僕が、あなた、と言うとき、
そこには、二つあります。
一つは、僕と一人の個人の間の二人称としての、あなた。
もう一方は、この画面の目の前にいる、あなた、あなた、あなた。
単数youと複数youが同じである感覚ですね。
そうやって僕は、しばしば癲癇患者のように引き起こしてしまう、妄言の様な得体の知れない自己開放を、対象の曖昧さの中に、そうした甘えの構造の中で、放り投げるのです。
僕の、「あなた」は実体を持ちません。
それも複数の意味での言葉ですが。
これは、自分としては、もちろんそのずるさはよく承知していましたし、稚拙ではありましたけれど、なかなかどうして自分としてはよく発明出来たレトリックであると、申し訳ないですが思っていました。
事実は、本当に、申し訳なかったのです。
僕が考えているよりも、「あなた」は優しかったのですね。
自分の偏狭さというのを、呪う程に再認識しました。
私は、もうコミュニケーションということを、あなたとの間において疲れてしまっています。
(「を」という助詞がおかしいことは、無視してください。気分は「に」よりも「を」なのです)。
僕とあなたにある溝は、僕には超えられない「そうです」。
(あくまで伝聞です。それほどまでの絶望は、愚かですがしていません)
だから僕は、もう直接「あなた」と語らうことなど、夢見てもいませんし、望みもしません。
そこでの自分の無力ーそれは非常に言語学的でもあり、非常にパーソナルでもありますーと、discomunicateの悲しみを知っていますから。
あなたの微笑が語る「何か」は、僕の卑屈な精神姿勢の前で被害妄想的に「恐怖」に置き換えられ、加速的に僕の脳を支配していきます。宇宙は超新星爆発を繰り返し、いたるところでブラックホールが誕生し、その内部から、全く違う時空間に転移することで、全くの空白になるのです。
からっぽのせかい。
おっと、いけない、いけない。またやってしまいました。
ここでのお話は、もはや僕が「あなた」と直接に語らうことは不可能だ、と認識していますよ、ということでした。
それでも、僕は、うれしくなってしまうのですよ。
あなたの優しさに。
あなたは、あの女性、Miss.Hollyを知っていたのですか?
フランス人だなんてくだらないことを言いました。悪ふざけです。彼らは"h"の発音が出来ませんからね。
テクストも、悪くないものですね。
表象の世界に、たったひとつの、ひとすじの虹が、ほんの少し見えました。
ごめんなさい、謝るつもりが、全く、上塗りでしかありませんね。
結局過ぎた年月たちは、
このような悲しいcomunicationと、ただただ傷つけるだけのサディズムと、その反対としてのマゾヒズム、
そういったものだけしか、もたらさなかったのでしょうか。
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