつけて、ゆっくり煙を吸って、壁にふっと吐いた。
「何で○○にしたの」
「それ以外になかったんだ、きみは」
「何も考えられなかったのよ、何もね」
2011年3月10日木曜日
3/10
彼女の隣でボクは毎日、その言葉を書き留めていた。彼女の手振り、何を飲み何を食べ、誰と会い何を話し、ボクに何を言い、寝て、起きて、また生きる彼女を、ボクは黒いモレスキンに記し続けた。
毎夜ボクが手帳を横にラップトップに向かっていると、彼女は、そう本当に毎夜ボクに聞く、同じことを。「一度書いたものを、また書き直して、何の意味があるの」ボクはいつも同じように、ときには少し変えて、答える「同じものはふたつとしてない、ボクは昼間に毎日を書き、夜にそのすべてを新しく書いているんだ。夜、ボクの頭の中で映し出されるもの、それが書かれるということ、それがボクにとってのキミの真実なんだよ」
そうすると彼女は笑って、ベッドの上で背中を向ける。ボクはいつも同じ調子、同じタイミングで「おやすみ」と言い、彼女は、そして眠る。
「すべての問題、問題のすべては、老人たちが席をどかないことにある。彼らが席を譲らないこと、譲る気のないこと、それが現在の私たちの壁になっているのよ。私たちが常に低い温度の生に止め置かれて、身動きも出来ず、生きていこうとする前に殺されてしまうのは、彼らが彼らの生活、彼らの暖炉のことしか考えないから。彼らは全員の資源をまず取り上げて、そのあまりを私たちに与える。これが、今月分のこづかいだ、と言わないばかりにね。私たちは生かされているのよ、優しい老人たちに。彼らは死なないといけない。私たちはそこからやっと生きていけるの、責任をもってね」
彼女はネットワークというものの性質、紐帯ということの本質を理解しているように思う、もしくはその感性を持っている。彼女はいつも二人か三人の人間に何かを語り、決して大勢の前で話すということをしない。ひとつひとつの意見や問題を丁寧に解いて、相手と自分を共有させていく。そうして彼女は彼ら彼女らの象徴となっていく。
「英雄のいらない世界。何を語るかよりも、如何に語るかが大事な世界。その世界を壊してしまいたいの。私はもう一度、社会が科学と神話の間にあった時代を蘇らせたいのよ。風刺に悪魔を登場させるの、その必要があるのね」
「男根に消費されてもいいの。だって結局、女が何かしてあげないと、たたないんでしょ、男って人たちはさ」
毎夜ボクが手帳を横にラップトップに向かっていると、彼女は、そう本当に毎夜ボクに聞く、同じことを。「一度書いたものを、また書き直して、何の意味があるの」ボクはいつも同じように、ときには少し変えて、答える「同じものはふたつとしてない、ボクは昼間に毎日を書き、夜にそのすべてを新しく書いているんだ。夜、ボクの頭の中で映し出されるもの、それが書かれるということ、それがボクにとってのキミの真実なんだよ」
そうすると彼女は笑って、ベッドの上で背中を向ける。ボクはいつも同じ調子、同じタイミングで「おやすみ」と言い、彼女は、そして眠る。
「すべての問題、問題のすべては、老人たちが席をどかないことにある。彼らが席を譲らないこと、譲る気のないこと、それが現在の私たちの壁になっているのよ。私たちが常に低い温度の生に止め置かれて、身動きも出来ず、生きていこうとする前に殺されてしまうのは、彼らが彼らの生活、彼らの暖炉のことしか考えないから。彼らは全員の資源をまず取り上げて、そのあまりを私たちに与える。これが、今月分のこづかいだ、と言わないばかりにね。私たちは生かされているのよ、優しい老人たちに。彼らは死なないといけない。私たちはそこからやっと生きていけるの、責任をもってね」
彼女はネットワークというものの性質、紐帯ということの本質を理解しているように思う、もしくはその感性を持っている。彼女はいつも二人か三人の人間に何かを語り、決して大勢の前で話すということをしない。ひとつひとつの意見や問題を丁寧に解いて、相手と自分を共有させていく。そうして彼女は彼ら彼女らの象徴となっていく。
「英雄のいらない世界。何を語るかよりも、如何に語るかが大事な世界。その世界を壊してしまいたいの。私はもう一度、社会が科学と神話の間にあった時代を蘇らせたいのよ。風刺に悪魔を登場させるの、その必要があるのね」
「男根に消費されてもいいの。だって結局、女が何かしてあげないと、たたないんでしょ、男って人たちはさ」
2011年3月8日火曜日
胎動-Femme Fatale.
このウラブレタ世界にも、政治の季節というものはやってくるらしい。
粗雑なタペストリー、瑕だらけのパッチワークのような文法は、システムのリセットという処置でしかもうその健康を回復できないところにあった。栄光の時代に蓄えた財産、それが尽きようとしているとき、幸福な泥濘がその温かさを失って冷たい汚泥に変わり始めるとき、最初に飢えて死にゆく者たちは、自分たちの支配者を引きずり降ろそうとしてうごめく。彼らのか細い手は何万もの束になり、青白い腕は集団的狂気の中で暴走し凶暴に振る舞う。
老人たちは彼らを抑圧するだろう。彼らはあらゆる権威と権力、それの根拠としての暴力のすべてを持っているのだから。しかし弱き者たちは、彼らが思うよりも、やはり体力を持っていた。若さという唯一の資本が、文明以前の純粋な力が、歴史を壊す、それは一定の周期で繰り返されてきた、それもまた歴史の過程の一つだ。
しかしそれはもう少し先の話だ、今はまだ、そう、政治の季節が始まろうとしている、その冬の話だ。
彼女は街を歩く。建物、ファッション、公共芸術、人間、目に入るものの美醜を確かめて、その色彩の多様性に満足する。なんて幸せな世界だ。いくつかの悲しみなんて、この豊かさの前には隠されている。あぁ温かい泥舟、私たちは寝たきりの生を充実させている。ロボトミーの幸福、すばらしい天国じゃない。
彼女はこの幸福を、暴力の源流にしたい。この幸せには未来がないこと、この幸せは実は老人たちによって搾取されてしまっていること、彼女たちは本来自分たちが得るべきものを得ていないということ、それを彼女は語ろうとしている。
牢獄に閉じ込められている幸福な囚人たちに、あの監視塔を破壊させること。それがなされなければならないという理想に彼女は身を投じようとしている。
なぜなら彼女には愛おしいものなどなにもないから、いや、その不在は自分自身の問題、つまり自分というものがあまりにただのフィギュアァ、形相としての存在だとしか思っていない、それゆえに彼女は、他のすべてを愛おしく思えた。世界はもっと美しくなっていいと思えた、当然の権利は当然となされるべきだと、そう思うのだった。
彼女は家へ帰る。寝ている男や女たちのすきまに体を埋めて、少し眠る。
地獄の季節の始まりを、その子宮に抱えて。
粗雑なタペストリー、瑕だらけのパッチワークのような文法は、システムのリセットという処置でしかもうその健康を回復できないところにあった。栄光の時代に蓄えた財産、それが尽きようとしているとき、幸福な泥濘がその温かさを失って冷たい汚泥に変わり始めるとき、最初に飢えて死にゆく者たちは、自分たちの支配者を引きずり降ろそうとしてうごめく。彼らのか細い手は何万もの束になり、青白い腕は集団的狂気の中で暴走し凶暴に振る舞う。
老人たちは彼らを抑圧するだろう。彼らはあらゆる権威と権力、それの根拠としての暴力のすべてを持っているのだから。しかし弱き者たちは、彼らが思うよりも、やはり体力を持っていた。若さという唯一の資本が、文明以前の純粋な力が、歴史を壊す、それは一定の周期で繰り返されてきた、それもまた歴史の過程の一つだ。
しかしそれはもう少し先の話だ、今はまだ、そう、政治の季節が始まろうとしている、その冬の話だ。
彼女は街を歩く。建物、ファッション、公共芸術、人間、目に入るものの美醜を確かめて、その色彩の多様性に満足する。なんて幸せな世界だ。いくつかの悲しみなんて、この豊かさの前には隠されている。あぁ温かい泥舟、私たちは寝たきりの生を充実させている。ロボトミーの幸福、すばらしい天国じゃない。
彼女はこの幸福を、暴力の源流にしたい。この幸せには未来がないこと、この幸せは実は老人たちによって搾取されてしまっていること、彼女たちは本来自分たちが得るべきものを得ていないということ、それを彼女は語ろうとしている。
牢獄に閉じ込められている幸福な囚人たちに、あの監視塔を破壊させること。それがなされなければならないという理想に彼女は身を投じようとしている。
なぜなら彼女には愛おしいものなどなにもないから、いや、その不在は自分自身の問題、つまり自分というものがあまりにただのフィギュアァ、形相としての存在だとしか思っていない、それゆえに彼女は、他のすべてを愛おしく思えた。世界はもっと美しくなっていいと思えた、当然の権利は当然となされるべきだと、そう思うのだった。
彼女は家へ帰る。寝ている男や女たちのすきまに体を埋めて、少し眠る。
地獄の季節の始まりを、その子宮に抱えて。
2011年3月2日水曜日
"alt" 3/1
知らない間に、ここに来た。来ていた、と言いたい。そう、そんなふうに言いたい。
知らない場所、そんな言い方はきっと誠実じゃないかもしれないし、言いたくない、言いたくないけれど、私は知らない間にこういう知らない場所に来たんだと、思う、いや、思わない、ただ、今はそう言いたいというだけ。わかってる。
重い音の壁、分厚い真綿、誰も聞いていない音楽、大音量の音楽が全員の頭を支配している。なぜならそれは、みんな、支配されたいと願っているから、みんなここではプログラムされたいから、踊る人形、酒と男と女と夜。クラブを上手に楽しんだりできるほど、そんなに誰も野暮じゃない。仲間でだなんて狂ってる。匿名の中で狂うこと、それだけがこんなところの価値なのに。
彼女はここに来る前に飲んだワインでじゅうぶん酔っていた。仕事終わりで飲みにいく、ということの意味は十分果たしていた。それより後の時間というのは、結局、誰にとっても、いつも、余分でしかない。それは余分に作られた余分な時間で、意味のないことを意味もなく繰り返す時間だ。そう、余分に意味なんてない。だってはじめからそんなものは存在するはずもなかった、存在しないし、これからも存在しないものだ、意味のない、そう、意味がない、だからそこには本当に、意味なんてないのだ。彼女は余分に飲んだギムレットに任せて、勝手な一般論を説明する、自分に、そして世界に。
「外いく?」
決まり切ったつまらない展開に身を任せてしまうのは、なぜだろう。余分な酒も、余分なセックスも、そこにはないも同然なのに、つい飲んでしまう、寝てしまう、いや、寝ない、同じだ、何かに自分を埋め込んで、定型化して、明日はきっとよく眠れると想像する。そう、それだけ。明日が晴れて、いや、物憂げでも落ち着くような気持ちのいい曇り空が見たい、それが動機、今日、自分を放り投げるための、道ばたに自分を捨ててしまうための、明日を大事にするために、今日は自分を素敵に汚そう、そのほうがこのまま今日が終わるよりもずっと今日に色をつけられる。何でもいい、白紙じゃなければ。
友達の友達に抱かれながら思う。
横浜で育って、東京で結婚して、彼が実家の仕事に戻るのと同じにここに来た。
作り上げるものなんてなく、家庭と仕事、遊び場、用意されたものはとてもよくできていて、それにまだ、私はそれ以外の何かを見つけるためには、本当に来たばかりの、stranger。stranger in
帰りには約束通り友達の家によっていこう。今のことはきっと彼女を幻滅させるだろう。彼女は軽蔑さえしないだろうけれど、自分への敬意だとかそういうもののなさに落ち込むかもしれない。余分なこと、そんな話はできないだろうから。
今の今は誰のことも考えたくない。明日、ベランダから雲を見る。それが今の私のすべてだ。ラブホテルの天井、そんな私の今の。
知らない場所、そんな言い方はきっと誠実じゃないかもしれないし、言いたくない、言いたくないけれど、私は知らない間にこういう知らない場所に来たんだと、思う、いや、思わない、ただ、今はそう言いたいというだけ。わかってる。
重い音の壁、分厚い真綿、誰も聞いていない音楽、大音量の音楽が全員の頭を支配している。なぜならそれは、みんな、支配されたいと願っているから、みんなここではプログラムされたいから、踊る人形、酒と男と女と夜。クラブを上手に楽しんだりできるほど、そんなに誰も野暮じゃない。仲間でだなんて狂ってる。匿名の中で狂うこと、それだけがこんなところの価値なのに。
彼女はここに来る前に飲んだワインでじゅうぶん酔っていた。仕事終わりで飲みにいく、ということの意味は十分果たしていた。それより後の時間というのは、結局、誰にとっても、いつも、余分でしかない。それは余分に作られた余分な時間で、意味のないことを意味もなく繰り返す時間だ。そう、余分に意味なんてない。だってはじめからそんなものは存在するはずもなかった、存在しないし、これからも存在しないものだ、意味のない、そう、意味がない、だからそこには本当に、意味なんてないのだ。彼女は余分に飲んだギムレットに任せて、勝手な一般論を説明する、自分に、そして世界に。
「外いく?」
決まり切ったつまらない展開に身を任せてしまうのは、なぜだろう。余分な酒も、余分なセックスも、そこにはないも同然なのに、つい飲んでしまう、寝てしまう、いや、寝ない、同じだ、何かに自分を埋め込んで、定型化して、明日はきっとよく眠れると想像する。そう、それだけ。明日が晴れて、いや、物憂げでも落ち着くような気持ちのいい曇り空が見たい、それが動機、今日、自分を放り投げるための、道ばたに自分を捨ててしまうための、明日を大事にするために、今日は自分を素敵に汚そう、そのほうがこのまま今日が終わるよりもずっと今日に色をつけられる。何でもいい、白紙じゃなければ。
友達の友達に抱かれながら思う。
横浜で育って、東京で結婚して、彼が実家の仕事に戻るのと同じにここに来た。
作り上げるものなんてなく、家庭と仕事、遊び場、用意されたものはとてもよくできていて、それにまだ、私はそれ以外の何かを見つけるためには、本当に来たばかりの、stranger。stranger in
帰りには約束通り友達の家によっていこう。今のことはきっと彼女を幻滅させるだろう。彼女は軽蔑さえしないだろうけれど、自分への敬意だとかそういうもののなさに落ち込むかもしれない。余分なこと、そんな話はできないだろうから。
今の今は誰のことも考えたくない。明日、ベランダから雲を見る。それが今の私のすべてだ。ラブホテルの天井、そんな私の今の。
2011年3月1日火曜日
3/1
眼窩をマスカラでベッタリ濡らしながらBは、SとNは手首と脇腹をマッサージして、AはBにシャツを羽織らせて、4人は細く冷たい雨の中を歩く。
夜、木造から橙色の明かりを出す居酒屋、漂白された蛍光灯の風俗案内所、ネオンが猥雑にうるさく、若者たち、また猥雑に楽しくはしゃぐ彼らの道を一段下がって流れる小川の浅い水は黒と白の波紋で揺れ、柳も静かに揺れ、さわやかな凪が喧噪と共生しているその中を帰路に向かう、歩く。
Nは作家のインタビューを見ていた「あなたの作品を読んで他人も大いに楽しんでいます/ーあとで読みかえしてみて、自分でもそれほど退屈は感じませんね。いささか退屈なのは書くという行為そのもので、これは苦役です/小説家という仕事のどういうところがいちばんお気に召してますか?/ー構成、次は手入れ。でもその中間の、セメント流し作業は面白くありません。ものを組み立てる段は、いい。そのあとでそれを埋めねばなりません、そこのところですね苦しいのは。つづいて仕上げ、磨きが残されていますが、これは楽しいですね。」。
「N」と、B
「帰ってから、みんなで話すんだ。シャンパンを開けて、BSのニュースを見て、みんなで話すんだよ」N
S「B、今日はミュスカデを開ける、嫌いだなんて言うなよ」
「嫌い。でも、飲む、飲まなきゃいけないんでしょ」
「それが今日の日記だよ」
A「なら泡はロゼがいい。ニュージーランド」
N「3本目はウォッカ、狂ってていいさ」
S/N「完結されてる、それでいいんだよB、わかってただろ、他の誰も何にもいらないんだ。永遠に続く、その期待値がいいんだ。誰にも何にも邪魔なんてされない、させない。僕らもしない。僕ら、僕らは僕らだよ。」
「小説について意見を持っている作家たちについて貴方はどうお考えになります?/ーああ!そういえば、そういう人たちもおりますね。」
夜、木造から橙色の明かりを出す居酒屋、漂白された蛍光灯の風俗案内所、ネオンが猥雑にうるさく、若者たち、また猥雑に楽しくはしゃぐ彼らの道を一段下がって流れる小川の浅い水は黒と白の波紋で揺れ、柳も静かに揺れ、さわやかな凪が喧噪と共生しているその中を帰路に向かう、歩く。
Nは作家のインタビューを見ていた「あなたの作品を読んで他人も大いに楽しんでいます/ーあとで読みかえしてみて、自分でもそれほど退屈は感じませんね。いささか退屈なのは書くという行為そのもので、これは苦役です/小説家という仕事のどういうところがいちばんお気に召してますか?/ー構成、次は手入れ。でもその中間の、セメント流し作業は面白くありません。ものを組み立てる段は、いい。そのあとでそれを埋めねばなりません、そこのところですね苦しいのは。つづいて仕上げ、磨きが残されていますが、これは楽しいですね。」。
「N」と、B
「帰ってから、みんなで話すんだ。シャンパンを開けて、BSのニュースを見て、みんなで話すんだよ」N
S「B、今日はミュスカデを開ける、嫌いだなんて言うなよ」
「嫌い。でも、飲む、飲まなきゃいけないんでしょ」
「それが今日の日記だよ」
A「なら泡はロゼがいい。ニュージーランド」
N「3本目はウォッカ、狂ってていいさ」
S/N「完結されてる、それでいいんだよB、わかってただろ、他の誰も何にもいらないんだ。永遠に続く、その期待値がいいんだ。誰にも何にも邪魔なんてされない、させない。僕らもしない。僕ら、僕らは僕らだよ。」
「小説について意見を持っている作家たちについて貴方はどうお考えになります?/ーああ!そういえば、そういう人たちもおりますね。」
2011年2月25日金曜日
所与のものなど僕は認め得るのか?
契約理論の主体観を「負荷なき自己」と批判し、我々が抗いようもなく初めに属性を与えられる、そしてその中での行動を不可避とされ、我々の自明の感情も納得させるサンデルの「負荷ありし自己」。
「たとえば、我々は我々の歴史に対して責任をもつか?」という問いかけの前で、ボクはまったくこのコミュニタアリズムに納得させられてしまうわけだけれど、それでも、やはり社会的美徳というものがボク自身の前に存在するのかには懐疑的だ。共同体の美徳、それは大規模な狂気の前で吹き飛ばされ、しかもむしろ狂気に対する抵抗力を失うばかりか、多数派の狂気を認めてしまいさえしそうだ。あるいはもう一方の極では、無数のゲットーを生み出すかもしれない。
共通善があるのは、かまわない。それについての拒否も、ボクには出来るだろう。が、はたして本当にできるのか?
共通善は、いったい何によって担保されるのだろう。
残酷なリバタリアン、考えると肌寒い共同体主義、偽善的なリベラリズム。
政治家はその組み合わせと妥協の中で、政治科学をしてくれればいい。
さて、でもボクたちは?
来るかもしれない、来ればいいのに、の、政治の季節の前で、何を思おうか。
このままいけばボクたちには、虐殺の未来しかない。
「たとえば、我々は我々の歴史に対して責任をもつか?」という問いかけの前で、ボクはまったくこのコミュニタアリズムに納得させられてしまうわけだけれど、それでも、やはり社会的美徳というものがボク自身の前に存在するのかには懐疑的だ。共同体の美徳、それは大規模な狂気の前で吹き飛ばされ、しかもむしろ狂気に対する抵抗力を失うばかりか、多数派の狂気を認めてしまいさえしそうだ。あるいはもう一方の極では、無数のゲットーを生み出すかもしれない。
共通善があるのは、かまわない。それについての拒否も、ボクには出来るだろう。が、はたして本当にできるのか?
共通善は、いったい何によって担保されるのだろう。
残酷なリバタリアン、考えると肌寒い共同体主義、偽善的なリベラリズム。
政治家はその組み合わせと妥協の中で、政治科学をしてくれればいい。
さて、でもボクたちは?
来るかもしれない、来ればいいのに、の、政治の季節の前で、何を思おうか。
このままいけばボクたちには、虐殺の未来しかない。
2011年2月21日月曜日
journal 2/20
3:00 je suis rentré chez moi à trois.
3:30 je suis entré dans la barre, et j'ai bu du whisky.
6:00 je me suis couché à six.
11:00 je me suis levé à onze.
à partir de maintenant
12:30 ma grand-mère et moi, nous déjeunerons italien.
14:00 je me couche à quatorze.
16:00 je me lève à seize, ensuite je regarde la télé.
17:30 je net ma maison. je vais acheter un vin rouge à vélo.
19:30 je dîne au restaurant avec des amis.
22:00 nous buvons le vin de Bourgogne Beaune 1988 et le bourbon à la maison de l'amie.
2:00 je bois d'alcool avec mon amie à sa bar.
6:30 nous rentrons chez elle, et nous couchons à six et demie.
15:00 je me lève à quinze, et je rentre chez moi.
3:30 je suis entré dans la barre, et j'ai bu du whisky.
6:00 je me suis couché à six.
11:00 je me suis levé à onze.
à partir de maintenant
12:30 ma grand-mère et moi, nous déjeunerons italien.
14:00 je me couche à quatorze.
16:00 je me lève à seize, ensuite je regarde la télé.
17:30 je net ma maison. je vais acheter un vin rouge à vélo.
19:30 je dîne au restaurant avec des amis.
22:00 nous buvons le vin de Bourgogne Beaune 1988 et le bourbon à la maison de l'amie.
2:00 je bois d'alcool avec mon amie à sa bar.
6:30 nous rentrons chez elle, et nous couchons à six et demie.
15:00 je me lève à quinze, et je rentre chez moi.
2011年2月19日土曜日
journal 2/19
3:00 je suis rentré chez moi à trois.
3:30 j'ai vu mon amie et parlé avec elle.
6:30 nous nous sommes couché à six et demie
10:00 nous nous sommes levé à dix.
à partir de maintenant
10:30 nous buvons le café et le thé, et nous mangeons un sandwich
12:00 nous nettoyer ma maison, puis nous prenons un taxi à ma autre maison.
13:00 nous déjeunerons du sushi. elle rentre chez elle
14:00 je regarde la télé
15:00 je dors à quinze
17:30 je vais sur internet, et bois le café.
18:00 je prends une douche
19:00 je vais à mon travaille
20:00 j'y arrive à vingt.
4:00 mon finir le travail à quatre, et je rentre chez moi en taxi.
6:00 Je me couche à six.
3:30 j'ai vu mon amie et parlé avec elle.
6:30 nous nous sommes couché à six et demie
10:00 nous nous sommes levé à dix.
à partir de maintenant
10:30 nous buvons le café et le thé, et nous mangeons un sandwich
12:00 nous nettoyer ma maison, puis nous prenons un taxi à ma autre maison.
13:00 nous déjeunerons du sushi. elle rentre chez elle
14:00 je regarde la télé
15:00 je dors à quinze
17:30 je vais sur internet, et bois le café.
18:00 je prends une douche
19:00 je vais à mon travaille
20:00 j'y arrive à vingt.
4:00 mon finir le travail à quatre, et je rentre chez moi en taxi.
6:00 Je me couche à six.
2011年2月18日金曜日
戦争に行かなかったお父さんたちへ。
戦争に行かなかったお父さんたちの天国、とよばれたものがある。あった。もう”あった”と言ってもいいだろう。戦争に行かなかった”お父さんたち”の天国がもうすぐ終わり、戦争に行かなかった”老人たち”の世界があり、戦争という言葉のない世界つまり暴力にあふれた世界の若者が”世界に登場しはじめる”世界が始まる。
新しい人々は、自分たちが世界に登場したことに気づいて、そしてあることに気づいた。
「お父さんたちは、生きていなくちゃいけない。でも、どうしよう、同時に彼ら老人たちは、、死んでもらわないと困る!!」
若い人々に与えられた初期設定は、まさにそのような世界としてあり、彼らの最初のコマンドは老人たちの排除、抹殺だった。
あまりに軟弱なため保護されるべきと考えられていた若者たちは、その潜在的な若さ、まさに体が動く!という純粋で動物的な自然の力でもって、社会のすべてを、「非合理」<彼らにとっての非合理であり、ある煽動家の言葉では不条理とよばれたスローガン>のもとに、転覆させようとした。
最終的には、彼らはすべての病院につながれた生命維持装置を切断し、、、、、
新しい人々は、自分たちが世界に登場したことに気づいて、そしてあることに気づいた。
「お父さんたちは、生きていなくちゃいけない。でも、どうしよう、同時に彼ら老人たちは、、死んでもらわないと困る!!」
若い人々に与えられた初期設定は、まさにそのような世界としてあり、彼らの最初のコマンドは老人たちの排除、抹殺だった。
あまりに軟弱なため保護されるべきと考えられていた若者たちは、その潜在的な若さ、まさに体が動く!という純粋で動物的な自然の力でもって、社会のすべてを、「非合理」<彼らにとっての非合理であり、ある煽動家の言葉では不条理とよばれたスローガン>のもとに、転覆させようとした。
最終的には、彼らはすべての病院につながれた生命維持装置を切断し、、、、、
要望への限られた応え。
僕がタイプをする間にも、彼女はどんどんと自分の言葉を進めている。
自分の言葉?そう彼女の言葉だ、彼女によって語られる彼女の創作、創作?そう彼女が想像していく物語の、、記述?記述、そう僕がそれを”タイプ”している、彼女の叙述を。”語られる”のは僕のタイプと彼女の声の間にあって、僕の指と彼女の唇、その不規則でなだらかな、穏やかな律動、繊細な、その指と唇の動きの中で、”語られる”。
タイプする、なぜ。なぜか、それは、声には触覚が必要だから。ボイスオーヴァーというのは、言葉を殺し、死んだ文字を書き写すことだから。手触りのある音楽が必要だから、何に?、それが物語だ。彼女によって、僕と彼女の間で、声、タイプ、指と唇、この部屋、スタンドランプ、窓、海、僕によって、彼女と僕の間で生まれていく物語。
僕がタイプしながら、そんなふうに考えている間にも、彼女はその物語を語っていく。
自分の言葉?そう彼女の言葉だ、彼女によって語られる彼女の創作、創作?そう彼女が想像していく物語の、、記述?記述、そう僕がそれを”タイプ”している、彼女の叙述を。”語られる”のは僕のタイプと彼女の声の間にあって、僕の指と彼女の唇、その不規則でなだらかな、穏やかな律動、繊細な、その指と唇の動きの中で、”語られる”。
タイプする、なぜ。なぜか、それは、声には触覚が必要だから。ボイスオーヴァーというのは、言葉を殺し、死んだ文字を書き写すことだから。手触りのある音楽が必要だから、何に?、それが物語だ。彼女によって、僕と彼女の間で、声、タイプ、指と唇、この部屋、スタンドランプ、窓、海、僕によって、彼女と僕の間で生まれていく物語。
僕がタイプしながら、そんなふうに考えている間にも、彼女はその物語を語っていく。
2011年1月15日土曜日
生まれる、立ち上がる、実る。(卯龍巳)
ボクが喀血?した黒胆汁を、Mはカップにすくいとって、ハンバーグステーキのソースに使った。
「きっとおいしいだろうさ、コクがあってね」
フライパンでの中で肉汁と赤ワインと煮詰められていく。そのソースは暗い紫の照りが出て、確かに食欲をそそった。
まさにブータンノワール、演出された血と肉の魔術的で蠱惑的な濃厚で豊潤な匂いが、皿から立ち上り、運ばれていくその速度にのってそれぞれのテーブルから店中に広がる。
焼き閉じ込められた食欲は、ナイフとフォークで切り取られ、凝縮された憂鬱のソースとともに、若い女性客や、いたずら盛りの子供たちの口に飲み込まれていく。
ボクの精神は実体としてのメランコリックに形をかえて、液体として気体として空間を、漂い、侵食した。
ディナーに仕込んだ20枚のハンバーグステーキはすべて誰かの胃袋に収まり、彼ら彼女らは家路についたのだろう。
ボクの憂鬱は彼らの中で消化されたのだろうか?
少し残っていたボクのソースを、ボクたちは店を閉めたあと、鴨のローストの切れはしとバゲットにつけて食べた。
まさか
「憂鬱は、かくも甘美に美味なるものかな、だな」
SもFも、同意した。
「きっとおいしいだろうさ、コクがあってね」
フライパンでの中で肉汁と赤ワインと煮詰められていく。そのソースは暗い紫の照りが出て、確かに食欲をそそった。
まさにブータンノワール、演出された血と肉の魔術的で蠱惑的な濃厚で豊潤な匂いが、皿から立ち上り、運ばれていくその速度にのってそれぞれのテーブルから店中に広がる。
焼き閉じ込められた食欲は、ナイフとフォークで切り取られ、凝縮された憂鬱のソースとともに、若い女性客や、いたずら盛りの子供たちの口に飲み込まれていく。
ボクの精神は実体としてのメランコリックに形をかえて、液体として気体として空間を、漂い、侵食した。
ディナーに仕込んだ20枚のハンバーグステーキはすべて誰かの胃袋に収まり、彼ら彼女らは家路についたのだろう。
ボクの憂鬱は彼らの中で消化されたのだろうか?
少し残っていたボクのソースを、ボクたちは店を閉めたあと、鴨のローストの切れはしとバゲットにつけて食べた。
まさか
「憂鬱は、かくも甘美に美味なるものかな、だな」
SもFも、同意した。
2010年11月19日金曜日
これからのセイギの話をしよう。
価値観というものの価値は、説得という行為の中で意味を持つが、それ以外のところでは共感と理解というまったく非論理的で直感的な世界でしか成立しない。
すべての結果というのは現実世界の物理的に「触れられる」行動に端を発するもので、人間と人間の間に目に見える形での接触があるとすればそれは力学的接触、つまり0より大きいところの力、それを愛撫と呼んでも暴力と呼んでもよいが、つまりそれでしかない。
暴力と愛撫の独占、その権力を一つところに持つ、それが神話的な絶対者に似た存在になることだ。
さて、ここからあまりにくだらない話をするけれども、
暴力の独占は国家に任せてしまおう。
もちろん国家の機能の最小のところに残るのは、暴力の独占とその運営であるからだ。
これは古い話でもなんでもない。
共同体が生まれるのは、個人では暴力、強制的な力を扱えないからという理由でしかない。
誰かを愛したりできずに、しかも自分の使っている言葉の意味もわからないような人たちに、
こんなものはくれてやればいい。
さて、もうひとつの力、愛撫について。
これだけを僕たちは握りしめていこう。
ビッグ・ブラザーが何といおうと、
愛撫というこの理想的形而上学的な物理力だけは、
しかも物理の世界以上のもの、精神という不思議で魅力的な存在に触れられるこの力だけは、
僕たちが可能な唯一の美しい力として、
しっかり握りしめていこう。
メシもなにもいらない。
たとえばそれ以上の楽しいことが、あなたには散見できますか、この世界に。
つまり、これからのセイギのはなし。
すべての結果というのは現実世界の物理的に「触れられる」行動に端を発するもので、人間と人間の間に目に見える形での接触があるとすればそれは力学的接触、つまり0より大きいところの力、それを愛撫と呼んでも暴力と呼んでもよいが、つまりそれでしかない。
暴力と愛撫の独占、その権力を一つところに持つ、それが神話的な絶対者に似た存在になることだ。
さて、ここからあまりにくだらない話をするけれども、
暴力の独占は国家に任せてしまおう。
もちろん国家の機能の最小のところに残るのは、暴力の独占とその運営であるからだ。
これは古い話でもなんでもない。
共同体が生まれるのは、個人では暴力、強制的な力を扱えないからという理由でしかない。
誰かを愛したりできずに、しかも自分の使っている言葉の意味もわからないような人たちに、
こんなものはくれてやればいい。
さて、もうひとつの力、愛撫について。
これだけを僕たちは握りしめていこう。
ビッグ・ブラザーが何といおうと、
愛撫というこの理想的形而上学的な物理力だけは、
しかも物理の世界以上のもの、精神という不思議で魅力的な存在に触れられるこの力だけは、
僕たちが可能な唯一の美しい力として、
しっかり握りしめていこう。
メシもなにもいらない。
たとえばそれ以上の楽しいことが、あなたには散見できますか、この世界に。
つまり、これからのセイギのはなし。
2010年11月17日水曜日
2010年11月5日金曜日
2010年10月23日土曜日
2010年10月19日火曜日
Life is difficult/because of ?
今日は、世界の歯車と歯車がずれている。
人々の動きが、合わない。
いたるところで、人と人が、車と車が、動くものの全部同士がぶつかっている。
渋滞がおきている。
それは見る方の問題?
ボクがそういうものに気を取られているだけなのか。
それともこの小規模なカオスの中心にいるのはボクなのか。
カオスの中心。
不細工な自己愉悦に浸ってしまいそうな言葉だ。
もっとナルシシズムに耽溺したい。
だから努力も続くのだ。
つぶやきつぶやき。
人々の動きが、合わない。
いたるところで、人と人が、車と車が、動くものの全部同士がぶつかっている。
渋滞がおきている。
それは見る方の問題?
