いわゆる「3D映画」では、今日の黎明期にあって、
その技術的効果を作品中で顕示しようとするあまり、
映画の物語自体の叙情やテンポが殺されているようだ。
私たちに向かって巨大なクリーチャーの顔面が迫り、踏み散らされた障害物が飛来するその度に、その瞬間が意図的に強調され、一瞬一瞬が引き延ばされる。
その度に私は、私自身がこの瞬間に「映画を見ているのだ」と改めて認識させられる。
スクリーンが強引に私にその存在を迫ってくるその度に、私はその存在の押し売りによって、何度も何度も現実に引き戻されるのだ。
つまり3D映画技術は、好意的に捉えるならば、映画鑑賞において新しい視点を生み出したことになる。
それは映画を鑑賞するものに、改めて彼らが「映画を鑑賞しているもの」であると意識させる視点である。
映画の中に取り入れられ、その世界に同調し共感するのではなく、その世界の外から、いわば二つの世界を自由に重ね合わせて物語を楽しむ。そのような新しい享受の作法が生み出されたのである。
3D映画黎明期の構成はまだ稚拙である。その未熟から、ティム・バートンの独創性は失われてしまった。
ジェームズ・キャメロンはさすがに"Mr.ハリウッド"としての文法の、テクノロジーとの親和性から、優秀な映画を作っている。
新しい技術がその技術がもたらす均質性を失うのは、いつになるのだろうか。
それが楽しみだ。
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