2009年7月30日木曜日

factotum ~ Bordeaux for 7 hours.

La Dame de Montrose 1997


サン・テステフのシャトー・モンローズ(格付け2級)のセカンドライン。

サン・テステフはボルドーのオー・メドック最北に位置する。
だからだろうか、ボクがボルドーにイメージするような芳醇さやリッチな感じとは少し趣の違う、芯の堅い、渋さと酸味が強調された味だ。もちろんカベルネの収斂性や濃縮したブドウの強さがメドックのワインであることを物語っている。

少しだけ冷えた状態で香りを嗅ぐとカシスの香りがやや粉っぽく出ている。
粘度は低く、前回飲んだポムロールとはあまりに対照的だ。
色調はなだらかだが、中心部は大きく濃い。
少しだけ見えるオレンジ色のニュアンスがこのワインの熟成感を表しているが、全体的には深く濃厚なガーネット。

味わいは、タンニンがしっかりとしており、少しざらつきがあるかなと思うが気になるレベルではない。
酸味が目立つ。
他の味わいを探して、何かに形容しようと思うが、一番適当なのはやはりブドウであり、ブドウの凝縮した果実味の力強さだろう。
ブルゴーニュのような土臭さ、少し冷涼な土地を想起してしまう。

おそらくカベルネ・ソーヴィニヨンが主にあるのではないだろうか。

ボルドーの、いや熟成したワインの特徴であるのか、アルコールのヴォリュームが適切で、ワインの風味を広げる以上の邪魔をしない。


抜栓から7時間が経った、時刻は夜10時。

穏やかになり過ぎた感じはいなめないが、酸味とタンニンが落ち着いて果実味と樽香が広がる。
開いてきた、という印象だ。
しかしアルコールが抜けているのは事実で、ワインとしては物足りない。

あと2年後くらいがこのワインの絶頂なのだろう。


ルモワスネ氏は「飲み頃を迎えてないワインは、飲むべきではない」と言った。

近くの頑固なワイン屋の店先にはその言葉が書かれ、その店主もまた熟成ワインが好きだ。

ボクは、若いワインも好きだし、リッチな熟成感を楽しみたいとも思う。

好みは色々だし、どれかのワインを嫌うというのはつまらない。

若いうちにワインに出会えてよかった。年をとるともう動かないから。


ワインに触れている瞬間に、現在の人生の最上の喜びを感じる。

それはワインが偉大なのか、ボクの現状が荒んでいるのか、どちらかかはわからない。

でもボクは、ボクのあらゆる欲望と情動と知性を取り込んでくれるこの相手に、多くの時間と労力をかけたいと思う。

もちろん、隣にあなたがいてくれれば、それ以上望むこともない。    

2009年7月27日月曜日

お休みしています。

Blogが書かれないときは、

日々の日常をこなしているときです。

それはあるときは追われていたり、

あるときは無思考だったりします。


今は、無思考に追われ気味。

ちょっとずるいですね。


水曜日には、ワインを飲もうと思っています。

テイスティングノート、書きます。

よかったら見てください。


*追記

グランダットというバーボンに出会いました。

クリアで、香りとアルコールのパンチがあって、しかし底流にどっしりと穀物がかまえている。
そんな味です。

それで、その後、そのbonded(樽熟と捉えればいいのかな)を飲みました。

樽で2年置いてから出しているようですが、なるほどバリックが効いています。
通常のもののクリアな部分(真ん中が抜けている感じ)に、すっと樽の香りが入っていて、バランスがよく歯切れのいい芳醇さです。

みなさんもぜひ一度飲んでみてください。


なんなんだ、、という文章でした。    

2009年7月20日月曜日

factotum ~ Bordeaux at am 5:00

京都の木造、ウナギの寝床。

京都の6月、集中豪雨の後の夜の湿度に、ボクは寝れないでいた。


本も一通り読んだし、さして興味もない。

ワインの本なんて読めば読むほど飲みたくなる。


朝5時のテイスティング。

二日前に野菜室に入れておいたボルドーを、楽しみにしながら、

湿度が立ちこめる台所で、一人、蛍光灯の下、

静かに抜栓し、グラスの色を見る。


vieux chateau des templiers pomerol 1999


ボルドーというものをよくわかっていないから、
探り探り色を見て行く。

中心はなかなか黒が深く、グラデーションにそれほどの広がりはない。
ポムロルだからメルローが主体なのか、それほど多くの品種がブレンドされているわけではなさそうだ。
特にカベルネの比率はそれほど高くはないだろう。
清澄度の高い、黒く澄んだルビールージュが誘惑的。

