2009年4月14日火曜日

factotum.35

この空気が好きだった。

偽善と遠慮で残された少しの緑、街路樹が、いつもより少し湿度を含んだ空気、夜になって涼やかになった空気の中で、その匂いを街全体に満たしている。

この空気が、好きだった。

好きだったことを、今、この気持ちよさで思い出した。

あのときの俺は、どんな感じでこんな風に自転車をこいでいたんだろう。

今と昔の俺は、そんなに違うか?

「違わないね」

「いや、成長してるわ」

昔はコーラだったか、今はそれがビールか、それぐらいの違いか。

「昔もビールだったよ、はは」

自転車で走るというのは、その土地の地形の様子をよく感じさせてくれる。

北に向かえば、ペダルが重い。

少し踏ん張りながら、少しペダルを強く押し、少しだけ息をあげる。

少し、少し、少し。

ちょっとのことをちょっとの力で過ごしている。

ちょっとのことに思い切りの力をかけることはできない。少しの力で回るペダルを、思い切り踏み込み続けることはできない。

少しの緑、少しの湿度、ペダル、坂道、息、体温の変化。

重いペダルが必要なのだろうか。

俺はこぎたいのだろうか、そのペダルを。

重いペダルの自転車を作ることも、買うこともできないとしたら、じゃあ誰かが乗せてくれるのだろうか。

乗せて欲しいのか?

乗りたいのか?

乗れたか乗れなかったか、チャンスをどうしたこうしたの話なのか?

そうやって俺は俺に嘘をつくのか。

目の前に流れていくつまらない樹や草みたいに、歯切れの悪い心をぽつぽつと残したまま、俺は俺を完成させていく。

いつでも焼き払える。

街は燃える。

いつでもこの手で、街は燃やせる。

燃えたあとには何も残らないが、何もないことが生むことが一つあるとすればそれは、失われる可能性のあるものもそこには全くないということだ。

諸行無常の響きすら響かない灰塵の広場。

焼け落ちた瓦礫の中で、呆けてみればそこには、やっぱり何もないということがある。

ただ、焼けたあとの空気だけが。    

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