2020年7月25日土曜日

20200725

サディスティックな歯科衛生士
ちゃんと叱ってくれるところがいい、脅してくれる

下北沢の開発が楽しい
この先どこに住もうか考えてしまう
渋谷がもちろんいいのだが、どうだろうか

ボクシングは大事にしたい
私の一つの担保になり得るものだ


脳みその中は空にしなければいけない
出来るだけ
その日のことを行うことと
未来に紡ぐことは
分けて行う健康がありそうだ

「あなたの目の前にあるものは、すべて鏡だ。すべてがあなたをあなたに映す」
   

20200724

7/24 国立新美術館
円空
しりあがり寿
写真について

円空
まさか自分がここまでアニミズム的なものに心を揺さぶられると思わなかった
普段当たり前の人体的な造形を軽妙に逸脱して、優しく幼い親しみをこちらに向けながらも、原始的な自然の力を強く示す、その仏教美術に、自戒と自虐を含めて表現すれば、日頃からスノビッシュで都会風を気取った自分がこれほど感動するとは。
芸術に触れる美点は、自己との対面の機会にある
日常を離れる、異常との接点、言い過ぎれば限界状況と出会い、私は「私の」世界を発見する
古典美術に対して現代の作家が対峙し、その表現の豊かさを拡大させるこの展示で、円空に対し〇〇はこういう、「あなたはどう思うだろうか。400年後にこのように鑑賞され、現在のある芸術のルーツとされることを」
日本各地の山谷に分け入り、土地と人に仏の姿と信心を残すために人生を捧げた僧侶の跡が、2020年の東京で、最先端のテクノロジーの中で、人々の目に映っているのだ。
そこかもしれない、原始的な美術が400年の時を超えて、現代の私の目の前にある。その感動が私をまず揺さぶり、円空に対峙する私が生まれるきっかけとなったのかもしれない。
結局は私語りと、自分でも言ってしまうことも可能だけれど、そこに確かに感じた時間への畏怖、円空という生きていた存在への敬意、めぐり合いの奇跡、そうして私は世界について問い、世界を創造していく、その実存主義的営みこそ、私の美学の原始として適格、的確であると思う。

円空に出会い、私は「現代実存主義的美学」ということを、私の原初に据えることができた。過去に名付けた「プリミティブな感情の欠如」というトラウマを、こうして乗り越えられたことを、いまは嬉しく思っている

しりあがり寿
簡単に言い過ぎれば、北斎のパロディとオマージュ。
一見すれば、ジョークとユーモアと堅固な表現力が観客を楽しませる、が、その中の深淵を覗くのが怖い。
どれだけのコンテクストと彼の思想がそこにあり、それをこちらに問われているのか
そしてそれはおそらく考えすぎであり、考えなさすぎなのだろう
その時は、子供が、見たありのままのものに、浮かんだ疑問を投げかけていた。投げかけている
大事なのは、まさにそれであり、それはしりあがり寿や葛飾北斎が、見たままの世界を、世界はこれほどに美しく愉快だと表現しようとした、その芸術そのものなのではないか。
私は全く子供に救われて、そこを去った

写真
写真芸術の大好きな特徴の一つに、目の前の物は徹底的に他者であることと、必ずその表現の主体が存在することの「両義性」がある
写ルンですで撮られたその思い出写真にも、その撮影者以外には同様の思い出を、その瞬間に1mmも違わない構図を残せないという真実が、写真芸術の崇高さを私に感じさせる。
写真は対象への憧れを、異常に掻き立てる
触れ得るはずの世界の対象というロマンが、99%届かない残酷さに首の皮一枚に断ちぎられて、生かされる
鮮やかさに毒されたまま、私はまだ写真に魅せられている

   

2014年10月13日月曜日

10.13

世の中は広く、僕の世界は狭い。

世界を広く感じることもあるが、可能無限というものは次第にその無限さの故に、心の中から退いて行く。

あなたもそうだろうか?

これはみんなの物語だろうか?

わたしのものか

あなたのも、か
   

2013年7月17日水曜日

言葉、ぎらい

言葉を書くことが、恐い

書いたはしから、すぐ腐る

これほどあふれた、世の中に、何を遺すのか

遺す、それでもまだ奢っている

奢っている、まだ足りない、自尊心が残っている

そういう自己を、まだ捨てられない

捨てられない、大層、立派だ

しかし、そうやって、嘆いていても、自己憐憫に浸っているのか、

卑下することの、いやらしい耽溺に

と、すれば、やはり、言葉を書くことが、恐い

熱燗に逃げられることなら、と思って、飲んでいる

飲んだはしから、むくむくと、こうやって、当たり散らしている

メルローに逃げても、それがたとえポマールでも、

ポマールは健康だが、たとえそういうものに逃げても、だが

そう、書いたはしから、すぐに私の頭が逃げている

何から逃げているのか

自分からか

あぁ、この永劫回帰する、愛おしい、私

愛おしい私

あふれた、世の中

書いて、書いて、

どこに行く

永遠、永遠の、課題図書    

2012年10月3日水曜日

10.3

「名付けられたものは、その名付けから、どういった意味でも逃れられません。そういった名付けから逃れ、逃れた先に決して”逃げない”こと。前進する闘い、躍動のために逃れるということ。それが、○○のない、”計画的無計画”の意味そのものであります。」

——「計画的無計画・マニフェスト」より抜粋    

2012年5月6日日曜日

"ex wife ー 以前に寝ていた夢 "


   écrivain qui ne peut pas écrire.

ある人生は、無数の人生のパッチワークとして、またはそのように存在する。その人生がまた、別の多くの人生のまた一つの小品であるように。

知らない暗闇の中を必死で駆けている。走る足の足下の先、先だけに丸い、輪郭のはっきりとした光が当たる、照明は前へ、犬のように駆けていく、進む、前へ前へ、進む光、それに追いつこうとまた犬のように必死で駆けている、駆ける。あと一歩、あと手を前に一振りすれば、空気をひとつ握るように伸ばせば、あと少しで摑めそうなそのイメージ、指先に触れたと思えた瞬間に指の間をすり抜けていく影、それを摑みたくて、捕らえたくて、世界いっぱいを満たす暗闇、それとどこまでも同化し続けていく影の裾を、必死で走り、追いかけては手を伸ばし、摑もうとし、腕を伸ばし、損ね、力は方向は乱れ、軌道を外れ、両手は振りほどかれて、疾走したスピードの中で、足はバランスを失い、重なり、倒錯し、上半身は前へ投げ出され、体の前後が反転し、知覚がひっくり返って、天と地、影、光、影、闇、背中が地面にしたたか打ち付けられるまで、あらゆる衝撃と披露で心臓が爆ぜるまで、彼は影を追いかける。それは崇高なメッセージなのか、それとも純粋な美しさの結晶なのか、つまらない愛なのか、場末の暴力なのか、それらに見いだせる一編の詩、イメージのコラージュ、なのか、彼はまだ、その影を摑めないでいる。見ることさえできない。

空間はしだいにその照度を落としていく。それは現実のライト、ライトの明るさ暗さとは関係なしに、その場にいる人間たちの意識、その泥濘の次第によって落ちていく。グラスは歪み、液面はうねり、ソファやテーブルがそのまま横に流れ、空気に酒が漂い、口から口へ、体から体へ、熱気、狂騒、音楽、空間に押し込められたエネルギーが空間の中を濃密に流体的に移動し凝縮し膨張して、全員を圧迫し限界まで押さえつけ、その重力の中で彼らの理性と狂気は解放される。明滅、ハイコントラストのモノクローム、銀塩のざらつき、様々な色のついた靄、分厚い音の壁、それはどんな言葉にも似合わない、形の描けない現象として、人間を束縛し、酔わせ、自由にし、彼らを彼らの中へ送り込んでいく。それは「理性に非ず」ではなく、理性というものとはまったく別の体系にある状態、原初的な潜在的な力、眠り、強さ、現実と夢の同化によって可能な、呪術。
飲み過ぎたウイスキーのせいで、額が汗ばんでいる。このまま昼前まで騒ぎ続けるだろう地下の小屋を抜け出て、入り口すぐの壁に体をぶつけ、彼は地上への狭い階段をふらふらと上がる。朝まだきの、といってもその青白い景色、光は、漠然と目を射す。ぼんやりした目に、彼はジャケットの胸ポケットからサングラスを取り出し、かけ、タバコに火をつけ、この狭い路地から表通りに出る。
猫の多い朝、猫とカラスの支配する時間の中にまだ人間はいない。人間の夜が、その人間たちを彼らの通常の時間に帰すまで、その夜の死と人間の朝の誕生の間、街、不確かに認められたその境界内は、猫とカラスに生きられている。それは彼らが構築した世界で、人工の街は所与の自然である。電柱/建築/電線/信号の密林に彼らは棲み、隠れ、闘争し、生きる、清掃車がその自然を破壊していくまで。まだ朝には夜の残滓がたっぷりと残されている。
たどり着いたビル、また狭い階段を上がり、二階、ガラスの重たいドアを体当たりして押し、中に入る、受付の前を左へ、受付の声は無視して、誰もいないときには開け放してある応接室に、ソファに、体を放り投げて、天井を見、サングラスをテーブルに投げ、手の甲を顔にのせる。受付に呼ばれて、別の部屋の奥から本屋が出てくる。
「会社は48時間あいてますけど、先生、そんな酒の臭いばかり持ってこられても困るの、わかっててやってるんだろうけど」
「ボクが酒以外に、何かを持ってきたことなんてあるんだろうか」
「そうですね、いつか、そう、何でもいいから何か、原稿みたいなものでも持ってきてくれません?」
「ボクは書かないんじゃない、書けないんだ、何も、一切、書けない作家なんだよ、ご承知の通り」
「いつか飽きられるわ」
「書かないんじゃない、書けないんだ。ボクは十分誠実にやっているさ、その限り、酒ぐらい飲めるよ」
「世の中いろんな人がいるし、妙な名前の職業もたくさんある、あなた一人ぐらいの席はあると思うわ、それでも、本当に、何か読ませてくれない、頭の中の何か少しでも文字に起こせばそれで済むんだけど」
「小説を書いてこそだ、そうじゃなければ、作家に発言権など生まれないよ」
「あなたが作家なんだとすればね。まぁいいです、今日はアポイントメントも何もないから、何かが起きてこの部屋が必要になるまでは、そうしてて。必要になったら窓から突き落として出します」
「めふすぃーボクぅ」

「ねぇ」
彼は去りかけた彼女の背中に声をかける、彼女は振り向き「はい?」
「コーヒー、それとタバコ、ピースを」
「あきれた」
「ください」、彼は眠る。

ファッションでこんなポーズをとっているわけではなかった。
ファッションならいつか終わりもくる、流行もピークとジ・エンドがある、それならとても楽で、こうして彼が思い悩むこともない。時間の偶然に任せて、人と人の間を縫って、一言二言の挨拶をしながら、笑っていれば、何も考えなくても、生きていける。しかしそのダンスが永遠には踊り続けられない、踊り続けられないとわかっている、それができないというところに彼の本質があって、それが本当の悩みであり、だからこそ彼はまた生かされている、意味を見いだされてるという今の現状が生まれている。
「書けない作家の誕生の話をしよう」
彼は誰かに何かを聞かれたときに、何度かそう答えている。
書けない作家は、ある日突然に生まれる。
書けない作家は、それまでにいくつもの物語を語ろうとし、いくつもの紙にいくつもの文字を書き記して、そうして出来上がるはずのいくつもの小説を、あるときは友達に、あるときは恋人に、聞かせ、そのたびに「へぇ」とか「そうなんだ」とかいう返事を受け取って、また自分の机に向かってきた。
しかし作家の書くものはどれもぜんぶ途中でその筆を止めてしまい、走るペンの先はぎこちなくぎりぎりと音を立て始め、物語は最後に向かい進むにつれ、いつのまにか消尽する。彼は真っ白な空間の中、辺りを見回し手をあげる。リムーバを染みこませたコットンで唇や目蓋の化粧を落とすように、文字は、言葉はどんどんその濃度を奪い取られ、そしてべっとりと色の染みのついた真綿、何がなんだかわからなくなったその色彩の滲みは知らぬ間にどこかに捨てられ、最後にはまるで、まるでその顔には「最初から何もなかったよ」というようにすべてが消え去っている。顔は輪郭だけを残して、消えている。コットンは部屋の隅で乾き、埃に汚れ、色褪せ、止まる。
作家はその度に悩み、泣き、悲しみの国に帰りたいと叫ぶ、なぜならそこには「はじめから悲しみがないからだ!」とわめき、彼はしかし悲しみの国への戻り道を忘れてしまっているため、そしてやはりそこには帰りたくないと思っているためか、枕から顔を離し、ベッドからゆっくりと起き出て、ズボンをはき、上着にタバコを押し込んで、昼と夜がある世界、悲しみも喜びも忘れた世界、そのためにいっそう悲しみと喜びと躁鬱とに溢れた世界に飛び込んでいく。切り立った崖の先から、空色一色の空に向かって、そのまま海の白い波が岩と砕けるその隙間に落ちていくように。
だからやはり書けない作家はある日突然生まれた、というわけではなかった。
彼はいくつかの涙の国を渡り、冷たい風に逆らい、またたどりついた新しい国で、恋をし、冒険に出かけ、深く悩み考え、言葉を語り、途中で何も言えなくなり、下を向いて首を振り、自分を責め、ときには誰かの頬を叩き、自分の足を殴り、天を仰ぎ、太陽の眩しさに迷い、国を去り、また新しい土地に向けて歩を進めてきたのだった。そしてその旅はまだ続くだろう。
「書かないことは、決して書くこととは違う。そう、君はそれを当然だと思うだろう?確かにその通りだ、書かないことは、書くことじゃない。でもね、結局どっちだって同じだという瞬間がある、ぼくはその瞬間を頂点にして、振り子のように揺れているんだ。書いても書かなくても、こうして僕が君に話すときに話す内容は、あまり変わらないだろう、わかるかい、僕はとても諦めやすい、諦めやす過ぎるんだ。誰かが人を愛しすぎたり、誰かがすぐに疲れやすいのと同じように」
「そう、もうひとつ付け足しておきたいのは、誰かが、自分があまりに疲れやすいことや、何かをすぐに愛し希求してしまうことから、そこからようやく何かを話すことが出来たように、僕も自分がとても諦めやすいことから何かを話すことが出来ないかと思っている。それが今の僕です、ありがとう」

彼はそのまま眠らず、テーブルに置かれたタバコの、銀紙をちぎり、一本取り出す、中指で先を軽くたたく、とんとんとたたき続ける、とんとんと、近視のぼやけた目で模様の有無もわからないままの天井を、とんとん、しばらく天井をぼんやり眺め、葉が詰まった、気がする、タバコに、火をつける、添えられたマッチをこすり、寝ながら、火を。
起き上がりコーヒーに口をつけ、また彼は受付の前を通り、今度はありがとうと言い、細い階段を下り、朝の街に出る。どこに行くわけでもなく、街に射し始めた微かな日差しは背中に、黒いジャケットに吸い込まれていく。まだこの時間をどこで過ごすかは決まらない。彼は友達に会いに行く。
彼は大学の建物が好きだ、それはどういった大学でもよかった。そこには意図的に演出された自由な空気、過剰に用意された見晴らしのよさ、吹き抜け、といった開放的な雰囲気があった、どんなところであっても。そして、まるでそれが絶対に必要だとでもいうように、そしてそういった清々しさの逆の位相として、狭く暗く窮屈な部屋も存在する。彼は大学の建物が好きだ、建物というもの以外の一切とは無関係に。
「君はそうやって"渡る"のが好きなのか」
友達はデスクトップの作業を続けながら、彼に言った。
「いつ君は君の時間を生きている?」
「僕はいつも話しながら考え、考えながら聞き、聞きながら話して考えてる。だからこうしているのが一番生産的なつもりなんだよ、精神衛生的にもいい、と思ってるんだけどね、どうかな、先生」
「俺はそういったことについて何の専門性も持ち合わせていない、よく知ってると思うが。ただ君の道化っぷりには感動する、本当に酒と金を抜きにすれば、君ほど周りに微笑みを振りまく人間はいない」
「人間失格以前だけれど、ね」
「女を泣かせるほどの甲斐性はないんだろ」
「そんなに剛毅な人間じゃないよ、泣くのは勝手だけど」
「まぁそれだけ口が回るならいい、その調子で騒いでくれ。ここ以外で」
「みんな僕を追い出すんだ」
「でもみんな受け入れてるさ、つまり君は全員を相手に一気に暴れた方がいいんだよ、それをみんな楽しみにしてる」
「それができないんだ」
「俺は君に何か具体的なことを言ってるわけじゃない、パーティーでもなんでも、抽象的な雰囲気、得意だろう」
「大嫌いだよ。大嫌いだから、叫いて暴れるんじゃないか」
「ご高説は堪能したよ、僕は授業がある、どうする」
「聴講するよ」
友達は研究室を出ていく。
友達は部屋を出て行くときにもう一度彼を振り返り言う。
「そういえば、生産って、何だ」そう呟いて出ていった。
彼は彼を包むその大きなイスに体を任せて、沈み、また別の国や島を思い浮かべる。思い浮かぶまで。

このウラブレタ世界にも、政治の季節というものはやってくるらしい。
粗雑なタペストリー、瑕や継ぎ接ぎだらけの文法は、システムのリセットという処置でしかもうその健康を回復できないところにあった。過去に蓄えた財産、それが尽きようとしているとき、幸福なぬかるみがその温かさを失って冷たい汚泥に変わり始めるとき、最初に飢えて死にゆく者たちは、自分たちの支配者を引きずり降ろそうとしてうごめく。彼らのか細い手は何万もの束になり、青白い腕は集団的狂気の中で暴走し凶暴に振る舞う。
老人たちは彼らを抑圧するだろう。彼らはあらゆる権威と権力、それの根拠としての暴力のすべてを持っているのだから。しかし弱き者たちは、彼ら老人たちが思うよりも、やはりずっと体力を持っていた。若さという唯一の資本が、文明以前の純粋な力が、歴史を壊す、それは一定の周期で繰り返されてきた、それもまた歴史の過程の一つだ。
しかしそれはもう少し先の話だ、今はまだ、そう、政治の季節が始まろうとしている、その冬の前、秋の話だ。
彼女は街を歩く。建物、ファッション、公共芸術、人間、目に入るものの美醜を確かめて、その色彩の多様性に満足する。なんて幸せな世界だ。いくつかの悲しみなんて、この豊かさの前には隠されている。あぁ温かい泥舟、私たちは寝たきりの生を充実させている。ロボトミーの幸福、すばらしい天国じゃない。
彼女はこの幸福を、その破壊の源流にしたい。この幸せには未来がないこと、この幸せは実は老人たちによって搾取されてしまっていること、彼女たちは本来自分たちが得るべきものを得ていないということ、それを彼女は語ろうとしている。
牢獄に閉じ込められている幸福な囚人たちに、あの監視塔を破壊させること。それがなされなければならないという理想に彼女は身を投じようとしている。
なぜなら彼女には愛おしいものなどなにもないから、いや、その不在は自分自身の問題、つまり自分というものがあまりにただのフィギュアァ、形相としての存在だとしか思っていないことに由来する。それゆえに彼女は、他のすべてを愛おしく思えた、世界はもっと美しくなっていいと思えた、当然の権利は当然となされるべきだと、そう思うのだった。
彼女は別の家へ帰る。暗いオレンジ色の明かりが鈍く点く、床に寝ている男や女たちの隙間に体を埋めて、少し眠る。
地獄の季節の始まりを、その子宮に抱えて。

