about anything beautiful dreamer think about.
まず、この場を借りて以下のことを君に謝ろうと思う。・ミクシーにあんなことを書くべきじゃなかった。あえてあの空間にああいうことを書いたのは、間違いなく、悪意の篭った、君も含めたあらゆる人間を傷つけたくてぶちまけたことだった。・「人間理解が浅い」といわれても仕方の無いような書き方だった。・「スノッブ」と君のことを罵ったけれども、読みたい本を読みたいだけ読める時間というのがおそらく学生時代にしかないことを考えれば、君のやってることはおそらく今のぼくと同じくらい切実なものかもしれない。そして、もしも君もそう考えているなら、とても軽率な罵倒だった。これは、あとで冷静になって考えてみて、本当に思ったことだ。それを踏まえたうえで(←冷たい書き方だけど、本当に反省してるんだ。ごめん)、ぼくの中の何が、君へ対してあんなことをするように仕向けたのか、それを書いていこうと思う。「ぼくのつまらない絶望」まず、ぼくは、「消費社会」だとか、「ポストモダン」だとか、そういうことを云うような人を嫌っていた。「厭」という言葉をあてたくなるぐらい、嫌いだった。そして、その憎しみは、ここ最近かなり強くなっていた。勿論、一時間も二時間も考え込んでしまうほどではないけれども、でも、そういう言説を見るたびにカッとなって爆発する感じだった。なぜなら、心の底からそういう事柄に興奮している人間は、多分、ぼくが最近書店に行って感じるような絶望を共有してくれなさそうだからだ。身勝手だけれども、本当だから仕方がない。ぼくは別に、字面そのままの意味だけで「日本人に芸術だのポストモダンだのなんてことをほざくのは100年早い」とは思っていないし、それ以上に、ある種の「吠えている」人たちがいうような「(他の国の人々とは違って)生ぬるい現実を生きている甘チャンな日本人が何を云ったって所詮はお遊びさ」なんてことは、嘘だと思っている。子供でも分かる、耳が口より先に笑ってしまうような大嘘だ。いくら、日本が日米安保に守られてて、アメリカが牛耳っている国際秩序に乗っかって彼らの慈悲の上に繁栄しているとしても、じゃあその中で生きている人々が、生ぬるい、平和な、脳味噌が退化したような生活を送っているかといえば、そんなわけがない。それは、アルバイトの経験がある君なら僕より身近に感じていると思う。経済は戦争だ。大げさだけれども、これは決して誇張した言い方ではないと思う。それは、短期のアルバイトをしていても、就職活動をしていても思うし、「絶対にバレない人殺しで2億手に入るとしたら」なんて、体育館で正座をしている小学生の妄想みたいなことかもしれないけれども、新橋や工場街を行く険しい顔をした人々がその問いに対してどう思うかを想像すれば、答えは明らかだろう。そして、話は戻るけれども、本屋に入って絶望するっていうのは、上に書いたような、間違いなく近代という文脈の上でいよいよ加速していったおぞましい戦争を突き放し、批判し、勇気付け、目が覚めるような新しい図式を与えてくれるような、そういう、毒も薬も混じった素晴らしい「言葉」も、結局は、何の恥ずかしげもなくケータイ小説が並べられている本屋の入り口の向こうで買うしかないってことだ。更に云えば、そこに足を運ぶ為には、どんなに科学が進歩しても24時間でしかない、「食事」、「睡眠」、そして露骨な自由主義の中でいよいよ膨らみつつある「労働」の三つに喰い散らかされた1日のうちの、残りのちょっとした時間を使わなければいけない。反近代にせよ、ポストモダンにせよ、そういうことを訴える人達も、世間の人々の「残りのちょっとした時間」をインターネットだとかゲームだとかから奪う為に、至極近代的な苦しい切磋琢磨をしている。空気を殴っているようなもんだよ。そう思わないか?ぼくはそう思うし、そう思うからつらくなる。これは、あんまりにもつまらない絶望かもしれない。でも、笑う前に、つまらないっていう言葉の意味を考えて欲しい。疑うのが馬鹿馬鹿しい、ありきたりってことだ。そして、そのあまりにもつまらない、空気みたいに存在している事実にどれだけ気を病んでしまうかが、たぶん、ぼく達二人を含めた人間の実存の在り方の分かれ道になると思う。ぼくらが何を思い、何かに対して怒りを覚えたり、感動したりしたとしても、或いはポストモダンなんてことを語りながら酒を飲むとしても、結局、それらは全部「つまらない」ものに絡め取られてしまう。ぼくはその「つまらなさ」をどうやって解決できるか全く分からないし、そのつまらない絶望を抱えながら、大学生という、人生の中でたぶん一番「消費社会」的な時代を終えようとしている。これが、ぼくの怒りの根源だよ。
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1 件のコメント:
