自分が今話していることは
実は 与えられたものなのではないか
自分の意識と無意識は 本当にその言葉を持っていたのか
と 疑う方法論は
基本的に 否定したい
のだけれど
そういう説明の仕方が 出来得る のは確かだ
子供の本質なんて 変わらないと思う
昔よりも現代人は 言説に守られている
それが僕たちがMediaが大好きな 昔からの理由だ
僕たちはもっと
この安易な一般化を
自分にどんどん 取り込むことで
自分自身と 乖離していくだろう
話す言葉 言説は
「あれ?」
と思わずにはいられないものになる
まがりなりにも国語の教師をしている観点から言えば
ボキャブラリーは増えるだろう
でも
自分のコンテキストを本当にテクストにできるか と言えば
ちょっと疑問
おそらく人間は
メディアの過渡期
文字メディアによるコミュニケーションの変容期である今に
どんどん バラバラになるだろう
誰とも会話できず
自分とも お話しできない
そして僕の心的世界が
そのままあなたと混ざるとき
その未来
僕らはやっと
綾波レイに なるのでしょう
でも
最後のモダン・チャイルドとしては
やっぱり 悲しいよね
ーーーー
だから考えなくちゃいけないんだ!
僕は僕に あなたはあなたに
向き合わなくちゃいけない!!
記号が少しでも 真実で(=自分に似ている)あるように
(自分って何?という議論は棚上げ!!)
しっかりと語らなくちゃいけない
そうじゃないとまた世界は
1995年に 戻ってしまう
僕らのスーパーフラットは
希望にあふれていなくちゃいけない
ありのままの自分が
理解される
そして理解されるために 説明する
たとえそれが
様式主義だ 行為理論だと言われても
現実の素晴らしさじゃぁないか!!
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