今日は少し寒いが暖房はつけていない部屋、彼女は毛布にくるまりベッドに寝ている、ボクは大きめのウールの上着を羽織り、靴下をはいて、机の前に座る。
彼女の隣でボクは毎日、その言葉を書き留めていた。彼女の手振り、何を飲み何を食べ、誰と会い何を話し、ボクに何を言い、寝て、起きて、また生きる彼女を、ボクは黒いモレスキンに記し続けた。
毎夜ボクが手帳を横にラップトップに向かっていると、彼女は、そう本当に毎夜ボクに聞く、同じことを。「一度書いたものをまた書き直して、何の意味があるの」ボクはいつも同じように、ときには少し変えて、答える「同じものはふたつとしてない、ボクは昼間に毎日を書き、夜にそのすべてを新しく書いているんだ。夜、ボクの頭の中で映し出されるもの、それが書かれるということ、それがボクにとってのキミの真実なんだよ」
そうすると彼女は笑って、ベッドの上で背中を向ける。ボクはいつも同じ調子、同じタイミングで「おやすみ」と言い、彼女は、そして眠る。
ボクは彼女の声に囚われていた。
「すべての問題、問題のすべては、老人たちが席をどかないことにある。彼らが席を譲らないこと、譲る気のないこと、それが現在の私たちの壁になっているのよ。私たちが常に低い温度の生に止め置かれて、身動きも出来ず、生きていこうとする前に殺されてしまうのは、彼らが彼らの生活、彼らの暖炉のことしか考えないから。彼らは全員の資源をまず取り上げて、そのあまりを私たちに与える。これが、今月分のこづかいだ、と言わないばかりにね。私たちは生かされているのよ、優しい老人たちに。彼らは死なないといけない。私たちはそこからやっと生きていけるの、責任をもってね」
「英雄のいらない世界。何を語るかよりも、如何に語るかが大事な世界。その世界を壊してしまいたいの。私はもう一度、社会が科学と神話の間にあった時代を蘇らせたいのよ。風刺に悪魔を登場させるの、その必要があるのね」
「男根に消費されてもいいの。だって結局、女が何かしてあげないと、たたないんでしょ、男って人たちはさ」

芝生に寝転ぶ彼は、渡り鳥に想い耽る。
日常生活において、渡り鳥というのはまず存在しない、少なくとも彼の日常にワタリドリは現れない。
彼の空想のワタリドリは影のような黒いシルエットで、夕焼けや曙の空、雲の上の月明かりの闇を飛ぶ、優雅な隊列だった。ワタリドリは世界を巡り、地上に降りると思い出したように光を浴びて、躯を白く染め抜き、水に足をつけ、緑を食み、種を摘み、種を蒔き、また空に向かって飛び立ち、また黒い影となり世界を巡る。彼らは死ぬこともなく、個体が入れ替わりながらも全体としてはいつも均質に存在しているようだ、だから彼らには永続する世界の流れを感じる。
彼の空想するワタリドリは、理想的な姿で世界に存在していた、彼の世界に。
起き上がり、キャンパスを出て、街路を歩く。
彼はまた空を見上げる、赤や茶色や灰色の建物の間に線を引く空の隙間に目をやる。
まれに影が横切る。何かの影、それらはどこまでも自由で創造力に溢れており、彼らの優雅な努力はそういった美しい世界の秩序に向けて集中されているように見える。
影たちはその存在の理由を与えられている。
だから影は自由なのだと、彼は太陽を見て思う。
影の隊列は、躯を傾けて、優雅に空を流れていく。
大学を出て、道を歩く、街路の緑が並ぶ道を、歩く。
道の向こうから、黄色い犬が歩いてくる。
彼は犬に向かって、犬は彼に向かって、二つの平均台の上を互いに歩むように、近づいていく、距離が縮まる。犬は彼の少し手前で止まり、座り、それでも進む彼、自分の横を流れていく彼に併せて顔を動かす、犬の顔だけが彼を見ている、彼の目には犬の顔が強く映る、視界の中の認識、彼の認められる世界は誇張された犬の顔でいっぱいになる。
その瞬間、
彼の視界は真っ暗に遮られ、暗闇の奥からは生温かい臭気のこもった空気が流れてくる。犬は彼の頭を飲み込んだ。彼はあごの下にぬるっとしたぶよぶよの唾液を感じ、頭蓋の後ろに牙の軽い圧力と刺激を感じる。彼はそのまま歩き続ける、そこにある「ある程度の」疑問を保留したまま。
犬によって彼は別の世界に移動させられた。
犬の中は、たとえば彼が酒を飲む場所、酒と話す場所と並行して以前からおそらく8年ほど前からは存在した世界であり、それは同じ場所で別の位相をもって進行していた時間だった。彼はひとつの時間から別の時間へと同じ世界内で移動した。
彼の体、胸や腕や脚はさっきまで彼のいた時間の中で通常の視線に晒されているだろう。
そして彼の視界や認識はまだ暗闇の中で、犬の温度と湿度の中で動いている。
首にかけられた分断は、だんだんと微妙な心地よさを帯びてくる。
並行して存在する(だろう)分裂した時間たちを同時に生きること。
彼はいつもそんな夢ばかりを見ている。
彼の犬はそのためにいま逆立ちをして彼の頭に取りついている。
彼によって。
犬を乗せて彼はカフェに入った。通りに開かれた席に座り、ハイネケンを頼む、犬のせいでタバコが吸えない。ジャケットの内ポケットから小さいモレスキンと万年筆を出す、キャップを外す、犬の中で。

丘の上に金色の陽が射し、少し乾いた色をした木々が風に揺れ、なだらかなアーチを描く空、伸びた雲、空気が、輝く。
日差しは暖かく、それでも透明な冷気の中を、ボクは丘の上に向かって歩いた。
彼女は白いワンピースの上から丈の短いローブをかぶり、茜色のフードの隙間から栗色の髪を出している。
彼女は耕地に向かって、種を蒔く。腕にかけた籠に手をいれて、空に向かって種を散らす。その蒔き方は如何にも絵に描いたような、架空のものだったけれど、その種はきっと芽を吹くだろう。
陽光に照らされた彼女の笑顔は、その未来を何よりも期待させるものだった。
ボクは口まで巻いたマフラー、けばだったマフラーをずらして、顔を、保温した呼吸を空気の中に出す。
「精がでますね」
彼女はすっと、振り返り、こちらに応えた。
「そうなんです。きっと、彼らはよく育ちます。だって、こんなに美しい景色の中なんですから」
彼女はそして、また、続ける。
それは永遠とも思える時間、動かない、永久のヴィジョン。
遠くの紅茶畑の霧の中を渡り鳥が飛んでいく。紅茶工場からは雲のように湯気が出ている。黄色い犬が、鼻先を飛ぶ蝶と弾んでいる。

彼女がどうやって生きていたかということを説明するのは、それほど難しいことではない。彼女はいつも「病い」に全身を蝕まれていた。彼女はそのために死ぬだろう。それは名前のない病、彼女が空想しそのために死のうと決めた装置だった。それによって彼女は生きることを可能にしたのだった。もしかしたら、彼女は自分が死ぬことを、それが何の結果も残さないということを最初から考えていたのかもしれない。
ボクは大学の入学者パーティーで彼女を知った。ボクは、何度も言うようだが彼女の声にそのすべてを見て、囚われてしまったのだった。彼女の声は語っていた、いや何も語らなかった、彼女の会話は「えぇ」「ありがとう」「同じです」というだけのものだった。ボクは自分の飲み物を取りにいって、ジンジャエールをひとつもらうと、背中にその声を聞いた。彼女の姿を見る前に、ボクは彼女に話しかけた。「あの」「えぇ」「飲み物、どうですか」「ありがとう、でも、あります」「そうですね」「ありがとう」「えぇ」「あの」「はい」「学部は」「○○です」「あなたは」「××」「でも同じキャンパスだ」「えぇ」「ここはお酒が飲めないみたい」「えぇ」「よければ外に出ませんか」「えぇ」「どこか」
ボクと彼女は建物を出て、少し歩いて、どこかのカフェに入った。ソファの席も空いていたけれど、彼女は店員にタバコの吸えるところを聞いて、ボクたちは隅のほうの小さなテーブルに座った。
彼女はハートランドを選んだので、ボクはグラスを二つ頼んだ。
「タバコは吸うの」「いや」「吸わない」「もらってもいいかな」「どうぞ」
ボクは彼女のピースにマッチで火をつけて、ゆっくり煙を吸って、壁にふっと吐いた。彼女はグラスに口をつける「何かを信じたことがないの、これまで、そんなものが現れなかった、ずっと願っていたけれど。そういったものって、みんなどうしているの?強く思わないと生まれないものなの、それともそれは欠乏や実際に困窮するほどの飢餓がそうさせるの、それとも向こうからやってきてくれるのかしら」
「ボクもわからないけれど、そのどれでもないと思う。そういうものはもうはじめから決められてしまっているのだと思う。ボクやキミとは無関係なときに。ボクやキミが僕らの中で生まれる前に、回避できない時間に、すでに。もちろんアポステリオリにも起きうることだとも思うけれど」

犬を首に巻いて彼はビールを飲みタバコを吸う。まだ6時間ほど前、彼がいた地下室。その2時間前、彼がその地下に降りていく。重い扉を押すと、隙間からはこもった別の空気、別の世界の窒素が、そこを支配する異次元の音に押されて彼の顔に浴びせられる。彼はその気流の中を進み扉を閉め、入り口に立つ人間に挨拶をして、すぐ手前にあるカウンターにより、酒を頼み、それからまた他の人間たちに挨拶をして、手と手におどけている。ある時点で、女が彼のタイを強く引いて言う。
「いつでも同じ格好をするのがスタイルだなんて、どうかしてるわ、マッチョよ。ファッションを無視することと強いスタイルを維持することは矛盾しないわ」
彼は一瞬間、女の目を見る、そして目を、言葉を、何もない空に漂わすように、ゆっくりと
「とても哲学的で示唆に富む意見だし、僕は君を尊重する。だけどね、僕が僕について与えているこの習慣がマチズモなら、僕は世の中のすべてが男のように構成されればいいと思うよ。こんなふうにね!」彼はそう答えると、女の尻を思い切り蹴り上げた。悲鳴をあげて転げる女をつかみ、低いテーブルにあったシャンパンの瓶をつかみ栓を飛ばして瓶を逆さに女の口に突き立てる、彼は女の口からごぼごぼとこぼれるそれを吸う。観客は驚きざわめき彼と彼女を囃し立て自分たちも同じようにシャンパンを口移しに飲み出した。彼はほどよく賑やかになったのを確認し、朦朧とした女をソファに座らせて、別の場所に移動した。いくらか落ち着いた客たちの席に来ると、彼はタバコを出して火をつける。彼がタバコに火をつけようとするとスーツを着た男がシガリロを持ってきた。向かいの少し離れたところに座っていた年配の男が彼に持ってこさせた。彼はシガリロを受け取りマッチで火をつけると、立ち上がって男の前に行った。
「今日は少し遅いな」「書き物をしていたんです」「頭の中で」「頭の中で、です、明日は紙に書きますよ」「さっきは賑やかだった」「ここから見えましたか」「いや知り合いが見ていた、面白がってたよ」「生活のためですから」「うちのアドバタイズを全部任せたいな、形而下の世界に降りてきたらどうだい」「形而下の世界なんてありません、物事はなんでも観念に向かって為されるべきです、が、僕はまだ言葉の自由性に縛られていたいんです」「そうだろう。今が華だ、花が散るまでは踊り続ける、それが青春の潔癖さだ。その残酷さの殉教者になる努力をしている君が、僕らは好きなんだよ」「褒められてないことはわかっていますが、理解してもらえるのは嬉しいです」「嘲弄の中を生きる、それは立派なスタイルだ」「この赤のボトル借りてもいいですか、ちょっとあそこのやつ、シャツを染めてきますよ」「風情があるかどうか見てるよ」
ケータイが鳴る。本屋からだ。
「こっちに戻ってこれる?」
「まだ近くにいるよ」
「お昼の予定は」
「牛が食べたい」
「車で迎えにいくわ、どこ」
本屋の赤い車は彼を拾って、大通りを抜け、静かな住宅街の小さなビストロの前に停まった。植物は店の外壁をつたい、店の外壁の木材を植物はカーテンのように覆っている。真上に昇った太陽は白く、強く眩しい。
店に入ると店員は人数を確認し、店の奥のテーブルを案内した。渡されたメニューの中から彼は牛肩のグリエにフリットを頼み、本屋はサラダと魚を頼んだ。
「車で魚か、何の風景だったかな、書かれたものみたい」
「そう、その話をするの。書きなさい。これは指図している」
「そうだね」
「書かないこと、書けないこと?、そのどちらも否定しないけど、書いた方がいいわ。なんのためかって、その方が面白いから。書かないあなたより、書くあなた、書いているあなた、書いたあなた、その方が面白いの。同じ、嘲弄の中でも、道化の華でも、新しい芸が定期的に出てくれないとつまらない、飽きるわけじゃなくても、貧しい手札はいつまでも切れない。これくらいでちゃんと移動するべきよ」
「本当に大人たちは優しい、老人を殺すのはやめようかな」
「老人を殺すのもいい、ブルジョアの少女が幼い夢を抱くのもいい、それがどれだけ子供っぽくてメルヘンだって、人の目を気にしすぎることはないのよ。大時代的だなんてクソっくらえの話だわ」
「女史にしてはきつい口調ですね。でも僕の過剰な自尊心を崩してくれる、もう優しさなんて言葉は使わないけど、それは感動する、そのために僕は何かをしなくちゃいけないんだ」
「そう、じゃあワインはやめておく?」
「そうだね、集中の酒はワインじゃない。すみません、アブサンをふたつ、ストレートで」
一息に飲む、アブサント。

彼女は大時代的に時間を生き、その虚構の投影の中に生きようとしていた、そして事実、彼女は僕に死ぬことの話ばかりした。
「言ったでしょう、私はこの物語があって初めて生きていられるの。物語の終わりは、私自身の終わりと同じなの」
「君は体で描くわけだ」
彼女はうなずくと、ワインを僕に注いだ。
「ねぇこのワインの赤色に、何があると思う」
「何もない」
「そう、そうなの、私はそれが嫌なの。色に酔って象徴を見てもいいじゃない。全部がばらばらに切り離されて、相対的で、全部が平面に打ち捨てられて、散りばめられて、それでおしまい。お話にもならない。与えられた舞台の上で、シナリオのないままに踊らされて、踊り疲れたら、給食が出るの。そんなの私は我慢できない」
ボクは彼女を批判できない。給食が出ることの幸福なんていう物言いがもう遠い昔の遺跡として埋葬されたことを知っているから。それは重要な前提だけれど、彼女の思想の世界では不必要で些末な現実だった。
冬の寒さはその猛威の中心に迫ろうとしていた。風が吹き、木々がうねり、空間は歪む。
彼女は老人を殺すために何をすればいいのかを考えていた。組み替えようのない世界をすべて壊してしまう方法を。それは不可能なようにも思え、しかし生命を賭してやれば、むしろ現代だからこそ「人命の神話」の名のもとにそれが可能なような気もした。
風が吹き、木々がうねり、歪んだ空間の中を、彼女は街に出て、ミルク色した幻想を探しに出た。
彼女は彼女の夢の中をさまよう、はっきりとした意図と世界の地図をもって。彼女は彼女の探し求めるものをその中から正確に探しつづけ、見つける。彼女の世界が彼女の敵対世界を破壊する方法、それは彼女の想像力以外の何でもない。彼女の妄執にあらゆる人間が賛意を示した、曰く「それは間違いない」「そうだ、その通りだ」「やっちまえやっちまおう、やらなきゃダメだ」、彼女は彼らに意見を語り、その道程をひとつひとつ開始し進行させた。ボクはその姿を別の場所から眺めている、「ある程度」の疑問を保留して。彼らのうちのどれだけが彼女の中にいるのだろう、彼らのうちの果たしてどれだけの人間の中に彼女が正確に存在しているのだろう。彼らは彼女によって作られた場所や行動や時間を、何か別のことのために利用しているのではないだろうか。彼女の夢の中で、一回きりの登場を務めるだけではないだろうか。彼女の夢は何度も繰り返される、その紡がれていく夢の連なりに、彼らはどのように存在していくのだろうか。彼女はどう思っているのだろうか、もう彼女の夢は他の存在とは無関係に膨らみ始めているのだろうか。
そうボクはここから気づき始める、ボクの書く『彼女』は、はじめからボクの中にいたことを、ずっと前からボクはこの人を求め続けてきたことを、『彼女』は彼女ではなく、ボクが夜に描き直す『彼女』は、ボクの見ている実在と段々と剥離し始めていることを、ボクは理解する。それでいい。

