美とは、真理の半影であり、故に最終的には理性に属するものであり、そこには唯一絶対の評価があるとする芸術観は、美術史においては前近代的であるとされる。
美術のモダニズムは芸術自身が芸術というもの自体の存在を再帰的に揺るがすことであり、そうして紡がれる歴史的なコンテクストの紡がれかたである。
その二つの時代の間に、一つの芸術論があった。
それは「神と人間」の世界から出発したものではあるけれど、そうであるからこそ美を神のものに、芸術を人間だけの問題にして、人間の芸術というものがどのようにしてなされるかを理論立てたものである。
神が想像した自然の美しさや万物に宿る一切の美は、そのまま神のものであり、人間にはそれを模倣することなど不可能である。
そして芸術はそれら美を受動的に模倣して、また鑑賞はその模倣をまた受動的に受け入れることではない。
人間の芸術、それは、彼が世界をどのように捉えたかという感性の能動的な具現化である。
『精神的なものが、感覚的な形となって表れる』
ヘーゲルの定義を、フィードラーはよりいっそう意義ある形で未来に渡したのだ。
セザンヌが自身の視覚への忠誠を誓ったとき、眼前のヴィクトワール山はその輪郭を失った。
しかしそのセザンヌのタブローに中にこそ、彼の真実の風景が存在し、彼の芸術は現実を真実的なものにならしめた。
このとき人類史はようやく模倣技術としての美術から、芸術性による創造としての芸術という概念とその時代を迎えたのだった。
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