2009年4月12日日曜日

努力についてのMankiw的観察法。

完全競争が成立している完全市場のように我々主体の行動と成果が成り立つとする。

そのモデルは、自己の情報を自身以上に知りうる人間がいないという仮定に基づけば成立するものである。

しかし、主体のそのような決定モデルから導きだされた結果、報酬の全責任を、彼の決定モデルに全て帰するのは、少し酷であるかもしれない。

短気的な経済観測と有効手段を考えれば、そこには需要刺激による状態の底上げが可能であり、硬直した均衡点を上向きに修正することが可能である。

ルールや状態の変化は彼の潜在的な生産力を生み出すかもしれないが、一瞬の起爆力としては成立しにくいものであるからだ。

もちろん財政出動のような真水はストックに支えられるものであるから、主体は最終的にフローとストックを恒久的に循環させるポンプにならなければならないが。


僕もなんと弱くなったことだろう。

つまり僕は20代をヒモとして過ごしたいのだ。それをソフィストとしての僕はこのように語るということだ。

*経済学を真剣に学ばれている方は、怒らないで聞いてほしい。
 ただこんなつまらないゲームでも、「のって」くれるなら、それは楽しいことだ。    

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