ボクがそういうものに気を取られているだけなのか。
それともこの小規模なカオスの中心にいるのはボクなのか。
カオスの中心。
不細工な自己愉悦に浸ってしまいそうな言葉だ。
もっとナルシシズムに耽溺したい。
だから努力も続くのだ。
つぶやきつぶやき。
2010年10月11日月曜日
ユトリロを、見る。
芸術史的な意味が、それほど強い画家ではない。
最近の美術批評は美術史的な立場からなされることが多く、傾向としては強いので、そういう影響を受けている若者としては、少し興味の持ち方にとまどってしまう。
ただタブロー、絵画作品としての彼の絵には、時代と場所、そして彼自身の人生の「空気」といったものが溢れている。
ある時代のある街を生きた1人の男、人間の心性とまなざしが、その白い漆喰の教会や、閑散とした街路、彩りのある広場に注がれている。
彼の絵に何を見るのかは各人の自由だという美術鑑賞の大前提をもう一度自分に再提示してボクは、彼に、
一杯のコップ酒、その詩人の世界への愛
を思う。
最近の美術批評は美術史的な立場からなされることが多く、傾向としては強いので、そういう影響を受けている若者としては、少し興味の持ち方にとまどってしまう。
ただタブロー、絵画作品としての彼の絵には、時代と場所、そして彼自身の人生の「空気」といったものが溢れている。
ある時代のある街を生きた1人の男、人間の心性とまなざしが、その白い漆喰の教会や、閑散とした街路、彩りのある広場に注がれている。
彼の絵に何を見るのかは各人の自由だという美術鑑賞の大前提をもう一度自分に再提示してボクは、彼に、
一杯のコップ酒、その詩人の世界への愛
を思う。
ラベル:
esthetica.
2010年9月14日火曜日
ある日の、mr.custard氏の見解。
「芸術家という劇薬を、全員がしっかりとした方法で服用できるようになじませていく。それが批評家の仕事ですね。劇薬というのがエキセントリックな表現に過ぎるのであれば、それはサプリメントでも何でもかまいません。つまり未だ発見されていなかった、または新たな技術によって新しく生み出された、良薬かそれとも毒物なのかもわからない何か、しかしどちらにせよ人間や社会に新しい何かをもたらすであろう何か。突然現われたその何かを、何であるのか、何でありうるのかを提示してみることが、批評家の創造性であり、唯一の仕事です。芸術家が、自身の芸術が他人にとって何となりうるかを必ずしも意識したり理解したりしているわけではありません。しかしせっかくの素晴らしい創造が、誰にも理解されないままにされることは、あまりに悲しい。そこにメディアとしての批評家の存在の意義が出てくる。それは特に写真芸術において顕著でしょう。写真による現実世界のクローズアップまたは異化効果は、一見ただの撮影でしかありません。その撮影がどういう意味を持ちうるのか。写真には往々にしてタブローとテクストが不可分なものとして設定される。だから誰かが語らなければいけなくなる。それはもちろん誰でもいいが、しかし誰かがなくてはいけません。そういった芸術の状況は現在すべてにおいて必要になっています。そしてその言葉はもっと社会全体をまきこんだものでなくてはいけません。だってそうでしょう。素晴らしい新薬は誰しもを幸福にできるはずなのですから。永遠に高度な医療センターでしか可能とならないものなんて、そんなエリート趣味は誰も幸せにしません。喩えが散漫になってしまいましたが、私はそんな風に思うのです。」
「スナップショットの重要なのは、『暴き』という『再認識』です」
「スナップショットの重要なのは、『暴き』という『再認識』です」
ラベル:
esthetica.
2010年9月11日土曜日
たとえば言葉が消えていく、みたいな場合に。
多義的なあいまいさのない、世界。
それは清潔でシンプルかもしれないけれど、
そういう世界を想像すると、
ボクは随分とさみしくなる。
感動や情動みたいな、という非論理的で無根拠なもの。
しかし、そういうところに最後の喜びがあることを、もっとずっと信じたい。
馬鹿馬鹿しくても、馬鹿馬鹿しいと思えても。
そういった簡単に信じることができないものにほど、未来の希望が見えるかもしれない。
それは清潔でシンプルかもしれないけれど、
そういう世界を想像すると、
ボクは随分とさみしくなる。
感動や情動みたいな、という非論理的で無根拠なもの。
しかし、そういうところに最後の喜びがあることを、もっとずっと信じたい。
馬鹿馬鹿しくても、馬鹿馬鹿しいと思えても。
そういった簡単に信じることができないものにほど、未来の希望が見えるかもしれない。
ラベル:
esthetica.,
poetry.
2010年9月5日日曜日
フィードラーをかじる、において。
美とは、真理の半影であり、故に最終的には理性に属するものであり、そこには唯一絶対の評価があるとする芸術観は、美術史においては前近代的であるとされる。
美術のモダニズムは芸術自身が芸術というもの自体の存在を再帰的に揺るがすことであり、そうして紡がれる歴史的なコンテクストの紡がれかたである。
その二つの時代の間に、一つの芸術論があった。
それは「神と人間」の世界から出発したものではあるけれど、そうであるからこそ美を神のものに、芸術を人間だけの問題にして、人間の芸術というものがどのようにしてなされるかを理論立てたものである。
神が想像した自然の美しさや万物に宿る一切の美は、そのまま神のものであり、人間にはそれを模倣することなど不可能である。
そして芸術はそれら美を受動的に模倣して、また鑑賞はその模倣をまた受動的に受け入れることではない。
人間の芸術、それは、彼が世界をどのように捉えたかという感性の能動的な具現化である。
『精神的なものが、感覚的な形となって表れる』
ヘーゲルの定義を、フィードラーはよりいっそう意義ある形で未来に渡したのだ。
セザンヌが自身の視覚への忠誠を誓ったとき、眼前のヴィクトワール山はその輪郭を失った。
しかしそのセザンヌのタブローに中にこそ、彼の真実の風景が存在し、彼の芸術は現実を真実的なものにならしめた。
このとき人類史はようやく模倣技術としての美術から、芸術性による創造としての芸術という概念とその時代を迎えたのだった。
美術のモダニズムは芸術自身が芸術というもの自体の存在を再帰的に揺るがすことであり、そうして紡がれる歴史的なコンテクストの紡がれかたである。
その二つの時代の間に、一つの芸術論があった。
それは「神と人間」の世界から出発したものではあるけれど、そうであるからこそ美を神のものに、芸術を人間だけの問題にして、人間の芸術というものがどのようにしてなされるかを理論立てたものである。
神が想像した自然の美しさや万物に宿る一切の美は、そのまま神のものであり、人間にはそれを模倣することなど不可能である。
そして芸術はそれら美を受動的に模倣して、また鑑賞はその模倣をまた受動的に受け入れることではない。
人間の芸術、それは、彼が世界をどのように捉えたかという感性の能動的な具現化である。
『精神的なものが、感覚的な形となって表れる』
ヘーゲルの定義を、フィードラーはよりいっそう意義ある形で未来に渡したのだ。
セザンヌが自身の視覚への忠誠を誓ったとき、眼前のヴィクトワール山はその輪郭を失った。
しかしそのセザンヌのタブローに中にこそ、彼の真実の風景が存在し、彼の芸術は現実を真実的なものにならしめた。
このとき人類史はようやく模倣技術としての美術から、芸術性による創造としての芸術という概念とその時代を迎えたのだった。
ラベル:
esthetica.
2010年8月24日火曜日
感傷の段階説。の嘘
『最初の命題:「つまり鑑賞とは、感傷である」』
テクスト(テクストというのは描かれたものであり、それは最も広義なエクリチュールだと考えてよい)が読まれるとき(読むとは、受容することである)、それは二種類の曖昧にではあるがしかし大きく異なった方法で為されている。
その内の一つは自身に還すものであり、もう一方はテクストそのものの背景に還すものである。
前者は感傷する(鑑賞する)主体に特別な彼自身の印象であり、後者には鑑賞する(こちらもいくらかの感傷を含んでいる)主体による読み方の差異はほとんどなく、仮に存在したとしてもそれはそのテクストの水源(それをコード化したであろう生産者(コード化とはここで、何らかのメッセージをメディアという形態にパッキングすることである))に帰され、還元される。
感傷とは共感であり、それを個人的な体験の集積に積み重ねるのか、それとも鑑賞することで創り出される解釈をそのテクストの背景に積み重ねそれについて何らかの感慨に耽るのか、という心の作用であり現象である。
想いを馳せるその先に、誰がいるのか。と、その違いが存在している。
『最後の命題:「自分の外に、世界は存在するか」』
もしかすると、あるのかもしれない。
これこそ新世界・新世紀の最初の命題である。
テクスト(テクストというのは描かれたものであり、それは最も広義なエクリチュールだと考えてよい)が読まれるとき(読むとは、受容することである)、それは二種類の曖昧にではあるがしかし大きく異なった方法で為されている。
その内の一つは自身に還すものであり、もう一方はテクストそのものの背景に還すものである。
前者は感傷する(鑑賞する)主体に特別な彼自身の印象であり、後者には鑑賞する(こちらもいくらかの感傷を含んでいる)主体による読み方の差異はほとんどなく、仮に存在したとしてもそれはそのテクストの水源(それをコード化したであろう生産者(コード化とはここで、何らかのメッセージをメディアという形態にパッキングすることである))に帰され、還元される。
感傷とは共感であり、それを個人的な体験の集積に積み重ねるのか、それとも鑑賞することで創り出される解釈をそのテクストの背景に積み重ねそれについて何らかの感慨に耽るのか、という心の作用であり現象である。
想いを馳せるその先に、誰がいるのか。と、その違いが存在している。
『最後の命題:「自分の外に、世界は存在するか」』
もしかすると、あるのかもしれない。
これこそ新世界・新世紀の最初の命題である。
ラベル:
esthetica.
2010年8月19日木曜日
あるはずもない"スペシャル"についての楽観的かつ悲観的な希望。
見られたことのない「見方」を。
それは何にも則していないものであってもかまわないが、
意味のあるものだと主張する勢いを放つものでなければならないだろう。
つまり暴力的な新時代的な暴力を、この際に叩き付ける恣意的な意志で。
それは何にも則していないものであってもかまわないが、
意味のあるものだと主張する勢いを放つものでなければならないだろう。
つまり暴力的な新時代的な暴力を、この際に叩き付ける恣意的な意志で。
2010年8月5日木曜日
ワンダーランドの退屈。
いわゆる「3D映画」では、今日の黎明期にあって、
その技術的効果を作品中で顕示しようとするあまり、
映画の物語自体の叙情やテンポが殺されているようだ。
私たちに向かって巨大なクリーチャーの顔面が迫り、踏み散らされた障害物が飛来するその度に、その瞬間が意図的に強調され、一瞬一瞬が引き延ばされる。
その度に私は、私自身がこの瞬間に「映画を見ているのだ」と改めて認識させられる。
スクリーンが強引に私にその存在を迫ってくるその度に、私はその存在の押し売りによって、何度も何度も現実に引き戻されるのだ。
つまり3D映画技術は、好意的に捉えるならば、映画鑑賞において新しい視点を生み出したことになる。
それは映画を鑑賞するものに、改めて彼らが「映画を鑑賞しているもの」であると意識させる視点である。
映画の中に取り入れられ、その世界に同調し共感するのではなく、その世界の外から、いわば二つの世界を自由に重ね合わせて物語を楽しむ。そのような新しい享受の作法が生み出されたのである。
3D映画黎明期の構成はまだ稚拙である。その未熟から、ティム・バートンの独創性は失われてしまった。
ジェームズ・キャメロンはさすがに"Mr.ハリウッド"としての文法の、テクノロジーとの親和性から、優秀な映画を作っている。
新しい技術がその技術がもたらす均質性を失うのは、いつになるのだろうか。
それが楽しみだ。
その技術的効果を作品中で顕示しようとするあまり、
映画の物語自体の叙情やテンポが殺されているようだ。
私たちに向かって巨大なクリーチャーの顔面が迫り、踏み散らされた障害物が飛来するその度に、その瞬間が意図的に強調され、一瞬一瞬が引き延ばされる。
その度に私は、私自身がこの瞬間に「映画を見ているのだ」と改めて認識させられる。
スクリーンが強引に私にその存在を迫ってくるその度に、私はその存在の押し売りによって、何度も何度も現実に引き戻されるのだ。
つまり3D映画技術は、好意的に捉えるならば、映画鑑賞において新しい視点を生み出したことになる。
それは映画を鑑賞するものに、改めて彼らが「映画を鑑賞しているもの」であると意識させる視点である。
映画の中に取り入れられ、その世界に同調し共感するのではなく、その世界の外から、いわば二つの世界を自由に重ね合わせて物語を楽しむ。そのような新しい享受の作法が生み出されたのである。
3D映画黎明期の構成はまだ稚拙である。その未熟から、ティム・バートンの独創性は失われてしまった。
ジェームズ・キャメロンはさすがに"Mr.ハリウッド"としての文法の、テクノロジーとの親和性から、優秀な映画を作っている。
新しい技術がその技術がもたらす均質性を失うのは、いつになるのだろうか。
それが楽しみだ。
2010年7月30日金曜日
――ダリ「眩暈」について
芸術は私たちを喚起する。
不安、喜び、恍惚
芸術は、それら自動化していく日常の中に忘れられた心性を隆起させて、私たちを感情の渦の中に。
目の前のタブローは私たちを、私たち自身の中に投げ込む。
彼は私を、私は私を、嗤う。
――
世界のどこかにある「崖の中の崖」とも呼べる鋭く美しい巨大な崖に、ただ球体が位置している。
なぜその球体は、私の気持ちを不安定にさせるのか。
私を形作るいくつかのパーツが次第にずらされていくようだ。
私はその球体に共鳴している。
球体の位置、状況。
私は球体を「読んで」しまう。
私の経験的な感情や記憶の追体験が、その球体を通して私に迫ってくる。
いつか私はそのような球体であったのだろうか。
不安、喜び、恍惚
芸術は、それら自動化していく日常の中に忘れられた心性を隆起させて、私たちを感情の渦の中に。
目の前のタブローは私たちを、私たち自身の中に投げ込む。
彼は私を、私は私を、嗤う。
――
世界のどこかにある「崖の中の崖」とも呼べる鋭く美しい巨大な崖に、ただ球体が位置している。
なぜその球体は、私の気持ちを不安定にさせるのか。
私を形作るいくつかのパーツが次第にずらされていくようだ。
私はその球体に共鳴している。
球体の位置、状況。
私は球体を「読んで」しまう。
私の経験的な感情や記憶の追体験が、その球体を通して私に迫ってくる。
いつか私はそのような球体であったのだろうか。
ラベル:
esthetica.
2010年7月24日土曜日
7/24:誰かの主観が教えてくれること
ゴッホの「糸杉」や「黄色い家」に描かれた世界への眼差しは、
世界というのがそのように見える、また、私たちが既にそのように見ている事実を再提示する。
不安や何ものかへの幻惑を私たちが抱えるとき、事実私たちは町並みを街路をまったく本来の姿――そんなものを心の中で定義することは不可能だが――から逸脱した心象で捉えている。
少しの麻薬で空と地面は反転し、空間は歪み、時間は過去から未来への絵巻を魔法のように開いていく。
「この絵は、20世紀が忘れた理性の輝きを教えてくれる」
誰かが何かの絵画について、それほど意味のないこのようなコメントをするとき、
それでも私たちは、主観の無限な拡大が、私たちに主観というものがあったことを、そしてそれが私たちの想像よりも遥かに大きく私たちを支配していることを、学ばされるのだ。
世界というのがそのように見える、また、私たちが既にそのように見ている事実を再提示する。
不安や何ものかへの幻惑を私たちが抱えるとき、事実私たちは町並みを街路をまったく本来の姿――そんなものを心の中で定義することは不可能だが――から逸脱した心象で捉えている。
少しの麻薬で空と地面は反転し、空間は歪み、時間は過去から未来への絵巻を魔法のように開いていく。
「この絵は、20世紀が忘れた理性の輝きを教えてくれる」
誰かが何かの絵画について、それほど意味のないこのようなコメントをするとき、
それでも私たちは、主観の無限な拡大が、私たちに主観というものがあったことを、そしてそれが私たちの想像よりも遥かに大きく私たちを支配していることを、学ばされるのだ。
ラベル:
esthetica.
2010年6月25日金曜日
悠久の雑文描き。
雑音、卑しい醜さ、泡沫、ケバケバしい色彩。
分裂症的な想像が、さっと脳髄を引き裂く。
想像すること自体に愉楽があるのか、それとも本当の破壊趣味なのか。
前者は想像以前に訪れる快楽、に対して後者は想像による快楽。
「想像すること」を軸にして反転している二つの快楽世界。
その境界を自在に行き来して忘我していく第三の悦楽。
イメージと観念の強度。
その世界。
<失われた身体を求めて>自分を忘我の果てに連れて行く。
体を壊すほどの刺激を自分に与えて上げるその理由は、はじめに世界の現象学的還元、そして空白の世界での私との再会、そういった新たな獲得。
それくらいのことだろう。
分裂症的な想像が、さっと脳髄を引き裂く。
想像すること自体に愉楽があるのか、それとも本当の破壊趣味なのか。
前者は想像以前に訪れる快楽、に対して後者は想像による快楽。
「想像すること」を軸にして反転している二つの快楽世界。
その境界を自在に行き来して忘我していく第三の悦楽。
イメージと観念の強度。
その世界。
<失われた身体を求めて>自分を忘我の果てに連れて行く。
体を壊すほどの刺激を自分に与えて上げるその理由は、はじめに世界の現象学的還元、そして空白の世界での私との再会、そういった新たな獲得。
それくらいのことだろう。
2010年5月18日火曜日
5/18
彼女にあって世界はもはや、「永遠の相」のもとに入っていた。
永遠の諸相の一方はグローバリゼーションによるセントラルキッチンによって形作られ、もう一方はあらゆるものの既視感で彩られていた。
彼女とは、何だったのか。
彼女は、その中で遊戯すること、完璧に演じることを決めていた。
機械化された少女、それが20代前半の彼女だった。
彼女がこの本で、「もしかしたら<私>というものがあるかもしれない」と感じたのだろうか?
だから彼女は書いたのか。
私自身による私は、私を見つけるための夢なのではないのか。
永遠の諸相の一方はグローバリゼーションによるセントラルキッチンによって形作られ、もう一方はあらゆるものの既視感で彩られていた。
彼女とは、何だったのか。
彼女は、その中で遊戯すること、完璧に演じることを決めていた。
機械化された少女、それが20代前半の彼女だった。
彼女がこの本で、「もしかしたら<私>というものがあるかもしれない」と感じたのだろうか?
だから彼女は書いたのか。
私自身による私は、私を見つけるための夢なのではないのか。
2010年5月8日土曜日
5/8
「僕はいろんな快楽に手を出してきたけれど、ついに外科的なもので身を崩すということはなかった。僕の外形的な荒廃は、もし僕がそれを評するのならそれはひとえに僕自身の精神、僕の精神があまりに僕を捉えて離さなかったことにある。終わることのない自意識の自縄自縛が、僕にとって最も大きい快楽に転じてしまったことにある。
あらゆる他者に対するあらゆる行為によってもたらされる快楽というものが、結局はその快楽を感じている自分自身の問題であって、快楽というのはつまり僕自身の内部世界の生産物、僕が何かを想い何かを考え感じそれに対する生理的応答としての僕自身から僕自身への分泌でしかない、ということに気づいたんだ。
それならば、快楽というのは自己充足的なものから始まって自己充足的に終わるものだし、自分が自分を行為の対象とすればいい、僕は死なない限り、この快楽の生産機構としての身体が壊れてしまわない限りは、自分は自分に対して何をしてもいいし、自分の最大の理解者である自分を玩具にしてやろう、そう思った。
マスターベーションが最も有効な情の排泄であるから、そこに精神の味付けと現実の対象を与えれば――そしてそれは自分であることが最も素晴らしい――それは無上の快楽、死への本能の甘噛み、そんな天国のような地獄に落ちていける。
自虐の詩、甘美さにおいてこれほどまでに崇高な芸術形式はない。」
あらゆる他者に対するあらゆる行為によってもたらされる快楽というものが、結局はその快楽を感じている自分自身の問題であって、快楽というのはつまり僕自身の内部世界の生産物、僕が何かを想い何かを考え感じそれに対する生理的応答としての僕自身から僕自身への分泌でしかない、ということに気づいたんだ。
それならば、快楽というのは自己充足的なものから始まって自己充足的に終わるものだし、自分が自分を行為の対象とすればいい、僕は死なない限り、この快楽の生産機構としての身体が壊れてしまわない限りは、自分は自分に対して何をしてもいいし、自分の最大の理解者である自分を玩具にしてやろう、そう思った。
マスターベーションが最も有効な情の排泄であるから、そこに精神の味付けと現実の対象を与えれば――そしてそれは自分であることが最も素晴らしい――それは無上の快楽、死への本能の甘噛み、そんな天国のような地獄に落ちていける。
自虐の詩、甘美さにおいてこれほどまでに崇高な芸術形式はない。」
2010年5月5日水曜日
日常凡譚 〜 様々な一人称の形として
ぼくは、まず魚料理というものをしない。
それはなぜなら、まず特別なスキルが必要とされるものであるし、京都みたいな――たとえばの話だ――内陸に住んでいる人間にとったらそれこそおいしい魚介類を手に入れることがそもそも困難だからだ。
それにもっと生活臭いことを言えば、処理をしたあと、その臭いにもなかなか困ってしまうということもある。
生ゴミが、本当にその潜在能力を爆発させて生ゴミの能力を存分に発揮してしまう。
他にもいろいろ細かいことを言い出せば、それらはボクの生活上の価値観やスタイルとも絡まって一つの言葉の小宇宙を形作るだろう。
やめておこう。
とにかくそういった理由からぼくは特別の必要ない限り魚料理をしない。
切り身を買ってきて、ということもしない。
さんま一匹をただ焼くだけ、ということもしないのだ。
僕の人生における魚の調理は、先の未来にとってある。
それはたとえばきれいなお嫁さんが出来たとき――<きれいなお嫁さん>と<おいしい魚料理>の間にどんな関係があるかはわからないけれど――や、料理人になるというような微妙な夢を志したときなどのためにとってある。
つまり家庭での魚料理というのは、僕のライフコースにおいては次なるステージであるといっていい。
そのかわりといっては何だけれど、色々な肉料理や、パスタ、ピザ、などの一つのお皿に収まる範囲での特に洋食料理であれば、ぼくは結構好きで凝ったものでも面倒ではなく作ってしまう。
その中でも特に好みなのは、ソースは煮込みなど、どこかで時間をかけておけば、いざ食べるときには本当にシンプルな手間でおいしく食事ができるということを約束してくれるものだ。
本当に彼らはぼくを幸せな気分にさせる。
休みの日の朝と、普段のちょっとした時間との関係が、そんな簡単なことで結びついて、何かとても充実した生活のサイクルを営んでいるように、ぼくを錯覚させてくれる。
実際に今も、この最後の休日に、キッチンではトマト・ソースがぐつぐつと作られている。
トマト・ソース。
トマト・ソースはぼくによくこんな形で声をかけてくる。
「おればかり、見るなよ」
「どうして?」
「おればかり見てばかりだから、お前はいつも他のことに手が回っていない」
「それは丁寧に接しようと・・」
「だから、そんなアティチュードがよくないって言ってるんだよ。おれはそんなに見てもらわなくても、大体上手くいく。大事なのは最初と真ん中と最後、多くて3ポイントぐらいのもんだ。そんなにずっと、おれの前にたってぐちゃぐちゃやられた方が、こっちがイライラするさ。その代わりにお前がしなくちゃいけないこと、それかそれをしたらもっとお前にとっていいことは、お前がしなくちゃいけないこととか、それをしたらもっとお前にとっていいことをやるってことだ。そうやって上手くやってかないと、お前は本当にダメになる。わかるだろう?」
「うん、わかるよ」
「あぁそれと、トマト・ソースはしっかり煮詰めて濃くしておくんだぞ。後で色々便利だからな。」
もうすぐ現在進行形のトマト・ソースが出来上がるころだと思う。
このタバコを吸い終わったら、見に行こう。
トマト・ソースを作る間にできることといえば、タバコを2本吸って、英国首相の失言をニュースでぼんやり眺めることぐらいのものだ。
※誰かがここまできて、まったく誰かの文章みたいだと思えばそれは正しい。そういう文章なのだ。
それはなぜなら、まず特別なスキルが必要とされるものであるし、京都みたいな――たとえばの話だ――内陸に住んでいる人間にとったらそれこそおいしい魚介類を手に入れることがそもそも困難だからだ。
それにもっと生活臭いことを言えば、処理をしたあと、その臭いにもなかなか困ってしまうということもある。
生ゴミが、本当にその潜在能力を爆発させて生ゴミの能力を存分に発揮してしまう。
他にもいろいろ細かいことを言い出せば、それらはボクの生活上の価値観やスタイルとも絡まって一つの言葉の小宇宙を形作るだろう。
やめておこう。
とにかくそういった理由からぼくは特別の必要ない限り魚料理をしない。
切り身を買ってきて、ということもしない。
さんま一匹をただ焼くだけ、ということもしないのだ。
僕の人生における魚の調理は、先の未来にとってある。
それはたとえばきれいなお嫁さんが出来たとき――<きれいなお嫁さん>と<おいしい魚料理>の間にどんな関係があるかはわからないけれど――や、料理人になるというような微妙な夢を志したときなどのためにとってある。
つまり家庭での魚料理というのは、僕のライフコースにおいては次なるステージであるといっていい。
そのかわりといっては何だけれど、色々な肉料理や、パスタ、ピザ、などの一つのお皿に収まる範囲での特に洋食料理であれば、ぼくは結構好きで凝ったものでも面倒ではなく作ってしまう。
その中でも特に好みなのは、ソースは煮込みなど、どこかで時間をかけておけば、いざ食べるときには本当にシンプルな手間でおいしく食事ができるということを約束してくれるものだ。
本当に彼らはぼくを幸せな気分にさせる。
休みの日の朝と、普段のちょっとした時間との関係が、そんな簡単なことで結びついて、何かとても充実した生活のサイクルを営んでいるように、ぼくを錯覚させてくれる。
実際に今も、この最後の休日に、キッチンではトマト・ソースがぐつぐつと作られている。
トマト・ソース。
トマト・ソースはぼくによくこんな形で声をかけてくる。
「おればかり、見るなよ」
「どうして?」
「おればかり見てばかりだから、お前はいつも他のことに手が回っていない」
「それは丁寧に接しようと・・」
「だから、そんなアティチュードがよくないって言ってるんだよ。おれはそんなに見てもらわなくても、大体上手くいく。大事なのは最初と真ん中と最後、多くて3ポイントぐらいのもんだ。そんなにずっと、おれの前にたってぐちゃぐちゃやられた方が、こっちがイライラするさ。その代わりにお前がしなくちゃいけないこと、それかそれをしたらもっとお前にとっていいことは、お前がしなくちゃいけないこととか、それをしたらもっとお前にとっていいことをやるってことだ。そうやって上手くやってかないと、お前は本当にダメになる。わかるだろう?」
「うん、わかるよ」
「あぁそれと、トマト・ソースはしっかり煮詰めて濃くしておくんだぞ。後で色々便利だからな。」
もうすぐ現在進行形のトマト・ソースが出来上がるころだと思う。
このタバコを吸い終わったら、見に行こう。
トマト・ソースを作る間にできることといえば、タバコを2本吸って、英国首相の失言をニュースでぼんやり眺めることぐらいのものだ。
※誰かがここまできて、まったく誰かの文章みたいだと思えばそれは正しい。そういう文章なのだ。
2010年5月1日土曜日
2010年4月26日月曜日
4/26
「リリカルなポイント・オブ・ビュー(ヴュー)」。
たとえばこれは、「詩的な観点」や「装飾されたロマンチックな見方」と日本語表記していい。
更に言えば、「リリカル」と「ポイント〜」の間に挟まれた「な」という助動詞は、文法的も本来に必要ない。
"lyrical"は形容詞であるから直接"point"を修飾出来るし、ましてや日本語である片仮名に変換することも、現代の基礎的な教養に照らし合わせれば不要と言っていいだろう。
つまり何が言いたいかと言うと、と、次の話に展開する場合も、本来的には「つまり何が言いたいかと言うと」と言う必要はない。
「つまり何が言いたいかと言うと」と言うこともなく、事の本旨を述べればいいのである。
それでもつまり、何が言いたいかと言うと、必要最低限の言語活動というのは、何とも趣がないものであるか、と思う。
当然、"point"はその前に”the”が必要であろう。
しかし、それら厳密な文法考察や、言語の文化的考察を行っても、「リリカルなポイント・オブ・ビュー(ヴュー)」という言葉の語感やその表象性は変わらない。
言語表現の美しさは、言語を連ねることの量、そのバランスにあると思う。
そして長く語ることを目指せば目指すほど、その美しさは維持し難く、かつ、長く語られた美しい言葉ほどに体力のあるものはない。
ある意味があることに、意味はない。
ある意味があることに、意味があるのだ。
たとえばこれは、「詩的な観点」や「装飾されたロマンチックな見方」と日本語表記していい。
更に言えば、「リリカル」と「ポイント〜」の間に挟まれた「な」という助動詞は、文法的も本来に必要ない。
"lyrical"は形容詞であるから直接"point"を修飾出来るし、ましてや日本語である片仮名に変換することも、現代の基礎的な教養に照らし合わせれば不要と言っていいだろう。
つまり何が言いたいかと言うと、と、次の話に展開する場合も、本来的には「つまり何が言いたいかと言うと」と言う必要はない。
「つまり何が言いたいかと言うと」と言うこともなく、事の本旨を述べればいいのである。
それでもつまり、何が言いたいかと言うと、必要最低限の言語活動というのは、何とも趣がないものであるか、と思う。
当然、"point"はその前に”the”が必要であろう。
しかし、それら厳密な文法考察や、言語の文化的考察を行っても、「リリカルなポイント・オブ・ビュー(ヴュー)」という言葉の語感やその表象性は変わらない。
言語表現の美しさは、言語を連ねることの量、そのバランスにあると思う。
そして長く語ることを目指せば目指すほど、その美しさは維持し難く、かつ、長く語られた美しい言葉ほどに体力のあるものはない。
ある意味があることに、意味はない。
ある意味があることに、意味があるのだ。
2010年4月20日火曜日
4/20
19世紀欧風のように植物を慈しむのは難しい。
それは色合いや生態についての無知によるものばかりではなく、それが始めから意図的に配置されているという事実も大部分の理由であると思う。
感動しようにも、その初期衝動が去勢されている。
庭を愛でるのは人間性への賛辞を謳うことだが、自然とは自ずから在ることに、我々の感動の価値がある。
そして上記の問題は、始めから問題となり得ない。
なぜなら日本人の修辞技法は、その対象の捉え方がそもそも違う。
花は花であり、草は草である。
心象とその美しさは、始めから私の心にあるのだ。
ーーーーー
無為な時間、それがはたして何たるものか。
それは色合いや生態についての無知によるものばかりではなく、それが始めから意図的に配置されているという事実も大部分の理由であると思う。
感動しようにも、その初期衝動が去勢されている。
庭を愛でるのは人間性への賛辞を謳うことだが、自然とは自ずから在ることに、我々の感動の価値がある。
そして上記の問題は、始めから問題となり得ない。
なぜなら日本人の修辞技法は、その対象の捉え方がそもそも違う。
花は花であり、草は草である。
心象とその美しさは、始めから私の心にあるのだ。
ーーーーー
無為な時間、それがはたして何たるものか。
2010年4月19日月曜日
(雑記雑気ブン)4/19
専門家の議論でもまったく無関係な市井の談話であっても大差はないが、道徳だとか道義だとかでは一見判断が難しい知財の分野では、たいてい検討外れな議論と結論が出されることが多い。
ワイドショーのコメンテーターには、それについてコメントする知識も見識もはじめからないからそれはモラルの問題として片手間に処理されて、その手のシンポジウムや政府の有識者懇談会とかの技術的な場所にあっても、大体は老人たちが過去の理論を持ち出して、現状について真剣に考えようという気などはない。
ローマの時代からほとんど変わることのない法律学の中では、知的財産の分野は、その他経済法の分野とも合わせて、唯一現実との関わりの中で変化していくものだと考えていい、と、ボクは考えている。
実際訴訟の段階で、ボクは法廷に立つことはないし、第一そうならないようにするのがボクたちの仕事なので、ボクは少し気分転換が必要なときには、近くの裁判所で、どんな裁判であってもいい、強姦でも不動産でも何でもいいが、そういったものを傍聴席で漠然と眺める。
裁判所というのは外観から何まで適当に整理されていて、あまり汚れたものを見なくていい。そういった具体的に清潔な環境の中で、抽象的で複雑な人間の深い部分、それは美しくも醜くもなくただ複雑だ、を考えるのは、とても精神衛生的にはいいと思える。映画館で映画を見る、それとまったく同じだ。
その日は特におもしろそうな訴訟がなかったので、裁判所の周りを囲む桜がもう見頃を失って葉桜になったその向かいにあるレストランで、香草でグリルしたスズキと白ワインをグラスで飲んだ。
街の中心から少し北にあるこの部分はほとんどの公的な施設が集まっていて、大路をぶらぶらと歩いていると、そういった施設での方向を案内する看板があちらこちらに出ている。
「知的障害者支援施設」
たくさんの施設を案内する看板の中に書かれたその施設の名前は、「知的障害者」の部分が上からテープで貼り変えられてあった。
もともとは何かの施設であって、それが時流や要請に合わせて、それともただ以前にそこにあった言葉だけが問題であったのかもしれないが、新たな名称ともしかしたら新たな役割を与えられていた。
こんなことを考えるのは無意味で、ひょっとしたら傲慢に映るかもしれないが、言葉というのは何とも無意味で不気味で無節操だと、ボクは思った。
知的財産、知的障害、その背後にある世界はずいぶん違う。
ただ違うというだけで、それ以上に何の感慨もない。
ただ言葉というのは、それ自体にはほとんど意味がない、と思うというそれだけだ。
スーパーマーケットに並べられるように、知的財産権も知的障害者もクリームパンも洗濯溶剤も、誰かの手にとられて、棚から出されたり戻されたりしていく。
すべては組み合わせだけの問題で、それについて抽象的な問題は何もない。
ボクの生活に限っていえば、スーパーマーケットとホームセンターとドラッグストアがあれば、その生活は十分生きられるものになる。
それと最大多数の最大公約的な音楽とニュースを話題にしていれば、それが社交の十分であり、むしろ必要な教養となる。
目の前に置いてあるものを、何も考えずに、手に取って、並べて、置く。
それだけで、ボクの人生は無為に過ぎて行く。
無為に自然に十分に。
タバコを吸うのに、マッチはいらない、そういう感じなのかもしれない。
つまらない、とか、おもしろいとか、そういう話でもない気がする。
そういう現実に、どういう姿勢でいるか。
そういう問題だろう。
つまり問題など、、ほとんどないのと同じということだ。
ワイドショーのコメンテーターには、それについてコメントする知識も見識もはじめからないからそれはモラルの問題として片手間に処理されて、その手のシンポジウムや政府の有識者懇談会とかの技術的な場所にあっても、大体は老人たちが過去の理論を持ち出して、現状について真剣に考えようという気などはない。
ローマの時代からほとんど変わることのない法律学の中では、知的財産の分野は、その他経済法の分野とも合わせて、唯一現実との関わりの中で変化していくものだと考えていい、と、ボクは考えている。
実際訴訟の段階で、ボクは法廷に立つことはないし、第一そうならないようにするのがボクたちの仕事なので、ボクは少し気分転換が必要なときには、近くの裁判所で、どんな裁判であってもいい、強姦でも不動産でも何でもいいが、そういったものを傍聴席で漠然と眺める。
裁判所というのは外観から何まで適当に整理されていて、あまり汚れたものを見なくていい。そういった具体的に清潔な環境の中で、抽象的で複雑な人間の深い部分、それは美しくも醜くもなくただ複雑だ、を考えるのは、とても精神衛生的にはいいと思える。映画館で映画を見る、それとまったく同じだ。
その日は特におもしろそうな訴訟がなかったので、裁判所の周りを囲む桜がもう見頃を失って葉桜になったその向かいにあるレストランで、香草でグリルしたスズキと白ワインをグラスで飲んだ。
街の中心から少し北にあるこの部分はほとんどの公的な施設が集まっていて、大路をぶらぶらと歩いていると、そういった施設での方向を案内する看板があちらこちらに出ている。
「知的障害者支援施設」
たくさんの施設を案内する看板の中に書かれたその施設の名前は、「知的障害者」の部分が上からテープで貼り変えられてあった。
もともとは何かの施設であって、それが時流や要請に合わせて、それともただ以前にそこにあった言葉だけが問題であったのかもしれないが、新たな名称ともしかしたら新たな役割を与えられていた。
こんなことを考えるのは無意味で、ひょっとしたら傲慢に映るかもしれないが、言葉というのは何とも無意味で不気味で無節操だと、ボクは思った。
知的財産、知的障害、その背後にある世界はずいぶん違う。
ただ違うというだけで、それ以上に何の感慨もない。
ただ言葉というのは、それ自体にはほとんど意味がない、と思うというそれだけだ。
スーパーマーケットに並べられるように、知的財産権も知的障害者もクリームパンも洗濯溶剤も、誰かの手にとられて、棚から出されたり戻されたりしていく。
すべては組み合わせだけの問題で、それについて抽象的な問題は何もない。
ボクの生活に限っていえば、スーパーマーケットとホームセンターとドラッグストアがあれば、その生活は十分生きられるものになる。
それと最大多数の最大公約的な音楽とニュースを話題にしていれば、それが社交の十分であり、むしろ必要な教養となる。
目の前に置いてあるものを、何も考えずに、手に取って、並べて、置く。
それだけで、ボクの人生は無為に過ぎて行く。
無為に自然に十分に。
タバコを吸うのに、マッチはいらない、そういう感じなのかもしれない。
つまらない、とか、おもしろいとか、そういう話でもない気がする。
そういう現実に、どういう姿勢でいるか。
そういう問題だろう。
つまり問題など、、ほとんどないのと同じということだ。
2010年4月15日木曜日
2010年4月14日水曜日
factotum - my selfish theory of my affection.
