「インスタント」のものは何でも、それがインスタントになる前だったころのものを、ただの名詞にしてしまう。
たとえば、コーヒーを飲む、ということ。
始めにお湯を湧かしてから、ドリップして飲むまでの、いくつかの面倒な、それでいてゆったりした時間の数々を、インスタントコーヒーは全部省いてくれる。お湯を沸かして、粉に溶かして、飲む、それだけ。
インスタントコーヒーは、不味くない。美味しくないだけ。
美味しくないことは、ネガティブなことじゃない。インスタントコーヒーは、コーヒーと同じ、十分苦い。
美味しいインスタントコーヒーは、素敵だ。インスタントコーヒーを飲む、中ではね。
誤解を怖がらなければ、インスタントはデジタルだ、0からすぐにMAXを達成してしまう。
行為のMAX。名詞のMAX。
物事の連続性とか、その連続の中の情緒を、取り立てて讃美しないのなら、インスタントがいい。
だいたい、インスタントの中にも、情緒はあるし。
何でもかんでも、簡単になるそれ以前のものが、簡単になったものより、優れているわけじゃないし、優雅なわけでもない。
どんな行為だって、かっこいい。
時間をかけてコーヒーメーカーにお湯を注ぐのも様になるし、
デジタルコーヒーを飲む、その飲んでいる時間と作る時間との異常なコントラストも、かっこいい。
どんなインスタントだって、どんな古式ゆかしい作法だって、様にならないときは様にならない。
様になる、絵になる、風景として美しいこと。
それが絶対の価値観だと思う。
判断に次ぐ、判断を、いつもすること。
そういう毎日が、いちばん愛おしい。
ちびまる子ちゃんのおかっぱもスカートも、
波平さんのハゲとヒゲ眼鏡も、
かっこいいことが全てだと思う。
意味もなく、何もなく。
ただ、かっこいいこと。
誰もがかっこいいと、思うこと。
そういうことが、いちばんかっこいい。
嘘は悪いことじゃない。
嘘は、かっこよくすれば、かっこいい。
嘘から出た真は、ピュアホワイト。
でも、嘘も何もいらなくなるのが、いちばんかっこいい。
だから、嘘はつきたくない。
一生、ハイハイして、生きてたい。
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