2009年5月26日火曜日

ステキだったSummer Beauty へ。

キレイでステキだった、あなたへ。

あなたは、つまらない国のお姫様になってしまったんですね。

あなたが子供の、キャッキャッしたこの国を捨てていたなんて、まさか思
いもしませんでした。

ボクのOGは、さよならを告げたアイドルになったんですね。

お葬式は、これからたっぷり愛しみましょう。

ボクは今バスの中。

感傷のさなかですから。


愛しのSummer Beautyへ。


Nobuyuk Takenaka    

2009年5月25日月曜日

鮮やかな大衆。

二日続きの街の喧噪が鳴り止み、日常の循環の中に自分の体を戻して、

ボクは、夜の淋しさの訪れを、ひっそりと感じ佇む。

騒ぎ疲れ騒ぎに飽き、それでも騒ぎに恋い憧れ懐かしむボクは、

未消化な昨日を消化しようと、機能不全の内臓を動かすために、バーに入った。


リトル・ビアーの甘さと香りに、鼻と胃がまっすぐに繋がり、その活力を取り戻す。

ゆっくりと、この二週間を味わう。


次に何を体に入れれば、よりよい深夜十二時を始められるだろうと考えていたら、

突然にまた喧噪が、店に入り込んできた。


ボクは、それを嫌がるわけでもなかったが、一つの大きな塊の横では、ボクは、どうしてもその塊を観察してしまい、内省することも難しく、そんなさらなる未消化を消化しようと目をつむるボクを気遣うバーテンダーに悪いとも思え、混みだす前にマティーニを頼み、会計を済ました。

喧噪の始まりの前のおとなしいざわめきの中で、出来上がったマティーニに口をつける。

ボンベイとチンザノの割合がちょうどよく、香り高い冷涼な辛さが舌のふちを濡らす。

シェーカーの中で少し多めにとけた氷の水が、ハーフ・ロックの風味をもたらしている。

飲み終えたグラスにオリーブの種を戻し、ボクはひやかしを詫び、礼を言って店を出た。


酒の香いが、冷たい夜の空気に溶けていく。


どれだけ世界を観察しても、世界は観察されるスケール以上に、大きい。

大き過ぎる世界の前で、ボクは自分を幸福にも見失う。

見失うその速度に酔い、酔いが醒めるまでの酔いに浸る。

次の朝に見えるものは、さっきまでの酔いの振り返りであり、新たに見えた世界と見失った自分との相対化だ。

朝食のフルーツとダージリン、昼食の中華料理の中に、喧噪の裏側、現実のシビアが浮かぶ。

いくつもの驚きを冷静に分解し、世界はまた構成される。


鮮やかすぎる大衆の美しい色彩を、自身のパレットに収める。奪い取る。


マティーニの厳しさが、好きだ。

愛すべきマチズモが、そこにはある気がするから。

「あなたのツメの甘さは、それが目立たないほど、かえって大きな毒よ」    

2009年5月22日金曜日

factotum.41

夢の夢は、夢。






努々夢の夢など見ること無きよう用心しても、

足下を見れば、草に土。ハイカットの黒いスニーカー。

振り返れば、森。今いるのは、一本道。

ボクから遠ざかる、カメラアングル。

振り返ったままの少年のボク。明るい森、黄緑の一本道。


夢の夢は遠く、戻ることもよくわからずに。


夢の夢に遠く、遠く夢の中に揺らぐ、歩く。


夢の先に、夢。

醒めることも、叶わず。


醒めない夢。


アールグレイの湯気。


30秒の現実の、また違う描写。    

2009年5月19日火曜日

5年暗いカモ。

昔むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。

おじいさんは、雉やウサギなどの家禽を育てて、多くのレストランに卸していました。

あるときおじいさんは、おばあさんと夕食をとりながらこんなことを話しました。

「お前は知らないだろうけどな、おいたまには酒にも付き合え、このピノはなかなか旨いんだ、でな、そう、お前は知らないだろうが、実はカモなんかは5年くらいほったらかしにしたやつが絶品なんだよ、いや普通は2月かそこらでとなっとるがな、本当は違うんだ。5年くらい野放しにしてな、それで生きとるやつをチーズと一緒にしばらくおくんだよ。これが、世界で一番贅沢なカモの食べ方なんだ」

