2009年9月30日水曜日

I love MY.-sunk cost.

「昨日に付き合ってる時間なんて、ないわ。」


彼女は電話を片手に、片手でその肘を支えて、はっきりそう言った。

ボクはアールグレイに少しだけミルクを入れて、熱いのを一口、すする。


彼女はケータイを閉じて、カバンに放り込み、ボクを睨んだ。


「言っておきますけどね、これは何でもない人で、何でもない話です。」

「いいよ、何でも。ボクは君とさっき知り合って、そしてここにいるだけ。ボクもそれだけの、何でもない男なんだから。明日にはボクが同じ電話、そのカバンの中の電話の向こうにいるよ。ボクは、かけないけどさ」


「冷静ぶる人って、嫌いだけど、まぁ、可愛らしいね」


――――――


人はなかなか、手がけたものや手に入れたものを手放そうとしない。

そうしてずぶずぶと手の中でそれを腐らせてしまう。

あげくには、ずぶずぶと腐っていく物体を、

「これはいいものなんだ!」

なんて、自分を適宜正当化する。


動産の所有なんて概念は、早く捨ててしまったほうがいい。

不動産なんてもっての他だ。


漂泊者の脳みそがあればいい。

高邁な流浪の精神に頼ればいい。


そうしてのたれ死ぬのがいい。


そうした崇高な思想を、現代に正当化してみよう。

それこそが、消費だ。

現代人によるニーチェの最も手前味噌な正当化の理論こそが。    

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