2008年2月27日水曜日

掲示板。

まさくん。


何かあれば、ここのコメントにでも。    

2008年2月26日火曜日

近況(勝手に)報告。



   

ものを語る語り口。

謙虚さが失われると、とか

それとほぼ同義なのだけど、内省性が失われると、とか自己反省的な態度が大事とか。


そういう姿勢ですね、でも、そういうのが大事なのかどうかっていうのは別にして、


たとえば著名な人であれば、彼が権威になっていく、全体の場とか言説の中でオーソライズされていくときに、

何かしら「お腹いっぱい」な人になってしまいます。

その食傷性っていうのは、もちろん傲慢さ、であったりとか、イヤみな感じ、世界観がもうclosedしちゃった感じを「お腹いっぱい」と名付けているんですけど。


それは、自分についても考えるところです。


持ち上げられることも、まぁあったりなかったりの状況の中で、なるべく自分を「気持ち悪くは」思いたくないものですし、不健康な体でもアルコール依存の不健康な精神でも、不健全な自分はイヤなものです。外部規範の問題ではなく、純粋に自己の準則に照らし合わせたメンタリティー。そこが問題です。


自分を見つめるというのを、最近あまりに他者の目に委ねている気がします。


新しいバイト、新しい勉強、新しい親密さ、


新しい社会が出来、かつその社会と交わるとき、


社会性の中の自分、という「振る舞い」に焦点が当たっている。


他者の目から見た僕、を「受け取る」ことで次の一手(行為も性格も)を考える。


なかなか自分を捉えられない最近ですが、強引にむりくり言ってみれば、そういう状態なのかもしれません。


このタイトルの副題

『おどる自分とおどける自分、を見つめる自分 / 茂木健一郎はもういいな』    

2008年2月11日月曜日

少なくとも、お外では

お酒、ひかえます。


いや、やめます。


と、言いたいですから、やめます。


じゃあ、今月は、飲みません。


外では、ね。    

2008年2月6日水曜日

ベクシル 2077日本鎖国

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チープ、チーパー、チーペスト。


3Dならではの空間世界の広がりは、けっこう優秀やし新鮮やったけどなぁ。


脚本家が、それこそ、くず鉄。    

「紐帯」ー「敬意」。

「ごっこ」の構造。

誰かがこんなことを書いていた。


ごっこ遊びとは、それはすなわち現実からの自由である。

太郎ちゃんが、鬼になる。

それはつまり太郎ちゃんという現実から、太郎ちゃん=鬼という二つのレイヤーが重なるイメージの世界に逃避することでの軽さ、戯れの楽しみである。

現実の重みを失うことで、その軽さによって、そのイメージの世界での戯れ「ごっこ遊び」は楽しい。

しかし、「鬼ごっこ」にせよ「電車ごっこ」にせよ、子供たちはその「鬼」や「電車」を渇望しているにもかかわらず、しかしその実在を求めはしない。

現実の太郎ちゃんが、太郎ちゃん=鬼の二重イメージの世界を飛び越えて、本当の鬼が現れるとき、そのゲームは即終了するばかりでなく、そこはもう恐怖の世界である。

ごっこ遊びは、あるイメージを渇望し、そして現実から遊離したイメージの世界に戯れるのだが、その渇望からイメージ自体が実在することは決して望まない。

そのような曖昧な、浮遊した世界にこそ、ごっこ遊びの楽しみはあるのだ。

そして、ごっこ遊びは、「この指とまれ」という瞬間に、そこに参加したものへの黙契と共犯を迫る。

黙契とはすなわち、現実からの遊離に対する暗黙の了解であり、共犯とはつまり「太郎ちゃんは鬼だ」とするイメージングの共謀である。

よってそこでは、夢から覚めること、夢の世界から共犯者たちを引き離す何者も存在してはならないという、排他的な世界がある。

しかしその排他性は、他人=大人から見られ、了解され、保護されて初めて存在するものであり、ごっこ遊びの世界は、そういった他者の承認なしには存在しえない。

そういった渇望と実在、排他性と他者の了解という構造の中に、ごっこ遊びの世界は成立しているのだ。


ぼくの理解のもとに要約したが、おおむねそういう内容だった。


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ぼくは別に、消費社会をダメなものとは思わない。

消費につぐ消費が生む、「空」みたいなものも、その雰囲気こそが問題なのだと思うから。

雰囲気がよけりゃあ、いいじゃん。


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付き合う、ことにはなったものの、それまでの交際期間があまりに短い場合。


そして二人の物理的な距離(バイトとか、学校とかさ)がある場合。


往々にして、メールでの精神的な「交換」というのが頻繁になされ、ヴァーチャルな中での相手との交わりが生まれる。


不思議な感覚だなぁ。


だって、知らないのか知ってるのか、よくわからないもの。


相手のことを。


敬語が、〜くんになり。


絵文字にハートが増え(増やすことが出来るようになり)。


そしてあるとき、やっぱり二人は、出会うんだ。デートするんだ。


そのときの甘美で耽美な倒錯観、陶酔感、「酔い」


とも言えるような「当惑」。


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ぼくたちをつなぐのは、敬意しかないと思う。


「もろい世界」の「紐帯」は、「相手への敬意」しかありえない。


と、思う。


何に依拠するの?


何でその子と付き合うの?


ステータス?またまた、もう、モダンな人ね。およしになって。ね。


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戯れの世界の中で、ぼくたちはゲームする。


真剣に、生死をかけて。


ゆらゆら、たゆたいながら。