にぎやかな会話が家の中で明るく咲いていたその横で、マガモのシャロンは、外から壁に耳を当てていました。

「ぼくは、死にたくない、今のすごく楽しい生活を続けたいよ。せっかくあの子ともキスできたのに、これからなのに。でも、たとえ生き続けたところで、5年たったら、きっと必死に探されて、殺されるんだ。生き続けても5年か。じゃあそれって、2月を生きるのとどう違うのかな。びくびくしながら5年。何の心配もせずに2月。どっちが幸せなんだろう。」

それを横で聞いていたぼくは、シャロンを抱え上げ、車に押し込み、日本に持って帰ってきました。

今そこでシャロンは、晩ご飯の餃子を食べていますが、もうこの5年というものずっと気分を暗くしています。

この5年、ずっとシャロンは下を向いて生きてきました。

シャロンは、まだ死にませんし、ぼくも彼を殺しません。

彼はまだしばらく生き続けるでしょう。

ただ、シャロンの性格は変わってくれそうにもありません。

シャロンは、ずっと暗いままです。

「シャロン、明日、ぼくのご飯になってくれる?」

ぼくの言葉を聞いたシャロンは、とてもうれしそうに顔を明るくしました。

彼は喜んで飛び回り、自分から壁に頭をぶつけて、首を折り、死にました。

次の日の彼は、まったく、おいしくありませんでした。

シャロンのローストは、臭いだけでした。


めでたしめでたし。    

2009年5月18日月曜日

料理する。- 2



「塩ブタのポトフー」

豚バラ肉のブロックに塩をすり込んで一日、置きます。

あとはそれをお湯に入れて、大きく切った野菜も入れて、沸騰しないくらいの優しい温度で、炊きます。

あとは、ブイヨン、塩、コショウ、スパイスでお好みの味に。

実に、美味でした〜。


より精進してまいります。    

2009年5月15日金曜日

感想 - 10

「バカの壁」― 養老孟司

話にとりとめがなく、テーマが広く散っていく。

斬新だとは、思わない。

これが売れたというのは、マーケティングの勝利なんじゃないかな。
   

記号論原論。または記号観原理。

ボクが、

多くのイベントや心象、現象、事実を、

記号といった形で、そんな感じで、淡白に処理してしまうのは、

極度に臆病な理性が、ボクの生活の原理として働く、せいだ。


現実界のこの両手で、この手で取り扱える形で、それを扱うことができないと、

ボクは、

極度の不安に揺さぶられ、ただ感情や情念の衝動に振り回されてしまう。


理性という幻想にすがる、ボク。

幻想を仮想し、現実を仮装するボク。

哲人ピエロ。

ピエロな哲人。

哲人=ピエロ。


感傷を愛する瞬間。

それは、

嵌まると二度と抜けられない安楽な煉獄。


芸術はボクを生産するが、

同時にボクをさっきの穴に堕とす。


幻想の理性にすがりながら、

今日もボクは笑います。

ボクのおかげで僕の人生は、素敵です。    

2009年5月14日木曜日

汚いものに汚される。

愛せないダサイもの

は、

愛せない。

ダサイもの。


逃げ出したいけど逃げられないこの中で、

長時間、汚物を浴びせかけられて、

ぼくは汚物中毒中。


汚物に支配された脳みそは、もう汚物でいっぱいで、汚物以外が出てこない。

膨張しない感性というのは、何とも罪なことよ。


こうやって、少しずつぼくは、汚物でいっぱいの脳みそを、外に汲みだす。

今現在のために。


※追記

今日は、そういう日だったみたい。

夜は、外でご飯してたら、

ファッションを、クズみたいな若い子たちに非難ゴーゴーされたわ。

ま、そういう日なのね、って感じでまとまりがついて逆によかったけど。

でもね、あたし、そういうのすっごいイライラするの。

でも、飲みに行くのはがまん。

落ち着いてコーヒーを飲みながら、

思考を整理。

ふー

最近幸せ続きだったからね、ちょうどよかったかしらね。

○したいけどね。

(3回くらい、指立てたけどね)
   