アパートメントの外灯から、賑やかなネオンの光へ。
乱立する建物群の無数のキラビやかな光が、黒く磨かれたセダンの肌を撫で付けて、名残惜しそうに後ろに流れていく。
そういう一切の景色に無関心に目をやりながら、みほちゃんは後部シートの窓からただその流れていく光の強度を目に受け入れている。
青、黄、赤、レッド、オレンジ、紫、LED。
単純で鋭い閃光が、単調に彼女の角膜を刺激し、脳裏に残像を残していく。
一見すればそれは人間の享楽趣味の歴史、欲望を喚起させるためだけに積み上げられた醜い資本主義の娯楽産業の塊のように思われるが、そのために流された多くの汗や個人のドラマを考えると、またそれは何ともロマンティックな都市の時間を感じさせる。
ただそんな膨大な背景も、時間と切り離された他人から見れば、それはただの環境の一要素、ただの光の刺激がそこにあるという、偶然そこにあるだけの何かでしかない。
みほちゃんはじっと、それを眺めている。
車は細いアパートが密集する道の片側に停まり、運転手は外に出てドアを開けた。
彼女が玄関のブザーを押すと、出てきた男は手をとって階段を上がり、二階の部屋に案内した。
多くの人間がほとんど体の自由を奪われるくらいに溢れていて、その間を何人かのウェイターが酒を運ぼうと、そのトレンチを上に突き上げて器用に間を縫っている。
彼女を案内した男はどこかに消えて、別の男がみほちゃんの姿に気づいた。
「やっと来た。こっちだよ」
みほちゃんは首を少し傾けると、そばのウェイターにウォッカ・マティーニを頼んで、人混みの中を進んだ。
男は彼女を近くにいた人間に順番に紹介して回った。
届いたマティーニに口をつけながら、みほちゃんは軽い頷きと笑顔を続けていく。
「不満かな?」
部屋のはしに空いたソファに座って、男は聞いた。
みほちゃんはまた首を少し傾けて、意外ね、というポーズをとった。
「不満なんて、ないわ。十分、満足。だってこんなにみんなが楽しそうなのに、私が何について<満たされていない>と感じるの?私は何とも衝突していないわ。私には明日なんてないし、今はおいしいお酒がある。そんな私と、楽しんでいるみんな。どこにも問題なんてない、素晴らしい世界よ」
乱立する建物群の無数のキラビやかな光が、黒く磨かれたセダンの肌を撫で付けて、名残惜しそうに後ろに流れていく。
そういう一切の景色に無関心に目をやりながら、みほちゃんは後部シートの窓からただその流れていく光の強度を目に受け入れている。
青、黄、赤、レッド、オレンジ、紫、LED。
単純で鋭い閃光が、単調に彼女の角膜を刺激し、脳裏に残像を残していく。
一見すればそれは人間の享楽趣味の歴史、欲望を喚起させるためだけに積み上げられた醜い資本主義の娯楽産業の塊のように思われるが、そのために流された多くの汗や個人のドラマを考えると、またそれは何ともロマンティックな都市の時間を感じさせる。
ただそんな膨大な背景も、時間と切り離された他人から見れば、それはただの環境の一要素、ただの光の刺激がそこにあるという、偶然そこにあるだけの何かでしかない。
みほちゃんはじっと、それを眺めている。
車は細いアパートが密集する道の片側に停まり、運転手は外に出てドアを開けた。
彼女が玄関のブザーを押すと、出てきた男は手をとって階段を上がり、二階の部屋に案内した。
多くの人間がほとんど体の自由を奪われるくらいに溢れていて、その間を何人かのウェイターが酒を運ぼうと、そのトレンチを上に突き上げて器用に間を縫っている。
彼女を案内した男はどこかに消えて、別の男がみほちゃんの姿に気づいた。
「やっと来た。こっちだよ」
みほちゃんは首を少し傾けると、そばのウェイターにウォッカ・マティーニを頼んで、人混みの中を進んだ。
男は彼女を近くにいた人間に順番に紹介して回った。
届いたマティーニに口をつけながら、みほちゃんは軽い頷きと笑顔を続けていく。
「不満かな?」
部屋のはしに空いたソファに座って、男は聞いた。
みほちゃんはまた首を少し傾けて、意外ね、というポーズをとった。
「不満なんて、ないわ。十分、満足。だってこんなにみんなが楽しそうなのに、私が何について<満たされていない>と感じるの?私は何とも衝突していないわ。私には明日なんてないし、今はおいしいお酒がある。そんな私と、楽しんでいるみんな。どこにも問題なんてない、素晴らしい世界よ」
2010年4月12日月曜日
4/12
ダンディズムとかヒロイズムとかは、享楽趣味の中からしか生まれない。
大衆の群衆主義というのは、いつの時代も衆愚的平等を主張する。
成熟したピューリタン社会では、精神の貴族性は断罪され放逐される。
権威が弱体化した現代にあっても、そうなのだ。
しかし、恐れずに声高に叫ぶこと。
味覚が鈍るからと、タバコを吸わないようではいけない。
より一層の、堕天する快楽と勇気。
それが権威なき時代のダンディズムには、むしろ以前よりも求められているのだ。
大衆の群衆主義というのは、いつの時代も衆愚的平等を主張する。
成熟したピューリタン社会では、精神の貴族性は断罪され放逐される。
権威が弱体化した現代にあっても、そうなのだ。
しかし、恐れずに声高に叫ぶこと。
味覚が鈍るからと、タバコを吸わないようではいけない。
より一層の、堕天する快楽と勇気。
それが権威なき時代のダンディズムには、むしろ以前よりも求められているのだ。
ラベル:
esthetica.
2010年4月10日土曜日
factotum - at the
人混みの間からぐっと突き出された手には、レコーダーのマイクが握られていた。
2杯目のウォッカ・マティーニを飲み終えたあと、それが慣習上のルールだった。
タブロイド紙の質問に、彼女はこう応えた。
「私はすべてを受け入れるんです。だって大事なものはちゃんと私だけのものにしてありますから。」
2杯目のウォッカ・マティーニを飲み終えたあと、それが慣習上のルールだった。
タブロイド紙の質問に、彼女はこう応えた。
「私はすべてを受け入れるんです。だって大事なものはちゃんと私だけのものにしてありますから。」
2010年4月8日木曜日
factotum - 嘲笑
「春は曙。やうやう白くなりゆく山ぎは 少し明かりて」
寒暖が毎日入れ替わり、三日間ずつ雨と晴れがやってくる。
そのちょうど隙間に、それら一切の天気天候のバランスが静止させられたような夜。
AM4時。
穏やかに暖かい風が、サクラをゆっくりとした雨のように斜めに散らせていく。
花街の舞台セット、淡い緑の柳とサクラが灯籠の白熱球の光で闇に浮かび、川沿いに延びる石畳の路には、桜の葉がゴミのように溢れて散っている。
ダニエル君はゴミのように溢れたサクラの花びらを手ですくい、夜の闇にばらまいた。
化粧用のコットンのような手触りが不気味なくらい心地よく、ほとんど何も感じないほどに軽く体を擦り抜けていく花吹雪は、どれだけ彼がサクラというものに何の愛情も持っていないか、一連の動作や感傷がどれだけただのファッションでしかなかったか、そしてそんなものはお見通しで、どれだけ私たちがサクラをやっていると思っているのか、甘いのよ、という女性的な侮蔑と嘲笑を彼に教えた。
はなで笑うサクラに、ダニエル君は納得して、少しすねた気持ちになった。
質量を持たない、サクラ。物体。
色だけが強い、サクラ。存在。
サクラ色という色だけが存在する存在。サクラ。
バーの仕事が終わり、最後に飲んだ赤ワインが彼の意識を外に外に流し出して、それを抑えようと一気に口にいれたまっすぐのオールド・クロウが、息と目頭を熱くさせた。
瞑想するように目を細めたり見開いたりしながら、ダニエル君はサクラの葉を一掴み握りしめたまま、自室に帰る道、仕事場であるバーと自室のちょうど真ん中にある白い木造の缶詰バーの重いガラス戸を開けた。
北欧的でドイツ的、ストックホルムという言葉の色合いとブリューゲルの描いた冬の森のような土臭い白さがそのまま具現化したような木造のきしむ、バーだ。
ダニエル君は、重いガラスの引き戸に力をかけて開け、中に入り、体を反対にして、また力をかけて引き戸を閉めた。
「ごめんなさい、サクラの花びらなんだけど、ドアを開けようと思ったら捨てるしかなかったんで、外にまいちゃいました」
「全然問題ないよ、どうぞ」
「生ビールください」
ダニエル君は勘定台兼物置台のカウンターの前に付けられた低いカウンターテーブルに、箱馬くらいの高さの低いスツールにお尻をのせて、床にカバンを降ろした。
「はい、どうぞ」
ちょうど彼の目の高さの高い方のカウンターの上に、生ビールと、店に預けてあったカンパリの瓶が置かれた。
「春はカンパリ。白くなりゆく泡立ちは 少しエロくて」
カンパリ・ビア、サクラ色のルビーレッドに染められたビールは、ホップと柑橘のふたつのほのかな苦みと甘さが鼻にぬけて広がる。
サクラ色、苦み。
「で、どうするの」
「まぁ、今はいいよね。若いときだ」
「何かやらないで、どうするの」
「何もないのか」
「何かないのか」
「こんなのもいいんじゃないの」
「まさか、言えるわけないじゃないですかねぇ。書いて、暮らしたいだなんて。子供じゃないんだから」
寒暖が毎日入れ替わり、三日間ずつ雨と晴れがやってくる。
そのちょうど隙間に、それら一切の天気天候のバランスが静止させられたような夜。
AM4時。
穏やかに暖かい風が、サクラをゆっくりとした雨のように斜めに散らせていく。
花街の舞台セット、淡い緑の柳とサクラが灯籠の白熱球の光で闇に浮かび、川沿いに延びる石畳の路には、桜の葉がゴミのように溢れて散っている。
ダニエル君はゴミのように溢れたサクラの花びらを手ですくい、夜の闇にばらまいた。
化粧用のコットンのような手触りが不気味なくらい心地よく、ほとんど何も感じないほどに軽く体を擦り抜けていく花吹雪は、どれだけ彼がサクラというものに何の愛情も持っていないか、一連の動作や感傷がどれだけただのファッションでしかなかったか、そしてそんなものはお見通しで、どれだけ私たちがサクラをやっていると思っているのか、甘いのよ、という女性的な侮蔑と嘲笑を彼に教えた。
はなで笑うサクラに、ダニエル君は納得して、少しすねた気持ちになった。
質量を持たない、サクラ。物体。
色だけが強い、サクラ。存在。
サクラ色という色だけが存在する存在。サクラ。
バーの仕事が終わり、最後に飲んだ赤ワインが彼の意識を外に外に流し出して、それを抑えようと一気に口にいれたまっすぐのオールド・クロウが、息と目頭を熱くさせた。
瞑想するように目を細めたり見開いたりしながら、ダニエル君はサクラの葉を一掴み握りしめたまま、自室に帰る道、仕事場であるバーと自室のちょうど真ん中にある白い木造の缶詰バーの重いガラス戸を開けた。
北欧的でドイツ的、ストックホルムという言葉の色合いとブリューゲルの描いた冬の森のような土臭い白さがそのまま具現化したような木造のきしむ、バーだ。
ダニエル君は、重いガラスの引き戸に力をかけて開け、中に入り、体を反対にして、また力をかけて引き戸を閉めた。
「ごめんなさい、サクラの花びらなんだけど、ドアを開けようと思ったら捨てるしかなかったんで、外にまいちゃいました」
「全然問題ないよ、どうぞ」
「生ビールください」
ダニエル君は勘定台兼物置台のカウンターの前に付けられた低いカウンターテーブルに、箱馬くらいの高さの低いスツールにお尻をのせて、床にカバンを降ろした。
「はい、どうぞ」
ちょうど彼の目の高さの高い方のカウンターの上に、生ビールと、店に預けてあったカンパリの瓶が置かれた。
「春はカンパリ。白くなりゆく泡立ちは 少しエロくて」
カンパリ・ビア、サクラ色のルビーレッドに染められたビールは、ホップと柑橘のふたつのほのかな苦みと甘さが鼻にぬけて広がる。
サクラ色、苦み。
「まぁ、今はいいよね。若いときだ」
「何かやらないで、どうするの」
「何もないのか」
「何かないのか」
「こんなのもいいんじゃないの」
「まさか、言えるわけないじゃないですかねぇ。書いて、暮らしたいだなんて。子供じゃないんだから」
2010年4月5日月曜日
factotum - 談笑
ボクは、以前にダニエル君が話していた、ダニエル君がみほちゃんに宛てたメールの内容を聞いたときのことを、契約書作りの作業の合間、血行不良の眉間を親指と中指で指圧して、目をぐっと開いて、首を回してタバコをくわえ、オフィスの外に、他の事務所との共有スペースに取り付けられた分煙室で一服吸おうとして、思い出した。
Deer Miss Holiday Golightly.
僕の英語は稚拙だから、どうか許して。アフリカはどう?
こっちはやっとまずまずの暮らしが出来るようになってきました。
(僕ももうあれこれ浮遊感を感じることも昔に比べて減ったしね:-) )
僕にはそっちの生活なんて全く想像もつかないけれど、たまに届いていた君の手紙からすると、君にはやっぱりマッチしているんだろうね。
君があの建物と、あの街からいなくなってずいぶんと経つ。
その間も僕は、君とはしゃいだあの橋や、公園(僕はあやうく死にそうになった!)をたまに歩けば、本当にバカらしいんだけど幾度かは実際に君と一緒にいるようにも思ったんだ!本当に、現実のようにね。
こうして手紙を書こうと思っても、君のことだから、またどこか遠いところで楽しんでいるんだろうし、結局見ることもないかもしれない。
それでも、僕は君が大好きだから、やっぱりこれを郵便ポストに入れることにするよ。考えても仕方ないってことに気づいたんだ。君はいつも"traveling"だしね。
また近々、あの場所達(君がお面を盗んだグラッセリーにも行かなくちゃ)を訪れることもあるかもしれない。
その時には、また君の夢を見るんだろうか?
from your "Fred"
「今でも、あのときと気持ちは変わらないね。いや、好きとか嫌いとかの気持ちがじゃなくて、そのとき自分がどういう気持ちで彼女に話したかということを考えると、そのときの自分は今でも自分の中で生きているってことね。よく言うような、若いときの自分はもう別人だ、っていうのが、少なくともこれにはない。ってことは、悪くないんだよね、たとえ別に意味もなくて、よくもなくても。」
「そういうふうな気持ちの伝え方か。嫌みじゃなくて、感心するよ。ボクにはまぁ、できないしね。そういえば、そもそも人に自分の何かを言うっていうことをしないな。」
「そもそも人に何かを思うってことが、ほとんどないんじゃないの。大文字の<ひと>から入るよね。<ひと>全部にざっくり印象をもって、そっからこう個人とかに感情移入していくじゃない。ぼくはチョロQみたいにこう、当たっては捨ててって感じだけど。最初から付き合う人に対して慎重な段取りがあるよね」
「でも姿勢は変わらないよ。お互い、傷つくのは嫌いだよ。小さな円を広げていくか、大きい円をせばめていくかの違いだけじゃない。」
「はい、落ちましたね。見事」
タバコの濃厚な煙とアルコールの上気する芳香で歪められたボクの部屋で、ミュートされた深夜のテレビショッピングだけが乾いた動きを繰り返す。
朝が来るのがなぜ憂鬱かと言えば、無生産なことがわかっているのに、さも意味ありげに生産してますよというロールプレイングの世界に戻らなくてはいけなくなるからだ。特に大学なんていうのは、そういうところだ。本当に何にもならなくても、何もやってないことすらもやってることになるんだから。大学生なんて固有名詞は、社会から抹殺したほうがいい。
ボクは若いときに、思えばそれくらいのことを思ったものだと思い出して、笑ってタバコを灰皿に潰した。
今でもそう思う。少し気を抜いたり緩んだりすると話の進め方がラディカルになってしまうのは、変わらない。
ただ、仕事のいいところは、給料が出るということだ。やらないこととやることの間に、はっきりと線がひかれる、そこが気持ちの落ち着くところだ。そうじゃないなら、何も変わらない。ただ弓なりの体力の推移だけのライフコースがあるだけだ。
ボクははっきりと、<ひと>の生活リズムに、自分に生活のリズムを合わせてしまった、そういう生活と日常を自分に与えてしまった。
これが悪いことなのかどうか、それがわからない。
Deer Miss Holiday Golightly.
僕の英語は稚拙だから、どうか許して。アフリカはどう?
こっちはやっとまずまずの暮らしが出来るようになってきました。
(僕ももうあれこれ浮遊感を感じることも昔に比べて減ったしね:-) )
僕にはそっちの生活なんて全く想像もつかないけれど、たまに届いていた君の手紙からすると、君にはやっぱりマッチしているんだろうね。
君があの建物と、あの街からいなくなってずいぶんと経つ。
その間も僕は、君とはしゃいだあの橋や、公園(僕はあやうく死にそうになった!)をたまに歩けば、本当にバカらしいんだけど幾度かは実際に君と一緒にいるようにも思ったんだ!本当に、現実のようにね。
こうして手紙を書こうと思っても、君のことだから、またどこか遠いところで楽しんでいるんだろうし、結局見ることもないかもしれない。
それでも、僕は君が大好きだから、やっぱりこれを郵便ポストに入れることにするよ。考えても仕方ないってことに気づいたんだ。君はいつも"traveling"だしね。
また近々、あの場所達(君がお面を盗んだグラッセリーにも行かなくちゃ)を訪れることもあるかもしれない。
その時には、また君の夢を見るんだろうか?
from your "Fred"
「今でも、あのときと気持ちは変わらないね。いや、好きとか嫌いとかの気持ちがじゃなくて、そのとき自分がどういう気持ちで彼女に話したかということを考えると、そのときの自分は今でも自分の中で生きているってことね。よく言うような、若いときの自分はもう別人だ、っていうのが、少なくともこれにはない。ってことは、悪くないんだよね、たとえ別に意味もなくて、よくもなくても。」
「そういうふうな気持ちの伝え方か。嫌みじゃなくて、感心するよ。ボクにはまぁ、できないしね。そういえば、そもそも人に自分の何かを言うっていうことをしないな。」
「そもそも人に何かを思うってことが、ほとんどないんじゃないの。大文字の<ひと>から入るよね。<ひと>全部にざっくり印象をもって、そっからこう個人とかに感情移入していくじゃない。ぼくはチョロQみたいにこう、当たっては捨ててって感じだけど。最初から付き合う人に対して慎重な段取りがあるよね」
「でも姿勢は変わらないよ。お互い、傷つくのは嫌いだよ。小さな円を広げていくか、大きい円をせばめていくかの違いだけじゃない。」
「はい、落ちましたね。見事」
タバコの濃厚な煙とアルコールの上気する芳香で歪められたボクの部屋で、ミュートされた深夜のテレビショッピングだけが乾いた動きを繰り返す。
朝が来るのがなぜ憂鬱かと言えば、無生産なことがわかっているのに、さも意味ありげに生産してますよというロールプレイングの世界に戻らなくてはいけなくなるからだ。特に大学なんていうのは、そういうところだ。本当に何にもならなくても、何もやってないことすらもやってることになるんだから。大学生なんて固有名詞は、社会から抹殺したほうがいい。
ボクは若いときに、思えばそれくらいのことを思ったものだと思い出して、笑ってタバコを灰皿に潰した。
今でもそう思う。少し気を抜いたり緩んだりすると話の進め方がラディカルになってしまうのは、変わらない。
ただ、仕事のいいところは、給料が出るということだ。やらないこととやることの間に、はっきりと線がひかれる、そこが気持ちの落ち着くところだ。そうじゃないなら、何も変わらない。ただ弓なりの体力の推移だけのライフコースがあるだけだ。
ボクははっきりと、<ひと>の生活リズムに、自分に生活のリズムを合わせてしまった、そういう生活と日常を自分に与えてしまった。
これが悪いことなのかどうか、それがわからない。
factotum - ●
「いいかい!そのイスから少しでもお尻をあげたり、意味なくバカみたいに大げさなリアクションなんてしたら、殺してやる!そのふとももを思いっ切り打ちつけて真っ青にする!とりあえず黙って、くだらないことはしないで、適当な顔をしてればいいから、とにかくボクの話を聞いてるんだ。いい!そう、体育座りでもなんでもいい、ドアの方は見るな!とにかくここにいるということだけを誓う、ボクにくだらない疑いや憤慨をさせないこと、脇道によらなければいけないようなことは一切させないことだ!ボクはとにかくちゃんと話したいんだ、キミはどうでもいい、だからキミをどれだけ痛めつけてもいい、別に痛めつけたくはない、つまり本当にキミはどうでもいいんだ、ボクは落ち着いて自分で話していたい、キミはそれを聞いている、ただそれだけの平和がここにあればいいんだよ、わかった!?」
2010年4月3日土曜日
get back, cut back.
