2009年3月30日月曜日

factotum.32

朝7時、ゆうたは10kgのニンジンをコンカッセしている。

正確には、コンカッセしている途中だ。

8時までに終わらせなければいけない作業を6時半に始めた、少し寝坊だった。

粗く刻まれたニンジンは粗く刻まれたタマネギと粗い牛ミンチと混ぜ合わされ、200食分のランチになる。

彼は出来る方だったから滅多に怒られることはなかったが、この仕事は怒られてなんぼ、の世界だ。

少しでも下手なことをすると木べらが頭に飛んでくる。

尊敬する先輩の木べらでも馬鹿な先輩の木べらでも、木べらは木べらだし先輩は先輩だ。

体で覚えた仕事を必死でレシピにする、料理のレシピはいらないが仕事のレシピを書くことは大事だ。

鈍く光りを反射して輝くステンレスで囲まれた厨房が、彼は本当に好きだ。

愛しているという言葉は当てはまらないが、心地よく好いている。

自分の手でたくさんの野菜や肉が切られ、刻まれ開かれ裂かれ刺され、焼かれ蒸され油に通され煮られ、姿をかえて、料理になる。

名前のついた料理になる。

しかもそれはただ名前がついた食べ物とは違う。

名前自体に意味がある、ちゃんとした料理だ。

リヨン風のクネルは、ちゃんとした工程を経て魚がすり身にされグラタンにされる。

食べる人間は、ここでそれを食べる。

それはここ以外では食べれない、ここでしか食べれないそれだ。

もちろん「それ」というふうな雑な言葉を使えることはわかっている。

ただそれでもこのホテルのリヨン風クネルは固有の名詞だ。

ちゃんと味わってもらえる、食欲を満たす以上の満足を与える食べ物。

木べらが飛んで来た。

「いつまでやってる。全部合わせて、さっさとタネを作れ」

「すいません。ありがとうございます」

11時までには全部済ませなければいけない、そこからの休憩時間30分の間に洗い物を済ます。

夜はデートのつもりだけど、体力あるかな。

ぼそっとそんなことを考えたときにはもう、ゆうたはミンチをこねていた。    

2009年3月29日日曜日

factotum.31

「Buon appetit!!」

10時に始めた飲み会は、深夜0時を過ぎて1時になろうとしている。

もちろんシャンパンを浴びるほど飲むわけにはいかないが、スペインバールをイメージした店ではカヴァがありったけ出された。

まいちゃんはテーブルとテーブルの間をひょこひょこ回りながら、ボトル片手に行ったり来たりしている。

「飲むぞー おー」

男の子3女の子2で飲んでいたが、5回も打った乾杯とまいちゃんの陽気さで3つのテーブルがくっついていた。

「この生地テロテロしてますねー、可愛いなーいいなー、てろてろてろてろ」

「えーわかんないよ、うん、いっちゃえいっちゃえ」

3時に店を出たが、外はまだ寒い。

「3月じゃないのかよー寒いよー3月の30日の3時はさむいよーぶるぶるぶる」

男の子の家に女の子2人で行く。もちろん飲み会はもっと続くというつもりで行くが、全員すぐに寝てしまった。

朝6時に目を覚ましてまいちゃんは、すぐに男の子のアパートを出た。

電車に乗って家に帰り、シャワーを浴びて、いろいろ整える。

照明デザインの事務所に出たのは8時。

昨日机に残した書類を整理して、その日一日の仕事を整理する。

コーヒーをいれて少し冷めるまで待つ。湯気の勢いが落ち着くまで。熱いものは嫌いじゃないが、まいちゃんは、コーヒーが熱過ぎると身体も熱くなりすぎるのが嫌いだ。

コーヒーを半分くらい飲んで気持ちが落ち着いたころには、ほとんどの人間が席について仕事を始めている。

まいちゃんは隣の経理の娘に話しかけた。

「昨日、あの後飲みに行ったんだ。楽しかったよー。あ、この表示なんだけど、金額合ってる?多分セール前のだよね」    

2009年3月28日土曜日

factotum.30

木枠で出来た窓、木枠で出来たブラインドから、夕方の暖かい色の光が漏れ射している。

漏れ射しているというのは、みほちゃんが部屋の灯りをつけずに、やはりその漏れ射した光が部屋全体をぼんやりと包んでいるという状態のために、そう述べられているということだ。

