2010年9月14日火曜日

ある日の、mr.custard氏の見解。

「芸術家という劇薬を、全員がしっかりとした方法で服用できるようになじませていく。それが批評家の仕事ですね。劇薬というのがエキセントリックな表現に過ぎるのであれば、それはサプリメントでも何でもかまいません。つまり未だ発見されていなかった、または新たな技術によって新しく生み出された、良薬かそれとも毒物なのかもわからない何か、しかしどちらにせよ人間や社会に新しい何かをもたらすであろう何か。突然現われたその何かを、何であるのか、何でありうるのかを提示してみることが、批評家の創造性であり、唯一の仕事です。芸術家が、自身の芸術が他人にとって何となりうるかを必ずしも意識したり理解したりしているわけではありません。しかしせっかくの素晴らしい創造が、誰にも理解されないままにされることは、あまりに悲しい。そこにメディアとしての批評家の存在の意義が出てくる。それは特に写真芸術において顕著でしょう。写真による現実世界のクローズアップまたは異化効果は、一見ただの撮影でしかありません。その撮影がどういう意味を持ちうるのか。写真には往々にしてタブローとテクストが不可分なものとして設定される。だから誰かが語らなければいけなくなる。それはもちろん誰でもいいが、しかし誰かがなくてはいけません。そういった芸術の状況は現在すべてにおいて必要になっています。そしてその言葉はもっと社会全体をまきこんだものでなくてはいけません。だってそうでしょう。素晴らしい新薬は誰しもを幸福にできるはずなのですから。永遠に高度な医療センターでしか可能とならないものなんて、そんなエリート趣味は誰も幸せにしません。喩えが散漫になってしまいましたが、私はそんな風に思うのです。」

「スナップショットの重要なのは、『暴き』という『再認識』です」    

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