2008年2月26日火曜日

ものを語る語り口。

謙虚さが失われると、とか

それとほぼ同義なのだけど、内省性が失われると、とか自己反省的な態度が大事とか。


そういう姿勢ですね、でも、そういうのが大事なのかどうかっていうのは別にして、


たとえば著名な人であれば、彼が権威になっていく、全体の場とか言説の中でオーソライズされていくときに、

何かしら「お腹いっぱい」な人になってしまいます。

その食傷性っていうのは、もちろん傲慢さ、であったりとか、イヤみな感じ、世界観がもうclosedしちゃった感じを「お腹いっぱい」と名付けているんですけど。


それは、自分についても考えるところです。


持ち上げられることも、まぁあったりなかったりの状況の中で、なるべく自分を「気持ち悪くは」思いたくないものですし、不健康な体でもアルコール依存の不健康な精神でも、不健全な自分はイヤなものです。外部規範の問題ではなく、純粋に自己の準則に照らし合わせたメンタリティー。そこが問題です。


自分を見つめるというのを、最近あまりに他者の目に委ねている気がします。


新しいバイト、新しい勉強、新しい親密さ、


新しい社会が出来、かつその社会と交わるとき、


社会性の中の自分、という「振る舞い」に焦点が当たっている。


他者の目から見た僕、を「受け取る」ことで次の一手(行為も性格も)を考える。


なかなか自分を捉えられない最近ですが、強引にむりくり言ってみれば、そういう状態なのかもしれません。


このタイトルの副題

『おどる自分とおどける自分、を見つめる自分 / 茂木健一郎はもういいな』    

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