人間と人間の間を縫うように駆け抜け、ぶつかりながら、息を揚げて、ダニエル君は細いビルの三階、ガラスのドアを押して、カウンターに座り、アイリッシュコーヒーを頼む。
「アイリッシュコーヒー」
ダニエル君は、昨日読んだ小説が忘れられない。
ブレザーとシャツの間、胸の暗い内ポケットに手を入れて、シガリロを取り出し、火を着ける。ゆっくり、吹かす。
「あんな童貞小説。ふざけるなよ。頽廃、ブルジョア、美男美女?、なに、余裕というところが大前提のつまらないドラマトゥルギー?嘘つけよ、くだらない戯れ言を何ページもやるくらいなら一言、一発やれよ。許せない、許せない」
それは彼のつまらないフラストレーションであり、その原因も事実も彼にはよくわかっている。だから彼は表現という行為に、その行為自体に価値を与えているし、カロリーの消費について敬意を払っている。
「それにしても、だ」
「どうぞ」
「ごめんなさい。これと、ストレートでジョニーウォーカーを。赤で」
これも、スノッブなのだろうか。これは間違いない事実だけれども、この自分の現実もまたあの何のリアリティもない、少なくともある人間にはそう感じられる状況設定と同じように他人に存在するのだろうか。
搾取される労働者かブルジョア、そんなこの国に存在しない極端な状況が文学の範疇なのだろうか。
バーボンとワインを愛するパートタイムジョバーは存在してはいけないのか。
デイトレーティングの非人間性に悩む人間の苦悩を、誰も認めてはあげないのか。
そんな価値観のヒエラルキーが、まだ人間の社会にはあるのか。
世界のある一座標、地表から浮かぶコンクリートとガラスの空き箱の中で、煙とアルコールを纏う彼の思いもまた、論理と夢想の靄に消えていく。
コーヒーにスコッチをぶち込んで、上気する甘ったるいヨード香を思い切り吸い込んだダニエル君の胃が、まさに嗜好品の熱で満たされれる。
「パンチ!」
思考も嗜好も志向を失い、四方八方に爆発した。
そんな彼が拒否したような戯れ言で、ダニエル君は今までの10分をすべて茶化して、冗談にした。
暗い冗談。
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