2007年10月30日火曜日

「市井」マイナス「市」の"frog".

かしこい


あぁ、大人


そういうのに 触れる


危機にさらそう


すれば僕の神学は


ぐんと よくなるはず


神話 は


不滅を


目指そう


いたい


いたいよ


でもね


そう


いたい    

2007年10月28日日曜日

写真

まぁ、ある機能は使いましょう


ということで


よければ よろしくおねがいします↓


http://gallery.mac.com/mr.custard#gallery


肖像権は 毎度おなじみ 既成事実と 事後承諾で    

可能な限り

ジャンプする のがいいことでしょうか


それとももっと アナログに連続的に成長する


ことの方が ステキ?


おーそらく


ジャンプでしょうね


ぴょんぴょん


いくもわるくも


ぴょん


が多い と


思われます


ぴょーんぴょん    

おどける 茶化す 適当に

--


おどける というのは 受動的な社会適合で



茶化す というのは 能動的な社会適応



適当に と見せるのは それがとっても上手に 成功してるなら



それは とっても知的な社会生存


その三つは ぜーんぶ いい



安易な追随は そこでは不可能



社会的天才たちに 感謝    

2007年10月27日土曜日

〜について話す、ってことは

その人を意識している っていうことです


だから僕は 太田光さんを


やっぱりどこか 気にかけている


んです


嫌い嫌いと言いながらね



今日 特番やってるけど


一年前より ぐんと 彼


賢くなってる


議論に 入っていけてるし


playerになってるもの 以前より


彼は文学の人 なんだよね


とってもよく勉強してるし 本読んでるけど


originalな思想はないんだな


でも感覚でいくんだろう


それでいいと思う


彼も 周りも もっとそういう彼を受け入れて


バイアスかけずに


やらしてあげればいいんだよ


憲法九条〜なんかもよかったよ


ちゃんと自己内省&批判してて


それでもなお理想に〜って


いいよね ああいう姿勢と論法は


好きです


がんばってください


彼を安易に持ち上げまくった東大だけは


死んでも許さないけど    

Love for Media.

自分が今話していることは


実は 与えられたものなのではないか


自分の意識と無意識は 本当にその言葉を持っていたのか


と 疑う方法論は


基本的に 否定したい


のだけれど


そういう説明の仕方が 出来得る のは確かだ


子供の本質なんて 変わらないと思う



昔よりも現代人は 言説に守られている


それが僕たちがMediaが大好きな 昔からの理由だ


僕たちはもっと


この安易な一般化を


自分にどんどん 取り込むことで


自分自身と 乖離していくだろう


話す言葉 言説は


「あれ?」


と思わずにはいられないものになる


まがりなりにも国語の教師をしている観点から言えば


ボキャブラリーは増えるだろう


でも


自分のコンテキストを本当にテクストにできるか と言えば


ちょっと疑問


おそらく人間は


メディアの過渡期


文字メディアによるコミュニケーションの変容期である今に


どんどん バラバラになるだろう


誰とも会話できず


自分とも お話しできない


そして僕の心的世界が


そのままあなたと混ざるとき


その未来


僕らはやっと


綾波レイに なるのでしょう


でも


最後のモダン・チャイルドとしては


やっぱり 悲しいよね


ーーーー


だから考えなくちゃいけないんだ!


僕は僕に あなたはあなたに


向き合わなくちゃいけない!!


記号が少しでも 真実で(=自分に似ている)あるように


(自分って何?という議論は棚上げ!!)


しっかりと語らなくちゃいけない


そうじゃないとまた世界は


1995年に 戻ってしまう


僕らのスーパーフラットは


希望にあふれていなくちゃいけない


ありのままの自分が


理解される


そして理解されるために 説明する


たとえそれが


様式主義だ 行為理論だと言われても


現実の素晴らしさじゃぁないか!!    

2007年10月26日金曜日

生まれて初めて

納豆 を食べました


しかも


食べてみて 気づいた


おいしいけど


においが とっても偏見に満ちてる


でも よかった    

Queen.

ーーーー


映画としては なかなか上手い にもかかわらず


ドラマとしてはあまりにもドキュメンタリーだ


しかし確かに 主演女優賞以外の なにものでもない    

セタンナカバリ

アンプルードェプレザンプリ


キディトゥーヅェペカディ


アンクァヴォン


アーナカバディ


ケンセウワァアセカディ


キディツザクウェカディ


テスティクドゥン    

愛した人へ

愛した人へ


僕は 君を 愛しただろうか


もはや そんな


忘れてしまった


恋が なくなったときの


断絶


一ページをめくる


それくらいに


前のページ


こんな連続したリリシズムなんて 嗚咽


あなたを愛したという瞬間があった


なんて、すばらしく"antiコギト"の理屈だよね


全てが断絶につきそれ以上はもはや歩むしかないという現実以上に


私は


泣きそうだ    

Enlightment.

見渡す限りは 光の連続 光の海


気づかないかな


かくいう僕も まったくだった


少し ほおづえをつけば


世界は変わる


無理だろう?