現在にしても、それとも過去のことを今にまた考え直してみるにしても、
たとえば、「そういうことだ」という文末と、別の言葉で漠然としたイメージを生み出すことによって、そのニュアンスやメッセージを伝えようとする文体があるように、
別の状況や状態、異なった性格や身体によって、物語やその世界を紡ぐということが出来るし、そのことは証明されている。
そして、それら<変換されたものたち>の一つ一つに明確な連続性を一見して感じることが困難な場合にしても、しかしそれをテクストの読み手に了解し、納得してもらう、させることにもし成功する、成功するだろう自信をもってそれに望むことができるならば、
言葉のひとつひとつの外形的な連続というのは、まったく意味のない、そして意味のなくていいものになり、言葉、文章、文体、紡がれたストーリーは、その全体的な統合のために存在させられるのだろう。
男根のように反り返る鋭利で力強い屠殺包丁にぶち切りにされるように、文字と文章は悲鳴をあげる。
それがある種一流の創作の条件であり、必要悪、どうしようもない犠牲なのだ。
たとえば、「そういうことだ」という文末と、別の言葉で漠然としたイメージを生み出すことによって、そのニュアンスやメッセージを伝えようとする文体があるように、
別の状況や状態、異なった性格や身体によって、物語やその世界を紡ぐということが出来るし、そのことは証明されている。
そして、それら<変換されたものたち>の一つ一つに明確な連続性を一見して感じることが困難な場合にしても、しかしそれをテクストの読み手に了解し、納得してもらう、させることにもし成功する、成功するだろう自信をもってそれに望むことができるならば、
言葉のひとつひとつの外形的な連続というのは、まったく意味のない、そして意味のなくていいものになり、言葉、文章、文体、紡がれたストーリーは、その全体的な統合のために存在させられるのだろう。
男根のように反り返る鋭利で力強い屠殺包丁にぶち切りにされるように、文字と文章は悲鳴をあげる。
それがある種一流の創作の条件であり、必要悪、どうしようもない犠牲なのだ。
2010年4月2日金曜日
ある発作。
「なんだか急に、その、苦しくなるんです、そう、学校に行く道の途中とか、お風呂でシャワーを浴びている時間とか、あと寝るときもそうです。息ができなくなるんです。どんどん疲れて、どんどん元気がなくなっていってしまうみたいな、そんな感じです。それであと少しでもう力尽きてしまう、そのギリギリのところでやっと自分の命が助かったと思うんです。もう体が汗でびっしょりしていて、心臓も呼吸もぜいぜいしているんです。そのあとは、すごく気分が晴れていく感じがします。どこからともなく爽やかな気持ちのいい風が吹いてきて、ぼくの熱くなったおでこを涼しくしてくれるんです。」
「コールフィールド氏症だね。」
机の上のカルテにメモをとりながらその横顔でダニエル君の話を聞いていた内科医は、患者の話が終わると、自身の低いスツールを回転させて、メガネを外し、ダニエル君を正面に見た。
「コールフィールド氏症、そう名付けてあげよう。いいかい、君はこれからその病気と一生付き合っていくことになる。原因ははっきりとある。君の性格のある種の部分が、君の現実の問題を解決しようとするときに、君にそういう気分をとらせるんだ。でもこれは悪いことじゃない。むしろ、おかげで君は結果的には物事を肯定的に進めていけるだろう。いいね、君はそういう病気だ。これは治さなければいけないものじゃないし、治らないからってまったく恥ずかしがることはないんだ。誰かに悪口や、おかしい、とか言われたら、堂々と言ってやりなさい。そうだよ、そのとおり病気だ、でも君に何の関係があるんだ!ってね」
「コールフィールド氏症だね。」
机の上のカルテにメモをとりながらその横顔でダニエル君の話を聞いていた内科医は、患者の話が終わると、自身の低いスツールを回転させて、メガネを外し、ダニエル君を正面に見た。
「コールフィールド氏症、そう名付けてあげよう。いいかい、君はこれからその病気と一生付き合っていくことになる。原因ははっきりとある。君の性格のある種の部分が、君の現実の問題を解決しようとするときに、君にそういう気分をとらせるんだ。でもこれは悪いことじゃない。むしろ、おかげで君は結果的には物事を肯定的に進めていけるだろう。いいね、君はそういう病気だ。これは治さなければいけないものじゃないし、治らないからってまったく恥ずかしがることはないんだ。誰かに悪口や、おかしい、とか言われたら、堂々と言ってやりなさい。そうだよ、そのとおり病気だ、でも君に何の関係があるんだ!ってね」
2010年4月1日木曜日
我が肝を喰らう朝。
原始的な体内から、その味が受容される高尚な感覚器官に向かって、我が臓器を喰らう。
消化のために分泌された肝臓の液は、ついに対象を失ってしまった胃液の後に、我と我が肉体の愚かさをしっかりと見せつけるために、もともとそれが提出された機関、肝臓の味、それは豚や鳥のレバーを思い出せば足りる、肝臓の中でもとびきり苦い緑色の部分を、その立体的なテクスチャー、肝臓を、口の中に再構成する。
私は今、私の肝臓を喰っている。
腹中のあらゆる臓器、胃袋、膵臓、肝臓、腎臓のすべてが食道めがけて結集し、逆流し、下水に向かって吐き出され、そうして自身を構成している諸機関の実体を、頭脳が逐一認識させられる。
吐瀉は肉体の防衛であり、我が身可愛さによる生命連鎖の冒涜である。
私は、私全部の未来のために、我が子、我が肝臓を喰らう。
すべては私の精神の非生産だ。
消化のために分泌された肝臓の液は、ついに対象を失ってしまった胃液の後に、我と我が肉体の愚かさをしっかりと見せつけるために、もともとそれが提出された機関、肝臓の味、それは豚や鳥のレバーを思い出せば足りる、肝臓の中でもとびきり苦い緑色の部分を、その立体的なテクスチャー、肝臓を、口の中に再構成する。
私は今、私の肝臓を喰っている。
腹中のあらゆる臓器、胃袋、膵臓、肝臓、腎臓のすべてが食道めがけて結集し、逆流し、下水に向かって吐き出され、そうして自身を構成している諸機関の実体を、頭脳が逐一認識させられる。
吐瀉は肉体の防衛であり、我が身可愛さによる生命連鎖の冒涜である。
私は、私全部の未来のために、我が子、我が肝臓を喰らう。
すべては私の精神の非生産だ。
2010年3月31日水曜日
factotum - leave for
蝶になり、夢になり、世界を放蕩した後で、ダニエル君は改札を抜け、警報響き渡る巨大な現代建築の駅、乗り込んだ電車から、揺れる車窓の不明瞭な光の向こうに、誰も訪れたことのない田園風景を眺める。
終末への旅路。
そんなまたしても過剰なセンチメンタリズムに浮かぶ苦笑と恥を必死に堪えながら、彼は窓外のただ流れていくだけの彼のセンチメンタリズムに、何の感慨もないはずの哀愁、まったく彼の彼自身のための愛おしさに捧げられた哀愁とたっぷりの憂鬱を映す。
完璧に虚飾のない、自己愛の披瀝、その承認。
努力しても努力してもすぐに外に流れてしまう自己愛の理由を、ダニエル君は今日にあって初めて自分の掌に留め閉じ込めた。
「誰のものでもない、誰のせいでもない、ボクのナルシシズムはボクだけのもの。誰のためでもないし、誰かのためでなくてもいい。これだけは守り通す価値のあるもの。侵されない聖域。無敵の抵抗。」
ある一定のリズムで、時折、硬質な車両の、大蛇の胴のような痙攣を感じる。
自分の横隔膜が、それにつられて上下する。
ダニエル君はあまりの気持ちの悪さに、車中のトイレに入り、嘔吐した。
吐き出された吐瀉物と、嘔吐のためにきつく締め上げられた首、目の充血と涙に、彼はまた自己愛の快感を世界に描くが、洗面台の鏡に映る鬱血した自分の顔を見て、それが自分とは関係のない予定外にもたらされた世界の振動に由来していることを少し真面目に考えた。
電車の清潔な蛇腹の中で、その鼓動と一体になった彼の不健康は、彼が電車のスピード、都市と都市とをその間のあらゆる土地を無視しながら切り裂いて進むその進行、客観的には猛然とした車両の疾走と反対に在る穏やかな体内の平和、そういった想像を彼自身の中に取り込んだ瞬間に始まった。
電車を観測するその視点は、線路脇に鳴く泥だらけの赤目のカエルであり、相対論の宇宙である。
ロンドンで子供を虐待するベビーシッターの存在、隣人をスーツケースや川底に次々と沈めるアメリカの猟奇殺人犯を伝えるニュースに震えるように、彼は世界を引き受ける。
引き受けられた電車の、ダニエル君への愛撫が、今目の前に流れていった嘔吐を引き起こした。
そんなあまりに酷い彼の空想こそ、彼の行く先、到着駅の明快な答えであるかのように。
終末への旅路。
そんなまたしても過剰なセンチメンタリズムに浮かぶ苦笑と恥を必死に堪えながら、彼は窓外のただ流れていくだけの彼のセンチメンタリズムに、何の感慨もないはずの哀愁、まったく彼の彼自身のための愛おしさに捧げられた哀愁とたっぷりの憂鬱を映す。
完璧に虚飾のない、自己愛の披瀝、その承認。
努力しても努力してもすぐに外に流れてしまう自己愛の理由を、ダニエル君は今日にあって初めて自分の掌に留め閉じ込めた。
「誰のものでもない、誰のせいでもない、ボクのナルシシズムはボクだけのもの。誰のためでもないし、誰かのためでなくてもいい。これだけは守り通す価値のあるもの。侵されない聖域。無敵の抵抗。」
ある一定のリズムで、時折、硬質な車両の、大蛇の胴のような痙攣を感じる。
自分の横隔膜が、それにつられて上下する。
ダニエル君はあまりの気持ちの悪さに、車中のトイレに入り、嘔吐した。
吐き出された吐瀉物と、嘔吐のためにきつく締め上げられた首、目の充血と涙に、彼はまた自己愛の快感を世界に描くが、洗面台の鏡に映る鬱血した自分の顔を見て、それが自分とは関係のない予定外にもたらされた世界の振動に由来していることを少し真面目に考えた。
電車の清潔な蛇腹の中で、その鼓動と一体になった彼の不健康は、彼が電車のスピード、都市と都市とをその間のあらゆる土地を無視しながら切り裂いて進むその進行、客観的には猛然とした車両の疾走と反対に在る穏やかな体内の平和、そういった想像を彼自身の中に取り込んだ瞬間に始まった。
電車を観測するその視点は、線路脇に鳴く泥だらけの赤目のカエルであり、相対論の宇宙である。
ロンドンで子供を虐待するベビーシッターの存在、隣人をスーツケースや川底に次々と沈めるアメリカの猟奇殺人犯を伝えるニュースに震えるように、彼は世界を引き受ける。
引き受けられた電車の、ダニエル君への愛撫が、今目の前に流れていった嘔吐を引き起こした。
そんなあまりに酷い彼の空想こそ、彼の行く先、到着駅の明快な答えであるかのように。
2010年3月30日火曜日
factotum - standard deviation
4月と3月の祝祭、喧噪、にぎやかなパレード、浮かれる人々の熱気と消費欲。エネルギーと物質が、あらゆる価値が目まぐるしく交換される日常の祭典の中に、一人の獣がいる。
黒い影を地に落としながらその悪魔は、羞恥と自虐に酔い、そのための酒にまた酔い、人身の間に紛れている。何の暴力を披露するのでもなく、夢想するその惚けた視線に自分を引きずりながら、自己充足的な狂気、自分への問いかけと自分への応答、社会、テクノロジー、愛についての教理門答の循環があるばかり。獣の闇は、世間のどこにもなく、ただ彼の世界の中にある。その存在自体がそのレーゾン・デートルであるようなサディズム、彼の彼に対する彼のための虐待は、悪魔に誠実な羞恥と陶酔の涙を浮かべる。
自己憐憫とナルシシズムの国の王子。それがこの半獣、ダニエル君の正体だ。
人間と人間の間を縫うように駆け抜け、ぶつかりながら、体の疲労よりももっぱら自意識の過剰から来る切迫感にぜいぜい息を揚げて、ダニエル君はアーケードとアーケードを結ぶ細い路地の細いビルの三階、狭く急な階段を駆け上がり、ガラスのきれいなドアを押して、外光を遮断して薄暗い、オレンジ色の間接照明にところどころガレ風のランプを飾っている店内を、奥にくぐもる人影をちらほらと見遣り、手前カウンター中頃の椅子をひいて、若いマスターにアイリッシュコーヒーを頼む。
「アイリッシュコーヒー」
ダニエル君は、昨日読んだノベルが忘れられない。一季節過ぎるまではクリーニングしない雨風と太陽に擦られたブレザーと白いシャツの間、胸の暗い内ポケットに手を入れて、シガリロを取り出し、火を着ける。ゆっくり、吹かす。
「あんな童貞小説。ふざけるな。頽廃、ブルジョア、美男美女?、なに、余裕というところが大前提のつまらないドラマトゥルギー?嘘をつけよ。通り一遍等の描写と少し不思議(SF)なインテリ男女の乳臭い児戯。その配置が、出版だって?会社か。ならドラッカーでも読めばいい、というところまでもいかないんだろ、えぇ?くだらない戯れ言を何ページもやるくらいなら一発、やれよ。許せない、許せない」
それは彼のつまらないフラストレーション、何を為すのでもなくただ感想ばかりでウェブの海を汚している、ネットの海に惰眠を貪る廃退者、敗退することも勝利することもない自分可愛さと自分の許せない憎さからの発露であり、そんな鬱憤の発生の原因も事実も彼にはよくわかっている。だからこそ彼の党是は、表現という行為に、その行為自体に価値を与えているし、純粋なカロリーの消費でも、その事実の存在自体に敬意を払っている。
「それにしても、だ」
「お待たせしました。どうぞ」
「ごめんなさい。これと、ストレートでジョニーウォーカーを。赤で」
しかし、これも、スノビズムなのだろうか。今ここにある状況は間違いのない事実だけれども(少なくとも自分では証明できる。しかしそれでしかないし、それ以上でもそれ以外でもない!)、この自分の現実もまたあの文章の、通り一遍等の通俗文語の羅列、何のリアリティもない、少なくともある人間にはそう感じられる状況設定と同じように他人に存在するのだろうか。文学世界の状況をひとまず純粋に受け入れない、そんな読み手の方が穿っているのだろうか。自分の認める現実感しか認めない偏狭さこそが、他人に笑われているのだろうか。全員が全員、真剣に世界と意味を提示しているのか。審判し、批評する、それは思い上がりか?しかしではいつ、彼は彼を提出できるのか。脱構築することこそが正義と認めるならば(それが不正義なら、では彼は彼となるのか。彼の名札は生まれたときから変わらないのか!)、表現するとは諦めることでしかないのではないか。そうか、それが市場原理に原罪として呪われている現在の人間なのか。そうか、嫌でも他人の認証を獲たいと願うくせに、趣味の自由と高尚さを歌う旧来的な偽道徳の狭間で、ボクたちはブログとSNS、掲示板に、目を充血させているのだ。
「先生、理屈ご立派、しかし表現を諦めることもせず、かといって趣味を、わがままな生き方を諦めることもしない、そんな作家先生に、あなた、居場所と対価があると、そんな甘いこと、まさかお考えですか。いや、実にあっぱれ見事、ご立派ですよ!」
彼らは偉い。商品を生み出すこと、それこそが正義。交換こそが、生きる権利。無産こそが、不正。誠実さなど、ただの言い訳。人間と人間の間は、そうなっているのだ。そんな当然の手引きも知らない理解できない人非人に、人の間で息づく権利など、ない。
世界のある一座標、地表から浮かぶコンクリートとガラスの造形美、暗い人工照明に定義された箱型の空間の中で、煙とアルコールを纏う彼の思考もまた、論理と夢想の靄に消えていく。まだ熱いコーヒーにぬるいスコッチを生のままぶち込んで、上気する甘ったるいヨード香を思い切り吸い込んだダニエル君の胃が、まさに嗜好品の熱で満たされれる。
「パンチ!」
思考も嗜好も志向を失い、四方八方に爆発した。彼がさっきまで真剣に抵抗し拒否し続けたようなそんな戯れ言で、ダニエル君は今までの10分をすべて茶化して、冗談にした。
えぐく、暗い、冗談。
黒い影を地に落としながらその悪魔は、羞恥と自虐に酔い、そのための酒にまた酔い、人身の間に紛れている。何の暴力を披露するのでもなく、夢想するその惚けた視線に自分を引きずりながら、自己充足的な狂気、自分への問いかけと自分への応答、社会、テクノロジー、愛についての教理門答の循環があるばかり。獣の闇は、世間のどこにもなく、ただ彼の世界の中にある。その存在自体がそのレーゾン・デートルであるようなサディズム、彼の彼に対する彼のための虐待は、悪魔に誠実な羞恥と陶酔の涙を浮かべる。
自己憐憫とナルシシズムの国の王子。それがこの半獣、ダニエル君の正体だ。
人間と人間の間を縫うように駆け抜け、ぶつかりながら、体の疲労よりももっぱら自意識の過剰から来る切迫感にぜいぜい息を揚げて、ダニエル君はアーケードとアーケードを結ぶ細い路地の細いビルの三階、狭く急な階段を駆け上がり、ガラスのきれいなドアを押して、外光を遮断して薄暗い、オレンジ色の間接照明にところどころガレ風のランプを飾っている店内を、奥にくぐもる人影をちらほらと見遣り、手前カウンター中頃の椅子をひいて、若いマスターにアイリッシュコーヒーを頼む。
「アイリッシュコーヒー」
ダニエル君は、昨日読んだノベルが忘れられない。一季節過ぎるまではクリーニングしない雨風と太陽に擦られたブレザーと白いシャツの間、胸の暗い内ポケットに手を入れて、シガリロを取り出し、火を着ける。ゆっくり、吹かす。
「あんな童貞小説。ふざけるな。頽廃、ブルジョア、美男美女?、なに、余裕というところが大前提のつまらないドラマトゥルギー?嘘をつけよ。通り一遍等の描写と少し不思議(SF)なインテリ男女の乳臭い児戯。その配置が、出版だって?会社か。ならドラッカーでも読めばいい、というところまでもいかないんだろ、えぇ?くだらない戯れ言を何ページもやるくらいなら一発、やれよ。許せない、許せない」
それは彼のつまらないフラストレーション、何を為すのでもなくただ感想ばかりでウェブの海を汚している、ネットの海に惰眠を貪る廃退者、敗退することも勝利することもない自分可愛さと自分の許せない憎さからの発露であり、そんな鬱憤の発生の原因も事実も彼にはよくわかっている。だからこそ彼の党是は、表現という行為に、その行為自体に価値を与えているし、純粋なカロリーの消費でも、その事実の存在自体に敬意を払っている。
「それにしても、だ」
「お待たせしました。どうぞ」
「ごめんなさい。これと、ストレートでジョニーウォーカーを。赤で」
しかし、これも、スノビズムなのだろうか。今ここにある状況は間違いのない事実だけれども(少なくとも自分では証明できる。しかしそれでしかないし、それ以上でもそれ以外でもない!)、この自分の現実もまたあの文章の、通り一遍等の通俗文語の羅列、何のリアリティもない、少なくともある人間にはそう感じられる状況設定と同じように他人に存在するのだろうか。文学世界の状況をひとまず純粋に受け入れない、そんな読み手の方が穿っているのだろうか。自分の認める現実感しか認めない偏狭さこそが、他人に笑われているのだろうか。全員が全員、真剣に世界と意味を提示しているのか。審判し、批評する、それは思い上がりか?しかしではいつ、彼は彼を提出できるのか。脱構築することこそが正義と認めるならば(それが不正義なら、では彼は彼となるのか。彼の名札は生まれたときから変わらないのか!)、表現するとは諦めることでしかないのではないか。そうか、それが市場原理に原罪として呪われている現在の人間なのか。そうか、嫌でも他人の認証を獲たいと願うくせに、趣味の自由と高尚さを歌う旧来的な偽道徳の狭間で、ボクたちはブログとSNS、掲示板に、目を充血させているのだ。
「先生、理屈ご立派、しかし表現を諦めることもせず、かといって趣味を、わがままな生き方を諦めることもしない、そんな作家先生に、あなた、居場所と対価があると、そんな甘いこと、まさかお考えですか。いや、実にあっぱれ見事、ご立派ですよ!」
彼らは偉い。商品を生み出すこと、それこそが正義。交換こそが、生きる権利。無産こそが、不正。誠実さなど、ただの言い訳。人間と人間の間は、そうなっているのだ。そんな当然の手引きも知らない理解できない人非人に、人の間で息づく権利など、ない。
世界のある一座標、地表から浮かぶコンクリートとガラスの造形美、暗い人工照明に定義された箱型の空間の中で、煙とアルコールを纏う彼の思考もまた、論理と夢想の靄に消えていく。まだ熱いコーヒーにぬるいスコッチを生のままぶち込んで、上気する甘ったるいヨード香を思い切り吸い込んだダニエル君の胃が、まさに嗜好品の熱で満たされれる。
「パンチ!」
思考も嗜好も志向を失い、四方八方に爆発した。彼がさっきまで真剣に抵抗し拒否し続けたようなそんな戯れ言で、ダニエル君は今までの10分をすべて茶化して、冗談にした。
えぐく、暗い、冗談。
2010年3月29日月曜日
factotum - beast
鈍く眼を開けて、くしゃくしゃに着たままの姿のシャツのはだけたボタンをそのままに、眠るように重く立ち上がり、体全体を不安定にグラグラとそのバランスを揺らしながら、固まったままの片腕を、肘から手首、そこから五つに開かれる指先の間隔を、力いを込めて緊張させ、優雅に開閉ししなやかに舞わせ、そのエネルギーを確認して、部屋の隅に酒宴の波に打ち上げられたように打ち捨てられた投げ捨てられた紺のブレザーを掬い上げ、袖を通し、酒のイメージに濡れたままの格好で、びしょびしょで、玄関に突進し、体全体をぶつけるように彼はドアを開けた。
そのままドアの外、白い石膏の壁に突き当たり、しばらく壁に全身を這わせたあとで、息を吸い、吐き、呼吸して、一気に体を反転させ、ダニエル君はポケットにあるだろう鍵をつかみ、自室を閉める。
グレングールドの荘重なリズム、ダニエル君は絶対的で超越的な観念を設定することを常に好まなかったし、その意味で神という概念を何かしらの感想や説明に用いることはしなかったが、ゴルドベルグ変奏曲の旋律の余白と交叉の中には、彼のような不信心をもってしても何か遠くの、その手を伸ばしても触れられない光が、無条件の陶酔の輝きが見える、そんな錯覚が訪れるのだった。
自分の眼前に広がり移動して行く景色に、虚ろな眼を投げかけたまま、彼の耳鼻と、その両手両指先の旋回は、音楽を奏でながら宙をぶらぶらと舞う。
彼の音楽的な指の間を、あらゆるモノが擦り抜けていく、流れていく。
自転車や車、町家作りからモダニズムまでの建築物、原色を纏って騒ぐ子供たち。自分の周りをそれらあらゆるモノたちが回転しながら通り過ぎていく中で、ダニエル君は自分自身の存在の滑稽さに、少し自嘲をはさみながらも微笑むしかなかった。
彼は、自分のする動作によって、彼自身のその物質として確かな存在の質量すらも、ふわふわと空気の中に漂わせていくのだった。それは彼の演出だろうか、フィクション、それともただの偶然。それを彼が知る方法はそれまでも、そしてこれからも永遠に存在しない。
自嘲と冷静、忘却と夢想、そんなイメージで脳を満たしていたダニエル君は途端に、拳をきつく握りしめ、彼の体すぐ横の電信柱の胴、黄と黒の縞、街路樹の幹、店舗のショーウインドウめがけて、彼がそれまでに使った思考のエネルギーのすべてを爆発させて、それら一切の安定した存在を破壊したくなる熱気に体が震える。ある肉体を引裂き、それを頭から食うような仕草をしてそれら屍を道路の端に投げ捨て、そうやって街を進む。人間には本能として理由もなく、ある思考と全く正反対のベクトルに向かう思考や衝動が出現するものなのだ、と叫びたくなる。邪悪の王のように、世界を蹂躙する。馬鹿馬鹿しい全能感。内省的な冷たさを、胃壁をそのまま裏返しにして吐瀉するように、獣の獰猛に変換させる。
そんなイメージを弄びながら、ダニエル君は、平和な街のカフェやレストランのメニューたちに目を留め、一瞥しては次に、一瞥しては移っていった。
大通りには、太陽が高い空から、青い空を切り拓いて、世界の全部を白く露出させている。すべての存在はその白さが飛んで、まったく影のない姿で、世界に開放されている。
急に痛感する敗北感が彼の視界を壊した。絶対的な太陽の前に、彼はイメージの国の王、自己中心的な楽園の神としての地位を失脚させられた。飛び込んでくる世界の美しさと、壊された彼のの世界への憧憬が、彼の自尊心やアイデンティティを切り裂く。血まみれに破れた自分の体に、ダニエル君は射精するほどのこの上ない快感を感じている。
「まぶしいほどのすがすがしさ。すっと吹き抜ける風は精霊の絹のようだ。あぁ。つまらない。つまらないよ。」
涙に目を赤くして、彼はまた自分の楽園、天地創造にとりかかった。
すべての街路から溢れ出してくる異常なスピードに、ダニエル君は包まれる。車や二輪車が極彩色の光線のように疾走し、人間は流れるように踊りながら彼の立つ街のメインストリートを過ぎてゆく。ダニエル君はその中心で目を閉じながら、生まれでてくる状況を受け入れる。彼は今、夢の中にいる。彼は今、この状況を夢として採用し、認めた。
「夢の世界だ」
日常の慣習的な風景に、異質な要素が一つでも加わりさえすれば、それを夢と認めるには十分だ。彩度、速度、律動。要素の単純な操作、その操作を感じる想像力。人間が夢を見る、夢に向かうことなど簡単なのだとダニエル君は考える。彼の太陽は、目の前の景色に極端な彩度を与え、歩行者に木々に建築に彼らに自由なリズムを与えた。世界は鮮やかに輝き、踊っている。彼はそこから一気に世界を拡大させ、彼自身の主体性もその世界と同化させた。彼は夢になり、蝶になり、大気に飛び、夢から覚めて、夢を生きた。
そのままドアの外、白い石膏の壁に突き当たり、しばらく壁に全身を這わせたあとで、息を吸い、吐き、呼吸して、一気に体を反転させ、ダニエル君はポケットにあるだろう鍵をつかみ、自室を閉める。
グレングールドの荘重なリズム、ダニエル君は絶対的で超越的な観念を設定することを常に好まなかったし、その意味で神という概念を何かしらの感想や説明に用いることはしなかったが、ゴルドベルグ変奏曲の旋律の余白と交叉の中には、彼のような不信心をもってしても何か遠くの、その手を伸ばしても触れられない光が、無条件の陶酔の輝きが見える、そんな錯覚が訪れるのだった。
自分の眼前に広がり移動して行く景色に、虚ろな眼を投げかけたまま、彼の耳鼻と、その両手両指先の旋回は、音楽を奏でながら宙をぶらぶらと舞う。
彼の音楽的な指の間を、あらゆるモノが擦り抜けていく、流れていく。
自転車や車、町家作りからモダニズムまでの建築物、原色を纏って騒ぐ子供たち。自分の周りをそれらあらゆるモノたちが回転しながら通り過ぎていく中で、ダニエル君は自分自身の存在の滑稽さに、少し自嘲をはさみながらも微笑むしかなかった。
彼は、自分のする動作によって、彼自身のその物質として確かな存在の質量すらも、ふわふわと空気の中に漂わせていくのだった。それは彼の演出だろうか、フィクション、それともただの偶然。それを彼が知る方法はそれまでも、そしてこれからも永遠に存在しない。
自嘲と冷静、忘却と夢想、そんなイメージで脳を満たしていたダニエル君は途端に、拳をきつく握りしめ、彼の体すぐ横の電信柱の胴、黄と黒の縞、街路樹の幹、店舗のショーウインドウめがけて、彼がそれまでに使った思考のエネルギーのすべてを爆発させて、それら一切の安定した存在を破壊したくなる熱気に体が震える。ある肉体を引裂き、それを頭から食うような仕草をしてそれら屍を道路の端に投げ捨て、そうやって街を進む。人間には本能として理由もなく、ある思考と全く正反対のベクトルに向かう思考や衝動が出現するものなのだ、と叫びたくなる。邪悪の王のように、世界を蹂躙する。馬鹿馬鹿しい全能感。内省的な冷たさを、胃壁をそのまま裏返しにして吐瀉するように、獣の獰猛に変換させる。
そんなイメージを弄びながら、ダニエル君は、平和な街のカフェやレストランのメニューたちに目を留め、一瞥しては次に、一瞥しては移っていった。
大通りには、太陽が高い空から、青い空を切り拓いて、世界の全部を白く露出させている。すべての存在はその白さが飛んで、まったく影のない姿で、世界に開放されている。
急に痛感する敗北感が彼の視界を壊した。絶対的な太陽の前に、彼はイメージの国の王、自己中心的な楽園の神としての地位を失脚させられた。飛び込んでくる世界の美しさと、壊された彼のの世界への憧憬が、彼の自尊心やアイデンティティを切り裂く。血まみれに破れた自分の体に、ダニエル君は射精するほどのこの上ない快感を感じている。
「まぶしいほどのすがすがしさ。すっと吹き抜ける風は精霊の絹のようだ。あぁ。つまらない。つまらないよ。」
涙に目を赤くして、彼はまた自分の楽園、天地創造にとりかかった。
すべての街路から溢れ出してくる異常なスピードに、ダニエル君は包まれる。車や二輪車が極彩色の光線のように疾走し、人間は流れるように踊りながら彼の立つ街のメインストリートを過ぎてゆく。ダニエル君はその中心で目を閉じながら、生まれでてくる状況を受け入れる。彼は今、夢の中にいる。彼は今、この状況を夢として採用し、認めた。
「夢の世界だ」
日常の慣習的な風景に、異質な要素が一つでも加わりさえすれば、それを夢と認めるには十分だ。彩度、速度、律動。要素の単純な操作、その操作を感じる想像力。人間が夢を見る、夢に向かうことなど簡単なのだとダニエル君は考える。彼の太陽は、目の前の景色に極端な彩度を与え、歩行者に木々に建築に彼らに自由なリズムを与えた。世界は鮮やかに輝き、踊っている。彼はそこから一気に世界を拡大させ、彼自身の主体性もその世界と同化させた。彼は夢になり、蝶になり、大気に飛び、夢から覚めて、夢を生きた。
2010年3月27日土曜日
a shelf of deposit.
この平板で色鮮やかな世界
人間生活の無数の豊かさは、まさにそれが想像不可能であるほどに無限のバリエーションに広がる
それぞれの生活、特定のシーン
その温度、湿度、手触り、質感 空気
寝そべればひっそりとその肌、まなざし、心を満たす
あなたの部屋のテクスチャー
あなたの現実の肌触り
それがいちばんの資産なのです
ボクがあなたに何かを伝えるとき
その言語はあなたの中にある
あなたの手触り あなたの午前3時 あなたのグラス
あなたの夜が ボクの描いた夜であり
ボクの夜のなかに あなたとワタシの夜がある
「繊細で最小の文体」
夢の私有の否定
イメージの抽象さ その偉大なリアリティ
からみあうその言葉の手触りの中に
何か一瞬のきらめきを見ることを
敬意は信頼の中に
美しさは
ボクの手とあなたの泉の中に
夢で会いましょう
人間生活の無数の豊かさは、まさにそれが想像不可能であるほどに無限のバリエーションに広がる
それぞれの生活、特定のシーン
その温度、湿度、手触り、質感 空気
寝そべればひっそりとその肌、まなざし、心を満たす
あなたの部屋のテクスチャー
あなたの現実の肌触り
それがいちばんの資産なのです
ボクがあなたに何かを伝えるとき
その言語はあなたの中にある
あなたの手触り あなたの午前3時 あなたのグラス
あなたの夜が ボクの描いた夜であり
ボクの夜のなかに あなたとワタシの夜がある
「繊細で最小の文体」
夢の私有の否定
イメージの抽象さ その偉大なリアリティ
からみあうその言葉の手触りの中に
何か一瞬のきらめきを見ることを
敬意は信頼の中に
美しさは
ボクの手とあなたの泉の中に
夢で会いましょう
叶えられた祈り。
人間と人間の間を縫うように駆け抜け、ぶつかりながら、息を揚げて、ダニエル君は細いビルの三階、ガラスのドアを押して、カウンターに座り、アイリッシュコーヒーを頼む。
「アイリッシュコーヒー」
ダニエル君は、昨日読んだ小説が忘れられない。
ブレザーとシャツの間、胸の暗い内ポケットに手を入れて、シガリロを取り出し、火を着ける。ゆっくり、吹かす。
「あんな童貞小説。ふざけるなよ。頽廃、ブルジョア、美男美女?、なに、余裕というところが大前提のつまらないドラマトゥルギー?嘘つけよ、くだらない戯れ言を何ページもやるくらいなら一言、一発やれよ。許せない、許せない」
それは彼のつまらないフラストレーションであり、その原因も事実も彼にはよくわかっている。だから彼は表現という行為に、その行為自体に価値を与えているし、カロリーの消費について敬意を払っている。
「それにしても、だ」
「どうぞ」
「ごめんなさい。これと、ストレートでジョニーウォーカーを。赤で」
これも、スノッブなのだろうか。これは間違いない事実だけれども、この自分の現実もまたあの何のリアリティもない、少なくともある人間にはそう感じられる状況設定と同じように他人に存在するのだろうか。
搾取される労働者かブルジョア、そんなこの国に存在しない極端な状況が文学の範疇なのだろうか。
バーボンとワインを愛するパートタイムジョバーは存在してはいけないのか。
デイトレーティングの非人間性に悩む人間の苦悩を、誰も認めてはあげないのか。
そんな価値観のヒエラルキーが、まだ人間の社会にはあるのか。
世界のある一座標、地表から浮かぶコンクリートとガラスの空き箱の中で、煙とアルコールを纏う彼の思いもまた、論理と夢想の靄に消えていく。
コーヒーにスコッチをぶち込んで、上気する甘ったるいヨード香を思い切り吸い込んだダニエル君の胃が、まさに嗜好品の熱で満たされれる。
「パンチ!」
思考も嗜好も志向を失い、四方八方に爆発した。
そんな彼が拒否したような戯れ言で、ダニエル君は今までの10分をすべて茶化して、冗談にした。
暗い冗談。
「アイリッシュコーヒー」
ダニエル君は、昨日読んだ小説が忘れられない。
ブレザーとシャツの間、胸の暗い内ポケットに手を入れて、シガリロを取り出し、火を着ける。ゆっくり、吹かす。
「あんな童貞小説。ふざけるなよ。頽廃、ブルジョア、美男美女?、なに、余裕というところが大前提のつまらないドラマトゥルギー?嘘つけよ、くだらない戯れ言を何ページもやるくらいなら一言、一発やれよ。許せない、許せない」
それは彼のつまらないフラストレーションであり、その原因も事実も彼にはよくわかっている。だから彼は表現という行為に、その行為自体に価値を与えているし、カロリーの消費について敬意を払っている。
「それにしても、だ」
「どうぞ」
「ごめんなさい。これと、ストレートでジョニーウォーカーを。赤で」
これも、スノッブなのだろうか。これは間違いない事実だけれども、この自分の現実もまたあの何のリアリティもない、少なくともある人間にはそう感じられる状況設定と同じように他人に存在するのだろうか。
搾取される労働者かブルジョア、そんなこの国に存在しない極端な状況が文学の範疇なのだろうか。
バーボンとワインを愛するパートタイムジョバーは存在してはいけないのか。
デイトレーティングの非人間性に悩む人間の苦悩を、誰も認めてはあげないのか。
そんな価値観のヒエラルキーが、まだ人間の社会にはあるのか。
世界のある一座標、地表から浮かぶコンクリートとガラスの空き箱の中で、煙とアルコールを纏う彼の思いもまた、論理と夢想の靄に消えていく。
コーヒーにスコッチをぶち込んで、上気する甘ったるいヨード香を思い切り吸い込んだダニエル君の胃が、まさに嗜好品の熱で満たされれる。
「パンチ!」
思考も嗜好も志向を失い、四方八方に爆発した。
そんな彼が拒否したような戯れ言で、ダニエル君は今までの10分をすべて茶化して、冗談にした。
暗い冗談。
2010年3月25日木曜日
弾丸のように、サモトラケのニケよりも。
4月と3月の祝祭、喧噪、にぎやかなパレード、浮かれる人々の熱気と消費欲。
エネルギーと物質が、あらゆる価値が目まぐるしく交換される日常の祭典の中に、
一人の獣がいる。
黒い影を地に落としながらその悪魔は、羞恥と自虐に酔い、そのための酒にまた酔い、人身の間に紛れている。
何の暴力を披露するのでもなく、夢想するその惚けた視線に自分を引きずりながら、自己充足的な狂気、自分への問いかけと自分への応答、社会、テクノロジー、愛についての教理門答の循環があるばかり。
獣の闇は、世間のどこにもなく、ただ彼の世界の中にある。
その存在自体がそのレーゾン・デートルであるようなサディズム、彼の彼に対する彼のための虐待は、悪魔に誠実な羞恥と陶酔の涙を浮かべる。
自己憐憫とナルシシズムの国の王子。
それがこの半獣、ダニエル君の正体だ。
エネルギーと物質が、あらゆる価値が目まぐるしく交換される日常の祭典の中に、
一人の獣がいる。
黒い影を地に落としながらその悪魔は、羞恥と自虐に酔い、そのための酒にまた酔い、人身の間に紛れている。
何の暴力を披露するのでもなく、夢想するその惚けた視線に自分を引きずりながら、自己充足的な狂気、自分への問いかけと自分への応答、社会、テクノロジー、愛についての教理門答の循環があるばかり。
獣の闇は、世間のどこにもなく、ただ彼の世界の中にある。
その存在自体がそのレーゾン・デートルであるようなサディズム、彼の彼に対する彼のための虐待は、悪魔に誠実な羞恥と陶酔の涙を浮かべる。
自己憐憫とナルシシズムの国の王子。
それがこの半獣、ダニエル君の正体だ。
2010年3月18日木曜日
factotum - o.p2
突然、すべての街路から溢れ出してくる異常なスピードに、ダニエル君は包まれる。
車や二輪車が極彩色の光線のように疾走し、人間は流れるように踊りながら彼の立つ街のメインストリートを過ぎてゆく。
ダニエル君はその中心でただただその状況を受け入れている。
「夢だね」
彼は今、夢の中にいる。
彼は今、この状況を夢として採用し、認めている。
「夢の世界だ」
日常の慣習的な風景に、異質な要素が一つでも加わりさえすれば、それを夢と認めるには十分だ。
彩度、速度、律動。
要素の単純な操作、その操作を感じる想像力。
人間が夢を見る、夢に向かうことなど簡単なのだとダニエル君は考える。
彼は目の前の景色に極端な彩度を与え、歩行者に木々に建築に彼らに自由なリズムを与えた。
世界は鮮やかに輝き、踊っている。
彼は夢になり、蝶になり、夢から覚めて、夢を生きた。
車や二輪車が極彩色の光線のように疾走し、人間は流れるように踊りながら彼の立つ街のメインストリートを過ぎてゆく。
ダニエル君はその中心でただただその状況を受け入れている。
「夢だね」
彼は今、夢の中にいる。
彼は今、この状況を夢として採用し、認めている。
「夢の世界だ」
日常の慣習的な風景に、異質な要素が一つでも加わりさえすれば、それを夢と認めるには十分だ。
彩度、速度、律動。
要素の単純な操作、その操作を感じる想像力。
人間が夢を見る、夢に向かうことなど簡単なのだとダニエル君は考える。
彼は目の前の景色に極端な彩度を与え、歩行者に木々に建築に彼らに自由なリズムを与えた。
世界は鮮やかに輝き、踊っている。
彼は夢になり、蝶になり、夢から覚めて、夢を生きた。
2010年3月17日水曜日
B.