2009年5月12日火曜日

ラクーアガッサータ。

5月にいきなり、真夏がやってくる。

こちらとしても、準備ができないわけでもないし焦るわけでもないし、とりたて感慨にふけるわけでもなく地球温暖化を想うわけでもないが、

ただ、お昼からビールが飲みたくなるのが唯一純然たる真理だ。


そうやって、ビールとかカヴァとか飲んでると、さすがに早く飲み過ぎかなと世間様に申し訳なくなり、そのあとアルバイトに行く自分のコンディションを考え、ガス入りの水でも飲もうかと近所を回るが、

どうしてこうも、世間はガス水を飲まないのかしらんと、暑い中自転車をこぎながら、心折れてしまう。

もちろんあるところにはあるし、そのあるところも知っているのだが、本日は運悪く違う方面に自転車を走らせてしまった。

行くところ行くところ、ガスがない。

最後に入ったローソンにもなく、そのとき自分の何かが切れてしまい、


「ビールを飲めってことなんでしょ?そうなんでしょ?」


と、わけもわからず、発泡酒を買う。

店を出て、すぐに開けて飲む。

冷えてて、おいしい。


いきなりの真夏は、生活のサイクルを乱す。

こちらとしては、真夏を徐々に組み込んで、徐々に買い物や食事のリズムを考えるのだ。


真夏も真冬も、来るなら来てほしい。

来ないなら、来ないで。

もう、はっきりしてよ!

私、そんないきなりばっかり、それで大丈夫だなんて、

そんな、都合のいい女じゃないわ!    

in the bathroom.