無視していくのかい?


そこにある


見ろよ もっと 見るんだ もっと そして


君を    

手持ちのカード

---

手持ちのカードは 燃え尽きた


見せてみな 真剣勝負だ お前の顔


切り出す脳と そうさ


切り出すんだ


お前のカード


まだ ある


だろ?    

2007年10月20日土曜日

あなたは、なーに?

僕は、「視覚」の人間だと思います。

あなたは?    

2007年10月18日木曜日

Heart が ぼくを 見つめるとき

-----

宇宙に広がる無数の偶然を その必要性を確かめもせずに


飲み込みたいだけ 飲み込んだ


膨らみたいだけ膨らんだ


私が


ぱちん と


なる



巨大な質量の 内側への重力崩壊


その うねり


のなかで


悲鳴もまた静かに 静かに流れ込み


それはまたたくさんの質量を飲み込み


どんどんどんどん 膨らんでいく



しかし


ある日 訪れる Carm


青い海


白い雲


ことばも ない    

2007年10月17日水曜日

僕の報酬系

ーーーー


外で吐く息が


白く


それを見つめるその先に 空は


暗く


明け方に見終わった " Love Actuary "


朝方4時の薄暮な空


世の中のすべての人が幸せな空の下に キラキラしている 世界があると 幸福に錯覚する



考えると


空は


ん?


空って


何 だろうか


空間


空気


概念も形態も 全てが融けていく


このゲシュタルト崩壊の心地よさ


僕の脳=宇宙=そら が どんどんどんどんカオスして パニックになって


爆発したその先の


静けさ


それが    

さよならだけが、は言わないよ。

最近 外でお酒を飲む 大勢で飲む というのが多いです

まぁ見事に 愚かな感じに なってしまいます

僕は そのくせ臆病ですから

本当におびえてしまって

自分が何かやらかしたんではないかと

目が覚めたら後悔していて

なら 飲まなきゃいいのに

本当、そうですよね

そうやって

たくさんの 恥を 家に持ち帰る

そして極度な内省が 始まって

大馬鹿者は 今日も なく

それをそうして

こんなちんけなblogを書いて

安っぽいカタルシスを慰めにしている

それを つまみに また僕は

ちびちびお酒を飲んでしまう

進歩のない

さよならだけが人生だ

そう言い切ってしまえば 何でも どうだって いいのですけど

そうは言えない 僕の弱さです

それを弱いと言う僕は

やっぱりまだまだ ですね

あぁ 眠い    

2007年10月15日月曜日

Don't let me down.

過剰な自意識

放埒なパトス

倫理をエートスと呼ぶ愚かさ

流れていく狂騒の果てにいるのは

だれ?

ぼく?


ーーーー

詩は、『それを「詩」であるとするから』、詩であるのであって、全く普通の文章体験である。

そういうことに、今、はじめて気づきました。

でも、嘘と不誠実は、いけませんよね。

表象と象徴の帝国では、それだけが

愛です。    

2007年10月5日金曜日

一生、そうしてなさいよ!!

今日をピークにした「ここ数日の自分」との決別。

だって、細胞なんて全部入れ替わっちゃうんだから。

ーーー

ラヴレターを書こうと思いました。

でも、それは、嘘つき。

僕は、そんなこと、思ってない。

だって、そんな具体的な偶像崇拝、してないもの。

ほんと、僕にiconがあるとするなら、

それは、女性ってことだけ。

そこまで一般化してしまった。

ひどいものね。

表象とイメージでしかない「女子」をただただ思い描く、ぼく。

悲壮な色彩を帯びずして、なおも、奇妙に。

そこには何か、原型が?

ウイスキー、一瓶くらい空けなきゃ、やってらんないよ!!


倒錯するイメージ

何かを縦糸として 何かが横糸で

その特異点には あなたが? いや それとも ? ?

ぶらっくほーるは げんし なりきや ?

怒られるね



だいえー で はんがくの おすし を かいました たべました

しょうひ ?

いいのよ こんなぼくには きょうで おわかれ

むやみな ぺだんちすとは あした しょうめつ

この平仮名には、別に酔っぱらってるから、みたいなことはありません


結局 手紙は こうなるんだね

一言が いかに 無意味か 知っている つもり

つもり だけれど

そこで 終止を 打つけれど

けれど けれど の だいばくしょう


じゃあ 答えを 教えましょう。

「20世紀少年」の社会は

新しいネットワーク・リテラシーが生まれなかった社会の

行き詰まり

なのです。

僕らには インターネットやケータイ電話があったから

スーパーフラットに、いけたのです。

それで、お終い。

あぁ、でもね

また先のテーマが、ちょっと見えたよ。

温めるのです。


こんな詩人気取りと学者気取りの行く末は、

場末のスナックなの?

それとも「銀座 久兵衛」なの?


