「昨日に付き合ってる時間なんて、ないわ。」
彼女は電話を片手に、片手でその肘を支えて、はっきりそう言った。
ボクはアールグレイに少しだけミルクを入れて、熱いのを一口、すする。
彼女はケータイを閉じて、カバンに放り込み、ボクを睨んだ。
「言っておきますけどね、これは何でもない人で、何でもない話です。」
「いいよ、何でも。ボクは君とさっき知り合って、そしてここにいるだけ。ボクもそれだけの、何でもない男なんだから。明日にはボクが同じ電話、そのカバンの中の電話の向こうにいるよ。ボクは、かけないけどさ」
「冷静ぶる人って、嫌いだけど、まぁ、可愛らしいね」
――――――
人はなかなか、手がけたものや手に入れたものを手放そうとしない。
そうしてずぶずぶと手の中でそれを腐らせてしまう。
あげくには、ずぶずぶと腐っていく物体を、
「これはいいものなんだ!」
なんて、自分を適宜正当化する。
動産の所有なんて概念は、早く捨ててしまったほうがいい。
不動産なんてもっての他だ。
漂泊者の脳みそがあればいい。
高邁な流浪の精神に頼ればいい。
そうしてのたれ死ぬのがいい。
そうした崇高な思想を、現代に正当化してみよう。
それこそが、消費だ。
現代人によるニーチェの最も手前味噌な正当化の理論こそが。
0 件のコメント:
コメントを投稿