総務省が行った、「なぜブログをやるのか」的調査。
「自己表現、ストレス解消などの内面的な効用を重視」という自己表現型
「自己の情報を整理、蓄積することを重視」というアーカイブ型
などなど。
でも、どういう時にそのブログを書くか、というところが気になります。
さてさて、閑話休題。
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悩みなんざぁ、ございません。
わたくしは、まぁ生きておりますし、それも楽しい。
恐いのは、
この生活が、何かひょっとした瞬間に、
音を立てるわけでもなく静かにパラパラと、
ゆるやかに壊れていく。
そんな瞬間の到来でしょうか。
生活は盤石なわけです。
生活とは、あらゆるものを含めていますね。もちろん。
その基盤が、
かなり「シフト」するときって、
とっても、危なく感じるんですの。
大学一年のときのこと、思い出しますの。
もちろん、あのころよりは大人になりました。
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世界の終わりが、「ぼく」と「きみ」というのは
なんともロマンチックな自己完結的世界を希求してしまう自慰的オプティミズムだと思いますが、
確かにロマンチックですよね。
「恋愛は二人の世界」なる認識から出発すれば、
まさしくリアルワールドが、それに直結して、
どんな危機でも、彼ら彼女らのドラマになるんですから。
「ドラマ化」とは、究極の自己防衛であります。
悲劇を生きるヒロインは、そのヒロイニズムにおいて最強のエゴイストなのです。
誠実な人生の生き方は、私が思うに、
いかに「ドラマを生きるか」「ドラマになるか」であって、
いかに「ドラマだと思うか」ではないのです。
と、思うのです。言葉って難しいね。
夢見る王女さまに、乾杯。
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ソシュールという天才は、
その時代を飛び越した才気と、その天才ゆえに、
最後には「アナグラムにおける詩人の意識」という、
何とも神秘的な研究をやらかしてしまいました。
これを笑い話とする人もいます。
でも、違うと思います。
人間の理性が行き着く先は、結局「到達できない」という絶望です。
未知なるものが残されないというのは、ありえない。
カントの世界認識、松尾スズキの戯曲を引くまでもなく。
「いやいや、自己完結する世界もあり得るじゃあないか」
かもしれませんが、懐疑することが人間の全ての豊穣であります。
懐疑して懐疑して行き着く先は、とーっても明るい絶望です。
「ようやく、神様に出会えた」
さよなら、人類。
それを直視できたキェルケゴールは幸せに不幸だし、
ソシュールはそこに到達してしまったからこそ、天才であるのです。
僕は、そうならない。
だって、僕は、その一歩手前で、遊戯に耽ってしまうもの。
それが僕が、椎名林檎を好きな理由です。
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みんな、遊び方を知らないなぁ。
さて、問題です。
じゃあ、僕は遊び方を知っているのでしょうか?
「みんな」知らない、と僕は言っている。
でも「みんな」は誰の代名詞なんでしょう?
ファンキーですね。
宇宙は見えるところまでしかない。
天文学的見地から、J・U女史に意見を伺いたいものです。
(意見は、マニュフェスト的に「違憲だ!」と言われるものかもしれません)
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