「可哀想なワタシ」の向こうがわには、「自分の犠牲者は自分」という悟りが待っている。
誰の言葉も聞かず、守るべきものを作らず、それが強さだと考えて、しかしそれがもしかすると人間的な弱さだと、社会的動物としての弱さだとすると思い出すと、彼は世界を浮遊してしまう。
「だから、選択しなきゃいけないんだよ。メシは食わなきゃいけないんだ。迷ってる時間なんて、ありゃしないんだよ」
現代人(今の若者)の人生の行動は、近代人(年配)の大文字の台詞の前に、ただただ頭が上がらない。
近代人の台詞は、何の嘘もなく、古代からの人類の本質だ。
しかし現代には時間が溢れている。フードもファッションも、ブームもモードも、すべてはバラバラに並べられ並列化されて同時進行し、組み合わされ、有形無形の様々なグニャグニャが極彩色の色彩で目まぐるしく展開していく。
ハイエラルキカルな世界はただ幻想として残り、その内実は、すべてがありナニモナイ、永遠の時間の世界だ。
「紐帯の強さなんてうんざりだ。そんなうんざりに縛られて、自分のエゴを隠して利用して、他人をセルフィッシュに扱う方が、全く非人間的だよ」
ダニエル君の主張はいつも語気が強い。
つまり彼はコムデギャルソンのシャツを来て、居酒屋でハイボール、湯豆腐、串カツ、焼酎お湯割りを並べる。
それを見た近代人に不思議な目で見られること、そこから現代人の近代に対する父親殺しに挑むのだ。
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