グラスを傾けて、戻す。
すると始めは何の変化もなく、少しして驚くほどゆっくりとラルムがそのふちが均一に落ちてゆく。
本当に滑らかにゆっくりと、波がグラスの底に戻って行く。
粘度の高さがそのボディの豊満さと甘さを予感させる。

アロマでの香りの立ち上がりは、熟成したワインによくある通り、そんなに際立っていない。
少しブリオッシュやナッツのような甘い香ばしさが漂う。
スワリングして、ブーケを嗅ぐと、熟成感たっぷりの木の香り。少しシガーの要素、乾燥プラムの甘み。

味わい。
チョコレートのような、酸味と甘みの出方。
マロラクティック発酵はかなり進んでいるのだろう。
もはや喉を通ったあとの鼻孔に広がる余韻は、ミルクの風味だ。
そこまで乳酸が?

とてもリッチで、アルコールのボリュームはまさに丁度いい。
きつすぎず、穏やかに風味だけを膨らませる。
カベルネ的な青さ、ピーマンのようなと形容されるニュアンスも少し感じる。
タンニンがきめ細かく落ち着いている。

ボディが厚く、とてもグラマー。


少し冷えた温度で出すといいだろう。

ぬるめだと香りは立つが、タンニンの爽やかさがなくなり、
少し粗く、うるさい。


ボルドーが女性、ブルゴーニュが男性。

そんな話があるけれども、

ワインはすべて、女であり男であり、個人である。

胸を張ったエゴイストたち。


そのエゴイズムこそが、ワインの官能だ。    

2009年7月18日土曜日

factotum ~ like a M-M-M.

ミッキーマウスマーチをぷくぷく歌って、

ステップしながら、

歩きたい。


ディズニーランドに、「行く」なんて間違ってる。

ぜーんぶがぜーんぶ、ディズニーだ。

ディズニーのように。

everyday everywhere everything everybody.....

every like Disney.