デザートのアイスクリームとタルト、エスプレッソを済ませて、彼と本屋は店を出た。彼は車には乗らず、一人で行くと言った。
「帰る方向わかる?」
「どこかに行く当てがあるわけじゃない、ちゃんと戻るよ」
彼は赤い車を見送って、白からは少し黄色みの増した日差しと暑気の中を歩く。角を曲がったり、坂を下ったりしていると、バス停が見えた。彼がバス停のベンチに座ってタバコを吸っていると、一台のバスが停まった。彼はタバコを靴で揉み消して、バスに乗る。
バスは一息ついてゆっくり排気し、ドアを開けた。彼がステップを上り車内の通路に立つと、バスは出発の声をあげてドアを閉め、一瞬小刻みに躯を揺らし、タイヤを回す。前方への加速とその慣性、動力から響くその振動の中で、彼は周囲を見渡し、一番後ろの長い座席に座る。車内の誰もが何も話さず、ぼうっと前を見たり、目をとじたり、肘をついたりしている。バスはその身体に外からの日差しをたっぷり取り込んで、通過させ、器官を温めて、信号のない住宅街を規則正しく息を吐きながら進んでいく。
彼女はももに大きな切れ目のついた薄いドレスを着て、薄暗く艶やかに輝く照明の中を踊る。ボクらは舞台を取り囲むように座り、それを眺めている。寒さの中に光る外の明るい日差しのその中にこの小屋は、この小屋の中は暗く淫靡に湿って、一人一人の呼吸が彼女の肢体を包んでいた。彼女はその呼気の中で身をくねらせ、上気し、動き、視線を投げて、脚を開き、酔い、酔わせ、一言も発せず、激しく息を吸い、衣を、皮膚を、その臓腑を晒し、なびかせ、舞い、踊った。見るものはその誘惑に浸り、その臭気に発情し、彼女を好奇の目で我が物顔に見つめていた。円い舞台を囲む注視は、その中心に収束し、彼女はその幾千の矢を一身に浴びて、虚ろに目を開き、口を開く。
バスは落ちていく日差しの中、バスは、黄色とオレンジの中間の間を、進み、住宅街を抜け出て、そのまま長い坂を上り、また下り、舗装のない田舎道を走り、畑を曲がり小川を渡り、また街に入った。そこからはただまっすぐに進んでいく。外を流れる建物や風景、人間は、強い夕日を浴びて影のように暗く、その暗い影があまりに強く、黒い重力に吸い込まれ、本来あったあるはずの場所から切り抜かれ、そこには建物や人間の黒いシルエットだけが残されている、それは確かな暖かみと実在の手触りをもっている。
空がオレンジ色に染まり抜き、世界はどんどん切り抜かれて、黒く、影は確かな輪郭と生命力で力強くそびえ、動き、活動する。乗客たちの切り抜き、それら切り抜きたちは、外の世界が充足していくにつれその中に降りていき、彼は一人車内の後ろに残された。
彼はバスの前面に、そのガラスの真ん中に一本の線を見る。上半分はオレンジ色に、下半分は黒く、その間は緊密に密接して、緊張しており、真空のように接合され、混じり合うことのない二つの世界の間には他のいかなる余分もあり得ないようだ。走るバスはそのままその境界に侵入していく。どこまでも続く二つの世界の間を、透過していく。バスはもう動力を止め、呼吸することもやめて、最初に入ったときのその速度のまま、何にも遮られずに、その惰性の中を滑っていく。バスはゆるやかにその進行を止めて、身体は平衡を失い、はじめはゆっくりと、そして加速して落ちていく、奥深い闇の中に。
彼はバスを降り、また街に戻った。夕方の街になった街。夕方。

春、彼女は窓外を走る田園に、無関心な視線を投げかけている。ボクは、彼女の向かいの席で、ボクは、手帳を見ながらその文章の前後を考えていた。ペンを押しつけ、離し、紙をたたき、書き、順序をいれかえる。彼女はコンパートメントを出て、食堂車に向かい、バゲットのサンドイッチと分厚いガラスで出来た安い白ワインのボトル、簡単なグラスを二つ持って、戻ってきた。ボクはナイフでそれを4つに切り分け、彼女はグラスにワインを注いだ。列車は途中の駅で少し待つ。その間彼女は窓を開けて、タバコを吸い、その煙を見知らぬ田舎に吹きかける。煙草は風景の重要な一部だとでも言うように。列車が動き出す。彼女は膝にのせた鞄からマニキュアを取り出し、爪を赤く塗り始めた。それは彼女の嫌いな色で、彼女の父親の嫌いな色だ、と彼女は言った。ボクは爪を赤く塗る彼女の写真を撮る。彼女は下を向いて、赤くなった自分の爪先を眺めながら、無感動な顔を帽子の下に納めている。爪が他に当たらないように彼女は指を開き、親指と中指でグラスを持ち、口をつけた。ボクは彼女の写真を撮る。彼女はバゲットの中を開き、フォークで中身を取り出して、パンを細かく切り、それらを交互に食べた。
ボクは彼女の写真をこれまでにも、そしてこの先にも撮り続けている。
ここに数葉の写真があり、ボクはそれを眺める。
彼女の笑顔、彼女の汗、彼女の倦怠、絶望、それらの表情をボクは認める。
彼女の表情、それはボクがそうだと認識する彼女の感情を湛えた表情、形相。
数葉の写真、それよりももっと多くの彼女の写真たち、それらはある道筋の上で、ボクに微笑んでいる。
列車は終着駅に停まる。
ホームへ降り、改札で駅員に切符を渡してしまうと、彼女は駅前に一台の車を見つけた。予約しておいたタクシーに乗り、行き先を告げる。タクシーは駅を離れ、ところどころに家のある、何もない景色、どこにでもあるような田舎の風景を抜けて、山道に入った。舗装された山道のゆるやかなカーブを眺めていると、車は最後に少し直進して、停まった。彼女は代金を払い、車を降りて、門に鍵をさして、玄関までの道を歩く。呼び鈴をならすと、中から家の人間が扉を開けた。彼女は中央ロビーの階段を上がり、踊り場を右に上がって、二階の廊下を奥まで進み、行き止まりの窓の左につけられた部屋に入る。ボクは中に入り、ドアのすぐ横、部屋の端に荷物とともに立っていた。彼女はベッドの横のサイドテーブルの椅子を引き、座って、言った。
「おじいちゃん、ただいま」
老人は寝ている。
彼女は老人の腕に手を置き、その静かに眠る死んだような顔を見る。そして椅子から立ち上がり、窓際の机、鞄から取り出した鍵でその引き出しを開けた。彼女は中から何枚かの署名済みの小切手を取り出し、引き出しを閉め、鍵をかけ、鍵とともにそれらを鞄にしまった。
彼女とボクは部屋を出て、また中央の階段に戻り、今度は建物の左翼を進んで、部屋に入った。彼女は窓をあけ、部屋の空気を入れ換えると、また窓をしめ、部屋を満たした冷たい夕方の空気を、暖房をいれて暖めた。日差しの弱まる中、彼女はカーディガンを羽織る。
彼女は一階の食堂を抜けて、キッチンで夕食の準備を始めた。夕食に、彼女の父親は降りてこなかった。ダイニングの長いテーブルの端に彼女は座り、ボクは離れて向かいに座り、彼女の横にはテーブルに被さるようにして老婆がスープを飲もうとしていた。彼女はそれを手伝いながら、飲み物のグラスをとってやり、食べ終えた皿を下げて、自分の食事を済ませた。
彼女は眠る前に、上階に上がり、父親を殺した。
朝、ボクと彼女は家にタクシーを呼んで、駅に戻り、列車に乗って、戻った。
彼女は駅から銀行に行き、小切手を換金して、ボクは地下鉄に乗った。
「私は父を少しも嫌っていない。父はとてもいい人で、私は嫌な思いを一度もしたことなんてない。父は私のために死んだの。私の決意のために。彼は死ぬ必要なんてなかった。彼は死ななければいけないどんな特性も持っていなかった。彼が死んだのは私のため。私が彼らを殺してしまいたいために、そのきっかけになるために彼は死んだの。結局彼は最後まで優しかった。じゃあなんで私は彼らを殺さなければならないの。なぜ彼らは『彼ら』になると急に私たちの障害になるの。わからなくなってくる。でも、私は決めた、その方向で考えることにした。彼らを決めつけて、他の一切を無視することにした。そう思わなければ、妥協と諦めの優しさの中からいつまでたっても出られない。ぬるま湯を出るために、私はその温度を意図的に操作して高める。私自身のことには目をつぶって」
彼は家に戻った。彼は塀に足をかけ庭に入り、裏の戸を開けて部屋に入った。妹と家の人間が夕食の用意をしていた。その音を聞きながら彼は2階で一眠りする。
銃声のような雷が轟いた。彼はそれによって目が覚めた。それは隣の部屋から聞こえてきたようでもあったし、また別のまったく違うどこかから彼に届いた音かもしれなかった。脳を裂くようなその鋭く響く轟音は、屋敷の中に溶けていった。
彼は玄関を出て庭を通り門を開け、タクシーをつかまえて街に戻った。彼は狭いマンションの前で車を降り、3階のドアを開ける。誰もいない。彼は椅子を引き、ラップトップの前に座った。目を閉じたり、ハードディスクからスピーカーを通して流れる音楽に揺れたり、その勢いに任せたりしながら指を動かして、彼は文字をタイプしていく。指で早いリズムをとりながら、それはキーを上をただ撫でるだけであったり、実際に叩いて文章を作ったりして。ドアが開いて女が帰ってくる。彼はそのままラップトップを打ち続ける、女はキッチンに入り冷蔵庫に買い物をしまう。さっきから窓を打ち始めた雨は、だんだんとそのタイプを強めている。女は、「あなたも食べる?」「たべ、少しもらう」彼はキッチンと彼を隔てる白い壁を少し見て答えた。鍋を火にかけながら女は仕事の資料を読んでいる。企業の法務部というのは熾烈な戦争の世界だと、前に彼は聞いた。
向かい合わせに夕飯を食べて、彼はタバコを吸う。女はタバコを無視して食事を済ませ、寝室に入った。彼はまたラップトップに戻り、タイプを続けた。
それだけのこと。男と女、が、ある空間の中に、いて、交差し、離脱し。
それだけのこと。特別なことはなにもない。
男と女の間には、ほとんど何もないと彼は思う。それは特定のパートナーの間に限った話ではなく、おおよそ特筆すべきものなど、それは歓談の場に出される歓談の種として以外に、特別に価値を持つものなどないということだ。彼はこれまでにも多くの話を聞いたし、彼自身も話した、これからもおそらくあらゆる種類の話を聞くだろう。結局彼が特筆しなければいけない話などは、彼の日常にはない、なかった。男と女の間のそれは、沼に沈む舟に似ている。緩やかな減殺と、最終的な沈黙。何かを維持するためには、常に何らかの意図的であれ偶発的なものであれ事件が必要だった。それは物語が無理にでも詩的な言葉によって作られたり、事件性にあまりに富んでいるのと同じだ。何らかの結末、価値だと仮定された価値に向かって、ボクらは多少ともの無理をしなければならない。価値のために価値の盲にならなければならない。
彼は女と部屋を出て、電車に乗った。数駅離れたところで降り、煩雑な飲食街にある半分ほどが屋台のように外に出た中華に入る。オレンジ色と紫がかわるがわるに漂う薄暮の下、テーブルと身体、湿度と温度、白い皿、鮮やかな食事、緑のテント、それらが一体となって食事となって彼の口、女の口に入り、抜け出て、ある。そういった振れ幅のことを彼は日常と呼んでいた。無限の選択肢とそれが奏でる無限色の世界を、彼は終わらない日常と呼ぶのだった。

地下鉄を出て地上に上がる。ボクは特に気にしていなかったのだけれど、そこがどこなのか知らない場所だった。「ここは」「ここから私、歩きたいの」「いま」「いいえ最後のときに」「公園」「そう公園、何の変哲もない小さな公園。錆びた遊具と真っ黒な砂場、小さな公園。でも私の小さいころには大きかった、もしここにいたら大きいと思っただろうな、そんな公園」そのベンチに座って彼女は話した。彼女はどれだけ自分が子供で、幼稚じみた思いの中を生きようとしているかを十分認めていると言った。彼女はしかし大人の夢を打ち砕くのが子供の現実だと言った。子供の現実、子供の眼、その正しさを大人が十分に理解するために、子供は死にもすれば微笑みもする。彼女の提出は、そういった理想趣味的な愚かさ、老人たちの言うそれだった。それが彼女の、子供の現実だったのだ。

早く終わらせてしまいたい。言ってしまえればいい。この少女は、ただ革命などという現代的に不可能なぼやけた思想に自らを投げ込み、そしてそのために殉教しようというなんとも甘美な幻想に囚われている。それだけのことだ、それが、そういうものもあってはいいのではないかということだ、とボクは書きたくなってしまう。そのあまりに不完全な文章で彼女を終わらせ、またどこかに流れようとしている。流れる先になにがあるかなどということは知らない。流れる過程に意味があるなんて思わない。流れることが楽しいわけでもない。ただ、流れの中には予想のできないものがたくさん生まれてくるということ。一時の快楽、快感、愉悦が、ただあるということ。それが十分によいということ。しかし何だろうこの渇望は。ボクは何を求めているのか、ボク、ボクとは、ボクか?



「諦めやすいところから始めた小説なわけですね」
対話の相手はそう言った。
「はい、そうです」
「なるほど、でもこれは本当に小説なのですか。つまり、これは小説の形で書かれるべきものであったのでしょうか」
「それは、わかりません。ただ、ぼくには、こうするしかなかったし、これ以外のことは僕の手に余ることだったのです」
「僕の手に余る」
彼(対話の相手)はカレの言葉の最後の部分を繰り返した。ボクノテニアマル。
「この文章の中であなたは、僕について言及しているという人たちがいますが、実際にそういう声があることでこのような場が設けられたわけですが、それは本当のことなのですか」
「はい、それは実際のことだと受け取られて仕方ないと考えています、現にだからこそ僕は今あなたとこうして話すことになっているのですから」
「そう、私はあなたの話の中に登場させられてしまっている、これは私にはどうしようもないことです、私にはそのことについて、それを受理する権利も拒否する自由も最初から与えられていません。剥奪以前に、権利と自由を与えられるべき主体もない、実体的な存在すら許されていないのですから」
「でも、あなたはここに存在しています。これはある意図をもって書かれているのであり、それは何かの染みとなって存在し、その染みは何かの模様として理解される、もしくは何も認められない、どちらにしても何ものかとして見られるのです」
「それはいいでしょう、それはそういうことだとして話を続けましょう。そしてここであなたは僕に何を話させ、あなたは僕を相手に何をしたいのですか?」
「まず、こうしてあなたにばかり質問をさせて、僕が答える、という形式になっていることを謝りたいと思います。これは本質的なことではありません、僕の能力が、あなたとのもっと有機的な交わりを達成させるには十分ではない、そのために起こっていることです」
「かまいません、僕はすべてを諦めてしまってますし、受け入れているつもりです」
「ありがとうございます。まず最初に、ここに出てくるあなたは、決してあなたじゃないといけなかったわけではありません、これは最初の前提ですが、そこにおいてはそうなのです。まず、僕には相手が必要だった。それはひとつの装置であり、僕はその装置によって、この中の言葉たちの想像力を飛躍させる必要がありました。言葉たちが死ぬ前に、彼らに新しい空気を送り込む必要があったのです。だから僕は誰かと話さなければならなかった、僕として。そして次に、ここであなたでなくてはいけなかったわけですが、あなたの瑞々しい文章、今の僕たちを絡め取り、また自由にし、同時に束縛している、そのようなあなたの言葉と対峙したかったのです。それは何か大義のようなものかもしれません、僕が勝手に感じている。これも僕にとっては、言葉たちのためです。あなたの世界と枠組みにぶつかることで、ぼくは目から星が出るようなことはないか期待しているのです。僕の体がばらばらになってしまっても、何かワープできる世界が現れないものかと。まったく違う次元というのが、別の世界に存在しないのかということを。」
「そんなに素直に語って大丈夫なのですか。あなたが今語ったことは、僕の世界に対してというよりも前に、あなた自身を殺す行為のように見えます。何事もある程度取り繕わなければ、それはただの塵になってしまう。少しの風の前に消えてしまう、弱いものになってしまう。その怖さはないのですか」
「そんなふうにあなたに言わせてしまっていることが申し訳なくなります。そうです、これではまた何かしらけてしまう。だからまた何か考えます。そのときはまた協力してください、ぼくの身勝手のすべてに」
そうして対話は終えられた。言葉がまたもう一度死にかけたから。
   

2012年2月7日火曜日

2/7

「何があっても裏切りませんよ」

と、僕は言った。

「徹底的に、何だって演じます。誰にどう思われてもいい、好意を持たれても否定されても、そんなことにはもうおかまいなしといきましょう。すべてのフォーカスは、あなたです、あなたのために働きます。僕は僕の僕らしい部分を、ノックダウンしましょう、ビジネスのために」

ストローで、残ったジュースを吸い尽くした。音をたてて。

「あなたを信じます。あなただけを。これは僕の選択です。僕の利益のための、僕の利己的な行動です」

空は、太陽が目を刺す。

「さぁ、電話でもかけましょうか。What should I say ?」    

2012年1月6日金曜日

1/06


階段を降り、守衛の前を抜け、裏口のドアからビルを出る。
タクシーを拾い20分ほどで物件に着くと、担当者が待っていた。
タクシーを降りて彼は「どうも」と軽く挨拶をし、事務所で報告書といくつかの資料を求めた。
「今月は急な配置換えとかがあったんです」
書類に目を通す彼の横で、担当者は立ったまま言った。
「新しい人がまだ慣れてなくて」
「そういうところはちゃんと評価に反映されています」
「あぁ、はい、そうですか」
担当者は彼の返事に何か驚いてすぐに言葉を返した。
「では、これをいただいていってもいいですか?それとも別にコピーを?」
「いえ、どうぞ、それを提出します。はい」

地下鉄に乗りながら彼は、さっきの不慣れな担当者を思った。彼の会社の内部評価システムは社内の人間の中でもその詳細を知るものが少なかった。それについて何かを詮索することなどまったく無駄であったし、そういう種類の努力はむしろ減点評価につながった。評価は、なるようにしかならなかった。誰かの評価によって、評価された担当者が何かの罰を受けることなどめったになかった。会社は業務一般のすべてが「なるようになっていれば」それでいいとしていた。会社はそこ働く全員にそれ以上の正義や使命感などを求めてはいなかった。「彼ら」は与えられた業務をその裁量の中でこなしていればよかったし、彼ら自身も会社が管理している業務の一部だった。物件の管理もその評価も、業務の中で上下するただの数字だった。数字はその閾値の中で上下していれば問題はなかったし、そうやってマネジメントされていた。彼は自分の業務をそう理解していた。

地下鉄を出て、次の物件に行く前に彼は昼食をとることにした。大通りと交差する細い道を適当に入り、通りに面した食堂を選んだ。

ブータンノワールとじゃがいものパンに赤ワインを頼んだ。
皮が妙にくたびれたブータンノワールは、作られたばかりというような生々しさを残しており、彼の口の中で、ヌチャヌチャと踊った。その手をじゃがいもパンがとり、ブータンノワールとじゃがいもパンは抱き合うようにして喉を通り、胃に落ちる。赤ワインがその痕を洗った。
勘定を済ませて外に出る。青白い空はまだ朝と同じ色をしていた。

   

2012年1月1日日曜日

1/1

This is a poetry written "in" wrong style.

 All "of" mine"s" have passed away.

 just Now I leave "only" "me" here.

