2011年11月8日火曜日

passed away, but it comes. forget about it.

こうしてると思い出す
何もなかった部屋を。
煉瓦と板とスチール、iBook、ベッド。
安い酒と汚い身体だけがあった部屋。

何も変わらない同じ。

ただ今の僕はとてもクリアで、落ち着いて、自分を見ている。
泣いてもいないし、そう長く震えることもない。

諦めと決意は、とても壊れやすくて繊細だ。
大事なのは、そう、状況を無暗に葬らないこと。

一瞬の快感の永遠的な思い出も、
永遠に訪れる一瞬の悔恨も、
全部はべったりと手のひらに残っている。

忘れられない、自分の、「自分たち」

forget about it.    

2011年11月2日水曜日

No one know new one.

ある程度の規模でまとまった量を書かないと、ある程度まとまった量の文章を書けなくなる。
書けなくなるというのは、集中力もなくなるし、文章の技術としても衰えるということだ。
つまり意欲も能力も失うということ。
(この段階で、自分の叙述の方法がずいぶん短文的になったことを認めている)

「まとまった文章」を書かなければと思った理由は、2つある。
ひとつは、仕事でスライドばかり作っているが、それを適切にまとめて表現するのが、「面倒だ」と思っててしまっていること。
もうひとつは自分が何かについて考察するときのフレームワークみたいなものを、ここらへんで整えてあげないといけないということだ。

直感がすべてであると思う。そして、その直感のセンスは、理屈によって裏付けられるべきものだ。
だからボクはそれを整えなくてはいけない。
「~であるべきだ」という言葉の強さを、もっともっと高めるために。
それが面倒の克服と、克服のための鍛錬、そして結果の「強さ」を得るための、いま最も必要なpracticeなのだろう。