ボクはミッキーマウスになりたい。

ボクはヒトに興味がないけれど、ヒトを愛してヒトに愛されたい。

嫌われるよりは、好かれたい。

だけどボクはエゴイスト。


目一杯、したい。

どうせ理解しえない、理解するには時間もかかる、

そんな人間同士だもの。

今日のお酒は現実だけど、次のお酒なんてどこにも落ちてないじゃない。

だから今日を楽しもう。

今日ここにあることは、すべてに優先して。

今日のすべてに、自分のすべてを捧げよう。

エナジーを目一杯、燃やそう。

どこまでも、いこう。


ボクはミッキー。

もう龍になってしまうような魔女との闘い。

キラキラが止まらないファンタジア。

口ぶえ吹いて、蒸気船ウィリー。


だから、みんな。大事なこと。

「やぁ」の手をふるときは、

ちゃんとブルブル大きくふって、

ちゃんといつも片足を少しだけ挙げること。

毎日がディズニーみたいに。

ドラマを言い訳にしないで。

「これも経験だよね」とか言わないで、

ぜんぶがステージ。

降りれないステージ。

見て、見られて、踊って、手をつないで、

演技、演技、いつでも演技。

いつでも夢を、いつでも夢を。


ボクはミッキー。

今日の高座は、ミッキーマウス亭ゆううつ。

明日の真打ちは誰が出るのか。

ミッキーマウス一門は、みんな待機中。


「だからお前さん、酒は人間をダメにするんじゃないんだよ」

「人間がどれだけダメか、それを確認してるんだ」


ミッキーマウス亭の落語は長い。

24時間、お話三昧。

物語は続くよ、どこまでも。

「終わらない日常を生きる」

毎日をおもしろくするのはボクたちの責任。

毎日がディズニー。

美しく。

ただ、美しく。    

2009年7月13日月曜日

カリソメのリバティ。

セレブリティだとか、スノビッシュだとか、

そういうことは関係ない。


ボクは、純粋に舌の上の官能として、文字にしたい。


7/8
MERCUREY REMOISSENET Pere Et Fils 1996
「カベルネは知性に、ピノは官能に訴える」
と、誰かが言った。
ピノの官能を知った。
熟成したワインの、その懐の深さを知った。
湿度を持った香り、ワイン自体に融けいってしまったタンニン。
コクがある、が、なんと華やかで可愛らしい。
スマートな熟女。
あぁ、なんとペダンチックな、と思う事なかれ。
言葉には、その言葉なりの意味が、ちゃんとあるはずだ。
ボクは自分の責任のもとに提出している。

7/10
バイトが終わり、安く売っていたテキーラを、一人家で飲む。
夜10時の寂しさは、テキーラの涙が出るような甘い刺激に、深夜1時にその大きさを増す。
近くのバルにいって、ハウスの赤を飲み、使い道の迷っているリキュール、キウイとグリーンアップルのリキュールから、カクテルを考えてみる。
キウイ+ビーフイーター+クランベリー
グリーンアップル+スカイウォッカorマンサニーリャ+ソーダ(男の子仕様)
グリーンアップル+マンサニーリャ+辛口のジンジャエール(女子仕様)
もちろん帰ったら酔っぱらっている。

7/11
大学の先輩ペアが、お二人で京都にご旅行。
お昼は先についた女性とお茶を飲んで、バイトにいって、終わって3人で飲みに行く。連れてってもらう。
お店は全部電話してあって、最初は中華のバー。
よく行くけれど、何度食べても絶品の麻婆豆腐。
スパークリングの日本酒を飲んで、ボルドーのグラス(ちょっと硬かった、でも温度はたしかにちょっと冷えてるとおいしい、タンニンが優しくなる。香りが山椒の邪魔をしない)、紹興酒を熱燗で。
実に満足だけれども、二軒目を目指す。
前日に行ったバルで作ったカクテルを、女性が飲む。
男子二人は、まるでマルベックのような黒スグリの心地よい収斂性に、イチゴの香りが咲くような、品種はスペインのもので知らなかったが、情熱的な——だから、スノビズムじゃないんだって——ワインを飲む。
イベリコのチョリソが、おいしい。
そして、三軒目。
最後は、落ち着いたバー。
ずっと飲みたかったけれど機会がなかったシャルトリューズのヴェール(緑)とジョーヌ(黄)から。
リキュールが甘さの中に香りを求め、香りの中に夜の広がりを夢見るならば、紛れもなくこれはリキュールの女王だ。
それから何か飲んだか、おそらくタンカレーを飲んだような気が。
最後にMummをボトルで。
ブリュットの中の気品。
ほとんどがモエの経験しかない自分の浅さを改めて知る。
本当にごちそうさまでした。
お礼に次は、ボクがKRUGを用意しますね。っていう約束でしたね。
(krugの原価を調べてびっくりする、ノンヴィンテージでこんな高いの!?笑)

そうやって、今日はアルコールをほどよく引きずりながら一日働く。
祇園祭のお手伝いだが、なかなか楽しい。
些末なことに異常な情熱をもやしてハードワークする大学生というのは、まぁ可愛い。いちゃもんを相手にはできないので、ほとんど無視だけれども。
(偉そうにっ)
ゴーヤチャンプル—をいつもとは少し変えて、タンカレーとテキーラ、母親はToso asitiで乾杯。

母親がシガーバーに行ったらしく、おみやげがあった。
吸ってみる。
おいしいじゃん、というのが素直な感想。
もちろんタバコも吸わないボクは、全く作法がわからないけれど、自分なりにいろいろ試してみる。
後で正解を探すけれど、おおむね感想は間違ってなかったというつまらない矜持とともに、プレミアシガーという世界を覗けた。
香りと味覚の勉強。


溺れている。
日々の生活に?
表層的で上滑りな、実体を伴わない豊かさに?
カリソメの快楽に?
つまらない遊戯に?
安定に?

