2009年5月4日月曜日

感想 - 6



「球体写真二元論 ― 私の写真哲学」

写真集「抱擁」について

「「抱擁」には、人間とは、哀切で、流麗で、力強い、という認識がある。しかし人間讃歌と呼ぶには、或る暗いものが底流している。その暗さは、細江氏の写真芸術の体質的なものでもあるが、どこかで救済を拒絶している孤独感ともいうべく、それはあのユーモラスでまた残酷な「鎌鼬」にも底流していた主題である。神は死に、人間が世界に裸で直面しているのである。誇りもなく、羞恥もなしに。」

― 三島由紀夫氏序文(遺稿)より


主観と客観の両義性の、アンビバレントな板挟みに呪われた芸術の一つの解釈、解決が、「写真球体二元論」であるとしたら、その思考のフレームは、氏の舞いを氏の上で踊らされるという、これもまた悲しい宿命から逃れられない。

それぞれの写真芸術とは、おそらく最も個人的で、そして公共理解の深海に堕ちていくものである。

自分の葛藤する場所を自分で見つけること。

芸術家の仕事はその発見と、そしてそこでの永遠の葛藤ということに尽きるのではないか。    

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