静かに伸び縮みするそのねばっこい赤い紐が、ボクとBをつないでいる。
ボクはあまりにBが嫌いだ。
あの小さな凶器、音速で振動する大きな羽音、長い足、黒と黄の息づかい、目、触角。
そしてその針。毒牙。
正面から来るときは、Bはいつだってボクの顔めがけてやってくる。
後ろを舞うときは、いつもボクのクビもと鎖骨その付け根に、着地しようとする。
ボクはいつも思う。
Bはボクを刺すに違いない。
着地の瞬間、Bの最後尾にのびるB自身の鋭敏な痛みが、ボクの首を貫くだろう。
ボクはいつだってBが恐い。
いつもそこにいるBが恐い。
Bの羽音を、ボクはいつだって聞いてしまう。
大きくだったり、かすかにだったり。
Bはいつも、ボクの耳に触れる。
でもボクはBに刺されたことはない。
Bはどこにいるのか。
いや、確かにいる。
ボクは見ている。
Bが見える。
Bはいる。
聞こえる。
ただBは刺さない。
ボクはBの着地を感じる。
ボクの体にBはその足をつける。
最後の距離、Bの殺意、Bの危険、Bのボクの生死。
Bのそれを、ボクは一度も経験しない。
Bの針の向こうには、何があるのだろうか。
Bの犯行は、それ以上のドラマを生むのだろうか。
ボクはBが何より恐い。
Bへの恐怖が、ただただボクにBを存在させる。
意識の中にどこまでもBの存在を植えつける。
ボクははじめてここで、その赤い紐。
紐を滴り伝う赤い紅い色の雫を見る。
ボクは、家中のハサミを窓から放り捨てた。
ボクはあまりにBが嫌いだ。
あの小さな凶器、音速で振動する大きな羽音、長い足、黒と黄の息づかい、目、触角。
そしてその針。毒牙。
正面から来るときは、Bはいつだってボクの顔めがけてやってくる。
後ろを舞うときは、いつもボクのクビもと鎖骨その付け根に、着地しようとする。
ボクはいつも思う。
Bはボクを刺すに違いない。
着地の瞬間、Bの最後尾にのびるB自身の鋭敏な痛みが、ボクの首を貫くだろう。
ボクはいつだってBが恐い。
いつもそこにいるBが恐い。
Bの羽音を、ボクはいつだって聞いてしまう。
大きくだったり、かすかにだったり。
Bはいつも、ボクの耳に触れる。
でもボクはBに刺されたことはない。
Bはどこにいるのか。
いや、確かにいる。
ボクは見ている。
Bが見える。
Bはいる。
聞こえる。
ただBは刺さない。
ボクはBの着地を感じる。
ボクの体にBはその足をつける。
最後の距離、Bの殺意、Bの危険、Bのボクの生死。
Bのそれを、ボクは一度も経験しない。
Bの針の向こうには、何があるのだろうか。
Bの犯行は、それ以上のドラマを生むのだろうか。
ボクはBが何より恐い。
Bへの恐怖が、ただただボクにBを存在させる。
意識の中にどこまでもBの存在を植えつける。
ボクははじめてここで、その赤い紐。
紐を滴り伝う赤い紅い色の雫を見る。
ボクは、家中のハサミを窓から放り捨てた。
2010年3月15日月曜日
factotum - o.p1
眼を開けて、着たままのシャツのはだけたボタンをそのままに、立ち上がり、体全体を不安定にそのバランスを揺らしながら、片腕を、肘から手首、そこから五つに開かれる指先の間隔を、緊張させて、優雅に、そしてそのエネルギーを確認して、部屋の隅に投げ捨てられた紺のブレザーをゆっくりと拾い、体をぶつけるようにして、彼は玄関のドアを開けた。
そのままドアの外の白い石膏の壁に突き当たり、その壁に全身を這わせたあとで、体を反転させ、ダニエル君はポケットにあるだろう鍵をつかみ、自室を閉める。
グレングールドの荘重なリズム、ダニエル君は絶対的で超越的な観念を設定することを常に好まなかったし、その意味で神という概念を何かしらの感想や説明に用いることはしなかったが、ゴルドベルグ変奏曲の旋律の余白と交叉中には、彼のような不信心をもってしても何か遠くの、その手を伸ばしても触れられない光が、無条件の陶酔の輝きが見える、そんな錯覚が訪れるのだった。
自分の眼前に広がり移動して行く景色に、虚ろな眼を投げかけたまま、彼の耳鼻と、その両手両指先の旋回は、音楽を奏でながら宙をぶらぶらと舞う。
自転車や車、町家作りからモダニズムまでの建築物、原色を纏って騒ぐ子供たち。自分の周りをそれらあらゆるモノたちが回転しながら通り過ぎていく中で、ダニエル君は自分自身の存在の滑稽さに、少し自嘲をはさみながらも微笑むしかなかった。
彼は、自分のする動作によって、彼自身のその物質として確かな存在の質量すらも、ふわふわと空気の中に漂わせていくのだった。それは彼の演出だろうか、フィクション、それともただの偶然。それを彼が知る方法はそれまでも、そしてこれからも永遠にない。
途端にダニエル君は、拳をきつく握りしめ、すぐ横の電信柱の胴、街路樹の幹、店舗のショーウインドウめがけて、その勢いを爆発させるように、それら一切の安定した存在を破壊したくなる熱気に体が燃える。
肉体を引裂、それを食うような仕草をしてそれらを道の端に投げ捨て、そうやって街を進む。
そんなイメージを弄びながら、目に留まるカフェやレストランのメニューたちを一瞥しては次に移していくのだ。
大通りには、太陽が高い空から、青い空を切り拓いて、それら全部を白く露出させている。
すべての存在はその白さが飛んで、まったく影のない姿で、世界に開放されている。
「まぶしいほどのすがすがしさ。
すっと吹き抜ける風は布のようだ。
あぁ。
つまらない。
つまらないよ。」
そのままドアの外の白い石膏の壁に突き当たり、その壁に全身を這わせたあとで、体を反転させ、ダニエル君はポケットにあるだろう鍵をつかみ、自室を閉める。
グレングールドの荘重なリズム、ダニエル君は絶対的で超越的な観念を設定することを常に好まなかったし、その意味で神という概念を何かしらの感想や説明に用いることはしなかったが、ゴルドベルグ変奏曲の旋律の余白と交叉中には、彼のような不信心をもってしても何か遠くの、その手を伸ばしても触れられない光が、無条件の陶酔の輝きが見える、そんな錯覚が訪れるのだった。
自分の眼前に広がり移動して行く景色に、虚ろな眼を投げかけたまま、彼の耳鼻と、その両手両指先の旋回は、音楽を奏でながら宙をぶらぶらと舞う。
自転車や車、町家作りからモダニズムまでの建築物、原色を纏って騒ぐ子供たち。自分の周りをそれらあらゆるモノたちが回転しながら通り過ぎていく中で、ダニエル君は自分自身の存在の滑稽さに、少し自嘲をはさみながらも微笑むしかなかった。
彼は、自分のする動作によって、彼自身のその物質として確かな存在の質量すらも、ふわふわと空気の中に漂わせていくのだった。それは彼の演出だろうか、フィクション、それともただの偶然。それを彼が知る方法はそれまでも、そしてこれからも永遠にない。
途端にダニエル君は、拳をきつく握りしめ、すぐ横の電信柱の胴、街路樹の幹、店舗のショーウインドウめがけて、その勢いを爆発させるように、それら一切の安定した存在を破壊したくなる熱気に体が燃える。
肉体を引裂、それを食うような仕草をしてそれらを道の端に投げ捨て、そうやって街を進む。
そんなイメージを弄びながら、目に留まるカフェやレストランのメニューたちを一瞥しては次に移していくのだ。
大通りには、太陽が高い空から、青い空を切り拓いて、それら全部を白く露出させている。
すべての存在はその白さが飛んで、まったく影のない姿で、世界に開放されている。
「まぶしいほどのすがすがしさ。
すっと吹き抜ける風は布のようだ。
あぁ。
つまらない。
つまらないよ。」
2010年3月12日金曜日
書き手、であることについて。
世界的に、文字を書くということが復権している。
その最たるはmailであり、もう少しはblogである。
さて、そのような現代的意義はどうでもいいが、今回問題に取り上げたいのは、書き手が何かしらの真意を提出するとき、そして同時に不可避である彼彼女の環境、その二者の取り扱いである。
ある哲学者に言わせれば、人はそれに先立つ世界に生まれ出る、世界の内の存在である。
世界に対して動き、世界から動かされる。
彼女の世界は、彼女のものではなく、それ以上に、現にある。
彼女は錯覚する。
これが世界だし、私だ、と。
彼女は、ファナティックなある瞬間において、世界を切り取り、世界を彼女のものにした。
しかし、世界は、まったく違う諸相を彼女に見せている。
彼女の誤謬は、その客観的批判性の無さだ。
つまり、熱狂的、である。
彼女は、目をつむりながら、何かを見ている。
何か?
それは自分の心。自分の願望。
私が私について考えた時間、自分が自分の人生を生きてきた時間と同じ時間を、すべての存在、机、人間のすべてが生きている。
その脅威に改めて驚こう。
存在に敬意を払うなら、言葉はすぐに難しくなる。
脳死するのは、簡単だ。
現代哲学のすべてにさよならを言って、
勝手にベル・エポックに帰ればいい。
つまらない言葉。
それは、美的に、罪だ!
その最たるはmailであり、もう少しはblogである。
さて、そのような現代的意義はどうでもいいが、今回問題に取り上げたいのは、書き手が何かしらの真意を提出するとき、そして同時に不可避である彼彼女の環境、その二者の取り扱いである。
ある哲学者に言わせれば、人はそれに先立つ世界に生まれ出る、世界の内の存在である。
世界に対して動き、世界から動かされる。
彼女の世界は、彼女のものではなく、それ以上に、現にある。
彼女は錯覚する。
これが世界だし、私だ、と。
彼女は、ファナティックなある瞬間において、世界を切り取り、世界を彼女のものにした。
しかし、世界は、まったく違う諸相を彼女に見せている。
彼女の誤謬は、その客観的批判性の無さだ。
つまり、熱狂的、である。
彼女は、目をつむりながら、何かを見ている。
何か?
それは自分の心。自分の願望。
私が私について考えた時間、自分が自分の人生を生きてきた時間と同じ時間を、すべての存在、机、人間のすべてが生きている。
その脅威に改めて驚こう。
存在に敬意を払うなら、言葉はすぐに難しくなる。
脳死するのは、簡単だ。
現代哲学のすべてにさよならを言って、
勝手にベル・エポックに帰ればいい。
つまらない言葉。
それは、美的に、罪だ!
2010年3月10日水曜日
2010.-live
すべての体系、すべての階級、すべての理性の枠組みは壊された。
それは一方では私たちによって、そして私たちによる政府によって。
すべての自由は自由として認められ、すべての市民は彼らの自由にのみ自分を捧げることができた。
すべてが認められ、すべてが許された。
そうして大多数の市民は、弱い存在に塗り替えられたのである。
大多数の幸福な弱者、満悦な少数の強者。
2010年、社会はこのように理想的な社会を築き上げたのだ。
歴史上初めて、楽園における青春の地獄が、始まった。
それは一方では私たちによって、そして私たちによる政府によって。
すべての自由は自由として認められ、すべての市民は彼らの自由にのみ自分を捧げることができた。
すべてが認められ、すべてが許された。
そうして大多数の市民は、弱い存在に塗り替えられたのである。
大多数の幸福な弱者、満悦な少数の強者。
2010年、社会はこのように理想的な社会を築き上げたのだ。
歴史上初めて、楽園における青春の地獄が、始まった。
2010年3月9日火曜日
2010.
「現代は、孤独の時代であります。
我々は戦後の飢餓から懸命に働き努力し、我が国の成長と繁栄に猛然と邁進してきました。そうしてこの国は繁栄の栄華を極め、その栄光の時代が今も今日の国家の基盤となっております。
しかしその時代は過ぎ去りました。物質的な栄華に支えられた社会は、その豊かさによる紐帯をなくし、全能であった資本主義は、その限界を、つい先日の世界恐慌を最後に、その臨界点に達してしまったのです。
もう一度言いましょう、現代は、孤独なのです。我々は全てをなくしてしまったのです。
我々はもう一度、我々のために、かつての繁栄を取り戻さなくてはなりません。
そのためには何が必要か。
それは我々の精神、精神による国家の再生です。
物質だけを追い求め、そうしてそれが幸福だった時代は、幻想として消え去りました。
我々は今、もう一度我々の精神によって、人間が人間を思いやる、人間性、ヒューマニズムによって、我々の社会を再生させなければなりません。
人間の、人間による、人間の友愛のための政治。この精神による共同体の建設こそが、我が国の新しい未来への第一歩なのです。
我々は、国民の<いのち>を守りたい!
働く国民の<いのち>を、高齢者の<いのち>を、子供たちの<いのち>、全国民の明るい未来を守りたいのです!
経済は、経済のためにあるのではありません。経済の真意とは、経世済民の字義の如く、人民の救済のためにあります。
人民のための経済、未来の経済はこの言葉を標榜し発展していきます。
少数の支配者たちによる少数のための、財界主導による強者の市場経済を廃止し、国民、消費者、それら大多数の弱い国民のための共同体を整備しなければなりません。
政府は、国民の豊かさや、安心安全、雇用、年金、社会保障を整備し、個人の家計を直接応援することによって、物心両面から国民の生活を保障する社会への転換を成さなければならないのです。
人間同士の友愛の精神、社会全体での支えあいによる共同体という思想こそ、我が国の伝統であります。
いつ、いかなるときも、人間を孤立させてはなりません!
教育も社会の安全も、それは社会全体の責任によるものであり、文化、スポーツ、ボランティアによって、それら共同体の絆は強固なものになっていくのです。
人間の究極の幸せとは、愛されることであり、必要とされることであり、褒められることです。
人間は他人のために存在する。それは共感という絆で結ばれた無数の見知らぬ人たちのために。
我々国民は、友愛の精神のもとに、共同体の幸福を実現しなければなりません!
政府は我が国の友愛社会への転換に向けての改革を断行します。
政府と与党の密接な連携と役割分担のもと、国会議員の職能を強化し、国民一人一人を直接支援し保護するための行政組織を設備します。組織から組織へのネットワークを強固なものにし、誰一人としてその保障の手から漏れ出ることがないような社会を建設するのです。
我々は今、岐路に立っています!
従来の発想のまま成熟から衰退への路を辿るのか、それとも、新たな志と構想力をもって、成熟の先の新たなる飛躍と充実の路を見いだしていくのか、今、その選択の岐路に立っているのです!
私は、我が国が正しい路を歩んでいけるよう、自らが先頭に立ち、国民の暮らしを守るための新たな政策を推し進めてまいります。私は、国民の積極的な政治や行政への参加を得て、国民とともに、本当の意味で歴史を変え、我が国を飛躍へと導くために、全力を尽くしてまいります。
我々の党は、この国の未来の繁栄のために、友愛の国家、友愛に満ちた国家、強健な共同体、理想の社会を建設します。
この2010年を、我が国の再出発の年にしようではありませんか!!」
我々は戦後の飢餓から懸命に働き努力し、我が国の成長と繁栄に猛然と邁進してきました。そうしてこの国は繁栄の栄華を極め、その栄光の時代が今も今日の国家の基盤となっております。
しかしその時代は過ぎ去りました。物質的な栄華に支えられた社会は、その豊かさによる紐帯をなくし、全能であった資本主義は、その限界を、つい先日の世界恐慌を最後に、その臨界点に達してしまったのです。
もう一度言いましょう、現代は、孤独なのです。我々は全てをなくしてしまったのです。
我々はもう一度、我々のために、かつての繁栄を取り戻さなくてはなりません。
そのためには何が必要か。
それは我々の精神、精神による国家の再生です。
物質だけを追い求め、そうしてそれが幸福だった時代は、幻想として消え去りました。
我々は今、もう一度我々の精神によって、人間が人間を思いやる、人間性、ヒューマニズムによって、我々の社会を再生させなければなりません。
人間の、人間による、人間の友愛のための政治。この精神による共同体の建設こそが、我が国の新しい未来への第一歩なのです。
我々は、国民の<いのち>を守りたい!
働く国民の<いのち>を、高齢者の<いのち>を、子供たちの<いのち>、全国民の明るい未来を守りたいのです!
経済は、経済のためにあるのではありません。経済の真意とは、経世済民の字義の如く、人民の救済のためにあります。
人民のための経済、未来の経済はこの言葉を標榜し発展していきます。
少数の支配者たちによる少数のための、財界主導による強者の市場経済を廃止し、国民、消費者、それら大多数の弱い国民のための共同体を整備しなければなりません。
政府は、国民の豊かさや、安心安全、雇用、年金、社会保障を整備し、個人の家計を直接応援することによって、物心両面から国民の生活を保障する社会への転換を成さなければならないのです。
人間同士の友愛の精神、社会全体での支えあいによる共同体という思想こそ、我が国の伝統であります。
いつ、いかなるときも、人間を孤立させてはなりません!
教育も社会の安全も、それは社会全体の責任によるものであり、文化、スポーツ、ボランティアによって、それら共同体の絆は強固なものになっていくのです。
人間の究極の幸せとは、愛されることであり、必要とされることであり、褒められることです。
人間は他人のために存在する。それは共感という絆で結ばれた無数の見知らぬ人たちのために。
我々国民は、友愛の精神のもとに、共同体の幸福を実現しなければなりません!
政府は我が国の友愛社会への転換に向けての改革を断行します。
政府と与党の密接な連携と役割分担のもと、国会議員の職能を強化し、国民一人一人を直接支援し保護するための行政組織を設備します。組織から組織へのネットワークを強固なものにし、誰一人としてその保障の手から漏れ出ることがないような社会を建設するのです。
我々は今、岐路に立っています!
従来の発想のまま成熟から衰退への路を辿るのか、それとも、新たな志と構想力をもって、成熟の先の新たなる飛躍と充実の路を見いだしていくのか、今、その選択の岐路に立っているのです!
私は、我が国が正しい路を歩んでいけるよう、自らが先頭に立ち、国民の暮らしを守るための新たな政策を推し進めてまいります。私は、国民の積極的な政治や行政への参加を得て、国民とともに、本当の意味で歴史を変え、我が国を飛躍へと導くために、全力を尽くしてまいります。
我々の党は、この国の未来の繁栄のために、友愛の国家、友愛に満ちた国家、強健な共同体、理想の社会を建設します。
この2010年を、我が国の再出発の年にしようではありませんか!!」
2010年3月8日月曜日
factotum ~ so far.-p.2
踊る彼女のイメージを見ている。
ファインダーの中の<みほちゃん>にダニエル君は声をかけた。
<みほちゃん>はその声に合わせて木々の中に隠れ、街を歩き、砂丘を滑り、コーヒーを飲んだ。
ダニエル君の覗く一切はファインダーの先のレンズの向こうの世界、彼によって構築され彩度を高められ輪郭化された美意識の世界だった。その中にまさに<みほちゃん>が存在していた。彼の思考がそのまま彼の体外に現出され、そして彼の脳に送り返されるのだった。
彼はまず<みほちゃん>を見ることによって、みほちゃんを知ったのである。
______
「そこに乖離があったんだよ」
「どういうこと?」
「つまり君と話すとき、君とのコミュニケーションにおいて僕は、もちろん今ではそれも幾分収まっただろうけど、僕と君との初期の出会いにおいて僕は、君に僕の理想の女性の振る舞いを投影したんだ。現実の人間としての君の人格というのはもちろん存在していたし、その人格も僕はしっかりと見つめていたけれども、同時に君を見る僕の目には君が僕の抽象的な女性像の構造物として映っていた。だから君の行動は無条件に僕の好みとして僕に映り、また君は僕の好みの振る舞いをするものだとも無意識に感じていた。君の振る舞いは僕のイメージの投影であり、君の振る舞いこそが僕のイメージを書き換えて塗り替え、僕の目、僕の視界、僕の世界を作っていったんだった。」
「それが仮に乖離だったとして、ならその乖離にはどんな問題があったの?」
「僕には彼女しかいなかった。彼女が僕を、僕の<彼女>を作ったんだから。でも彼女はそこにいなかった。彼女は僕の<彼女>ではなかったんだから。熱っぽい狂気かもしれないけれど、僕の目は明るい世界を見ながらにして盲目になったんだ、今の僕はそう思うよ。」
「今は違う?」
「現実に行動する君の見る時間の方が長くなったからね。といってもこうしてwebの向こうで交わす言葉でしか彼女を知らないんだけれど。ピグマリオンコンプレックスとかそういうのではないと思うけれど、そういう苛立ちからはもう解放されたのかもしれない」
「私は、人形だったの?」
「違う、ただ君が僕の<女性>なんだ。これまでの僕の人生で君以上の<女性>がいなかった。それだけだよ」
「暫定首位でしょ」
「そう、暫定首位だ。だからあらゆる希望と絶望が、まだあるんだろうさ」
今のダニエル君にとってはほとんどの存在が、モノのように独立して彼の環境に存在している。
彼らとダニエル君の間に線はなく、あくまでも彼の周囲は彼との空間の配置、その距離の配置によって、その時々の諸相を描く。
そして彼にとって唯一、彼の中に存在する存在、彼の存在とともにその存在が現われる存在者は、常にメディアの向こうに存在していた。
そのことに彼は気づいたのだ。
「僕の中に存在しないものが、確かに存在して。僕の唯一の人間は、決してそこに存在しなかった」
矮小な感傷趣味と言える。しかしほとんどの他人の感慨など、いつでも他人にとってはちっぽけなセンチメンタリズムでしかなかった。
ダニエル君のその途中、その狂気、それが青春だった、感じるべきはその事実であり、そこからである。
ファインダーの中の<みほちゃん>にダニエル君は声をかけた。
<みほちゃん>はその声に合わせて木々の中に隠れ、街を歩き、砂丘を滑り、コーヒーを飲んだ。
ダニエル君の覗く一切はファインダーの先のレンズの向こうの世界、彼によって構築され彩度を高められ輪郭化された美意識の世界だった。その中にまさに<みほちゃん>が存在していた。彼の思考がそのまま彼の体外に現出され、そして彼の脳に送り返されるのだった。
彼はまず<みほちゃん>を見ることによって、みほちゃんを知ったのである。
______
「そこに乖離があったんだよ」
「どういうこと?」
「つまり君と話すとき、君とのコミュニケーションにおいて僕は、もちろん今ではそれも幾分収まっただろうけど、僕と君との初期の出会いにおいて僕は、君に僕の理想の女性の振る舞いを投影したんだ。現実の人間としての君の人格というのはもちろん存在していたし、その人格も僕はしっかりと見つめていたけれども、同時に君を見る僕の目には君が僕の抽象的な女性像の構造物として映っていた。だから君の行動は無条件に僕の好みとして僕に映り、また君は僕の好みの振る舞いをするものだとも無意識に感じていた。君の振る舞いは僕のイメージの投影であり、君の振る舞いこそが僕のイメージを書き換えて塗り替え、僕の目、僕の視界、僕の世界を作っていったんだった。」
「それが仮に乖離だったとして、ならその乖離にはどんな問題があったの?」
「僕には彼女しかいなかった。彼女が僕を、僕の<彼女>を作ったんだから。でも彼女はそこにいなかった。彼女は僕の<彼女>ではなかったんだから。熱っぽい狂気かもしれないけれど、僕の目は明るい世界を見ながらにして盲目になったんだ、今の僕はそう思うよ。」
「今は違う?」
「現実に行動する君の見る時間の方が長くなったからね。といってもこうしてwebの向こうで交わす言葉でしか彼女を知らないんだけれど。ピグマリオンコンプレックスとかそういうのではないと思うけれど、そういう苛立ちからはもう解放されたのかもしれない」
「私は、人形だったの?」
「違う、ただ君が僕の<女性>なんだ。これまでの僕の人生で君以上の<女性>がいなかった。それだけだよ」
「暫定首位でしょ」
「そう、暫定首位だ。だからあらゆる希望と絶望が、まだあるんだろうさ」
今のダニエル君にとってはほとんどの存在が、モノのように独立して彼の環境に存在している。
彼らとダニエル君の間に線はなく、あくまでも彼の周囲は彼との空間の配置、その距離の配置によって、その時々の諸相を描く。
そして彼にとって唯一、彼の中に存在する存在、彼の存在とともにその存在が現われる存在者は、常にメディアの向こうに存在していた。
そのことに彼は気づいたのだ。
「僕の中に存在しないものが、確かに存在して。僕の唯一の人間は、決してそこに存在しなかった」
矮小な感傷趣味と言える。しかしほとんどの他人の感慨など、いつでも他人にとってはちっぽけなセンチメンタリズムでしかなかった。
ダニエル君のその途中、その狂気、それが青春だった、感じるべきはその事実であり、そこからである。
factotum ~ so far.-p.1
ダニエル君が一つのカメラを手にしたときに、彼はすべてを失ったように、少なくともボクにはそう思える。
ダニエル君は、少年と青年の狭間、まさに自己がどのようにしてなるかと悩み考えていくその合間に、一つの物語を考えていた。
彼はその物語に自分の表出を託し、それを自分のアイデンティティとして、自分自身の拠り所であると同時に他者へのプレゼンテーションの道具として生み出したいと、そう考えていた。
物語の創作は彼の閉塞感であったかもしれないし、ナルシシズムであったかもしれない。
しかしダニエル君自身の美意識の追求というのも、それがたとえ稚拙な集中力ゆえの不誠実に結果として終わったものでも、また本当に存在したものだった。
人間の決定的な動機などを求めることは不可能であり、ただ議論の壇上に上がる価値があるのは結果としての実体だけである。
ダニエル君は、一つの物語を、数葉の写真によって求めた。
数葉の写真の連続によって、被写体やその背景、そうした世界観の漠然とした提示が一つの物語としての効果を生み出すだろうと考えた。
数葉の写真、物語。彼の物語は物語というほどに語る主題を持つものではなかった。ただ女性が、女性の変化は美しいとそういう主張があるのみだった。女性の一喜一憂、その刹那的な瞬間の連続が、それでもその生起の熱量が、美しく、鑑賞される価値があるものとして感じる、ただそれほどの感想が、彼の物語の主題であった。現在の視点から見れば、それは少し大人ぶった夢想家の少年の学芸会であり、ほほえましい拍手に迎えられるもの以上ではなかったかもしれないが、当時の彼にはそれが全てであり、その表現ほどの偉大はなかったであろう。
ダニエル君は、彼の人生で初めて、抽象というものを、女性の抽象というものを考えたのだ。
そして彼の思考が解法に向かって開かれるのはそう長いことではなかった。
彼は瞬間的に、彼の同級生のイメージを、彼の映像の中に登場させていたのだ。
それが、<みほちゃん>だった。
ダニエル君はそれまで、ほとんどその<みほちゃん>を考えたことはなかった。
隣のクラスの生徒として、彼の友人の友人として、その存在についての伝聞として、存在していただけだった。
彼の生活のどの瞬間にも、彼女は存在しなかった。
ある日のある廊下で友人と話ている姿を、遅れて登校するその門前で彼女より少し年上であろう男の子と歩く姿を、そんな断片的でその顔も見えない姿を、彼は見たことがあった、それだけだった。
しかし、ダニエル君の抽象の女性は、彼女だったのである。理由は、ない。
ともかく彼は彼の友人を通じて、彼女に話す機会を得、彼の写真についての構想、つまり彼の被写体になってくれるように頼んだのだ。
みほちゃんは、彼のその活動に明確な展開を見たわけでもなかったし、その結果についての責任はそれよりも興味のあることではなかったけれど、単純な好奇心と、断わることの取り立てて無意味なことから、その依頼に頷いた。
そうしてダニエル君と、カメラ、<みほちゃん>の距離が決まったのである。
ダニエル君は、少年と青年の狭間、まさに自己がどのようにしてなるかと悩み考えていくその合間に、一つの物語を考えていた。
彼はその物語に自分の表出を託し、それを自分のアイデンティティとして、自分自身の拠り所であると同時に他者へのプレゼンテーションの道具として生み出したいと、そう考えていた。
物語の創作は彼の閉塞感であったかもしれないし、ナルシシズムであったかもしれない。
しかしダニエル君自身の美意識の追求というのも、それがたとえ稚拙な集中力ゆえの不誠実に結果として終わったものでも、また本当に存在したものだった。
人間の決定的な動機などを求めることは不可能であり、ただ議論の壇上に上がる価値があるのは結果としての実体だけである。
ダニエル君は、一つの物語を、数葉の写真によって求めた。
数葉の写真の連続によって、被写体やその背景、そうした世界観の漠然とした提示が一つの物語としての効果を生み出すだろうと考えた。
数葉の写真、物語。彼の物語は物語というほどに語る主題を持つものではなかった。ただ女性が、女性の変化は美しいとそういう主張があるのみだった。女性の一喜一憂、その刹那的な瞬間の連続が、それでもその生起の熱量が、美しく、鑑賞される価値があるものとして感じる、ただそれほどの感想が、彼の物語の主題であった。現在の視点から見れば、それは少し大人ぶった夢想家の少年の学芸会であり、ほほえましい拍手に迎えられるもの以上ではなかったかもしれないが、当時の彼にはそれが全てであり、その表現ほどの偉大はなかったであろう。
ダニエル君は、彼の人生で初めて、抽象というものを、女性の抽象というものを考えたのだ。
そして彼の思考が解法に向かって開かれるのはそう長いことではなかった。
彼は瞬間的に、彼の同級生のイメージを、彼の映像の中に登場させていたのだ。
それが、<みほちゃん>だった。
ダニエル君はそれまで、ほとんどその<みほちゃん>を考えたことはなかった。
隣のクラスの生徒として、彼の友人の友人として、その存在についての伝聞として、存在していただけだった。
彼の生活のどの瞬間にも、彼女は存在しなかった。
ある日のある廊下で友人と話ている姿を、遅れて登校するその門前で彼女より少し年上であろう男の子と歩く姿を、そんな断片的でその顔も見えない姿を、彼は見たことがあった、それだけだった。
しかし、ダニエル君の抽象の女性は、彼女だったのである。理由は、ない。
ともかく彼は彼の友人を通じて、彼女に話す機会を得、彼の写真についての構想、つまり彼の被写体になってくれるように頼んだのだ。
みほちゃんは、彼のその活動に明確な展開を見たわけでもなかったし、その結果についての責任はそれよりも興味のあることではなかったけれど、単純な好奇心と、断わることの取り立てて無意味なことから、その依頼に頷いた。
そうしてダニエル君と、カメラ、<みほちゃん>の距離が決まったのである。
2010年3月7日日曜日
存在の耐えられない不安。
こんなことを言うのも、それは君自身の物質的精神的な現状の窮状がそう言わせるのであって、ただの躁鬱のバイオリズムにしか過ぎない、生活の状態がずっと充実した爽快なものなら絶対にそんなことを考えないだろう、と言われるかもしれないが、この際、この言葉の主体というのは問題ではないだろう。ただこのような思考があり、精神の不安があり、情景がある。その現象の存在こそが問題なのだ。
日々の生活の中で、我々の視点というのは、ただ一人の個人を例にしてみても、様々に変化し移動している。
前夜に倒れ込んだソファで目覚めテレビに向けたぼやけた視界、人混みの中でふと顔を上げた空とビルの景色、酒に酔ってしたたかに体を地面に打ち付けたときのその視線の低さ。そのような視点の変化、通常世界からの瞬間的な逸脱の瞬間に、世界はその様相をがらりと変えて捉えられる。
「つまり、それらはなぜかくもそんな形で、そこにあるのか!」
目の前の一切のモノたちがそれぞれの過去を持ち時間を持ち質量を得て、エネルギーの大移動のいまださなかにそこに屹立し静止している。モノたちはこれからの無限の潜在的な熱量をその内に抱え込んでおり、移動、破壊、消滅、生成といったあらゆる動態に向けてしかしひっそりと闇に潜んでいるのだ。
目の前の電信柱は無限の遠くにあるように、頬を刺すアスファルトは無限の延長に広がっておりその深度は遠く地球のマントルに繋がるかのようだ。
時間、この耐えられない不思議。
過去からの文脈、それがどうしても人間の希望には必要だ。
人間は未来に生きたことは決してなかった。
人間は過去に生きるのであり、すべてのまなざしは過去へ、そしてすべては過去へ蓄積されていくのである。
過去にしか確かなものはなく、未来とはつまりただの予測不可能な無限であって、すべては過去においてのみ意味をもつ。
その過去を信じられずに、果たしてどうやって生きていくのだろうか。
モノたちの宿命的な偶然、眼前に広がる可能無限の一形態の偶然性に圧迫されたとき、人間にはたして呼吸できる余地などがあるのだろうか。
「すべてはなんでもなかったのだ。すべてはなんでもよかった。たまたまにこうした、こういう場面があった、それだけか!そうなのか!では、ボクに何をしろというのだ。誰が何を望むのか!」
行く先もしれず、過去に対する定点も持たず、自分はある瞬間の座標の一時点でしかないと認識しても、3秒後にはその座標世界は白紙になるかもしれず、全存在の絶対的な無意味に思考が触れたとき、
私は、もう、消えてしまうのだ。
モノたちの熱量、そのオレンジ色の燐光の中に。
それが存在が融けていく、その救済的な最後なのである。
日々の生活の中で、我々の視点というのは、ただ一人の個人を例にしてみても、様々に変化し移動している。
前夜に倒れ込んだソファで目覚めテレビに向けたぼやけた視界、人混みの中でふと顔を上げた空とビルの景色、酒に酔ってしたたかに体を地面に打ち付けたときのその視線の低さ。そのような視点の変化、通常世界からの瞬間的な逸脱の瞬間に、世界はその様相をがらりと変えて捉えられる。
「つまり、それらはなぜかくもそんな形で、そこにあるのか!」
