蝶になり、夢になり、世界を放蕩した後で、ダニエル君は改札を抜け、警報響き渡る巨大な現代建築の駅、乗り込んだ電車から、揺れる車窓の不明瞭な光の向こうに、誰も訪れたことのない田園風景を眺める。
終末への旅路。
そんなまたしても過剰なセンチメンタリズムに浮かぶ苦笑と恥を必死に堪えながら、彼は窓外のただ流れていくだけの彼のセンチメンタリズムに、何の感慨もないはずの哀愁、まったく彼の彼自身のための愛おしさに捧げられた哀愁とたっぷりの憂鬱を映す。
完璧に虚飾のない、自己愛の披瀝、その承認。
努力しても努力してもすぐに外に流れてしまう自己愛の理由を、ダニエル君は今日にあって初めて自分の掌に留め閉じ込めた。
「誰のものでもない、誰のせいでもない、ボクのナルシシズムはボクだけのもの。誰のためでもないし、誰かのためでなくてもいい。これだけは守り通す価値のあるもの。侵されない聖域。無敵の抵抗。」
ある一定のリズムで、時折、硬質な車両の、大蛇の胴のような痙攣を感じる。
自分の横隔膜が、それにつられて上下する。
ダニエル君はあまりの気持ちの悪さに、車中のトイレに入り、嘔吐した。
吐き出された吐瀉物と、嘔吐のためにきつく締め上げられた首、目の充血と涙に、彼はまた自己愛の快感を世界に描くが、洗面台の鏡に映る鬱血した自分の顔を見て、それが自分とは関係のない予定外にもたらされた世界の振動に由来していることを少し真面目に考えた。
電車の清潔な蛇腹の中で、その鼓動と一体になった彼の不健康は、彼が電車のスピード、都市と都市とをその間のあらゆる土地を無視しながら切り裂いて進むその進行、客観的には猛然とした車両の疾走と反対に在る穏やかな体内の平和、そういった想像を彼自身の中に取り込んだ瞬間に始まった。
電車を観測するその視点は、線路脇に鳴く泥だらけの赤目のカエルであり、相対論の宇宙である。
ロンドンで子供を虐待するベビーシッターの存在、隣人をスーツケースや川底に次々と沈めるアメリカの猟奇殺人犯を伝えるニュースに震えるように、彼は世界を引き受ける。
引き受けられた電車の、ダニエル君への愛撫が、今目の前に流れていった嘔吐を引き起こした。
そんなあまりに酷い彼の空想こそ、彼の行く先、到着駅の明快な答えであるかのように。
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