みほちゃんはテーブルにひじをついて、片手で分厚い本をめくっている。

ひじをついてと描かれたが、それは決してつまらないわけではない、ただみほちゃんにはもっと考える、考えてしまう内容があったということだ。

「読書の向こうに、何がある」

読書に広がる空気をみほちゃんはもちろん愛していたが、彼女はその空気とその世界からもっと先の世界を描こうと意欲的だった。

読書は読書で終わらない。本は本を呼び、その先には豊かな現実の実りがある。

彼女はその可能性を認めていたし、虚構といえども真理だと認めていた。

それでもみほちゃんが読書の全てに無関心だったのは、彼女の気分自体が落ち込んでいたからだ。

「私は、すべてに優先するの。すべてが、私に優先するように」

「...かっこわるいなぁ。難しいんだよ」

彼女は電話のコードをくるくるとねじって回している。

電話の向こうには誰もいない。これは彼女が、ただぼんやりとしているときに、ただぼんやりと何の意味もなく、ただぼんやりとする癖だった。

みほちゃんはこんなときにとても紅茶が飲みたくなる。

「地獄のように熱い紅茶...」

ごぼごぼと音を立てて沸騰するお湯を、別のポットに移す。

そうして97度になったお湯を一気に紅茶葉に注ぎ入れ、ポットの中を湯と葉が踊る。

紅いきれいなくすんだ色。

みほちゃんはティーカップに口をつける。

のどが焼けるように熱いと感じたときには、空っぽの胃に紅茶の熱さがじわりと重く広がる。

そんなふうにして自分の身体を感じるみほちゃんはやはり変態なのだが、それくらいの変態さが通常あらゆる人にあることを彼女は冷静に把握している。

「こんなことをいちいち冷徹なマゾヒズムとか書いちゃう人って、やっぱりつまんないね。言いたいだけだもんね。文学さん」

こんなふうに、みほちゃんはすぐに物語を離れてこちら側を見てしまう。

それが彼女の美徳であり、欠点なのだ。    

2009年3月24日火曜日

factotum.29

「経験されていく結末っていうのは、どうでもいいんだ」

ダニエル君は、灰皿にタバコの先を押さえつけて言った。

「僕は、僕以外のことがわからない。誰かが考えたり感じたりする世界とか、たとえば第三世界、どうでもいいけど酷い言葉だよね、でもつまりそういった人々の窮状を、彼らが感じる苦しみと同じように感じるなんていうのは出来ない。僕は現在に対して目くらだし、僕は可能性の世界しか見えない」

カワサキは両足の間で手を組みながら、黙って聞いている。

「だからさ、一番つらいのは、今この瞬間に何もないことなんだ。それは矛盾してなくて、可能性が転がる先もないような現在が、僕にとっては最もつらくてきつい状態なんだよね。どうなってもいいから、どうかなっててよ、ってね。つまらないかに?」

