モノが融けていく。
モノとモノとの間の空間、今ここにあるモノたちの偶然的な宿命の間から、ひっそりと動かないその質量の潜在的な熱量が、ぼんやりと蜃気楼のように蒸気して、空間が融けていく。
モノたちのまなざし、現存在たちの不安の濃密な充満が、世界をオレンジ色に満たしていく。
――――
濃い茶色の木枠の窓に、板状の一枚一枚が平行に並べられた同じ色の木のブラインドがはめられて、その一枚一枚の隙間から薄くしかし眩しく入り込むオレンジ色の光が部屋全体を包むように空間に滲み、融けている。
椅子に座り、テーブルに両肘をついて、宙に浮かんだ手足の先をぶらぶら遊ばせる。
普段と変わらない、みほちゃんの作るお決まりの景色であり、世界だ。
「だめなの?」
そう言うと彼女は立ち上がり、ベッドのある部屋に戻った。
ついさっきベッドから起きたばかりの彼女は、寝てた姿そのままに彼女が言うところの「まんなかの部屋」に出てきたのであり、まんなかの部屋のちょうどまんなかに置かれたテーブルに自分を落ち着けたと思うとすぐに、それは彼女自身の内側に響いた声、彼女のというよりも彼女の想像する世界が彼女に向けて語る訴えかけに応じて、今のようにまたベッドのある部屋に戻ってしまったのだ。
寝室から戻ってきた彼女は、テーブルと平行に行儀よく並んでいた椅子を斜めに引き離して、お尻を置くとすぐに片膝を立てて自分の体に寄せた。
ペディキュアのベースコートを人差し指の爪から塗り始める。
塗る爪の順番はそのときどきにバラバラに、決まりなくランダムに、ゆっくりと丁寧に、冷めた気持ちで淡々と塗っていく。
みほちゃんはじっと、足の先に視線を固定し、沈黙している。
ゆっくりと下から上へ滑らかに動かされる筆と手先の他に、動くもの、今日のこの日に存在するものはなにもない。
ある一点を除いて、景色全体もまたひっそりとその沈黙を決めた。
みほちゃんは凝視を続けている。
彼女によって想像され、視線を通して、彼女の手首から指先、指先から筆先へと延長されるその動きの流れは、精確なリズムのイメージを繰り返している。繰り返されている。
黒い爪。
「こうやって自分を守るの。自分が一番自分にいじわるすることで、黒い爪のあたしを愛せるのは、あたしだけなの。それが大事なのよ」
みほちゃんは爪を塗りながらそう呟いた。そう呟いたように口元は動いた。
太陽はもうこの街から消えていて、光源を失った部屋の暖色は、すっかり夜のインディゴに塗り替えられていた。
明かりのないなかで、みほちゃんは変わらずに作業を続けている。
一つの動き以外、それまでと何も変わらずその世界はそのままひっそりとしていた。
彼女の目には、黒く塗られていくその爪しか映らない。
みほちゃんの想像は、その色を基調に染められていく。
彼女のペディキュアが塗られ続けなければ、その空間の何もかもが、テーブルも壁もティーポットティーカップの何もかもが、一つの点にすっと収縮してどこかに吸い込まれてしまいそうだった。
モノたちは、永遠に待ち構えている。
その不安をひっそりと感じながら、みほちゃんは冷めた視線で黒い爪の向こうを見ている。
夜に融けていくような夜。
彼女は何にも無関心であるかのように、融けていきそうな夜への畏怖と、それでもその夜は彼女のものだと何度も確認しながら、黒いペディキュアに自分を染めていた。
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