目の前の一切のモノたちがそれぞれの過去を持ち時間を持ち質量を得て、エネルギーの大移動のいまださなかにそこに屹立し静止している。モノたちはこれからの無限の潜在的な熱量をその内に抱え込んでおり、移動、破壊、消滅、生成といったあらゆる動態に向けてしかしひっそりと闇に潜んでいるのだ。
目の前の電信柱は無限の遠くにあるように、頬を刺すアスファルトは無限の延長に広がっておりその深度は遠く地球のマントルに繋がるかのようだ。
時間、この耐えられない不思議。
過去からの文脈、それがどうしても人間の希望には必要だ。
人間は未来に生きたことは決してなかった。
人間は過去に生きるのであり、すべてのまなざしは過去へ、そしてすべては過去へ蓄積されていくのである。
過去にしか確かなものはなく、未来とはつまりただの予測不可能な無限であって、すべては過去においてのみ意味をもつ。
その過去を信じられずに、果たしてどうやって生きていくのだろうか。
モノたちの宿命的な偶然、眼前に広がる可能無限の一形態の偶然性に圧迫されたとき、人間にはたして呼吸できる余地などがあるのだろうか。
「すべてはなんでもなかったのだ。すべてはなんでもよかった。たまたまにこうした、こういう場面があった、それだけか!そうなのか!では、ボクに何をしろというのだ。誰が何を望むのか!」
行く先もしれず、過去に対する定点も持たず、自分はある瞬間の座標の一時点でしかないと認識しても、3秒後にはその座標世界は白紙になるかもしれず、全存在の絶対的な無意味に思考が触れたとき、
私は、もう、消えてしまうのだ。
モノたちの熱量、そのオレンジ色の燐光の中に。
それが存在が融けていく、その救済的な最後なのである。
2010年3月4日木曜日
とけていく。再録/for you
モノが融けていく。
モノとモノとの間の空間、今ここにあるモノたちの偶然的な宿命の間から、ひっそりと動かないその質量の潜在的な熱量が、ぼんやりと蜃気楼のように蒸気して、空間が融けていく。
モノたちのまなざし、現存在たちの不安の濃密な充満が、世界をオレンジ色に満たしていく。
――――
濃い茶色の木枠の窓に、板状の一枚一枚が平行に並べられた同じ色の木のブラインドがはめられて、その一枚一枚の隙間から薄くしかし眩しく入り込むオレンジ色の光が部屋全体を包むように空間に滲み、融けている。
椅子に座り、テーブルに両肘をついて、宙に浮かんだ手足の先をぶらぶら遊ばせる。
普段と変わらない、みほちゃんの作るお決まりの景色であり、世界だ。
「だめなの?」
そう言うと彼女は立ち上がり、ベッドのある部屋に戻った。
ついさっきベッドから起きたばかりの彼女は、寝てた姿そのままに彼女が言うところの「まんなかの部屋」に出てきたのであり、まんなかの部屋のちょうどまんなかに置かれたテーブルに自分を落ち着けたと思うとすぐに、それは彼女自身の内側に響いた声、彼女のというよりも彼女の想像する世界が彼女に向けて語る訴えかけに応じて、今のようにまたベッドのある部屋に戻ってしまったのだ。
寝室から戻ってきた彼女は、テーブルと平行に行儀よく並んでいた椅子を斜めに引き離して、お尻を置くとすぐに片膝を立てて自分の体に寄せた。
ペディキュアのベースコートを人差し指の爪から塗り始める。
塗る爪の順番はそのときどきにバラバラに、決まりなくランダムに、ゆっくりと丁寧に、冷めた気持ちで淡々と塗っていく。
みほちゃんはじっと、足の先に視線を固定し、沈黙している。
ゆっくりと下から上へ滑らかに動かされる筆と手先の他に、動くもの、今日のこの日に存在するものはなにもない。
ある一点を除いて、景色全体もまたひっそりとその沈黙を決めた。
みほちゃんは凝視を続けている。
彼女によって想像され、視線を通して、彼女の手首から指先、指先から筆先へと延長されるその動きの流れは、精確なリズムのイメージを繰り返している。繰り返されている。
黒い爪。
「こうやって自分を守るの。自分が一番自分にいじわるすることで、黒い爪のあたしを愛せるのは、あたしだけなの。それが大事なのよ」
みほちゃんは爪を塗りながらそう呟いた。そう呟いたように口元は動いた。
太陽はもうこの街から消えていて、光源を失った部屋の暖色は、すっかり夜のインディゴに塗り替えられていた。
明かりのないなかで、みほちゃんは変わらずに作業を続けている。
一つの動き以外、それまでと何も変わらずその世界はそのままひっそりとしていた。
彼女の目には、黒く塗られていくその爪しか映らない。
みほちゃんの想像は、その色を基調に染められていく。
彼女のペディキュアが塗られ続けなければ、その空間の何もかもが、テーブルも壁もティーポットティーカップの何もかもが、一つの点にすっと収縮してどこかに吸い込まれてしまいそうだった。
モノたちは、永遠に待ち構えている。
その不安をひっそりと感じながら、みほちゃんは冷めた視線で黒い爪の向こうを見ている。
夜に融けていくような夜。
彼女は何にも無関心であるかのように、融けていきそうな夜への畏怖と、それでもその夜は彼女のものだと何度も確認しながら、黒いペディキュアに自分を染めていた。
モノとモノとの間の空間、今ここにあるモノたちの偶然的な宿命の間から、ひっそりと動かないその質量の潜在的な熱量が、ぼんやりと蜃気楼のように蒸気して、空間が融けていく。
モノたちのまなざし、現存在たちの不安の濃密な充満が、世界をオレンジ色に満たしていく。
――――
濃い茶色の木枠の窓に、板状の一枚一枚が平行に並べられた同じ色の木のブラインドがはめられて、その一枚一枚の隙間から薄くしかし眩しく入り込むオレンジ色の光が部屋全体を包むように空間に滲み、融けている。
椅子に座り、テーブルに両肘をついて、宙に浮かんだ手足の先をぶらぶら遊ばせる。
普段と変わらない、みほちゃんの作るお決まりの景色であり、世界だ。
「だめなの?」
そう言うと彼女は立ち上がり、ベッドのある部屋に戻った。
ついさっきベッドから起きたばかりの彼女は、寝てた姿そのままに彼女が言うところの「まんなかの部屋」に出てきたのであり、まんなかの部屋のちょうどまんなかに置かれたテーブルに自分を落ち着けたと思うとすぐに、それは彼女自身の内側に響いた声、彼女のというよりも彼女の想像する世界が彼女に向けて語る訴えかけに応じて、今のようにまたベッドのある部屋に戻ってしまったのだ。
寝室から戻ってきた彼女は、テーブルと平行に行儀よく並んでいた椅子を斜めに引き離して、お尻を置くとすぐに片膝を立てて自分の体に寄せた。
ペディキュアのベースコートを人差し指の爪から塗り始める。
塗る爪の順番はそのときどきにバラバラに、決まりなくランダムに、ゆっくりと丁寧に、冷めた気持ちで淡々と塗っていく。
みほちゃんはじっと、足の先に視線を固定し、沈黙している。
ゆっくりと下から上へ滑らかに動かされる筆と手先の他に、動くもの、今日のこの日に存在するものはなにもない。
ある一点を除いて、景色全体もまたひっそりとその沈黙を決めた。
みほちゃんは凝視を続けている。
彼女によって想像され、視線を通して、彼女の手首から指先、指先から筆先へと延長されるその動きの流れは、精確なリズムのイメージを繰り返している。繰り返されている。
黒い爪。
「こうやって自分を守るの。自分が一番自分にいじわるすることで、黒い爪のあたしを愛せるのは、あたしだけなの。それが大事なのよ」
みほちゃんは爪を塗りながらそう呟いた。そう呟いたように口元は動いた。
太陽はもうこの街から消えていて、光源を失った部屋の暖色は、すっかり夜のインディゴに塗り替えられていた。
明かりのないなかで、みほちゃんは変わらずに作業を続けている。
一つの動き以外、それまでと何も変わらずその世界はそのままひっそりとしていた。
彼女の目には、黒く塗られていくその爪しか映らない。
みほちゃんの想像は、その色を基調に染められていく。
彼女のペディキュアが塗られ続けなければ、その空間の何もかもが、テーブルも壁もティーポットティーカップの何もかもが、一つの点にすっと収縮してどこかに吸い込まれてしまいそうだった。
モノたちは、永遠に待ち構えている。
その不安をひっそりと感じながら、みほちゃんは冷めた視線で黒い爪の向こうを見ている。
夜に融けていくような夜。
彼女は何にも無関心であるかのように、融けていきそうな夜への畏怖と、それでもその夜は彼女のものだと何度も確認しながら、黒いペディキュアに自分を染めていた。
2010年2月26日金曜日
悲しいミカタ。
氷上を踊る少女たちの美しさを、見ている。
純粋な美しさの鑑賞は、しかしあらゆる先入観によって拡散される。
多くの人間が見ていたのは、その順位であり競争であり、ドラマであった。
多くの人間は彼女たちと直接には結びつかずに、彼女らの評価者のペン先、競技者たちの人生を見つめながら、彼女たちをドラマのヒロインとして賞賛し、そのドラマに感動する。
彼女は競技者であり少女であり国家であり、何より私たちであった。
彼女はすべての人々によって分析され解析され、バラバラにされたのだった。
バラバラにされた彼女はあらゆるものと関係づけられ、あらゆる消費を可能にされた全能的な象徴となった。
すべてはあらゆるものに貼付けられるテクストとして、強制的にその存在の可能性を広げられる。
存在のあまりに悲しい不可避の悲しさが、その日、彼女をドラマにし、私たちがそこにドラマを見たのだった。
彼女が純粋に美しかった4分間に、すべての感動を捧げたい。
純粋な美しさの鑑賞は、しかしあらゆる先入観によって拡散される。
多くの人間が見ていたのは、その順位であり競争であり、ドラマであった。
多くの人間は彼女たちと直接には結びつかずに、彼女らの評価者のペン先、競技者たちの人生を見つめながら、彼女たちをドラマのヒロインとして賞賛し、そのドラマに感動する。
彼女は競技者であり少女であり国家であり、何より私たちであった。
彼女はすべての人々によって分析され解析され、バラバラにされたのだった。
バラバラにされた彼女はあらゆるものと関係づけられ、あらゆる消費を可能にされた全能的な象徴となった。
すべてはあらゆるものに貼付けられるテクストとして、強制的にその存在の可能性を広げられる。
存在のあまりに悲しい不可避の悲しさが、その日、彼女をドラマにし、私たちがそこにドラマを見たのだった。
彼女が純粋に美しかった4分間に、すべての感動を捧げたい。
2010年2月25日木曜日
始まりは一行からの。
透明なプラスチックで出来たピンクブルーグリーンが並ぶ雑貨を前にして、家に帰って、どこかのシャンプーやトリートメントのボトルを少しだけ特別な自分だけのオシャレに換えてみる。
それだけで毎日が爽やかに楽しかったときもあった。
<あった>というのは現在の心の底からネガティビティーが湧きあがって生まれた言葉ではなく、そういうときがある可能性が一つの過去によって証明されているということだ。
このページの主人公は不在であって、そんなこともおそらく世界のどこかには、このような経験が確かにあるだろうという可能性が綴られている。
―――
世界の全部を、自分に引きつけてしまうのは、自分が可愛いから。
世界の中心から、世界に向かって、自分が関与していたいと、世界は最初から自分のものだとわかっていながら、その不安を懸命に紛らわそうと、自分の苦しみを作り出して、そして泣きたいと、カタルシスしたいと、そういう自分の浄化作用。
そういう人を、ボクは可愛いと、思う。
それだけで毎日が爽やかに楽しかったときもあった。
<あった>というのは現在の心の底からネガティビティーが湧きあがって生まれた言葉ではなく、そういうときがある可能性が一つの過去によって証明されているということだ。
このページの主人公は不在であって、そんなこともおそらく世界のどこかには、このような経験が確かにあるだろうという可能性が綴られている。
―――
世界の全部を、自分に引きつけてしまうのは、自分が可愛いから。
世界の中心から、世界に向かって、自分が関与していたいと、世界は最初から自分のものだとわかっていながら、その不安を懸命に紛らわそうと、自分の苦しみを作り出して、そして泣きたいと、カタルシスしたいと、そういう自分の浄化作用。
そういう人を、ボクは可愛いと、思う。
2010年2月23日火曜日
2010年2月22日月曜日
「犠牲者は自分」の向こうがわ。
「可哀想なワタシ」の向こうがわには、「自分の犠牲者は自分」という悟りが待っている。
誰の言葉も聞かず、守るべきものを作らず、それが強さだと考えて、しかしそれがもしかすると人間的な弱さだと、社会的動物としての弱さだとすると思い出すと、彼は世界を浮遊してしまう。
「だから、選択しなきゃいけないんだよ。メシは食わなきゃいけないんだ。迷ってる時間なんて、ありゃしないんだよ」
現代人(今の若者)の人生の行動は、近代人(年配)の大文字の台詞の前に、ただただ頭が上がらない。
近代人の台詞は、何の嘘もなく、古代からの人類の本質だ。
しかし現代には時間が溢れている。フードもファッションも、ブームもモードも、すべてはバラバラに並べられ並列化されて同時進行し、組み合わされ、有形無形の様々なグニャグニャが極彩色の色彩で目まぐるしく展開していく。
ハイエラルキカルな世界はただ幻想として残り、その内実は、すべてがありナニモナイ、永遠の時間の世界だ。
「紐帯の強さなんてうんざりだ。そんなうんざりに縛られて、自分のエゴを隠して利用して、他人をセルフィッシュに扱う方が、全く非人間的だよ」
ダニエル君の主張はいつも語気が強い。
つまり彼はコムデギャルソンのシャツを来て、居酒屋でハイボール、湯豆腐、串カツ、焼酎お湯割りを並べる。
それを見た近代人に不思議な目で見られること、そこから現代人の近代に対する父親殺しに挑むのだ。
誰の言葉も聞かず、守るべきものを作らず、それが強さだと考えて、しかしそれがもしかすると人間的な弱さだと、社会的動物としての弱さだとすると思い出すと、彼は世界を浮遊してしまう。
「だから、選択しなきゃいけないんだよ。メシは食わなきゃいけないんだ。迷ってる時間なんて、ありゃしないんだよ」
現代人(今の若者)の人生の行動は、近代人(年配)の大文字の台詞の前に、ただただ頭が上がらない。
近代人の台詞は、何の嘘もなく、古代からの人類の本質だ。
しかし現代には時間が溢れている。フードもファッションも、ブームもモードも、すべてはバラバラに並べられ並列化されて同時進行し、組み合わされ、有形無形の様々なグニャグニャが極彩色の色彩で目まぐるしく展開していく。
ハイエラルキカルな世界はただ幻想として残り、その内実は、すべてがありナニモナイ、永遠の時間の世界だ。
「紐帯の強さなんてうんざりだ。そんなうんざりに縛られて、自分のエゴを隠して利用して、他人をセルフィッシュに扱う方が、全く非人間的だよ」
ダニエル君の主張はいつも語気が強い。
つまり彼はコムデギャルソンのシャツを来て、居酒屋でハイボール、湯豆腐、串カツ、焼酎お湯割りを並べる。
それを見た近代人に不思議な目で見られること、そこから現代人の近代に対する父親殺しに挑むのだ。
2010年2月19日金曜日
絶望する人間、という希望。
「疲れた顔をしている。最近は何か悩みごとでもあるのか。」
「弱い人間がボクをあまりに疲れさせるんだ。(あなたみたいなね)。」
徹底的に冷たい人間になることが、ダニエル君の暫定的な希望となった。人間はその人間の環境の変化に適応しながら彼自身を変化させていく、それは実に自然で巧妙に操作され成されていく本能的所作だが、彼が昔にロシアの作家から学んだ唯一のテーマ、初めてそれに出会ったときから彼はいつもこういうことを想う。ある種の現実を見ると想い描く。
ただ彼が恐ろしいのは、それがまさか自分自身に発見されるとは思いもしてなかった、その瞬間の到来だった。
「本当に、冬が寒い。寒いな」
「弱い人間がボクをあまりに疲れさせるんだ。(あなたみたいなね)。」
徹底的に冷たい人間になることが、ダニエル君の暫定的な希望となった。人間はその人間の環境の変化に適応しながら彼自身を変化させていく、それは実に自然で巧妙に操作され成されていく本能的所作だが、彼が昔にロシアの作家から学んだ唯一のテーマ、初めてそれに出会ったときから彼はいつもこういうことを想う。ある種の現実を見ると想い描く。
ただ彼が恐ろしいのは、それがまさか自分自身に発見されるとは思いもしてなかった、その瞬間の到来だった。
「本当に、冬が寒い。寒いな」
2010年2月17日水曜日
ロマン主義、雑感。
芸術について、とりわけ絵画や彫刻などの視覚芸術の領域においてのロマン主義なる定義は、その範囲の確定が難しい。
古典主義の代表者であるゲーテの中に多分にロマン主義の嚆矢となる要素が見られるように、またあまりに儀礼的な場面、様式美の粋を凝らした構図にその画力を注いだダヴィドの絵画が、それと同時に彼の政治的な主張、革命に対する夢想を語るように、作家性の発露こそがロマン主義の本質であるように思われる。
「芸術史とは、芸術の歴史であって、芸術家の歴史ではなかった」と語られるように、芸術作品において、作家というものはその技巧の高さ以外を問われることはなかった。作品の中にその作家性を見ることは後代の歴史家や研究家によって初めてなされたことで、ロマン主義以前の主流な芸術の中に、主流な芸術の価値観にと言い換えてもいいが、社会が求めた芸術とはプロパガンダであり社会的紐帯の強化以上のものではなかったと言えるだろう。
もっとも芸術の社会的役割はそれ以降も変わらないが、その役割を演じる中で、芸術家というものが為政者の宣伝家以上に、彼自身が革命家となったその現象が、ロマン主義の意義である。
ロマン主義とは回顧的であり古典的でもあり、またターナーのように後の印象派に連なる未来性も持つような定義の困難な言葉だが、作家が絵画の中で、それまでの時代と比べて格段に彼の言葉を語り始めたというところに、つまりは革命への憧れが、彼自身を革命家に変えたところにその歴史的な定義が下される。
ロマン主義とは革命家のロマンチズムであり、革命の可能性への夢想こそが芸術家をロマン主義者にするのだろう。
ロマン主義とは、作家の誕生であり、近代芸術の過渡期、その出発であった。
古典主義の代表者であるゲーテの中に多分にロマン主義の嚆矢となる要素が見られるように、またあまりに儀礼的な場面、様式美の粋を凝らした構図にその画力を注いだダヴィドの絵画が、それと同時に彼の政治的な主張、革命に対する夢想を語るように、作家性の発露こそがロマン主義の本質であるように思われる。
「芸術史とは、芸術の歴史であって、芸術家の歴史ではなかった」と語られるように、芸術作品において、作家というものはその技巧の高さ以外を問われることはなかった。作品の中にその作家性を見ることは後代の歴史家や研究家によって初めてなされたことで、ロマン主義以前の主流な芸術の中に、主流な芸術の価値観にと言い換えてもいいが、社会が求めた芸術とはプロパガンダであり社会的紐帯の強化以上のものではなかったと言えるだろう。
もっとも芸術の社会的役割はそれ以降も変わらないが、その役割を演じる中で、芸術家というものが為政者の宣伝家以上に、彼自身が革命家となったその現象が、ロマン主義の意義である。
ロマン主義とは回顧的であり古典的でもあり、またターナーのように後の印象派に連なる未来性も持つような定義の困難な言葉だが、作家が絵画の中で、それまでの時代と比べて格段に彼の言葉を語り始めたというところに、つまりは革命への憧れが、彼自身を革命家に変えたところにその歴史的な定義が下される。
ロマン主義とは革命家のロマンチズムであり、革命の可能性への夢想こそが芸術家をロマン主義者にするのだろう。
ロマン主義とは、作家の誕生であり、近代芸術の過渡期、その出発であった。
ラベル:
esthetica.
2010年2月13日土曜日
一切の不幸
人間関係の一切の不幸は、彼ら彼女らの善意と無知の交叉にある。
あるいはそれは優しさと愚かさに満ちていると言い換えてもいい。
人は自分自身が驚くほどにエゴイスティックで偽善的であることを、意外と驚くほどに知らない。
そしてそんな自分に気づいたとき、彼彼女はこれもまた驚くほどに功名な言い訳を生むのだ。
人間、このあまりに利己的な存在よ。
この格率を認めない人間ほどに、上述のエゴと偽善のループを際限なく膨らませるのである。
ーーーー
こういうことが文学の範疇である。
このような私の感覚を、抽象的な思弁で語っても、それはいとも平易な文章に回収されてしまい、論理的であろうとしてもそれは散漫な文章となる。
このような命題の証明は、ある種のフィクションで描かれるべきである。
それはそれを哲学的に語ることが、あまりにくだらないからである。
あるいはそれは優しさと愚かさに満ちていると言い換えてもいい。
人は自分自身が驚くほどにエゴイスティックで偽善的であることを、意外と驚くほどに知らない。
そしてそんな自分に気づいたとき、彼彼女はこれもまた驚くほどに功名な言い訳を生むのだ。
人間、このあまりに利己的な存在よ。
この格率を認めない人間ほどに、上述のエゴと偽善のループを際限なく膨らませるのである。
ーーーー
こういうことが文学の範疇である。
このような私の感覚を、抽象的な思弁で語っても、それはいとも平易な文章に回収されてしまい、論理的であろうとしてもそれは散漫な文章となる。
このような命題の証明は、ある種のフィクションで描かれるべきである。
それはそれを哲学的に語ることが、あまりにくだらないからである。
2010年2月9日火曜日
個人的美学論試論
我々にとって美とは何かという問いについてのこの個人的な論考の出発は、まず現代において様々な諸価値がどのように扱われるべきかという前提をしっかりと踏まえたところから始まる。
それは社会的な装置としての宗教とは異なる絶対的な神話上の神が死に、そして人類によって人間性というまたもう一つの神話が殺された現代には、価値観の序列というものはないということである。
あらゆる価値は相対的であり、全ての価値観は並列的に取り扱われる。
ヒトはただこの世界に不意に産み落とされ、自身の考える人として自分の人生を生き、めいめいがそれぞれの人間性の物語を紡いでいくのだ。
そして先天的に与えられる確定した人間性などないならば、やはりそこには先天的に確定された美しさというものもない。
美しくない芸術という宣言は、全ての芸術は美しいということの換言であった。
つまり今日の美学の問題は、美しいという言葉自体にあるのではない。
美しい技術としての芸術の時代が去り、趣味の世紀を経て、もはや趣味の優劣を論じることも困難な時代にあって、芸術とはそもそも何であるのかという原始的課題が現代ではまさに問題となっているのだ。
私はこの問題の解決を考えていくにあたって、本稿では結論を記しておきたい。
すべての意志的な行為は、芸術である。
それでは、意志的でない行為とは、何なのか。そんなものが存在するのか。
意志の境界とはどこにあるのか。それは心理学なのか。
私はこの命題を、もちろん旧来の美学論の問題、趣味の優劣の社会学的な形成過程、伝統的な批評判断の手法とともに考えたいのだ。
なぜ、美が問題なのか。
それはすべての意志的な行為が芸術であるならば、世の中の一切は美しいかどうかということ以外にその存在理由を失うからだ。
哲学として唯美主義、それが私の関心である。
それは社会的な装置としての宗教とは異なる絶対的な神話上の神が死に、そして人類によって人間性というまたもう一つの神話が殺された現代には、価値観の序列というものはないということである。
あらゆる価値は相対的であり、全ての価値観は並列的に取り扱われる。
ヒトはただこの世界に不意に産み落とされ、自身の考える人として自分の人生を生き、めいめいがそれぞれの人間性の物語を紡いでいくのだ。
そして先天的に与えられる確定した人間性などないならば、やはりそこには先天的に確定された美しさというものもない。
美しくない芸術という宣言は、全ての芸術は美しいということの換言であった。
つまり今日の美学の問題は、美しいという言葉自体にあるのではない。
美しい技術としての芸術の時代が去り、趣味の世紀を経て、もはや趣味の優劣を論じることも困難な時代にあって、芸術とはそもそも何であるのかという原始的課題が現代ではまさに問題となっているのだ。
私はこの問題の解決を考えていくにあたって、本稿では結論を記しておきたい。
すべての意志的な行為は、芸術である。
それでは、意志的でない行為とは、何なのか。そんなものが存在するのか。
意志の境界とはどこにあるのか。それは心理学なのか。
私はこの命題を、もちろん旧来の美学論の問題、趣味の優劣の社会学的な形成過程、伝統的な批評判断の手法とともに考えたいのだ。
なぜ、美が問題なのか。
それはすべての意志的な行為が芸術であるならば、世の中の一切は美しいかどうかということ以外にその存在理由を失うからだ。
哲学として唯美主義、それが私の関心である。
ラベル:
esthetica.
2009年12月21日月曜日
Delicious Japanese.
世の中に、おいしひものはたくさんあるので、
ボクは、さういうものをたくさん食べたひと願う。
玉のようなボクの肌の、手の甲がぼろぼろになっても、
このぼろぼろの手こそを喜びたひと思ふ。
「世界」といふ言葉が「ボクのエゴ」と同じ意味になるやうに。
誰かに会へる年末が、楽しみだ。
ボクは、さういうものをたくさん食べたひと願う。
玉のようなボクの肌の、手の甲がぼろぼろになっても、
このぼろぼろの手こそを喜びたひと思ふ。
「世界」といふ言葉が「ボクのエゴ」と同じ意味になるやうに。
誰かに会へる年末が、楽しみだ。
2009年11月8日日曜日
into the chaos..around there will..
触れ合えば触れ合うほどに
知れば知るほどに
ボクは彼らに対して心を閉ざすようになる
それは防御であり、同時にある種のボクなりの抵抗、攻撃であるのだけれど
何にも煩わされることのないように、強さが欲しい
強さを導く自信がほしい
家に帰る朝5時の大通りは、薄青くて、寒い。
寒さに負けないように、「欲しい、欲しい」と試しに叫んでみる。
空気はボクに、何も返してはくれなかった。
みんな、寝ている。
彼らは、これから起きて、または寝て、みんなが彼らの意志と世界を生きる。
その合間を縫うようにして、ボクは今生きている。
ボクの密かな卑しい喜びは、各人の人生の相対化をしていること、冷めた目で精神分析を欠かさないこと。
ボクというキャラクターを不在に見せること。
ボクの不健康は、
d利害なく笑える瞬間が、今はない、ということ。
知れば知るほどに
ボクは彼らに対して心を閉ざすようになる
それは防御であり、同時にある種のボクなりの抵抗、攻撃であるのだけれど
何にも煩わされることのないように、強さが欲しい
強さを導く自信がほしい
家に帰る朝5時の大通りは、薄青くて、寒い。
寒さに負けないように、「欲しい、欲しい」と試しに叫んでみる。
空気はボクに、何も返してはくれなかった。
みんな、寝ている。
彼らは、これから起きて、または寝て、みんなが彼らの意志と世界を生きる。
その合間を縫うようにして、ボクは今生きている。
ボクの密かな卑しい喜びは、各人の人生の相対化をしていること、冷めた目で精神分析を欠かさないこと。
ボクというキャラクターを不在に見せること。
ボクの不健康は、
d利害なく笑える瞬間が、今はない、ということ。
2009年10月27日火曜日
現代的懐疑の0地点。
善悪という概念は、現代にあってはもう放棄されていると考えて間違いない。
神も人間も、もう死んだのだ。
我々は、あの人間と全く同じ姿をした、動物である。
文明化した動物、神の時代、人間の時代の後に来たこの動物の時代を、私は驚嘆をもって祝福する!!
懐疑する態度を、皮肉で冷淡な余裕派の児戯と考えてはいけない。
懐疑する姿勢は、どこまでも誠実で真摯な世界への愛情である。
しかし懐疑は、懐疑をする者は、往々にしてある陥穽――その思考の目的の方向自体を見失い、思考はそのままそれ自身に対するトートロジーと化し、その繰り返しが最終的には無益な厭世主義を導出するというあの美しくも哀れな不生産――に囚われてしまう。
美しいものほど、そうなのだ。
美しいもの、それ自体の美しさがその存在理由になるほどに美しく取り扱われるものたちには、意志などいらない。
彼らには芸術を創造する必要などなく、彼らは我々の芸術のために存在する。
世の中には二つのものしか存在しない。
それは、芸術的であるものか、芸術を作るものであるか、である。
世の中には全く、この二つしか存在しない。
そして芸術とは、あらゆるものである。
芸術とは、美そのものであり、美とは、人間のあらゆる感情や快楽を刺激する芳香それ自体である。
自分の世界を出て、他者に接触しようと試みる行為はすべて、各人の理想の美へのアプローチなのだ。
汝自身の崇高と頽廃を叶えんがために、汝は代償を払い女神に口づけをせんとする。
そして現代では、すべての美がすべての欲望と等価交換されるようになった!!
これほどまでに素晴らしい時代が、今までに存在しただろうか!!
これが、現代世界の諸相であり、社会科学が解き明かそうとやっきになっている現象の本質である。
これが、経済学者の行うあらゆる命名と解析の背後にある原理であり、ワイドショーの道徳家が叫ぶ善悪とやらを全て論駁した先にある世界なのだ。
かつて動物にあっては本能の支配が、人間にあっては理性の支配があった。
我々動物人間は、欲望に美という名前を与えることで、この進化の矛盾を克服し超越したのである。
美という欲望の調和の名の下に、宇宙が描かれる可能性を、世界で初めて示した現代の生物。
これほどまでに美しい存在があろうか!!
神も人間も、もう死んだのだ。
我々は、あの人間と全く同じ姿をした、動物である。
文明化した動物、神の時代、人間の時代の後に来たこの動物の時代を、私は驚嘆をもって祝福する!!
懐疑する態度を、皮肉で冷淡な余裕派の児戯と考えてはいけない。
懐疑する姿勢は、どこまでも誠実で真摯な世界への愛情である。
しかし懐疑は、懐疑をする者は、往々にしてある陥穽――その思考の目的の方向自体を見失い、思考はそのままそれ自身に対するトートロジーと化し、その繰り返しが最終的には無益な厭世主義を導出するというあの美しくも哀れな不生産――に囚われてしまう。
美しいものほど、そうなのだ。
美しいもの、それ自体の美しさがその存在理由になるほどに美しく取り扱われるものたちには、意志などいらない。
彼らには芸術を創造する必要などなく、彼らは我々の芸術のために存在する。
世の中には二つのものしか存在しない。
それは、芸術的であるものか、芸術を作るものであるか、である。
世の中には全く、この二つしか存在しない。
そして芸術とは、あらゆるものである。
芸術とは、美そのものであり、美とは、人間のあらゆる感情や快楽を刺激する芳香それ自体である。
自分の世界を出て、他者に接触しようと試みる行為はすべて、各人の理想の美へのアプローチなのだ。
汝自身の崇高と頽廃を叶えんがために、汝は代償を払い女神に口づけをせんとする。
そして現代では、すべての美がすべての欲望と等価交換されるようになった!!
これほどまでに素晴らしい時代が、今までに存在しただろうか!!
これが、現代世界の諸相であり、社会科学が解き明かそうとやっきになっている現象の本質である。
これが、経済学者の行うあらゆる命名と解析の背後にある原理であり、ワイドショーの道徳家が叫ぶ善悪とやらを全て論駁した先にある世界なのだ。
かつて動物にあっては本能の支配が、人間にあっては理性の支配があった。
我々動物人間は、欲望に美という名前を与えることで、この進化の矛盾を克服し超越したのである。
美という欲望の調和の名の下に、宇宙が描かれる可能性を、世界で初めて示した現代の生物。
これほどまでに美しい存在があろうか!!
2009年10月19日月曜日
La ta ta ta ta...
ある欲望というものは、往々にしてそれ自身とは違う姿で、我々の世界に表れる。
欲望に彼自身の完璧な形を与えてやること。
それが理想主義者、いや、夢想家の義務であり生涯の華である。
どのような場面のどのような人間についても、ストイシズムを持てないものは価値がない。
ストイックに怠惰でありたい。
怠惰者として美しい姿で。
欲望に彼自身の完璧な形を与えてやること。
それが理想主義者、いや、夢想家の義務であり生涯の華である。
どのような場面のどのような人間についても、ストイシズムを持てないものは価値がない。
ストイックに怠惰でありたい。
怠惰者として美しい姿で。
2009年10月17日土曜日
Sir Henry said "Why so serious?"
グレングールドの弾くバッハの中には、
いくら宗教というのが人間本来の本能的な装置であると冷めた姿勢を崩さないボクでも、
なぜか、神の存在を想わせる、つまり神の存在を信じてしまう。
そしてそれはあまりに美しいことがその理由であると思われる。
何のメッセージもなく、
何の装飾もなく、
ただただピュアなその音と音階、メロディーは、
ただただ美しいのみである。
「ただ存在することがその存在理由である」と思わせるものほど、
存在する価値のあるものはない。
ただ美しいことだけは、
公平な正義だ。
それ以外を問いたいのならば、
それ相当の準備と論理を用意したまえ!!
いくら宗教というのが人間本来の本能的な装置であると冷めた姿勢を崩さないボクでも、
なぜか、神の存在を想わせる、つまり神の存在を信じてしまう。
そしてそれはあまりに美しいことがその理由であると思われる。
何のメッセージもなく、
何の装飾もなく、
ただただピュアなその音と音階、メロディーは、
ただただ美しいのみである。
「ただ存在することがその存在理由である」と思わせるものほど、
存在する価値のあるものはない。
ただ美しいことだけは、
公平な正義だ。
それ以外を問いたいのならば、
それ相当の準備と論理を用意したまえ!!
