2010年4月3日土曜日

get back, cut back.

現在にしても、それとも過去のことを今にまた考え直してみるにしても、

たとえば、「そういうことだ」という文末と、別の言葉で漠然としたイメージを生み出すことによって、そのニュアンスやメッセージを伝えようとする文体があるように、

別の状況や状態、異なった性格や身体によって、物語やその世界を紡ぐということが出来るし、そのことは証明されている。

そして、それら<変換されたものたち>の一つ一つに明確な連続性を一見して感じることが困難な場合にしても、しかしそれをテクストの読み手に了解し、納得してもらう、させることにもし成功する、成功するだろう自信をもってそれに望むことができるならば、

言葉のひとつひとつの外形的な連続というのは、まったく意味のない、そして意味のなくていいものになり、言葉、文章、文体、紡がれたストーリーは、その全体的な統合のために存在させられるのだろう。

男根のように反り返る鋭利で力強い屠殺包丁にぶち切りにされるように、文字と文章は悲鳴をあげる。

それがある種一流の創作の条件であり、必要悪、どうしようもない犠牲なのだ。    

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