映画で、文学をやると、失敗する。

なぜならそれは、文学の領分だから。

文学も、映画をやってはいけない。

映画は、語る言葉の語り口が、文学とは違うから。


お互いの絶対優位を、尊敬しなくちゃいけない。

虎視眈々と、相手の肉を引きちぎることを狙いながら。    

2009年5月11日月曜日

感想 - 9



「植田正治の世界」

写真とは、鳥焼きである。

焼き鳥ではない。

その心はすなわち、その語順である。

しかし、鳥だけでは決して食えないのだ。

焼いてこその、写真である。

鳥を焼いてこそ、旨い写真が食えるのである。    

業務連絡。

5月26日の夜に、バスに乗って、

5月の30日の夜まで、

関東の方に伺います。

そういうことになりまして。


お泊まりや&お酒etcなど、

関係諸氏、よろしくお願いします。    

2009年5月10日日曜日

空かない日。

どうしてもジャムの蓋が開かない。


湯につけて温めてみても、キッチンの角でたたいてみても、

加えに加えた力は、最後にはするりとはぐらかされるばかりで、いっこうにジャムの瓶は口を一文字に結んでいる。


テーブルに鎮座するジャムと目を合わせながら私は、椅子を引き座り、ジャムの瓶に負けじと腕を組む。

そうして威張り合ってみたところでジャムの口が少しでも緩むものかと期待するが、そんな期待をする馬鹿馬鹿しさをすぐに認めて、私はさっとジャムを冷蔵庫に差し戻した。

代わりに引き出されたバターの身をナイフで切り、パンをちぎった口に塗り付けて、自分の口に頬ばる。

焼き上がってから時間がたって、香ばしさだけが少し感じられるくらいのぬるいパンを、私はけっこう愛している。

小麦の甘さを感じられるような気がする。人間に対して優しくなれる、気がする。


そんな愛に満たされた中でも、ジャムの未練が断ち切れない。

すでにジャムの蓋が開いたとき、私はジャムを食べることはないだろう。

しかし、ジャムを食べたかった私がジャムを食べられなかった悔しさが、私をジャムに執着させる。

ジャムが食べたい。


パンを食べ終え、バターをしまい、それだけでは何かものたりないのでテーブルの上のティッシュやら小物やらをすべて片付ける。

まっさらにした無垢のテーブルの中央に、私はジャムの瓶を静かに置いた。


「こうなりゃ、持久戦だ。いつか開くだろう」


時間が解決してくれるかもしれないと、ただただ意味もなく、ジャムの瓶に時間を与えることにした。

それほどずっと、口を結んでいるのは難しいだろう。ジャムだって有機物だ。

ジャムの有機物さが、瓶の無機物っぷりに勝つことを願う。


そのままジャムを放置して、何か少しの哀愁すら感じさせるジャムの瓶を尻目に、私はコーヒーを飲む。


なかなか充実した午後だ、こういう日は好きだし、こういう日には何かいい考えがひらめくだろう。


そんな期待をしても、今日はダメだった。

思えば今日は期待ばかりしている。ジャムの瓶に過剰な期待ばかりをかけているし、自分の一日にも無責任だ。

では自身の無責任さをいかに解消しようかと考えてみても、やはり呆けることしかできない。

作らなければいけない晩ご飯、明日の仕事、昨日の仕事、パソコンの細かな設定、整理整頓。

細かで些細な重労働が、私の意識からすっかり消えていかない。

それは純粋なスケジュールなのだから、何も、考えなくていいのだとわかっている。

ただ、それが意識を離れない。気になる。

そんな気を揉んでしまうと、もう離れることはないだろう。私の思考は、浮き世を離れて自由に飛び回ることを、今日という日には出来ないようだ。

浮き世をどこまでも遠くに飛んでいく、ふわふわとした風船のような、私の脳みそ。

いつまでも空っぽにならない私は、そんな思考のイメージを想像して、今日という日をよしとした。


虚ろな視線を娑婆に戻し、私は、

さて、ジャムが開くものかとテーブルに手を伸ばし、瓶の蓋に片手をかける。


開いたジャムの瓶の中に、ものすごく赤いイチゴのジャムがある。

ただそれをイメージしながら、必死の力を瓶の口にかける。


それでも今日は、開かない日なのだ。

ジャムも私も、今日はいっこうに、あかない。    

感想 - 8



「おばさん未満」

エッセイというのは、

「穴を掘って、それを埋める」ことの最も結実した例であると思います。

酒井順子は、

掘り方も、埋め方も、上手いですね、おもしろいですね。    

factotum.40

どんどんどんどん、スピードあげて

難しい?

そうだ、じゃあぁ、イメージは、

深夜の細い商店街をね、だからてきとうに見える感じに明かりはついてて、お店とかすごいあんの、でも狭い道ね、細いの、そこを自転車、チャリで、めちゃくちゃスピード出して突き進んでいくの、時間とかそういうのが自分より遅い感じね、そう、相対性理論を先に行く感じ、ぜんぶ自分のあとの方あとの方にぐわんぐわん過ぎていくの、前がどんどん自分に開けていくの、三角形、進んでくんだよ

ファンクにもっとハイに、リンパが脳髄に突き上がる感じをもっとグングン感じて

わかる、耳の後ろの、首と頭蓋骨の付け根、凹んだ部分、何かが溜まるところ

そこにぎゅんぎゅんくる。

何が?

SEX の衝動が

違う違う、SEXしてるんじゃない

やりたい感じ、やりきれない感じのときにめちゃくちゃやりたい感じ、それ叫びたい感じ

それがクるの、がしがし、打たれんの。

これをね、抑えんのがいいのよ

薬とかわかんないけど

こういうの抑えて、

羞恥心感じんのがいいのよ

恥ずかしいの

最高じゃない?

○○○なくても、セックスできんだよ


わぉ、すごい、恥ずかしいよ!


