2008年3月26日水曜日

白ヤギさんへ

お手紙つきました

ので、お返事、書きます


スタバのリキュールは実によいですね。

僕のアルコール依存の善き友になってくれることでしょう。

PCのユーザー関係はごめんなさい。

僕も努力したのだけれど、、、ごめんなさい。


最近は、楽しいです。

ただ不真面目です。

お勉強してません。

ちゃんとやりますね。


ロマンチック・ラヴ・イデオロギーは、

僕のうろ覚えな知識で言うと、

「恋愛」っていう概念は、社会から見れば一種の狂気やから、扱いづらいし「いやなやつ」。しかも恋愛は、その情事が遂げられてしまうと(もともと中世ヨーロッパの「お姫様と騎士」っていう身分の差による悲恋の物語がベースやから)一挙に陳腐になっちゃう。

だから恋愛は、社会的な観点にたつと、"Love is blind"な不安分子だし、結婚っていう社会制度にも乗っかってこない、「いやなやつ」なのね。

でも、恋愛というのを、結婚というものをゴールにして、素敵な家族をつくるためのプロセスにしちゃって、恋愛=結婚という流れにしてやると、

そこには社会流動(階層移動)と、かつ社会の安定(家族という安定的集団の維持と、出産)という二つが安全に出来上がる。

だから「いやなやつ」である「恋愛」を社会装置にしちゃうのが、「恋愛結婚」で、それがロマンチック・ラブ・イデオロギー。

で、それがなぜ普及するかというと、

それが発生するには伝統社会の論理ではない、個人による結婚というのが可能な社会制度と、

それが普及するにおける当該社会の状況を見なければならない。

だから恋愛結婚の普及の度合いと、その普及の過程を調べて考察することは、その社会の構造を考える上で意義深いと。

そんなことじゃなかったかな〜


"What is the romantic love?"と言われたら、

"That is the old modernism"っって答えちゃうかな〜

だってリアリティないもんね。

村落社会の婚姻制度から解放されても、結婚っていうのが「○○までにしなくちゃいけない」脅迫概念だった時代だと"romantic love"が機能するんだろうけどね。

ジェンダーとかいろいろ絡むだろうけど、「ダメンズウォーカー」とか「きみはペット」がメインストリームになってくるとね。もうそういう幻想的な手品にはひっかからないよね。

アメリカはどうかわからないけれどね。

日本とはまた違った感じで現象してるでしょうね。


ふぅ、なんか懐かしい感じのblogを書いてしまいました。

またblogも更新していかなくちゃ。


あ、本当にいろいろ送ってもらっちゃって、ありがとう。

元気で、がんばって。    

2008年3月24日月曜日

「アウトローやんな〜」

「アウトローやんな〜」って言われた。

(最近また松尾スズキなんて読んでるから、口調がそれっぽいのはご容赦願いたいし、なんで誰にエクスキューズしてるのかは意味もわからない。こうなりゃ徹底してやる!でも、多分気にしない)

僕がか?


僕は相当にど真ん中を歩く、まじめな人間だ。

だって学歴はそれなりに模範的だし(わかってると思うけど何のプライドもないよ)

殴り合いのケンカの一つもしたことないし(恐いじゃん痛いじゃん)

人並みに恋愛して、まぁ趣味的なものも嗜んで、でも別に無趣味で。

ほどほどクダケテて、ほどほどマジメ。

ほどほど人間だ。

ほどほどの相対度数が、ぼく以下のほどほど人よりは大きいだけなのだ(当たり前だ。何を言ってるのか)


そんな僕が傍から見ると、「斜に構えてる」となる。

いやいや、いい気になってませんよ。そんな評価にニヤニヤする年頃は過ぎました(つもりです)

認めなくはないけどさ、そういう部分。みたいなくらいのもんですよ。そんな部分。


アウトローってのはタモリさん級の面白さを要求されるもんでしょ。

くだらないもの僕。

イグアナとか出来ないもの僕。


アウトローって言われるだけでもう、「ごめんなさい」って気分になるのな

それっぽく見せちゃってごめんなさい、って


ぶりっこ、なのだ


そう、僕は何でも「ぶる」のだ


どんな風にでも、どんなろきでも、たいてい「ぶれる」のだ


たまにはおどけてみせよう


たまには先輩面もしてみよう(お酒=ごめん)


たまにはプレイボーイぶってみよう(結果=残念)


『本当の自分って何?』(中学生だ=メルヘンだなぁ=歎息)


こんな文章も、ぶっている、のだ


でも書いちゃった、という段階において、明らかに僕なのな

(ほらほら始まったよ、いつもの思考の感じ)

