この空気が好きだった。
偽善と遠慮で残された少しの緑、街路樹が、いつもより少し湿度を含んだ空気、夜になって涼やかになった空気の中で、その匂いを街全体に満たしている。
この空気が、好きだった。
好きだったことを、今、この気持ちよさで思い出した。
あのときの俺は、どんな感じでこんな風に自転車をこいでいたんだろう。
今と昔の俺は、そんなに違うか?
「違わないね」
「いや、成長してるわ」
昔はコーラだったか、今はそれがビールか、それぐらいの違いか。
「昔もビールだったよ、はは」
自転車で走るというのは、その土地の地形の様子をよく感じさせてくれる。
北に向かえば、ペダルが重い。
少し踏ん張りながら、少しペダルを強く押し、少しだけ息をあげる。
少し、少し、少し。
ちょっとのことをちょっとの力で過ごしている。
ちょっとのことに思い切りの力をかけることはできない。少しの力で回るペダルを、思い切り踏み込み続けることはできない。
少しの緑、少しの湿度、ペダル、坂道、息、体温の変化。
重いペダルが必要なのだろうか。
俺はこぎたいのだろうか、そのペダルを。
重いペダルの自転車を作ることも、買うこともできないとしたら、じゃあ誰かが乗せてくれるのだろうか。
乗せて欲しいのか?
乗りたいのか?
乗れたか乗れなかったか、チャンスをどうしたこうしたの話なのか?
そうやって俺は俺に嘘をつくのか。
目の前に流れていくつまらない樹や草みたいに、歯切れの悪い心をぽつぽつと残したまま、俺は俺を完成させていく。
いつでも焼き払える。
街は燃える。
いつでもこの手で、街は燃やせる。
燃えたあとには何も残らないが、何もないことが生むことが一つあるとすればそれは、失われる可能性のあるものもそこには全くないということだ。
諸行無常の響きすら響かない灰塵の広場。
焼け落ちた瓦礫の中で、呆けてみればそこには、やっぱり何もないということがある。
ただ、焼けたあとの空気だけが。
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