彼女にあって世界はもはや、「永遠の相」のもとに入っていた。
永遠の諸相の一方はグローバリゼーションによるセントラルキッチンによって形作られ、もう一方はあらゆるものの既視感で彩られていた。
彼女とは、何だったのか。
彼女は、その中で遊戯すること、完璧に演じることを決めていた。
機械化された少女、それが20代前半の彼女だった。
彼女がこの本で、「もしかしたら<私>というものがあるかもしれない」と感じたのだろうか?
だから彼女は書いたのか。
私自身による私は、私を見つけるための夢なのではないのか。
2010年5月8日土曜日
5/8
「僕はいろんな快楽に手を出してきたけれど、ついに外科的なもので身を崩すということはなかった。僕の外形的な荒廃は、もし僕がそれを評するのならそれはひとえに僕自身の精神、僕の精神があまりに僕を捉えて離さなかったことにある。終わることのない自意識の自縄自縛が、僕にとって最も大きい快楽に転じてしまったことにある。
あらゆる他者に対するあらゆる行為によってもたらされる快楽というものが、結局はその快楽を感じている自分自身の問題であって、快楽というのはつまり僕自身の内部世界の生産物、僕が何かを想い何かを考え感じそれに対する生理的応答としての僕自身から僕自身への分泌でしかない、ということに気づいたんだ。
それならば、快楽というのは自己充足的なものから始まって自己充足的に終わるものだし、自分が自分を行為の対象とすればいい、僕は死なない限り、この快楽の生産機構としての身体が壊れてしまわない限りは、自分は自分に対して何をしてもいいし、自分の最大の理解者である自分を玩具にしてやろう、そう思った。
マスターベーションが最も有効な情の排泄であるから、そこに精神の味付けと現実の対象を与えれば――そしてそれは自分であることが最も素晴らしい――それは無上の快楽、死への本能の甘噛み、そんな天国のような地獄に落ちていける。
自虐の詩、甘美さにおいてこれほどまでに崇高な芸術形式はない。」
あらゆる他者に対するあらゆる行為によってもたらされる快楽というものが、結局はその快楽を感じている自分自身の問題であって、快楽というのはつまり僕自身の内部世界の生産物、僕が何かを想い何かを考え感じそれに対する生理的応答としての僕自身から僕自身への分泌でしかない、ということに気づいたんだ。
それならば、快楽というのは自己充足的なものから始まって自己充足的に終わるものだし、自分が自分を行為の対象とすればいい、僕は死なない限り、この快楽の生産機構としての身体が壊れてしまわない限りは、自分は自分に対して何をしてもいいし、自分の最大の理解者である自分を玩具にしてやろう、そう思った。
マスターベーションが最も有効な情の排泄であるから、そこに精神の味付けと現実の対象を与えれば――そしてそれは自分であることが最も素晴らしい――それは無上の快楽、死への本能の甘噛み、そんな天国のような地獄に落ちていける。
自虐の詩、甘美さにおいてこれほどまでに崇高な芸術形式はない。」
2010年5月5日水曜日
日常凡譚 〜 様々な一人称の形として
ぼくは、まず魚料理というものをしない。
それはなぜなら、まず特別なスキルが必要とされるものであるし、京都みたいな――たとえばの話だ――内陸に住んでいる人間にとったらそれこそおいしい魚介類を手に入れることがそもそも困難だからだ。
それにもっと生活臭いことを言えば、処理をしたあと、その臭いにもなかなか困ってしまうということもある。
生ゴミが、本当にその潜在能力を爆発させて生ゴミの能力を存分に発揮してしまう。
他にもいろいろ細かいことを言い出せば、それらはボクの生活上の価値観やスタイルとも絡まって一つの言葉の小宇宙を形作るだろう。
やめておこう。
とにかくそういった理由からぼくは特別の必要ない限り魚料理をしない。
切り身を買ってきて、ということもしない。
さんま一匹をただ焼くだけ、ということもしないのだ。
僕の人生における魚の調理は、先の未来にとってある。
それはたとえばきれいなお嫁さんが出来たとき――<きれいなお嫁さん>と<おいしい魚料理>の間にどんな関係があるかはわからないけれど――や、料理人になるというような微妙な夢を志したときなどのためにとってある。
つまり家庭での魚料理というのは、僕のライフコースにおいては次なるステージであるといっていい。
そのかわりといっては何だけれど、色々な肉料理や、パスタ、ピザ、などの一つのお皿に収まる範囲での特に洋食料理であれば、ぼくは結構好きで凝ったものでも面倒ではなく作ってしまう。
その中でも特に好みなのは、ソースは煮込みなど、どこかで時間をかけておけば、いざ食べるときには本当にシンプルな手間でおいしく食事ができるということを約束してくれるものだ。
本当に彼らはぼくを幸せな気分にさせる。
休みの日の朝と、普段のちょっとした時間との関係が、そんな簡単なことで結びついて、何かとても充実した生活のサイクルを営んでいるように、ぼくを錯覚させてくれる。
