僕も一応、大人になって。
それは、一人の、人格として、生まれたということであって。
だから、母とも、親子とは別の、二人の人間としての関係が、以前よりも濃くなってきたのでしょう。
うちのお家は、僕が中学のときから男は僕一人なので、加えて、年の離れた妹、年齢がaverageよりは若い母との、間では、僕はある種の家父長的な部分も演じてきたのかもしれません。
それぞれがかなりegoisitな家族ですから、お互いがお互いに迷惑をかけてきたという罪悪感もあり、しかしそれを建設的で明るい反映にしながら、仲良くやってきた、というのが歴史であるでしょう。
事実、ケンカはしますが仲が良いのです。それぞれがそれぞれをリスペクトしている。妹もそういったステージに上がってきつつあります。
そして最近、母親とは、やはり会話も、よりお互いの今までや、考え方について深く話すものになってきました。
『あぁ、やっぱり僕には、この人が、この人の存在が「あった」し、今確実に「ある」のだなぁ』
と深く思います。
私は自分の人格形成において母親を意識し続けていたけれども、自分の人格について母親を意識したことはありませんでした。
しかし、結果、自分の人格には、明らかに母親がいると、とても強く感じた、わかったのですね。
一人の人格、「大人」になって初めて、僕は、母の「子」であることを知ったのです。
もちろんたくさんの差異はあっても。
僕はここにどんな風な「さらなる色彩」を載せていくのだろうか。
家族の歴史、その紡がれ方、そういったものを少し意識したのでした。
最近、Blogを書いていませんでした。
そういうバイオリズムが、一体どういうところから生ずるのかは、
全く、検討もつきませんね。
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