「いや、聞いてるよ。」

カワサキは、コーヒーのマグカップに手をかける。

「それだけのために来たの?」

「まさかまさか、もっとお話しようと思って来たんだよ。最近どうなの?」

「まぁ、これが息抜きになる、という感じだね」

カワサキはディスプレイにメールが来たことを確認し、指で操作する。

「そんな話をされるとね、そんなことも考えない自分を、客観視してしまう。僕は何を考えて、日々生きてるのか。」

ソファの上でダニエル君は、結んだ手を口に当てて、笑う。

「お兄さんは、立派だよ。一兎も追えない人間が言うんだから、間違いないね」

カワサキは、ワークチェアに背中を沈めて笑う。

「ウサギは、ウサギだからなぁ」    

2009年3月22日日曜日

factotum.28

どれだけ外が快晴であろうとも、大学院棟というのはどこかしら薄暗く、壁に沿って積まれた段ボール箱群は、その陰気さをより確かなものにしている。

5階建てのそれほど大きくはないタワーを、両側が大きなガラスで囲まれた廊下がつないでいる。二つのタワーに一つの廊下。それが三組ある。

松川教授の研究室は、理工学棟の4階だ。

博士課程2年のカワサキは、レポーター遺伝子のトラッキングと新たに発現したタンパク質の同定についての質問のために、松川教授とのアポイントメントを取っていた。論文の取りまとめの期限まで、それほど余裕がない。

教授は直接の指導教授ではなかったが、観測手法の理論的アドバイスをもらおうと、2階下の自身の研究室からエレベータに乗り、彼の部屋の扉をノックする。

「松川教授。カワサキです」

「どうぞ」

教授の部屋は、見事というほど整理されていた。いや、正確には整理されていたというより無駄なものが始めから全くなかった。奥に長い部屋の手前には応接用の一人がけの足の高いソファが一つ、部屋の奥には横に伸びる形でデスクが設置され、その奥にワークチェアがある。ラップトップと数冊の本が机の上にある以外に、他に何もない。

殺風景やさびしいを通り越して、美しいな。カワサキは部屋に入ってすぐにそんな感想を持った。

「かけて」

カワサキは手前のソファに座った。

「理論を愛することは、虚しい」

松川教授は部屋の最奥にある大きなガラス窓の外を見ながら、つぶやいた。

「理論を理解し、突き詰め、その先のアプリケーションを考えようとすれば、彼はその他の一切を無視する努力をしなければならない」

松川は、カワサキの方へ振り向き、微笑した。

「君は、そういった感じで考えたことはないだろうね」

「えぇ、少なくともアプリケーションから入ることの方が多いのです。私は凡人ですから」

カワサキはわざと自嘲気味に苦笑いして答えた。嘘と正直が半分半分の謙遜、そんなところか。

松川教授は何かに納得した様子で、うんと唸った。

「そう。器用だとか不器用だとか言っても始まらない。自分の愛してるものを愛さなくてはね。さ、質問を聞こうか」

カワサキの質問に対して、松川教授はいくらか返答し、そのやりとりが20分ほど続き、明日の朝、松川がカワサキにメールでまとまった意見を伝えるという形で話は終わった。

カワサキはソファから体を起こし、礼を言って部屋を出ようとしたが、ドアを開けたとき、そのまま教授の方へ振り返り、聞いた。

「博士。理解することは素敵ですね」

松川は、カワサキの目をじっと見つめ、無表情に答えた。

「そうだ。しかし理解するものの選択に後悔してはならない。我々の頭脳は、それほど賢くはない」

カワサキは軽く頭を下げ、自身の研究室に戻る道のりを進んだ。    

2009年3月21日土曜日

さびしさに、とことん負けている。

敗者であり、弱者。

今の僕だ。

私の崩壊寸前のメンタルを必死で現世につなぎ止めているモノは何か。

読書。

本読んでるからいいじゃ〜ん、そんなに無駄じゃないじゃ〜ん。

このごに及んで活字を祭り上げるオールド・タイプ。

ああ可愛い、僕。


さて、私は、さみしい。

さみしい私(あ、一人称)は何をするのか。

世の中の変化を探すのである。

自分の足で各所を周り、今日も世界は大丈夫かと汗水たらして情報を集める。
東で西松、西では東松、私の目はギラギラ光っている。
敏腕記者である。
........である。

無理です、ごめんなさい。

私の世界探訪へのフラストレーションは、往々にしてmixiの地獄のようなチェックに向けられる。

おお!貧しい!貧しき青年よ!

君の苦境を私は嘆く、嘆くぞ!そして私を嘆いてくれ!

