にゃーにゃーと、めんどくさいことを午後の3時まですませて
ぐわぐわと、いらいらしながらスーパーに向かい
むがむがと、よし遅い昼飯にパスタをぐわっと作って夜もキャベツをまるごと料理してくれるわと買い物し
しゃばしゃばと、傘で守れない可哀想なカバンを雨に濡らしながら
ぷらんっと、信号待ちをしていた。
隣に外国人の女性、かなりいいお年だがかなりかっこいい、シルバーのおかっぱ&いいセルのウェリントンの淑女ペアがいらっしゃる。
おかっぱ女史が僕をちらりと見る。
おかっぱ女史は僕を背景に立ち、ウェリントン女史はカメラを構える。
僕は邪魔にならないようにと少し体を動かしたが、カメラは僕のズレに合わせて2度向きを変えた。
「ぼく?」
ぽけっとした顔をしたところをM8のシャッターで切られた。
なるほど、僕も負けずおとらずの「おかっぱ&メガネ」だからな。胸を張ろう。
二人の女史は青信号を渡り、まっすぐ大通りを道なりに進む。
僕は少し立ち止まりどうしようか考えたが、おもしろそうだから後ろをついて歩くことにし、どきどきしながら話しかけようかどうしようかと早足でついて歩く。
「さっきなぁ、おばさんに道聞いてたっぽいんだよなぁ」
かなりの早足に必死でついていく、しかし悟られてはいけない、あくまで僕の行き先(家)もこっちなのだ(事実こっちからでもいける)
「ここで話しかけるくらい自分をチェンジしていかないと、Yes, We can I can We....excuse moi...」
そうしてこの競歩を自分の人生の行く先にまでフィードバックさせながら下を向いていると、突然ウェリントン女史が振り返りこちらに話し寄ってきた。
<以下:僕の全く稚拙で不思議な英語&フランス語の混成と、二人の女史の流暢なフランス語&少しの英語による会話>
ウェリントン女史(以下:ウェ女史)「寺町通りはどこですか?」
僕(以下:僕)「あ〜ん〜、と、じゃあ付いてきて!」
ウェ女史「あら、フランス語話せるの!?」
僕「少し。です」
なんでもウェ女史は写真家で(道理でライカ!)日本に5週間ほど滞在するのだそうだ。
おかっぱ女史はわからないが、京都は2日目らしい。
ウェ女史「あなた学生?」
僕「この3月に卒業しましたが、まだ勉強中の身です」
ウェ女史「何の?」
僕「あ〜ん〜っと、法律〜ん〜法律〜」
ウェ女史「それはavocatっていうのよ」
僕「アボック?。。へ〜、ふ〜」(聞き取れてないわけだ)
寺町通りについた。
おかっぱ女史「一保堂はわかる?」
僕「ええ、お茶の?」
おかっぱ女史「そうそう、それとギャラリーにも行きたいの。ここ」
地図を見ながら歩いていく。
着いた。
お別れ。
二人の女史「アリガトウ〜☆」
僕「good trip〜」
僕は笑顔で帰路に進むが、顔は少し苦い。
「グッドトリップはないよな、いくらとっさに出たといっても、、have a〜みたいなこと言えるだろうに、おい。」
しかし、顔は同時に晴れ晴れ晴れた桜色を少したたえた、と思う。
つまり何が言いたいかというと、僕はやはり変わっていかないといけないと思うのだということだ。
恐い、面倒くさい、わずらわしい、などなど云々の事象に、今までそう感じてたものを、また新たに捉えなおした段階でもう一度処理消化していかなければならないということだ。
なぜ「ければならない」のか?
今の僕はこの先の僕に対してベストでは、ないからだ。
こういう思いに至るまでの過程というのは、この手記以前からの思索が文脈をして存在するからこそであるのだが、それは面倒だから書けない(僕のこういう部分も再考の余地があるということだ)
この冬から春にかけてのぐにゃぐにゃと将来に対するぐにゃぐにゃは、まだテクストとして世界に流されるには、醜いぐにゃぐにゃでありすぎる。
フィクションの世界に送ってやりたかったが、彼らは彼らの人生を歩んでいる。
僕のあまりに僕個人の個別具体的な事柄を彼女たちに押しつけることはできない。
そんな線引きが、どうやら僕と彼らの間にはあるらしい。
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