2008年6月24日火曜日

とかいいながら、

け、け、け

   

舐めてはいけない、あそこ。

(この前の数時間を、ある会話に費やしたことを明記し、宣言したうえで)


僕は、最近 最近の僕が「語り口」を持たない という事実 の話から始めたい。


時が過ぎると しかしその残滓は美しくも大切ではあるが 多くを忘れる。


当時の熱情は その対象の世界観のプロパーとしての自信と 更なる権威に喜んで負けるという希望の中での 得意げな前向きを生み出す。


それがないおかげで 僕は 安易な「落とし込み」に自分を落とし込むこともないのだから 幸せではあるのだけれど、


おかげで僕は 語る言葉を持てないでいる。


弱虫


あなたはそう言う かもしれない


でも僕は僕の カメラのボディとしての無力さと そしてそれはもう見せ尽くしたことを 知っているし、


それこそ 独り相撲の自慰は しつくした。


僕がしたいのは"sex"であって。


自己宇宙の弁証法は 疲れたよ。


ーーーーー


しかし、僕は誰かの応答を期待してはいけない。


そんな性交の遊戯の愉楽に耽溺してしまっては 最高のダメさを招き入れていることになる。


そのつまらない招待状を書くことは 僕にはその勇気がないという建前を打ち立てたその前に立ち尽くす僕がいるために できない。


しかも僕がどれだけがんばったって 特定された"you"は 横を向いて いるのだね。


だから 出来ない しちゃいけないの。


ーーーーー


あらゆるものを諦めて


あらゆる人が 僕以上のプロパーになって


そのときに


僕はどうどうと ヴーヴ・クリコをブチまける。


拠り所として"only"の 結果。


ーーーーー


つまらない 恋をした している


その恋は 最高だ 最高である


ーーーーー


やっぱり 語れない。


僕はすでに なんでもなくなってしまったのかも。



ふざけんな



生きてるぞ    

2008年6月8日日曜日

primitive primitive.

昔から僕は、”primitiveな感情”について言及してきた。


そんな事実は、もちろんあなたにはどうでもいいかもしれないけれど、


今日のblogの話の大きなところでもあるから仕方ない。ごめん。


最近、三谷幸喜が、テレビでがんばってる。


佐藤浩市とのペアも着々とその漫才感を増しており、テレビなれ、していておもしろいよね。


彼は多分、やっぱりかしこいと思う。


彼の知性は、おもしろいこと、喜劇、ということの追求にすべて向けられたんだ。


だから、彼は小難しいことはいわない。


彼はかしこ「かった」から、もちろんそういうことも理解「できた」だろうけど、


(今でも出来るかもしれない、もちろん、出来るだろうね)


彼の一切の興味と知性は、おもろーい、に向けられたのだよね。


だから、彼の喜劇は、極上におもしろい。極上に。


で、ふと思った。


彼は、どうしようもなく喜劇に志向したんだ。不可避的に、あらがえずに。


じゃあ、ぼくは?


ぼくは、いろんなことに食いついては、飽きてきた。


でも、僕は、「人間の知性のきらめき」、という共通項に、僕の食べてきたものをカテゴライズ出来る。


だから三谷幸喜も好きだし、H.L.A.ハートの分析法学なんかにもやっぱり心惹かれてしまう(難しいけど)。


僕のprimitiveは、「人間の」「知性の」「きらめき」だった。


その三項は、


あらゆる変換を可能にする。


人間という主体は、あらゆる人間と人間性であるし、


知性は、直感や道徳、良識などあらゆるヒューマニティのすべての地平である。


きらめき、は、ひらめき、であり、またたき、である。「儚いbrightnessの閃光」である。


というところに、僕の無根拠で盲目的で欲動的な衝動、があります。


うん。そうでした。


そうです。

ーーーーー

よし、ホッピー飲みにいくぞ。    

2008年6月7日土曜日

壊れそうなところの、エロス。

あらゆるものの、あらゆるところに、


それが壊れそうなほどに脆くなる、その瞬間に、


私の神経系を官能しつくす麻痺とムードと絶頂が潜んでいる、そして感じる。



少しの触発で、こんなことを思った。


それは共感と同意でもある。



この話は何もsexに限定されて考えるべき、というようなものではない。

当該事象が、その特異性、言い換えれば他者と自身を分ちなし得ているその差異の距離を侵されるとき、

その「おかされる」という言葉の表象を巻き込んでそれは、その魅力を発奮する。

危機とは、危機に瀕しているものに、すべての注目とまなざしを惹き付けるのだ。



その先に待つ危険に最も近い状態におけるゲームの誘惑は、あらがうにはやはり中毒的すぎる。


思うに暴力とは、それが完全な危険を、取り返せない危険を犯す瞬間の、その手前において、美しい。


フランス革命の美しさが、あのギロチンの濫用のまさに一歩前に絶頂だったというように。

サーヴィスが、その自己陶酔の完璧な押しつけによる偽善を生む手前において、賞賛されるように。


すべては、それが破綻する前に、その直前のギリギリの状態に、もっとも快感的で官能的で、美的である。



すべての行為は、何らかに対して、暴力である。何かを破壊しない建設はありえない。


そしてすべての行為は、その暴力さゆえに、エロティシズムを醸し出す。


そのギリギリの、脆く崩れ易い一本道を、


二人は、互いのまなざしのプレイによって遊戯するのだ。


ことの本質は、知的ということの最高級は、そういうとこにある。



のだろうかな。