嘆き合おう、もはやmixiとは私たちの前にそびえ立つ嘆きの壁だ。

「お願いだよ〜みんな〜動いてくれよ〜」「パレスチナもイスラエルもむしろミサイル打ってくれよ〜」

嘆きの壁は私たちに何も応えない。

嘆きの壁は私たちに非情だ。

気づけばどこを見回しても私一人しか見当たらない。

私は私に非情だ。


どうでもいいがNHKで、そんなにどうでもよくはない番組をやっていた。

どうでもいいといえばどうでもいいが、やはりあれをどうでもいいというのは、さびしい。

さびしさのスペシャリストとして答えておく。誰かには知らない。

過激なサイバーリバタリアニズムを主張すれば、
テレビというデバイスはいらない。
全てはインターネットで配信さればいい。
テレビ局とは、リッチなコンテンツの制作所と同義になる。
広告収入の問題はクリアできる。
テレビというシステムで儲けていた人たちの大半は消える。
消えた人は農業をしてください。

ただし、である。

テレビはみんなで見たい。

みんなで見たら、話したい。

家族で職場で、いろいろで。

HDDで録りためてみんなで見る、とは違うのだ。

マスメディアは真の意味で、マスということが大事になるのだ。

テレビは茶の間を超えて、みんな見ているのだ。

まぁ、知らない。

僕、テレビ好きだし。

今のまんまでいいし。

おばか〜は見ないし、でも見るときはおもしろいし。

めちゃイケがあればいいし。

つけっぱなしだし。

インターネットしながらテレビ見てるし。

ながら族だし。

でも、あれも社会、私も社会。

真面目にディスカッションしなくてはいけにゃい。


最近、自分は実はとても反骨的なのだと感じ始めている。

保守だし、体制側っていわれるし、そっちのものが好きだし。

でも、オーソリティーが嫌いなんだよねぇ。

いや、マイノリティがオーソリティーになっていくのがいやなんだ。

茂木健一郎しかり、(糸井さんはまた違うけど、お年かもしれませんね)


もう、何だか時間がたってにゃにがにゃんだかわけわからんにゃという感じにゃんだから、

目の前で映ってる、しゃべり場だけれどにゃ。

中年と若者で話してるけど、これは違うのニャ。

ここに出てる若者は、クズみたいに弱いのニャ。

中年は、それなりに自分で一本立ちして努力してきた、虚勢を張ってきた人なのニャ。

弱い人と強い人のしゃべり場なのにゃ。

それを弱者溺愛で話しだすから、議論が死んでるのニャ。

弱いアホと、強いアホ。

アホだけど、強いアホはちゃんとしてるのニャ。

弱いアホは脳みそが死んでるのニャ。

脳死なのニャ。

脳死と、アホの議論。

アホの勝ちに決まってるのニャ。


やっぱりテレビっていいものニャ。

パッケージするって大事ニャ。

2ちゃんねるはかしこぶってるけど、わけわからんにゃ。

じゃあ、パッケージの勝利かにゃ?

「やりがいが〜」だと?

「安定が〜」だと?

アホか    

factotum.27

しかしよく考えてみれば、マジョリティの社会システムというのは柔軟性に富んでいる。彼らはこちらの人格をことさらに問わず、労働の内容ですべてを評価する。変なバイアスがない。先入観や固定観念にまみれた人たちが、よくもまぁこんなにもフレキシブルな制度を作り上げたものだ。

ダニエル君は、スターバックスでの勤務中、その休憩時間の間にそんな風なことを思いついた。

色調の暗い鼈甲柄のボストンタイプのメガネをかけた彼は、文系学生の模範とも言える風貌だが、彼自身世の中の多くの文系学生と呼ばれる人たちを馬鹿にしていた。

学問は、逃げ道じゃない。

大学院への進学を「入院」と言って、そしてそれを自嘲気味に語りながらもその進路をそれなりの衒いもなく発表できる人種の類いを彼は侮蔑している。

まぁ、そうやって何も選択出来なかった自分を、ダニエル君は彼らよりもっと自分自身を自嘲して虐めるのだけれど。

スターバックスの店内はどこも素敵だ。スターバックスという空間コンセプトが、日本全体に行き届いている。しかもそれが、うるさくない。ドトールはダサイし、他は何だか分からない。スターバックスもうるさいときがある。しかしそれは比較の問題であり統計の問題であるから、結局はスターバックスが一番いい。それも主観の問題だ、議論にならない。