だからそんな僕(書いちゃったやつ)を引き受けながら生活するのな

「あ、あの人、書いちゃった人だ〜w」

w、じゃねえよ、俺。

って書いちゃいながら、そんな自意識過剰に悩みながら、そんな自意識過剰な自分に憂いながら生きるのな。

のな、とかパクリながら。


ボクハナニガシタイノ〜


blog更新するために書いたんだよ☆って言い訳。

無意味な言い訳でいいわけ?(ごめん)


まぁ、若干気持ちいいのだ最近。


プータローを極めたいのだ。    

2008年3月19日水曜日

目の前の玉を蹴る。

tossyと話していて、考える感じる見つけることは多い。


その中の一言。


僕はずっと蹴ってこなかったし、ボールを選んでばかりいたから。


まぁ、そういう話。


刺激的な毎日が、そう言ってもまぁ言い過ぎじゃないだろうってな感じの予定に彩られてすごしている。


素敵なことも、おそろしく馬鹿げたことも。全部ひっくるめてステキと言えるか。笑、ごめん。


本当に久しぶりに日記を書くな。


彼女が出来てから、めっきり更新が減った。


それでもガールフレンドに何かしら吐露してるか?と考えるとそれはどうかなと思う。


今さらながら"blogに向かう"というmentalityの出現と減退の因果関係がよくわからない。


それがわかったら、それで飯が食えるっつーの。


何の話かって、そんな話だよね。


生きているのだ。    

2008年3月3日月曜日

まめに、まめに、ひたすらまめに。

単一価値の呪縛。


時代にトラワレた固執した脳みそからは、ぼくは一生逃げられないのかしら。


自傷行為の自笑当為なんて駄洒落に払う無駄な創意。相違。


以上のような3行を、もはや「自分はわかってますよ〜」というexcuseなしではメッセージできなくなったかっこつけの自分。


かっこつけの自分。


かっこつけの。


誠実が、貧しい形を、「とってしまう」


こんなに悲しいこともあるんだな。


ごめんよ。    

2008年3月1日土曜日

素直。part2

僕はblogをメモとか、吐露とか、いろいろに使う。

そんな使い方の全部をここではやってみようと思う。

「みよう」と言ったけれど、それは別に挑戦とかそういった類いの思考から生まれたものじゃない。

あしからず。


新しいバイトを始めた。

これは最近の僕の中で、大きい出来事だ。

イタリアンレストランのホールなんだけど。

僕は、やっぱりインテリ階層の人間だから、切迫した状況とか、一瞬に対して一瞬で求められことに対して、少しの苦手意識を隠せないし、現に多分、嫌いだ。

他にもいろいろ思うところはあるけれど、まぁ往々にして、自分としては、仕事を覚えるのが遅い、と思う。

料理長は浪花節な人だ。

だからそれなりに短気だし、けっこう怒られる。

でも浪花節だから、嫌いじゃない。


怒られるって、最近あまりないし、何より僕は嫌い。

だから少し気分がいい。

これは偽善じゃなくて。

批判されることとか、怒られることって、ついつい調子に乗りがちな僕を、つぶしてくれるから。

僕はメンタルが弱い。

何かしらの出来事を、「きっと未来につながるから!」的な発想で考えるのは嫌いだから、そんなことじゃないんだけど、

まぁ、鍛えられるんじゃないかな、とは思う。

がんばろう。


そう、怒られることっていいねって、昨日思ったんだよね。

そういう話だった。

自分が一番出来ない状況とか、怒られるって、上を目指してがんばるしかないし悔しいし、かつスピードが求められるし、

そして僕には「がんばる」とかのメンタリティがあまりないし、スピードに駆り立てられるのも嫌い。

で、最近はこういう限界状況を、楽しもう、という思考の流れにすることにしてるんです。

これはちょっと偽善だな(笑)でもホントに。

実践は難しいけれど。


雑多な社会学の知識を使わせてもらうことを許してもらえるなら、"I"と"me"でいけば、確実に"me"な文章だ(笑)

こういう、ピュアな吐露って嫌い。

どうしてもthinkingの次元が低いと思っちゃうし、もっと「ぶらっしゅあっぷ」してから話さなきゃと思うから。


でも、たまにはいいかな。


最近、ご飯をたくさん食べる。

健康なのか不健康なのか。


読書も勉強も、サークルも、まぁほどほどだ。

これもがんばらないと。


それなりにイベントもちょこちょこあって、楽しい。


アルジャーノン〜みたいな書き方になったけど。


そんな感じで、生きてます。    

やっぱりblogいき。素直なぼくが見れる。part 1

googleのコメントありがとう。

そっちの方にも同じ文章を残しておくよ。
どっちを先に見るかわからないからね。

「冷たい書き方だけど」と言っていたけど、全然。
僕は君と、それなりでも何年かの付き合いがあるわけだし、それなりに言葉の背景は読めるつもり。じゃあ、僕の過大評価と捉えられるかもしれないけど、多分ぼくが感じる通りで合ってると思う。
うれしかったよ、やっぱり君は賢くて、かつ素直だから(笑)