何も考えないこと

それは幸せかもしれない

けれど

僕は

今と 君と 君と 君と 君を

愛すよ


この文章からは 何も読み取らないで

それが一番の 解釈だから    

愛しながらの闘い

太宰を 暗いと


カフカを 陰鬱と


誰かが 言う


すこし 考えてほしい


そういう思考停止的な思考が


いかに害悪で 邪悪か ということを


それらを ネガティブと言うのは


悪くない


それでも それで終わらせるにおいて それは ひどい


彼らの愛を どうして感じれないのか


他者を思うからこそ 彼らは そうせざるを得なかった んじゃぁないのか?


そういった 酒飲みの論理が(を)


なんで無視するのか?(分からないんだ!!)    

「僕ら」の終わり

素敵な言葉と ピカピカ輝く世界の中に


とどまりたいから


って、図書館の青びょうたんは言うよね。


自由だ と思うんだ


だってね 「僕ら」って言葉は おしまいになったから


でもね


それじゃあ 君には 


「あなた」の世界は いつ来るの?


みんな 弱いさ    

可愛い 暴力

木から 葉が


月に 落ちる




どんなの、思い浮かんだ?    

僕なりの解答。

YMOを聞いて、

「コンピューターゲームという娯楽、産業の流行、先端を、音楽という、しかもある種の主張、芸術性をもった音楽のコンテクストに取り込む、という点において、すごい!!」

20世紀少年を読んで、

「万博を頂点とした、近代社会の成長神話、モダニズムが崩れた後の社会としての日本において、その虚像の未来はどう歪んだのか?そこにすべりこませた、子供の社会の仕組みは果たしてどういう意味を持つのか?」

なんて考えることは、

疲れますし、50%の確立で、つまらない。


しかし、そこに意味を与えようとするならば、(あなたが好きならば)

そういった「読み手」は、「視座を与える」において、素晴らしい。

バルトが、ファッションに、一つの見方、ストーリーを与えたように。


表参道を飾る、必要以上に、服を並べるのにあんなに広い場所がいるかどうかという意味での必要、以上に華美な建築、巨大なポスター。

ボードリヤールが「意味を消費する社会」といった、まさにそれが、こんなに美しく、その美しさのあまり醜く、反転してファンタスティックに現在している、とーきょー。

涙が出る。


その涙は、現在進行形のカオスである世界と、その過去、現在、ときには未来をまとめてパッケージする思想との、大変素敵なマリアージュ以外の何に依るものでもない!!


そう思うのですね。思うのよ。


テクスト論は、すべてを認める。が、、とても攻撃的です。

そこでは、堅牢な根拠、論拠の絶対値が問われるから。

そして、一つのところに留まった、留まろうとしたそのときに、それはもう正義ではないから。

常にその構築を「脱する」必要を迫られるから。

それが、卑屈な文学者に職業と意味を与え、偉大な精神にさらなる偉業を迫る。


それがね、僕たち文系の領分であり、大義であり。


疲れる人間よね。


最近、つくづく自分が文学的ではないなぁと、思います。

それは論理とか理屈を出発したものが、僕の感動を誘うから。

まぁ、いいんだけど。自分のこと、嫌いじゃないし。

でもね、自己嫌悪もあるのよ。

それくらいナイーブだって、いうふうに、

少し、言ってみるのを、許してください。


だれかがかなり適切な、「blog論」を展開したので、

僕も、「無意味な内面の吐露」を、やってみました。    

2007年10月2日火曜日

Fly me to the moon.

ここしばらく、ずっと、

日本人の美術における意識、構成と、その一つの全体解釈である「スーパーフラット」と(これは社会的な価値観も含める概念として)、

万博というモダンの頂点とその歪みの20世紀、おたくのメンタリティー、カルトといった、ある種の精神社会学との、

時空間の重なりと、飛び越えをともなうクロスオーバーな統合は出来ないものかな?

と、考えてみたりして。

まぁ、集約して、村上隆の「リトルボーイ」と、「20世紀少年」に端を発した着想ではあるのですから、ミーハーで単純なのですけれど。

でも、僕は日本人による、ハイ・アート、サブ・カルチャー、そしてその社会の関係のダイナミズムを捉える「ジャパノロジー」が、本来的に生まれる契機が、今、ここにある気がするし、それをやらなければいけないんだ、と勝手に訴えたい気分なのです。

もちろん昔からあるんだけど、どっちかっというと「ルーツ探し」ばっかりな気がするんです。

まぁ勉強不足ですから、何とも言えませんが。

やぁね、インテリぶった感じ。

もう、こういうところは卒業したいのです。

中学生じゃないんだからね。


ん〜、だから一つの考えが支配的なので、自由闊達なBlog思索が出来ないのかも。

万学のクイーン的なものを考えていると、それは応用が聞くからいいんだけれど、

こういう具体的なトピックはね。

僕の脳みそでは、普遍転用して「話題」にするのは難しいんです。


あぁ、それこそ脳みそと、僕の精神が、

まんまるお月さままで、ふわりとぶっ飛んでいけば、

美しいのになぁ。