「つまらないなぁ」

休憩が終わり、笑顔で接客をし、ラテを作り、笑顔でそれを出して、彼のシフトは終了した。

コーヒーを飲んでもお腹は空くので、お昼時、彼は近くの食堂に入った。

レバかつ定食、800円なり。

彼の好みからいえば、気軽に入れるビストロで、スズキのグリルに安いグラスの白を2杯というコースがよかっただろう。けれど、スターバックスで働いた後にフレンチを食べる自分を想像して、嫌気がさした。たとえそれが自意識過剰だとしても、そのバランスの身の丈は保ちたいと思う。

そんな気持ちの延長で、彼はご飯をおかわりしたが、店を出て、まったくそんな必要はなかったことを自分のお腹をさすりながらしみじみと痛感する。満腹とそれ以上の過剰を消費したかった、それだけのためにわざわざ食べ過ぎる。ダニエル君は、本当に頭を無駄に使いすぎる青年だった。

「さて、どうしますかな」

自転車にまたがり、少し遠いが図書館に向かう。

大判の建築写真なんかが読みたいか、そんなところだな。

自転車は大通りを抜けて、細かい道をまた抜けていく。5月の風は、精神衛生的にいい。


カワサキは、    

2009年3月20日金曜日

真夜中を省いた密談

いきなりの投稿ラッシュである。

こういうのは迷惑がられる。

blogの方ではRSSが増えると怒られ、mixiにこれを写すと諸君の憤懣やる方ない。

ではmixiには書いてくれるなと貴君はおっしゃる。

いやだ、私はさみしい。


近所のダイエーの一角に、中華コーナーがある。

ダイエーが開いてるのかはわからないが、専用のキッチンがあり、中華弁当から中華惣菜とおおよそ中華の匂いがするものなら各種色々取り揃えてある。

そんなダイエー中華コーナーに、私を魅了しているものがある。

中華丼である。

これ以上に中華な食べ物があるだろうか。「何食べる?」「ん〜じゃあ中華☆」という女子は中華丼を食べればよい。

まさに中華、これぞ「ザ中華」、「中華オブ中華」、なんちゅうかそんな感じだ。

誰にも文句は言わせない。文句には即座に負けてしまうからだ。

脇道にそれたことを素直に認めて、本道を走ろう。

なぜ中華丼か?