2009年10月9日金曜日
I love MY.-4
ダニエルは酔っぱらっていたからこそ、ホテルに電話した。
「今から二人、ええ、12000円、あぁ、じゃあちょっと考えます、ありがとう」
「さっきお電話したんですけど、えぇ、そう、うん、じゃあ今から二人、はい、お願いします」
彼は、アルコールのない時間には、彼自身、ただのセックスというものがどれほどその後に虚無のような寂寞とした印象を自分に与え続けるか、そこから来るそのときの自分の自信や矜持への嫌悪感に恥ずかしさを感じ逃げたくなるかを、素面のときには考えていたし、そう思っていた。
ただ酒だけが、そういう頭でっかちな理屈を吹き飛ばし、そうじゃない世界、彼が想像しない世界への、そういう世界があるかもしれないという身勝手な期待を助長する。
結果はいつも、そう違いのないものだった。
ただ、ダニエルが年を重ねるごとに学んだことは、彼自身の不誠実だった。
刹那主義というイズムの皮をかぶること、どこかで見たどこかの国の映画の誰かを気取ること、そうやって、「そういうドラマの1シーンだったのね」という思い出にしまい込むことを、彼はそういった技術と安逸を獲得していた。
「悪いとか、悪くないとか、わからない。ワタシが悪いと思ったことは、悪いことだもの。でもワルいことって、絶対ワルいかどうか、わからないものね。だから、ワルいことも、楽しいのよ。イイことが、疲れるのと同じようにね」
コンビニで買ったビールと、ブルーベリーのヨーグルトを口にいれながら、二人はごろごろとベッドに寝そべりテレビを見ていた。
物質は空間を定義するのか、空間は関係を定義するのか。
定義、これほど便利な発明があるだろうか。
真理を否定して、ルールに従順になることほどの怠惰な安楽があるだろうか。
「それなのに、ルールを弄ぶことが、不道徳だなんて言われる義理はないよね」
ダニエルの吸ったタバコは、ぐしゃっと潰れながら、灰皿の中で苦い顔をしていた。
「今から二人、ええ、12000円、あぁ、じゃあちょっと考えます、ありがとう」
「さっきお電話したんですけど、えぇ、そう、うん、じゃあ今から二人、はい、お願いします」
彼は、アルコールのない時間には、彼自身、ただのセックスというものがどれほどその後に虚無のような寂寞とした印象を自分に与え続けるか、そこから来るそのときの自分の自信や矜持への嫌悪感に恥ずかしさを感じ逃げたくなるかを、素面のときには考えていたし、そう思っていた。
ただ酒だけが、そういう頭でっかちな理屈を吹き飛ばし、そうじゃない世界、彼が想像しない世界への、そういう世界があるかもしれないという身勝手な期待を助長する。
結果はいつも、そう違いのないものだった。
ただ、ダニエルが年を重ねるごとに学んだことは、彼自身の不誠実だった。
刹那主義というイズムの皮をかぶること、どこかで見たどこかの国の映画の誰かを気取ること、そうやって、「そういうドラマの1シーンだったのね」という思い出にしまい込むことを、彼はそういった技術と安逸を獲得していた。
「悪いとか、悪くないとか、わからない。ワタシが悪いと思ったことは、悪いことだもの。でもワルいことって、絶対ワルいかどうか、わからないものね。だから、ワルいことも、楽しいのよ。イイことが、疲れるのと同じようにね」
コンビニで買ったビールと、ブルーベリーのヨーグルトを口にいれながら、二人はごろごろとベッドに寝そべりテレビを見ていた。
物質は空間を定義するのか、空間は関係を定義するのか。
定義、これほど便利な発明があるだろうか。
真理を否定して、ルールに従順になることほどの怠惰な安楽があるだろうか。
「それなのに、ルールを弄ぶことが、不道徳だなんて言われる義理はないよね」
ダニエルの吸ったタバコは、ぐしゃっと潰れながら、灰皿の中で苦い顔をしていた。
2009年10月8日木曜日
I love MY.-3
「そんな風にフラストレーションを感じてると、疲れてしまわないかな。大丈夫?」
「フラストレーションが溜まってるわけじゃないと思うんだけどな。ぼくは感動しすぎるんだ、いろんなことに。どうしても興味関心を持って、心動かされてしまう。コメントしてしまうんだよね、それが攻撃的だから、いつもボクは怒っているようになるんだ。」
ダニエル君はベン・ネイヴィスをダブルでいれたハイボールをぐいと飲んで、串揚げされたレンコンを熱そうに口先で噛みついた。
「きみはいいよ、法律家っていう仕事の中で自分の抽象的な意見っていうのをなかなか反映させられるんだから。これは嫌みでも批判でも、憧れでも嫉妬でもないよ、ただきみの状況はいいものだって、それを認めているんだ。じゃあ自分は、そう言われると困るんだね、ぼくも選択できないという選択肢を好きで選んでいて、その状況をそれなりに楽しんでいるんだもの。ある意味結果の責任を伴わないだけ、想像の自由度も高いはずだ。プレッシャーがないけれどね。だから結局何もないさ、ぼくの言う意見を誰がどう思うか、ぼくの意見の強度だけの問題さ、それがダメかどうかだよ、背景なんて関係ないね。うじうじと他の条件を言い立ててくる奴らなんて、それこそ生理中か何かだよ。逃げだ、逃げ。ボクが逃げているのか、やつらが逃げているのか、闘いだよ」
ボクは、3杯目の生ビールを一気飲みして、答えた。
「意見の強度だって!?それを吐けば吐くほど、きみの精神衰弱は加速するんじゃないか?2chの非生産だよ、一歩間違えれば。きみは浮き世と匿名を履き違えてる。きみは、生産的な刹那主義を訴えているけれど、見てみなよ、それは狡猾な建前でしかなくて、きみは、ネットと同じように、匿名を演じているんだ。きみはファッショナブルな服装やファッショナブルな振る舞いをすることで、そのシリアスな部分をごまかしている。それで、ごまかすのは他人のためで、他人はバカだからだなんて、身勝手だね。そう、若いやつらが酒を飲まなくなったってのはね、酒場の親父のご高説を、素面でできる場所ができたからだよ。酒場ではどうしても相手の顔が見えるから、どうしても恥ずかしくなるだろう。それがなしで、独りよがりで権威べったりのご高説が吐けるんだから、そりゃWebは便利だよ。きみが偉いのは、その一点だけだ。きみは、外部性に期待している。不確実性に不安になりながらも、期待しているところだけ、ボクはきみが好きだよ。でも、きみは今、それだけだ。」
ダニエル君は大笑いして、答えた。
「そうだよ、まさにそうだ。だから飲もう!外部性に期待、いや、あらゆる環境の変化を求めて!」
「フラストレーションが溜まってるわけじゃないと思うんだけどな。ぼくは感動しすぎるんだ、いろんなことに。どうしても興味関心を持って、心動かされてしまう。コメントしてしまうんだよね、それが攻撃的だから、いつもボクは怒っているようになるんだ。」
ダニエル君はベン・ネイヴィスをダブルでいれたハイボールをぐいと飲んで、串揚げされたレンコンを熱そうに口先で噛みついた。
「きみはいいよ、法律家っていう仕事の中で自分の抽象的な意見っていうのをなかなか反映させられるんだから。これは嫌みでも批判でも、憧れでも嫉妬でもないよ、ただきみの状況はいいものだって、それを認めているんだ。じゃあ自分は、そう言われると困るんだね、ぼくも選択できないという選択肢を好きで選んでいて、その状況をそれなりに楽しんでいるんだもの。ある意味結果の責任を伴わないだけ、想像の自由度も高いはずだ。プレッシャーがないけれどね。だから結局何もないさ、ぼくの言う意見を誰がどう思うか、ぼくの意見の強度だけの問題さ、それがダメかどうかだよ、背景なんて関係ないね。うじうじと他の条件を言い立ててくる奴らなんて、それこそ生理中か何かだよ。逃げだ、逃げ。ボクが逃げているのか、やつらが逃げているのか、闘いだよ」
ボクは、3杯目の生ビールを一気飲みして、答えた。
「意見の強度だって!?それを吐けば吐くほど、きみの精神衰弱は加速するんじゃないか?2chの非生産だよ、一歩間違えれば。きみは浮き世と匿名を履き違えてる。きみは、生産的な刹那主義を訴えているけれど、見てみなよ、それは狡猾な建前でしかなくて、きみは、ネットと同じように、匿名を演じているんだ。きみはファッショナブルな服装やファッショナブルな振る舞いをすることで、そのシリアスな部分をごまかしている。それで、ごまかすのは他人のためで、他人はバカだからだなんて、身勝手だね。そう、若いやつらが酒を飲まなくなったってのはね、酒場の親父のご高説を、素面でできる場所ができたからだよ。酒場ではどうしても相手の顔が見えるから、どうしても恥ずかしくなるだろう。それがなしで、独りよがりで権威べったりのご高説が吐けるんだから、そりゃWebは便利だよ。きみが偉いのは、その一点だけだ。きみは、外部性に期待している。不確実性に不安になりながらも、期待しているところだけ、ボクはきみが好きだよ。でも、きみは今、それだけだ。」
ダニエル君は大笑いして、答えた。
「そうだよ、まさにそうだ。だから飲もう!外部性に期待、いや、あらゆる環境の変化を求めて!」
2009年10月7日水曜日
I love MY.-2
「あぁ、まったく、くだらないくだらない。もう、噴飯ものだよね」
ダニエル君は、帰ってくるなりどかっとソファに座って、そう言った。
「見てみてよ、このマニフェストとかいうやつ。いや、さっき道でさ、結構な人数でこれを配ってて、労働問題を訴えてるわけ。で、もう馬鹿は無視しようと思って、こんなものも受け取らなかったんだけど、信号待ちの間にちょっと興味も湧いてさ、すみません、やっぱり頂いていいですかって、もらったの。そしたらその人、やっぱり今は格差の問題が、とか、いろいろ言うのね。でも、見てみて、最低時給を1000円に、って、ははは、確実に彼が最初にクビになるだろうね。ちょっと考えればわかるじゃない。根本的に馬鹿なんだよ。馬鹿だから、人より社会的価値がなくて、貧しくて、だからこんなメシア主義に傾倒するんだよね。本当に、負の連鎖だよ、馬鹿と救済主義は。日本ももう少し貧しかったら、社会主義革命が起きちゃうだろうね。でも起きないっていうのは、豊かだってことの証明だよ。もちろん、相対的なあれだけどね。」
ダニエル君は、帰ってくるなりどかっとソファに座って、そう言った。
みほちゃんは、別になんでもないことになんでもないように紅茶をいれて、それをカップに注ぎ、ダニエル君のテーブルに置いた。
「そうね。理論的だし、多分当たってる。でも、いいじゃない、馬鹿は馬鹿で。もちろんあなたの言う馬鹿だけど。それで、その馬鹿をどうしたいわけ?あなたはそんなに世界中が幸せになることとか望んでいたっけ?」
ダニエル君は、紅茶に砂糖を多めにいれて、すすった。
「彼を自分のフラストレーションのはけ口にしたかどうかは、まだわからないけれど、二つあるね。啓蒙主義なエゴイズム、いや違うな、自分の価値観への自信と、でも純粋にこの世界の一切が永遠の美しさの中につつまれればいいのに、っていう二つの心境かな。全部が全部、ぼくのエゴイズムなのはもちろんだけど」
甘い紅茶、ソファ、その空間が、どんな話題も無意味にする。
その豊かさの中で。
ダニエル君は、帰ってくるなりどかっとソファに座って、そう言った。
「見てみてよ、このマニフェストとかいうやつ。いや、さっき道でさ、結構な人数でこれを配ってて、労働問題を訴えてるわけ。で、もう馬鹿は無視しようと思って、こんなものも受け取らなかったんだけど、信号待ちの間にちょっと興味も湧いてさ、すみません、やっぱり頂いていいですかって、もらったの。そしたらその人、やっぱり今は格差の問題が、とか、いろいろ言うのね。でも、見てみて、最低時給を1000円に、って、ははは、確実に彼が最初にクビになるだろうね。ちょっと考えればわかるじゃない。根本的に馬鹿なんだよ。馬鹿だから、人より社会的価値がなくて、貧しくて、だからこんなメシア主義に傾倒するんだよね。本当に、負の連鎖だよ、馬鹿と救済主義は。日本ももう少し貧しかったら、社会主義革命が起きちゃうだろうね。でも起きないっていうのは、豊かだってことの証明だよ。もちろん、相対的なあれだけどね。」
ダニエル君は、帰ってくるなりどかっとソファに座って、そう言った。
みほちゃんは、別になんでもないことになんでもないように紅茶をいれて、それをカップに注ぎ、ダニエル君のテーブルに置いた。
「そうね。理論的だし、多分当たってる。でも、いいじゃない、馬鹿は馬鹿で。もちろんあなたの言う馬鹿だけど。それで、その馬鹿をどうしたいわけ?あなたはそんなに世界中が幸せになることとか望んでいたっけ?」
ダニエル君は、紅茶に砂糖を多めにいれて、すすった。
「彼を自分のフラストレーションのはけ口にしたかどうかは、まだわからないけれど、二つあるね。啓蒙主義なエゴイズム、いや違うな、自分の価値観への自信と、でも純粋にこの世界の一切が永遠の美しさの中につつまれればいいのに、っていう二つの心境かな。全部が全部、ぼくのエゴイズムなのはもちろんだけど」
甘い紅茶、ソファ、その空間が、どんな話題も無意味にする。
その豊かさの中で。
2009年10月5日月曜日
I love H/Y.
人生は、借りモノのように存在する。
誰かは、誰かや誰かの無数の価値観の、無数の組み合わせのパッチワークだ。
・・
ボクは、その少し前に少しだけ疲れてしまって、もう自分が生活しているその世界に、彼らの非合理で無駄の多い雑然とした行為への非難をぶつけて、そしてもうぶつけることにも疲れてしまい、もう何の感動もやめてしまって、もう心動かさず、すべてを無関心に、そして自分だけが楽しければそれでよい、流してしまえ、何も考えずに、彼らの欲求を満たしてあげて、彼らの向上など考えずに、彼らをモノのように処理してしまえ、それがボクの現在なしうる最も効率的なリスクカットだ、と、そういう状態にいた。
・・
瀬戸大橋を渡る。
車の窓から吹きすさぶ風も、その窓に広がる山や海も、ハイウェイの中で美しい。ハイウェイ、恥じらいながらもまさにそう言ってしまいたくなる爽快感と開放感が、空にも空気にもこの白い軽自動車にも、そしてボクにもあった。
「何も考えずに、感動だけができます。何もないです。ただ、気持ちいい」
ダニエル君はそう言って、車を走らせる。
London Calling が流れる。
・・
「ここから先が、ノグチのアトリエになります。未完成の作品の配置もすべて・・」
ボクにとって芸術は、モノ以上のモノでは全くなくて、おそらくそれは誰にとってもそうだろう、モノが芸術になるのは、あくまでボクがそれを芸術だと思うからだ。ボクの考える芸術の意味を、そこにあるモノが備えて初めて、モノは芸術になる。もちろん、ボクが、今現在そこにあるただのモノを、将来的に芸術だと思うときが来る、というのもあるだろう。
「彼は、デザイナーだね。彫刻家っていうのはその作業の性質上デザイナー的であるかもしれないけれど、彼はそれでもデザイナーのような仕事をしてきたんだ。だってここにあるのは、彼が彼の世界観を提示した、そういうことだもの」
ボクがそう言うと、ダニエル君は丸太に腰かけて、うん、と、うなずいた。
完成作品の収められた蔵と未完のものたちが置かれた庭を出て、イサム・ノグチが住居にしていた屋敷へ案内され、ボクは屋敷の裏に作られた彼の宇宙の中に入っていった。
「モエレ沼公園の原型が・・」
ノグチはこうして、人々が、自分の価値観の中で自由に歩き楽しむその姿を眺めることを、自分の創作の満足にしていたのだろう。
彼はまぎれもなくデザイナーであり、2000年前後から現代のプロダクトデザインは彼に始まるのだ。
「芸術は、もっともっとエゴイズムだし、芸術家はエゴイストとしての提示がその職分だ。芸術的であることと、芸術家であることは違う。芸術という言葉はエゴと同義であり、その後ろが「的」であることと「家」であることは全く違う。それはつまり彼が、「エゴイスティックな○○」であるのか、それとも「エゴイスト」であるのかという大きな差異だ」
ボクは自分と目の前の宇宙にそう演説して、
そうやってボクは、彼の作ったモノを愛し、自分なりの芸術として、イサム・ノグチ庭園美術館を、消費した。
・・
天ぷらを見て日本の精神性を考察した人間がいたが、ボクは讃岐うどんと天ぷらを食べて、それが必然としてここにあることを感じた。
「見事なもんだなぁ」
隣に座るダニエル君は、麺をすすり、だしを少し啜ると、彼の前の壁を見てそう言った。
すべての物事には無数の背景がある。
ボクたちはそういうことを考えたり、理解したりしながら、その物事に向かいあう。
それは全く間違いの無意味な想像であるかもしれないのに、だ。
不可知な真実の前に、ボクたちは想像を巡らす。
真実らしい「シンジツ」を探して、ボクらはシンジツを定義する。
讃岐うどんと天ぷらのシンジツは、ボクの中で非常に論理的に構成されていった。
・・
船に、車が入る。
船に、車が入るなんて、すごく無駄でセレブな感じだ。
それが無駄だからこそいっそう金持ち的な趣が、その物理的な行為に漂う。
無駄こそが、余剰こそが、余裕と美の酸素かもしれない。
海を渡る船。
島から島に渡る船の中から、顔を出して、離れていく陸地や建物、海の流れ、通り過ぎていくまた別の島々を眺める。
こういう感慨にあれこれ名前をつけたり、そういう空気を自分に照らし合わせたりすることが、ボクにはできない。
そんなボクがそうやって船の輪郭に沿う通路から海に向けて肘をついて顔を出したのは、先に同じように、ボクの姿勢よりは幾分様になる凛とした姿で、そうしている可愛い女の子を見たからだ。
彼女が何を思い、海を眺めるのか、海上を過ぎて行く船の流れは、彼女に何をアフォードしてくれるのだろうか。
それを知りたくて、そしてそのアフォーダンスに期待して、ボクは同じように顔を出した。
何かを想おうと思えば、何かを想えるのかもしれない。
ただ基本的には、そこには何もなかった。
景観の美しさ、そういった物理的な状況があるだけだった。
過ぎてゆく美しさのモノモノ、モノモノが美しく過ぎていく。ただ美しいと、それだけ。過ぎて行く、それだけのモノたち。しかし、美しい。でも、そうでもない。いい感じ、それだけが過ぎて行く。過ぎて行く、いい感じ。
彼女は何かを想いたくて、船に乗ったのだろう。
彼女は船に乗ることも、うどんも、島も、美術館も、全部自分の計画に織り込みずみで、彼女の気持ちを乗せて、この旅をしているんだ。
彼女の見える景色は、彼女自身だった。
ボクの見ているこの景色は、ボク自身なのか。
?
・・
すべての意志的な行為は、アートだ。
芸術とは、エゴイズムの同義語だった。
だからやはり、すべての意志は芸術で、意志を感じるあらゆる現象に、芸術性を感じ、勘ぐってしまう。
それがボクの哲学、脳機構のアルゴリズムだった。
・・
「石だらけだ。やっぱりここは本州とは違う。本州っていうところがどれだけドメドメで閉塞的、かつ自分たちが代表面してるかってことが、そこから来た人間として恥ずかしいくらい、よくわかります」
海岸に、何と形容すればいいか、こちらをぽっかりと困惑させるような佇まいで設置された2メートル大のカボチャのような物体の肌を、撫でたり、そこから離れて、離れたところからそのカボチャと海岸のミスマッチな状況の写真を撮ったりしながら、ダニエル君は話している。
ボクたちはそんな風に島の周りを散歩し、目についたものに寄り道しながら、島の頂上部に向かった。
安藤忠雄とベネッセによって作られた地中美術館には、安藤自身の作品であるその建造物とともに、クロード・モネ、ジェームズ・タレル、ウォルター・デ・マリアらの作品が展示されている。
それら少数の作品群によるこの空間に展開された作品世界に、ボクはすっかり倒錯され感動してしまった。
感動だって!
感動する、心動かされる、関心を持ってしまうまたはそれを表に発動させてしまう、そういったことを出来る限り排除しようと努めていたボクはどこにいった!
まさか、まさか
ボク以外のモノ、それも芸術なんて他人事に、ボクが感動させられただって!
そんなことがあり得るなんて、あり得るに決まっているのに、思いもよらなかった、忘れてしまっていた。
目眩がする、動悸がする、涙が出る。
苦しい
考えてもみたら、そうだ、それがボクが活力的になるいつもの理由、お決まりの常套文句じゃなかったか。
「夜は、何があるかわからないから」
「え?」
口をついて出た言葉に、ダニエル君はボクを見た。
「うん、そのままだよ」
「そうか。うん、うん、ボクらのモットーだね、ははは」
・・
直島は、ボクにとっての夜だった
夜の暗さは、この異世界の空気であり
この島の複雑さは、夜の怪奇そのものだ
常にボクを超えていく 夜
ボクを超えてボクに向かってくる 夜
この島はまさしくボクの、ヨルである。
ヨルは楽しく、つらく、素晴らしく
ヨルにはすべてがつまっている
それは昼との表裏として
それは昼の仮面として
ヨルは、ヒルと背中合わせにキスをする。
直島は、ボクの人生にキスをしたのだ。
直島は、ボクのヨルとして
ボクの闇に、融けていった
・・
そうして3時間後
「やっぱりココがいいですよ。アソコがあって、ココがあって、ココがよくなるんだ。ココはココとしてずっと、「ココがいいなぁ」なんです」
ボクらはいつもの店で、オロロソをぐいぐいやっていた。
ボクはダニエル君に賛成するが、同時にその賛意と同じ強度の激烈な反対を心の中に蒔いた。
・・
ココは、ボクのヒルです。
アソコが、ボクのヨルなのです。
※一般名詞のカタカナは、記号です。
誰かは、誰かや誰かの無数の価値観の、無数の組み合わせのパッチワークだ。
・・
ボクは、その少し前に少しだけ疲れてしまって、もう自分が生活しているその世界に、彼らの非合理で無駄の多い雑然とした行為への非難をぶつけて、そしてもうぶつけることにも疲れてしまい、もう何の感動もやめてしまって、もう心動かさず、すべてを無関心に、そして自分だけが楽しければそれでよい、流してしまえ、何も考えずに、彼らの欲求を満たしてあげて、彼らの向上など考えずに、彼らをモノのように処理してしまえ、それがボクの現在なしうる最も効率的なリスクカットだ、と、そういう状態にいた。
・・
瀬戸大橋を渡る。
車の窓から吹きすさぶ風も、その窓に広がる山や海も、ハイウェイの中で美しい。ハイウェイ、恥じらいながらもまさにそう言ってしまいたくなる爽快感と開放感が、空にも空気にもこの白い軽自動車にも、そしてボクにもあった。
「何も考えずに、感動だけができます。何もないです。ただ、気持ちいい」
ダニエル君はそう言って、車を走らせる。
London Calling が流れる。
・・
「ここから先が、ノグチのアトリエになります。未完成の作品の配置もすべて・・」
ボクにとって芸術は、モノ以上のモノでは全くなくて、おそらくそれは誰にとってもそうだろう、モノが芸術になるのは、あくまでボクがそれを芸術だと思うからだ。ボクの考える芸術の意味を、そこにあるモノが備えて初めて、モノは芸術になる。もちろん、ボクが、今現在そこにあるただのモノを、将来的に芸術だと思うときが来る、というのもあるだろう。
「彼は、デザイナーだね。彫刻家っていうのはその作業の性質上デザイナー的であるかもしれないけれど、彼はそれでもデザイナーのような仕事をしてきたんだ。だってここにあるのは、彼が彼の世界観を提示した、そういうことだもの」
ボクがそう言うと、ダニエル君は丸太に腰かけて、うん、と、うなずいた。
完成作品の収められた蔵と未完のものたちが置かれた庭を出て、イサム・ノグチが住居にしていた屋敷へ案内され、ボクは屋敷の裏に作られた彼の宇宙の中に入っていった。
「モエレ沼公園の原型が・・」
ノグチはこうして、人々が、自分の価値観の中で自由に歩き楽しむその姿を眺めることを、自分の創作の満足にしていたのだろう。
彼はまぎれもなくデザイナーであり、2000年前後から現代のプロダクトデザインは彼に始まるのだ。
「芸術は、もっともっとエゴイズムだし、芸術家はエゴイストとしての提示がその職分だ。芸術的であることと、芸術家であることは違う。芸術という言葉はエゴと同義であり、その後ろが「的」であることと「家」であることは全く違う。それはつまり彼が、「エゴイスティックな○○」であるのか、それとも「エゴイスト」であるのかという大きな差異だ」
ボクは自分と目の前の宇宙にそう演説して、
そうやってボクは、彼の作ったモノを愛し、自分なりの芸術として、イサム・ノグチ庭園美術館を、消費した。
・・
天ぷらを見て日本の精神性を考察した人間がいたが、ボクは讃岐うどんと天ぷらを食べて、それが必然としてここにあることを感じた。
「見事なもんだなぁ」
隣に座るダニエル君は、麺をすすり、だしを少し啜ると、彼の前の壁を見てそう言った。
すべての物事には無数の背景がある。
ボクたちはそういうことを考えたり、理解したりしながら、その物事に向かいあう。
それは全く間違いの無意味な想像であるかもしれないのに、だ。
不可知な真実の前に、ボクたちは想像を巡らす。
真実らしい「シンジツ」を探して、ボクらはシンジツを定義する。
讃岐うどんと天ぷらのシンジツは、ボクの中で非常に論理的に構成されていった。
・・
船に、車が入る。
船に、車が入るなんて、すごく無駄でセレブな感じだ。
それが無駄だからこそいっそう金持ち的な趣が、その物理的な行為に漂う。
無駄こそが、余剰こそが、余裕と美の酸素かもしれない。
海を渡る船。
島から島に渡る船の中から、顔を出して、離れていく陸地や建物、海の流れ、通り過ぎていくまた別の島々を眺める。
こういう感慨にあれこれ名前をつけたり、そういう空気を自分に照らし合わせたりすることが、ボクにはできない。
そんなボクがそうやって船の輪郭に沿う通路から海に向けて肘をついて顔を出したのは、先に同じように、ボクの姿勢よりは幾分様になる凛とした姿で、そうしている可愛い女の子を見たからだ。
彼女が何を思い、海を眺めるのか、海上を過ぎて行く船の流れは、彼女に何をアフォードしてくれるのだろうか。
それを知りたくて、そしてそのアフォーダンスに期待して、ボクは同じように顔を出した。
何かを想おうと思えば、何かを想えるのかもしれない。
ただ基本的には、そこには何もなかった。
景観の美しさ、そういった物理的な状況があるだけだった。
過ぎてゆく美しさのモノモノ、モノモノが美しく過ぎていく。ただ美しいと、それだけ。過ぎて行く、それだけのモノたち。しかし、美しい。でも、そうでもない。いい感じ、それだけが過ぎて行く。過ぎて行く、いい感じ。
彼女は何かを想いたくて、船に乗ったのだろう。
彼女は船に乗ることも、うどんも、島も、美術館も、全部自分の計画に織り込みずみで、彼女の気持ちを乗せて、この旅をしているんだ。
彼女の見える景色は、彼女自身だった。
ボクの見ているこの景色は、ボク自身なのか。
?
・・
すべての意志的な行為は、アートだ。
芸術とは、エゴイズムの同義語だった。
だからやはり、すべての意志は芸術で、意志を感じるあらゆる現象に、芸術性を感じ、勘ぐってしまう。
それがボクの哲学、脳機構のアルゴリズムだった。
・・
「石だらけだ。やっぱりここは本州とは違う。本州っていうところがどれだけドメドメで閉塞的、かつ自分たちが代表面してるかってことが、そこから来た人間として恥ずかしいくらい、よくわかります」
海岸に、何と形容すればいいか、こちらをぽっかりと困惑させるような佇まいで設置された2メートル大のカボチャのような物体の肌を、撫でたり、そこから離れて、離れたところからそのカボチャと海岸のミスマッチな状況の写真を撮ったりしながら、ダニエル君は話している。
ボクたちはそんな風に島の周りを散歩し、目についたものに寄り道しながら、島の頂上部に向かった。
安藤忠雄とベネッセによって作られた地中美術館には、安藤自身の作品であるその建造物とともに、クロード・モネ、ジェームズ・タレル、ウォルター・デ・マリアらの作品が展示されている。
それら少数の作品群によるこの空間に展開された作品世界に、ボクはすっかり倒錯され感動してしまった。
感動だって!
感動する、心動かされる、関心を持ってしまうまたはそれを表に発動させてしまう、そういったことを出来る限り排除しようと努めていたボクはどこにいった!
まさか、まさか
ボク以外のモノ、それも芸術なんて他人事に、ボクが感動させられただって!
そんなことがあり得るなんて、あり得るに決まっているのに、思いもよらなかった、忘れてしまっていた。
目眩がする、動悸がする、涙が出る。
苦しい
考えてもみたら、そうだ、それがボクが活力的になるいつもの理由、お決まりの常套文句じゃなかったか。
「夜は、何があるかわからないから」
「え?」
口をついて出た言葉に、ダニエル君はボクを見た。
「うん、そのままだよ」
「そうか。うん、うん、ボクらのモットーだね、ははは」
・・
直島は、ボクにとっての夜だった
夜の暗さは、この異世界の空気であり
この島の複雑さは、夜の怪奇そのものだ
常にボクを超えていく 夜
ボクを超えてボクに向かってくる 夜
この島はまさしくボクの、ヨルである。
ヨルは楽しく、つらく、素晴らしく
ヨルにはすべてがつまっている
それは昼との表裏として
それは昼の仮面として
ヨルは、ヒルと背中合わせにキスをする。
直島は、ボクの人生にキスをしたのだ。
直島は、ボクのヨルとして
ボクの闇に、融けていった
・・
そうして3時間後
「やっぱりココがいいですよ。アソコがあって、ココがあって、ココがよくなるんだ。ココはココとしてずっと、「ココがいいなぁ」なんです」
ボクらはいつもの店で、オロロソをぐいぐいやっていた。
ボクはダニエル君に賛成するが、同時にその賛意と同じ強度の激烈な反対を心の中に蒔いた。
・・
ココは、ボクのヒルです。
アソコが、ボクのヨルなのです。
※一般名詞のカタカナは、記号です。
I love MY.-yoru
「石だらけだ。やっぱりここは本州とは違う。本州っていうところがどれだけドメドメで閉塞的、かつ自分たちが代表面してるかってことが、そこから来た人間として恥ずかしいくらい、よくわかります」
海岸に、何と形容すればいいか、こちらをぽっかりと困惑させるような佇まいで設置された2メートル大のカボチャのような物体の肌を、撫でたり、そこから離れて、離れたところからそのカボチャと海岸のミスマッチな状況の写真を撮ったりしながら、ダニエル君は話している。
ボクたちはそんな風に島の周りを散歩し、目についたものに寄り道しながら、島の頂上部に向かった。
安藤忠雄とベネッセによって作られた地中美術館には、安藤自身の作品であるその建造物とともに、クロード・モネ、ジェームズ・タレル、ウォルター・デ・マリアらの作品が展示されている。
それら少数の作品群によるこの空間に展開された作品世界に、ボクはすっかり倒錯され感動してしまった。
感動だって!
感動する、心動かされる、関心を持ってしまうまたはそれを表に発動させてしまう、そういったことを出来る限り排除しようと努めていたボクはどこにいった!
まさか、まさか
ボク以外のモノ、それも芸術なんて他人事に、ボクが感動させられただって!
そんなことがあり得るなんて、あり得るに決まっているのに、思いもよらなかった、忘れてしまっていた。
目眩がする、動悸がする、涙が出る。
苦しい
考えてもみたら、そうだ、それがボクが活力的になるいつもの理由、お決まりの常套文句じゃなかったか。
「夜は、何があるかわからないから」
「え?」
口をついて出た言葉に、ダニエル君はボクを見た。
「うん、そのままだよ」
「そうか。うん、うん、ボクらのモットーだね、ははは」
・・
直島は、ボクにとっての夜だった
夜の暗さは、この異世界の空気であり
この島の複雑さは、夜の怪奇そのものだ
常にボクを超えていく 夜
ボクを超えてボクに向かってくる 夜
この島はまさしくボクの、ヨルである。
ヨルは楽しく、つらく、素晴らしく
ヨルにはすべてがつまっている
それは昼との表裏として
それは昼の仮面として
ヨルは、ヒルと背中合わせにキスをする。
直島は、ボクの人生にキスをしたのだ。
直島は、ボクのヨルとして
ボクの闇に、融けていった
海岸に、何と形容すればいいか、こちらをぽっかりと困惑させるような佇まいで設置された2メートル大のカボチャのような物体の肌を、撫でたり、そこから離れて、離れたところからそのカボチャと海岸のミスマッチな状況の写真を撮ったりしながら、ダニエル君は話している。
ボクたちはそんな風に島の周りを散歩し、目についたものに寄り道しながら、島の頂上部に向かった。
安藤忠雄とベネッセによって作られた地中美術館には、安藤自身の作品であるその建造物とともに、クロード・モネ、ジェームズ・タレル、ウォルター・デ・マリアらの作品が展示されている。
それら少数の作品群によるこの空間に展開された作品世界に、ボクはすっかり倒錯され感動してしまった。
感動だって!
感動する、心動かされる、関心を持ってしまうまたはそれを表に発動させてしまう、そういったことを出来る限り排除しようと努めていたボクはどこにいった!
まさか、まさか
ボク以外のモノ、それも芸術なんて他人事に、ボクが感動させられただって!
そんなことがあり得るなんて、あり得るに決まっているのに、思いもよらなかった、忘れてしまっていた。
目眩がする、動悸がする、涙が出る。
苦しい
考えてもみたら、そうだ、それがボクが活力的になるいつもの理由、お決まりの常套文句じゃなかったか。
「夜は、何があるかわからないから」
「え?」
口をついて出た言葉に、ダニエル君はボクを見た。
「うん、そのままだよ」
「そうか。うん、うん、ボクらのモットーだね、ははは」
・・
直島は、ボクにとっての夜だった
夜の暗さは、この異世界の空気であり
この島の複雑さは、夜の怪奇そのものだ
常にボクを超えていく 夜
ボクを超えてボクに向かってくる 夜
この島はまさしくボクの、ヨルである。
ヨルは楽しく、つらく、素晴らしく
ヨルにはすべてがつまっている
それは昼との表裏として
それは昼の仮面として
ヨルは、ヒルと背中合わせにキスをする。
直島は、ボクの人生にキスをしたのだ。
直島は、ボクのヨルとして
ボクの闇に、融けていった
2009年10月3日土曜日
I love you を訳すなら。
ボクが I love you を訳すなら、
ボクは アナタを殺す と訳したい。
ボクが I love you を訳すなら、
ボクは あの月をアナタも見ている と訳したい。
ボクが I love you を訳すなら、
やはり 「愛しています」と訳したい。
ボクが I love you を訳すなら、
「白い漆喰の壁に手をあてて、枯れたバーボンを飲んでいる」
と、
自己憐憫に浸りたい。
ボクは アナタを殺す と訳したい。
ボクが I love you を訳すなら、
ボクは あの月をアナタも見ている と訳したい。
ボクが I love you を訳すなら、
やはり 「愛しています」と訳したい。
ボクが I love you を訳すなら、
「白い漆喰の壁に手をあてて、枯れたバーボンを飲んでいる」
と、
自己憐憫に浸りたい。
2009年9月30日水曜日
I love MY.-sunk cost.