 That's all. That is all of "my".

 This is the "true type" of my feelings.


   

2011年12月27日火曜日

12/27


「何かが違っているとして、それがそうであるかもわからないし、たとえどうであっても、だからといってそれは何かの理由にさえならない。つまりただボクだけにとっての問題にしかならないってことだ」
イーアン・トットは洗面台で顔を洗い、2週間ほど前に酔っ払って派手に転んでつけた顔の傷にクリームを塗り、その手で髪を撫でつけた。手を拭きながら彼は鏡の顔を見て、右左に顔を向ける。細かい傷はもう消えているようだ。
背中のドアを開けてすぐの台所で蛇口をひねり、もう一度電気ケトルで湯を沸かした。クローゼットを開けシャツに袖を通しネクタイを締める。ズボンをはいてジャケットを羽織る。スピーカーから何か音楽をかけて、今日はモーツァルトだ、そこまですると湯が沸き、大きめのタンブラーに開け、スコッチを落とした。部屋を出るまでのあと7分ほどをこのまま過ごす。それは感傷などとはまた違う、平穏のためのまじないのようなものだった。その平穏すら何のためにあるのかもわからない、ましてそのまじないが平穏とやらに通じてるのかもわからず、平穏とはいったいなんのことかも定かではないが、それはまさに「平穏のためになされるまじない」だった。それはそれ以降の時間のための彼なりの言い訳であり、保険であった。
彼は用心深くタンブラーの側面を指で包み、暖をとり、目を少し細くした。少しずつ飲み物から体へと熱を移していく。そうしてすべて飲み切って、コートを羽織り、マフラーを巻き、鞄を持つと、彼は固い靴をはいて部屋を出た。
どこからか寿司飯の臭いがした。蒸気は形をもって彼の前を漂う。彼は少し眩しいというように目を細くした。
「おはようございます、有栖川さん」
「おはようございます」
彼は子供に、向かいの部屋から出てきた子供に挨拶をすると子供が乗るエレベータを見送り、階段のドアを開けて下に降りた。

   

2011年12月23日金曜日

12/22

目が覚めて彼がまずしたことは、スクランブルエッグを作ることだった。フライパンを火にかけ熱し、白い煙が出たころにサラダオイルを引き、また鍋が温まったところで、卵を割り入れる、2つ。割り入れる?彼は自分のしたことに驚いた。割り入れるだって?目の前では白身にうっすら火が入り、しっかりと完成へ進んでいるフライドエッグがある。彼は自分の失敗(ということでもないのだ。彼は日常的にスクランブルエッグを食べることを日課にしているわけではないのだから)を見過ごし、フライパンに水を少し入れ、蓋を閉めた。

電気ケトルのスイッチを押し、紅茶のバッグを取り出してタンブラーにかける。彼は机に座り、ノートブックでニュースを見た。「京都市の職員、不正な給与で」という記事の全文をクリックして、彼はタンブラーに口をつけた。そしてすぐそれを戻した。

彼は自分の強迫神経症的な一部の性格について少し考えた。確かに彼は、家のドアの鍵やガスコンロの火、白熱球のスイッチということに、部屋を出た直後どうしても考えてしまうということがある。その延長で、これについても、偶然の朝に起こったもしかすると何でもない珍事とも呼べないいくつかの出来事についてその連続の偶然について、自分は考え込んでしまうべきなのか。そう考えることははたして健康なのだろうか、いま自分は健康なことをすべきなのだろうか、不健康の効用というのはないのだろうか、何を選べばいいのか、ということについて、彼は考えながら、電気ケトルのスイッチが上がった音を聞いて、机を離れ、ケトルを取り、タンブラーに湯を注いだ。
「イーアン・トット、イーアン・トット、早く紅茶を飲もう」
彼は自分の名前を繰り返す、それは何かの癖なのだが、彼はティーバッグから漏れ出る色素の渦を眺めながら、今の自分の時間について、さてどうするかと考えた。
   

2011年12月17日土曜日

12/17

ギュスタブ・アモンドは、つまらない夢を見ていた。そこではいつもの職場の風景が、その中の何か一部がまったく別のものに置き換えられていた、という具合に。空間に奇妙な瑕疵を感じる、とでも言えばいいのか。彼は原因のわからない突然捕らわれた違和感に、ただ目の前のコンピュータに集中することで対抗していた。デスクトップの画面には将来に対してはっきり言えばあまり将来性を持たないだろう企画書や提案書のファイルが並べられており、彼はその作成を真剣に、その企画の有効性の枠内での整合性や無矛盾性、文字の配置、デザインについて真剣に取り組み、自分が今ここで何をしているのか、何をしたいと思っているのか、今目の前で綴られていくこの言葉たちは誰に対してどんな価値を持つのか、今自分が捕らわれている不思議な感覚の正体は何なのか、この空間を徐々に浸食しつつある奇妙な瑕疵は、、ということについて忘れようとしていた。しかし、最初からある種の不毛さを孕み約束されていたその努力も無駄だった。彼はついに自分について諦め、その違和感から逃れるために、トイレに立った。部屋を出て、役員室が並ぶエリアを抜け、他の多くの人間が作業を進めるオープンエリアを通り過ぎ、オフィスから出て、靴を履き替え、トイレに入ると、個室の鍵をかけ、そのまま便座に座った。この場所にまで及んでいるのかはわからなかったが、とにかく彼は行動したのだ、目の前とは違う世界の可能性に投棄して。しかし彼の頭はもう溶け始めるところだった。彼は自分の思考がもはや自分の思考の支配から抜け出し、彼の顔を歪め始めたことに気づいて、おいおい泣いた。声には出さず、必死で顔を押さえ、口をふさぎ、目に指を押し込んで、自分の中から溢れてくるその自分以外の何かを、彼の身体がぶくぶくに膨らんで、ぴっちりとはち切れそうになるまで堪える覚悟で。個室の壁はもう彼の身体、脳に圧迫されてギシギシと音を立て始めている。もう少しで何かがこの空間全体を侵してしまう。もう彼にはほとんど意識はなかった。口はもう口の形を見せてはいなかったし、その目は血を失い、白濁を通り越して、空虚な穴になっていた。


「イーアン・トット!!」


目が覚めて彼がまずしたことは、スクランブルエッグを作ることだった。
   

2011年11月8日火曜日

passed away, but it comes. forget about it.

こうしてると思い出す
何もなかった部屋を。
煉瓦と板とスチール、iBook、ベッド。
安い酒と汚い身体だけがあった部屋。

何も変わらない同じ。

ただ今の僕はとてもクリアで、落ち着いて、自分を見ている。
泣いてもいないし、そう長く震えることもない。

諦めと決意は、とても壊れやすくて繊細だ。
大事なのは、そう、状況を無暗に葬らないこと。

一瞬の快感の永遠的な思い出も、
永遠に訪れる一瞬の悔恨も、
全部はべったりと手のひらに残っている。

忘れられない、自分の、「自分たち」

forget about it.    

2011年11月2日水曜日

No one know new one.

ある程度の規模でまとまった量を書かないと、ある程度まとまった量の文章を書けなくなる。
書けなくなるというのは、集中力もなくなるし、文章の技術としても衰えるということだ。
つまり意欲も能力も失うということ。
(この段階で、自分の叙述の方法がずいぶん短文的になったことを認めている)

「まとまった文章」を書かなければと思った理由は、2つある。
ひとつは、仕事でスライドばかり作っているが、それを適切にまとめて表現するのが、「面倒だ」と思っててしまっていること。
もうひとつは自分が何かについて考察するときのフレームワークみたいなものを、ここらへんで整えてあげないといけないということだ。

直感がすべてであると思う。そして、その直感のセンスは、理屈によって裏付けられるべきものだ。
だからボクはそれを整えなくてはいけない。
「~であるべきだ」という言葉の強さを、もっともっと高めるために。
それが面倒の克服と、克服のための鍛錬、そして結果の「強さ」を得るための、いま最も必要なpracticeなのだろう。    

2011年9月5日月曜日

眠れぬ夜は、ボクのせい。

惰眠の原因は、根本的にいろいろある。

それは体力の欠如と、その原因と結果としての飲酒、そして敵前からの逃避、怠惰、言いわけ、飲酒、低下、と。

つまり惰眠は、それ自体が悪であって、必要悪などというものはこの世には存在しないのだから、惰眠は悪だということ。

そして、そこには、そもそも惰眠を貪るような人間には、そう、いつもあの言葉が潜んでいるという事実がある。

悪の華。

この花の前に散っていったものがどれだけ多いことか。

その屍の上に私は今日も立とうとし、そしていつか葬られるのである。

否定は否定のためなりしや、いかんや。    

2011年8月23日火曜日

8/23

夏の風が去って、

その空白を埋めるように秋が夜を浸しはじめる。

すべては遠くに向かって流れていくはずなのに、そうわかっているのに、

次に来る風がどんなものなのか、そんなつまらない予測にボクたちは縛られている。

レモンのように絞られて、すっからかんと、寝そべりたい。    

2011年7月30日土曜日

7/30

目の前の人間ひとり、

目の前のことひとつ、

何もできないでいる。

僕は、自分をどうしたらいいのか、わからないでいる。

つまらない感傷、下卑たナルシシズム

そんな安っぽいものさえも、扱えなくなっている。

僕は、消えたくなっている。

言葉でさえも、もう遙かに遠く、違うところに。    

2011年6月28日火曜日

6/28

   

2011年6月10日金曜日

6/10

若者にはもう暴力しかない

暴力で、

好き勝手やってきて、そして好き勝手やっている老人たちを殺そう。

そういった革命を今唱えても夢想的で小説的だが、

いや、絶対、そうなる。

なる!    

2011年5月12日木曜日

5/12

すべての顔がある。

すべてがここにあってしまった。

僕は右から左へ、端から端へ、よろめき、酔い、吐き、涙に笑い、笑い泣き、びっくりするほど何度も驚き、彼ら彼女らの間を話し回る。

くしゃくしゃの紙束、ずぶぬれの服、踏みつけられたサングラス、花火、太陽、芽吹く種子、鳥獣戯画、毒。

それらが僕の目を歪め、すべてを曲げる。

いきなり巨大な音楽が鳴り響く。

この狂騒と狂躁のまま、僕はここに終わる。    

2011年4月22日金曜日

4/22

撮りためた数葉の写真を、ボクは眺める。
ボクは、眺める。
意識的な反復の言葉、その繰り返し、強調。

いくつかの彼女の、つかの間の笑顔。
ボクは、彼女の笑顔だけを写真に撮り続けていた。
彼女の笑顔は笑顔の上にはなく、その物語にあった。
彼女の笑顔がどこにあるのか、それを決めるのは彼女であり、ボクだった、あるいは別の風景によるものだった。

彼女の笑顔は何のために、あるのか。
彼女の”笑顔”とは何のためにあり、どうしてそれは”笑顔”なのか。
笑顔とは、何に対して向けられて、またどういう機能を果たすのだろうか。

果たす?
持つ、動く、作用する、働く、効く、香る、揺らめく、涙する、眠る、眠らせる。

香気、その軽々しさ。

ボクの軽薄さが、彼女を喜ばせる。

ぶらぶらぶら    

2011年4月6日水曜日

4/6

道を歩く。
道の向こうから、黄色い犬が歩いてくる。
彼は犬に向かって、犬は彼に向かって、平行線の上を進むように、近づいていく、距離が縮まる。
犬は彼の少し手前で止まり、自分の横を流れていく彼に顔を向ける、犬の顔だけが彼を見ている。
その瞬間だった。
彼の視界は真っ暗に遮られ、暗闇の奥からは生温かい臭気のこもった空気が流れてくる。
犬は彼の頭を飲み込んでしまった。
彼はあごの下にぬるっとしたぶよぶよの唾液を感じ、頭蓋の後ろに牙の軽い圧力と刺激を感じる。
彼はそのまま歩き続ける、そこにある「ある程度の」疑問は保留したまま。
犬によって彼は別の世界に移動させられた。
犬の中は、彼が酒を飲む場所と並行して存在した世界であり、それは同じ場所で別の位相をもって進行していた時間だった。彼はひとつの時間から別の時間へと同じ世界内で移動した。
彼の体、胸や腕や脚はさっきまでの時間の中で通常の視線に晒されているだろう。
そして彼の視界や認識はまだ暗闇の中で、犬の温度の中で動いている。
首にかけられた分断は、だんだんと微妙な心地よさを帯びてくる。
並行して存在する(だろう)分裂じた時間たちを同時に生きること。
彼はいつもそんな夢ばかりを見ている。
彼の犬はそのためにいま逆立ちをして彼の頭に取りついている。
彼によって。    

2011年3月30日水曜日

3/30

彼は、渡り鳥に想い耽る。
日常生活において、渡り鳥というのはまず存在しない、少なくとも彼の日常にワタリドリは現れない。
彼の空想のワタリドリは影のような黒いシルエットで、夕焼けや朝まだきの空、雲の上の月明かりの闇を飛ぶ、優雅な隊列だった。ワタリドリは世界を巡り、地上に降りると思い出したように光を浴びて、白い姿に変わり、水に足をつけ、緑を食み、種を摘み、種を蒔き、また空に向かって飛び立ち、影となり世界を巡る。彼らは死ぬこともなく、個体が入れ替わりながらも全体としてはいつも均質に存在しているようだ、だから彼らには永続する世界の流れを感じる。
彼の空想するワタリドリは、理想的な姿で世界に存在していた、彼の世界に。

彼は空を見上げる、赤や茶色や灰色の建物の間に線を引く空の隙間に目をやる。
まれに影が横切る。何かの影、それらはどこまでも自由で創造力に溢れており、彼らの優雅な努力はそういった美しい世界の秩序に向けて集中されているように見える。
影たちはその存在の理由を与えられている。
だから影は自由なのだと、彼はテーブルに置かれた目の前のロックグラスを見て思う。    

2011年3月19日土曜日

3/19

彼はそのまま眠らずに、テーブルに置かれたタバコの、シールをめくり、一本取り出す、中指で先を軽くたたく。近視のぼやけた目で模様の有無もわからないまましばらく天井をぼんやり眺め、葉が詰まったであろう、気がする、タバコに、火をつける、添えられたマッチをこすり、寝ながら。

起き上がりコーヒーに口をつけ、また彼は受付の前を通り、今度はありがとうと言って、細い階段を下り、昼時の街に出る。どこに行くわけでもなく、朝よりは柔らかくなった日差しを背中に、黒いジャケットが暖まる、暑くなる前にどうしようかと考える、彼は友達に会いに行く。

彼は大学の建物が好きだ、それはどういった大学でもよかった。そこには意図的に演出された自由な空気、過剰に用意された見晴らしのよさ、吹き抜け、といった開放的な雰囲気があった、どんなところであっても。そして、まるでそれが絶対に必要だとでもいうように、そういった清々しさの逆の位相として、狭く暗く窮屈な部屋も存在する。彼は大学の建物が好きだ、建物というもの以外の一切とは無関係に。

「君はそうやって"渡る"のが好きなのか」
友達はデスクトップの作業を続けながら、彼に言った。
「いつ君は君の時間を生きている?」
「僕はいつも話しながら考え、考えながら聞き、聞きながら話して考えてる。だからこうしているのが一番生産的なつもりなんだよ、精神衛生的にもいい、と思ってるんだけどね、どうかな、先生」
「俺はそういったことについて何の専門性も持ち合わせていない、よく知ってると思うが。ただ君の道化っぷりには感動する、本当に酒と金を抜きにすれば、君ほど周りに微笑みを振りまく人間もいない」
「人間失格以前だけれど、ね」
「女を泣かせるほどの甲斐性はないんだろ」
「そんなに剛毅な人間じゃないよ、泣くのは勝手だけど」
「まぁそれだけ口が回るならいい、その調子で騒いでくれ。ここ以外で」
「みんな僕を追い出すんだ」
「でもみんな受け入れてるさ、つまり君は全員を相手に一気に暴れた方がいいんだよ、それをみんな楽しみにしてる」
「それができないんだ」
「俺は君に何か書けだなんていってるわけじゃない、パーティーでもなんでも、得意だろう」
「大嫌いだよ。大嫌いだから、叫いて暴れるんじゃないか」
「ご高説は堪能したよ、僕は授業がある、どうする」
「聴講するよ」
友達は研究室を出ていく。
彼はまた別の島を思い浮かべる。思い浮かぶまで。    

2011年3月18日金曜日

3/18-2

「諦めやすいところから始めた小説なわけですね」
対話の相手はそう言った。
「はい、そうです」
「なるほど、でもこれは本当に小説なのですか。つまり、これは小説の形で書かれるべきものであったのでしょうか」
「それは、わかりません。ただ、ぼくには、こうするしかなかったし、これ以外のことは僕の手に余ることだったのです」
「僕の手に余る」
彼(対話の相手)はカレの言葉の最後の部分を繰り返した。ボクノテニアマル。
「この文章の中であなたは、僕について言及しているという人たちがいますが、実際にそういう声があることでこのような場が設けられたわけですが、それは本当のことなのですか」
「はい、それは実際のことだと受け取られて仕方ないと考えています、現にだからこそ僕は今あなたとこうして話すことになっているのですから」
「そう、私はあなたの話の中に登場させられてしまっている、これは私にはどうしようもないことです、私にはそのことについて、それを受理する権利も拒否する自由も最初から与えられていません。剥奪以前に、権利と自由を与えられるべき主体もない、実体的な存在すら許されていないのですから」
「でも、あなたはここに存在しています。これはある意図をもって書かれているのであり、それは何かの染みとなって存在し、その染みは何かの模様として理解される、もしくは何も認められない、どちらにしても何ものかとして見られるのです」
「それはいいでしょう、それはそういうことだとして話を続けましょう。そしてここであなたは僕に何を話させ、あなたは僕を相手に何をしたいのですか?」
「まず、こうしてあなたにばかり質問をさせて、僕が答える、という形式になっていることを謝りたいと思います。これは本質的なことではありません、僕の能力が、あなたとのもっと有機的な交わりを達成させるには十分ではない、そのために起こっていることです」
「かまいません、僕はすべてを諦めてしまってますし、受け入れているつもりです」
「ありがとうございます。まず最初に、ここに出てくるあなたは、決してあなたじゃないといけなかったわけではありません、これは最初の前提ですが、そこにおいてはそうなのです。まず、僕には相手が必要だった。それはひとつの装置であり、僕はその装置によって、この中の言葉たちの想像力を飛躍させる必要がありました。言葉たちが死ぬ前に、彼らに新しい空気を送り込む必要があったのです。だから僕は誰かと話さなければならなかった、僕として。そして次に、ここであなたでなくてはいけなかったわけですが、あなたの瑞々しい文章、今の僕たちを絡め取り、また自由にし、同時に束縛している、そのようなあなたの言葉と対峙したかったのです。それは何か大義のようなものかもしれません、僕が勝手に感じている。これも僕にとっては、言葉たちのためです。あなたの世界と枠組みにぶつかることで、ぼくは目から星が出るようなことはないか期待しているのです。僕の体がばらばらになってしまっても、何かワープできる世界が現れないものかと。まったく違う次元というのが、別の世界に存在しないのかということを。」
「そんなに素直に語って大丈夫なのですか。あなたが今語ったことは、僕の世界に対してというよりも前に、あなた自身を殺す行為のように見えます。何事もある程度取り繕わなければ、それはただの塵になってしまう。少しの風の前に消えてしまう、弱いものになってしまう。その怖さはないのですか」
「そんなふうにあなたに言わせてしまっていることが申し訳なくなります。そうです、これではまた何かしらけてしまう。だからまた何か考えます。そのときはまた協力してください、ぼくの身勝手のすべてに」