実際に今も、この最後の休日に、キッチンではトマト・ソースがぐつぐつと作られている。
トマト・ソース。
トマト・ソースはぼくによくこんな形で声をかけてくる。
「おればかり、見るなよ」
「どうして?」
「おればかり見てばかりだから、お前はいつも他のことに手が回っていない」
「それは丁寧に接しようと・・」
「だから、そんなアティチュードがよくないって言ってるんだよ。おれはそんなに見てもらわなくても、大体上手くいく。大事なのは最初と真ん中と最後、多くて3ポイントぐらいのもんだ。そんなにずっと、おれの前にたってぐちゃぐちゃやられた方が、こっちがイライラするさ。その代わりにお前がしなくちゃいけないこと、それかそれをしたらもっとお前にとっていいことは、お前がしなくちゃいけないこととか、それをしたらもっとお前にとっていいことをやるってことだ。そうやって上手くやってかないと、お前は本当にダメになる。わかるだろう?」
「うん、わかるよ」
「あぁそれと、トマト・ソースはしっかり煮詰めて濃くしておくんだぞ。後で色々便利だからな。」
もうすぐ現在進行形のトマト・ソースが出来上がるころだと思う。
このタバコを吸い終わったら、見に行こう。
トマト・ソースを作る間にできることといえば、タバコを2本吸って、英国首相の失言をニュースでぼんやり眺めることぐらいのものだ。
※誰かがここまできて、まったく誰かの文章みたいだと思えばそれは正しい。そういう文章なのだ。
それはなぜなら、まず特別なスキルが必要とされるものであるし、京都みたいな――たとえばの話だ――内陸に住んでいる人間にとったらそれこそおいしい魚介類を手に入れることがそもそも困難だからだ。
それにもっと生活臭いことを言えば、処理をしたあと、その臭いにもなかなか困ってしまうということもある。
生ゴミが、本当にその潜在能力を爆発させて生ゴミの能力を存分に発揮してしまう。
他にもいろいろ細かいことを言い出せば、それらはボクの生活上の価値観やスタイルとも絡まって一つの言葉の小宇宙を形作るだろう。
やめておこう。
とにかくそういった理由からぼくは特別の必要ない限り魚料理をしない。
切り身を買ってきて、ということもしない。
さんま一匹をただ焼くだけ、ということもしないのだ。
僕の人生における魚の調理は、先の未来にとってある。
それはたとえばきれいなお嫁さんが出来たとき――<きれいなお嫁さん>と<おいしい魚料理>の間にどんな関係があるかはわからないけれど――や、料理人になるというような微妙な夢を志したときなどのためにとってある。
つまり家庭での魚料理というのは、僕のライフコースにおいては次なるステージであるといっていい。
そのかわりといっては何だけれど、色々な肉料理や、パスタ、ピザ、などの一つのお皿に収まる範囲での特に洋食料理であれば、ぼくは結構好きで凝ったものでも面倒ではなく作ってしまう。
その中でも特に好みなのは、ソースは煮込みなど、どこかで時間をかけておけば、いざ食べるときには本当にシンプルな手間でおいしく食事ができるということを約束してくれるものだ。
本当に彼らはぼくを幸せな気分にさせる。
休みの日の朝と、普段のちょっとした時間との関係が、そんな簡単なことで結びついて、何かとても充実した生活のサイクルを営んでいるように、ぼくを錯覚させてくれる。
実際に今も、この最後の休日に、キッチンではトマト・ソースがぐつぐつと作られている。
トマト・ソース。
トマト・ソースはぼくによくこんな形で声をかけてくる。
「おればかり、見るなよ」
「どうして?」
「おればかり見てばかりだから、お前はいつも他のことに手が回っていない」
「それは丁寧に接しようと・・」
「だから、そんなアティチュードがよくないって言ってるんだよ。おれはそんなに見てもらわなくても、大体上手くいく。大事なのは最初と真ん中と最後、多くて3ポイントぐらいのもんだ。そんなにずっと、おれの前にたってぐちゃぐちゃやられた方が、こっちがイライラするさ。その代わりにお前がしなくちゃいけないこと、それかそれをしたらもっとお前にとっていいことは、お前がしなくちゃいけないこととか、それをしたらもっとお前にとっていいことをやるってことだ。そうやって上手くやってかないと、お前は本当にダメになる。わかるだろう?」
「うん、わかるよ」
「あぁそれと、トマト・ソースはしっかり煮詰めて濃くしておくんだぞ。後で色々便利だからな。」
もうすぐ現在進行形のトマト・ソースが出来上がるころだと思う。
このタバコを吸い終わったら、見に行こう。
トマト・ソースを作る間にできることといえば、タバコを2本吸って、英国首相の失言をニュースでぼんやり眺めることぐらいのものだ。
※誰かがここまできて、まったく誰かの文章みたいだと思えばそれは正しい。そういう文章なのだ。
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