2008年12月2日火曜日

factotum.9

ドラマ とタイプしたつもりが、何故か 空間 と打たれていた。

ここに何か世界の条理を感じ 物語ること出来れば 僕はあの作家のようになれるかもしれない


ドラマ です


無類のドラマ好きである僕は 同時に ドラマへの没入をことごとく憎みます。

ドラマは、人を停止させます。

でも何故か自身が止揚していると思われる不思議ですが、それは世間一般と同じ、つまり人が人として成長するというただそれと同じ歩幅、速度の成長であり、決して自分の努力ではないのです。

しかし今言ったように、どうあれ人はドラマを生きます。

そうでなければやってられません。

ドラマとはすなわち自意識であります。

自意識とは全ての豊穣の原因であり、彼が自身を更なるところへジャンプさせようとする原動力です。


では何故 ドラマはいけない のでしょうか?


つまりはですね、

ドラマとは他人に見せてはいけないのです。

ひたすら自分で自分のドラマを生きるのです。

ドラマはあしが早く、人の目に触れるほど、その輝きと価値を失ってしまいます。

ドラマへの過剰な自意識は彼に芸術を与えますが、その芸術がひけらかされた、しかも無意識な内にですね、つまらない、小出しな状態で、未完成に露出されたとき、それは醜い自慰となります。

自慰色の強いドラマ。

それは多いに結構です、むしろ健康であります。

ただやはり、人に見せてはいけないのです。

そんなことをしている限り、あなたは一生イケません。


いけてないやつによる いけてないやつの いけてないやつのための ドラマ語りは

憎むべきであり憤慨すべきでありぶち殺したくなるものであり


そういった狂気をここでひけらかせている自分もやはりぶち殺したいのです。


ではいかに人は生きるのでしょうか。

私は結果論であると今でも信じていますが、

その結果はつまりはこうした背景に裏付けられて然るべきものでしょう。


誠実 を この世への最終的な担保として宣言した僕は

慎み を 一切の裏打ちとして今 思案しているところであります    

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