敗者であり、弱者。
今の僕だ。
私の崩壊寸前のメンタルを必死で現世につなぎ止めているモノは何か。
読書。
本読んでるからいいじゃ〜ん、そんなに無駄じゃないじゃ〜ん。
このごに及んで活字を祭り上げるオールド・タイプ。
ああ可愛い、僕。
さて、私は、さみしい。
さみしい私(あ、一人称)は何をするのか。
世の中の変化を探すのである。
自分の足で各所を周り、今日も世界は大丈夫かと汗水たらして情報を集める。
東で西松、西では東松、私の目はギラギラ光っている。
敏腕記者である。
........である。
無理です、ごめんなさい。
私の世界探訪へのフラストレーションは、往々にしてmixiの地獄のようなチェックに向けられる。
おお!貧しい!貧しき青年よ!
君の苦境を私は嘆く、嘆くぞ!そして私を嘆いてくれ!
嘆き合おう、もはやmixiとは私たちの前にそびえ立つ嘆きの壁だ。
「お願いだよ〜みんな〜動いてくれよ〜」「パレスチナもイスラエルもむしろミサイル打ってくれよ〜」
嘆きの壁は私たちに何も応えない。
嘆きの壁は私たちに非情だ。
気づけばどこを見回しても私一人しか見当たらない。
私は私に非情だ。
どうでもいいがNHKで、そんなにどうでもよくはない番組をやっていた。
どうでもいいといえばどうでもいいが、やはりあれをどうでもいいというのは、さびしい。
さびしさのスペシャリストとして答えておく。誰かには知らない。
過激なサイバーリバタリアニズムを主張すれば、
テレビというデバイスはいらない。
全てはインターネットで配信さればいい。
テレビ局とは、リッチなコンテンツの制作所と同義になる。
広告収入の問題はクリアできる。
テレビというシステムで儲けていた人たちの大半は消える。
消えた人は農業をしてください。
ただし、である。
テレビはみんなで見たい。
みんなで見たら、話したい。
家族で職場で、いろいろで。
HDDで録りためてみんなで見る、とは違うのだ。
マスメディアは真の意味で、マスということが大事になるのだ。
テレビは茶の間を超えて、みんな見ているのだ。
まぁ、知らない。
僕、テレビ好きだし。
今のまんまでいいし。
おばか〜は見ないし、でも見るときはおもしろいし。
めちゃイケがあればいいし。
つけっぱなしだし。
インターネットしながらテレビ見てるし。
ながら族だし。
でも、あれも社会、私も社会。
真面目にディスカッションしなくてはいけにゃい。
最近、自分は実はとても反骨的なのだと感じ始めている。
保守だし、体制側っていわれるし、そっちのものが好きだし。
でも、オーソリティーが嫌いなんだよねぇ。
いや、マイノリティがオーソリティーになっていくのがいやなんだ。
茂木健一郎しかり、(糸井さんはまた違うけど、お年かもしれませんね)
もう、何だか時間がたってにゃにがにゃんだかわけわからんにゃという感じにゃんだから、
目の前で映ってる、しゃべり場だけれどにゃ。
中年と若者で話してるけど、これは違うのニャ。
ここに出てる若者は、クズみたいに弱いのニャ。
中年は、それなりに自分で一本立ちして努力してきた、虚勢を張ってきた人なのニャ。
弱い人と強い人のしゃべり場なのにゃ。
それを弱者溺愛で話しだすから、議論が死んでるのニャ。
弱いアホと、強いアホ。
アホだけど、強いアホはちゃんとしてるのニャ。
弱いアホは脳みそが死んでるのニャ。
脳死なのニャ。
脳死と、アホの議論。
アホの勝ちに決まってるのニャ。
やっぱりテレビっていいものニャ。
パッケージするって大事ニャ。
2ちゃんねるはかしこぶってるけど、わけわからんにゃ。
じゃあ、パッケージの勝利かにゃ?
「やりがいが〜」だと?
「安定が〜」だと?
アホか
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