そうして対話は終えられた。言葉がまたもう一度死にかけたから。    

3/18

ファッションでわざわざこんなポーズをとっているわけではなかった。
ファッションならいつか終わりもくる、流行もピークとジ・エンドがある、それなら話はとても楽で、こうして彼が思い悩むなんていうことはそもそもない。時の流れに身を任せて、時の過ぎゆくままに、人と人の間をすり抜けて、一言二言の挨拶をしながら、笑っていれば、何も考えなくても、生きていける。それができないというところに彼の本質があって、それが本当の悩みであり、だからこそ彼はまた生かされている、意味を見いだされてるという今の現状がある。

「書けない作家の誕生の話をしよう」
彼は誰かに何かを聞かれたときに、何度かそう答えている。

書けない作家は、ある日突然として生まれた。
書けない作家は、それまでいくつもの物語を語ろうとし、いくつもの紙にいくつもの文字を書き記して、そうして出来上がるはずのいくつもの小説を、あるときは友達に、あるときは恋人に、聞かせ、そのたびに「へぇ」とか「そうなんだ」とかいう返事を受け取って、また自分の机に向かってきた。
しかし作家の書くものはどれもぜんぶ途中でその筆が止まってしまい、物語は最後に向けて進むにつれていつのまにか消尽してしまった。コットンに染みた液体で唇や目蓋の化粧を落としていくように、どんどんその濃度が奪い取られ、最後には、最初から何もなかったかのようにすべてが消尽されつくしてしまう。
作家はその度に泣き、悩み、悲しみの国に帰りたいと叫ぶ、なぜならそこには「はじめから悲しみがないからだ!」と叫き、彼はしかし悲しみの国への戻り道を忘れてしまっているため、そしてやはりそこには帰りたくないと思っているためか、ズボンをはき、上着にタバコを押し込んで、昼と夜がある世界、悲しみも喜びも忘れた世界に飛び込んでいく。切り立った崖の先から、空一色の空に向かって、そのまま海の波の間に落ちていくように。
だからやはり書けない作家はある日突然生まれた、というわけではなかった。
彼はいくつかの涙の国を渡り、冷たい風に逆らい、たどりついた新しい国で、恋をし、冒険に出かけ、深く悩み考え、言葉を語り、途中で何も言えなくなり、下を向いて首を振り、自分を責め、ときには誰かの頬を叩き、自分の足を殴り、天を仰ぎ、太陽の眩しさに迷い、国を去り、また新しい土地に向けて歩を進めてきたのだった。そしてその旅はまだ続くのだろう。

「書かないことは、決して書くこととは違う。そう、君はそれを当然だと思うだろう?確かにその通りだ、書かないことは、書くことじゃない。でもね、結局どっちだって同じだという瞬間がある、ぼくはその瞬間を頂点にして、振り子のように揺れているんだ。書いても書かなくても、こうして僕が君に話すときに話す内容は、あまり変わらないだろう、わかるかい、僕はとても諦めやすい、諦めやす過ぎるんだ。誰かが疲れやすいのと同じようにね」
「そう、もうひとつ付け足しておきたいな。誰かが、自分があまりに疲れやすいことから何かを話すことが出来たように、僕も自分がとても諦めやすいことから何かのお話が出来ないかと思っている。それが今の僕です、ありがとう」    

2011年3月16日水曜日

écrivain qui ne peut pas écrire.

暗闇の中を必死で駆けている。あと少しで手の届きそうなイメージ、触れたと思えた瞬間に指の間をすり抜けていく影、それをつかみたくて、どこまでも続くだろう暗闇と同化した影の裾を、必死で走り、追いかけては手を伸ばし、つかもうとして、また手を落とし、スピードの中で、両足がバランスを失い、上半身が前へ投げ出され、ひっくり返り、背中から地面に倒れるまで、彼は影を追いかける。それは崇高なメッセージなのか、それとも純粋な美しさの結晶なのか、つまらない愛なのか、場末の暴力なのか、それらに見いだせる一編の詩、イメージのコラージュ、なのか、彼はまだ、その影をつかめないでいる。

飲み過ぎたウイスキーのせいで、額が汗ばんでいる。このまま昼前までは騒ぎ続けるだろうクラブを抜け出て、入り口すぐの壁に体をぶつけて、彼は地上への狭い階段をふらふらと上がる。朝が早いといってもその青白い景色、光は、目を射す。彼はジャケットの胸ポケットからサングラスを取り出し、かけて、タバコに火をつけ、この狭い路地から大通りに出る。

たどり着いたビルの、また狭い階段を上がり、二階、ガラスの重たいドアを体当たりして押し、中に入る、受付の前を左へ、受付の声は無視して、誰もいないときには開け放してある応接室に、ソファ、体を放り投げて、天井を見、サングラスをテーブルに投げ、手の甲を顔にのせる。
「会社は48時間あいてますけどね、大先生、そんな酒の臭いばかり持ってこられても困るのよ、わかっててやってるんだろうけど」
「ボクが酒以外の何かを持ってきたことなんてあるんだろうか」
「そうですね、いつか、そうね、何でもいいから何か、原稿みたいなものでも持ってきてくれません?」
「ボクは書かないんじゃない、書けないんだ、何も、一切、書けない作家なんだよ、ご承知の通り」
「いつか飽きられる」
「書かないんじゃない、書けないんだ。ボクは十分誠実にやっているさ、その限り、酒ぐらい飲めるよ」
「世の中いろんな人がいるし、妙な名前の職業もたくさんある、あなた一人ぐらいの席はあると思うわ、それでも、本当に、何か読ませてくれないかしら、頭の中の何か少しでも文字に起こすだけでいいんだけれど」
「小説を書いてこそだ、そうじゃなければ、作家に発言権など生まれないよ」
「あなたが作家さんだとすればね、まぁいいです、今日はアポイントメントも何もないから、何かが起きてこの部屋が必要になるまでは、そうしててください。必要になったら窓から突き落として出て行ってもらいますから」
「めふすぃーボクぅ」


「ねぇ」

去りかけた彼女の背中に声をかける、彼女は振り向き「はい?」

「コーヒー、それとタバコ、ピースを」

「あきれた」    

2011年3月15日火曜日

3/15

丘の上に金色の陽が射し、少し乾いた緑の木々やなだらかなアーチを描く空、伸びた雲、空気が、輝く。

日差しは暖かく、それでも透明な冷気の中を、ボクは丘の上に向かって歩いた。

彼女は白いワンピースの上から丈の短いローブをかぶり、赤いフードの隙間から栗色の髪を出している。

彼女は耕地に向かって、種を蒔く。
腕にかけた籠に手をいれて、空に向かって種を散らす。

その蒔き方は如何にも絵に描いたような、架空のものだったけれど、その種はきっと芽を吹くだろう。
陽光に照らされた彼女の笑顔は、その未来を何よりも期待させるものだった。

ボクは毛羽だったマフラーをずらし、顔を空気の中に出す。

「精がでますね」

彼女はすっと、振り返り、こちらに応えた。

「そうなんです。きっと、彼らはよく育ちます。だって、こんなに美しい景色の中なんですから」

彼女はそして、また、続ける。

それは永遠とも思える時間、動かない、永久のヴィジョンだった。
「」    

2011年3月14日月曜日

3/14 épisode supplémentaire.

彼女はぞっとした。

今日のその災害、危機で、またすべてが隠されてしまうことに。
この事件に立ち会う全員が、人類愛やヒューマニティといった文学の世界に入り込んでしまう。
物質的な構造は何も変わらないのに!

「この国はきっと愛の中で死んでいくのよ。でも死にかけたらまた、息を吹き返すの、せっかく溺れかけたのに、また海面に顔を出すように。本当に、救われない場所だわ」    

2011年3月12日土曜日

mémoire "3/11"

大きなことが一気におこり、多くのことが一度におこった。

何かがどうであるとか、何かがどうなるということを軽々に言うのは、今は難しい。
そういった言葉の氾濫で、目の前の本当に必要なことを取り逃がしてしまうかもしれないから。

ただ、これが、今までのボクたち、そしてこれからのボクたちにとって、どういうものであるのかを考える、そしてやがてどういうものであったのかを考えるときが来る、そのときのために、今のこの現在を見なければならない。そして、思わなければならない。

世界の全員の前で<見られた>この出来事を、その全景を。    

2011年3月11日金曜日

3/11

彼女がどうやって生きていたかということを説明するのは、それほど難しいことではない。彼女はいつも「病い」に全身を蝕まれていた。彼女はそのために死ぬだろう。それは名前のない病、彼女が空想しそのために死のうと決めた装置だった。それによって彼女は生きることを可能にしたのだった。
彼女は自分が死ぬことを、それは何の結果も残さないということを考えていたのかもしれない。
ボクは大学の入学者のパーティーで彼女を知った。ボクは、何度も言うようだが彼女の声にそのすべてを見て、とらわれてしまったのだった。彼女の声は語っていた、いや何も語らなかった、彼女の会話は「えぇ」「ありがとう」「同じ地元です」というだけのものだった。彼女の姿を見る前に、ボクは彼女に話しかけた。「あの」「えぇ」「飲み物、どうですか」「ありがとう、でも、あります」「そうですね」「ありがとう」「えぇ」「あの」「はい」「学部は」「○○です」「あなたは」「××」「でも同じキャンパス」「えぇ」「ここはお酒が飲めないみたい」「えぇ」「よければ外に出ませんか」「えぇ」「どこか」
ボクと彼女は建物を出て、少し歩いて、どこかのカフェに入った。ソファの席も空いていたけれど、彼女は店員にタバコの吸えるところを聞いて、ボクたちは隅のほうの小さなテーブルに座った。
彼女はハートランドを選んだので、ボクはグラスを二つ頼んだ。
「タバコは吸うの」「いや」「吸わない」「もらってもいいかな」「どうぞ」
ボクは彼女のピースにマッチで火をつけて、ゆっくり煙を吸って、壁にふっと吐いた。
「何で○○にしたの」
「それ以外になかったんだ、きみは」
「何も考えられなかったのよ、何もね」    

2011年3月10日木曜日

3/10

彼女の隣でボクは毎日、その言葉を書き留めていた。彼女の手振り、何を飲み何を食べ、誰と会い何を話し、ボクに何を言い、寝て、起きて、また生きる彼女を、ボクは黒いモレスキンに記し続けた。
毎夜ボクが手帳を横にラップトップに向かっていると、彼女は、そう本当に毎夜ボクに聞く、同じことを。「一度書いたものを、また書き直して、何の意味があるの」ボクはいつも同じように、ときには少し変えて、答える「同じものはふたつとしてない、ボクは昼間に毎日を書き、夜にそのすべてを新しく書いているんだ。夜、ボクの頭の中で映し出されるもの、それが書かれるということ、それがボクにとってのキミの真実なんだよ」
そうすると彼女は笑って、ベッドの上で背中を向ける。ボクはいつも同じ調子、同じタイミングで「おやすみ」と言い、彼女は、そして眠る。

「すべての問題、問題のすべては、老人たちが席をどかないことにある。彼らが席を譲らないこと、譲る気のないこと、それが現在の私たちの壁になっているのよ。私たちが常に低い温度の生に止め置かれて、身動きも出来ず、生きていこうとする前に殺されてしまうのは、彼らが彼らの生活、彼らの暖炉のことしか考えないから。彼らは全員の資源をまず取り上げて、そのあまりを私たちに与える。これが、今月分のこづかいだ、と言わないばかりにね。私たちは生かされているのよ、優しい老人たちに。彼らは死なないといけない。私たちはそこからやっと生きていけるの、責任をもってね」
彼女はネットワークというものの性質、紐帯ということの本質を理解しているように思う、もしくはその感性を持っている。彼女はいつも二人か三人の人間に何かを語り、決して大勢の前で話すということをしない。ひとつひとつの意見や問題を丁寧に解いて、相手と自分を共有させていく。そうして彼女は彼ら彼女らの象徴となっていく。

「英雄のいらない世界。何を語るかよりも、如何に語るかが大事な世界。その世界を壊してしまいたいの。私はもう一度、社会が科学と神話の間にあった時代を蘇らせたいのよ。風刺に悪魔を登場させるの、その必要があるのね」

「男根に消費されてもいいの。だって結局、女が何かしてあげないと、たたないんでしょ、男って人たちはさ」    

2011年3月8日火曜日

胎動-Femme Fatale.

このウラブレタ世界にも、政治の季節というものはやってくるらしい。
粗雑なタペストリー、瑕だらけのパッチワークのような文法は、システムのリセットという処置でしかもうその健康を回復できないところにあった。栄光の時代に蓄えた財産、それが尽きようとしているとき、幸福な泥濘がその温かさを失って冷たい汚泥に変わり始めるとき、最初に飢えて死にゆく者たちは、自分たちの支配者を引きずり降ろそうとしてうごめく。彼らのか細い手は何万もの束になり、青白い腕は集団的狂気の中で暴走し凶暴に振る舞う。
老人たちは彼らを抑圧するだろう。彼らはあらゆる権威と権力、それの根拠としての暴力のすべてを持っているのだから。しかし弱き者たちは、彼らが思うよりも、やはり体力を持っていた。若さという唯一の資本が、文明以前の純粋な力が、歴史を壊す、それは一定の周期で繰り返されてきた、それもまた歴史の過程の一つだ。
しかしそれはもう少し先の話だ、今はまだ、そう、政治の季節が始まろうとしている、その冬の話だ。

彼女は街を歩く。建物、ファッション、公共芸術、人間、目に入るものの美醜を確かめて、その色彩の多様性に満足する。なんて幸せな世界だ。いくつかの悲しみなんて、この豊かさの前には隠されている。あぁ温かい泥舟、私たちは寝たきりの生を充実させている。ロボトミーの幸福、すばらしい天国じゃない。
彼女はこの幸福を、暴力の源流にしたい。この幸せには未来がないこと、この幸せは実は老人たちによって搾取されてしまっていること、彼女たちは本来自分たちが得るべきものを得ていないということ、それを彼女は語ろうとしている。
牢獄に閉じ込められている幸福な囚人たちに、あの監視塔を破壊させること。それがなされなければならないという理想に彼女は身を投じようとしている。
なぜなら彼女には愛おしいものなどなにもないから、いや、その不在は自分自身の問題、つまり自分というものがあまりにただのフィギュアァ、形相としての存在だとしか思っていない、それゆえに彼女は、他のすべてを愛おしく思えた。世界はもっと美しくなっていいと思えた、当然の権利は当然となされるべきだと、そう思うのだった。

彼女は家へ帰る。寝ている男や女たちのすきまに体を埋めて、少し眠る。
地獄の季節の始まりを、その子宮に抱えて。    

2011年3月2日水曜日

"alt" 3/1

知らない間に、ここに来た。来ていた、と言いたい。そう、そんなふうに言いたい。
知らない場所、そんな言い方はきっと誠実じゃないかもしれないし、言いたくない、言いたくないけれど、私は知らない間にこういう知らない場所に来たんだと、思う、いや、思わない、ただ、今はそう言いたいというだけ。わかってる。

重い音の壁、分厚い真綿、誰も聞いていない音楽、大音量の音楽が全員の頭を支配している。なぜならそれは、みんな、支配されたいと願っているから、みんなここではプログラムされたいから、踊る人形、酒と男と女と夜。クラブを上手に楽しんだりできるほど、そんなに誰も野暮じゃない。仲間でだなんて狂ってる。匿名の中で狂うこと、それだけがこんなところの価値なのに。

彼女はここに来る前に飲んだワインでじゅうぶん酔っていた。仕事終わりで飲みにいく、ということの意味は十分果たしていた。それより後の時間というのは、結局、誰にとっても、いつも、余分でしかない。それは余分に作られた余分な時間で、意味のないことを意味もなく繰り返す時間だ。そう、余分に意味なんてない。だってはじめからそんなものは存在するはずもなかった、存在しないし、これからも存在しないものだ、意味のない、そう、意味がない、だからそこには本当に、意味なんてないのだ。彼女は余分に飲んだギムレットに任せて、勝手な一般論を説明する、自分に、そして世界に。

「外いく?」

決まり切ったつまらない展開に身を任せてしまうのは、なぜだろう。余分な酒も、余分なセックスも、そこにはないも同然なのに、つい飲んでしまう、寝てしまう、いや、寝ない、同じだ、何かに自分を埋め込んで、定型化して、明日はきっとよく眠れると想像する。そう、それだけ。明日が晴れて、いや、物憂げでも落ち着くような気持ちのいい曇り空が見たい、それが動機、今日、自分を放り投げるための、道ばたに自分を捨ててしまうための、明日を大事にするために、今日は自分を素敵に汚そう、そのほうがこのまま今日が終わるよりもずっと今日に色をつけられる。何でもいい、白紙じゃなければ。

友達の友達に抱かれながら思う。
横浜で育って、東京で結婚して、彼が実家の仕事に戻るのと同じにここに来た。
作り上げるものなんてなく、家庭と仕事、遊び場、用意されたものはとてもよくできていて、それにまだ、私はそれ以外の何かを見つけるためには、本当に来たばかりの、stranger。stranger in
帰りには約束通り友達の家によっていこう。今のことはきっと彼女を幻滅させるだろう。彼女は軽蔑さえしないだろうけれど、自分への敬意だとかそういうもののなさに落ち込むかもしれない。余分なこと、そんな話はできないだろうから。

今の今は誰のことも考えたくない。明日、ベランダから雲を見る。それが今の私のすべてだ。ラブホテルの天井、そんな私の今の。    

2011年3月1日火曜日

3/1

眼窩をマスカラでベッタリ濡らしながらBは、SとNは手首と脇腹をマッサージして、AはBにシャツを羽織らせて、4人は細く冷たい雨の中を歩く。

夜、木造から橙色の明かりを出す居酒屋、漂白された蛍光灯の風俗案内所、ネオンが猥雑にうるさく、若者たち、また猥雑に楽しくはしゃぐ彼らの道を一段下がって流れる小川の浅い水は黒と白の波紋で揺れ、柳も静かに揺れ、さわやかな凪が喧噪と共生しているその中を帰路に向かう、歩く。

Nは作家のインタビューを見ていた「あなたの作品を読んで他人も大いに楽しんでいます/ーあとで読みかえしてみて、自分でもそれほど退屈は感じませんね。いささか退屈なのは書くという行為そのもので、これは苦役です/小説家という仕事のどういうところがいちばんお気に召してますか?/ー構成、次は手入れ。でもその中間の、セメント流し作業は面白くありません。ものを組み立てる段は、いい。そのあとでそれを埋めねばなりません、そこのところですね苦しいのは。つづいて仕上げ、磨きが残されていますが、これは楽しいですね。」。

「N」と、B
「帰ってから、みんなで話すんだ。シャンパンを開けて、BSのニュースを見て、みんなで話すんだよ」N
S「B、今日はミュスカデを開ける、嫌いだなんて言うなよ」
「嫌い。でも、飲む、飲まなきゃいけないんでしょ」
「それが今日の日記だよ」
A「なら泡はロゼがいい。ニュージーランド」
N「3本目はウォッカ、狂ってていいさ」
S/N「完結されてる、それでいいんだよB、わかってただろ、他の誰も何にもいらないんだ。永遠に続く、その期待値がいいんだ。誰にも何にも邪魔なんてされない、させない。僕らもしない。僕ら、僕らは僕らだよ。」

「小説について意見を持っている作家たちについて貴方はどうお考えになります?/ーああ!そういえば、そういう人たちもおりますね。」    

2011年2月25日金曜日

所与のものなど僕は認め得るのか?