何でもいいし、どう映ってもかまわないが、一つだけ確かなのは、
精神の快楽を、身体の刺激とともに欲すれば、それは、

口にある。

ということ。

クチから始まるあらゆる世界は、すべて真に人間を欲情させる。

そこに溺れることは、決して神経の堕落ではない。

耽溺する精神。それがボクの原始的な憧れであったのかもしれない。

しかしその由来、見当もつかないけれど。


愛している。

すべてのことを、すべてのひとを。

できれば、あなたを愛したいし、愛を理解したい。

その不可能性に、人間のドラマがあると思うのだけれど。

その結末が、シャンパンの描く二重螺旋の気泡に、黄金色のリズムにあると期待したいのは、

ボクのわがままだろうか?

恋は、人を詩人にする。

と、誰かが言った。

恋がなければ、詩を歌ってはいけないのか。

性なき詩こそ、ボクの詩だ。

できればみなさんが、お酒を愛することを。

みんなで愛に溺死しよう!!    

2009年7月7日火曜日

ワタシ語り.6



Bourgogne pinot noir 2006 Nicolas Potel


これは、ワタシが働いてる、また別の店で少し前に出していたワイン。

ずっと飲みたかったが、ついに財布のヒモを緩めてしまった。


抜栓してすぐの総論としては、まだ硬いという感じ。

くすんだルージュ、少しレンガのニュアンスがというべきだろうか、粘性はそれほどしぶとくつかない。

シャンピニオン・ド・パリ(いわゆるふつうのマッシュルーム)や湿った黒い樹皮の香りがするが、それほど強く立ち表れない。

やはりピノ・ノワール種には、この前ワタシが丹波のピノを飲んだときに感じた日本酒のような枯れたドライさが、その個性としてあるのかもしれない。
とてもビターなチョコレート、カカオの強い収斂性が、ブドウの果皮と果汁を潰したジュ―スの中に、薄く溶け込んでいる。
滑らかに舌を滑り、喉を過ぎる。

土の香り。これを深く読むことが、ピノ・ノワールの楽しみであり、永遠の官能か。



抜栓から2時間を経て、味わってみると、やはり硬いと感じた印象は間違いではなかったか、いわゆる、「開いてきた」。

ピノ特有のイチゴの香りが表れて、口に含むと果実や花の風味が咲き始めてきた。


それから1時間で、イチゴの華やかさが、湿った土の中でその色彩を帯びてくる。

森の中の黒い土、腐葉土に足を踏み入れたそこに咲く花々のひとつひとつを食べるように。



この作り手、ニコラ・ポテルは、この数年の間、その一ネゴシアンにとどまらない醸造方法や活動が注目され続けている。

このワインは、その中でも一番低いクラスのものだけれども、彼のブドウの古木についてのこだわりや、テロワールの尊重の姿勢といったものを味わえた。

この一つ上のクラスを、早く飲みたい。    

2009年7月5日日曜日

ワタシ語り.5




vichon mediterranean cabernet sauvignon 2007 sieur d'arques


連日のピノ・ノワールの反動で、カベルネ・ソーヴィニヨンが無性に飲みたくなった。と、

そういうわけではない。

ワタシ本来の好みからいけば、タンニンのしっかりしたブドウの凝縮感を感じさせるワインは確かに好きだけれど、それは確かにおいしいけれど、今のワタシにはつまらなくおもえるので、それであえてのピノ、なのだ。もちろんピノは好きだ。

よくわかっていないものに言葉を重ねると、それは重ねるほどに嘘くさくなり、核心から離れて行く。
これは個人的な、コトバの経験、のようなものだけれど、それでも訓練を続けることしか、本質を掴む能力に近づく道はない。
ワインも自意識も、同じだ。

脱線したが、このワインである。


このワインとの縁の一つは、偶然酒屋で見つけたものだけれど、これが今日働いていたフレンチのグラスワインで出されているものだということ。

もう一つの縁は、ワタシの軽薄なワイン経験にそれでも多大な影響を与えているロバート・モンダヴィがフランスのラングドックで作ったレーベルがこの"vichon"だということ。それを酒屋のポップでしった。

