すこし、走ることもそのスピードをやめて、
だんだんと落ち着きつつある。
でもまだ走りの延長だ広がっていく、のだろうな。
この疾走に埋もれないように
このスピードが消えたときのそこに、何も失われていないように
僕のリテラシーとかキャパシティーとか、そういった横文字が
別にそれは横文字である必要だ一切ないままに
求められているのかも
誰に?
自分に
2008年1月29日火曜日
2008年1月20日日曜日
走ることについて考えるときに僕が考えること。
意識して、
「ふり返らない」
わけじゃない。
という三行詩はとてもリリカルでコミカルだけど。
いや、全然リリカルでもコミカルでもないけど。
走るというのは全くの換喩で、本当は内省することもせず日々動き回っているということだ。
この2、3日はとてもおなかが空く。
健康なんだろうか?
この状態が?
これが健康なら、不健康な状態こそが健全だと思う僕のエートスは間違ってるのかな?
前からこういうことを悩んでいる。
そんな自分とも少し上手く付き合えるようになった。
だから今は、走っている。
体からの、蒸気と熱に任せて。
「ふり返らない」
わけじゃない。
という三行詩はとてもリリカルでコミカルだけど。
いや、全然リリカルでもコミカルでもないけど。
走るというのは全くの換喩で、本当は内省することもせず日々動き回っているということだ。
この2、3日はとてもおなかが空く。
健康なんだろうか?
この状態が?
これが健康なら、不健康な状態こそが健全だと思う僕のエートスは間違ってるのかな?
前からこういうことを悩んでいる。
そんな自分とも少し上手く付き合えるようになった。
だから今は、走っている。
体からの、蒸気と熱に任せて。
2008年1月14日月曜日
"BABEL"
これを なにかのヒューマニズムやカリカチュアと捉えるのは、
逆説的にそれらのエッセンスを失わせ破壊するものになるだろう。
これはあくまで徹底的に叙事詩として提出されている。
群像劇をその手法に採用するのは この監督の常套句であるが、
「アモーレス・ペロス」がよりドラマの中での「愛」を歌ったのに対して、
これでは、ドラマとしてのドラマ、どこまでもドラマなドラマがある。
少し感想がリリカル過ぎるが。
でも、
映画でしかできないことをやってると思う。
こういう押し付けがましくないのって、
「かもめ食堂」とかと合わせて僕は好きだし、
これから大事な世界だと思うな。
逆説的にそれらのエッセンスを失わせ破壊するものになるだろう。
これはあくまで徹底的に叙事詩として提出されている。
群像劇をその手法に採用するのは この監督の常套句であるが、
「アモーレス・ペロス」がよりドラマの中での「愛」を歌ったのに対して、
これでは、ドラマとしてのドラマ、どこまでもドラマなドラマがある。
少し感想がリリカル過ぎるが。
でも、
映画でしかできないことをやってると思う。
こういう押し付けがましくないのって、
「かもめ食堂」とかと合わせて僕は好きだし、
これから大事な世界だと思うな。
2008年1月12日土曜日
「秒速5センチメートル」
くさすぎる(笑)
というのはいなめないが、それは不快じゃない。
全編を通して効果音を含めた「音楽」が流れ続けていることで生まれる劇場性と、
「語り」の構造を持ち込むことで、こちらに俯瞰という安定的な視座を与えてくれることが、
見てる側の作品自体への没入を止めて、より物語の展開への関心に注意を向けさせる。
その点において、監督自身が「それだけをテーマにした」という、この「○速5○メートル」の「スピード」のみへの作品テーマの回収という目的が実現されていて、ミニマムだ。
でも、すごいな。
よくこれだけ一時間ちょっとの映像全部に、
「二項」性、を散りばめまくったもんだ。
表象と象徴の王国みたい。
感動するけど、少し笑ってしまった。
いい作品だよ。
僕の中のアニメ位置づけをすれば、
"Japan"のアヴァンギャルドが、「鉄コン筋クリート」で、
現代"Japan"のPopスターが、「時をかける少女」なら、
”日本”の伝統を引き受けて、”Japan”との融合、プレゼンスをしたのが、この「秒速5センチメートル」っていうところだろうか。
押井守とか、ああいう大監督〜は違うstageの論述だから。
たくさんメモったけど、
全部描いたらちょっとしたレポートが書ける。
やってみようかな(気まぐれだからわかんないけど)
いや、別に偉そうにする気も、いい気になってるわけでもないです。
価値ある作品だと思うからこそ、こうやってblogにするわけです。
というのはいなめないが、それは不快じゃない。
全編を通して効果音を含めた「音楽」が流れ続けていることで生まれる劇場性と、
「語り」の構造を持ち込むことで、こちらに俯瞰という安定的な視座を与えてくれることが、
見てる側の作品自体への没入を止めて、より物語の展開への関心に注意を向けさせる。
その点において、監督自身が「それだけをテーマにした」という、この「○速5○メートル」の「スピード」のみへの作品テーマの回収という目的が実現されていて、ミニマムだ。
でも、すごいな。
よくこれだけ一時間ちょっとの映像全部に、
「二項」性、を散りばめまくったもんだ。
表象と象徴の王国みたい。
感動するけど、少し笑ってしまった。
いい作品だよ。
僕の中のアニメ位置づけをすれば、
"Japan"のアヴァンギャルドが、「鉄コン筋クリート」で、
現代"Japan"のPopスターが、「時をかける少女」なら、
”日本”の伝統を引き受けて、”Japan”との融合、プレゼンスをしたのが、この「秒速5センチメートル」っていうところだろうか。
押井守とか、ああいう大監督〜は違うstageの論述だから。
たくさんメモったけど、
全部描いたらちょっとしたレポートが書ける。
やってみようかな(気まぐれだからわかんないけど)
いや、別に偉そうにする気も、いい気になってるわけでもないです。
価値ある作品だと思うからこそ、こうやってblogにするわけです。
2008年1月9日水曜日
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