契約理論の主体観を「負荷なき自己」と批判し、我々が抗いようもなく初めに属性を与えられる、そしてその中での行動を不可避とされ、我々の自明の感情も納得させるサンデルの「負荷ありし自己」。

「たとえば、我々は我々の歴史に対して責任をもつか?」という問いかけの前で、ボクはまったくこのコミュニタアリズムに納得させられてしまうわけだけれど、それでも、やはり社会的美徳というものがボク自身の前に存在するのかには懐疑的だ。共同体の美徳、それは大規模な狂気の前で吹き飛ばされ、しかもむしろ狂気に対する抵抗力を失うばかりか、多数派の狂気を認めてしまいさえしそうだ。あるいはもう一方の極では、無数のゲットーを生み出すかもしれない。

共通善があるのは、かまわない。それについての拒否も、ボクには出来るだろう。が、はたして本当にできるのか?
共通善は、いったい何によって担保されるのだろう。
残酷なリバタリアン、考えると肌寒い共同体主義、偽善的なリベラリズム。
政治家はその組み合わせと妥協の中で、政治科学をしてくれればいい。
さて、でもボクたちは?
来るかもしれない、来ればいいのに、の、政治の季節の前で、何を思おうか。
このままいけばボクたちには、虐殺の未来しかない。    

2011年2月21日月曜日

journal 2/20

3:00 je suis rentré chez moi à trois.
3:30 je suis entré dans la barre, et j'ai bu du whisky.
6:00 je me suis couché à six.
11:00 je me suis levé à onze.

à partir de maintenant

12:30 ma grand-mère et moi, nous déjeunerons italien.
14:00 je me couche à quatorze.
16:00 je me lève à seize, ensuite je regarde la télé.
17:30 je net ma maison. je vais acheter un vin rouge à vélo.
19:30 je dîne au restaurant avec des amis.
22:00 nous buvons le vin de Bourgogne Beaune 1988 et le bourbon à la maison de l'amie.
2:00 je bois d'alcool avec mon amie à sa bar.
6:30 nous rentrons chez elle, et nous couchons à six et demie.
15:00 je me lève à quinze, et je rentre chez moi.    

2011年2月19日土曜日

journal 2/19

3:00 je suis rentré chez moi à trois.
3:30 j'ai vu mon amie et parlé avec elle.
6:30 nous nous sommes couché à six et demie
10:00 nous nous sommes levé à dix.

à partir de maintenant

10:30 nous buvons le café et le thé, et nous mangeons un sandwich
12:00 nous nettoyer ma maison, puis nous prenons un taxi à ma autre maison.
13:00 nous déjeunerons du sushi. elle rentre chez elle
14:00 je regarde la télé
15:00 je dors à quinze
17:30 je vais sur internet, et bois le café.
18:00 je prends une douche
19:00 je vais à mon travaille
20:00 j'y arrive à vingt.
4:00 mon finir le travail à quatre, et je rentre chez moi en taxi.
6:00 Je me couche à six.    

2011年2月18日金曜日

戦争に行かなかったお父さんたちへ。

戦争に行かなかったお父さんたちの天国、とよばれたものがある。あった。もう”あった”と言ってもいいだろう。戦争に行かなかった”お父さんたち”の天国がもうすぐ終わり、戦争に行かなかった”老人たち”の世界があり、戦争という言葉のない世界つまり暴力にあふれた世界の若者が”世界に登場しはじめる”世界が始まる。

新しい人々は、自分たちが世界に登場したことに気づいて、そしてあることに気づいた。
「お父さんたちは、生きていなくちゃいけない。でも、どうしよう、同時に彼ら老人たちは、、死んでもらわないと困る!!」
若い人々に与えられた初期設定は、まさにそのような世界としてあり、彼らの最初のコマンドは老人たちの排除、抹殺だった。

あまりに軟弱なため保護されるべきと考えられていた若者たちは、その潜在的な若さ、まさに体が動く!という純粋で動物的な自然の力でもって、社会のすべてを、「非合理」<彼らにとっての非合理であり、ある煽動家の言葉では不条理とよばれたスローガン>のもとに、転覆させようとした。

最終的には、彼らはすべての病院につながれた生命維持装置を切断し、、、、、    

要望への限られた応え。

僕がタイプをする間にも、彼女はどんどんと自分の言葉を進めている。
自分の言葉?そう彼女の言葉だ、彼女によって語られる彼女の創作、創作?そう彼女が想像していく物語の、、記述?記述、そう僕がそれを”タイプ”している、彼女の叙述を。”語られる”のは僕のタイプと彼女の声の間にあって、僕の指と彼女の唇、その不規則でなだらかな、穏やかな律動、繊細な、その指と唇の動きの中で、”語られる”。
タイプする、なぜ。なぜか、それは、声には触覚が必要だから。ボイスオーヴァーというのは、言葉を殺し、死んだ文字を書き写すことだから。手触りのある音楽が必要だから、何に?、それが物語だ。彼女によって、僕と彼女の間で、声、タイプ、指と唇、この部屋、スタンドランプ、窓、海、僕によって、彼女と僕の間で生まれていく物語。
僕がタイプしながら、そんなふうに考えている間にも、彼女はその物語を語っていく。    

2011年1月15日土曜日

生まれる、立ち上がる、実る。(卯龍巳)

ボクが喀血?した黒胆汁を、Mはカップにすくいとって、ハンバーグステーキのソースに使った。
「きっとおいしいだろうさ、コクがあってね」
フライパンでの中で肉汁と赤ワインと煮詰められていく。そのソースは暗い紫の照りが出て、確かに食欲をそそった。

まさにブータンノワール、演出された血と肉の魔術的で蠱惑的な濃厚で豊潤な匂いが、皿から立ち上り、運ばれていくその速度にのってそれぞれのテーブルから店中に広がる。

焼き閉じ込められた食欲は、ナイフとフォークで切り取られ、凝縮された憂鬱のソースとともに、若い女性客や、いたずら盛りの子供たちの口に飲み込まれていく。

ボクの精神は実体としてのメランコリックに形をかえて、液体として気体として空間を、漂い、侵食した。

ディナーに仕込んだ20枚のハンバーグステーキはすべて誰かの胃袋に収まり、彼ら彼女らは家路についたのだろう。
ボクの憂鬱は彼らの中で消化されたのだろうか?

少し残っていたボクのソースを、ボクたちは店を閉めたあと、鴨のローストの切れはしとバゲットにつけて食べた。

まさか

「憂鬱は、かくも甘美に美味なるものかな、だな」

SもFも、同意した。    

2010年11月19日金曜日

これからのセイギの話をしよう。

価値観というものの価値は、説得という行為の中で意味を持つが、それ以外のところでは共感と理解というまったく非論理的で直感的な世界でしか成立しない。

すべての結果というのは現実世界の物理的に「触れられる」行動に端を発するもので、人間と人間の間に目に見える形での接触があるとすればそれは力学的接触、つまり0より大きいところの力、それを愛撫と呼んでも暴力と呼んでもよいが、つまりそれでしかない。

暴力と愛撫の独占、その権力を一つところに持つ、それが神話的な絶対者に似た存在になることだ。


さて、ここからあまりにくだらない話をするけれども、

暴力の独占は国家に任せてしまおう。
もちろん国家の機能の最小のところに残るのは、暴力の独占とその運営であるからだ。
これは古い話でもなんでもない。
共同体が生まれるのは、個人では暴力、強制的な力を扱えないからという理由でしかない。

誰かを愛したりできずに、しかも自分の使っている言葉の意味もわからないような人たちに、
こんなものはくれてやればいい。


さて、もうひとつの力、愛撫について。

これだけを僕たちは握りしめていこう。
ビッグ・ブラザーが何といおうと、
愛撫というこの理想的形而上学的な物理力だけは、
しかも物理の世界以上のもの、精神という不思議で魅力的な存在に触れられるこの力だけは、
僕たちが可能な唯一の美しい力として、
しっかり握りしめていこう。
メシもなにもいらない。
たとえばそれ以上の楽しいことが、あなたには散見できますか、この世界に。


つまり、これからのセイギのはなし。    

2010年11月17日水曜日

宴の終わり、食べること



   

2010年11月5日金曜日

余りだらけの毎日の合間に。



   

2010年10月23日土曜日

me, listen to me.

感性に理由はいらない。


そしてボクは、不確かなものを愛したい。


これはボクの180度の転換だ。    

2010年10月19日火曜日

Life is difficult/because of ?

今日は、世界の歯車と歯車がずれている。

人々の動きが、合わない。

いたるところで、人と人が、車と車が、動くものの全部同士がぶつかっている。

渋滞がおきている。


それは見る方の問題?

ボクがそういうものに気を取られているだけなのか。

それともこの小規模なカオスの中心にいるのはボクなのか。

カオスの中心。

不細工な自己愉悦に浸ってしまいそうな言葉だ。


もっとナルシシズムに耽溺したい。

だから努力も続くのだ。


つぶやきつぶやき。    

2010年10月11日月曜日

ユトリロを、見る。

芸術史的な意味が、それほど強い画家ではない。

最近の美術批評は美術史的な立場からなされることが多く、傾向としては強いので、そういう影響を受けている若者としては、少し興味の持ち方にとまどってしまう。

ただタブロー、絵画作品としての彼の絵には、時代と場所、そして彼自身の人生の「空気」といったものが溢れている。

ある時代のある街を生きた1人の男、人間の心性とまなざしが、その白い漆喰の教会や、閑散とした街路、彩りのある広場に注がれている。

彼の絵に何を見るのかは各人の自由だという美術鑑賞の大前提をもう一度自分に再提示してボクは、彼に、

一杯のコップ酒、その詩人の世界への愛

を思う。    

2010年9月14日火曜日

ある日の、mr.custard氏の見解。

「芸術家という劇薬を、全員がしっかりとした方法で服用できるようになじませていく。それが批評家の仕事ですね。劇薬というのがエキセントリックな表現に過ぎるのであれば、それはサプリメントでも何でもかまいません。つまり未だ発見されていなかった、または新たな技術によって新しく生み出された、良薬かそれとも毒物なのかもわからない何か、しかしどちらにせよ人間や社会に新しい何かをもたらすであろう何か。突然現われたその何かを、何であるのか、何でありうるのかを提示してみることが、批評家の創造性であり、唯一の仕事です。芸術家が、自身の芸術が他人にとって何となりうるかを必ずしも意識したり理解したりしているわけではありません。しかしせっかくの素晴らしい創造が、誰にも理解されないままにされることは、あまりに悲しい。そこにメディアとしての批評家の存在の意義が出てくる。それは特に写真芸術において顕著でしょう。写真による現実世界のクローズアップまたは異化効果は、一見ただの撮影でしかありません。その撮影がどういう意味を持ちうるのか。写真には往々にしてタブローとテクストが不可分なものとして設定される。だから誰かが語らなければいけなくなる。それはもちろん誰でもいいが、しかし誰かがなくてはいけません。そういった芸術の状況は現在すべてにおいて必要になっています。そしてその言葉はもっと社会全体をまきこんだものでなくてはいけません。だってそうでしょう。素晴らしい新薬は誰しもを幸福にできるはずなのですから。永遠に高度な医療センターでしか可能とならないものなんて、そんなエリート趣味は誰も幸せにしません。喩えが散漫になってしまいましたが、私はそんな風に思うのです。」

「スナップショットの重要なのは、『暴き』という『再認識』です」    

2010年9月11日土曜日

たとえば言葉が消えていく、みたいな場合に。

多義的なあいまいさのない、世界。

それは清潔でシンプルかもしれないけれど、

そういう世界を想像すると、

ボクは随分とさみしくなる。


感動や情動みたいな、という非論理的で無根拠なもの。

しかし、そういうところに最後の喜びがあることを、もっとずっと信じたい。

馬鹿馬鹿しくても、馬鹿馬鹿しいと思えても。

そういった簡単に信じることができないものにほど、未来の希望が見えるかもしれない。    

2010年9月5日日曜日

フィードラーをかじる、において。

美とは、真理の半影であり、故に最終的には理性に属するものであり、そこには唯一絶対の評価があるとする芸術観は、美術史においては前近代的であるとされる。

美術のモダニズムは芸術自身が芸術というもの自体の存在を再帰的に揺るがすことであり、そうして紡がれる歴史的なコンテクストの紡がれかたである。

その二つの時代の間に、一つの芸術論があった。

それは「神と人間」の世界から出発したものではあるけれど、そうであるからこそ美を神のものに、芸術を人間だけの問題にして、人間の芸術というものがどのようにしてなされるかを理論立てたものである。

神が想像した自然の美しさや万物に宿る一切の美は、そのまま神のものであり、人間にはそれを模倣することなど不可能である。
そして芸術はそれら美を受動的に模倣して、また鑑賞はその模倣をまた受動的に受け入れることではない。

人間の芸術、それは、彼が世界をどのように捉えたかという感性の能動的な具現化である。

『精神的なものが、感覚的な形となって表れる』

ヘーゲルの定義を、フィードラーはよりいっそう意義ある形で未来に渡したのだ。

セザンヌが自身の視覚への忠誠を誓ったとき、眼前のヴィクトワール山はその輪郭を失った。

しかしそのセザンヌのタブローに中にこそ、彼の真実の風景が存在し、彼の芸術は現実を真実的なものにならしめた。

このとき人類史はようやく模倣技術としての美術から、芸術性による創造としての芸術という概念とその時代を迎えたのだった。    

2010年8月24日火曜日

感傷の段階説。の嘘

『最初の命題:「つまり鑑賞とは、感傷である」』


テクスト(テクストというのは描かれたものであり、それは最も広義なエクリチュールだと考えてよい)が読まれるとき(読むとは、受容することである)、それは二種類の曖昧にではあるがしかし大きく異なった方法で為されている。

その内の一つは自身に還すものであり、もう一方はテクストそのものの背景に還すものである。
前者は感傷する(鑑賞する)主体に特別な彼自身の印象であり、後者には鑑賞する(こちらもいくらかの感傷を含んでいる)主体による読み方の差異はほとんどなく、仮に存在したとしてもそれはそのテクストの水源(それをコード化したであろう生産者(コード化とはここで、何らかのメッセージをメディアという形態にパッキングすることである))に帰され、還元される。

感傷とは共感であり、それを個人的な体験の集積に積み重ねるのか、それとも鑑賞することで創り出される解釈をそのテクストの背景に積み重ねそれについて何らかの感慨に耽るのか、という心の作用であり現象である。

想いを馳せるその先に、誰がいるのか。と、その違いが存在している。



『最後の命題:「自分の外に、世界は存在するか」』

もしかすると、あるのかもしれない。

これこそ新世界・新世紀の最初の命題である。    

2010年8月19日木曜日

あるはずもない"スペシャル"についての楽観的かつ悲観的な希望。

見られたことのない「見方」を。

それは何にも則していないものであってもかまわないが、

意味のあるものだと主張する勢いを放つものでなければならないだろう。


つまり暴力的な新時代的な暴力を、この際に叩き付ける恣意的な意志で。    

2010年8月5日木曜日

ワンダーランドの退屈。

いわゆる「3D映画」では、今日の黎明期にあって、

その技術的効果を作品中で顕示しようとするあまり、

映画の物語自体の叙情やテンポが殺されているようだ。


私たちに向かって巨大なクリーチャーの顔面が迫り、踏み散らされた障害物が飛来するその度に、その瞬間が意図的に強調され、一瞬一瞬が引き延ばされる。

その度に私は、私自身がこの瞬間に「映画を見ているのだ」と改めて認識させられる。
スクリーンが強引に私にその存在を迫ってくるその度に、私はその存在の押し売りによって、何度も何度も現実に引き戻されるのだ。


つまり3D映画技術は、好意的に捉えるならば、映画鑑賞において新しい視点を生み出したことになる。

それは映画を鑑賞するものに、改めて彼らが「映画を鑑賞しているもの」であると意識させる視点である。

映画の中に取り入れられ、その世界に同調し共感するのではなく、その世界の外から、いわば二つの世界を自由に重ね合わせて物語を楽しむ。そのような新しい享受の作法が生み出されたのである。


3D映画黎明期の構成はまだ稚拙である。その未熟から、ティム・バートンの独創性は失われてしまった。
ジェームズ・キャメロンはさすがに"Mr.ハリウッド"としての文法の、テクノロジーとの親和性から、優秀な映画を作っている。

新しい技術がその技術がもたらす均質性を失うのは、いつになるのだろうか。
それが楽しみだ。    

2010年7月30日金曜日

――ダリ「眩暈」について

芸術は私たちを喚起する。

不安、喜び、恍惚

芸術は、それら自動化していく日常の中に忘れられた心性を隆起させて、私たちを感情の渦の中に。

目の前のタブローは私たちを、私たち自身の中に投げ込む。

彼は私を、私は私を、嗤う。

――

世界のどこかにある「崖の中の崖」とも呼べる鋭く美しい巨大な崖に、ただ球体が位置している。

なぜその球体は、私の気持ちを不安定にさせるのか。

私を形作るいくつかのパーツが次第にずらされていくようだ。

私はその球体に共鳴している。

球体の位置、状況。

私は球体を「読んで」しまう。

私の経験的な感情や記憶の追体験が、その球体を通して私に迫ってくる。

いつか私はそのような球体であったのだろうか。    

2010年7月24日土曜日

7/24:誰かの主観が教えてくれること

ゴッホの「糸杉」や「黄色い家」に描かれた世界への眼差しは、

世界というのがそのように見える、また、私たちが既にそのように見ている事実を再提示する。

不安や何ものかへの幻惑を私たちが抱えるとき、事実私たちは町並みを街路をまったく本来の姿――そんなものを心の中で定義することは不可能だが――から逸脱した心象で捉えている。

少しの麻薬で空と地面は反転し、空間は歪み、時間は過去から未来への絵巻を魔法のように開いていく。

「この絵は、20世紀が忘れた理性の輝きを教えてくれる」

誰かが何かの絵画について、それほど意味のないこのようなコメントをするとき、

それでも私たちは、主観の無限な拡大が、私たちに主観というものがあったことを、そしてそれが私たちの想像よりも遥かに大きく私たちを支配していることを、学ばされるのだ。    

2010年6月25日金曜日

悠久の雑文描き。

雑音、卑しい醜さ、泡沫、ケバケバしい色彩。

分裂症的な想像が、さっと脳髄を引き裂く。

想像すること自体に愉楽があるのか、それとも本当の破壊趣味なのか。

前者は想像以前に訪れる快楽、に対して後者は想像による快楽。

「想像すること」を軸にして反転している二つの快楽世界。

その境界を自在に行き来して忘我していく第三の悦楽。

イメージと観念の強度。

その世界。


<失われた身体を求めて>自分を忘我の果てに連れて行く。

体を壊すほどの刺激を自分に与えて上げるその理由は、はじめに世界の現象学的還元、そして空白の世界での私との再会、そういった新たな獲得。

それくらいのことだろう。    

2010年5月18日火曜日

5/18

彼女にあって世界はもはや、「永遠の相」のもとに入っていた。

永遠の諸相の一方はグローバリゼーションによるセントラルキッチンによって形作られ、もう一方はあらゆるものの既視感で彩られていた。

彼女とは、何だったのか。

彼女は、その中で遊戯すること、完璧に演じることを決めていた。

機械化された少女、それが20代前半の彼女だった。

彼女がこの本で、「もしかしたら<私>というものがあるかもしれない」と感じたのだろうか?