正直、外観から、どこか南米のものかしら、などとグラスに幾度と注ぎながら思っていたが、なかなかおもしろいワインだった。


グラスを傾けると、赤紫の濃いエッジが目立つ。それは最近の自分のワイン環境があまりに対照的だからだろう。
深い漆黒のようなガーネット。単一品種の特徴とも言えるあまり差のないグラデーションだが、中心部がそれなりに深く暗いのは、何の影響によるものだろう。ブレンドではないのだろうから、樽熟成によるものか。
粘度はあまり高くないようで、ラルムがきれいに出てこない。温暖でも冷涼でもなく、品種の特性というわけでもない、ということか。

グラスに鼻を近づけると、粉っぽいブルーベリーの香り、ありていに言えばカシスやプラムといったところか。それでもワタシはその中間のブルーベリー、果皮とフレッシュさのちょうど良さ、というニュアンスをプッシュしたい。
オークは何をつかっているのだろうか、ヴァニラの香りが表に目立つ。

グラスから口に少し含む。
甘いタンニン、と酸味に由来するのかというスパイシーな刺激。
甘いタンニンというのは、ヴァニラの香りと凝縮した果実の甘み、と、ざらつきのない滑らかなタンニンの心地よい、渋みというよりはほろ苦さか、というワタシなりの意識、組み合わせだ。
ヴァニラと苦み、まるでそういうタバコのようだ。タバコは吸わないのでその感想は想像の行きを出ないが、甘いモノは好きだから、少しビターなチョコレートのよう、ということは言える。
アルコールが甘みや苦みの広がりをもたせている。喉を落ち、鼻に抜けるときのつんとした刺激が、夜のヴォリュームという実感をくれる。


冷蔵庫にいれて少しだけ冷やすと、タンニンの渋みがより表に出て、のどをするっと通る滑らかさ、喉越しのよさが出た。
ヴァニラの香りはひいて、果実の果皮の感じや果実っぽい甘みのニュアンンスが出てくる。

でもワタシは、タンニンの強いものが冷えたときの味わいの中には、往々にしてどうしてもイカ臭さみたいなものを感じてしまう。あたりめを噛むときのような。嫌いではないが、できれば遠慮したい。楽しいときもあるけれど。


カベルネ・ソーヴィニヨンの特徴として、ピーマンのような香りと、青い紫、インクのような青みというものがあるのだろうけれど、こういうある種の典型的なカベルネを飲んで、それを意識すると、確かにその言葉の定式は有効だ。
今までそういった言葉はただの知識だったが、意識と対象を結びつけたときに、リアリティーがかなり強い。
なるほど、コレを、ソウ、ソンなフウに言うのか。と。


このワインをwebにかけるなかで、面白い記事を見つけた。

なかなかマニアックだから、興味のあるヒトはじっくり読んでみて。
モンダヴィが死んだ日の記事とかも出てくる。
やっぱり現実に多くのヒトが、彼のworkに射たれたのだな、としみじみとなった。



「カベルネが知性に語りかけるのに対し、ピノ・ノワールは官能に訴える」 ― ジャンシス・ロビンソン

そうなのかもしれない。が、それほどの知性と官能に出会ったことがないから、まだワタシの中では渾然一体だ。


「ワイン、それは瓶に籠められた詩である」 ― ロバート・ルイス・スティーブンソン

真実だ。ワインは、誰のための飲み物でもないが、ワインを飲んで詩人にならない、ワインに詩を求めない、そういうヒトを、ワタシは嫌う。

芸術的なワインは、リッチマンの一夜の狂宴のもとにではなく、すべての芸術を愛するヒトに、願わくばあまねく行き渡らんことを。    

2009年7月1日水曜日

ワタシ語り.4




Bourgogne 2006 moillard nuit saint georges


淡い色調の、紫がかったルビー色。
透明感があり、繊細な印象を受ける。

香りはあまり立ち現れてこない。萎れる前の、香りのひいた花のよう。

柔らかな飲み口で、酸味とタンニンも優しい。


あれ?


仔羊?


仔羊の風味?


いや、さっき食べたから、それがワインに乗っかってきただけではないか?
でも、ずいぶん前よ。

んー、不思議。


花のような甘さや香りがチャーミングで、滑らかな細身の女性。

平均的なブルゴーニュ、といえばそうかもしれない。