2011年12月27日火曜日

12/27


「何かが違っているとして、それがそうであるかもわからないし、たとえどうであっても、だからといってそれは何かの理由にさえならない。つまりただボクだけにとっての問題にしかならないってことだ」
イーアン・トットは洗面台で顔を洗い、2週間ほど前に酔っ払って派手に転んでつけた顔の傷にクリームを塗り、その手で髪を撫でつけた。手を拭きながら彼は鏡の顔を見て、右左に顔を向ける。細かい傷はもう消えているようだ。
背中のドアを開けてすぐの台所で蛇口をひねり、もう一度電気ケトルで湯を沸かした。クローゼットを開けシャツに袖を通しネクタイを締める。ズボンをはいてジャケットを羽織る。スピーカーから何か音楽をかけて、今日はモーツァルトだ、そこまですると湯が沸き、大きめのタンブラーに開け、スコッチを落とした。部屋を出るまでのあと7分ほどをこのまま過ごす。それは感傷などとはまた違う、平穏のためのまじないのようなものだった。その平穏すら何のためにあるのかもわからない、ましてそのまじないが平穏とやらに通じてるのかもわからず、平穏とはいったいなんのことかも定かではないが、それはまさに「平穏のためになされるまじない」だった。それはそれ以降の時間のための彼なりの言い訳であり、保険であった。
彼は用心深くタンブラーの側面を指で包み、暖をとり、目を少し細くした。少しずつ飲み物から体へと熱を移していく。そうしてすべて飲み切って、コートを羽織り、マフラーを巻き、鞄を持つと、彼は固い靴をはいて部屋を出た。
どこからか寿司飯の臭いがした。蒸気は形をもって彼の前を漂う。彼は少し眩しいというように目を細くした。
「おはようございます、有栖川さん」
「おはようございます」
彼は子供に、向かいの部屋から出てきた子供に挨拶をすると子供が乗るエレベータを見送り、階段のドアを開けて下に降りた。

   

2011年12月23日金曜日

12/22

目が覚めて彼がまずしたことは、スクランブルエッグを作ることだった。フライパンを火にかけ熱し、白い煙が出たころにサラダオイルを引き、また鍋が温まったところで、卵を割り入れる、2つ。割り入れる?彼は自分のしたことに驚いた。割り入れるだって?目の前では白身にうっすら火が入り、しっかりと完成へ進んでいるフライドエッグがある。彼は自分の失敗(ということでもないのだ。彼は日常的にスクランブルエッグを食べることを日課にしているわけではないのだから)を見過ごし、フライパンに水を少し入れ、蓋を閉めた。

電気ケトルのスイッチを押し、紅茶のバッグを取り出してタンブラーにかける。彼は机に座り、ノートブックでニュースを見た。「京都市の職員、不正な給与で」という記事の全文をクリックして、彼はタンブラーに口をつけた。そしてすぐそれを戻した。

彼は自分の強迫神経症的な一部の性格について少し考えた。確かに彼は、家のドアの鍵やガスコンロの火、白熱球のスイッチということに、部屋を出た直後どうしても考えてしまうということがある。その延長で、これについても、偶然の朝に起こったもしかすると何でもない珍事とも呼べないいくつかの出来事についてその連続の偶然について、自分は考え込んでしまうべきなのか。そう考えることははたして健康なのだろうか、いま自分は健康なことをすべきなのだろうか、不健康の効用というのはないのだろうか、何を選べばいいのか、ということについて、彼は考えながら、電気ケトルのスイッチが上がった音を聞いて、机を離れ、ケトルを取り、タンブラーに湯を注いだ。
「イーアン・トット、イーアン・トット、早く紅茶を飲もう」
彼は自分の名前を繰り返す、それは何かの癖なのだが、彼はティーバッグから漏れ出る色素の渦を眺めながら、今の自分の時間について、さてどうするかと考えた。
   

2011年12月17日土曜日

12/17

ギュスタブ・アモンドは、つまらない夢を見ていた。そこではいつもの職場の風景が、その中の何か一部がまったく別のものに置き換えられていた、という具合に。空間に奇妙な瑕疵を感じる、とでも言えばいいのか。彼は原因のわからない突然捕らわれた違和感に、ただ目の前のコンピュータに集中することで対抗していた。デスクトップの画面には将来に対してはっきり言えばあまり将来性を持たないだろう企画書や提案書のファイルが並べられており、彼はその作成を真剣に、その企画の有効性の枠内での整合性や無矛盾性、文字の配置、デザインについて真剣に取り組み、自分が今ここで何をしているのか、何をしたいと思っているのか、今目の前で綴られていくこの言葉たちは誰に対してどんな価値を持つのか、今自分が捕らわれている不思議な感覚の正体は何なのか、この空間を徐々に浸食しつつある奇妙な瑕疵は、、ということについて忘れようとしていた。しかし、最初からある種の不毛さを孕み約束されていたその努力も無駄だった。彼はついに自分について諦め、その違和感から逃れるために、トイレに立った。部屋を出て、役員室が並ぶエリアを抜け、他の多くの人間が作業を進めるオープンエリアを通り過ぎ、オフィスから出て、靴を履き替え、トイレに入ると、個室の鍵をかけ、そのまま便座に座った。この場所にまで及んでいるのかはわからなかったが、とにかく彼は行動したのだ、目の前とは違う世界の可能性に投棄して。しかし彼の頭はもう溶け始めるところだった。彼は自分の思考がもはや自分の思考の支配から抜け出し、彼の顔を歪め始めたことに気づいて、おいおい泣いた。声には出さず、必死で顔を押さえ、口をふさぎ、目に指を押し込んで、自分の中から溢れてくるその自分以外の何かを、彼の身体がぶくぶくに膨らんで、ぴっちりとはち切れそうになるまで堪える覚悟で。個室の壁はもう彼の身体、脳に圧迫されてギシギシと音を立て始めている。もう少しで何かがこの空間全体を侵してしまう。もう彼にはほとんど意識はなかった。口はもう口の形を見せてはいなかったし、その目は血を失い、白濁を通り越して、空虚な穴になっていた。


「イーアン・トット!!」


目が覚めて彼がまずしたことは、スクランブルエッグを作ることだった。