知らない、それを確かめるために、今日は昼と夜の二食をダイエー中華コーナー中華丼にした。

ま〜旨いっすね、うん旨いんじゃないっすかね。納得できないけど。

さてこの話の本題は、ああいった「出来合いのもの」「冷凍食品たち」の性質への一つの考察にある。

やつらは、あいまいだ。

「ふざけ」の話の次に「あいまいだ」などとはまた本当にふざけた奴だと罵られるかもしれないが、その罵りを受けても私はやつらの「あいまいさ」を訴えたい。

やつらには思想がないのだ。

酔っぱらいは塩気がほしくなるだろうし、人によって料理とは好みがある。

つまり家庭料理の基礎理論は、「パンチ」にあるのである。

奴らはパンチがない。オイスターソースも醤油もそのバランスが、実に安定している。

奴らは主張しない、ひっそりと存在する。

やつらは優しく私たちの食欲を満たす。

そう、まさに私は「中華丼」という惣菜を買い食べることによって。中華丼を食べたのである。

存在論的証明によって中華丼はそこにあった。

ダイエーの中華丼が見せる中華丼の宇宙。

その宇宙を感じるために、内なる私は中華丼を食べたのだろう。一日に二度も。

あいまいなものは好きだが、あいまいなものが嫌いだ。

私は何が好きなのか。


どうでもいいがダイエーのレジにいる中年のスッとした男性。

竹中さんだ。

「おはし、いる?」「あ、スプーンの方がいいか」「おはしは、大丈夫?」

ん〜、実にフランク。

普通に白菜とベーコンを買ったら、この会話はなかっただろう。

さみしき男子の惣菜買いが、なくても成立したコミュニケーションに少しの彩りを与えたのだ。


明日も私は中華丼を食べるのだろうか、あいまいさを求めて。


まぁmixiには書かない。    

ふざけんな、ふざけやろう。




ふざけたメガネの人がいる。

僕だ。

なぜそんなふざけメガネにしたのか、理由はないが、おそらく「ふざけたかったから」と答えるのがベストアンサーであることは間違いない。

どうでもいいが僕の日記文体はそのときの読書に引きずられる。これも立派な「ふざけ」だ。

文学青年面をしたかったのだろうか、やはり「ふざけ」以外のはっきりとした理由は見当たらない。

立派さの不在。

しかし考えると、世の中の大半はふざけることから出来ている。

パリコレクションを見て欲しい、タイガースの優勝に沸く道頓堀川を見て欲しい。

玉を投げてそれを打つ走る。玉を蹴る入れる走る。

すごーく高次元な数学問題を考えるという行為。

通販番組の登場人物たち。

テレビ朝日。(あ、これは嫌い)

フジテレビ。

あぁ、世に溢れるふざけの数々よ。

僕は、あなたたちを心底愛しています。

素晴らしきふざけに満ちた世界。

世の中はふざけによって彩られる。

いかんいかん、美文すぎる。

しかし、ふざけは時に危険である。

ふざけはふざけと認められ、そのふざけ自体を認められなくてはいけない。

全身で「ふざけてるんですよー」と発信し、「そっかー」と受信され、「ねー」とうなずき合う。

ふざけ世界のコール&レスポンスは、眠ることなくあまねく場所で執り行われている。

真面目でないのではない、真面目にふざけているのだ。

しかしふざけることを嫌いだという人がいる。そしてふざけられない人がいる。

ふざけることを不要という人は、しっかりしている。しっかり生きていらっしゃる。

ふざけられない人は、真面目ぶろうとしている。性根はふざけた野郎にも関わらずだ。

ふざけることは難しい。

巫山戯。

漢字にしたときのこの迫力、本当にふざけている。巫山戯た人がこの漢字を当てたのだろう。

いや、本当に真面目な人が真剣に「う〜〜〜〜ん」と考えた結果、このようなふざけた感じ、漢字が誕生したのか。

ふざけは、本人の意志に関わらず、忍び寄り、侵略する。

ふざけは恐い。

我々はびくびくしながらふざけている。

あぁ、ふざけは心地よい。

ふざけたい。

ふざけた野郎と褒められたい。

自分の想像力をぶち破るほどの巫山戯を、体中から発散したい。

ふざけは、恐くそして楽しい。

そうして僕は、舞台に立っている。

昨日、サークルをお酒とともに追い出された。

さみしい。    

2009年3月17日火曜日

factotum.26

「美味しいお酒を、下水道の近くで飲むようなもの」

つまりみほちゃんはそう言いたかったわけだが、それはダニエル君によってすんでのところで違う言葉にすり替えられた。

「下水道の近くで飲むこと自体が、甘美なお酒の境界条件なのかもしれないよ」

こういったやりとりを二人はいつも不満に思いながら、しかし大事なこと、それはそれぞれ自分自身にとって必要な作業、思考運動の過程として、簡単にいえば楽しんでいる。

「デカダンスの価値を妄信、盲信したくないわ」

「そんなスマートに生きてみたいな。親切さの偽善さを、僕は疑ってしまうよ」

「ずるいよ、それ」

二人ともタバコに火をつける。

その銘柄うんぬんは私には分かりかねるけれど、まぁおいしいと思うから吸うんだろう、二人の頭はクリアになりながら、煙の中に視線は惚けている。

全ての価値を遠ざけたい、できれば何もない世界に。