だから彼女は書いたのか。

私自身による私は、私を見つけるための夢なのではないのか。    

2010年5月8日土曜日

5/8

「僕はいろんな快楽に手を出してきたけれど、ついに外科的なもので身を崩すということはなかった。僕の外形的な荒廃は、もし僕がそれを評するのならそれはひとえに僕自身の精神、僕の精神があまりに僕を捉えて離さなかったことにある。終わることのない自意識の自縄自縛が、僕にとって最も大きい快楽に転じてしまったことにある。
あらゆる他者に対するあらゆる行為によってもたらされる快楽というものが、結局はその快楽を感じている自分自身の問題であって、快楽というのはつまり僕自身の内部世界の生産物、僕が何かを想い何かを考え感じそれに対する生理的応答としての僕自身から僕自身への分泌でしかない、ということに気づいたんだ。
それならば、快楽というのは自己充足的なものから始まって自己充足的に終わるものだし、自分が自分を行為の対象とすればいい、僕は死なない限り、この快楽の生産機構としての身体が壊れてしまわない限りは、自分は自分に対して何をしてもいいし、自分の最大の理解者である自分を玩具にしてやろう、そう思った。
マスターベーションが最も有効な情の排泄であるから、そこに精神の味付けと現実の対象を与えれば――そしてそれは自分であることが最も素晴らしい――それは無上の快楽、死への本能の甘噛み、そんな天国のような地獄に落ちていける。
自虐の詩、甘美さにおいてこれほどまでに崇高な芸術形式はない。」    

2010年5月5日水曜日

日常凡譚 〜 様々な一人称の形として

ぼくは、まず魚料理というものをしない。

それはなぜなら、まず特別なスキルが必要とされるものであるし、京都みたいな――たとえばの話だ――内陸に住んでいる人間にとったらそれこそおいしい魚介類を手に入れることがそもそも困難だからだ。
それにもっと生活臭いことを言えば、処理をしたあと、その臭いにもなかなか困ってしまうということもある。
生ゴミが、本当にその潜在能力を爆発させて生ゴミの能力を存分に発揮してしまう。

他にもいろいろ細かいことを言い出せば、それらはボクの生活上の価値観やスタイルとも絡まって一つの言葉の小宇宙を形作るだろう。
やめておこう。

とにかくそういった理由からぼくは特別の必要ない限り魚料理をしない。
切り身を買ってきて、ということもしない。
さんま一匹をただ焼くだけ、ということもしないのだ。

僕の人生における魚の調理は、先の未来にとってある。
それはたとえばきれいなお嫁さんが出来たとき――<きれいなお嫁さん>と<おいしい魚料理>の間にどんな関係があるかはわからないけれど――や、料理人になるというような微妙な夢を志したときなどのためにとってある。
つまり家庭での魚料理というのは、僕のライフコースにおいては次なるステージであるといっていい。

そのかわりといっては何だけれど、色々な肉料理や、パスタ、ピザ、などの一つのお皿に収まる範囲での特に洋食料理であれば、ぼくは結構好きで凝ったものでも面倒ではなく作ってしまう。
その中でも特に好みなのは、ソースは煮込みなど、どこかで時間をかけておけば、いざ食べるときには本当にシンプルな手間でおいしく食事ができるということを約束してくれるものだ。
本当に彼らはぼくを幸せな気分にさせる。
休みの日の朝と、普段のちょっとした時間との関係が、そんな簡単なことで結びついて、何かとても充実した生活のサイクルを営んでいるように、ぼくを錯覚させてくれる。
実際に今も、この最後の休日に、キッチンではトマト・ソースがぐつぐつと作られている。

トマト・ソース。

トマト・ソースはぼくによくこんな形で声をかけてくる。

「おればかり、見るなよ」

「どうして?」

「おればかり見てばかりだから、お前はいつも他のことに手が回っていない」

「それは丁寧に接しようと・・」

「だから、そんなアティチュードがよくないって言ってるんだよ。おれはそんなに見てもらわなくても、大体上手くいく。大事なのは最初と真ん中と最後、多くて3ポイントぐらいのもんだ。そんなにずっと、おれの前にたってぐちゃぐちゃやられた方が、こっちがイライラするさ。その代わりにお前がしなくちゃいけないこと、それかそれをしたらもっとお前にとっていいことは、お前がしなくちゃいけないこととか、それをしたらもっとお前にとっていいことをやるってことだ。そうやって上手くやってかないと、お前は本当にダメになる。わかるだろう?」

「うん、わかるよ」

「あぁそれと、トマト・ソースはしっかり煮詰めて濃くしておくんだぞ。後で色々便利だからな。」

もうすぐ現在進行形のトマト・ソースが出来上がるころだと思う。
このタバコを吸い終わったら、見に行こう。
トマト・ソースを作る間にできることといえば、タバコを2本吸って、英国首相の失言をニュースでぼんやり眺めることぐらいのものだ。

※誰かがここまできて、まったく誰かの文章みたいだと思えばそれは正しい。そういう文章なのだ。    

2010年5月1日土曜日

5/1

語り得ないものを語り得るようにするために、ここでは視点の移動が行われています。

一人称私小説を解体し、その骨格を<ずらす>こと、不自然な構成の構築の中、その要素同士の隙間に歪にできあがった空間に何かしらの雰囲気や感性が表れるのではないか、そういうことを試みています。

そういうことなのです。    

2010年4月26日月曜日

4/26

「リリカルなポイント・オブ・ビュー(ヴュー)」。

たとえばこれは、「詩的な観点」や「装飾されたロマンチックな見方」と日本語表記していい。

更に言えば、「リリカル」と「ポイント〜」の間に挟まれた「な」という助動詞は、文法的も本来に必要ない。

"lyrical"は形容詞であるから直接"point"を修飾出来るし、ましてや日本語である片仮名に変換することも、現代の基礎的な教養に照らし合わせれば不要と言っていいだろう。

つまり何が言いたいかと言うと、と、次の話に展開する場合も、本来的には「つまり何が言いたいかと言うと」と言う必要はない。

「つまり何が言いたいかと言うと」と言うこともなく、事の本旨を述べればいいのである。

それでもつまり、何が言いたいかと言うと、必要最低限の言語活動というのは、何とも趣がないものであるか、と思う。

当然、"point"はその前に”the”が必要であろう。

しかし、それら厳密な文法考察や、言語の文化的考察を行っても、「リリカルなポイント・オブ・ビュー(ヴュー)」という言葉の語感やその表象性は変わらない。

言語表現の美しさは、言語を連ねることの量、そのバランスにあると思う。

そして長く語ることを目指せば目指すほど、その美しさは維持し難く、かつ、長く語られた美しい言葉ほどに体力のあるものはない。



ある意味があることに、意味はない。

ある意味があることに、意味があるのだ。    

2010年4月20日火曜日

4/20

19世紀欧風のように植物を慈しむのは難しい。

それは色合いや生態についての無知によるものばかりではなく、それが始めから意図的に配置されているという事実も大部分の理由であると思う。

感動しようにも、その初期衝動が去勢されている。
庭を愛でるのは人間性への賛辞を謳うことだが、自然とは自ずから在ることに、我々の感動の価値がある。

そして上記の問題は、始めから問題となり得ない。

なぜなら日本人の修辞技法は、その対象の捉え方がそもそも違う。

花は花であり、草は草である。

心象とその美しさは、始めから私の心にあるのだ。

ーーーーー

無為な時間、それがはたして何たるものか。    

2010年4月19日月曜日

(雑記雑気ブン)4/19

専門家の議論でもまったく無関係な市井の談話であっても大差はないが、道徳だとか道義だとかでは一見判断が難しい知財の分野では、たいてい検討外れな議論と結論が出されることが多い。

ワイドショーのコメンテーターには、それについてコメントする知識も見識もはじめからないからそれはモラルの問題として片手間に処理されて、その手のシンポジウムや政府の有識者懇談会とかの技術的な場所にあっても、大体は老人たちが過去の理論を持ち出して、現状について真剣に考えようという気などはない。

ローマの時代からほとんど変わることのない法律学の中では、知的財産の分野は、その他経済法の分野とも合わせて、唯一現実との関わりの中で変化していくものだと考えていい、と、ボクは考えている。

実際訴訟の段階で、ボクは法廷に立つことはないし、第一そうならないようにするのがボクたちの仕事なので、ボクは少し気分転換が必要なときには、近くの裁判所で、どんな裁判であってもいい、強姦でも不動産でも何でもいいが、そういったものを傍聴席で漠然と眺める。

裁判所というのは外観から何まで適当に整理されていて、あまり汚れたものを見なくていい。そういった具体的に清潔な環境の中で、抽象的で複雑な人間の深い部分、それは美しくも醜くもなくただ複雑だ、を考えるのは、とても精神衛生的にはいいと思える。映画館で映画を見る、それとまったく同じだ。

その日は特におもしろそうな訴訟がなかったので、裁判所の周りを囲む桜がもう見頃を失って葉桜になったその向かいにあるレストランで、香草でグリルしたスズキと白ワインをグラスで飲んだ。

街の中心から少し北にあるこの部分はほとんどの公的な施設が集まっていて、大路をぶらぶらと歩いていると、そういった施設での方向を案内する看板があちらこちらに出ている。

「知的障害者支援施設」

たくさんの施設を案内する看板の中に書かれたその施設の名前は、「知的障害者」の部分が上からテープで貼り変えられてあった。

もともとは何かの施設であって、それが時流や要請に合わせて、それともただ以前にそこにあった言葉だけが問題であったのかもしれないが、新たな名称ともしかしたら新たな役割を与えられていた。

こんなことを考えるのは無意味で、ひょっとしたら傲慢に映るかもしれないが、言葉というのは何とも無意味で不気味で無節操だと、ボクは思った。

知的財産、知的障害、その背後にある世界はずいぶん違う。

ただ違うというだけで、それ以上に何の感慨もない。

ただ言葉というのは、それ自体にはほとんど意味がない、と思うというそれだけだ。

スーパーマーケットに並べられるように、知的財産権も知的障害者もクリームパンも洗濯溶剤も、誰かの手にとられて、棚から出されたり戻されたりしていく。

すべては組み合わせだけの問題で、それについて抽象的な問題は何もない。

ボクの生活に限っていえば、スーパーマーケットとホームセンターとドラッグストアがあれば、その生活は十分生きられるものになる。

それと最大多数の最大公約的な音楽とニュースを話題にしていれば、それが社交の十分であり、むしろ必要な教養となる。

目の前に置いてあるものを、何も考えずに、手に取って、並べて、置く。

それだけで、ボクの人生は無為に過ぎて行く。

無為に自然に十分に。

タバコを吸うのに、マッチはいらない、そういう感じなのかもしれない。

つまらない、とか、おもしろいとか、そういう話でもない気がする。

そういう現実に、どういう姿勢でいるか。

そういう問題だろう。

つまり問題など、、ほとんどないのと同じということだ。    

2010年4月15日木曜日

4/15

人々はみな全員、それほど賢くもなく、そして馬鹿でもない。

人間の行為、その背景の大部分は、直感や感情、感性、本能的な欲情によって占められており、理屈や理論、理性というものは往々にしてその「当て書き」として作られる。


人間には二つの動物の本能がある。

無動機の愛と、残虐の愉快だ。    

2010年4月14日水曜日

4/14

何の現実物もなしに、現実感を生じさせん。

今世紀の現実の課題に、嫌々ながらも取り組まんが現代人の義務。

さは義憤に駆られるも、日々苛まれる苦悩は如何ばかりか。

児戯か大義か、それとも大儀か。

泣き言を言うことも叶わぬ。    

factotum - my selfish theory of my affection.

アパートメントの外灯から、賑やかなネオンの光へ。

乱立する建物群の無数のキラビやかな光が、黒く磨かれたセダンの肌を撫で付けて、名残惜しそうに後ろに流れていく。

そういう一切の景色に無関心に目をやりながら、みほちゃんは後部シートの窓からただその流れていく光の強度を目に受け入れている。

青、黄、赤、レッド、オレンジ、紫、LED。

単純で鋭い閃光が、単調に彼女の角膜を刺激し、脳裏に残像を残していく。

一見すればそれは人間の享楽趣味の歴史、欲望を喚起させるためだけに積み上げられた醜い資本主義の娯楽産業の塊のように思われるが、そのために流された多くの汗や個人のドラマを考えると、またそれは何ともロマンティックな都市の時間を感じさせる。

ただそんな膨大な背景も、時間と切り離された他人から見れば、それはただの環境の一要素、ただの光の刺激がそこにあるという、偶然そこにあるだけの何かでしかない。

みほちゃんはじっと、それを眺めている。


車は細いアパートが密集する道の片側に停まり、運転手は外に出てドアを開けた。

彼女が玄関のブザーを押すと、出てきた男は手をとって階段を上がり、二階の部屋に案内した。

多くの人間がほとんど体の自由を奪われるくらいに溢れていて、その間を何人かのウェイターが酒を運ぼうと、そのトレンチを上に突き上げて器用に間を縫っている。

彼女を案内した男はどこかに消えて、別の男がみほちゃんの姿に気づいた。

「やっと来た。こっちだよ」

みほちゃんは首を少し傾けると、そばのウェイターにウォッカ・マティーニを頼んで、人混みの中を進んだ。

男は彼女を近くにいた人間に順番に紹介して回った。

届いたマティーニに口をつけながら、みほちゃんは軽い頷きと笑顔を続けていく。

「不満かな?」

部屋のはしに空いたソファに座って、男は聞いた。

みほちゃんはまた首を少し傾けて、意外ね、というポーズをとった。

「不満なんて、ないわ。十分、満足。だってこんなにみんなが楽しそうなのに、私が何について<満たされていない>と感じるの?私は何とも衝突していないわ。私には明日なんてないし、今はおいしいお酒がある。そんな私と、楽しんでいるみんな。どこにも問題なんてない、素晴らしい世界よ」    

2010年4月12日月曜日

4/12

ダンディズムとかヒロイズムとかは、享楽趣味の中からしか生まれない。

大衆の群衆主義というのは、いつの時代も衆愚的平等を主張する。

成熟したピューリタン社会では、精神の貴族性は断罪され放逐される。

権威が弱体化した現代にあっても、そうなのだ。


しかし、恐れずに声高に叫ぶこと。

味覚が鈍るからと、タバコを吸わないようではいけない。

より一層の、堕天する快楽と勇気。

それが権威なき時代のダンディズムには、むしろ以前よりも求められているのだ。    

2010年4月10日土曜日

factotum - at the

人混みの間からぐっと突き出された手には、レコーダーのマイクが握られていた。

2杯目のウォッカ・マティーニを飲み終えたあと、それが慣習上のルールだった。

タブロイド紙の質問に、彼女はこう応えた。


「私はすべてを受け入れるんです。だって大事なものはちゃんと私だけのものにしてありますから。」    

2010年4月8日木曜日

factotum - 嘲笑

「春は曙。やうやう白くなりゆく山ぎは 少し明かりて」

寒暖が毎日入れ替わり、三日間ずつ雨と晴れがやってくる。
そのちょうど隙間に、それら一切の天気天候のバランスが静止させられたような夜。
AM4時。
穏やかに暖かい風が、サクラをゆっくりとした雨のように斜めに散らせていく。
花街の舞台セット、淡い緑の柳とサクラが灯籠の白熱球の光で闇に浮かび、川沿いに延びる石畳の路には、桜の葉がゴミのように溢れて散っている。

ダニエル君はゴミのように溢れたサクラの花びらを手ですくい、夜の闇にばらまいた。
化粧用のコットンのような手触りが不気味なくらい心地よく、ほとんど何も感じないほどに軽く体を擦り抜けていく花吹雪は、どれだけ彼がサクラというものに何の愛情も持っていないか、一連の動作や感傷がどれだけただのファッションでしかなかったか、そしてそんなものはお見通しで、どれだけ私たちがサクラをやっていると思っているのか、甘いのよ、という女性的な侮蔑と嘲笑を彼に教えた。

はなで笑うサクラに、ダニエル君は納得して、少しすねた気持ちになった。

質量を持たない、サクラ。物体。
色だけが強い、サクラ。存在。
サクラ色という色だけが存在する存在。サクラ。

バーの仕事が終わり、最後に飲んだ赤ワインが彼の意識を外に外に流し出して、それを抑えようと一気に口にいれたまっすぐのオールド・クロウが、息と目頭を熱くさせた。
瞑想するように目を細めたり見開いたりしながら、ダニエル君はサクラの葉を一掴み握りしめたまま、自室に帰る道、仕事場であるバーと自室のちょうど真ん中にある白い木造の缶詰バーの重いガラス戸を開けた。
北欧的でドイツ的、ストックホルムという言葉の色合いとブリューゲルの描いた冬の森のような土臭い白さがそのまま具現化したような木造のきしむ、バーだ。
ダニエル君は、重いガラスの引き戸に力をかけて開け、中に入り、体を反対にして、また力をかけて引き戸を閉めた。

「ごめんなさい、サクラの花びらなんだけど、ドアを開けようと思ったら捨てるしかなかったんで、外にまいちゃいました」
「全然問題ないよ、どうぞ」
「生ビールください」

ダニエル君は勘定台兼物置台のカウンターの前に付けられた低いカウンターテーブルに、箱馬くらいの高さの低いスツールにお尻をのせて、床にカバンを降ろした。
「はい、どうぞ」
ちょうど彼の目の高さの高い方のカウンターの上に、生ビールと、店に預けてあったカンパリの瓶が置かれた。
「春はカンパリ。白くなりゆく泡立ちは 少しエロくて」
カンパリ・ビア、サクラ色のルビーレッドに染められたビールは、ホップと柑橘のふたつのほのかな苦みと甘さが鼻にぬけて広がる。

サクラ色、苦み。

「で、どうするの」
「まぁ、今はいいよね。若いときだ」
「何かやらないで、どうするの」
「何もないのか」
「何かないのか」
「こんなのもいいんじゃないの」

「まさか、言えるわけないじゃないですかねぇ。書いて、暮らしたいだなんて。子供じゃないんだから」
   

2010年4月5日月曜日

factotum - 談笑

ボクは、以前にダニエル君が話していた、ダニエル君がみほちゃんに宛てたメールの内容を聞いたときのことを、契約書作りの作業の合間、血行不良の眉間を親指と中指で指圧して、目をぐっと開いて、首を回してタバコをくわえ、オフィスの外に、他の事務所との共有スペースに取り付けられた分煙室で一服吸おうとして、思い出した。

Deer Miss Holiday Golightly.
僕の英語は稚拙だから、どうか許して。アフリカはどう?

