2008年6月7日土曜日

壊れそうなところの、エロス。

あらゆるものの、あらゆるところに、


それが壊れそうなほどに脆くなる、その瞬間に、


私の神経系を官能しつくす麻痺とムードと絶頂が潜んでいる、そして感じる。



少しの触発で、こんなことを思った。


それは共感と同意でもある。



この話は何もsexに限定されて考えるべき、というようなものではない。

当該事象が、その特異性、言い換えれば他者と自身を分ちなし得ているその差異の距離を侵されるとき、

その「おかされる」という言葉の表象を巻き込んでそれは、その魅力を発奮する。

危機とは、危機に瀕しているものに、すべての注目とまなざしを惹き付けるのだ。



その先に待つ危険に最も近い状態におけるゲームの誘惑は、あらがうにはやはり中毒的すぎる。


思うに暴力とは、それが完全な危険を、取り返せない危険を犯す瞬間の、その手前において、美しい。


フランス革命の美しさが、あのギロチンの濫用のまさに一歩前に絶頂だったというように。

サーヴィスが、その自己陶酔の完璧な押しつけによる偽善を生む手前において、賞賛されるように。


すべては、それが破綻する前に、その直前のギリギリの状態に、もっとも快感的で官能的で、美的である。



すべての行為は、何らかに対して、暴力である。何かを破壊しない建設はありえない。


そしてすべての行為は、その暴力さゆえに、エロティシズムを醸し出す。


そのギリギリの、脆く崩れ易い一本道を、


二人は、互いのまなざしのプレイによって遊戯するのだ。


ことの本質は、知的ということの最高級は、そういうとこにある。



のだろうかな。    

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