2008年4月20日日曜日

Dear my "Ailter"

昔から言いますとおり、


僕は他者に向けて「開かれない」人間です。


他人を志向していない、思考していない。


まさに通説的な意味で、自己本位なのです。


一時のセンチメンタルやヒューマ二スティックな揺さぶりに、揺さぶられることはもちろんあるけれども。


それでも私は、自分勝手な利益追従者であります。


こういった自分から出発して、僕の世界との付き合い方は、


ぜんぶがぜんぶ、記号である


というものでした。


あなたのシンボリックな意味理解の体系は、


僕とは絶対に融け合うことのない、ものであると。


それでも実存主義的に生きようとする僕の原風景は、


そういった理解の世界を、


そのdiscomunicationにも関わらず、必死で、


生き抜こうとする


そのことに明日を求め、希望を抱くのでした。


このような、"ego"と、そしてそれら"ego"たちが生きる悲しい世界の熱情、エロティシズムの舞台としての「世界」が、


僕の世界、だったのです。


でも、はたと気づきました。


僕とあなたの間には、はたして、


コンセンサスなるものが必要なのでしょうか?


僕とあなたの間には、何らかの社会的背景、文化的背景が必要なのでしょうか?


僕とあなたの間には、


『「ぼく」と「あなた」』以前の秩序が、必要なのでしょうか?


僕とあなたは、"0"から出発できるのではないでしょうか?


だって、僕は「あなた」を「考える」もの。


あなたが今何を考えているか、次にどうするか、を思考するもの。


そうしてあなたを思考し、その「あなたが自分と同じように他者を思考している」ということを自分に引き受けたうえで、あなたを交わろうとするもの。


僕は「ぼく」というその「ぼく」は、ぼくの性向とは関係なしに、あなたを飲み込んで、考えざるを得ないもの。


だから、僕とあなたは、まさに相手が「なにをするかわからない」「なにものであるかわからない」という"0℃"を、いつも出発点にしているのだもの。


どうせわからない2人だもの。


どんな人間の間でも、相手のことは予測不可能なのだもの。


なら「交わる」なんて、いつも「ぼく」と「あなた」しかいないじゃない。


それ以外にはどんな"ism"も"exist"もないじゃない。


ぼくは、世界中と交われるんだ!理論的には。


『社会のシステムとしての成り立ち、そのオートポイエティックな機構と、その中で生起するダブル・コンティンジェンシー』


そんなものに触れた僕は、


そんな風な考え方をする人間に、


今日なったのでした。


「感じやすいね〜ミーハーだね〜」


本当だね。


でも、こうなっちゃったのだ。


前から


「恋人は、二人の世界で生きるものだし、そうすべきだ」


って思ってる。


ぜんぶの間柄が、「そうなれ」とは思わないけど、


その可能性に拓けたというのは、


ロマンティックでいいじゃないのかな。    

2008年4月15日火曜日

存在の絶えられない、脆さ

状況や 環境に 自己を求めず


在るのはただ 自分のみ


という生を 生きる


その勇気と清々しさよ


ーーーーー


コミュニケーションは 人を "ecs"にする


ぼくは いくつかの関係に いま 本当に"いま" 支えられている 生かされている


なさけなく こそこそと


コンプレックスの反転


自分の生きる道をつくらないといけない


開きなおれるほど僕は 高くは ない    

2008年4月10日木曜日

舞い上がっちゃおうか。

ピュアなことを、そのまま書く。


こんなに恥ずかしいこともないですよね。


書いちゃうんだけど、


本当にうきうきしてます。


学校に、勉強に。


今は、僕の今最も好きな先生の授業の履修選抜中です。


いや、本当に楽しいです、勉強してるのが。


まぁ僕のことなんで、まぁ最初なんで、


かもしれないけれど、


このまま一年突っ走れたら、


いいなぁ、最高だな。


でした。    

2008年4月6日日曜日

shinri note.

「いちゃいちゃする」っていうのは、


恋人たち2人にとって、健康だ。


二人、よりは2人って気分だ。


もちろん周りの人には、そうとも言えないかもしれないけれど。


大人なカップル、ペアと言った方がいいのかな、はもちろんいわゆる「ペアルック的な」「いちゃいちゃ」はしない。


でも2人は確実にちゃんと、「大人なペア」という遊戯を楽しんでいる。

ゲームの共犯関係に、つつきあい、微笑み合っている。

ラウンジでの遊戯は、上階のホテルでの一夜のための前戯だし。


「大人いちゃいちゃ」は恋人たちの健全なコミュニケーションとしての究極の「そのまんまいちゃいちゃ」が、社会的に許容される形で、つまり、「みんなからかっこいい」感じで現れているという現象なのかな。



やーめた。



人は、素直になりたいのだ。