こっちはやっとまずまずの暮らしが出来るようになってきました。
(僕ももうあれこれ浮遊感を感じることも昔に比べて減ったしね:-) )
僕にはそっちの生活なんて全く想像もつかないけれど、たまに届いていた君の手紙からすると、君にはやっぱりマッチしているんだろうね。

君があの建物と、あの街からいなくなってずいぶんと経つ。
その間も僕は、君とはしゃいだあの橋や、公園(僕はあやうく死にそうになった!)をたまに歩けば、本当にバカらしいんだけど幾度かは実際に君と一緒にいるようにも思ったんだ!本当に、現実のようにね。

こうして手紙を書こうと思っても、君のことだから、またどこか遠いところで楽しんでいるんだろうし、結局見ることもないかもしれない。

それでも、僕は君が大好きだから、やっぱりこれを郵便ポストに入れることにするよ。考えても仕方ないってことに気づいたんだ。君はいつも"traveling"だしね。

また近々、あの場所達(君がお面を盗んだグラッセリーにも行かなくちゃ)を訪れることもあるかもしれない。

その時には、また君の夢を見るんだろうか?

from your "Fred"

「今でも、あのときと気持ちは変わらないね。いや、好きとか嫌いとかの気持ちがじゃなくて、そのとき自分がどういう気持ちで彼女に話したかということを考えると、そのときの自分は今でも自分の中で生きているってことね。よく言うような、若いときの自分はもう別人だ、っていうのが、少なくともこれにはない。ってことは、悪くないんだよね、たとえ別に意味もなくて、よくもなくても。」
「そういうふうな気持ちの伝え方か。嫌みじゃなくて、感心するよ。ボクにはまぁ、できないしね。そういえば、そもそも人に自分の何かを言うっていうことをしないな。」
「そもそも人に何かを思うってことが、ほとんどないんじゃないの。大文字の<ひと>から入るよね。<ひと>全部にざっくり印象をもって、そっからこう個人とかに感情移入していくじゃない。ぼくはチョロQみたいにこう、当たっては捨ててって感じだけど。最初から付き合う人に対して慎重な段取りがあるよね」
「でも姿勢は変わらないよ。お互い、傷つくのは嫌いだよ。小さな円を広げていくか、大きい円をせばめていくかの違いだけじゃない。」
「はい、落ちましたね。見事」

タバコの濃厚な煙とアルコールの上気する芳香で歪められたボクの部屋で、ミュートされた深夜のテレビショッピングだけが乾いた動きを繰り返す。
朝が来るのがなぜ憂鬱かと言えば、無生産なことがわかっているのに、さも意味ありげに生産してますよというロールプレイングの世界に戻らなくてはいけなくなるからだ。特に大学なんていうのは、そういうところだ。本当に何にもならなくても、何もやってないことすらもやってることになるんだから。大学生なんて固有名詞は、社会から抹殺したほうがいい。

ボクは若いときに、思えばそれくらいのことを思ったものだと思い出して、笑ってタバコを灰皿に潰した。
今でもそう思う。少し気を抜いたり緩んだりすると話の進め方がラディカルになってしまうのは、変わらない。
ただ、仕事のいいところは、給料が出るということだ。やらないこととやることの間に、はっきりと線がひかれる、そこが気持ちの落ち着くところだ。そうじゃないなら、何も変わらない。ただ弓なりの体力の推移だけのライフコースがあるだけだ。
ボクははっきりと、<ひと>の生活リズムに、自分に生活のリズムを合わせてしまった、そういう生活と日常を自分に与えてしまった。
これが悪いことなのかどうか、それがわからない。    

factotum - ●

「いいかい!そのイスから少しでもお尻をあげたり、意味なくバカみたいに大げさなリアクションなんてしたら、殺してやる!そのふとももを思いっ切り打ちつけて真っ青にする!とりあえず黙って、くだらないことはしないで、適当な顔をしてればいいから、とにかくボクの話を聞いてるんだ。いい!そう、体育座りでもなんでもいい、ドアの方は見るな!とにかくここにいるということだけを誓う、ボクにくだらない疑いや憤慨をさせないこと、脇道によらなければいけないようなことは一切させないことだ!ボクはとにかくちゃんと話したいんだ、キミはどうでもいい、だからキミをどれだけ痛めつけてもいい、別に痛めつけたくはない、つまり本当にキミはどうでもいいんだ、ボクは落ち着いて自分で話していたい、キミはそれを聞いている、ただそれだけの平和がここにあればいいんだよ、わかった!?」    

2010年4月3日土曜日

get back, cut back.

現在にしても、それとも過去のことを今にまた考え直してみるにしても、

たとえば、「そういうことだ」という文末と、別の言葉で漠然としたイメージを生み出すことによって、そのニュアンスやメッセージを伝えようとする文体があるように、

別の状況や状態、異なった性格や身体によって、物語やその世界を紡ぐということが出来るし、そのことは証明されている。

そして、それら<変換されたものたち>の一つ一つに明確な連続性を一見して感じることが困難な場合にしても、しかしそれをテクストの読み手に了解し、納得してもらう、させることにもし成功する、成功するだろう自信をもってそれに望むことができるならば、

言葉のひとつひとつの外形的な連続というのは、まったく意味のない、そして意味のなくていいものになり、言葉、文章、文体、紡がれたストーリーは、その全体的な統合のために存在させられるのだろう。

男根のように反り返る鋭利で力強い屠殺包丁にぶち切りにされるように、文字と文章は悲鳴をあげる。

それがある種一流の創作の条件であり、必要悪、どうしようもない犠牲なのだ。    

2010年4月2日金曜日

ある発作。

「なんだか急に、その、苦しくなるんです、そう、学校に行く道の途中とか、お風呂でシャワーを浴びている時間とか、あと寝るときもそうです。息ができなくなるんです。どんどん疲れて、どんどん元気がなくなっていってしまうみたいな、そんな感じです。それであと少しでもう力尽きてしまう、そのギリギリのところでやっと自分の命が助かったと思うんです。もう体が汗でびっしょりしていて、心臓も呼吸もぜいぜいしているんです。そのあとは、すごく気分が晴れていく感じがします。どこからともなく爽やかな気持ちのいい風が吹いてきて、ぼくの熱くなったおでこを涼しくしてくれるんです。」


「コールフィールド氏症だね。」


机の上のカルテにメモをとりながらその横顔でダニエル君の話を聞いていた内科医は、患者の話が終わると、自身の低いスツールを回転させて、メガネを外し、ダニエル君を正面に見た。

「コールフィールド氏症、そう名付けてあげよう。いいかい、君はこれからその病気と一生付き合っていくことになる。原因ははっきりとある。君の性格のある種の部分が、君の現実の問題を解決しようとするときに、君にそういう気分をとらせるんだ。でもこれは悪いことじゃない。むしろ、おかげで君は結果的には物事を肯定的に進めていけるだろう。いいね、君はそういう病気だ。これは治さなければいけないものじゃないし、治らないからってまったく恥ずかしがることはないんだ。誰かに悪口や、おかしい、とか言われたら、堂々と言ってやりなさい。そうだよ、そのとおり病気だ、でも君に何の関係があるんだ!ってね」    

2010年4月1日木曜日

我が肝を喰らう朝。

原始的な体内から、その味が受容される高尚な感覚器官に向かって、我が臓器を喰らう。

消化のために分泌された肝臓の液は、ついに対象を失ってしまった胃液の後に、我と我が肉体の愚かさをしっかりと見せつけるために、もともとそれが提出された機関、肝臓の味、それは豚や鳥のレバーを思い出せば足りる、肝臓の中でもとびきり苦い緑色の部分を、その立体的なテクスチャー、肝臓を、口の中に再構成する。

私は今、私の肝臓を喰っている。

腹中のあらゆる臓器、胃袋、膵臓、肝臓、腎臓のすべてが食道めがけて結集し、逆流し、下水に向かって吐き出され、そうして自身を構成している諸機関の実体を、頭脳が逐一認識させられる。

吐瀉は肉体の防衛であり、我が身可愛さによる生命連鎖の冒涜である。

私は、私全部の未来のために、我が子、我が肝臓を喰らう。

すべては私の精神の非生産だ。    

2010年3月31日水曜日

3/31

気持ちが、ぽかんと沈む。

こんなときに、他人はいらない。

永遠の時間が、

直立不動のこの状態のまま、

すぎて欲しい。

すぎればと願う。


酒の精神。

それは、しらふの精神。    

factotum - leave for

蝶になり、夢になり、世界を放蕩した後で、ダニエル君は改札を抜け、警報響き渡る巨大な現代建築の駅、乗り込んだ電車から、揺れる車窓の不明瞭な光の向こうに、誰も訪れたことのない田園風景を眺める。

終末への旅路。

そんなまたしても過剰なセンチメンタリズムに浮かぶ苦笑と恥を必死に堪えながら、彼は窓外のただ流れていくだけの彼のセンチメンタリズムに、何の感慨もないはずの哀愁、まったく彼の彼自身のための愛おしさに捧げられた哀愁とたっぷりの憂鬱を映す。

完璧に虚飾のない、自己愛の披瀝、その承認。

努力しても努力してもすぐに外に流れてしまう自己愛の理由を、ダニエル君は今日にあって初めて自分の掌に留め閉じ込めた。

「誰のものでもない、誰のせいでもない、ボクのナルシシズムはボクだけのもの。誰のためでもないし、誰かのためでなくてもいい。これだけは守り通す価値のあるもの。侵されない聖域。無敵の抵抗。」

ある一定のリズムで、時折、硬質な車両の、大蛇の胴のような痙攣を感じる。

自分の横隔膜が、それにつられて上下する。

ダニエル君はあまりの気持ちの悪さに、車中のトイレに入り、嘔吐した。

吐き出された吐瀉物と、嘔吐のためにきつく締め上げられた首、目の充血と涙に、彼はまた自己愛の快感を世界に描くが、洗面台の鏡に映る鬱血した自分の顔を見て、それが自分とは関係のない予定外にもたらされた世界の振動に由来していることを少し真面目に考えた。

電車の清潔な蛇腹の中で、その鼓動と一体になった彼の不健康は、彼が電車のスピード、都市と都市とをその間のあらゆる土地を無視しながら切り裂いて進むその進行、客観的には猛然とした車両の疾走と反対に在る穏やかな体内の平和、そういった想像を彼自身の中に取り込んだ瞬間に始まった。

電車を観測するその視点は、線路脇に鳴く泥だらけの赤目のカエルであり、相対論の宇宙である。

ロンドンで子供を虐待するベビーシッターの存在、隣人をスーツケースや川底に次々と沈めるアメリカの猟奇殺人犯を伝えるニュースに震えるように、彼は世界を引き受ける。

引き受けられた電車の、ダニエル君への愛撫が、今目の前に流れていった嘔吐を引き起こした。

そんなあまりに酷い彼の空想こそ、彼の行く先、到着駅の明快な答えであるかのように。    

2010年3月30日火曜日

factotum - standard deviation

4月と3月の祝祭、喧噪、にぎやかなパレード、浮かれる人々の熱気と消費欲。エネルギーと物質が、あらゆる価値が目まぐるしく交換される日常の祭典の中に、一人の獣がいる。
黒い影を地に落としながらその悪魔は、羞恥と自虐に酔い、そのための酒にまた酔い、人身の間に紛れている。何の暴力を披露するのでもなく、夢想するその惚けた視線に自分を引きずりながら、自己充足的な狂気、自分への問いかけと自分への応答、社会、テクノロジー、愛についての教理門答の循環があるばかり。獣の闇は、世間のどこにもなく、ただ彼の世界の中にある。その存在自体がそのレーゾン・デートルであるようなサディズム、彼の彼に対する彼のための虐待は、悪魔に誠実な羞恥と陶酔の涙を浮かべる。

自己憐憫とナルシシズムの国の王子。それがこの半獣、ダニエル君の正体だ。

人間と人間の間を縫うように駆け抜け、ぶつかりながら、体の疲労よりももっぱら自意識の過剰から来る切迫感にぜいぜい息を揚げて、ダニエル君はアーケードとアーケードを結ぶ細い路地の細いビルの三階、狭く急な階段を駆け上がり、ガラスのきれいなドアを押して、外光を遮断して薄暗い、オレンジ色の間接照明にところどころガレ風のランプを飾っている店内を、奥にくぐもる人影をちらほらと見遣り、手前カウンター中頃の椅子をひいて、若いマスターにアイリッシュコーヒーを頼む。
「アイリッシュコーヒー」
ダニエル君は、昨日読んだノベルが忘れられない。一季節過ぎるまではクリーニングしない雨風と太陽に擦られたブレザーと白いシャツの間、胸の暗い内ポケットに手を入れて、シガリロを取り出し、火を着ける。ゆっくり、吹かす。
「あんな童貞小説。ふざけるな。頽廃、ブルジョア、美男美女?、なに、余裕というところが大前提のつまらないドラマトゥルギー?嘘をつけよ。通り一遍等の描写と少し不思議(SF)なインテリ男女の乳臭い児戯。その配置が、出版だって?会社か。ならドラッカーでも読めばいい、というところまでもいかないんだろ、えぇ?くだらない戯れ言を何ページもやるくらいなら一発、やれよ。許せない、許せない」
それは彼のつまらないフラストレーション、何を為すのでもなくただ感想ばかりでウェブの海を汚している、ネットの海に惰眠を貪る廃退者、敗退することも勝利することもない自分可愛さと自分の許せない憎さからの発露であり、そんな鬱憤の発生の原因も事実も彼にはよくわかっている。だからこそ彼の党是は、表現という行為に、その行為自体に価値を与えているし、純粋なカロリーの消費でも、その事実の存在自体に敬意を払っている。
「それにしても、だ」
「お待たせしました。どうぞ」
「ごめんなさい。これと、ストレートでジョニーウォーカーを。赤で」
しかし、これも、スノビズムなのだろうか。今ここにある状況は間違いのない事実だけれども(少なくとも自分では証明できる。しかしそれでしかないし、それ以上でもそれ以外でもない!)、この自分の現実もまたあの文章の、通り一遍等の通俗文語の羅列、何のリアリティもない、少なくともある人間にはそう感じられる状況設定と同じように他人に存在するのだろうか。文学世界の状況をひとまず純粋に受け入れない、そんな読み手の方が穿っているのだろうか。自分の認める現実感しか認めない偏狭さこそが、他人に笑われているのだろうか。全員が全員、真剣に世界と意味を提示しているのか。審判し、批評する、それは思い上がりか?しかしではいつ、彼は彼を提出できるのか。脱構築することこそが正義と認めるならば(それが不正義なら、では彼は彼となるのか。彼の名札は生まれたときから変わらないのか!)、表現するとは諦めることでしかないのではないか。そうか、それが市場原理に原罪として呪われている現在の人間なのか。そうか、嫌でも他人の認証を獲たいと願うくせに、趣味の自由と高尚さを歌う旧来的な偽道徳の狭間で、ボクたちはブログとSNS、掲示板に、目を充血させているのだ。
「先生、理屈ご立派、しかし表現を諦めることもせず、かといって趣味を、わがままな生き方を諦めることもしない、そんな作家先生に、あなた、居場所と対価があると、そんな甘いこと、まさかお考えですか。いや、実にあっぱれ見事、ご立派ですよ!」
彼らは偉い。商品を生み出すこと、それこそが正義。交換こそが、生きる権利。無産こそが、不正。誠実さなど、ただの言い訳。人間と人間の間は、そうなっているのだ。そんな当然の手引きも知らない理解できない人非人に、人の間で息づく権利など、ない。

世界のある一座標、地表から浮かぶコンクリートとガラスの造形美、暗い人工照明に定義された箱型の空間の中で、煙とアルコールを纏う彼の思考もまた、論理と夢想の靄に消えていく。まだ熱いコーヒーにぬるいスコッチを生のままぶち込んで、上気する甘ったるいヨード香を思い切り吸い込んだダニエル君の胃が、まさに嗜好品の熱で満たされれる。
「パンチ!」
思考も嗜好も志向を失い、四方八方に爆発した。彼がさっきまで真剣に抵抗し拒否し続けたようなそんな戯れ言で、ダニエル君は今までの10分をすべて茶化して、冗談にした。
えぐく、暗い、冗談。