どれだけ外が快晴であろうとも、大学院棟というのはどこかしら薄暗く、壁に沿って積まれた段ボール箱群は、その陰気さをより確かなものにしている。
5階建てのそれほど大きくはないタワーを、両側が大きなガラスで囲まれた廊下がつないでいる。二つのタワーに一つの廊下。それが三組ある。
松川教授の研究室は、理工学棟の4階だ。
博士課程2年のカワサキは、レポーター遺伝子のトラッキングと新たに発現したタンパク質の同定についての質問のために、松川教授とのアポイントメントを取っていた。論文の取りまとめの期限まで、それほど余裕がない。
教授は直接の指導教授ではなかったが、観測手法の理論的アドバイスをもらおうと、2階下の自身の研究室からエレベータに乗り、彼の部屋の扉をノックする。
「松川教授。カワサキです」
「どうぞ」
教授の部屋は、見事というほど整理されていた。いや、正確には整理されていたというより無駄なものが始めから全くなかった。奥に長い部屋の手前には応接用の一人がけの足の高いソファが一つ、部屋の奥には横に伸びる形でデスクが設置され、その奥にワークチェアがある。ラップトップと数冊の本が机の上にある以外に、他に何もない。
殺風景やさびしいを通り越して、美しいな。カワサキは部屋に入ってすぐにそんな感想を持った。
「かけて」
カワサキは手前のソファに座った。
「理論を愛することは、虚しい」
松川教授は部屋の最奥にある大きなガラス窓の外を見ながら、つぶやいた。
「理論を理解し、突き詰め、その先のアプリケーションを考えようとすれば、彼はその他の一切を無視する努力をしなければならない」
松川は、カワサキの方へ振り向き、微笑した。
「君は、そういった感じで考えたことはないだろうね」
「えぇ、少なくともアプリケーションから入ることの方が多いのです。私は凡人ですから」
カワサキはわざと自嘲気味に苦笑いして答えた。嘘と正直が半分半分の謙遜、そんなところか。
松川教授は何かに納得した様子で、うんと唸った。
「そう。器用だとか不器用だとか言っても始まらない。自分の愛してるものを愛さなくてはね。さ、質問を聞こうか」
カワサキの質問に対して、松川教授はいくらか返答し、そのやりとりが20分ほど続き、明日の朝、松川がカワサキにメールでまとまった意見を伝えるという形で話は終わった。
カワサキはソファから体を起こし、礼を言って部屋を出ようとしたが、ドアを開けたとき、そのまま教授の方へ振り返り、聞いた。
「博士。理解することは素敵ですね」
松川は、カワサキの目をじっと見つめ、無表情に答えた。
「そうだ。しかし理解するものの選択に後悔してはならない。我々の頭脳は、それほど賢くはない」
カワサキは軽く頭を下げ、自身の研究室に戻る道のりを進んだ。
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