じゃあ、僕も素直なことを書くし、君に吐露しよう(そんなこと、求められてないかもしれないけど。苦笑)

僕はね、まず君をかなり礼賛したいし、君に対して感謝したい。
驕っているつもりじゃないけど、最近、なかなか批判されないからね(笑)
君のように、真っ向から、やっぱり僕のイメージとか内面的な部分に対しての、何かしらの正直な「印象」を言われると、やっぱり内省的になれるし、よく考える契機になる。それは、まぁ、ちょっと苛ついたけど(笑)とてもいいことなの。僕にとって。

それは前提なのね。で、

やっぱり君は他人に対して、「優しい人だな」って思う。全く嫌みじゃないよ、本当に。

僕は、全ての人を愛するけども(あえてabstractな言い方を)、期待は、してないのね。
だって、そんなこと未知数過ぎるから。

でも君は、やっぱり他人に対して愛があるじゃない。啓蒙とか。

その段階で、君は知識人なりエバンジェリストの資格があるんだと思うんだけど。偉いよ。

僕は、絶望という言葉を借りれば、はっきりと最初から馬鹿は馬鹿だと思っているから。(その場合の「馬鹿」はバカにしているというよりは、一義的に見てそういう人、という話ね)
そのうえで僕は、それでも僕とか君が(一緒にすることが失礼にあたればごめん)使う言説、語運用が受け入れられる世界で(それは間違いなくマーケットの中にもあるからね)、自分が満足できるままにすごせればいいし(職業とか収入の問題じゃないよ)。

(誤っておこう。僕は今、ウォッカをたらふく飲んでる。だから文章が論理をすっとばしてたら、ごめん)

だから、僕は「消費社会」とか「ポストモダン」なんて平気で言えるわけさ。

だって、僕は客観的に(もちろん主体としてその中を生きてるし、享楽的だけど)それを観察してる「つもり」な人間、っていう意識だから。

その中でいかに、泳いでいくか、自分の欲望、願望を貫き通すか、っていうことに、その帰着とスタンスを置いてるから。

本屋がいかにくだらなかろうと、いかに他人に対して絶望しようと(日常茶飯事、笑)、その中で自分が、いかに満たされるか、しか考えてないから。

だからね、遊べるんだよ。言葉とか的に。
でもやっぱり君みたいに、自分よりacademismに対して誠実な人間には申し訳なくなるね。けれども、僕は嘘は書かないから、本当にそう思ってblogするんだけどね。浅かろうが、ミーハーだろうが。

素直になったついでに素直になろう。笑

やっぱり日本は、よくないかい?

こんなに「意味」が喪失して、かつそれでいて複雑な世界なんてないじゃない。きっと(僕は世界を知らないよ、知らないけれど!)

僕は「近代」を、『「理性」を頂点とした完璧に入り組んだ構造をもつけれどもわかりやすい「ヒエラルキー」』と『「成長神話」を信じれる』っていう世界だと捉えてるわけね。

だとしたら、こんなに頂点のない、本当に「構造的」な社会があるだろうか。
語弊を恐れずにいえば、なんて"Pop"な!!

そんな社会さ、当然どこに行ったって(世界中!)、厚みなんてないさ。

いかに泳ぐか、そして泳ぎきるか、自分が満足できる形で、自分の全存在をかけて。

そんなもんかな、と思ってます。思っているからこそ、blogに好き勝手書くんだ、きっと。

ん〜酔いがピークだし、理性がオーバーヒート。

じゃあ最後に。

僕は「社会」に対して、「冷めた目」をしてる。
愛がない。

そして君の言う「つまらなさ」を認める。
確かに「ある」現象だ。

でも、僕たちは生きていけるさ。二通りのやり方で。

一つは、絶望的、な社会を、上手く泳ぐ、そして受け入れられる。

もう一つは、時代全部を自分の言葉で変えてしまう。

どっちにしたって生きていける。「生きる」、は、あらゆる意味でね。

僕はその二者択一を、結果論に任せるさ、人を愛してないから(笑)

君は、、、わかんないね(笑)

近いうちに、飲むぞ!!☆笑

p.s 頂点がないなんて言ったけど、それは正しくないな。まぁ、可視の度合いの問題さ。