くるねー    

2009年5月7日木曜日

感想 - 7



「ぼくの哲学」

「ぼくは眼が覚めるとすぐBに電話する。 Bというのは、暇潰しにつきあってくれる。 だれでもいいし、ぼくも名前のないただの人。 Bとぼく。」

「ぼくの生涯で人と群れていたい、親友が欲しいと感じていたときは誰も来ず、1人でいたくないときに1人ぼっちだったわけ。で1人でいいや、もう誰にも相談をもちかけられなくてもいいんだと決意したら以前会ったこともないような人からあまり聞きたくもない、聞かない方がいいと思うようなことを追っかけられたあげく聞かされるようになった。もう孤独でいいやと思ったとたん取り巻きができるようになった。 ほしがらなくなったとたん手に入るようになる。これは絶対正しい格言だと思う。」

「恋愛というのは複雑になるしそんな面倒なことするほどのものでもない。でもなんらかの理由でその面倒もいとわないというのなら、相手と同じだけの時間とエネルギーを費やしたらいいと思う。言い方を換えるなら「あなたがわたしにくれるだけ、わたしもあなたにあげるわ」。 みんな恋愛で悩んでいる。ピカ一で、ペシャンコにならないスフレを相手に求めているからだ。小学1年で愛のことを教えるコースがあるべきだね。美と愛とセックスについて教えるコースがあればいいのに。愛についてが一番大きなコースだろうね。子供に性愛のやり方をすっかり教えて、なんでもないことを見せてあげればいいといつも思うんだけども。でもやらないよね、愛とセックスは商売になるから。」

「ぼくはいつも残り物で残り物のことをするのが好き。....ニューヨークに暮らしていると人がほしがらないようなものをほしがるようになる」

「ぼくがお札に触ると完全にきれいになる。今までだれが何で触ったかわからないが、ぼくが触った瞬間ぜんぶ消える。」

「"買う"は”考える”よりずっとアメリカ的で、ぼくはこの点においてとてもアメリカ人。ヨーロッパや東洋では売ったり買ったり、買ったり売ったりの交換が好きで、基本的に商売人種ね。アメリカ人は売るほうにはそれほど関心がなく、売るぐらいなら捨ててしまう人のほうが実際多い。買うことが大好きで、人でも、金でも、国でも買ってしまう。」

「「ぼくは宝石のほうがいいな」とB。」

「なんで?」

「ダイヤモンドは永遠に、だもの」

「永遠に、なんなの?」



単語をぜんぶ、ぜんぜん別のものに置き換えて、バラバラに、勝手に、頭に、流し込めばいいと思う。

右から左、左から右、ぐるぐる洪水の渦みたいに、グルグル。

すっきりしたら、何があるのか。

それをもう一回、Bに聞いてみたらいい。

そう思うよ。    

2009年5月5日火曜日

こどもの日。

「インスタント」のものは何でも、それがインスタントになる前だったころのものを、ただの名詞にしてしまう。


たとえば、コーヒーを飲む、ということ。

始めにお湯を湧かしてから、ドリップして飲むまでの、いくつかの面倒な、それでいてゆったりした時間の数々を、インスタントコーヒーは全部省いてくれる。お湯を沸かして、粉に溶かして、飲む、それだけ。

