ここしばらく、ずっと、
日本人の美術における意識、構成と、その一つの全体解釈である「スーパーフラット」と(これは社会的な価値観も含める概念として)、
万博というモダンの頂点とその歪みの20世紀、おたくのメンタリティー、カルトといった、ある種の精神社会学との、
時空間の重なりと、飛び越えをともなうクロスオーバーな統合は出来ないものかな?
と、考えてみたりして。
まぁ、集約して、村上隆の「リトルボーイ」と、「20世紀少年」に端を発した着想ではあるのですから、ミーハーで単純なのですけれど。
でも、僕は日本人による、ハイ・アート、サブ・カルチャー、そしてその社会の関係のダイナミズムを捉える「ジャパノロジー」が、本来的に生まれる契機が、今、ここにある気がするし、それをやらなければいけないんだ、と勝手に訴えたい気分なのです。
もちろん昔からあるんだけど、どっちかっというと「ルーツ探し」ばっかりな気がするんです。
まぁ勉強不足ですから、何とも言えませんが。
やぁね、インテリぶった感じ。
もう、こういうところは卒業したいのです。
中学生じゃないんだからね。
ん〜、だから一つの考えが支配的なので、自由闊達なBlog思索が出来ないのかも。
万学のクイーン的なものを考えていると、それは応用が聞くからいいんだけれど、
こういう具体的なトピックはね。
僕の脳みそでは、普遍転用して「話題」にするのは難しいんです。
あぁ、それこそ脳みそと、僕の精神が、
まんまるお月さままで、ふわりとぶっ飛んでいけば、
美しいのになぁ。
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