「昨日に付き合ってる時間なんて、ないわ。」
彼女は電話を片手に、片手でその肘を支えて、はっきりそう言った。
ボクはアールグレイに少しだけミルクを入れて、熱いのを一口、すする。
彼女はケータイを閉じて、カバンに放り込み、ボクを睨んだ。
「言っておきますけどね、これは何でもない人で、何でもない話です。」
「いいよ、何でも。ボクは君とさっき知り合って、そしてここにいるだけ。ボクもそれだけの、何でもない男なんだから。明日にはボクが同じ電話、そのカバンの中の電話の向こうにいるよ。ボクは、かけないけどさ」
「冷静ぶる人って、嫌いだけど、まぁ、可愛らしいね」
――――――
人はなかなか、手がけたものや手に入れたものを手放そうとしない。
そうしてずぶずぶと手の中でそれを腐らせてしまう。
あげくには、ずぶずぶと腐っていく物体を、
「これはいいものなんだ!」
なんて、自分を適宜正当化する。
動産の所有なんて概念は、早く捨ててしまったほうがいい。
不動産なんてもっての他だ。
漂泊者の脳みそがあればいい。
高邁な流浪の精神に頼ればいい。
そうしてのたれ死ぬのがいい。
そうした崇高な思想を、現代に正当化してみよう。
それこそが、消費だ。
現代人によるニーチェの最も手前味噌な正当化の理論こそが。
彼女は電話を片手に、片手でその肘を支えて、はっきりそう言った。
ボクはアールグレイに少しだけミルクを入れて、熱いのを一口、すする。
彼女はケータイを閉じて、カバンに放り込み、ボクを睨んだ。
「言っておきますけどね、これは何でもない人で、何でもない話です。」
「いいよ、何でも。ボクは君とさっき知り合って、そしてここにいるだけ。ボクもそれだけの、何でもない男なんだから。明日にはボクが同じ電話、そのカバンの中の電話の向こうにいるよ。ボクは、かけないけどさ」
「冷静ぶる人って、嫌いだけど、まぁ、可愛らしいね」
――――――
人はなかなか、手がけたものや手に入れたものを手放そうとしない。
そうしてずぶずぶと手の中でそれを腐らせてしまう。
あげくには、ずぶずぶと腐っていく物体を、
「これはいいものなんだ!」
なんて、自分を適宜正当化する。
動産の所有なんて概念は、早く捨ててしまったほうがいい。
不動産なんてもっての他だ。
漂泊者の脳みそがあればいい。
高邁な流浪の精神に頼ればいい。
そうしてのたれ死ぬのがいい。
そうした崇高な思想を、現代に正当化してみよう。
それこそが、消費だ。
現代人によるニーチェの最も手前味噌な正当化の理論こそが。
2009年9月29日火曜日
I love MY.-no.
すべて一切は、強度の問題だ、というのは、酒場で知り合う哲学である。
酒宴、饗宴の世界では、ただ二言三言の論理の――そう、まさに二言三言でいいのだ!――強さが、ものをいう。
これは批判ではなく、尊敬である。
つまり、曖昧さなどは、インテリの美学であって、畢竟、間口の狭い概念である。
だからこそ!
ワタシは、それを愛したいのだ。
――――――――――
「つまり何もしたくないわけね」
良き理解者である隣人は、こう言う。
「選択出来ないことは悪いことじゃない。迷う時期も、そういうときもあるのよ」
あまりに心地よい諦念に、ボクは安住を感じることに必死に抗いながら、
「そうだねー」
と、歯ぎしりする。
歯ぎしりする?
誰に?
自分にだ!
―――――――――
ボクは、現在の人々は多分に物語好きであり、同時に物語への無興味である、と思っている。
ボクらは、都合良く物語りを消費している。
あるときはただ感情の変化をえようとして――「泣けましたー」みたいな
あるときはただの時間つぶしとして――「とりあえずー」として
ボクらは本当にその物語の特別性に無関心だ。
で、あるならば、
何も特定しない、
そんな物語が、
ダメな理由が、
どこにあるだろう。
「anti 安易な一般化」
これ抵抗してきたボクだ。
敵は、なおもここにいるのだ。
しかし、これこそがフィールドだ。
このような散文が経済的価値を持てば。
それこそが、現代文筆家諸君の夢想的な理想である。
―――――――――
自己言及。
この無価値で有害な美徳よ!!
酒宴、饗宴の世界では、ただ二言三言の論理の――そう、まさに二言三言でいいのだ!――強さが、ものをいう。
これは批判ではなく、尊敬である。
つまり、曖昧さなどは、インテリの美学であって、畢竟、間口の狭い概念である。
だからこそ!
ワタシは、それを愛したいのだ。
――――――――――
「つまり何もしたくないわけね」
良き理解者である隣人は、こう言う。
「選択出来ないことは悪いことじゃない。迷う時期も、そういうときもあるのよ」
あまりに心地よい諦念に、ボクは安住を感じることに必死に抗いながら、
「そうだねー」
と、歯ぎしりする。
歯ぎしりする?
誰に?
自分にだ!
―――――――――
ボクは、現在の人々は多分に物語好きであり、同時に物語への無興味である、と思っている。
ボクらは、都合良く物語りを消費している。
あるときはただ感情の変化をえようとして――「泣けましたー」みたいな
あるときはただの時間つぶしとして――「とりあえずー」として
ボクらは本当にその物語の特別性に無関心だ。
で、あるならば、
何も特定しない、
そんな物語が、
ダメな理由が、
どこにあるだろう。
「anti 安易な一般化」
これ抵抗してきたボクだ。
敵は、なおもここにいるのだ。
しかし、これこそがフィールドだ。
このような散文が経済的価値を持てば。
それこそが、現代文筆家諸君の夢想的な理想である。
―――――――――
自己言及。
この無価値で有害な美徳よ!!
2009年9月26日土曜日
I love MY.-deception.
恋人ごっこがしたかったの。
つまりそれは、お互いの背景なんてどうでもいいっていうこと。
人格と人格とによる生活の向上なんて、ハナから考えてもいないこと。
男と女の遊戯を、ただプレイすること。
ウデマクラをされてみたり、モグリコンダリ、テヲツナイダリ。
そんな記号を消費してみる。
ただそれだけのこと。
お洒落や買い物、ドレスを着てディナーにいくのと同じ。
ただの記号の消費。
女にも筋肉質な思想があるんです。
女もタンパク質で出来ています。
男性にも涙腺があるみたいに。
—————
すれっからしの、文学。
つまりそれは、お互いの背景なんてどうでもいいっていうこと。
人格と人格とによる生活の向上なんて、ハナから考えてもいないこと。
男と女の遊戯を、ただプレイすること。
ウデマクラをされてみたり、モグリコンダリ、テヲツナイダリ。
そんな記号を消費してみる。
ただそれだけのこと。
お洒落や買い物、ドレスを着てディナーにいくのと同じ。
ただの記号の消費。
女にも筋肉質な思想があるんです。
女もタンパク質で出来ています。
男性にも涙腺があるみたいに。
—————
すれっからしの、文学。
2009年9月25日金曜日
I love MY.-literature.
現代の文学はすべて、あの藤子F不二夫的SF、つまり「少し不思議」という世界観の魔術に呪われているようである。
もはや我々の日常には、いかなる発見をも期待することができなくなってしまったようだ。
いや、それはあまりに悲観である。
現実に、我々と等身大の日常世界を小説の中に出現させ、その中で我々人間存在の精神の機微を発露させようとする作品もあるのだ。
しかし、一見してそれら作品のすべてが、その小説世界の小説人間たちの小説精神の殆どが、卑小であり、煩雑である。
その程度のリアリズムが、現代の素描だとは!
ここでまたもう一度さきの問題が提出される。
もはや、我々現代の日常には、人間性の偉大な発見は期待できないのか、と。
ーーーーーーーーーー
この3ヶ月ほどで、いわゆる「ボケ」ですね、短期記憶といいましょうか、そういうものの能力を失っていくおばあちゃんを見ながら、ワタシは何だかとても清々しい気分に浸っているのです。
それは残酷とかそういうことではなくて、もちろん人からそう言われても仕方ないかもしれませんが、おばあちゃんはどんどんと純粋に、感情的な感動に忠実になっていく、つまり子供のような笑顔を浮かべるのですね。
世間の一切の面倒なことがらを、おばあちゃんから取り除いてあげたい、そうしておばあちゃんが出会う、たとえば食べたことの無いようなご飯、それは鶏肉のトマト煮であったかもしれません、そういうものに出会ったときのあの笑顔、おいしいという笑顔の素直さ、純粋さ、そういったものがワタシの心を強く打ちます。
もうこの人はそうやってつまらないことを忘れていくのだ、この世界から不必要で汚いものを払い落としていくのだ、そうしてキレイな姿になって、光の中に消えるように、ワタシにさようならを告げるのだ。
そんなヴィジョンがワタシの中にはあって、そういった幸福感が空間を照らし、満たします。
世の中に悲観にくれるようなことはあるのでしょうか。
すべての今日は、すべて明日のための階段なのではないでしょうか。
階段は、その本来の機能として降りるためのものではないとワタシは思っています。
階段は上るものなのです。
息をつきながら階段を上る、その少しの苦労と向上の汗をかく爽快感。
世の中の一切は、そのように前進しているとワタシは思っていますし、思いたいのです。
そうであるなら、なんて世界はいつも素晴らしく、これからも素晴らしいのかと。
そんな幸福感で、また、ワタシの世界は満たされます。
世の中の一切の不合理をワタシは憎みます。
世の中はキレイであるべきです。
不合理な自分を認容して、純粋に、キレイにあろうとするおばあちゃんが、
ワタシは、大好きです。
もはや我々の日常には、いかなる発見をも期待することができなくなってしまったようだ。
いや、それはあまりに悲観である。
現実に、我々と等身大の日常世界を小説の中に出現させ、その中で我々人間存在の精神の機微を発露させようとする作品もあるのだ。
しかし、一見してそれら作品のすべてが、その小説世界の小説人間たちの小説精神の殆どが、卑小であり、煩雑である。
その程度のリアリズムが、現代の素描だとは!
ここでまたもう一度さきの問題が提出される。
もはや、我々現代の日常には、人間性の偉大な発見は期待できないのか、と。
ーーーーーーーーーー
この3ヶ月ほどで、いわゆる「ボケ」ですね、短期記憶といいましょうか、そういうものの能力を失っていくおばあちゃんを見ながら、ワタシは何だかとても清々しい気分に浸っているのです。
それは残酷とかそういうことではなくて、もちろん人からそう言われても仕方ないかもしれませんが、おばあちゃんはどんどんと純粋に、感情的な感動に忠実になっていく、つまり子供のような笑顔を浮かべるのですね。
世間の一切の面倒なことがらを、おばあちゃんから取り除いてあげたい、そうしておばあちゃんが出会う、たとえば食べたことの無いようなご飯、それは鶏肉のトマト煮であったかもしれません、そういうものに出会ったときのあの笑顔、おいしいという笑顔の素直さ、純粋さ、そういったものがワタシの心を強く打ちます。
もうこの人はそうやってつまらないことを忘れていくのだ、この世界から不必要で汚いものを払い落としていくのだ、そうしてキレイな姿になって、光の中に消えるように、ワタシにさようならを告げるのだ。
そんなヴィジョンがワタシの中にはあって、そういった幸福感が空間を照らし、満たします。
世の中に悲観にくれるようなことはあるのでしょうか。
すべての今日は、すべて明日のための階段なのではないでしょうか。
階段は、その本来の機能として降りるためのものではないとワタシは思っています。
階段は上るものなのです。
息をつきながら階段を上る、その少しの苦労と向上の汗をかく爽快感。
世の中の一切は、そのように前進しているとワタシは思っていますし、思いたいのです。
そうであるなら、なんて世界はいつも素晴らしく、これからも素晴らしいのかと。
そんな幸福感で、また、ワタシの世界は満たされます。
世の中の一切の不合理をワタシは憎みます。
世の中はキレイであるべきです。
不合理な自分を認容して、純粋に、キレイにあろうとするおばあちゃんが、
ワタシは、大好きです。
2009年9月23日水曜日
I love MY.-wine
ワインを飲もう。
それもじっくりと、自分の全精力をかけて、全身の感覚を集中させて、精神をふんだんに働かせて。
ワインというのは、とっても未完成で、不安定なお酒です。
日本酒やウイスキー、その他のお酒と比べても、こんなに天気や場所に左右されて変化するお酒はない。
だからこそ、とてもおもしろいわけです。
ワインのおもしろさは、その味の背景を探ることの無数のヴァリエーションと可能性にあります。
つまり最も口数の多くなるお酒、言及される飲み物、それがワインです。
ワインは、とても安いものから、とても高いものまであります。
たとえばここに、ルモワスネという人が作った――正確にいえば作ってはいません――ルノメという場所の1987年のワイン、8200円のワインがあります。
飲んでみましょう。
あぁ、なんて素晴らしいんでしょうか――こういう文句が鼻につく人には嫌がられるんでしょう
余分なタンニンがすべてそぎ落とされていて、しかしタンニンによって支えられた味わいのバランスの良さ。
華麗で繊細な果実の甘みと、年月を経て生まれたその枯れたニュアンスとの、アルコールのヴォリュームによって広がるその世界が、実に官能的です。
このようにボクはワインを楽しみ、愛しているのですが、
これが何になるのでしょう。
程度のいい日常、アルバイトで得た月収13万円。
しかし、家賃も食費もかからない生活。
その13万円が、向こう見ずな消費に流れていく。
その中でボクは、こんなにも楽しく優雅な体験に酔える。
この事実の前に、ボクは何を望むのでしょう。
もっと、いいワインを飲めるようになりなさい?
そうです、それしかない。
では、どうやって?
答えはあります。
つまり提出したかった問題は、
日常というものがいかに問題のないものかということ。
そしてお酒というものが、人間にとって何なのか。
酒のために生きるということができるのか、
酒は文学のテーマになりうるのか、
そういうことでした。
この問題の解決は、まだ未完成であり、
続きます。
それもじっくりと、自分の全精力をかけて、全身の感覚を集中させて、精神をふんだんに働かせて。
ワインというのは、とっても未完成で、不安定なお酒です。
日本酒やウイスキー、その他のお酒と比べても、こんなに天気や場所に左右されて変化するお酒はない。
だからこそ、とてもおもしろいわけです。
ワインのおもしろさは、その味の背景を探ることの無数のヴァリエーションと可能性にあります。
つまり最も口数の多くなるお酒、言及される飲み物、それがワインです。
ワインは、とても安いものから、とても高いものまであります。
たとえばここに、ルモワスネという人が作った――正確にいえば作ってはいません――ルノメという場所の1987年のワイン、8200円のワインがあります。
飲んでみましょう。
あぁ、なんて素晴らしいんでしょうか――こういう文句が鼻につく人には嫌がられるんでしょう
余分なタンニンがすべてそぎ落とされていて、しかしタンニンによって支えられた味わいのバランスの良さ。
華麗で繊細な果実の甘みと、年月を経て生まれたその枯れたニュアンスとの、アルコールのヴォリュームによって広がるその世界が、実に官能的です。
このようにボクはワインを楽しみ、愛しているのですが、
これが何になるのでしょう。
程度のいい日常、アルバイトで得た月収13万円。
しかし、家賃も食費もかからない生活。
その13万円が、向こう見ずな消費に流れていく。
その中でボクは、こんなにも楽しく優雅な体験に酔える。
この事実の前に、ボクは何を望むのでしょう。
もっと、いいワインを飲めるようになりなさい?
そうです、それしかない。
では、どうやって?
答えはあります。
つまり提出したかった問題は、
日常というものがいかに問題のないものかということ。
そしてお酒というものが、人間にとって何なのか。
酒のために生きるということができるのか、
酒は文学のテーマになりうるのか、
そういうことでした。
この問題の解決は、まだ未完成であり、
続きます。
I love MY.-1
ボクにとって iPod は、ただのwalkman以上のものだった。
液晶のバックライトをつけて、そして消すときの、あの呼吸のような明滅、それは生き物だった。
iPod は誰もしらない宝物のであったし、ポケットに入れて、そして時折それを取り出しては触る、それだけで、ボクの毎日は何か特別なもの、他の誰かとは違う特別な日常をボクは生きている、大げさにいえばそれくらいの興奮と爽快感を感じれた。
大人たちにとってのwalkmanも、そうだったのだろうか。
やっぱりすべてのガジェットは、そうした何か特別のスペシャリティーを誰かに与えてくれるのか。
新しいものを消費していくことは、平凡な人間が平凡な日常に施す、キラビやかな演出なのかもしれない。
消費、消費、消費。
ボクが思うには、大人たちの時代は消費社会とかではなかった。
大人たちは、「ただそれを消費する」という自分の日常の行為に、まったく無自覚だった。
なぜなら彼らは時代の成長の片棒を担いでいたし、彼らのすべての行動がその神話に結びついていたから。
大人たちは、どんな人間であっても認められ、どんな行動も、時代の名の下に認められた。
ボクは、ボクたちは、自分たちがいかに非生産的かを知っている。
ボクは、ものすごくよくできた時代に生きていて、それ以上はあまり望むべくもない時代に生きている。
ボクたちの時代の問題といえば、全部大人たちの時代にできたもののことであり、ボクたちの見る希望は、グローバルすぎて、少なくともボクには見えないし、見えたとしても、飛び込めない。
つまり、十分で充足した時代にボクは生きている。
だからボクは、ボクの消費がいかに「ただの消費」かを知っている。
ボクの消費は、明日を生むけど、明後日にはただの日常になっているだろう。
そんな消費も認められる、そんな満ち足りた環境がボクにはあるだろう。
何となく、生きていける。
そんな特別な時代を、ボクは心から愛して、そんな自分を、ボクは憎み嫌い、そしてやはり愛している。
液晶のバックライトをつけて、そして消すときの、あの呼吸のような明滅、それは生き物だった。
iPod は誰もしらない宝物のであったし、ポケットに入れて、そして時折それを取り出しては触る、それだけで、ボクの毎日は何か特別なもの、他の誰かとは違う特別な日常をボクは生きている、大げさにいえばそれくらいの興奮と爽快感を感じれた。
大人たちにとってのwalkmanも、そうだったのだろうか。
やっぱりすべてのガジェットは、そうした何か特別のスペシャリティーを誰かに与えてくれるのか。
新しいものを消費していくことは、平凡な人間が平凡な日常に施す、キラビやかな演出なのかもしれない。
消費、消費、消費。
ボクが思うには、大人たちの時代は消費社会とかではなかった。
大人たちは、「ただそれを消費する」という自分の日常の行為に、まったく無自覚だった。
なぜなら彼らは時代の成長の片棒を担いでいたし、彼らのすべての行動がその神話に結びついていたから。
大人たちは、どんな人間であっても認められ、どんな行動も、時代の名の下に認められた。
ボクは、ボクたちは、自分たちがいかに非生産的かを知っている。
ボクは、ものすごくよくできた時代に生きていて、それ以上はあまり望むべくもない時代に生きている。
ボクたちの時代の問題といえば、全部大人たちの時代にできたもののことであり、ボクたちの見る希望は、グローバルすぎて、少なくともボクには見えないし、見えたとしても、飛び込めない。
つまり、十分で充足した時代にボクは生きている。
だからボクは、ボクの消費がいかに「ただの消費」かを知っている。
ボクの消費は、明日を生むけど、明後日にはただの日常になっているだろう。
そんな消費も認められる、そんな満ち足りた環境がボクにはあるだろう。
何となく、生きていける。
そんな特別な時代を、ボクは心から愛して、そんな自分を、ボクは憎み嫌い、そしてやはり愛している。
2009年9月17日木曜日
factotum ~ espana.
Taja gran reserve 1998 Jumilla Espana
スペインワインというのは、
ヴァニリンがよく効いていて、骨格はしっかりしているが渋さはなく、程よいアルコールの高さがあって、美味い。
というつまらない偏見で、処理されている。
たまに違うのを飲めば、黒すぎて、趣がエキセントリックだ。
まこと明確に、挽回してくれた。
これはムールヴェードル(モナストレル)から始まって、カベルネS、メルローの上でテンプラニーリョというセパージュ。
テンプラの乾きとメルローの湿り気のニュアンスの葛藤と、カベルネの青さ、メルローからのローリエに、ムールヴェードルやテンプラの軽快な果実味。
そしてそれらバランスがまとまりすぎず、それぞれの個性を主張している。
おもしろく、美味い。
さて、「飽きた」「飽きた」とつまらない小文字を叫ぶのに飽きている。
沈思黙考。
これもつまらない言葉だが、悪くない言葉だ。
つまらない言葉に甘んじないままに、
たったとやることは、やりだそうと、
てめえの色々で、がんばるのだ。
スペインワインというのは、
ヴァニリンがよく効いていて、骨格はしっかりしているが渋さはなく、程よいアルコールの高さがあって、美味い。
というつまらない偏見で、処理されている。
たまに違うのを飲めば、黒すぎて、趣がエキセントリックだ。
まこと明確に、挽回してくれた。
これはムールヴェードル(モナストレル)から始まって、カベルネS、メルローの上でテンプラニーリョというセパージュ。
テンプラの乾きとメルローの湿り気のニュアンスの葛藤と、カベルネの青さ、メルローからのローリエに、ムールヴェードルやテンプラの軽快な果実味。
そしてそれらバランスがまとまりすぎず、それぞれの個性を主張している。
おもしろく、美味い。
さて、「飽きた」「飽きた」とつまらない小文字を叫ぶのに飽きている。
沈思黙考。
これもつまらない言葉だが、悪くない言葉だ。
つまらない言葉に甘んじないままに、
たったとやることは、やりだそうと、
てめえの色々で、がんばるのだ。
2009年9月10日木曜日
factotum ~ last 2 days
一週間の、待ち人。
なんて、ずいぶん古いタイトルね、多分、あったと思うけど、ないわね。
一週間、待ち人を、待ってます。
ずいぶん、しおらしいこと。本当、乙女チックにいまさら恋するなんて、恋に恋することを甘受するなんて、インテリ女のすることじゃありません。
いいえ、インテリ女はいつだってこうしてきたの。ドラマを作る、それが人生。
決して派手じゃないけど、雰囲気のあるストーリー。メロドラマじゃない、男女の映画。
それも後ちょっと、今日と明日、少しだけ、ちょっとだけ一人でお酒を飲んでいればいいだけ。
それだけ。
終わることが寂しいんじゃないの。
寂しいのは、その後。
もう会えないじゃない。
顔とか合わせられないじゃない。
いや、それもいいんだわ。
寂しいのは、やっぱり自分の問題ね。
あーあ、恋が終わっちゃった、って。
結局、可愛いのはワタシだけなのね。
はい、それだけです。
そう、えーと、報告ね。
1997年のニコラ・ポテル、サントネの1er。
ポテルは本当に土臭いのよね、ビオビオなの。
でもそれだけじゃないところが、すごいの。
サントネ特有の酸味と芯の堅さのテロワールを表現しながら、ワイン単体としての完成度、タンニンの下支えと華やかな果実の風味の調和、そういったバランスを、抜群のプロポーションを作り上げちゃう。
それが、他の下手なビオディナミと違うところ。
まぁ、ネゴシアンのくせにやりすぎだとも思うんだけどねー。
さ、そろそろ出かけてきます。
あんまり飲むものもないし、静かに家にいたいんだけどねー。
じゃ。
なんて、ずいぶん古いタイトルね、多分、あったと思うけど、ないわね。
一週間、待ち人を、待ってます。
ずいぶん、しおらしいこと。本当、乙女チックにいまさら恋するなんて、恋に恋することを甘受するなんて、インテリ女のすることじゃありません。
いいえ、インテリ女はいつだってこうしてきたの。ドラマを作る、それが人生。
決して派手じゃないけど、雰囲気のあるストーリー。メロドラマじゃない、男女の映画。
それも後ちょっと、今日と明日、少しだけ、ちょっとだけ一人でお酒を飲んでいればいいだけ。
それだけ。
終わることが寂しいんじゃないの。
寂しいのは、その後。
もう会えないじゃない。
顔とか合わせられないじゃない。
いや、それもいいんだわ。
寂しいのは、やっぱり自分の問題ね。
あーあ、恋が終わっちゃった、って。
結局、可愛いのはワタシだけなのね。
はい、それだけです。
そう、えーと、報告ね。
1997年のニコラ・ポテル、サントネの1er。
ポテルは本当に土臭いのよね、ビオビオなの。
でもそれだけじゃないところが、すごいの。
サントネ特有の酸味と芯の堅さのテロワールを表現しながら、ワイン単体としての完成度、タンニンの下支えと華やかな果実の風味の調和、そういったバランスを、抜群のプロポーションを作り上げちゃう。
それが、他の下手なビオディナミと違うところ。
まぁ、ネゴシアンのくせにやりすぎだとも思うんだけどねー。
さ、そろそろ出かけてきます。
あんまり飲むものもないし、静かに家にいたいんだけどねー。
じゃ。
2009年9月3日木曜日
factotum"ed" ~ for pinot noir.
carmen reserva pinot noir 2007
模範的なピノ・ノワールを、まさに「作り出した」感がある。
最小限のピノらしい花やかなニュアンスの甘い香り。
それを下支えするほどよいタンニン。
1400円という値段でこれなら十分美味しい。タンニンの粗さと、南米特有の清涼な風味がむしろ高級感を感じさせる。
さて、そこから話は、ピノ・ノワールの趣向の深さに転じようと思うのだけれど。
ピノ・ノワールはステキに美味い。
それは、まさに、いやまさにボクの趣味趣向でしかないが、まさに、その単一品種の「構造の透明感」と「だからこその味わいのストラクチャーの明瞭感」と「その認識の喜び」である。
歓喜の歌が鳴り響くのだ、今宵の夜に。
酔っている、それは間違いない。
ただ、ピノ・ノワールを久々に飲んだ喜びをしるしたかった。
明日はプルミエ・クリュのニコラ・ポテルが待っている。
想像するだけで最高だ。
しかしまぁ、ピノにこのバリック感というのはすごい。
酸味とあいまって、もはや酸化香のニュアンス、「枯れた」感じすらする。
おもしろい。
模範的なピノ・ノワールを、まさに「作り出した」感がある。
最小限のピノらしい花やかなニュアンスの甘い香り。
それを下支えするほどよいタンニン。
1400円という値段でこれなら十分美味しい。タンニンの粗さと、南米特有の清涼な風味がむしろ高級感を感じさせる。
さて、そこから話は、ピノ・ノワールの趣向の深さに転じようと思うのだけれど。
ピノ・ノワールはステキに美味い。
それは、まさに、いやまさにボクの趣味趣向でしかないが、まさに、その単一品種の「構造の透明感」と「だからこその味わいのストラクチャーの明瞭感」と「その認識の喜び」である。
歓喜の歌が鳴り響くのだ、今宵の夜に。
酔っている、それは間違いない。
ただ、ピノ・ノワールを久々に飲んだ喜びをしるしたかった。
明日はプルミエ・クリュのニコラ・ポテルが待っている。
想像するだけで最高だ。
しかしまぁ、ピノにこのバリック感というのはすごい。
酸味とあいまって、もはや酸化香のニュアンス、「枯れた」感じすらする。
おもしろい。
2009年8月27日木曜日
factotum"ed" ~ 8/11-27.
前進しないメディアは、風化し消えていく。
更新されないブログも、まさにその限りだ。
前も言ったけれど、
よしなしことを書かずにすむのと、
適宜有益な思想の整理は、
表裏一体であって、
その価値をボクは重要だと思っている。
それができていないのが、寂しい。
ボクのときどきの"the answer"が、風に飛ばされてどこかにいってしまわないように、移ろいやすい世界のなかで、何か足場を作るための大事な資材を、木や石やダイアモンドや塵屑を、しっかり寝かせておけるように、
ボクは、ボクのcaveをちゃんと充実させて、管理しなければいけない。
特段、あなたに伝えなければいけないことはなくて、
ふわふわと、あなたと話したいことはいつも漂っている。
8月は、過ぎていった。
それは実に有意義な時間として。
そして、9月へのオプティミズムとして。
更新されないブログも、まさにその限りだ。
前も言ったけれど、
よしなしことを書かずにすむのと、
適宜有益な思想の整理は、
表裏一体であって、
その価値をボクは重要だと思っている。
それができていないのが、寂しい。
ボクのときどきの"the answer"が、風に飛ばされてどこかにいってしまわないように、移ろいやすい世界のなかで、何か足場を作るための大事な資材を、木や石やダイアモンドや塵屑を、しっかり寝かせておけるように、
ボクは、ボクのcaveをちゃんと充実させて、管理しなければいけない。
特段、あなたに伝えなければいけないことはなくて、
ふわふわと、あなたと話したいことはいつも漂っている。
8月は、過ぎていった。
それは実に有意義な時間として。
そして、9月へのオプティミズムとして。
2009年8月10日月曜日
factotum"ed" ~ 8/1-10.
ネットにアクセスしづらい環境で生活していると、これが書けない。
気づけば10日も経っている。
くだらない文章を書く暇がない、というのはステキだけれど、
こうやって情緒的な時間や、現在の自分を改めて認識する機会を持てないのは、
少し、よろしくない。
気づけば世の中を漂うアノニマスな顔になっている。
そんなことにならないように。
とりあえず、飲んだもの、会った人、めぐりあう時間たち。
7/31 高校時代の生物の先生に合う。酔っぱらってケータイを壊したことで亡くしたままだったアドレスを入手。
8/1 Delagrange 1985 と中華。ピノの華やかさが最高の熟成を迎えて可憐に散りゆく様を見る。
8/2 tossyと、母と。ヴーヴ・クリコを初めて飲む。最高においしいね。あとはプイイ・フュッセ。
8/3 新しいバイトの初出勤。ホテルは朝が早い。外国人が多いと、メニューの説明が大変。
8/9 丹波ワイン 甲州 シュールリー 2007
8/5 クリコのローズラベル。コクがある。ピノ・タージュ。ジョニーウォーカーblue label。
8/7 Carria Primitivo Puglia 2007
Vosne - Romanne Emmanuel Rouget 2006
すべての美味さが
完璧なバランスでエレガントに屹立している。
ただこれを若く飲むのはもったいない、
というのが、あくまでボクの感想。
Renommee Remoissenet 1989
まさにこの日この時に、飲むべきだったワイン。
華やかで鮮やかな酸味と甘みの調和の中に、
余分な渋みがすべて澱となってそぎ落ちた、
熟成したタンニンの深みとボディのコクだけがある。
熟成の何たるかに出会えるワイン。
8/8 ~ お仕事の日々。
振り返って、また、ボクを探す日は、また、今度。
気づけば10日も経っている。
くだらない文章を書く暇がない、というのはステキだけれど、
こうやって情緒的な時間や、現在の自分を改めて認識する機会を持てないのは、
少し、よろしくない。
気づけば世の中を漂うアノニマスな顔になっている。
そんなことにならないように。
とりあえず、飲んだもの、会った人、めぐりあう時間たち。
7/31 高校時代の生物の先生に合う。酔っぱらってケータイを壊したことで亡くしたままだったアドレスを入手。
8/1 Delagrange 1985 と中華。ピノの華やかさが最高の熟成を迎えて可憐に散りゆく様を見る。
8/2 tossyと、母と。ヴーヴ・クリコを初めて飲む。最高においしいね。あとはプイイ・フュッセ。
8/3 新しいバイトの初出勤。ホテルは朝が早い。外国人が多いと、メニューの説明が大変。
8/9 丹波ワイン 甲州 シュールリー 2007
8/5 クリコのローズラベル。コクがある。ピノ・タージュ。ジョニーウォーカーblue label。
8/7 Carria Primitivo Puglia 2007
Vosne - Romanne Emmanuel Rouget 2006
すべての美味さが
完璧なバランスでエレガントに屹立している。
ただこれを若く飲むのはもったいない、
というのが、あくまでボクの感想。
Renommee Remoissenet 1989
まさにこの日この時に、飲むべきだったワイン。
華やかで鮮やかな酸味と甘みの調和の中に、
余分な渋みがすべて澱となってそぎ落ちた、
熟成したタンニンの深みとボディのコクだけがある。
熟成の何たるかに出会えるワイン。
8/8 ~ お仕事の日々。
振り返って、また、ボクを探す日は、また、今度。
2009年7月30日木曜日
factotum ~ Bordeaux for 7 hours.
La Dame de Montrose 1997
サン・テステフのシャトー・モンローズ(格付け2級)のセカンドライン。
サン・テステフはボルドーのオー・メドック最北に位置する。
だからだろうか、ボクがボルドーにイメージするような芳醇さやリッチな感じとは少し趣の違う、芯の堅い、渋さと酸味が強調された味だ。もちろんカベルネの収斂性や濃縮したブドウの強さがメドックのワインであることを物語っている。
少しだけ冷
サン・テステフのシャトー・モンローズ(格付け2級)のセカンドライン。
サン・テステフはボルドーのオー・メドック最北に位置する。
だからだろうか、ボクがボルドーにイメージするような芳醇さやリッチな感じとは少し趣の違う、芯の堅い、渋さと酸味が強調された味だ。もちろんカベルネの収斂性や濃縮したブドウの強さがメドックのワインであることを物語っている。
少しだけ冷





