すべて一切は、強度の問題だ、というのは、酒場で知り合う哲学である。
酒宴、饗宴の世界では、ただ二言三言の論理の――そう、まさに二言三言でいいのだ!――強さが、ものをいう。
これは批判ではなく、尊敬である。
つまり、曖昧さなどは、インテリの美学であって、畢竟、間口の狭い概念である。
だからこそ!
ワタシは、それを愛したいのだ。
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「つまり何もしたくないわけね」
良き理解者である隣人は、こう言う。
「選択出来ないことは悪いことじゃない。迷う時期も、そういうときもあるのよ」
あまりに心地よい諦念に、ボクは安住を感じることに必死に抗いながら、
「そうだねー」
と、歯ぎしりする。
歯ぎしりする?
誰に?
自分にだ!
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ボクは、現在の人々は多分に物語好きであり、同時に物語への無興味である、と思っている。
ボクらは、都合良く物語りを消費している。
あるときはただ感情の変化をえようとして――「泣けましたー」みたいな
あるときはただの時間つぶしとして――「とりあえずー」として
ボクらは本当にその物語の特別性に無関心だ。
で、あるならば、
何も特定しない、
そんな物語が、
ダメな理由が、
どこにあるだろう。
「anti 安易な一般化」
これ抵抗してきたボクだ。
敵は、なおもここにいるのだ。
しかし、これこそがフィールドだ。
このような散文が経済的価値を持てば。
それこそが、現代文筆家諸君の夢想的な理想である。
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自己言及。
この無価値で有害な美徳よ!!
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