セリフとセリフ、
動きと動き、
セリフと動き、
演技と演技の、「間」について考える。
僕はよく、「間」が長い、と言われる。
それは褒め言葉のときもあるし、批評のときもある。
僕はそれをわざとやってるんじゃなくて、
間が長い演技をしよう、としてるわけではなくて、
「一つの演技が、次の演技を引き起こす」のを待ってるんだ。
相手の行動が、僕の次のセリフを引き起こすときの、自分の中での心的な過程を、そのときそのとき再現して、
「よし、ここで言える!」と思ったタイミングで、演技をする。
ここまでの文章を読んで、
「なんか、作ってる感じだなぁ。演技ってもっと自然なものなんじゃないの?」
って思う人もいるかもしれないけれど、
少なくとも今の僕は、
演技するときは、かなり客観的なもう一人の自分が、常に舞台全体を監視している。
なり切っている自分と、傍から見てる自分。
二人が一緒にいて、初めて「役者である僕」が舞台で動くんだ。
話がずれたけれど、
僕は、演技が演技を引き起こす適切な過程を踏んだ時間が、適切な「間」だと思う。
それより早いと、わざとらしいし、セリフのためのセリフになるし、
それより遅いと、たいくつで、間延びする舞台になる。
それはかなりの真剣勝負で、一瞬一瞬も見逃せないから、すごく疲れる。
これをさぼると、ダメなんだ。
これを一つの舞台でやりきれたら、最高なんだ。
だから、僕は、自分が完璧に適切なタイミングで、「間」を使えたなら、
見終わった人に、「間が長いよ〜」と言われても、胸を張れる。
ただ、
「飽きたよ〜」と言われたら、
お客さん商売ですから、頭を抱えるんだな〜。
だから、「よし、じゃあどうしようか」ということになって、
「間」の考え方、心的過程の再検討をして、
演劇人、役者としてのレベルがあがるんだ、と思う。
自分の「間」は変えずにね。
まぁ、舞台に立ってるときは、
ただただ、「暑い!」しかないんだけどね(笑)
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