どうしてもジャムの蓋が開かない。
湯につけて温めてみても、キッチンの角でたたいてみても、
加えに加えた力は、最後にはするりとはぐらかされるばかりで、いっこうにジャムの瓶は口を一文字に結んでいる。
テーブルに鎮座するジャムと目を合わせながら私は、椅子を引き座り、ジャムの瓶に負けじと腕を組む。
そうして威張り合ってみたところでジャムの口が少しでも緩むものかと期待するが、そんな期待をする馬鹿馬鹿しさをすぐに認めて、私はさっとジャムを冷蔵庫に差し戻した。
代わりに引き出されたバターの身をナイフで切り、パンをちぎった口に塗り付けて、自分の口に頬ばる。
焼き上がってから時間がたって、香ばしさだけが少し感じられるくらいのぬるいパンを、私はけっこう愛している。
小麦の甘さを感じられるような気がする。人間に対して優しくなれる、気がする。
そんな愛に満たされた中でも、ジャムの未練が断ち切れない。
すでにジャムの蓋が開いたとき、私はジャムを食べることはないだろう。
しかし、ジャムを食べたかった私がジャムを食べられなかった悔しさが、私をジャムに執着させる。
ジャムが食べたい。
パンを食べ終え、バターをしまい、それだけでは何かものたりないのでテーブルの上のティッシュやら小物やらをすべて片付ける。
まっさらにした無垢のテーブルの中央に、私はジャムの瓶を静かに置いた。
「こうなりゃ、持久戦だ。いつか開くだろう」
時間が解決してくれるかもしれないと、ただただ意味もなく、ジャムの瓶に時間を与えることにした。
それほどずっと、口を結んでいるのは難しいだろう。ジャムだって有機物だ。
ジャムの有機物さが、瓶の無機物っぷりに勝つことを願う。
そのままジャムを放置して、何か少しの哀愁すら感じさせるジャムの瓶を尻目に、私はコーヒーを飲む。
なかなか充実した午後だ、こういう日は好きだし、こういう日には何かいい考えがひらめくだろう。
そんな期待をしても、今日はダメだった。
思えば今日は期待ばかりしている。ジャムの瓶に過剰な期待ばかりをかけているし、自分の一日にも無責任だ。
では自身の無責任さをいかに解消しようかと考えてみても、やはり呆けることしかできない。
作らなければいけない晩ご飯、明日の仕事、昨日の仕事、パソコンの細かな設定、整理整頓。
細かで些細な重労働が、私の意識からすっかり消えていかない。
それは純粋なスケジュールなのだから、何も、考えなくていいのだとわかっている。
ただ、それが意識を離れない。気になる。
そんな気を揉んでしまうと、もう離れることはないだろう。私の思考は、浮き世を離れて自由に飛び回ることを、今日という日には出来ないようだ。
浮き世をどこまでも遠くに飛んでいく、ふわふわとした風船のような、私の脳みそ。
いつまでも空っぽにならない私は、そんな思考のイメージを想像して、今日という日をよしとした。
虚ろな視線を娑婆に戻し、私は、
さて、ジャムが開くものかとテーブルに手を伸ばし、瓶の蓋に片手をかける。
開いたジャムの瓶の中に、ものすごく赤いイチゴのジャムがある。
ただそれをイメージしながら、必死の力を瓶の口にかける。
それでも今日は、開かない日なのだ。
ジャムも私も、今日はいっこうに、あかない。
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