2010年5月8日土曜日

5/8

「僕はいろんな快楽に手を出してきたけれど、ついに外科的なもので身を崩すということはなかった。僕の外形的な荒廃は、もし僕がそれを評するのならそれはひとえに僕自身の精神、僕の精神があまりに僕を捉えて離さなかったことにある。終わることのない自意識の自縄自縛が、僕にとって最も大きい快楽に転じてしまったことにある。
あらゆる他者に対するあらゆる行為によってもたらされる快楽というものが、結局はその快楽を感じている自分自身の問題であって、快楽というのはつまり僕自身の内部世界の生産物、僕が何かを想い何かを考え感じそれに対する生理的応答としての僕自身から僕自身への分泌でしかない、ということに気づいたんだ。
それならば、快楽というのは自己充足的なものから始まって自己充足的に終わるものだし、自分が自分を行為の対象とすればいい、僕は死なない限り、この快楽の生産機構としての身体が壊れてしまわない限りは、自分は自分に対して何をしてもいいし、自分の最大の理解者である自分を玩具にしてやろう、そう思った。
マスターベーションが最も有効な情の排泄であるから、そこに精神の味付けと現実の対象を与えれば――そしてそれは自分であることが最も素晴らしい――それは無上の快楽、死への本能の甘噛み、そんな天国のような地獄に落ちていける。
自虐の詩、甘美さにおいてこれほどまでに崇高な芸術形式はない。」    

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