まず、この場を借りて以下のことを君に謝ろうと思う。
・ミクシーにあんなことを書くべきじゃなかった。あえてあの空間にああいうことを書いたのは、間違いなく、悪意の篭った、君も含めたあらゆる人間を傷つけたくてぶちまけたことだった。
・「人間理解が浅い」といわれても仕方の無いような書き方だった。
・「スノッブ」と君のことを罵ったけれども、読みたい本を読みたいだけ読める時間というのがおそらく学生時代にしかないことを考えれば、君のやってることはおそらく今のぼくと同じくらい切実なものかもしれない。そして、もしも君もそう考えているなら、とても軽率な罵倒だった。
これは、あとで冷静になって考えてみて、本当に思ったことだ。
それを踏まえたうえで(←冷たい書き方だけど、本当に反省してるんだ。ごめん)、ぼくの中の何が、君へ対してあんなことをするように仕向けたのか、それを書いていこうと思う。
「ぼくのつまらない絶望」
まず、ぼくは、「消費社会」だとか、「ポストモダン」だとか、そういうことを云うような人を嫌っていた。
「厭」という言葉をあてたくなるぐらい、嫌いだった。そして、その憎しみは、ここ最近かなり強くなっていた。勿論、一時間も二時間も考え込んでしまうほどではないけれども、でも、そういう言説を見るたびにカッとなって爆発する感じだった。
なぜなら、心の底からそういう事柄に興奮している人間は、多分、ぼくが最近書店に行って感じるような絶望を共有してくれなさそうだからだ。身勝手だけれども、本当だから仕方がない。
ぼくは別に、字面そのままの意味だけで「日本人に芸術だのポストモダンだのなんてことをほざくのは100年早い」とは思っていないし、それ以上に、ある種の「吠えている」人たちがいうような「(他の国の人々とは違って)生ぬるい現実を生きている甘チャンな日本人が何を云ったって所詮はお遊びさ」なんてことは、嘘だと思っている。子供でも分かる、耳が口より先に笑ってしまうような大嘘だ。
いくら、日本が日米安保に守られてて、アメリカが牛耳っている国際秩序に乗っかって彼らの慈悲の上に繁栄しているとしても、じゃあその中で生きている人々が、生ぬるい、平和な、脳味噌が退化したような生活を送っているかといえば、そんなわけがない。それは、アルバイトの経験がある君なら僕より身近に感じていると思う。
経済は戦争だ。
大げさだけれども、これは決して誇張した言い方ではないと思う。
それは、短期のアルバイトをしていても、就職活動をしていても思うし、「絶対にバレない人殺しで2億手に入るとしたら」なんて、体育館で正座をしている小学生の妄想みたいなことかもしれないけれども、新橋や工場街を行く険しい顔をした人々がその問いに対してどう思うかを想像すれば、答えは明らかだろう。
そして、話は戻るけれども、本屋に入って絶望するっていうのは、上に書いたような、間違いなく近代という文脈の上でいよいよ加速していったおぞましい戦争を突き放し、批判し、勇気付け、目が覚めるような新しい図式を与えてくれるような、そういう、毒も薬も混じった素晴らしい「言葉」も、結局は、何の恥ずかしげもなくケータイ小説が並べられている本屋の入り口の向こうで買うしかないってことだ。更に云えば、そこに足を運ぶ為には、どんなに科学が進歩しても24時間でしかない、「食事」、「睡眠」、そして露骨な自由主義の中でいよいよ膨らみつつある「労働」の三つに喰い散らかされた1日のうちの、残りのちょっとした時間を使わなければいけない。反近代にせよ、ポストモダンにせよ、そういうことを訴える人達も、世間の人々の「残りのちょっとした時間」をインターネットだとかゲームだとかから奪う為に、至極近代的な苦しい切磋琢磨をしている。
空気を殴っているようなもんだよ。
そう思わないか?
ぼくはそう思うし、そう思うからつらくなる。
これは、あんまりにもつまらない絶望かもしれない。
でも、笑う前に、つまらないっていう言葉の意味を考えて欲しい。
疑うのが馬鹿馬鹿しい、ありきたりってことだ。
そして、そのあまりにもつまらない、空気みたいに存在している事実にどれだけ気を病んでしまうかが、たぶん、ぼく達二人を含めた人間の実存の在り方の分かれ道になると思う。
ぼくらが何を思い、何かに対して怒りを覚えたり、感動したりしたとしても、或いはポストモダンなんてことを語りながら酒を飲むとしても、結局、それらは全部「つまらない」ものに絡め取られてしまう。
ぼくはその「つまらなさ」をどうやって解決できるか全く分からないし、そのつまらない絶望を抱えながら、大学生という、人生の中でたぶん一番「消費社会」的な時代を終えようとしている。
これが、ぼくの怒りの根源だよ。
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