インスタントコーヒーは、不味くない。美味しくないだけ。

美味しくないことは、ネガティブなことじゃない。インスタントコーヒーは、コーヒーと同じ、十分苦い。

美味しいインスタントコーヒーは、素敵だ。インスタントコーヒーを飲む、中ではね。


誤解を怖がらなければ、インスタントはデジタルだ、0からすぐにMAXを達成してしまう。

行為のMAX。名詞のMAX。

物事の連続性とか、その連続の中の情緒を、取り立てて讃美しないのなら、インスタントがいい。

だいたい、インスタントの中にも、情緒はあるし。


何でもかんでも、簡単になるそれ以前のものが、簡単になったものより、優れているわけじゃないし、優雅なわけでもない。

どんな行為だって、かっこいい。

時間をかけてコーヒーメーカーにお湯を注ぐのも様になるし、

デジタルコーヒーを飲む、その飲んでいる時間と作る時間との異常なコントラストも、かっこいい。


どんなインスタントだって、どんな古式ゆかしい作法だって、様にならないときは様にならない。

様になる、絵になる、風景として美しいこと。

それが絶対の価値観だと思う。

判断に次ぐ、判断を、いつもすること。

そういう毎日が、いちばん愛おしい。


ちびまる子ちゃんのおかっぱもスカートも、
波平さんのハゲとヒゲ眼鏡も、

かっこいいことが全てだと思う。


意味もなく、何もなく。

ただ、かっこいいこと。

誰もがかっこいいと、思うこと。


そういうことが、いちばんかっこいい。


嘘は悪いことじゃない。

嘘は、かっこよくすれば、かっこいい。

嘘から出た真は、ピュアホワイト。


でも、嘘も何もいらなくなるのが、いちばんかっこいい。

だから、嘘はつきたくない。


一生、ハイハイして、生きてたい。    

2009年5月4日月曜日

「この雨」に心打たれて。

隣近所から、

忌野清志郎氏を愛おしむ声がしている。

ボクは、そんなに思い入れが強いわけでもなく、そんなに知っているわけでもなく、人生のシーンをともに走ったわけではないのだけれど、

「雨上がりの夜空に」くらいは知っていて、よく口ずさむくらいには好きなわけです。

だから、もういないんだな、と、知識があると、

「こんなよ〜るに〜」と声を上げたいときに、お前に乗れなくなってしまいますね。

故人を愛おしむように、ロックを歌っちゃぁ、湿っぽいぜ。


ネットがポンコツしていた間は、i Phoneから投稿してたので、稚拙な内容のものばかりでした。

(え、いつも?)

また、もう少し頭を使ったものを書いていこうと思います。


京都の鴨川はカップルで溢れています。

GWの中日は、

恋人たちの日でした。


男の子ががんばって、

川床のフレンチを彼女にごちそうしている姿は、

何とも可愛いものでしたが、

全然、つまらない、

傍から見ると、さえない、

そんな風景でした。


ボクは、生来のスマートではないですから、

何にせよ、粋に「使う」人間になりたいのです。


おそまつですが、これはこのへんで。


今日も来ていただいて、ありがとう。

(ちょっと、パクリだね)    

感想 - 6



「球体写真二元論 ― 私の写真哲学」

写真集「抱擁」について

「「抱擁」には、人間とは、哀切で、流麗で、力強い、という認識がある。しかし人間讃歌と呼ぶには、或る暗いものが底流している。その暗さは、細江氏の写真芸術の体質的なものでもあるが、どこかで救済を拒絶している孤独感ともいうべく、それはあのユーモラスでまた残酷な「鎌鼬」にも底流していた主題である。神は死に、人間が世界に裸で直面しているのである。誇りもなく、羞恥もなしに。」

― 三島由紀夫氏序文(遺稿)より


主観と客観の両義性の、アンビバレントな板挟みに呪われた芸術の一つの解釈、解決が、「写真球体二元論」であるとしたら、その思考のフレームは、氏の舞いを氏の上で踊らされるという、これもまた悲しい宿命から逃れられない。

それぞれの写真芸術とは、おそらく最も個人的で、そして公共理解の深海に堕ちていくものである。

自分の葛藤する場所を自分で見つけること。

芸術家の仕事はその発見と、そしてそこでの永遠の葛藤ということに尽きるのではないか。    

2009年5月3日日曜日

昨日のお酒。

どうしてもカヴァが飲みたくて、バールに。

結局最後は、コーヒーリキュールとウォッカのカクテル。

ロックで飲むわけですね。

昨日書こうとしたら、出来なかったのです。    

2009年5月1日金曜日

昨日の。

本日完成。

改良の余地は多々あるが、おいしぃ。    

ケータイから初投稿。

自宅のLANが壊れぎみ。

ので、iPhoneで必死にWebしてます。

必死の一環で、初投稿。

ちゃんとデキるのか、心配。

(じゃっかんの修正。以下)

今日はお休みなので、一日買いもの。

服、鍋、など。

明日以降はバイトが続くので、今から明日以降の晩ご飯を仕込みます。

豚モモの赤ワイン煮。

(ちゃんと、国産ですよ〜)


あぁ、誰かお嫁にもらって〜